さて2016年度のThe Extreme Tour Japanも終わり。
ビクトリアノ兄弟も無事に帰国して。
僕も一息ついたところ。
人から何かを学ぶことがあるのは良い事ですが、
まあ僕も怠け者なんであんまり人から学ぶとかしないですが、
XTJが終わったらジェルソン君のギターソロをコピーしようと思っていたので、
既に「限りのない勝利」と「装うことないさ」のギターソロをコピってみました。
過去に友人が主催していたギター速弾きコンテストに関わっていた時は「よくあんなの出来るなあ」と思っていましたが、歳食って長いことギター弾いてると、いつのまにか出来るようになってるもんで、たとえ僕のスタイルはあそこまでテクニカルではなかったとしても、真似して弾いてみれば十分にコピれるものでした。やるじゃん、俺。なんというか、ここまでギターを弾き続けることが出来たことに感謝です。
さて、今年のXTJ(エクストリームツアージャパン)の総括みたいな日記を書きたいと思います。
そうはいっても、昨年とか一昨年みたいな主催者のフラットな目線からではなくて、もうちょっと個人的ないち参加ミュージシャンとしての視点からの文章になるかもしれません。
何度も書いているように、今年のXTJ (The Extreme Tour Japan)は、余録というかおまけのようなつもりでした。昨年まで、2013、2014、2015と3度やって、もういろいろと限界が来ているので、これでやめにしようと思っていたのだけれど、Calling Recordsの仲間が居ること、そしてなにより、地球の裏側はチリに、なぜか日本語でJ-Rockをやっているクリスチャンロックバンドが居て、日本に来る気まんまんであること。そういうありえない状況があったので、もう一回だけ、この地球の裏側の連中を日本に呼んで、彼らの日本でコンサートするという夢を叶えよう、と。
そういう動機で、「規模は小さくていいからもう一回だけ」そういう気持ちで行った今年のXTJでした。
しかし終わってみれば、結果として初年度である2013年に近いくらいの、それに次ぐくらいの成功と祝福が得られたように感じています。
なんていうんだろう、「皆の夢が叶う」っていうのかな。
皆の夢が叶うためのXTJ、そんなツアー、そんなイベント、って、なかなかいいんじゃないかって思っています。
地球の裏側に、日本への愛を持った、熱い連中が居る。そいつらの夢を叶えるだけでも、やる意義があるんじゃないかって。
そして、そこにいろんな人の夢が集まって、今年のXTJは行われたんだと思います。
もちろんそこには、一緒に戦う同志であり仲間であるCalling Recordsの面々。
そしてまた、XTJに、CRに、ビクトリアノに、関わっていただいた色々な人々の存在がありました。
来日中、ビクトリアノはずっと人気者だった。
いろんな人たちや、いろんなアーティストが、彼らと交流していた。
僕はそれはいいことだと思う。
確かに彼らを今回日本に呼んだのは、XTJでありCalling Recordsなんだけれど、これからの彼らの日本での活動、チリでの活動は、彼らが切り開いていかなきゃいけない。そのために、彼らが様々なつながりを今回の来日中に作れたのであれば、それはきっと彼らが得た大きな財産になったはず。
だから来年とか今後、今回知り合った何組かの日本のアーティストたちが、チリにコンサートをしに行くかもしれない。そういうのを皮切りに日本とチリの音楽シーンがつながっていけば、それは素晴らしいことだし、そのひとつのきっかけを作れたのであればそれはなかなか意義があることだ。
昔からそういうふうに考えてたよね。つまり、ドイツに行ってサシャ・ピートやアマンダ・サマーヴィルと仲良くなったんであれば、そのつながりを生かして、皆にいろんな交流の機会を作ってあげたい。
アメリカに行ってThe Extreme Tourという人たちと仲良くなったんであれば、それを自分の功績にするんじゃなくて、日本とアメリカのクリスチャンアーティストがつながるきっかけにしたい。
そういう中で、人と人がつながったり、皆の夢が叶うんであれば、少しでも意義があったかな、って思えるじゃん。
つまり、僕は昔からこういう性格で、人間嫌いも甚だしく、世間との距離も遠いので、「皆でやれば」って感じにどうしてもなるんだよね。自分はめんどうくさい、というか。
そしてなにより、自分が欲しいものというのはたったひとつであり、それが何かは(なんとなく)わかってる。
だから、それ以外のいろんなものに対しては、別に皆にあげるよ、って感じになるし、その方が面倒がなくていい。
いずれにせよ、「もうやめようかな」と思っていたこのXTJという企画、海外のクリスチャンアーティストを迎えて回る、という企画だっただけに、今回のVictorianoを日本に迎えるための土台としては、ばっちりだったわけだ。
仲間であるCalling Recordsの皆さんの頑張りについても書きたいけれど、
まずは今回の目玉であったビクトリアノについて書いてみよう。例年と同じく、講評、みたいな感じで。先生かよ、という感じだけれど。
XTJに参加する海外からのゲストバンドとして、僕ら日本の主催側として望む要素として、人々とのコミュニケーションがしっかり取れる、ということがどうしてもある。
それは、エクストリームツアーはその本質がコミュニケーションにある、ってこと、なぜって「宣教、ミッショナリー」のツアーなわけだから。
そして、行く先々で人々としっかり、フレンドリーに、オープンに、コミュニケートしていく中で、XTJの大事な部分というのは達成される。
その意味で、今回のビクトリアノの人たちは十分に合格点だった。もちろん、そのほとんどの部分はシンガーのセルヒオ君の存在が大きかったのは言うまでもない。なにしろ、彼はたどたどしいながらも日本語をしゃべり、日本のことが大好きで、非常にオープンにフレンドリーに、ひたすらなれなれしく(笑)、行き交うすべての人にコミュニケートしていたのだから。
人間性ということについては、セルヒオ君もジェルソン君(スペイン語的にはヘルソンが正しい発音だと思うが英語っぽくジェルソンがステージネームのようだ)も、「ちょっとアレ」なところがあるのだけれど(一緒に行動してればわかりますよね)、それはアーティストならば当然あることだし、だから3人の中で「一番冷静」というのか「いちばんまとも」だったのはドラマーのダミアン君だったのは皆が認めるところだと思う(笑) 兄弟に振り回されて日本まで来ちゃった感がにじみ出ていた(笑)。
しかしどちらにしてもまったくもって「いいやつら」だったのは間違いない。
南米の人ということで陽気ではあったが、チリは南米の中でも比較的きちんとした国民性のようで、そんなに羽目を外すこともなく、ぶっちゃけ「今までのXTJでいちばん手がかからない人たちだった」と言っていい。だから引率はとても楽だった。まあ、メタル男子3人だけ、ということで、女の子がいなかったのも大きいかもしれない。
信仰という面については、そんなインターネットを通じて知り合った海外のバンドを日本のクリスチャンツアーに突っ込んでしまう点についてはいろいろネガティヴな意見もあるだろうけれども、そこはほら、ロックンロールということだと思う。
信仰については難しいトピックであるし、また今回は言葉の壁もかなり大きかったことから、そんなに深い話し合いが出来たわけじゃないけれど、それでももちろんそれなりには信仰のことについて話したし、ひとつ間違いのないこととしてビクトリアノ兄弟は二人とも非常に熱心なクリスチャンだということ、これは間違いない。
そして、結論から言えば問題がなかった。違和感なく付き合えた。
いや、「違和感」はいろいろとあったけれど(笑) それはすべて笑い話の範囲のことだ。だから笑い話としての突っ込みどころはやはりたくさんあった(笑)。
コンサートの中においても、馬鹿みたいにロックしつつも、要所でちゃんと神への信仰ってことに触れていたし、十分に合格点だった。まあ、言ってしまえば現状のXTJでは、音楽を通じて信仰のメッセージを伝えるということについては実際のところ日本人アーティストが担っている、という現状もある。
XTJにおいては、日本に来るアーティストに対しては、自分たちを売り込むことや、自分たちの成功よりも、神の愛を伝えること、神に仕えることを優先して欲しい、ということは毎回言っている。
けれども今年のXTJはその辺りちょっと趣旨が違い、ビクトリアノありきでイベントを計画したために、彼らに対しても「せっかくだからがんばって日本で売り込みやってね」という感じだった。でも、それは日本という国への愛も理解も十分にあるVictorianoだからこそ言えたことだろう。
音楽的な面では、そうだね、僕自身もImari Tonesというバンドのリーダーとして、その立場から発言すれば、ビクトリアノは対バンの相手としては「ちっとも驚異じゃなかった」というのが本当のところだ。理由は、見ればわかる、としか言えない。
だが良いことを言えば、彼らの人間性や、ステージング、音楽性の中に、他者を排除するような要素よりも、もっとほんわかとした、「ミンナデタノシミマショウ」といった感じのムードが漂っているのが大きい。つまりは、キャラクターとしても音楽性としても「ダサかっこいい」存在なのだ。だから、競争相手としての対バンとしてよりも、一緒にツアーを作っていくための仲間としての意識の方が大きかった。でもこれは実際、エクストリームツアーとしては大事なことだ。どちらにせよ、昨年のXTJであったような「霊的な軋轢」がまったくなかったのは良いことだった。まったく、まったく、まったくなかったと言っていい(笑) むしろ無さ過ぎた。
そのフレンドリーなダサかっこよさは、もちろん彼らの「凄さ」でもあって、たとえば今世界中で大ヒットしている「ピコ太郎」に対して、誰も嫉妬したりうらやましいと思わないのと同じで、まったく警戒せずに楽しめてしまうのだ。そして、気が付けばみんなで盛り上がっている。これはたぶん、彼らの最大の武器だろうと思う。
期間中の日記にも書いたけれど、セルヒオ君は天然キャラで、あやしい日本語であやしい歌を歌っているけれど、実際はドラムを叩かせると名人級の腕前で、ドラムの前に座るといきなり人が変わったようにイケメンになる。
そして実際のところドラム担当のダミアン君は、会話している声もすでにピッチが高いことからもわかるように素晴らしいハイトーンを持ったヘヴィメタルシンガーで、以前はStratovariusのコピーバンドのシンガーもやっていたというくらいだから、実際のところ歌はセルヒオ君よりもよっぽど上手いのだ。だから、バンドの演奏力としてはセルヒオ君とダミアン君が入れ替わった方が格段にパワーアップするのだ。しかし、そうしてしまうと「ただの上手いバンド」になってしまう。そして、リードシンガーに求められる役割とは、ただ歌が上手ければいい、というものではない。キャラクターとかメッセージとかルックスも含めた存在そのものが求められる。それは、最終日の福生のライヴにおいて、実際にダミアン君がヴォーカルを取ってStryperの”In God We Trust”をカバーした際のステージからも証明されていると思う。いや、素晴らしい演奏だったけれども。
だからビクトリアノというバンドにとっては、必ずしも歌が上手いとは言えないセルヒオ君がフロントマンとしてなんだか笑える不思議な踊りを披露しながら歌い、歌もアンサンブルも同期のバックトラックに頼りまくったサウンドを聞かせ、演奏面のキレはジェルソン君のギターソロに頼りっぱなし、という状況でも、立派に成り立つのだ。バックトラックの同期なんていうのは今時のバンドはみんなやっていることではあるが、それがどうサウンドおよびステージに影響するかというのはケースバイケースだ。彼らの場合、同期でけっこうズルをしていてもあんまり気にならない、というキャラクター面が大きかったのが事実だと思う。つまりはゴールデンボンバーではないけれど、皆が楽しめればそれでいいのだ、というバンドの在り方そのものの問題だ。やる方、聞く方を含めた、音楽との向き合い方と言ってしまえばそれまでの話ではある。
結果的に、行く先々でXTJのイベントは盛り上がり、またビクトリアノのライブも盛り上がって、いくつも素敵なコンサートが出来て、行く先々で喜んでもらえたので、XTJとしては間違いなく大成功であったし、またその中で、ビクトリアノにとっての、彼らの夢も間違いなく、叶っていったのだと思っている。
彼らがこの日本ツアーで何を得たのか。
売り込みに対しても、僕は彼らにいくつかのアドバイスをしたし、来日前からアドバイスや相談をしていたのだけれど、
来日する前のメールでは「がんばって売り込みをしたい。何がなんでも日本で成功しデビューしなければいけない。」みたいな文面を送ってきていたのだけれど、実際に日本の地を歩き、見て、人々に会い、そして演奏をしていく中で、当然ではあるが彼らは変わっていったと思う。良い言い方をすれば、より現実を見た考え方に変わっていったのではないだろうか。だから今の彼らは、おそらくは「なにがなんでも日本でデビューするのだ」ではなくて、「現実にこのつながりを生かして次はこういう活動をしていこう」といったものになっているんじゃないかと思う。彼らは日本語で歌う南米のロックバンドという貴重な存在で、その意味ではどかんとブレイクする可能性も、今の難しい時代ではあるが、決して無くは無いので、大きな野望は持ち続けてもらいたいが、それでも、「ただの夢」だったものが「現実の目標」として次のステップにつながるのであれば、それは良いことだ。
一緒に回っていて、彼らの意識が目に見えて変わった、と思えたのは、前半の山場である10月8日の下北沢CaveBeにおけるコンサートを終えた後だった。
そのコンサートはCalling Recordsにとっても大事な集大成のイベントであったが、その日のコンサートにはチリにゆかりのある日本人の人たちも含めたビクトリアノのファンもたくさん詰めかけていて、また下北沢のライヴハウスという場所も含めて、ビクトリアノにとって「日本で、満員のライブハウスで、盛り上がったコンサートをする」というひとつの夢が叶ってしまった瞬間だったのではなかろうか。
そのコンサートが終わってからの彼らの中に、そうしたひとつの「達成した感じ」というものを、僕はなんとなく感じ取っていた。そして、それを境に、彼らはもうひとつ明確に、自分たちの進むべき現実というものを、見ることが出来るようになったかもしれない。
余談ではあるがCalling Recordsの面々と、いわきツアーやいくつかのイベントを終えた際に、彼らの日本での売り込みと成功の可能性について話していて、やはりセルヒオ君の面白いキャラクターにどうしても注目してしまうので、彼が日本においてミュージシャンというよりはむしろ外国人タレントの枠で成功できるのではないか、という意見が出て、なるほどと思った僕は実際に彼らにそういうアドバイスもしてみたのだ。確かに「ヴィジュアル系になりたいちょっと勘違いした南米人のロッカー」というのはなんだか新しいキャラクターな気がする。うまくいけば、1、2年後にはテレビのバラエティー番組に出ているセルヒオ君の姿が見れるかもしれない。テレビ業界につてのある方はぜひビクトリアノに連絡してみて欲しいと思う。
ツアーのコンサート日程が終わってから、彼らは京都、大阪、奈良、広島など関西旅行も満喫したようだが、ちなみにセルヒオ君に「なんでやねん」という大阪弁のつっこみを事前に教えておいたのは僕である(笑) この言葉を気に入ったセルヒオ君は、関西旅行においてこの言葉を実践で使いまくってすっかり関西人になったようである。まあどう考えても関西が似合うよね、彼。
昨年のXTJにおいて、日程の最後に行った愛知ツアーにおいて、来日バンド組(SikaおよびFilia)と、僕の自分のバンドであるImari Tonesの二者の行動をともにしてのツアーがやっと実現し、「自分のバンドで演奏する中で身を以て伝えられること」が非常に多いことにあらためて気付いたこともあり、
そういうわけではないが、ひとつ良かったこととして今年はこの「Imari Tonesとの二組タイマン遠征」を、XTJの最初に行うことが出来た。
それも含めて、Imari Tonesとは5回、期間中に共演というかステージを共にする機会があったわけだ。
その中で、バンド同士、音楽や演奏を通じて伝えられること、伝え合うこと、それはもちろんたくさんあったし、それは言葉にすることが出来る以上のものだ。
うちのバンドはよくもわるくも聞く人にもやる人にもいろんなものを「突き付けて」しまうバンドだ。だからそこが「近付き難い」「とっつきにくい」バンドであることの所以でもある。
対バン相手として脅威は感じなかったし、対抗意識も無かった、とは書いたけれど、そうはいっても、最低限バンド同士としてジャブを打ち合うくらいのことはあったと思う(笑) その中でどんなものがあったかは、お互いだけがわかっていればいいだけのことだ。その中で伝えられたものこそが、ミュージシャンにとっての本当の意味での「得たもの」だと言える。
どちらにせよ、結果的には、バンド内の数々のトラブルや状況の悪さにも関わらず、Imari Tonesは毎回、水準以上の良い演奏が出来たし、少なくとも自分の中では、毎回どの演奏も「ぶっちぎらせてもらった」という感じだ(笑)。
今回のXTJは、僕にとってもいくつかの「初めて」が、そうはいってもあった。
ひとつは、ビクトリアノの来日中、僕は彼らのサポートとしてベースを弾いたということだ。規模はどうあれ、来日バンドのサポートメンバーとしてツアーを回る、なんてことは、そりゃまあ初めてのことだったのである。
もちろん彼らの音楽は、昨年から何度も聴いていたし、そしてサポートやるんで、ってことでベースパートを覚えなきゃいけないんで、アルバムも聴き込んだ。メールで送ってきたアルバム未収録の新曲も覚えた。
そうしてアルバムを聴き込む中で、スタイルは決して新しくない、むしろ僕たち日本人にとっては懐かしいサウンドながらも、非常に丁寧に作り上げられたその楽曲と演奏に、引き込まれていった。わかりやすく言えば、「キャーっ、ステキ!」となったのである(笑)
しかし実際に彼らが日本に到着し会ってみると、僕のそんな幻想というか妄想はこっぱみじんに砕かれたのである。俺の夢を返せ状態というか。せめてもうちょっとイケメンであってくれよ、と(笑)。オンステージもオフステージも。
言ってしまえば、ビクトリアノ兄弟は二人とも少なからずアレだが、兄のセルヒオ君はアレな反面、フレンドリーな方向性に能力が集中している。それに比して弟のジェルソン君は、アレな反面、能力はばっちり音楽面に集中しているのである。だから実際のところ音楽面においてもビクトリアノの音楽の「イケメン」な部分はおおよしジェルソン君の才能と能力に由来している。まあ、ロックバンドって大抵そうだよね。ギタリストが音楽的なリーダーシップを取っていることはとても多い。
実際、ちょっと体形が太めでそれが親しみやすさにつながっているセルヒオ君に比して、ジェルソン君の方がスタイルもいいし、しゃべるとあれだが、ファッションセンスも至極センスが良かった。ギタリストとしては、まあテクニカルなスタイルにおいては僕よりも上手かったのは事実だが、若さや世代のせいもあるが、まあそれでもつっこみどころは多かった(笑) しかしどちらにしてもビクトリアノの音楽的な根源はジェルソン君の内面に求められるし、セルヒオ君のキャラクターや日本への愛なども含めて、あとは何よりも「兄弟とても仲が良い」ということにすべての鍵があるような気がする。兄弟でバンドやれるのっていいなあ。
まあ俺に言わせればビクトリアノの楽曲なんてそんなに難しくないし、シンプルなもんだと思っていたが、実際にやってみるといくつか問題があって、それはドラムのダミアン君が必ずしもビクトリアノの音楽性であるJ-Rockのスタイルで叩いていない、もっとメタル寄りな叩き方をしてしまっている、ということ、それと変拍子のパートで結構ダミアン君が乱れるので、ベースとしては非常にやりにくいんだよねー、つられてしまうというか、慣れるまでは大変だった。
あとは、ほとんど楽勝と思っていたんだけれど、自分のバンドでステージやるじゃない、で、身も心もふらふらで放心状態になっているところでそこからビクトリアノのサポートでステージに上がると、やっぱ間違えるよね(汗) しょせん、にわか仕込みで他人の書いた曲ってことになると。
といったわけで放心状態で間違えてしまったいくつかのステージに対しては、ビクトリアノのファンの皆さんに申し訳ない、という感じなんだけれど(汗)
とはいえサウンド面ではかなり骨太なサウンドを演出して迫力とグルーヴを出して貢献できたと思っています。
さて、自分のバンドであるImari TonesとしてのXTJ2016について書いておきたいと思います。
自分のバンドImari Tones (伊万里音色)は、2011、2012とアメリカのThe Extreme Tourに関わることで、それが日本でのXTJを始めるきっかけとなり、そして2013年以降もXTJに中心的に関わってきました。
で、今年は長年の目標であった日本の歴史をテーマとしたコンセプトアルバム”Jesus Wind”のレコーディングを完成させ(リリースは来年予定)、さらにバンドの音楽的な終着地点である作品群「鍋島」のデモを完成させ、バンドの未来、というよりはゴールを視界に見据えた状態での参加でありました。
そして、そんな長年の節目となるコンセプトアルバムを作り、最終ゴール地点が見えるところまで来たバンドの内部事情は、決して良く無かったわけです。
なんかしらんけど、バンドの内部の雰囲気は、「Jesus Wind」および「鍋島デモ」完成以降、どんどん悪くなっていったわけです。理由は、うーん、わかりません。神のみぞ知るというところでしょう。
そんな、決して良く無い状況で臨んだ4年目のXTJ。ビクトリアノ祭り。(ビクトリアノの人たちは、俺がいろんなところでベース弾いたりしているので、「ナカミネフェスティバルだ」とか言ってましたけどね笑)
まずはしょっぱなの愛知遠征で、いきなりのトラブル。
その時の日記に書いたと思うので、詳細は省略しますが、結果的に俺は、実に4年ぶりくらいに運転を、しかも日本国内としてはそれこそ10年以上ぶり(短距離は除く)、くらいの運転を、横浜から愛知までする羽目になりました。
けれどなんというのか。ちゃんと生きて帰ってこれたし。(感謝)
そしてそんな状態でもちゃんと歌って良い演奏が出来たし。
この、自分では絶対イヤというか無理だと思っていた国内での運転(それなりに長距離)を、ちゃんとやれた、ということで、なんか自分にとっては精神的なカベをひとつ越えたような気がしています。かといってやっぱ運転とか嫌いなんですが。
(まあ普通に運転ができる人からすれば笑い話だとは思います。)
あんな状態で歌えたんだから、大丈夫、みたいな。
しかしやっぱりバンド内部の状態は不安定でしたので、果たしてXTJの期間中にブッキングされたライヴをきちんと最後までやり遂げられるんだろうか、という状態でした。
というか普通のバンドであればとっくに空中分解している状況だと思います。
しかし、そこはなんというか、バンドというのは一種不思議な共同体であると同時に、恋愛関係ではないけれど、音楽を通じた不思議なつながりです。それはバンドの解散とか脱退が結婚や離婚にたとえられるように。
なので、そこは他人にはわからないし、うちの人たちも、やはりやるべきことはきちんとやるわけです。
そこについては、やはり何度もアメリカを共に演奏して回ったり、いろいろな遠征や冒険や戦いを共にやった仲間としての信頼があるわけです。
しかし「鍋島デモ」を作って、ゴールが見えた時点で、そしてバンド会議なども経て、これからどうしていけばいいのか、ここからどこに向かうべきなのか。そして「やれるのか、やれんのか」なども含めて。
そうしたいろいろの答えが、ひとつの形として期間中に見えてきてしまった、そんなほろ苦い今年のXTJでありました。うちのバンドとしてはね。
そこは、そのあたりの事情や、状況は、周囲には、お客さんはもとより、対バンの皆さんにも、Calling Recordsの仲間たちにも、他人にはわからないことであったと思うし、ましてや地球の裏側から来ていたビクトリアノの人たちには、わかるはずもないことであったと思います。
しかし、どちらにしても、大いにトラブルや不協和音や問題点や演奏面でのミスなどもありつつも、それでもばっちりと「ぶっちぎりの」演奏をすべてのライヴにおいてやることができたImari Tonesであったと思います。
その収穫は、決して小さくはなかったです。
そんでもって、いよいよここからどこへ向かうのか。
うちのバンドの状況と今後の展望については、また別の文章にしてあらためて書き記したいと思っています。
さて、XTJ全体といいますか、Calling Recordsの仲間たちの活躍も含めての、あくまで日本のエクストリームツアージャパン主催としての振り返りです。
初年度から、俺個人では絶対に手に余る、どんどん人に投げて、任せていきたい、と思っていたこのXTJ。
2年目、3年目、と、次第に仲間が増えていき、4回目である今年は、信頼すべきCalling Recordsの仲間たちや、様々の音楽つながりの皆さんの協力を得て、確かに、僕1人がブッキングして計画したのではない、皆で手分けして計画し、作り上げた、そんなXTJになっていたと思います。
そして、その中で、いろんなドラマがあり、本当にいろんなドラマが起きて、
そして、いろんなものが帰結したというのか、make senseしていった。
もちろん、バンド活動、そして演奏というものは、すべてが恋愛のようなものであり、すべてがドラマであり心の交流であるけれども。
愛知の蒲郡ICBCへ昨年に引き続き訪れることが出来たこと、
いわきのブッキングにあたってのパラダイスブルーのジョニーさんの思わぬ訃報、そして無理かと思われたイベントが、奇跡的に良い形で地元の皆さんとジョニーさん追悼の意味も含めたあたたかいコンサートの場を共に作り上げることが出来たこと。
もちろん毎年お世話になっている勿来キリスト福音教会。
下北沢CaveBeでのCalling Recordsの2年目の集大成コンサート。
音小屋においてサルーキ=の参加が実現し、クリスチャンアーティストが集まったこと。
そもそもその前提として9月にオオハラ氏主催のSong of Songsがキックオフイベントの意味で行われクリスチャンアーティストが集まりまくっていたこと。
そして福生チキンシャックにおけるGRB Junk氏とうちの嫁さんの共同企画の形で行われたイベントが非常にロックな内容になったこと。
いろんなものが帰結し、結果が出て、make senseして、そしてその中で、たくさんの人々が笑顔になり、たくさんの人々の夢が叶っていった。
ああそう、たとえば、VictorianoがStryperのカバーやった時に、まさかの、うちの嫁さんがベースとか、ね(笑)。
いつも言っているように、”The Extreme Tour” (引用符はアメリカ人みたいに、二本の指をちょんちょん、とするジェスチャーで)として考えると、この現状では日本のXTJっていうのは、本来の形では、ぜんぜんやれてない。僕も、半分以上、そこはあきらめている。あきらめた上で、今年のXTJを計画していた。
だけれども、たくさんの人たちが関わってくれて、今ある形で、それでもいろんな人たちが音楽を通じて交流し、そして笑顔になってくれるのであれば。
そして、そこに確かに「神様が中心にいる」のであれば。
「エクストリームツアー」(カタカナ発音)としては、これでいいんじゃないかな、って、そう思えた。
日本ならではの、そこに何の線も引かない、何の境目もない、クリスチャンロッカーたちのツアー。
信仰は、それぞれの心が自らに問いかけるしかない。
そして、そんないろんなことが帰結しmake senseしたところの、あくまで「余録」としてやってみた4年目のXTJ。
そこに、アメリカ側との係わりが一切なかったことも、書き記しておきたい。
つまりは、今年は本国アメリカ側のXTのスタッフ達に対しては「南米チリのバンドを呼んでやるから、別に無理してアメリカから来なくていいよ」と伝えて、そして実際にアメリカからは誰も来なかった。
これはつまり、4年目にして日本のXTJは、アメリカ本国とは別の独自の動きをする、という選択をした、ということである。
このことが、どういう意味を持ち、どういう未来につながっていくのか、それは、今はまだ、わからない。
さて、この「エクストリームツアージャパン」はどうなっていくのか。
それは、もう、僕は、やらない、少なくとも中心になって計画は、しない、って前から何度もくどいくらい言っているから、して。
それは、周囲の皆様、企画を引き受けてくれる、あるいは手伝ってくれる皆様、に。
そして、あるいはCalling Recordsの仲間たちの力量に。
かかっていると思います。
だから本当はこの「講評」と「振り返り」の文章も、
Calling Recordsの打ち上げ兼ミーティングが終わってから書こうかと思っていた。
でも、意外と日程が後ろになっちゃったから、今のうちに書いておいた。
本来のThe Extreme Tourというものの意味合いと、形を、俺はまたCalling Recordsの仲間たちに一度、説明し、話してみようと思っています。
その上で、何が出来るのか、出来ないのか。
もちろん、俺も、まだいろいろと、協力を求めることは、しなくてはいけないと思う、それはつまり、XTJや、Calling Recordsを、手伝ってくれる人を、見つけることが出来るかもしれないから。
でも、もう自分ではやらない。
それは、次へ進まなくてはいけないから、求める音を、鳴らすために。
全力で、皆に、任せます。
以上、ありがとう。
関わっていただいたすべての皆さんにありがとう。
サンキュージーザス。
Thank you Jesus!!