2017年10月の日記

■…2017年10月 5日 (Fri)…….コーヒーとスタンド
もういっぺん、振り返らせて欲しい。
銀座にほど近い市場の街におけるほんの数ヶ月の簡単なオフィスワークだった。
期間限定の、簡単な仕事だし、どうってことないと思っていた。

けれども、そもそもやはり、思えばオフィスワーク、ってことだけでもしっかり5年ぶりだった。
その時すでに、僕はもうこういう働き方は出来ないだろう、という判断があったのだ。

けれども、仕事なかったし、短期間ならやれるかな、と思ったのが、やはり間違いだった(笑)

狭い、決して環境の良くないオフィスの、その環境に、誰も文句を言わないのは不思議できわまりない。せめて、席をもっとミックスするとか、観葉植物のひとつも置くとか、それくらいは出来そうなものなのだが。

げに現代の日本人の宗教が「ビジネス」であることはよくよくわかっている。
それも、世界基準の大きなビジネスではなくて、小さな枠からはみ出さないための臆病なビジネスという宗教だ。
真実には決して向き合わないという臆病なライフスタイルのことだ。

文字通りの宗教という意味でも、かなり環境はアレであり、浄土真宗の有名なお寺もあったが、聖ルカ大学だか病院だかあったので、そこがちょっと自分としては避難所になっていたのは否めない。多少、やっぱ霊的に。

思えばこれは、最初から最後までコーヒーの話だったのだ。
例のスタンド能力の件だ。

オフィスワークが無理とか、もうこういう仕事は二度としない、とか、それでもスケートが出来るスポットを見つけて、無理矢理昼休みにやっていたからなんとか最後までやり遂げることが出来た、とか、そういう一連のことは前に書いたと思う。

小さなレッジというかカーブのあるスポットだったけれど、たったそれだけでも、自分にとっては本当に良い練習の機会になった。こういう機会を逃さずに、滑ることのできるテライン(領域)を広げて、さらにいろんな場所で挑戦していけたらいい。行動範囲を広げていけたらいい。スケートボードの話である。いい歳だが、スケートに関してはまだまだ攻めているんだ。

話がそれたが、スタンド能力、というかコーヒーの話だ。

目に見える事象がどうであれ、人の評価や反応がどうであれ、
最初っから最後まで、自分の味覚、そしてコーヒーの味は、僕を裏切らなかったし、そして霊的な部分も含めての自分の感性も一貫していた。

今回の件には、ふたつみっつ、弱点というよりは急所を突かれたことがあり、
ひとつは、対象となったきっかけの女性が、イニシャルS.M.さんに非常に似ていた、ということである。
そしてもうひとつが、俺がコーヒーにうるさく、コーヒーが欠かせないということだった。
つまり、その女性はコーヒーを淹れる担当の一人だったのである。(どんだけ。男性社員に自分で淹れさしてくれ。)

9月に入って、ある日コーヒーを飲むと、その味に「んんん???」となったのである。そこにどんなメッセージや心理が込められていたのかは説明などできるはずもない。
その日から僕は霊性の領域にがんがん悩まされて、ひどい目に合い、あげくの果てには無理矢理にスタンド能力みたいのに目覚めてしまったのである。だってうるさかったんだもん。

けれどもコーヒーの味だけは最初から最後まで、僕の感性を裏切らなかったので、だからこのお話は、コーヒー小説が一冊書けてしまうくらいのネタが詰まっている。

たかだか市販されているあらかじめ粉に挽かれたコーヒーの、どうせコロンビアとブラジルあたりのブレンドに違いない何の変哲もない、大量にマシンドリップするようなやつで、淹れる人によって味が違うのか、とか、思うが、これが不思議なことに違う。それこそ、突き詰めると茶道とか、そういう領域になってしまうんだと思う。コーヒー道。

こんなふうにして相手の霊性に、そして無意識の領域に、訴えかけたことが、今までに何度あったかと言えば、これが三度目だった。
それはつまり、一人はうちの嫁さんであり、もう一人はくだんのイニシャルS.M.さんであり、そしてこれは三度目のそういう経験だった。
短い期間のすれ違いだったけれども、たぶん得たものは大きかった。(いよいよ勘弁してほしい)

聖書をお渡ししたのは、そのせめてものお詫びというかフォローアップ(責任)のつもりである。

いい女、なんて言葉はわざとらしくて使いたくないが、いかれた女というのは確かに居て、やさしい言葉で言えば天然と言い換えてもいいけれど、無意識の領域が非常に強い女性というものは居るものだ。表面上、ちゃんとしていたり、穏やかに見えても、無意識の部分が非常に主張が強く、ある意味横暴だったりすることはある。

そういった「無意識の部分のメッセージ」を敏感に感じ取ることが出来るのが、たぶん「いい男」ってやつであり、そういうのを上手く活用するとモテるようになるんだろうけれども、というかモテる男性はそれこそ無意識にそういったことをしているはずである。女性の無言のメッセージに敏感であるということ。どっちにしても僕はそのへんは目指していないので話題は別である。(モテたかったらヘヴィメタルなんて演ってない)

どちらにしても、先方の名誉のために書くのであれば、非常に霊性の守りというのか導きというのか、そのへんは非常に強い人だった。あれは、俺のスタンド能力ではなくて、先方の霊的な強運みたいなものなのだと思う。そのへんも含めて、その後は狭いオフィス空間の中で、(たぶん周囲は気が付いていないにせよ)不思議なことの連続だった。相手方(霊も、本人も)も、打てば即座に反ってくる反応の良さだったし、いや、面白かったよ、「スタンド」をこんなふうに動かしたら、何が起こるのかな、って、覚えたてで実地にやってみるのは。もちろん、笑い事ではなかったんだけれども。(自分が異常なのかな、って悩んじゃうじゃん) (自己嫌悪と自己否定でほとんど死んでました。)

狭いオフィス空間における霊性の上でのやりとりは、結局最後まで続き、それは最後まで一分の隙もなく完璧にmake senseして、僕としては「良い特訓」になってしまったのだけれど、
あえて、上から命じられたところの一連の仕事を終えたと感じてからは、なるべく俺は、黙っとこう、と思った次第である。

つまり、引き合いに出すのはひさびさだけれども「ボーダー」の蜂須賀さんだったらどうするか、とか思って。
あの人ならきっと、下手なことはせずに、黙って、何も言わずに去るはずだ。
美意識ってやつで。

霊の領域なり、意識下の領域において、何か人のためにしてあげられることがあったとする。
そして、その霊の領域において、感じたことが確かにあったとする。

そしたら、それでいいじゃないか。
感じたことは、感じたことのままにしておけば。
それを、言葉にして、はっきりさせるのは趣味が悪い。

だからコーヒーのことについても、わかっていても、敢えて言わなかった。
少なくとも、最後まで美味いコーヒーは飲めたのだから。
そこにすべての答えがある。それでいいじゃん。

もちろん、それよりも、家で嫁さんがミルで手挽きしてくれるコーヒーの方が、何倍も美味いのは言うまでもない。

だが、オチとしては、結局、オフィスワークの期間中、いちばん抜群に美味かったのは、すでにマシンにセットしてあったやつを、自分でパチンとスイッチ入れたら、それが誰が淹れたやつよりも美味かった(笑)

コーヒーって、基本的に、自分で淹れると美味しくないものなんだけれども、こんなことも時にはある。
女性社員にばっかやらせるんじゃない、ってことかな。いまどき。

No(4941)

■…2017年10月 5日 (Fri)…….Royal Road update log 5.Oct.2017
さて、そういう経験をもうひとつした、ということを踏まえて、自分のスタンドメモを更新しておきたい。
愛用のオーバードライブペダル、Shoalsと同じ感じで、逐一更新して書き直す感じ。

技の種類がどんどん増えるよ(笑)

ネーミングがRoyal Roadっていうのは、
まあその時に[Incubus]の音楽が非常に精神に影響を与えてて、
それがわりと現代における王道のロックという意味合いで捉えていたので、
そういう安易な理由でもあるんだけれど。
そこにはちょっと自嘲とか皮肉の意味もこもっていて。

それは、もちろん「愛の王道、命の王道を歩む」とかそういう意味も込めているけれども。

人間の脳の機能で、僕たちが意識している部分はほんの数パーセント、とか言う、それで、無意識の領域には未知のパワーとか、謎が秘められている、みたいな。
僕の言うところの「スタンド能力」も、その無意識の領域にちょっとだけアクセスが良くなる、って程度の能力なんだろうけれども。

ただ、人間は多くの場合、その「無意識」の領域に入るために、修行したり、瞑想したり、滝に打たれたり、いろいろがんばって苦労するもんだ。
だけれども、僕は、そんなことせずに、ぼーっと、普通に、楽してアクセスしたい。
それがどんな方法なのか、どんなふうなのか、俺も知らんけれど、その「楽する」意味でRoyal Roadと銘打っているところはある。

さらには検索したら、ジークムント・フロイトの言葉が出てきて「夢は無意識にたどりつくための王道である」と言ったとか。うーん、夢も見るには見るけどね。でも、いい言葉だな、って。

皮肉っていうのは、しょせん自分は、そこから逸れようとしても、寄り道をしようとしても、いわゆる「王道」から、逸れることも外れることも出来ないのだ、という、自嘲っぽい悟りの気持ちなんだよね。自分の運命みたいのに対しての。

だから今回も間髪入れずに次の仕事というか修行に行かされた。
ちょっとはセンチメンタルになりたかったのに。

スタンド名: Royal Road (ロイヤル・ロード)
本体: Tone

「神の愛を伝える」という意志が原動力となったスタンド。
ネーミングは愛の王道を歩くという決意に由来する。

操作性: C (無意識を介した自動操縦が基本)
パワー: B (未知数ぽい)
スピード: B (速さの概念がない)
射程距離: 物理モードC、スピリットモードA
持続力: C (つかれる)
精密動作性: C (予測不能)
成長性: A (希望的観測)

得意技 (一例。応用可能。その場のアイディアやインスピレーションにより応用する。)

ディサーン!
– 霊的な事象を認識し、切り分け、判別する。すべての感覚に適用されるが、特に聴覚と味覚が鋭い。

ヒア!
– 霊的な音楽を大音量で響かせる。射程距離は精神力に比例する。

つたえたい!
– 神の愛を人に伝えることの苦しみと矛盾を一身に背負うことで、霊的パワーが向上する。

クリエイション!
– 創造の秘密に触れることにより、霊的事象を解き明かすとともに、物事をあるべき姿へと導く。

スピリット・スナイプ
– 霊的なバランスが崩れた状態の特定の事象に作用することによって、霊的なバランスを取り戻す。自らはあくまで自然の摂理の作用を促すきっかけとして作用するだけであるが、時として攻撃にも使用される。

スピリット・ディクテイト
– 様々な事情のある際に、霊的な事象に対して直接に働きかける。

ラヴ・プリベイル
– 天からの光で周囲を照らし、すべてのものが神の被造物であること、すべての人間が神の子であることを宣言する。非常に強力だが、射程距離は物理モードに依存するためそれほど広くない。

オイルアンドウォーター
– 決して混ざることのない水と油を、信じる心によって混ぜ合わせる奇跡を起こし、互いに理解し合う。

ライフスピーク
– 他の誰も認識しない自分自身の言葉を見つけることによって、霊の作用を音声に載せる

デアユー・トゥムーブ
– 8分の愛と2分のおせっかいによって、他者に霊的に向上し人生を前進するきっかけを与える。

うけいれる!
– 目の前の事象を理解し、受け入れ、受け止めることによって、逆に変化と前進を促す。

かたちのない
– ホーリースピリットと同調し包み込むことによって愛の奇跡を起こす。

かたちのない Act2
– 特定の人物や場所に思いを寄せることによって射程距離と効果の範囲を広げる。一般的な祈りよりも霊の実効を伴うが、精神の消耗が大きい。

かたちのない Act3
– 意識の範囲を広げることにより霊の作用のパワーを理論上無限に増大させるが、そのぶん危険も伴う。

共感チェンジ!
– 共感能力を高めることによって、対象の身体と自分の身体を重ね合わせ、効果的に診断および治癒を行う。自らがダメージを受けることも当然あるので注意が必要。

フィジカルスライド
– 形のある物理世界はしょせんすべてが曖昧であること、また霊的世界との間でいくばくかのずれやギャップが生じる余地があることを利用し、手を触れずとも触れたと同じ状態を作り出す。射程距離は物理モードに依存し、精神力に比例する。

Need Not Be Discussed!
– 相手の無意識下にあらかじめ働きかけることによって、伝えるべきことを最初から相手が理解している状態を作り出す。射程距離は基本的に物理モードに依存。

王道ディクテイト
– 愛の王道を歩め、命の王道を歩め、そして人生の王道を歩め、と人の無意識下に訴えかけることによって、命の本来の姿を取り戻す。愛のスタンドパワーが必要な必殺技である。無意識だけでなく、普通に意識上でも訴えかけるとさらに効果的。

No(4942)

■…2017年10月 5日 (Fri)…….霊の目で故郷を見る
クラウドファンディングが終わり(ありがとうございます)、
数ヶ月従事していたオフィスワークが終わり(次の仕事どうしよう)、
Calling Recordsのライヴを控えているそんな時期に、
嫁さんの母君が入院したという報せが入り、
数日間、実家に戻っていた。

オフィスワークに関しても自分の中で総括したいのだけれど(さきほど順不同で書いてアップしました)、
特に最後の一ヶ月、9月にいきなり色々なことが、ちょっと普通でないことが連続して起きていたので、
それを乗り越えて非常に疲れているところ、
さあ、まず一日は何もせずに心と体を休めよう、
と思っていたところ、
間髪入れずに、一日の間もなく地元に戻り、
そこで色々なものと向き合うことになった。

こうして思うと、
9月に入っていきなり自分の「スタンド能力」が発現したり、
その市場の街のあまり環境のよくない狭いオフィスの中で
目覚めたばかりの「スタンド能力」を初心者なりに特訓させられる羽目になったのも、
ああ、このためだったのか、と思わなくもない。

こんなに「人のため」とか「大事な人のため」に使うことになるのだったら、
9月のうちに、ちょっと不純な動機でもいいから、もっとスタンドを動かす練習をしとけば良かった、と思うくらいだ。
不純な動機っていうのは、あれだ、スカートめくるとか、そういう些細なかわいらしいやつ(笑)

病名とかは書く必要はないが、
それでも、こうして病気が悪化し入院するということは、
それを癒すということ、向き合うということ、解きほぐす、ということは、
何はともあれ、他でもなく、
それは家族の絆に向き合うことであり、
家族の歴史に向き合うことであり、
長年にわたって蓄積され、たまっていたそのわだかまりや、伝えるべき気持ちを、
この機会に伝え、心の奥にあるいちばん大事なものに向き合い、
なによりも家族というものの関係そのものを解きほぐし、癒すプロセスだった。

うちの嫁さんは、今回そのために、しっかりと父君や、母君に、向かい合ったし、
とても立派に、今つたえなければならないことを、しっかりと伝えていた。
そして、そのための手助けとか、助力を、僕がすることが出来ていたのなら、それはとても幸いなことだ。

すべてこういうタイミングのためだったのだろうか。
たとえば、霊的なあれこれが見えるようになると、もちろんこれまでも、色々な家庭環境や気質から、それほど近しいとは言えなかった嫁さんの父君のことも、そこに初めて入った部屋から感じとるだけで、ああ、この人は、こういう人だったのだ、ということをやっとこの歳にして理解することが出来る。

そしてお母様に対しても、様々な状況の洞察や把握が出来たとしても、また働きかけが出来たとしても、そこにきちんと自分で向き合ったのはやはり当事者であるうちの嫁さんである。

つまり、そういった「家族」の絆とか、歴史とか、問題に、きちんと正面から向き合うことが出来るくらいに、もううちの嫁さんも強くなっていた、人間として成長していた、ということだと思う。

母君の病気に関しても、これで治る、元気になる、と、断言することは出来ないが、治るためのお膳立ては、出来る限り、全力で行ったつもりだ。僕も嫁さんも。

そしてそれを支えてくれた、友人たちや皆さんのお祈りに感謝したい。
本当に、順調に回復して元気になってくれたらと思う。

こうなってくると、多少は医療の知識、とは言わないまでも、人間の基本的な内臓とか体の仕組みとかは理解しておいた方がいいかもしれない。
もっともこれを商売にする気は絶対に無いのだけれども、たとえばそれは整体師さんとか鍼灸師さんと似たような方向性の知識で良いので、さっくり見ておくべきかもしれない。

たとえば嫁さんの体をチェックした時に、背中から見たときに居た「やたらおしゃべりでうるさいやつ」は膵臓なのか脾臓なのか。でもちょっと見るとたぶんあれは膵臓なんだろうな、と。
肝臓さんは頑固で無口というのは常識だからすぐわかりますね。

ともあれ、でもそんなのはたぶん二次的なことだ。
愛を伝えるっていうことはどういうことなのか。
そして命を与えるっていうことはどういうことなのか。

人間、何かを壊すことは簡単だ。
壊したり、殺したり、破壊することは本当に簡単だ。
だけれども、命を与えること、命を癒すこと、
そういうのって、どれほど難しいことだろうか。
それが出来たらどんなにか素晴らしいことだろうか。

でも、ちょっとそうしたことに、向き合う機会だったのかもしれない。
僕も、うちの嫁さんも。

ただ、9月にやっと「スタンド能力」に意識的になったところ、
間髪入れずに実戦。まだ初心者なのに。
というのは、やはり、神さん、勘弁してほしい。

以前、実家で飼っていたわんちゃんの話もあった。
霊体は丸っこいが、さわるともふもふしていた。
あいさつ終えたら帰っちゃった。
あるいは、犬なりに「身代わり」になってくれたのだろうか。
おなじ病気だったし。

さてクラウドファンディングの後処理、というか、むしろ終わってからが本番、ということで、ライヴ前の時期とも重なり、四苦八苦してます。
がんばって、perkを皆さんにちゃんと送り、”Jesus Wind”をきちんとリリースするところまで、なんとかちょっとずつでも、やっていきたいと思います。

早くCDの発注かけないと、バンドの練習日までに完成してないとメンバーのサインがもらえない。。。。まあ、別日程で調整すればいいだけの話だけど。せめて10月後半のリハの日までには完成品が欲しいじゃん。

そんで、クラウドファンディングの特典として、過去のボツ曲、および、10代の頃にやってたバンドのあの曲。。。。
がんばって用意しました。
昔のボツ曲、ミックスし直してみたら、思いのほか良い曲だったというオチが、予想どおりつきました。

もっと、これから、がんばりなさい。

No(4943)

■…2017年10月 6日 (Sat)…….それでもなんとか告知書いたののこぴぺ
もう明日ですが土曜日(10/7)はライブです。
新宿MegaRockにて、Calling Recordsの仲間たちとともに、クリスチャンロックのライブイベントをやります。そうです「クリスチャンロック」で間違いありません。
ぜひぜひよろしくううう。

あんましライヴの宣伝ができなくてね。
それでなくても、無理してやってたオフィスワーク、仕事行って帰ってきて何もできずに寝るって感じで。それでもクラウドファンディングを同時進行でやって、おかげさまで100%達成して。
そのオフィスワークが9月いっぱいで終わったと思ったら、嫁さんのお母様が突然入院ということになって、急遽実家に戻って数日過ごすことになって。それも大変だったけれど。
それで戻ってきたら、急いでクラウドファンディングの後処理っていうか、こういうのってむしろ終わってからが本番じゃん。CD作らなくちゃいけないし。メッセージやりとりしたりしないといけないし。予算を募ることができたから、12ページのちゃんとしたブックレットをデザインしないといけないし。そういうのも自分でやらないといけないから、うちの場合は。

さらにはダウンロード特典に付ける過去のボツ曲とかもミックスし直してた。ボツ曲なのにミックスし直したら思いのほか良い曲になっちゃったけど(汗)

そういうので必死で、私生活でも出不精で友達少ないのに、ネット上でも余計に顔を出せなくてね。FacebookとかTwitterを活用してライヴの宣伝とか、ぜんぜん出来なかった。だからせめて今こうやって書いてる(笑)
みんな来てくれたらいいなあ。

で、土曜日のライヴですが、繰り返しになりますが、僕たちImari Tones (イマリトーンズ)は、いつもの英語のヘヴィメタルではなく、「日本語で」「ちょっとオシャレ系のロック」をやります。だって、ばっきばっきにいちばんヘヴィな”Jesus Wind”を去年制作したんだけれど、その後に取り組んでるのは、全曲日本語のプロジェクトなんだもの。今の僕らの、日本語でクリスチャンロックやったらこうなる、っていうのをお見せできる感じ。
でも、演奏はいつものヘヴィメタルよりは、若干おとなしくなると思う。
それでもやっぱりかけがえのないメッセージをお伝えするから、よろしくね。

No(4944)

■…2017年10月 8日 (Mon)…….新宿MegaRockイベント成功感謝ありがとうございます!
[新宿MegaRockイベント成功感謝ありがとうございます!祝福!アンド!お詫び!ご迷惑をおかけしましたm(_ _)m]

さて、新宿MegaRockにて行った、Calling Recordsの3年目のイベントが終了した。
イベントは盛況と言って良かったと思う。
どのバンドも素晴らしい演奏をしたし、とても盛り上がった。
この「ロックイベントとしての質の高さ」は、Calling Recordsとしてはもっと追求し、キープしていきたいと思う。

僕たち伊万里音色(Imari Tones)は5バンド中の3番手として演奏した。
見に来てくれた方々、応援してくれた方々、共演や関係者の皆様、本当にありがとうございます。

所感を書くです。

今までずっとやってきた「英語詞のクリスチャンヘヴィメタル」を封印して、オシャレ系オルタナの日本語J-Rockを打ち出した今回のライヴは、なのでおそらく、テンションの低い、演奏もぐだぐだのステージに、おそらくなってしまうだろうな、ということは予想していた。

けれども、どうしても今、この内容でステージをやっておかないといけなかった。

今年は僕たちはライヴの本数もとても少ないし、昨晩演奏した曲の中でも、6曲中、4曲が「初めての曲」であり、1曲は「二度目」であり、あ、でも最後に急遽”Dying Prophet”を演奏したから、それだけは「おなじみ」だったけど。

だから、正直なところを言えば、ちゃんと「完奏」出来ただけでも上出来である。
いや、というか、「完奏」できなかった曲もひとつあった(苦笑)
だから、やっぱり「上出来」とは言えないライブだった。

「このメンバーで」「この内容で」「この日本語の楽曲」を演奏するライヴは、昨晩のこの一本だけ、最初で最後である。

だから昨晩のライブを見ていただいたお客様は、
「いつものぶっとびヘヴィメタルのステージが見れなくて不運」なのか、
「一回限りの貴重な内容の演奏が見れて幸運」なのか、
どっちとも言える。

だから、僕としても色々の複雑な思いや所感があるので、やっぱり書いて記録しておきたい。

うちのバンドは、今まで年月だけは長いことやってきてはいるものの、
世の中にあっては不思議な立ち位置であり、
FacebookやYouTubeの数字も、インディーバンドとしてはかなりあるし、たとえば海外に熱心なファンが多くて、アルバム制作のためのクラウドファンディングも100パーセント達成するくらいの支持は得ているけれども、
だけれども、東京とか日本でライヴをやっても、「ほどほどの集客しかないただのローカルバンド」に過ぎない。
そこの立ち位置とか、温度差が、うちの特徴であり、難しいところだと思う。

いつもの英語のヘヴィメタルではなくて、もっとわかりやすいはずの日本語の内容をやったら、余計にその「距離感」を痛感した、というのが昨晩の僕のいちばんの複雑な思いである。

だが、それでもやっぱりやるだけの価値はあったし、
そういった演奏の不完全さやぐだぐだを差し引いても、きちんと伝えるべきことを伝えたという手応えはある。

なので、きちんと目的を達成したということは言えると思う。

まず、ダメだった点を列記しておこう。

– 小さなことではあるが、ベースのはっしーが集合時間に遅れてきた。実際は集合時間を勘違いしていただけ、ということだったのだが、説明は難しいものの、これも「内部事情」ってやつだ。
– ドラムのジェイクに関しては、人間的に「いろいろある」やつであり、昨晩は明らかに「ダメな日」だった。演奏した6曲のうち、2曲でジェイクが曲の構成を間違えて、1曲はなんとか演奏したものの、もうひとつの1曲は、最後まで演奏できず、そこで曲が終わってしまった。
– とにかく昨日のジェイクのドラムはダメダメだった。ドラムが崩れると、ロックバンドは基本的に、どうしようもない。
– 自分のstruggleとしては、ギターアンプは一般的なJCM2000だったが、リハーサルの時と比べて本番の際のゲインの反応が著しく違い(チャンネル等のセッティングは同じだったはずだが、ゲインが突然高くなった。)、手元のボリュームのセッティングをかなり変えなければならず、その反応の違いでギタープレイにかなりミスが出た。このゲインの違いは、チャンネルセッティングは間違いなく同様であったので、雑居ビル環境のライブハウスには時折ある、本番の照明使用による「電圧の低下」が原因ではないかと今にして思う。
– そして演奏後というかライブ終演後、ジェイクが酔いつぶれてお店にも、皆さんにも、皆にご迷惑をおかけした。(本当にすみません)

というわけで、ダメダメフラグが立ちまくっている感じだ。
言ってしまえば「ダメなジェイクの日」ということで、結論になってしまうと思う。(きれいなジャイアン、みたいにして、良いジェイクの日も、たまにあるのだけれど。)

だが、彼を弁護するのであれば、彼は、あんな性格で、あんな人生で、あんな生活をしていても、それでもこのバンドのために10年近くもドラムを叩き続け、そのために「身を捧げて」きてくれたのである。

だから、彼が100パーセント、全力でやっている、ということは、俺もはっしーも、十分にわかっている。わかっているからこそ、「ダメだろ」なんて言えない。
そして、それでも、ドラムの演奏にせよ、人間的な面にせよ、それでも一緒に活動してくる中で、彼はいくつも成長してここまで来たのだ。

だから、10年間も「身を捧げて」きて、大変なバンドマン生活をしてきた彼の、健康状態や、人生の状態が、僕としても心配であり、だからこその、今後の決断ということももちろんそこにはある。(手遅れと言ってくれるな)

そして、だからこそ、「あんなやつ」だと思われたとしても、
もし俺たちのこのバンドが、クリスチャンロックバンドとして、日本の、そして世界の、クリスチャニティとか、信仰とか、そういったものに少しでも寄与できていたとするならば、間違いなく彼は「神のために身を捧げて働いた」のである。

だから、あんなやつだったとしても、俺は彼の上に、神の愛つーのか、恩寵があることを、信じている。

皆さんも、そう信じてやって欲しい。彼は、神の愛の内にある、ということを。神に愛された人間である、ということを。

昨日のジェイクの酔いつぶれた情けない姿にしても、それは俺たちのこのバンドのために、そして「神のために」身を粉にして捧げて働いてきた男の姿である、ということだと思う。ドラミングについては非難したいが(苦笑)、この部分については、俺は彼を非難できない。

そんなわけで、終演後も、ジェイクの介抱と、なんとか帰宅させるため、打ち上げにも参加できず、ろくに皆さん(残っていただいた方々や、Calling Recordsの仲間たち)とお話もできずに帰ってきたわけであるが。
本当に、皆さん、ありがとうございました。

ジェイクとはっしーの、クリスチャンバンドとしての信仰のあれこれについては、触れようとも思ったけれど、今回は省略する。また、この後、お話する機会がきっとあるだろうから。

さて、それでも良かった点を列挙しておこう。

– 確かに「ダメなジェイクの日」ではあったが、それでも慣れない複雑な楽曲を、一部の曲でミスしたものの、他の曲はちゃんと叩いたことについては、ジェイクを誉めてやっていい。むしろ「あの程度のケガで済んだ」ことに関して神に感謝していい。

– ジェイクがダメな日だったのに比して、はっしーに関しては良い日だったと言える。「優秀なはっしーの日」というか。彼はもともとわりとスタイリッシュな美意識のある人間なので、いつものメタルよりも、オシャレ系オルタナのステージに、自然に対応できていた。事前の予習にも熱意があったし、スタイリッシュな雰囲気を出して演奏していたと思う。

– 俺の自分のヴォーカルについては、90点をあげていいと思う。今回のステージの一番の目的が、日本語の歌詞によるメッセージをきちんと伝えるということだった。ライブハウスの音作りがヴォーカル中心でちゃんと聴こえるミックスだったこともあり、今回の曲目の「色っぽいヴォーカル」と「歌詞のメッセージ」が、ちゃんと伝わったのではないだろうか。これだけでも、やった価値はあった。技術的なことは、後述したい。

– 先述したように、リハと本番のギターアンプのゲインの反応がまったく違ったため、かなり演奏やサウンドの面でstruggle、苦戦したものの、そうはいってもギターサウンドはかなり良かった。これは、3年近く録音作業に使っているものの、ステージでは一度も使ったことのなかったBacchus Duke Standard (我が家での通称「ショコラ」)の性能とキレの良さを示すものであり、今回の音楽性にはばっちりだった。そしてやはり、こうも理想的なサウンドが出てしまうと、足下はShoalsでやはり間違いない、ということになる。

– ギターソロ、リードプレイについては、完璧ではないものの、きちんと実力を発揮したと思う。それは、速弾きテクニックのソロを正確に弾く、ということではなくて、不器用に声にならない叫びを伝える、という意味合いにおいて、である。そちらの方が重要だ、ということに、この歳でやっと気付きつつある。

– ぐだぐだのステージ進行ではあったが、その中でも、MCはキレていた(苦笑)

– たとえ演奏はぐだぐだであったとしても、ヴィジュアル的には美しく決まった(当社比) ここは、実は一番のポイントだった。色気があれば、多少演奏ミスったって、そんなの関係ないだろ、と言えるだろうか(苦笑)

– オシャレ系日本語オルタナという方向性も相まって、色気を以て愛を伝える、という表現の新境地は、しっかりと打ち出すことが出来た。新たな境地に確かに踏み出した、と思う(笑)

振り返れば、昨晩はどのバンドもとても良い演奏をした。
Calling Recordsの活動においても、[Atsuki Ryo with Jesus Mode]が現在は活動停止していることや、石川ヨナの関西移住に伴うイベントからの離脱など、色々あるのだけれど、
今回こうして、肝心のライブイベントという場において、皆が質の高い演奏でそれぞれのロックをきちんと叩き付けたことは、とても大きなことだと俺は思う。

その中では俺たちはある意味いちばん不器用な演奏だったかもしれないが、これは敢えて言う必要もないくらいだが、いつもとまったく違うチャレンジングな内容の演奏に取り組んだ意味で、皆さんに一歩先んじた自負はあるし、また多少「どぎつい」ものであっても、色気のある表現を行ったという意味で、そっちの領域ではきちんと、誰にも負けなかった手応えはある(笑)

ある意味僕たちと同じように「地の理」に恵まれなかったかもしれないのは大先輩のB.D.Badgeさんたちであり、
それは普段もっと距離の近い現場で本領を発揮するB.D.Badgeさんの音楽表現において、日本のいわゆる普通のライブハウスの環境、しかもクリスチャン中心の「大人しい」観客層を相手にして、本来のノリや魅力が発揮しきれなかった感はあったと思う。つまり本来のB.D.Badgeはもっとぶっとんでいるからだ。

しかし、寿朗さんおよびB.D.Badgeさんに関しても、うちと同様に、「勝ちに行く演奏」ではなく、「捧げる演奏」をすることが時々ある。僕は過去にもB.D.badgeさんのそういう演奏を何度か目撃している。

つまり、「勝ちに行く」のではなくて、敢えて勝ちは譲っても「神に捧げる」演奏をすることがある。昨晩のB.D.badgeさんはそういう演奏だったと思う。

それはクリスチャンバンドとしてはある意味当然、必要な行為であり、また一般のロックバンドにおいても俺はそういったことは必要だと思う。(たとえば優れたバンドほど、キャリアの中で、一般受けや売り上げを犠牲にしても、もっと大事なメッセージを伝えるための作品を作ることがある。)

そんでもってそこのところのアティチュードに霊的な部分で共感するとともに、俺はそういった演奏もすることのできるB.D.badgeおよび寿朗さんを凄いと思う。

Soul of Faith、ソルフェイについては、この一年でベストメンバーになり、ロックバンドとして本当に「あるべき理想的な姿」になった。
昨晩もトリとして本当に堂々とした演奏でイベントの最高潮を作り、オオハラさんもイベントの中心で本当にたのもしかった。
オオハラさんのヴォーカルが非常に完成されてきたのはもちろん、両脇を固めるBad Boysな二人の、ヴィジュアル面や、サンダーバードとEpiphoneのセミホロウの組み合わせもサウンド的にばっちりはまった感がある。
このソルフェイというバンドも、僕も個人的にも贔屓であり、関わりも浅くないバンドであるから、このソルフェイを今後、いかに活躍させて盛り上げていくか、ということについても考えなければいけない。このままどんどん伸びていくべきバンドだ、ということである。
理想的には1st以上に完成度の高いアルバムをこのメンバーで作ることが出来たら、ソルフェイはこの先10年は続いていくと思っているのだが。

Xieさんについては、これもB.D.badgeとは違った意味で大先輩な人たちであるが、今回はギターのNori氏が居ない3人体制のライブだったが、ある意味でこれまで拝見した中でいちばん感銘を受けた演奏だった。ギター不在でstrip downされてシンプルになった分、またMachiさんのソロ演奏で拝見する時に比しても、余計に楽曲の骨組みがきちんと見えて、そこに込められた玄人好みの演出や仕掛けが、しっかりと伝わってきたからだ。新たな必殺曲である「永山の爺さん」も、CDで聴くよりも、ライブの方がもっと伝わってきた、という感じで特筆すべき演奏だった。

三木くんの演奏も、ベースレスの構成だったけれど、そのぶんやはりstrip downされて楽曲の魅力、三木くんの声とメロディの魅力がしっかり伝わってきた。特に三木くんはお子さんが生まれ、私生活も大変に忙しいと思うけれども、なぜだかパパになってからの三木くんは3割増で「いい男」になっており(きっとパパというのはかっこいいものなのだろう)、また新曲のバラードも素晴らしかったことから、今はお子さんのことが中心で音楽活動には最低限しか時間を割けない、というようなこともおっしゃっていたが、そのように私生活、また人生そのものが充実していくのに連れて、きっと音楽や楽曲も同じように祝福され充実していくに違いないと俺は確信している。

そして何より一番良かったのが、演奏の中ではもちろんだけれども、それぞれのステージで、MCの中でも、どのバンドもみんな「愛」について語っていたことだった。

これって、別に打合せしたわけでも、何をどうプランしたわけでもないんだけれど、気がついたら、みんながそれぞれに、自然に、自分の言葉で、「愛」ってものについて語っている。

それって普通だったら気恥ずかしい、とか、嘘くさい、とか、宗教くさい、とか、なるもんなんだけれど(笑)

そうならずに、バンドマンたちの不器用でむさくるしい熱気と汗の匂いの中で、それが自然に流れていって、しかもそれが流れ続ける。

これって、実はちょっと凄いことかもしれず、それこそが昨日のイベントの、一番の収穫だったと俺は思っている。

そして、別に打合せも計画もしなかったのに、自然に普通にそうなっていたのだとしたら、このCalling Recordsっていう集まりも、色々と運営上のあれこれはあるかもしれないが、

確かにこいつらは、みんな不器用で照れ屋であっても、やはりそれぞれに、自分の中ではきちんと、愛であるとか、神であるとか、キリストであるとか、そしてロックってものに、きちんと向き合っているやつらの集まりなのだと。そのことの証明なのかもしれない。

いまどき、キリスト教の教会に行っても、額面とか看板はともかく、「愛」なんてものの話が聴けない(自己啓発とかビジネスサクセスはあるかも)、とか、肝心の「キリスト」がどこにもいない(教会という組織、政治派閥しかない)、と思えることが多い世の中にあって、ひょっとするとこれは貴重なことかもしれない。

と、まあ、きれいにまとまったところ、すまないが、匂い、と言えば。
俺たちがステージに上がって演奏を始めようとした時に、ステージ周辺に、すげえ臭い匂いがたちこめていて、非常に迷惑だった(苦笑)

なんか、下水とか配管の匂いじゃないか、と、皆は言っていたが、とにかくすげえ臭かった。
はっきり言って迷惑だった。前列の観客の皆さんが、ステージからちょっと遠ざかってしまったのは、あの匂いのせいなんじゃなかろうか。

ひょっとして、あれもジェイクのせいだったんじゃなかろうか、と、ちらっと俺は思った。
けれども、下水のせいだということにしておこう。

それでも、ステージはかっこよくやり遂げた、はずだ。

感謝。
サンキュージーザス。

新宿MegaRockというハコ。(立地の制限はあるが結論としてやはり良いハコだったと思う。場所柄音量や低音の出方に制限はあるが、マスターの腕前はやはり素晴らしい。)

歌唱の技術的な面。(日本語で歌うと良いね、って何人かに言ってもらえたが、実はそれは、言葉でも、キーでもなくて、技術面の進歩なんです。)

日本語で歌ってみたら逆に距離を感じた話。(だからずっと英語でやってたんだけど)

信仰という面においてのうちのメンバーの話。(これは折を見て。長いから。)

などは、また別途書くか、あるいは面倒であれば自分の中にだけキープしておきたいと思う。

ダメダメだった、みたいに書いても、実際にビデオを見ると結構良い演奏をしており、
その中でも”Overture”は曲の前のMCも含めて出来がよくハイライトだったと思うので(笑)、そのくらいはまた別途動画をアップできると思います。

“Discarded World”も、間奏までは完璧だったんだけれどなあ。間奏の後のブレイクで、ジェイクがブレイク後に曲に戻れずにそのまま終わっちゃう、っていう(涙)

あとは1曲目の”The Wave”で、演奏入るカウントのところで、ジェイクがすでに変なテンションで「フーッ!」って声を上げており、その時点で、「今日のジェイクはおかしいな」ってことが、ビデオ見るとわかると思う(笑) そんで、イントロからいきなりフレーズも構成も全然違う、っていう。だからジェイクは、演奏後に酔いつぶれただけじゃなく、演奏始める1曲目の時点で、すでにかなりおかしかった(苦笑)

時々あることなので心配ありません。
が、やはり祈ってやってください。

彼の健康や、人生や、信仰や、生活や、いろいろについて。

No(4945)

■…2017年10月 9日 (Tue)…….Overtureの10/7動画Facebook上
とりあえず”Overture”の動画をアップしておきます。

>>結局YouTubeにもアップしちゃった
こちら

難しいチャレンジだった先日のライヴでも、この曲だけは今年に入って何度か演奏していたから、なんとかなった。酔っぱらって正気じゃないジェイクでも、間違えずに叩いてくれた。(他の曲では間違えまくっていたのは周知の通り、苦笑)

少しは色気のある演奏ってやつが出来るようになったと思わないか? (思わないか、笑)

冒頭のMCは、クリスチャン向けのジョークなんだけれど。
もちろん「伝道」ってことを否定してるわけでは全然なくて、もっと伝道ってことに、愛を伝えることに本気になれよ、っていうメッセージ。

実際にあった出来事だけれど、実際にはもっと「色々あった」んだけれど、簡略化してわかりやすくジョークにしてみた。もっと上手い伝え方もあったと思うけど・・・。

今回日本語で歌ってみて、逆にオーディエンスとの距離を感じた。
オーディエンスというよりは、皆さんというか、日本の皆さんというか。

その昔、僕らがクリスチャンロックとか言い出す前に、もちろん当時は全部日本語でやってたんだけれど、やっぱり距離が遠かった。世間との距離というか。

不思議なことに、英語でやりはじめて、クリスチャンヘヴィメタルとか言い出してから、アメリカで演奏した時はもちろんなんだけれど、日本で演奏する時も、なぜだかオーディエンスとの距離が縮まったように感じていた。

なんで英語でやってるの、って言われて、それも理由のひとつ。

で、今回、久しぶりに日本語でやってみたら、不思議なことに、やっぱり距離が遠い。

昔は、若いから、歌詞ももっと青臭かったと思う。
ストレートな表現しか出来なかったと思う。

でも、今、それなりに歳を取って、やっと少しは、ましな歌詞が書けるようになった。
やっと少しは、深みのある、歌詞らしい歌詞が書けるようになった。
少しは色気のある言葉が書けるようになった。

でも、やっとましな歌詞が書けるようになったと思ったら、それって、誤解されるためのものなんだ、と気が付いた。
演奏後に何人かの方にお話を聞いてみると、僕の歌詞について、表現について、皆さんいろんな解釈をされている。
でも、それはみんな、誤解みたいなもんだと、僕は気が付いた。

人それぞれに、好き勝手に解釈をする。好きなように受け取る。
もちろんそれでいいし、そういうもんだ。
その受け取り方に、その人自身の姿が鏡のように表れる。

大好きなミュージシャンはいっぱいいるけれど、ここ数年、そのわかりやすい代表格として、僕はXTCに夢中になっていると公言している。
XTCのアンディ・パートリッジのソングライティング、もちろんコリン・ムールディングもだけれど、彼のソングライティングが、そして歌詞が、深みも比喩もあって、その実メッセージ自体はとても明確な、そんな彼の綴る言葉が大好きだ。

でも、少しはそんなものに近付けたと思ったら、それは、人に盛大に誤解されるということだった。

解釈の自由を与えるということは、誤解の余地を与えるということ。
でも、表現というのは、それでいいんだと思う。

この”Overture”なんかは、きっとそういう感じなんだろう。
自分としては、これは、最大限にストレートに、愛を伝えることをまっすぐに歌ったもの。

こんな世の中で、どうやって愛を伝えるのか。
神の愛とか、神の真実みたいなものがあるとして、
それを大切な人に伝えたいと思った時に、どんな言葉をささやくのか。
本当に、その気持ちをまっすぐに綴ったもの。
ああ、これは本当に「キリスト教の宣教ソング」だったんだ、と、今にして俺は思っている(笑)
でも、きっと、そう思わない人も多いんだろうな。

昨年の1月に音楽の部分は書いて、歌詞は昨年の8月に書いたもの。
その時は、この曲がどういう曲なのか、わからなかった。
でも、一年がたって、冒頭のMCで触れた事件もあって、俺はこの曲がいったい何を歌っているのか、ようやくわかるようになった。

愛の伝え方は、人それぞれで、
俺なりの、この伝え方が、理解できない、伝わらない、そんな人も多いかもしれない。
でも、それでもこれは俺にとってはいちばんまっすぐな、「君だけを救うためのラヴソング」だということに間違いはない。

笑っちゃう話かもしれないけれど、うちの嫁さんなんかは、俺がこの曲を家で弾き語って練習してると、聞きながら涙を流してくれるんだぜ。

あんましYouTubeとかに上げるつもりもないけれど、もし需要とか要望があれば、もうちょっとストレートにクリスチャンしてる歌詞の”Forgiven”とか”Mistake”の映像もアップします。するかも。しないかも。

冒頭のMCで触れたエピソードはあくまでMCのジョーク用に話を簡略化しているけれど、そのエピソードのモデルになった一人の人物、まあそりゃ女性だけど、ああ、一年前に書いた曲だったけれど、これはあの人のために書いた曲だったんだ、と、(そしてそのようなすべての人ために書いた曲だったのだ、と)、仮に、その方をMs.Overtureとお呼びして、献じたいと思います。



歌詞を、誤解してもらう、解釈してもらうのも、もちろんひとつなんだけれど、
この機会に、書いた本人としての解釈を添えて、添付しておきたいと思います。

“Overture”

天国行きのファンファーレが鳴る
これは序曲
これは序曲
ついにこの日がやってきたのさ
きたのさ
(ラッパが鳴り響き、黙示録にある世界の終わりと、その始まりが来る)

君も一緒に連れていきたいぜ
だめもとで誘ってみるぜ
よう試してみないかい
(君の魂を神の愛の中へと連れていきたい 滅ぶべき運命の世にあっても)

信じたふりをするのは難しいことじゃない
(本当に信じるということは簡単なことじゃない)
信じるための才能は落ちてはいない
(信じるためには才能も運も必要だ)
愛したふりをするのは珍しいことじゃない
(本当に愛するということはかけがえのないことなんだ)
傷つくための度胸はどこにも売ってない
(自らをさらけ出し傷つく覚悟が必要なんだ)
それが答えかな

日常行きの最終列車が出る
これは終幕
これは終幕
いつもこの音にうんざりしていたのさ
いたのさ
(平和な日常が終わり、破壊の音が鳴り響く、その音はどんどん大きくなっていく)

君と一緒に駆けていきたいぜ
だめもとで誘ってみるぜ
ようこの時に賭けてみないかい
(最後の時にあってもあきらめることなく天の国へと奇跡の逃避行を決めたい)

何もないふりをするのは難しいことじゃない
(真実から目を反らすのは人の性だ)
嘘をつくためのメソッドは教えてはもらえない
(誰にも教わらなくても人は嘘をつき、罪を犯すものなんだ)
なかったことにするのは珍しいことじゃない
(真実を否定したがるのは人の習性なんだ)
あの日行きのチケットはどこにも売ってない
(楽園に戻る方法はどこにもないんだ、キリスト以外には)
そんなところかな

あの日行きの 汽車が出るぜ
天国行きの ビザが下りるぜ
あの子宛ての 手紙が舞うぜ
ありのままに 溜息が出るぜ

信じたふりをするのは難しいことじゃない
愛したふりをするのは珍しいことじゃない

(ギターソロ)

あの日のままの 飛行機が飛ぶぜ
あからさまに 溜息が出るぜ
(そして未来においても過去においても、
天へと続く救いの階段は永遠にそこにあり
君を呼び続ける。
だが君はそれにいつ気付くんだい)


あくまで僕なりの解釈です。

サンキュージーザス。

No(4946)

■…2017年10月11日 (Thu)…….そうはいっても話題とタイミングで肝心のSNSには投稿してないのだが
さてうちの嫁さんの母上が入院されたという話は先日ポストしたが、
それと同時にうちの嫁さんもちょっと体調を崩している。
つまり、母君が入院される一週間ほど前から、急に嫁さんも体調が悪くなっていたのだ。
(なのに先日のライブでも頑張って裏方で活躍してくれて、本当に感謝である。)

うちの嫁さんは一人っ子であり、またお母さんっ子っていうのか、母娘のつながりが非常に、とても非常に強い。僕は当然嫌というほど知っているが、うちの嫁さんは、性格にせよ行動にせよ、お母さんの影響が非常に強いのだ。
そんなふうだから、不思議なことに、母君が体調を崩さると、それがつながっていて、娘であるうちの嫁さんにも伝わるらしい。
不思議なことだが、実際に当人のことを知っていると、別に不思議ではないというか、「そうだよね」という自然なことに思われる。

それ故、Calling Recordsの人たちにも祈ってもらっていたのだけれど、友人の皆さんにも、ほんの少しずつでいいから引き続きお祈りいただけたら幸いだ。

視点を変えれば、そんな三人だけの母娘家庭において、いかにも「こだわりのある男」、男にしかわからない男、のひとつの典型であった父君は、家庭の中でも(逆の意味でも)窮屈な思いをされていたのではないか。

そんな意味で、もう一度、そう遠くない未来に、(決して今まできちんと向き合ったことが無いとは言わないが、正直、色々の経緯でやはりきちんと向き合っていなかった、なので今であれば)、父君とも、お酒を持参し、一度ちゃんと、男同士の会話を持ちたいものだと思う。
つまり、今なら僕は、父君のことを少しは理解が出来るからだ。

さて話題は変わるが僕はいつになったら再び「所属教会」なんてものを持てるのだろうか。

たまに「あちこち」顔を出してはいるが、そしてうちの嫁さんに関しては近所のローカル教会に今のところ通ってはいるが、
基本的に何年もお世話になっていたアフリカ人牧師であるヤオ師の教会が実質消滅してしまって以来、僕はあんまし教会に行けてない状態になってしまっている。

そしていろんなところに顔を出せば出すほど、「俺みたいのが行ける教会が果たしてあるのだろうか」という疑問が、残念ながら大きくなってくる。

もっとも、これは自分の人生の中のフェイズであって、またしっかりとどこかに「根を下ろす」準備が出来てくれば、自然と適したところを見つけるだろう、という楽観は持っている。とにかくここ数年は、色々のことで必死だったのだから。

最初に「通った」教会だからというだけではなく、やはりそうやって思い出すと、ガーナ人牧師であるヤオ師が主催していた小さなインターナショナル教会は、僕にとってはやはり非常に大きな祝福であり、
そして僕みたいな人間の「牧師」になるには、(いろんな意味で)あのくらいの人でないとやはり「務まらなかった」のだろう、と思う。
今後、どこでどんなことをしようとも、僕にとっての「牧師」は、やはりヤオ師だろうと思う。最初に通った教会の牧師さんってことには違いないし、それは変わらない。

だから人生の色々のことも、ちゃんと理由があって、時期とかフェイズがあって、起きるのだし、その時期その時期で、やるべきことをきちんとやっていけば、また次のフェイズ、次の人生のステージに進むことが出来る。そうしてまた、きちんと根を下ろせる場所(教会)を見つけることが出来たらいいなと思っている。

ヤオ師は、レゲエミュージシャンとしても活動しており(僕も過去にギターやベースや、時にはドラムで参加した)、精力的に作品を作り続けている。
基本的には素直でシンプルな昔ながらのレゲエがベースであるが、とても普遍的で心に響くソングライティングが出来る人で、それは天性のものであると思うし、日本でこうして活動していることも含め、「ガーナが誇る」アーティストの一人と言っていいと思う。国際的でボーダーレスなこういった時代においてはなおさら意義深いし。
Yao Yokohamaで検索すればきっと出てくると思うので、ぜひチェックしてみて欲しい。

とか、ちょっと書いてみた。

No(4947)

■…2017年10月11日 (Thu)…….キュートなモダンEQにさよなら
暇なわけじゃないんだけれど、
音に関するひとりごとをまた書いてしまおうと思う。

10月になったらKuassaのEQを買おうかと思ってたんだよね。
Neveっぽいやつ。

なぜって、見た目がかわいいのと、
あとは「アナログモデリングです」っていうんじゃなくて、
あくまでデジタルの領域でやわらかい音を目指したデジタル世代のEQだぜ、
みたいな感じの音が嫌いじゃなかったから。(デモ版は前からインストールしてある)

あとやっぱり見た目がかわいいので(笑)

けれども、いろいろ試してみてね。

知ってのとおり、古いバージョンのMacBookを使い続けているので、Wavesとかももう新しいのはインストール出来ないんだけれど(衝動買いしなくて済む)
Plugin Allianceに関してはなんだかんだ(新しいやつを除けば)まだインストール出来たりするので、あそこはセールとかクーポンを盛大にくれることもあって、結構持っているので、
たとえばelysia museqとかも、なんだかんだ使っていると、意外と使えるというか、気が付けば使い勝手の良さに愛用してしまっていたりして。
あるいはSonimusのEQとかね。あのすげえアナログ風味なやつとか。
なんだかんだ結果が出る気がするのよね。

アナログ風味なEQとか、モデリングっぽいやつとか、アナログつっても、音がなまるとか、わざとらしいとか、質感が生っぽい(きたない)とか、色々思うんだけど、
使ってみるとやっぱ、それでいいかな、っていうか。

あとは、極端な使い方をした時にやっぱり差が出るというか。
で、KuassaのNeveっぽいEQも、すごいきれいな音なんだけれど、極端にブーストとかカットとかすると、やっぱりちょっと無理が出てくるというか。そんで、やっぱ、いまいちどうしても安っぽいとか。

デジタル領域のEQなら、HOFAのSystemに入ってるやつとか、Wavesのやつとか、Brainworxのやつとか、そっちで十分優秀だしね。

で、やっぱKuassaのEQ、いいや、ってなって。

インドネシアのディベロッパーってことで、珍しいというか、応援したいんだけれど、
なんかやっぱ、一歩足りないっていうか。
優秀なんだけどね。

ギターアンプのシミュレーターも、Kuassaのやつもすごく優秀なんだけど、そっちも最近はbrainworxを使っちゃって、そっち一択みたいになってるし。

ただ、ギター用のオーバードライブとかのペダルエフェクトを最近出してくれたからね。それがまた良いので、それをひとつふたつ、使わせてもらって、それだけでも十分にありがたいかな、って。

そんでもって、Kuassaいいや、ってなったときに、bozがまた、先月の末にセールやってたじゃん。
なんかDavid Bendethだか、メタルコアとか最近のバンドのプロデュースしてる人のシグネチャーのやつ。

ネット見ると、HoserってEQがすごくbuzzってると思うんだけれど、
あんましお金使いたくないなって思って。

デモ版試してみて、僕はHoserには、あんまりぴんと来なくって。
なんか、悪い意味で安っぽいアナログのEQみたいな印象を受けるんだよね。
使い方の問題とか、僕の耳が悪いのかもしれないけれど。
どっちにしろあんまし好みじゃないのかな、って。
マスタリング用っぽいEQは既にいくつも持っているしね。

で、そのかわりにplus 10dBってのを試してみたら、こっちの方は、ぴんと来た。
EQも面白いし、コンプに至っては、ZeppelinのLevee Breaksのドラムの音っていうじゃない。
で、このコンプは確かに独特だ。ブリティッシュなのかと思いつつも、からっとしたミッドレンジというかハイミッドの出方をする。ぱりっとした音というか。これは面白い。
なんでもADR Compex Vocal Stressorとかいう機材がモデルらしい。

もうEQもコンプも十分あるじゃないかと思ったけれど、セールで安かったので、Kuassaの代わりにこれにしよう、って。

そんなわけで、見た目とかインドネシアとかデジタル世代な音に萌えっときてたKuassaのEQをあきらめた話。
それが感傷だったので書き留めておきたかった。

No(4948)

■…2017年10月11日 (Thu)…….オジー・オズボーン・ダブルトラック・ライブ
もうひとつ、音に関するあれこれ。

先日、すごいひさしぶりに、クラシックなんだけれど、Ozzy Osbourneの有名なライヴアルバムであるところのTributeを聴いていたんだけれど。

これはつまり、ガキの頃というか10代の頃に嫌というほど聴いてるんだけれど、そういうものほど、大人になってからは全然聞いてなかったりするので、ふとしたきっかけで聴いてみたんだけれど。

そしたら、びっくりした。
いや、これ、以前聴いていたときに気付かなかったのが不思議なくらいなんだけれど、ヴォーカルがダブルトラックになってる。

もちろん、ライヴアルバムだから、ヴォーカルがダブルになってること自体、普通に考えたらあり得ない。

バックにテープとか流してて、オケというかバックトラックにもう一本ダブルのヴォーカルトラックが入ってる、なんてことも考えづらい。当時のライヴ演奏で、しかもこの当時のオジーのバンドで、オケと同期ってことはほぼあり得ないだろうから。

一瞬、ディレイとかハーモナイザーでダブルっぽくなってるのかとも思ったんだけれど、聴いてみると、明らかにエフェクトで広げたんじゃなくて、まったく別のテイクが2本ある、という感じ。もちろん、限りなく違和感のないように重ねてあるけれど。

さらには歌唱の部分のオジーの声と、曲の間のMCとかかけ声の部分との録音の状態というか音質が明らかに違う。そう思って聴くと、オジーの歌声だけ、ランディのギターとかバックトラックからちょっと浮いている。

有名な話だとは思うんだけれど、Ozzyのアルバムでのヴォーカルは、基本的にいつもダブルトラックになっている。
ダブルトラックでなくて一本で歌ってたのは、1986年のThe Ultimate Sinだけだったと思う。だからあのアルバムは他のアルバムとちょっと雰囲気が違う。

オジーのヴォーカルが常にダブルトラックなのには、もちろん色々な理由がある。テクニック的なこととか、声質、キャラクターとか。

で、ライヴアルバム。
これって、明らかに、スタジオで歌い直して、もう一本重ねたんだよね。
あるいは、場合によっては二本とも歌い直しているかもしれない。
違和感のないように歌い直した労力も、きっと相当のものだったと思うけれど。

つまり、1981年に行われたライヴの録音なのに、それが1987年になってリリースされたことには、このヴォーカルの処理とかの経緯もあるわけね。

と、思って今、Wikipediaを見たら、アルバムのページのすみっこにちゃんと書いてあった。一行だけ、さりげなく。
Ozzy’s voice in this album is doubled tracked.
って。

ライヴアルバムなのに、ダブルトラックにしちゃうっていうこのプロダクションに、びっくり。
しかも、ちょっと注意して聴けば、わかるくらいの処理なのに。

そして、何も気にせず聴いていた10代の頃、そのことにまったく気が付かなかったことに、自分でびっくり。

もちろん、このアルバムにおけるランディ・ローズのギターは、スタジオでの修正なんてもちろんあり得ないわけだけれど、
昔も、当時も、そんでたぶん今も、ライヴアルバムなんてものは、実際にはかなりの部分が、スタジオで作られたもの、っていうのは、やっぱり真実なんだろう。

つまり、ライヴアルバムの音は、スタジオで作れる。

そう思って、いろんなアルバムを聴いてみると、きっと発見があるに違いない。

そんで、自分のバンドの作品で恐縮だけれど、
うちのバンドの、2014の11月に諸事情で成り行きで録音して2015年の3月に発表した、”Atomic Live”っていうライヴ作品。

あれは、福島いわきでのライヴが急にキャンセルになったから、アメリカから来ていたAngelo Gonzales (Gallery Cat)と一緒に、南相馬のスタジオで、関係者数人だけを観客に、急遽「スタジオライヴやって録音しちゃえ」ってノリで、作ってしまった作品。

小さなスタジオで、ほんの3、4人の観客の前で演奏してるにもかかわらず、出来上がった音は、まるで巨大なアリーナで演奏してるみたいな音になってる(笑)

それは、つまり僕たちが昔から聴いてきたビッグなメジャーバンドのライヴ盤に対するパロディみたいなもんで。

すげえビッグなサウンドだけれど、実際には3、4人の前で演奏してるだけですよ、っていう。

逆に言えば、弱小インディーバンドでも、純粋に音に関しては、大きなアリーナで演奏しているようなビッグサウンドのライヴ盤が作れるんだぞ、っていう。

そんでもって、最後の2曲では、現場で声がへたってしまったので、後からヴォーカルを録りなおして重ねるっていうことをやっている。
それも、他の楽器のマイクへのかぶりがあったから、元のテイクも完全に消えてなくて、ヴォーカルトラックが2本重なってることが、明らかにわかる、っていうレベルになっている。

それも自分たちなりの、「作られたライヴ盤」ってことへのパロディなんだけれど。

でも、それとおんなじような「ライヴ盤なのにヴォーカル2本重なってるじゃん」っていうのが、まさかオジーのライヴ盤でもおんなじことが起きているとは思わなかった(笑)

一応、その”Atomic Live!”は、BandCampでのみ公開しているけれど、こちらで聴けます。
こちら

笑っちゃうくらいにわざとらしいビッグサウンドです。

No(4949)

■…2017年10月15日 (Mon)…….ブックレット重労働
おもいっきり愚痴なんでスルーしていただきたいんですが(そんなもん書くなよと言われればそれまでです)、
アートワークを作ってる作業についてほんとグチりたく(笑)

そもそもが今回のコンセプトアルバムJesus Wind、歴史をテーマにしたストーリーのあるアルバムだから、
どういう形でリリースするか、音を作った時点でまったくどうしていいかわからず。

おいおい、まさか昔のメジャーみたいな12ページとか16ページとかあるようなブックレットでも作れというのか、とか思って。
そんなの無理に決まってんじゃん、デザイン的にも予算的にも、みたいな。

そんで、とりあえずCDの形にするだけでも、
そんで、今回は節目だから皆さんへのご挨拶や、けじめの意味でもクラウドファンディングに挑戦しよう、となって。

そしたら、ありがたいことに全額集まってしまい、本当にそれはもう素晴らしく感謝で、こちらももちろん本気でやっているんですが。
うわ、これ、ちゃんとしたブックレット作れってことだよな、ってことで、気が付けば12ページのブックレットを作ることになってしまい。

そのデザインとか、誰がやるかって言ったら、俺なんですよね。

うちのバンドの問題っていうのは、ずっと昔からこの一点にほぼ集約されてて、つまりはすべて俺がやってる、ほとんど俺が一人でやんなきゃいけない、という点。わかってるんですけどね。もちろん、その状況も改善していきたいんですが。

なにから何まで。特に、うちのメンバーにも嫁さんにも、英語出来る人いないから。しかも、みんな厭世的な、ネット上ですら社交的になれない人たちだし。クラウドファンディングでファンドしてくれた人とメールのやりとりとかしてても、「メンバーとハードワーキングなスタッフの皆さんによろしく」みたいなこと書かれるんだけれど、スタッフなんて居ないから。全部俺なんだよ。そのハードワーキングってのをやっているのは。

で、12ページのデザインで死んでる話。
今までジャケットを作った時も、全部4pの表と裏だけしかやったことないし。
そんなブックレットのデザインとか、歌詞ものっけるんだけれど、あとはストーリーがあるから、曲とかストーリーの解説を書かなきゃいけないじゃない。英語で(笑)。

で、9月中にやれたらよかったんだけれど、現実には慣れないおちごと(デイジョブオフィスワーク)の関係で、やっぱり全然そんなの手をつけられず。

で、おちごとの期間が終わったと思ったら、嫁さんのお母様の入院、Calling Recordsのライヴ(準備全然出来てなかったし)、嫁サービスの箱根出張、その後も嫁さんずっと体調崩してる、とか。全然時間取れず。

自分の中では、早く出荷して届けたいし、10月の5日とか6日には、もうCDの発注をするつもりでいたんですが。

実際には、全然そんな暇はなく。
時間を見つけて慣れないデザインに取り組んでみて。
曲の解説もがんばって英語で書いて。(添削もしていただきました。ありがとうございます。)

で、気が付いたらもう10月も半分過ぎた、という。

12ページのブックレットのデザイン、やっぱ俺としてはもちろん素人だし、やってみたら、やっぱ全然、重労働というか、すぐに出来る、なんてものではなかった、と。

そのCDの発注とリリースの作業の他にも、
次の「出稼ぎ」を始める前に、最低限やらなきゃいけないことが、まだまだあるわけですよ。山のように。

そんで、「次」への色々な準備も、動き出さなくてはいけない。

次のフェイズ。
次のステージ、への。

もう正直に言えば、関係者の皆さんには重々わかっていらっしゃると思うんですけど、うちのバンドの現在の状況は、もうライヴとかやれる状態じゃないんですよね。
何が、とか、何がどう、とか、うまく言えないけれど、それは側で見ていればわかるはず。

つまり、半年振りにやっと一本ライヴをやったと思ったら、ドラマーが酔っぱらって曲構成を間違えまくる、とか。いったい何のための練習だったのか。
そしてベース君は、もう極力ライヴはやりたくない、と言っている。
ここ2年くらい、もうずっとそういう状態でやってきた。

ライヴの一本もまともに出来ない状態ということ。
いや、本当を言えば、なんとか形にして演奏できただけでも、感謝しなきゃいけないのだけれど。

周囲には、「ベーシスト替えればいいじゃん」みたいによく言われますが、むしろ実際はいつでも、ベーシストよりもドラマーの方がずっと問題だったわけで。彼は調子というか愛想がいいから、外から見てそう思われないだけで。

どちらにしても、なんでそういうふうになってるのか、それは他人にはわからないと思う。
俺たち3人にしかわからないことだから。

別に仲が悪いわけでも、バンド内に不和みたいのがあるわけでも、全然ない。
そうじゃなくて、皆が真剣に、まっすぐに、音を鳴らすことに向き合っているから、それぞれの答えをそこに出しているだけ。
それについて、俺は彼らのことを何も否定できない。

だから、今のジェイクがあんな演奏しか出来ないこと、とか、この前でもライヴの日に酔いつぶれてしまうこと、とか。

はっしーがもう極力ライヴはやりたくない、って言ってることとか。

どちらも、俺にとっては、よくわかることなんだ。
そうだよね、って。
仕方ないよね、そのとおりだよね、って。
そんなふうに、理解できることなんだよ。

そのことについては、日本人、外国人を問わず、クリスチャンの人たちには、とやかく言われたくない。
俺たちは、10年間、こうして一緒に、やってきたんだから。

だから、一年前に、Overtureを作ろう、って決めたんだぜ。
最後に、皆で、日本語のアルバムを作ろう、って。

2月に節目のライヴとなる予定ですが、その際は、きちんと悔いの無い、ベストな演奏をさせたいと思っています。

その前に”Overture”のれこーでぃんぐをしなきゃね。。。。。

リリースまでの一人孤独な重労働(当社比にて、すんません。でも、やれるやつが他にいるのか)が続くんですが、この部分さえ乗り越えてしまえば、どんどん、次に向かって動き出していけるから、次第に楽になるんじゃないかと。。。。

やるべきことをやろう、みんなで。
俺とジェイクとはっしーで、愛を込めて”Overture”を作るんだ。
全部日本語のやつを、この3人で、作っておくんだよ。
だから間に合ってくれ、CD制作も、れこーでぃんぐも。

No(4950)

■…2017年10月20日 (Sat)…….発注完了a few days ago
書くの遅くなりましたが、数日前 a few days agoにやっとCDの発注をかけました。で、昨日かな、サンプルのPDFが送られてきて、大丈夫そう。やっと、やっと完了しました。発注作業。Facebook Page, IndieGoGo, blog等には報告ポストしておきましたが。
こちら
10月のあたまにクラウドファンディングが終わり、そこから数日のうちにブックレットの追加デザイン(4ページから12ページに変更)をやってとっとと発注しちゃおうと思っていたけど、実際は二週間かかった。その間、本当にノイローゼ気味というか頭おかしくなりそうな直前くらいになること幾度。
この”Jesus Wind”、音源の方は完成したのは昨年の8月の末。録音自体は6月に終わっていたけれど。そこから一年以上。いろいろな意味で命を削るというか、命を吸い取られた作品だなと本当に思います。でも、CDをちゃんとプレスするのだって、人生でやっと二度目だからね。うちみたいな微妙な立ち位置の弱小バンドの場合。で、時代的にも、たぶん二度目にしてこれで最後だろうと思っている。もうCDとかプレスする必要たぶんないだろう、って。それだけ節目の作品だから、命削られたけど、まあしょうがないよね、って。でもその価値はあった。
あとは11月の頭に完成品が送られてくるのを待つだけです。無事にちゃんと出来るといいけど。つって、そこからさらに大量の(つっても50枚くらいだけど)CDにメンバー皆でサイン大会とか、発送とか、そいでデジタルダウンロードも準備しないといけない。普通のデジタル配信はいつものとおりdistrokidとかbandcampでセットアップするだけだけれど、今回はクラウドファンディングしてくれた人に、それ専用でまた別にダウンロードを用意しなきゃいけない。なんかのクラウドを使うか、あるいはまあ、これもbandcampを使えばいいんだけれど、数が多くてさ、ダウンロードする曲とかアルバムの。。。。
あとはせっかくの節目の作品だから、それ以外にも販路を開拓してもいいかもしれないし。あとはいろいろな音楽系のウェブサイトとかブログとかメディアとかにレビュー依頼のパッケージも送付しないと。もちろん今時半分以上はデジタルだけれども。
そんでもって、ファミコンドージョーさんに「発注」もらった曲も作んなきゃいけない。今日、やっと時間が取れたのでさくっとデモを作った。やっと作れた。歌詞も書けて仮歌も録れた。すごい楽しい曲になりそうだ。
そんでもって、「鍋島デモ」の、「ちゃんとしたデモ」の歌を録りたい。。。
あとは、スケートボード復帰。。。いつも復帰って言ってる(苦笑) 要するに10月になってからCD発注作業にかかりっきりでやれてない。とにかく今はノイローゼ状態から回復することが先決。。。
書きたいこと、シェアしたいこと、たくさんあるんですが眠いんで。。。
もちろん11月には我がイマリトーンズは”Overture”の録音というかドラム録りに入る予定です。順調にいけば。その準備もしなきゃ。
明日はCalling Recordsの会議らしいです。。。
俺はCalling Recordsの現状に決して満足しているわけではないから、きついこともたぶん言うことになる。。。きついことというか、ひどいこと、とか。それは単に私の性格がひどいだけですね。知ってます。
それでも神は今日という日を私に与え賜うのかあああ。
感謝。
皆さんありがとう。
サンキュージーザス。

No(4951)

■…2017年10月30日 (Tue)…….牢獄夢講座
この狭いアパートの部屋に越してきてもう何年もたつ。
お仕事(デイジョブ、バイト)を変える時もそうだが、「ここで頑張って、そして次は[しかるべき約束の地 -解釈は色々-]へ行くのだ」と思っているのだが、現実には物事が進むのはとてもゆっくりで、人生とは予定外の回り道の連続だ。

この狭い部屋で何年も生活していると、まるでここは牢獄のようだなと思わないでもない。
しかし、もし牢獄に入るとして、それがたとえ狭い独房だったとしても、そこに女を一人、というか嫁さんを同伴で入れるとしたらどうだろうか。

そして実際には外出も自由に許されているし、また狭い部屋に置けるものであれば楽器の所有も許されている。本も読めるし、音楽を制作することだって禁じられてはいない。望めばスケートパークに出かけていくこともできる。

そう思えば、10年20年の刑を食らい込んだと思えば、理想的な獄中生活ではある。

書きたいことはいくらでもあるのだけれど。
人生を振り返って、また音楽を振り返って。
また世界の中での自分自身の立ち位置を思って。
霊的な、また音楽的な立ち位置と、行く先を思って。

最近、長年ずっと懸案事項であったことを処理した。
まだ完全に処理したわけではなく、一本別処理(8mm)の素材も残っているが、
それはすなわち、部屋の隅に忘れられたように保管されていた、昔のアナログのビデオテープである。
それを、中古のデッキを買ってきて、デジタルに取り込むということをやっと行った。
なんとか、古いビデオテープも、まだ再生することは出来た。

そこには、数こそ少ないが、2004年とか、このバンド(伊万里音色)が、バンドとして形になり活動を始めた頃の映像も、含まれていた。

そういった、昔の自分の姿を、埋もれていたテープの中に見つけると、音楽的なことと同じくらい、今よりも若い自分の姿に、生理的および肉体的に、また感じることがあり、発見や驚きがある。つまり、自分で自分のことは見えないが、10年くらいたって距離を置いてみると、少しはわかるということだ、自分がこういう人間だったのか、ということに。

もっと言うと、それらのテープの中には、若き日の嫁さんの姿も映っていた。
もちろん知ってのとおり、僕と嫁さんは、ずいぶん若い頃から一緒にいるので、それこそ年月や思い出はたくさん共有しているのだけれど、あらためてそういった映像を通じて、記憶の中にある、たとえば二十歳くらいの嫁さんの姿に出会うと、わあ、ずいぶんきれいだったんだな、と。そして、自分はいかに幸せであったかということに、本当に思い当たる。それはちょっとした感動なんていうものではなく、本当に深い感動だった。

それは、たとえば最近でも例の[Ms.Overture]の事件があったけれども、それは霊的な接触という特殊な事例ではあったが、いかに自分が自由気ままなバンドマンをやっているといっても、この年齢になれば、若い女性に対しては達観しているものである。これはもちろん一般的な中年男性や熟年男性は皆理解しているものと思う。

だが、自分の記憶をたどり、たとえば自分に思いを寄せてくれたなにかしらの縁があった女性であれ、あるいは自分に何らかの影響をおよぼした[イニシャルS.M.さん]であれ、霊的な接触ではあったが[Ms.Overture]であれ、皆さん敬意を込めて記憶のメモリーに留めてはいるが、こうしてみるとうちの嫁さんはやはり抜群に魅力的な女性だったではないか。(そして今も変わらず魅力的である。比喩ではなく、実際に、である。)

つまり、中年に達した男性の悲哀としては、まかりまちがって若い女性、二十歳くらい、に好意を持ってしまっても、その女性とどうこうなることは絶対にないのである。それは、自分の人生にプライドや誇りを持っていればこそ、なおさら絶対にない。わかりきったことだが、だからこそフーテンの寅さんは魅力的なキャラクターになり得るわけである。

だが、こうしてこの古い映像の中で本当に天使のように微笑む[うちの嫁さん]は、確かにこんなに若くきれいな女性であったけれども、どうこうなるどころか、ありとあらゆるものを自分に捧げてくれたではないか。
もちろん、それと引き換えに、自分も色々なものを差し出し、色々なものを失っているのだけれど、それはわかった上でそうしたことだったし、そして間違いなくその価値はあった。それだけの価値がある「いい女」だったということは、出会って20年以上がたっても、そう断言できる。

古い映像の中にある自分の演奏する姿に、あらためて自分という存在を発見したのと同様に、やはり10年、20年とたって、距離を置いてみることによって、いつも隣に居続けてくれた自分の嫁が、いかに魅力的で素晴らしい女性だったのかということを発見し、理解した。

それはちょっと、貴重な体験だったと言える。

見も蓋も無い言い方をすれば、やはり[S.M.さん]よりも、[Ms.Overture]よりも、うちの嫁さんは、少なくとも自分にとっては、格段にいい女だった、ということだ。

もうひとつ、そのライヴ映像の日付を確認するために、2004年前後の写真のアーカイヴをチェックしていたのだが、その中に、やはりこれもうちの嫁さんが撮影したものだが、当時ライブ活動をしていたところの[S.M.さん]の写真が何枚か含まれており、それを見て本当にぎょっとした。下北沢のライブハウスで、なぜだかフライングVを持って演奏している[S.M.さん]の写真があったのであるが、その顔が、やはり本当に[Ms.Overture]にそっくりだったからである。

だからやはり、今回のあれは本当に意地の悪い神様のいたずらだったのだと思う。

おかげで霊的感性がずいぶんと覚醒してしまったのだけれど。

スケートボードの練習をする時間がなかなか取れないように、この霊的感性たる「スタンド能力」も、普段生活していると、なかなか練習をする機会が無い。
それはつまり、日常生活というものは、振り返ってもいつも、ずっと、いかにそういった「非日常」の感性を使わずに、いかに封印し、感じないようにして生活するか、ということにかかっていたからだ。

だから、この前のオフィスワークみたいに、閉鎖的な空間に長時間閉じ込められる、みたいなことにならない限りは、ある程度意識的に訓練の機会を作る必要がある。まぁ、それも面倒だし、嫌だけど。外出する時とか、なるべくそういった感受性を開きたくない。辛いからね。でも、それも工夫できるはずだし、たとえば瞑想するとか、そういうのは王道なんだろうけれども、音楽を聴くとか、あるいはこうして思索しながら文章を書いているのもそのひとつなんだろうと思う。

この前の臨時帰省の入院の一件みたいに、「本当に必要な時」が、あるかもしれないからだ。

そして、実際のところ、それは音楽の演奏にも役に立つことが、だんだんわかってきた。まだ、上手く使えるとは言えないが。試している段階である。

また、たとえば寝ている時とか、夢の中でも、ずいぶん色々な情報というか、色々なレクチャーを受けていることも、ちょっとわかってきた。良いタイミングで目が覚めれば、無意識の中だけでなく、ちゃんと書き留めておくことも、時々できることがある。音楽制作の時のEQにおける周波数の扱い方とかはもちろんだが、たとえばオーバードライブのペダルや音響機器に使われるオペアンプみたいな細かいものについても、「天国の講座」ではレクチャーしてくれる、なんて信じられないが、そんなに細かいことまで教えてくれるようだ。
びっくりである。

でもそのほとんどは、無意識の中に落とし込まれるのだと思う。
だから無意識のカンってやつは、賢く使って有効に信じるべきものだと思う。
人生において、大事な選択ってやつは、考えるよりも前に、あるいはひょっとすると生まれる前に、すでにしてしまっていたりするのだから。

No(4952)

■…2017年10月30日 (Tue)…….Experiment in the studio old creek
たとえば僕はなぜ、昨年の4月、まさにこれから”Jesus Wind”のギター録りを始める、というその時に、Shoalsに出会ったのだろうか。

Shoalsというペダルは、本当に不思議なペダルというか、オーバードライブというくくりの中でも、不思議な立ち位置のペダルだと思うが(いまだに意味がわからない)、それに上手く出会えたということが、これがまた意味がわからない。世の中にいったいどれだけのオーヴァードライヴのペダルが存在すると思っているのか。

しかしそんなことを言ったら、なぜ僕は若かりし頃に、うちの嫁さんに出会って、しかもまったくわけのわからないままに、いきなり恋人同士になってしまったのか。
思い返しても、まったく意味がわからない。
別に「かわいい、よし、あの娘と付き合おう」とか思ったわけではない。なんかしらんが、気が動転し、わけがわからなくなり、気が付いたら既に付き合っていた、という感じである。きっと、結婚にせよなんにせよ、惚れるっていうのはみんなそういうものなのかな。

これも、ずっとしたいと思っていたことなのだが、Shoalsの製造元であるHeavy Lid Effectsさん、具体的にはAaron Colemanという人物だと思うが、そこに、「こんな素晴らしいペダルを作ってくれてありがとう」とメッセージを送ってみた。わりと熱烈なやつを(笑)。ちゃんと返事が来たので記録しておこうと思う。

さて、機材トークというか。
今、僕らのバンドは、やっと”Jesus Wind”のCDが何百枚も、予定どおりいけば、今週にも出来上がってくるので、リハーサルの際にクラウドファンディングの発送用に、ひたすら皆でサインをする、という仕事がある。

そしてそれが終わったら、今月、来月、というか11月には、やっとというかついに、”Overture”アルバムのドラム録音に取り掛かる。
そのドラム録音についても、どういったセッティングで行うか、どういった機材を用いるか、書き記したいところであるが、今はまだその機会ではない。

そういった節目をまた迎えるわけであるが、
そこへ持ってきて、私は今、「鍋島」の「デモ歌」を歌わなくてはいけない。
これは、どうしても今やっておかなくてはならない作業だ。
それはつまり、先の保証がないからこそ、今やらなくてはならない。

つまり、Imari Tones (伊万里音色)としての究極の音楽的な到達地点である「鍋島」、それは2枚組24曲としての形になる予定だけれども。
それの、作曲の骨組みがすべて完成したのが2015年の夏。7月だったかな。
そして、それをインストゥルメンタルのデモの形に作り上げたのが2016年の夏。
それに歌詞をすべて書いたのが同じく2016年の9月。
そして、今年2017年の1月に、それに「仮歌」を付けたのである。

「仮歌」と呼ぶそれは、狭いアパートの部屋で、小さな声でメロディをささやいて、ささやき声の発声で収録した仮のヴォーカルトラックのことである。

それは、メロディを確認するためのものであって、人に聴かせるためのものではない。もっとも、狭いアパートで、小さな声で発声したからこそ、音量の小さなミックスヴォイスで、ある意味力みのない自然な歌唱になっている面もある。だが、ダイナミックマイクにかじりついて収録したために、どっちにしても音質面では無理があるものだ。

だが、この「仮歌」からもうひとつグレードアップさせて、「デモ」として人に聴かせることのできる形にしておきたいのだ。
それはつまり、「デモ」という名前の作品として発表することが出来るように、である。
もちろん「デモ」であるから、完璧でなくても構わない。
コーラスというかハモりのパートも付けない。
だが、音楽的な内容は人に伝わるようにしたい。

それはつまり、この「鍋島」を、きちんとバンドで鳴らし、またしかるべき形でレコーディングして作り上げるために、いったいどれだけの時間が、年月が、かかるかわからないからである。それほどまでに「鍋島」は遠いものだ。ほとんど途方に暮れている状態というのが、向き合っている私の気持ちである。

だから、あるいはひょっとして、自分が生きているうちに、これをきちんと作り上げることが出来ない可能性がある、または単純に、人間いつ何があるかわからない、そういったことを考慮して、今この時に、「デモ」という形式でも構わないから、最低限、音楽的な内容を伝えるために人に聴かせられる形にしておきたいのである。

たとえデモとは言っても、やはり24曲、いやうち2曲はインストだから、22曲を歌い上げるのは、やっぱり大変なことだ。仮歌は一度歌っているから、簡単かな、と思ったけど、やっぱり大変みたいだ。小さな音量で歌うのも、それはひとつの技術だけれども、やはりきちんとそれなりの音量で表現し歌うとなると、発声とかノドにかかる負担も違ってくる。そしてそもそも、やはりその歌唱の内容は難しい。なんたって究極の到達点なわけだから。

スケジュールにもよるのだけれど、ここで、ありがたいことに、Calling Records関係のスタジオを使わせてもらっている。いつものリハスタもきっと使うだろうけれども、あと何度かはそのCalling Records関係のスタジオをお借りするかもしれない、その「デモ歌」を歌うために。

そのスタジオは、僕の自宅からはちょっと距離があるので、今まであまり利用する機会がなかったのだけれど、この機会に使わせていただいている。

本当にありがたい話であるけれども、Calling Records関係のある方が所有するそのスタジオには、かなり素晴らしい機材が置いてあり、自分の勉強のためにもそれらの機材を試してみたいとかねがね思っていた。

まずはギターアンプといったところであるが、これが何台もあるのだけれど、先日、3つほど試させていただいた。

詳細に書くとやたら長くなるに決まっているので、なるべく簡潔に記載するとこんな感じだ。

ENGL
そのスタジオに置いてあったのは、後で調べたところによるとなんとENGLのフラッグシップモデル、一番高いやつであった。試す前に値段を見なくて良かったと思う。怖くて触れなくなってしまうだろうから。知ってのとおり僕はアンプは好き嫌いが激しく、ENGLは正直あまり好きではない。しかし、さすがにフラッグシップモデルということでこのアンプは出せる音の幅が非常に広く、その中には「これなら使えるかな」という音もあった。けれどやはり、8割方は「無理」って感じだ。後でインターネット上でマニュアルをチェックすると、どうやらクラシックモードっていうのがあるらしい。それは気が付かなかったので、また機会があればクラシックモードにしてどんな音になるのか試してみたいと思っている。しかし、ENGLのE765 RetroTubeっていうのは、プラグインを通じてかなり知っているから、それと同じ感じになるのであれば、「結構好きだし、実際使えるけど、でもストライクゾーンには入らない」という予測なのかなあ。

Soldanoによって改造されたJCM800
つまり、Soldano改造ってことは、その当時のものであり、これもつまりそのへんのライヴハウスにある「リイシューの800」ではなくて、当時のオリジナルの800ということだと思う。「手強い方の800」っていうやつだ。
ハイゲインのチャンネルについては、なんというかまるっきりソルダーノだった。つまり、SoldanoっていうのはやっぱりMarshallが基本になっているってことなんだろうね。当時必要とされたあの時代のハイゲインというか。すごいタフな音色なんだけれど、曲とか用途を選ぶというか。僕は自分のバンドの作品においては”Heroes EP”において、Soldanoのモデリングプラグインを使用したことがあるが、その時は上手くいったけれども、音色として、自分の楽曲に必ずしも合うというわけではない。また、既に方向性の定まった、完成された頑固な音色なので、ペダルでブーストしてキャラクターを変える、ということもしづらい。基本的にはアンプ直でやはり使うものだと思う。
ローゲインのチャンネルについては、おそらくはあまり改造されていないのではないかという印象を持った。いわゆる若干マディな、オリジナルのJCM800そのままの印象で、寿朗さんのローゲイン800とか、bx_rockrackのやつと同じ印象だった。これはこれで、ペダルを突っ込んで使えないことはない。

Matchless
僕はマッチレスに関しては、あまり使ったことは無いが、唯一、”Welcome To The School”の録音の時に、いくつかの曲で、あるいは、”God Has No Name”っていう曲だったかな、真空管ブースターからパラで出して、アンプを二台同時に鳴らして、そのうちの一台にMatchlessを使ったことがあった。それはもちろん、真空管ブースターを通っている音なので、フェアな比較はできない音だったけれども、グラッシーで面白い音になった。
で、こうしてあらためてマッチレスを鳴らしてみたら、これはだいたいBassmanという印象を受けた。だいたいベースマンというか、使い易くしたモダンなBassmanというか。まぁ、Marshallもそうだけれども、Fenderのアンプというのが永遠の基本になっているのはどこでもそうなんだろう。
なんていう機種だったのかは知らない。

もうひとつメモをしておくと、歌を録音する、ということで、もちろん自前のマイクも持っていったんだけれども、そのスタジオには定番のノイマンがあるので、少しだけ試してみた。U87 Aiってやつだと思う。

僕は実は、この定番のノイマンのマイクはたぶん今まで使ったことがない。
今まで自分で歌って録音に使ったことのあるマイクと言えば、CAD E-300、およびその後継機種のE-300s。これらは自分にとって最高の相性のマイクであることは間違いない。Yプロデューサーのところで歌った時はAKG SolidTubeだったし(あまり合わなかった)、ドイツでサシャ氏のところで歌った時は、よく覚えてないけどGrooveTubeかなんか、だった記憶がなんとなくある(問題なかった)。あとはこれも安価な定番のRODE NT-1、NT-2、NT-2000とか、どれも使ったことがある。RODEは別に悪くなかった。特段良いってわけでもなかったけれど、どちらかと言えば印象は良い。あとはダイナミックマイクになるけれどもPeavey PVM22ってのを使っていたこともあるし、Audix OM-5は今でも所有している。
どちらかというと、ヘヴィメタルの文脈の中で、軽い声質を生かすためにハイの抜けやキレの良さを重視する傾向があるので、それでハイ上がりのRODEのマイクなんかも印象が良かったんだと思う。
CADなんかはハイのキレの良さと中低域の解像度を持ち合わせていたので相性は最高の部類だったんだと思う。(たとえば今年の始めにラップの曲で石川ヨナの録音をした時には、E-300sはすっきりし過ぎてヨナさんの声とは相性悪かった、汗。後でOptCompのプラグインで太さを演出したけれども。)

とかく声は相性ってやつがあるので一概に言えないものではある。
だが、ちょっとだけノイマンを試してみて、確かにシルキーな高域とか中低域のふくらみは感じたものの、いまいちふくらみすぎる感じがして、自分には合わないかな、と感じてしまった。親密な存在感を出したい女性ヴォーカルとかには良いんだろうけれども。実際に1曲仕上げてみないとわからんかもしれないが。
けれどもコンデンサーマイクについては、個体差というわけではないが保管状態などもあるので、これがフェアな評価かどうかはわからない。
でも今のところは、”Jesus Wind”のヴォーカル録りにも使った「再会の愛機」であるCAD E-300sを信じてみたいと思っている。

そいで、オーバードライブの話をまた書きたかっただけなんだ。
Shoalsを、たとえば普段、家でも、パソコンの中にあるTubeScreamerとか、Ignite Amps Tyrant Screamer (かなり良い)とか、Kuassaのオーバードライブとかと比較していて。

たとえばKuassaのオーバードライブのプラグインも、いろいろな優秀な名機をモデリングしているのだろうから、いくつかの点でShoalsを上回る音が出るんだけれども、総合するとやっぱりShoalsの方が良くなってしまう、というか、少なくともどれも良い勝負にはなる、で、最後には音のキャラクターでShoalsの方を選んでしまう、みたいな。

そうやっている時点でもそうだし、これまでも他のペダルと比較してみて。単体で鳴らすとダメかな、って思ってもバンドでアンサンブルの中で曲を弾いてみるとやっぱりShoalsの方が良かったり。

で、今回も、スタジオに、その方の使っているオーバードライブがあったので、お借りして比較してみた。

それは、Darkglass ElectronicsのVintage Microtubesであったから、
後でよくよく見てみたら、実はベース用だったんだけれども。
きっとその方は、アコギなんかにも使っているんだと思う、たぶん。

でも、YouTubeのデモとか見ると、Darkglassの人が「ギターにも使えます」って言ってるし、ギター用としても良い、とか言ってデモ動画があるので、ギター用としても良いんだと思う。

っていうか、比較したら、すげえ良くて(笑)
普通にぶっとい系のブルース弾くとかのトランスペアレントオーバードライブとして考えたら、Shaolsはどこを取っても足下にも及ばないわけね。

特にFenderというかMatchlessに突っ込んだ時とかは、圧倒的にShoalsの負けな訳さ。
でもこれが不思議なことにMarshallに突っ込んだら、その評価が逆になっちゃう。
あとはMatchlessに突っ込んだ時にも、自分のバンドで自分の曲を弾く、ってなって実際にライヴを想定したセッティングを作ってみると、やっぱりShoalsの方がいい。
不思議なものでね。自分が自分の音楽をやるときに、実用性があるか、機能するか、っていう、そこのところが。

でもDarkglassはそもそもベース用ということだから、良くも悪くも、ローエンドが太いままで残ることが影響しているのかもしれないし。原音を生かしたまま太い音圧が出るところも、きっとベース用ならではのレンジの広さが。

けれども、なんにせよ、こんな圧倒的な性能と音質を持つペダルと比較して、それでも実用ではShoalsの方を選ぶ、ってなっちゃうわけだから、これはもう、これ以上どんな高級ブティックペダルと比較しても、おんなじだろうな、って。

もういいや、って思っちゃった。
難しいもの、オーバードライブって。
星の数ほど種類があるし。
使い方も難しいし。

縁があったものだけ試せばいいや、って。

でも本当に不思議なペダルなんだよ、Shoalsは。

前に更新してから、自前のオリジナル・プリセットメモにも新たな項目がふたつくらい増えている。

決してトランスペアレントなオーバードライブではないんだけれど、オーバードライブらしいオーバードライブというか。オーバードライブの醍醐味にあふれていると思う。

キレがいいのに、太いというか。決して鋭い音ではないけれど、あったかい。
ハイポジションで単音のソロを弾いても、低音がちゃんと付いてきてくれる。
なにしろセッティングが難しくて、なかなか良い音を出せないと思うこともあるけれど、他の定番のペダルと比較しても、セッティングを詰めれば、だいたいおんなじ音が作れる。

そして、なんか知らんけれども僕のニーズにはばっちり応えてくれる。昔の曲も、数年前の曲も、今やってる曲も、全部これでやれる。僕の中では右から左まで全部カバーしてくれる。圧倒的にバーサタイル。

運命的に、たとえばこれまで愛用してきたCranetortoiseのDD-1(手放しちゃった、これもヴァーサタイルで難しいライオンディストーション)、とか、真空管ブースター(VT-2B、と、あと2色)と同じように、というか、それ以上に自分にとって愛用できる運命のペダルになってきた気がする。

と言いつつも、今日使っていたら、小さな不具合が見つかって、ちょっと分解しちゃった。意外と中身はシンプルだった。回路の知識ないから部品とかよくわからん。でも写真は撮ったから後で見てみる。たぶんその小さな不具合は直ったと思う。

本当に使い方の難しいペダルだと思う。
不思議だ。
意味がわからない。
よくこんなもの作ってくれたと思う。

ちなみに、そのAaron Coleman氏にメッセージ投げたら、返事返ってきた、その内容。

いわく、
この一年半というもの、制作する時間が取れていない。(なので休業状態である)
だが、将来的にはブランドを再開させたいと思っている。
新しいデザインのアイディアがたくさんある。

とのことであった。
注目して、楽しみにしたいと思っている。
まぁ個人ビルダーのブティックペダルを買うお金なんて、あんまし無いけどね(笑)
でもチェックしようと思うよ。
きっと、こういうの大事だからさ。

俺が欲しいのは、所有欲を満たすような高級ペダルじゃなくって、
また、オンラインのフォーラムで自慢するためのアイテムじゃなくって、
他人の目から見て評価の高いプレミアモデルでもなくって、
自分の音楽を鳴らす、作る、その現場で自分の役に立ってくれる道具。
自分のために作られた、自分の人生を助けてくれる道具。
なおかつ、一人で鳴らして満足するんじゃなくて、バンドで鳴らして結果が出る機材。
そんなものは、あんまし無いんだよ。
だから貴重なんだ。

No(4953)

■…2017年10月30日 (Tue)…….肖像と風景
音楽というものは難しいもので、
たとえば、名声も実績もある作曲家が、完璧な曲を書き、
完璧なプレイヤーが、完璧な楽器を弾き、完璧なマイクと、完璧な機材で録音し、完璧なシンガーが歌って、完璧なエンジニアがミックスし、高級な機材を駆使して完璧なマスタリングが施される。
その結果、ひどくつまらない作品ができあがる。
なんてことは、きっとよくあることだと思う。

だからこそ、身の丈に合った、自分らしい選択をして、ここにしかない音を、自分らしい作品を作っていきたい。

No(4954)

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