このリンク先のビートたけし氏のインタビューが味わい深い。
こちら
「恋い焦がれる」楽しさと悲しさ 70歳ビートたけし「純愛」を語る
自分のバンドの、音楽人生の節目で考えていること、この前のうちの嫁さんの若かりし頃の姿、いまだに時折聞くことのあるs.m.さんの音楽、そしてこの前のMs.Overtureの事件など、をきっかけで、こういう話題についつい触れてしまう。
お酒を飲んだら誰かに聞いてほしいところなのだけれども(笑)、
僕は13歳の頃、ある一人の女性に出会った。
不思議なことだが僕はその女性の、たとえば小学生の頃の姿もなんとなく知っている。だが、それはまた別の話である。さかのぼって話し出すときりがない。
その女性はつまり僕がこの日記で呼称するところの[s.m.さん](と表記することが多いと思う)のことであるが。
僕は17歳の頃、その女性にラブレターを送った。熱心でわけのわからないラブレターである。今の時代にはもうそんなものは無いかもしれない。だが少年がラブレターを書くことに不思議は無いかもしれないが、内容は何を伝えたいのかさっぱりわからないものだったと思う。おそらくはラブレターとすら言えないものだった。
なぜその女性にそんなラブレターを書いて送ったのか、僕はその理由が自分でもぜんぜんわからなかった。
なぜ、初恋のその女性(この冠は事実であるので献上したい)のことが、いつまでもそんなに脈絡もなく気になるのか、自分でも「おかしい、変だ」と不思議に思っていたのである。
別に付き合いたいとか、そういうのでは必ずしもなかったと思う。
ただ、何か、とても伝えたい大切なものがあったのだと思う。
少なくともその時の自分はそう感じていた。
その伝えたい大切な「何か」とは何だったのか、歳を経た今、僕は以前より多少はっきりとわかるようになったし、今の自分はそれをもう少し上手く伝えることが出来るだろう。もちろん、人が人に対して何かを「伝える」ということの絶望的な距離を目の前にして途方に暮れることは変わらないにしても。
僕はその手紙のやりとりをした直後に、確か、”Seventeen’s Requiem”という曲を書いた。自分のバンドの名義の作品の中では、その後、一人宅録時代の作品である”Entering The New World”にその曲は収録してある。
先日、古いビデオテープをデジタル化したと書いたが、2007年の「Tone – はらっち – ババくん」時代の貴重なライブ映像が出て来て、びっくりしたのだが、その時の2007年6月のライブが、その「Seventeen’s Requiem」をバンドでライブ演奏した、今のところ最初で最後の機会だと思う。メタル系のイベントだったのに、あまりにも青くてピュアな青春ソングを歌い上げてしまったので、めっちゃ浮いていたと記憶している。またいつか演奏したいと思ってはいる。(アコースティックで演ったことは何度かあるはずだ)
[Seventeen’s Requiem]は、必ずしもラブソングではなく、またその女性のことを直接的にモデルにした曲でもない。それは少年の心の内面を題材にした曲であって、純粋に青春を歌ったものだ。けれども、その[s.m.さん]に間接的にインスパイアされて、また「捧げた」曲であることに間違いはない。歌詞が、ものすごく青くて恥ずかしいんだけどね。でも、敢えてそこは変えていない。
もちろん、その女性(s.m.さん)をモチーフにして書いた曲は、他にもいくつかある。[丘上烈風]なんかはわりとモチーフにしたし、もっと後になると[A Girl in the Mirror]の歌詞なんかも多少影響を受けている。
しかし、そんなことを言ったら、うちの嫁さんの影響で出来た曲とか、うちの嫁さんに献じた曲は、それこそもっといっぱいある。数えてたらキリがないくらいだ。
18つーか高校3年の秋に書いた、今年「完成版」のヴォーカルをやっと録音したところの「I」なんかはその最たるものだし、その高校生当時、雨で嫁さんとデート出来ない日にユーミン(荒井由実)みたいな曲が書けてしまった「雨の日の妖精たち」とか(そのリフは、今度制作するOvertureの中の、Mistakeという曲でリサイクルしている)。
“Revive The World”の最後のトラックである”17years”っていう曲なんかは、その”Seventeen’s Requiem”の続編のようにして書いた実体験をもとにした曲で、ものすごくストレートに嫁さんに捧げているし。それこそ、That’s why I love youとか、他にも挙げていったらキリがない。
ていうかそもそもバンド名とか、音楽そのものを嫁に捧げている状態だしね。見ればわかるように。
もちろん、クリスチャンバンドになってからは、「神へのラヴソング」が圧倒的に多くなったのは言うまでもないことだけれども。
だから、よく皆さんにお話するエピソードとして、「奥さんはどうしてクリスチャンになったんですか」っていう話で、俺が嫁さんに対して「僕、ちょっとクリスチャンになろうと思うんだけど、君も一緒にどう?」って聞いたら、「うん、わかった。私もなる。」みたいな、そんな軽いノリとか、そういう笑い話みたいにいつも話しているけれども、そのへんも、こうして話すとわかってもらえるんじゃないかと思う。(わからんか。笑。)
つまり、僕たちにとってはおんなじことだったんだよね。
愛を信じたり、お互いを信じたり、そういう希望とか運命みたいのを信じることと、
神を信じるってことは。
だから、なんにも違和感なかった。
ああそうか、神はキリストだったのね、この、ずっと前から僕らを上から見守っていてくれていたところの神は、イエスさんやったんや、と、そう気付いただけの話。
話が逸れとるな。
で、どちらにせよ、僕は17歳の折。その初恋の女性であるところの[s.m.さん]に、それはそれは、よくわからない、不思議な内容の、ラブレターをお送りした。
自分でもその理由がよくわからないままに。
で、俺はその時の気持ちを曲にして、その後、その女性を曲のモチーフに使わせてもらうことも何度かあった。
が、その当の相手である[s.m.さん]も、僕のこと、というか、この事柄をモチーフにして作品を作り、そしてこの時僕が書いたラブレターの内容も、けっこうそのまんま、曲にしていただいた。
その後の活動をフォローアップしてないし、チェックしなければ、と思ってはいるのだが、なかなかそれだけのことにも勇気が必要なので、
だからチェックしてないが、今でも俺は、s.m.さんのファーストアルバムは、当時のローカルなインディーシーンのヴァイブを色濃く反映した、とんでもない名盤だと思っているし、全曲ゲスト参加の発想で作られたにぎやかな2ndはもちろんのこと、その「遅れてきたラブレターの返事」とも取れる、パーソナル感を打ち出した3枚目も、素晴らしい作品だと思っている。
その後の、その当時のピコピコ(ヘビメタ、と同じくらい差別的か、苦笑)シーンの誰が有名になったとかならないとか知らないが、そんなの関係なく、俺はあれは素晴らしかったと思っている。
まさか、私がその女性に「初恋」なんて貴重なものをした理由が、そんな「音楽的な理由」だったとはつゆも知らなかったし。特に、その13とか思春期の頃には。
そこに音楽があり、彼女が音楽(アート)であったからこそ、私は恋をしたのだ、ということに。
いつも思っていて、仮説として何度も話していることではあるが、
たとえば、僕が少年の頃、もう少し、自分に素直になれる男の子であったら。
たとえば家庭環境や、育ち方の問題で、もう少し、愛情に対してまっすぐに向き合える少年であったなら。
そして少年時代の、自分の「自我」の目覚めが、もう少し早かったら。
自分の人生は今とは違っていたかもしれない、と思う。
俺は少年時代の夢、目標、のとおりに、法律家の道を歩めたかもしれないと思う。
バンドなんてやらなくて済んだかもしれない。
そしてまた、あるいは同様に、彼女も音楽をやらなかったかもしれない。
そして・・・世界はどうなっていただろうか。
今と違った世界になっていただろうか。
けれども、現実には、こうして僕のとなりには「うちの嫁さん」が居て、
[s.m.さん]は2000年代のインディーシーンを彩ったエロクトロポップ系のシンガーであり、
そして僕は日本でほとんど唯一のクリスチャンヘヴィメタルバンドをやっている。
それもひとつの結果には違いない。
どちらにせよ、結果というのは、音楽的なことだ。
絵に描いたような優等生でありながら、誰とも友達になれないいじめられっこであり、また既にヘヴィメタルの洗礼を受けていた、そんな13歳の思春期の少年にとって、そこに好きになれる女性が一人いる、というだけで、どれほどの大きなことだっただろうか。
黄金時代のヘヴィメタルのサウンドと相まって、その女の子の存在こそが、数年かかって僕の自我を「叩き起こした」のである。
それは、その女の子が非常に魅力的な女性だったからだ。
誰でも良かったわけではない。
特別な人だったからこそ、僕に対してそんなことが出来たのだ。
それを証拠に、彼女は私が一人のインディーミュージシャンとして、心から共感し素晴らしいと思えるような、そんなインディーアーティストになり、素晴らしい作品を作ったではないか。
そこにはいつでも音楽があった。
だからいつも言っているように、僕は理想的な少年時代を手に入れることは出来なかったけれども(S.M.さんのタイムラインの意味では)、
音楽的には、これはおそらくはベストの未来だった。
そして、いつも言っているように、
うちの嫁さんはヘヴィメタルだ。
だから、俺は決して、ヘヴィメタルが好きだなんて、素直には言えない人間だけれども、
たとえそうであったとしても、ヘヴィメタルの方で、俺を選んだのである。
ロックの女神が、
そしてヘヴィメタルの女神に、俺は選ばれたのだ。
だから、日本人でありながらクリスチャンメタルなんていう、難しいことをやっている。
そういう使命を割り振られたから。
–
書いておきたかったのは。
では、俺は[s.m.さん]に対して、何をしたのだろう。
何も出来なかったけれども、何かをすることが出来たのか。
あのわけのわからない内容のラブレターは、いったい何ためだったのか。
そして、その後、彼女の1stアルバムを聴き、僕はなぜ、彼女に会いに行き、レーベルの人たちと知り合い、そう、思い出した、そこで何をやって、それはつまり、俺は、聴きたかったからだ、続きが、もっとやってほしかったからだ、音楽を、彼女に。そのために俺は、自分の足で動いてみたのだった。
俺は単純に、その続きの音が聴きたかったのだ。
どっちにしても、2ndと3rdは、それで聴くことが出来た。
だから俺が、その女性に対して、あげたものは何だったのか。
それはつまり、少年の純情というやつだったのだと思う。
決して、どこにも売っているものではない。
言葉にして説明できるものでもない。
でも、音楽の中から、感じ取ることは出来る。
わりと貴重なものを、あげてしまったと思う(笑)。
She, of course, deserves it.
–
–
自分の音楽人生の節目を前にして、
フォローアップをすべきかと、考えないこともない。
曲はある。十分にある。
歌ってくれるシンガーはなんとなく探してはいる。
これまでもフォローアップをまったくしなかったわけではない。
けれども、タイミングも距離もある。
必要ないんじゃないかなとは思っている。
でも、作ってしまった音は、何かの形で歌われなくてはならない。
誰か歌ってくれるだろうか。
決定打となるシンガーには、未だ出会っていない。
(註: うちの嫁さんは、ひどい音痴である)
–
–
そんなふうに、僕の人生において、そういう要素は、およそ人生の最初の頃にだけ、少しだけあった。
だからこそどんなことにせよ、子供の頃のこと、少年の頃のこと、俺は大切だと思っている。
大人になってから、とか、そういうのは、全部、人間の都合というか、大人の都合だからだ。
楽器の演奏にせよ、スポーツにせよ、教育ひとつとっても、大切なことは結構、子供時代であるとか、少年時代に、存在している。
大人になって、社会的地位も得て安定して、適齢期になって、じゃあお相手を見つけましょう、とか、人間というものはそんなふうに都合よく出来てはいないと思う。
そんないきさつだから、僕は、二十歳を越えてからというか、大人になってから、女性に惹かれたことがない。わかりやすく言えば、恋をしたことがない。それは、僕みたいに世間との距離が遠く、世の中そのもの、とか、時代そのものに、距離を感じて、それが人生の前提になってしまっている人間にとっては、そんなに不自然なことではない。
けれども、人として、それは不幸せなことだな、と思うことはある。
それは社会そのもの、世界そのものに、最初から幻滅している、ということに他ならないからだ。そもそもこの国、この場所、この時代に生きている女性に、魅力を感じない、ということは。
寂しいことではある。
(以前、オオハラ氏にこの話題をちょっと話したことがあったが、言葉が足りなかったので、たぶんなんか誤解されている、笑)
そんな折に突然起きた[Ms.Overture]と霊的能力の顕現の事件は、ちょっとした小さな点ではあるが、面白い出来事ではあった。
あれは霊的な事象を通じての間接的な疑似体験だったので、つまりは自分ではなく他人の感覚を一時的に体験しただけだったので、自分の中の恋愛感情のカウントには入れないけれども、そうであっても、ふーん、そうか、中年になってから若い女性を好きになるとこういう状態になるのね、という「気分」を疑似体験することが出来た。
それは気持ち的にというよりは、霊的現象だったから、そっちの方が苦しかったけれども、おかげでXTCのApple Venus Vol.1のアルバム後半の曲をよく理解することが出来た(笑) これは結構、俺としては重要な収穫なのである。
どちらにしても、「そんなに素敵な女性がいるのならこの世界もまだまだ捨てたもんじゃないな」なんて思えたら、それだけでも良いじゃあないか。
俺はその人物の、容姿は知らんが、内面は信じたい。知らないからこそ、その貴さを信じたい。
だって、神の愛ってそういうものだろうから。
–
–
神の愛を誰かが伝えなきゃいかん時、
誰に対しても、それは皆にエブリワン伝えなければいけないのだが、
愛なんてものの希少性を思うとき、
じゃあ美人だから伝えなくていいよね、ってわけにいかないので、
しかも誰かが幾人もの人間が、一人の人間の人生の中で、幾人かが担当して何度も伝えなきゃいかんものであるから、
霊の命によってそのチョイ役を振られただけのことである。
もっとも、俺はその「少年の純情」ってやつはs.m.さんにあげてしまったし、
その後の愛情はほっとんどすべて四六時中うちの嫁さんにプレゼントしているので、
人にあげられるような愛情はあんまし残っちゃいない。
だからせめて音楽をやっているんだと思うんだけれど。。。。
魂の義務として。
—
いまどきのインディーバンド、特にメッセージのあるバンドは、
70年代とか80年代じゃないんだから、
ファンと親密な関係にならない方がいい。
これはいろいろを見ても事実だと思う。
そういう時代じゃないし。
けれども、歴代においては、そういうバンドだから人気が出る、ということも事実なのだし、つまりバンドをやる、ということの、もっとも共通した目的は「女にもてたい」ということであり、ロックバンドの求心力は、その一点にあることがほとんどだからだ。
そのへんにおいて、うちの「わかりにくさ」は、最初から認識している。
はなっから全部嫁さんに捧げてんじゃん、っていうのが、まるわかりなバンドでもって、何をしたいのか、普通は理解できないだろうし、そういうケースがほとんどだった。
うちのバンドのステージや、ウェブサイトとか見て、怒り出す人がいる、っていうのは、わからないではない。
つまり、客商売としてステージの上に居る演者は、客に媚びることがサービスとして必然の業務だ。
媚びることが当然になっている世の中で、逆のものを目にした場合、人は怒り出す。
クリスチャンバンドになってそこの状況はわりと改善したが(笑)
お前は何になりたいんだよ、みたいなことは、きっとあると思う。
ロックスターになりたいのか、人気者になりたいのか、成功したいのか。
全部、答えは、ノー。
その時点で、すでにほとんど人の理解の範疇からは外れる。
バンドやってるのに、寺沢武一のコブラの真似して「人気者になるためにやってるわけじゃないからな」って発言してしまう。バンドの評価って人気だろうに。
じゃあお前は何になりたいのか。
何になりたくて、こんな気の遠くなる、まわり道みたいなことをずっとやってんのか。
その答えは、ずっと前にすでに提出しているつもりなんだけれどな。
–
–
なんにせよ、このビートたけし氏のインタビューにおいて、
氏の書いた小説の内容に触れて、
肉体関係がなくても、相手と一緒にいたい、という感情というか内容につれて書かれている。
俺はそういった世間一般の「草食」みたいなあれこれについては賛成でもあり反対でもあり、両方あるけれども、
そのことはともかくとして、
僕はこれよりももう一段、上の感情を知っている。
つまり、側にいられなくても構わない、という気持ちである。
太陽って知ってるだろうか。
日本語がおかしいな。
太陽はみんな知っているはずだ。
昼間に、晴れた日に、頭の上でかがやいているあれだ。
愛情ってやつを究めるとあれになるんだと思う。
側にいなくてもいい。そもそも太陽だから肉体関係とかそういう話ですらない。
ただ、あの人のことを照らしていたい、って。
あの人の行く手を照らしていたい、って。
ああ、そうか、って思ったんだよね。
だから太陽は輝いてるんだな、って。
–
なんかの宗教において、
たとえばモルモン教とかでも、怖いから知らんけど、
死後にどうなるとか、ああなる、とか、
いろんな教義が宗教によってあるんだと思うけれど、
だからって、実際にそうだとは思わないけれども、
太陽にせよ、地球にせよ、風にせよ、水にせよ。
太陽が輝いてるのは、
風がそよぐのは、
水が流れるのは、
愛のせいなんだな、って。
つまり、誰かが思ったんだよ。
強い愛情で。
大きな愛情で。
自分は、あの人のことを照らしてあげたい、って。
あの人の渇きを、潤してあげたい、って。
その結果、太陽が輝いてる。
せせらぎに水が湧き出している。
で、太陽は、別に一人の人間だけじゃなく、
地球上の誰のことも、わけへだてなく、全員を照らし、全員に光が降り注ぐじゃない。
何の差別もない。
そういうことなんだな、って。
愛ってすごいんだ。
だからね、あんな素敵な人のためなら、照らしてあげよう、って
その一人の女の子のために、太陽は輝き、地球人類は滅亡を免れているのかもしれない(笑)
そして逆に、そんな素敵な人のためなら、あんなまっすぐなやつのためなら、今日も地球を照らし出してやろう、って、
そんなふうに思わせるような、素敵な人間が、一人でも二人でも、この地球上に増えたら、
世界は続いていくかもしれない。
だから星が輝くのは愛ゆえなんだ。
太陽が昇るのも愛ゆえなんだ。
夜空の星が、一瞬、きらりと光って、それが、何億光年もの時を経て、地球に届いたのは、今、君のために、君の頭上で、またたきかける、そのためだったかもしれない。
そのためだったら、その愛は、光は、何十億光年も旅をする。
そして、その価値はきっとあるよ。