PWR BTTMの一夜にしての凋落について書いたけれど、
このバンドの音楽について、僕が個人的に思っていること、思ったこと、
あとは、今回の事件に際して、いろいろと考えたことを書き記しておきたい。
きちんとした文体で書いている余裕がないだろうから、
箇条書きみたいにしてみようか。
いくつかの記事の表現にあったように、Too Good To Be Trueだったということは言えるかもしれない。
パンクの宿命として、本当に美しい瞬間というものはやはり短かったのではないか、とも言える。
2ndアルバムの”Pageant”は、1stと比べて、一撃必殺のキャッチーさは若干薄れている印象もあるが、内容の深さとか広がりは、あと洗練とかは、確かに1stを上回っている作品だという印象を持っている。
このバンドが、もし続いていったとしたら、さらに音楽性を広げ、深化していったのか。それとも、やはりパンクの宿命で、一瞬のきらめきに終わっていたのか。
結果として短命に終わった彼らは、美しいままで記憶されることで、かえって幸せだったのか。
いずれにしても、現実に、Ben Hopkinsが「問題のある人間」であって、現実にこうしてPWR BTTMというバンド、アーティストが事実上「消滅」してしまった後となっては、考えざるを得ない。
バンドが、その役割、音楽的、または社会的な、役割を、今の時代の世の中で、達成することの難しさを。
PWR BTTMは素晴らしいバンドだった。
それは、俺はもう、間違いなくそう思っている。
今度の騒ぎで、ストリーミングで聴けなくなり、しょうがなく1stと2ndのフィジカルのCDを買ってきちんと聴いてみると、その素晴らしさが本当によくわかった。
こんなバンドは、そうそう出てくるものじゃない。
そして、そのQueer Punkなんていう、クィアーだかゲイだかわからないが、そういった特別な立ち位置も含めて、
特別な魅力と、人をひきつける力を持ったアーティストだったことは間違いない。
けれども、そんな素晴らしく特別なバンドをして、結局は本格的なブレイクを目前にして挫折し、消えざるを得ない状況に追い込まれた。
今の世の中は、バンドに対して、音楽だけでなく、人間的にも、聖人君子であれとでも言うのだろうか。
そして、PWR BTTMみたいな、希有な才能と魅力を持ったアーティストであっても、「まだ足りない」とでも言うのだろうか。
これほどのバンドをして、結局は、その「役割」を果たすことなく、舞台から消え去った。
それとも、早い退場のように見えたとしても、彼らは本当は、もう十分に役割を果たしたと言えるのだろうか。
彼らが起こした波紋、騒動、話題。
彼らが消えたことで開いた穴を、つまり、キャンセルになったツアーの会場には、地域のミュージシャンとかLGBTの人たちのコミュニティによって、地域のLGBT系のアーティストとか、チャリティ的なイベントとか、組まれているという。そのムーヴメントの素晴らしさも、どこかの記事に書いてあった。PWR BTTMが風穴を開けたところに、皆がそれを協力して埋めることで、新しいムーヴメントがそこからが生み出されていくのかもしれない。
たとえば彼らにインスパイアされた性的マイノリティの少年少女たちが、音楽をはじめ、近い将来に素晴らしいアーティストになるかもしれない。
バンドが、その本当の使命や目的を達成するためには、果たして何が必要なのだろうか。
たとえば一応、クリスチャンロックなんていう変わったジャンルに身を置いている立場としては、考える。
神のため、キリストのため、なんて言っても、人間のやることは、しょせん、自分のためという枠から出られないし、そして、きっとそれでいい。
だからこそ、「神のために」、どれだけのことを求めることができるのか、どれだけのことを望むことができるのか、どれだけ大きな夢を持つことが出来るのか、どれだけ大きな目標を描くことが出来るのか。
そこを問いかけたいし、俺は、これでも、わりと、「神のため」に、嘘くさく聴こえようとも、「自らの大きな夢」を、たぶん誰にも負けないくらい、大きく描いている、と、その欲望と贅沢な欲求の深さにおいて、言える。わからんけど。いい歳して、そう言える。つまり、俺は、夢なんか描いてバンドをやっていたことは無いけれど、神のための夢なら、知らん間に描いていたと思う。
つまり、本当に「神を求める」ということは、どういうことなのか。
成功の先にある本当の成功。そして名声の先にある本当の栄誉。
それを、求めることが、果たしてできるか。
成功や名声を手に入れても、「まだ足りない」と思うことが出来るか。
つまり、地位とか財産のことじゃなく、もっと大きな意味において。
名声というものは、いつの世においても、何らかの形で悪魔との取引だということは、経験上、みんな知っていると思うのだけれど。
その意味では、バンドがその本当の目的を達成するために、「名声」なんてものは、あてにならない。
今回のPWR BTTMの事件を見ても、あらためてそう思わされた。
PWR BTTMほどの素晴らしい魅力を持ったアーティストであっても、この「名声」というものに、足をすくわれてしまったのだから。
特に今の世の中においては、名声というものはペイしない、つまり、割に合わないことが多いように思う。
「本当の目的」を達成するために、君は、僕は、それらのバンドは、果たして、十分なものを持ち合わせているのか。
そもそも、「本当の目的」なんてものを、誰が見ているのか。
それとも、そもそも、僕は、君は、ロックバンドというものに、何を期待しているのか。
だから聖人君子みたいな、理想像を求めるのか。
ヒーローになって、世界を救えとでも言うのか。
U2のボノみたいになればいいのか。
皆はマイケル・ジャクソンにいったい何を期待していたのか。
古今東西の偉大な宗教家や哲学者のように、道を究めて、大衆を救いに導けとでも言うのか。
きっと言っているんだろう。
だから君たちは、大衆は、PWR BTTMみたいなバンドを求めて、そして、その理想像に合わないと思えば、容赦なく、その地位から突き落としたのではないか。
でも、その道は、遠く、長く、果てしない。
その道を、歩こうとする人間は、果たしているか。
はなしそれた。
どちらにせよ、PWR BTTMは、音楽的に素晴らしいバンドだった。
なにがって、別にこれと言って新しい要素があったわけじゃない。
革新的に新しい音楽をやっていたわけじゃない。
でも、だからこそ、余計に凄みを感じた。
もちろん、僕の世代としては、「90年代っぽいサウンド」というのが、ツボにはまったのは言うまでもないことだけれど。
そのように、彼らの音楽は、もちろん今の時代っぽい軽いキャッチーさや、キラキラ感を備えつつも、その実際は、もっとベーシックな、エッセンシャルな、昔からのロックの文脈にのっとったものだった。
その上で、別に変わったことやってないのに、新鮮なメロディや、新鮮なサウンドや、そして独自の声を、持っていたことが、素晴らしいのだ。
彼らの楽曲は、シンプルだ。
パンクだから、と言ってしまえばそれまでだ。
だけれども、そのシンプルで、たわいもない、どうってことのない楽曲だからこそ、
その中身が際立った。
たとえば、2ndアルバムの曲だけれど、Answer My Textという、非常にくだらない曲がある。
10代の女の子が、ボーイフレンドがテキスト(SMS、つーか、LINEだよな、日本だと)に、返信をくれないことに怒る、というだけの、本当にたわいもない、くだらない曲で、僕も最初に聴いた時には、本当にシンプルで、どうってことのない曲だと思ったのだけれど、ではなぜ、僕はこの曲に、なぜかぐっときて、あげくのはてには涙が出てきてしまったりするのだろう。
そこにはいろいろ理由がある。
でも、たとえば、「俺たちが」あるいは「皆が」、がんばっているのは。
あるいは、俺なんかにしてみても、分不相応に大きな目標かかげてクリスチャンロックとか苦労してやってきたのは。
こんなふうに、世界のどこかで、(性的であれ、人種であれ、精神的であれ)、若い世代の子たちが、そしてマイノリティの子たちが、こうして普通に、何不自由なく、たわいもない日常を、過ごすためだったんじゃないかと思うと、もうどうしようもないくらいに涙が出てきてしまうのだ。わかってもらえないかもしれないが。
だから、馬鹿みたいに聴こえるかもしれないけれど、Imari Tonesが、クリスチャンロックやってんのは、地球の裏側の遠いどこかで、ゲイの子が、普通の何不自由ない生活をするため、なんて言ったら、おかしいけれど、でも究極的にはきっとそうなんだ。
そして、このAnswer My Textというくだらない曲、10代の女の子のたわいもない日常を描いているだけの曲だけれど、実はそうではなくて、つまりこれは、この曲を歌っているLiv、つまりPWR BTTMの二人のうちの、「きれいな、女の子っぽい方」だけれど、そのLivは、実際には、ゲイだかクィアーだかやってて、こんなふうな10代は、過ごせなかった。だから、これは、実際には送ることのできなかった「10代の女の子としての生活」を、彼というか彼女が、歌っているのだ、と気付いたとき、たわいもない単純な曲だと思っていたこの曲が、実はもっとそれ以上の意味があったんだ、と思って、そこでまた泣けてしまう。
同様に2ndの曲で言えば、LOLという曲があって、これはもう一人の、男っぽい方の、(残念ながら性的な侵害で糾弾されてしまったところの)、Benが歌っている曲だけれど、これは、ものすごく素晴らしいバラードだと思う。
ほんとにシンプルで、たわいもない曲なのに、なぜだか本当に美しい。
だから、90年代とか80年代とかを思わせる感じで、特段に新しいことをやっているわけではない、のに、それでも、新鮮で、素晴らしい、と思わせる。そして、パンクでもあり、グラムロックでもあり。
PWR BTTMの音楽を言葉で説明すれば、「基本パンクなんだけれど、グラムロックとか、インディー、ガレージとか、もっと繊細な要素もあって、そこにタッピングとかを絡めたギターの弾きまくりも入ってくる」みたいな。
だから、そんな、古くて新しい、決して形だけの新しさではなく、ちゃんとロックの文脈に向き合った彼らが、これだけのことをやってくれたというのは、俺にとっては。
俺は、常々、長年、ある程度の年齢になってからは。
もっと若い世代のバンド、アーティストに夢中になりたい、びっくりさせられたい、と思ってきたし、言ってきた。
もちろん今までだって、それなりに自分よりも若いアーティストの音楽も聴いてきて、好きになったものもたくさんある。
このPWR BTTMは、決して、あらゆる意味で偉大、とは言えないけれど、
けれども、やっぱり、突き抜けている。
あるいは、2分間という短くシンプルなポップソングにおいての、魅力と破壊力においては、歴代のどのバンドよりも、あるいは突き抜けているかもしれない。
だから、果たして、俺は、自分よりもずいぶん若い世代のアーティストに、夢中にさせられるという経験を、ようやく、これで出来たのかもしれない。
そうだとしたら、とても幸せなことだ。
他のパンクバンドとの比較は、面倒だから省略するけれども。
けれども、何度も言っているように、そんな素晴らしい魅力を持ったPWR BTTMをもってしても、今の時代に、ロックバンドの「本来の役割」を果たすためには、きっと、やはり、足りないものがあったのだろう。
それが、人間的なもの、とか、性的なもの、とか、社会的なもの、とか、それが何だったのかは、置いておいて。
もし、彼らが、こんなふうに劇的な凋落に見舞われずに、このまま、アルバムを3枚、4枚、そしてもっと、10年、20年、と、キャリアを重ねていったら、どうなっていただろうか。
その答えは、わからないが、
けれども、僕は、自分の人生において、それを既に、手に入れている。
つまり、このPWR BTTMのサウンドを聴くと、特に1stアルバムなんか聴くと、Suedeの初期のサウンドにすごく近い、と思わせるが。(もちろん、他にも、いろいろな、たとえばそういうqueerなアーティストの影響もあるんだろうけれど。)
Suedeという素晴らしいバンドが、僕の人生において、ずっと長い間、人生に寄り添うようにして、そこに鳴っていてくれて、そして、21世紀に入って10年もしてから、再結成した彼らは、以前よりも素晴らしく、成熟して、希望に満ちた音を鳴らしてくれている。
僕は、別に性的なマイノリティではないけれど(かといって型通りに男らしいわけでもないが)、でも精神的つーのか、人間としてはいつだってアウトサイダーだった。なんというか、今でも、徹底的に。
だから、そんなSuedeというバンドが、居てくれたことを、あらためて思う。
けれども、そして、このPWR BTTMという若いバンドは、短命に終わってしまったかもしれないが、その輝きが、それらの伝説的なバンドたちと比べても、決して劣るものではない。
それにしても複雑だ。
PWR BTTMは居なくなってしまったというのに、自分よりもはるかに若い彼らは、挫折し、消えてしまったというのに、僕は、僕のバンドは、それでもまだ、存在している。もちろん、全然、比較にもならないが。それでも、道は続いている。
PWR BTTMがいなくなったのに、うちのImari Tonesは、まだ、音楽を作る。
すごくおかしな感じだ。とても不思議だ。不条理な感じがする。
すごい才能を持ったライバルが、一組、減ったのを喜べばいいのか。
それとも悲しめばいいのか。
いや、それは、どちらも違う。
感謝すべきなんだ。
示してくれたことに。
道を開いてくれたことに。
そして、その素晴らしい音楽で、このいい歳した僕に、今日を乗り越える希望を与えてくれたことに。
今、2ndの最後に入ってるStyrofoamっていう曲の歌詞を見ていたんだけれど、
本当に素晴らしい。
彼らの曲は、とても素直でポジティヴだと思う。
涙が出てきてしまった。
本当に惜しい。
こんな結末で、短命に終わってしまったことが。
でも、たとえこれだけであっても、素晴らしいことをしてくれたと思う。
きっと、やっぱり、Too good to be true、
これ以上は、あり得なかったのだろう。