2017年7月の日記

■…2017年 7月 5日 (Thu)…….Jee-You ミュージックビデオ
というわけで我らがImari Tones (伊万里音色)の新しい曲のビデオ”Jee-You”のMVをアップしました。
毎度、ご報告の日記です。誰に報告しているのか。それはもう、神だろうな、お空の上で見てる神さん。読むのがうざったければぜひともビデオだけでも見てください。

これです。
こちら

もう言っちゃいますが、”Jesus Wind”のリリースについては、クラウドファンディングをやろうと思っていて、それは小規模ながらも、フィジカルというかCDを作るためのもので、本当のもっと大事な目的はそれは今までお世話になった皆さんに挨拶と報告をする、つまり、記念碑的な作品を作り上げました、という報告と挨拶、をすることですが。ですので金額も小規模ですし、成否も本当のところ問いませんが、クラウドファンディングをやろうと思っています。

今、その準備も少しずつやっていますが、それまでに、YouTube上に、3つか4つ、この”Jesus Wind”からの楽曲のビデオを上げておきたかった。これでとりま3つ上げたことになりますんで、あともうひとつ、クラウドファンディングを始動させる前にアップできるかどうか。

クラウドファンディング、および、フィジカルのCDをちゃんと発注して出来上がってくるまで、年内のリリースに向けて、(なにしろ小規模なバンドなもので)、なんとか走っていきたい所存です。

で、この楽曲”Jee-You”のビデオです。

昨年の晩秋に横浜某所の能楽堂にて撮影した映像をもとに作った、”Repent”および”Bushido”のビデオはとても気に入っています。そしてその能楽堂で撮ってきた素材で、まだひとつふたつ、へたするとみっつくらい、ビデオが作れるはずです。
どうにもうちの場合は、バンドのキャラとかメッセージからいっても、こういうビデオにも手作り感とか、インディー感、DIY感を出したい。金かかってないぞ、いきあたりばったりのアティチュードだけでやってるぞ、みたいな。

そんで、今回のこの”Jee-You”に関しては、100%、ライヴ映像だけを組み合わせて作りました。
今までにも、そういうビデオは何回かやったことがあると思う。
確か”Testimony”とか”First Pop”とか”Iron Hammer”とか、アメリカを回った時の映像とか使ってるし。”Heroes”とかも福島と宮城を回った時の映像を使っていたりとか。”Truth”のビデオもライヴ映像を組み合わせて作っていたと思う。

で、しょせんは、小規模なライヴとか、インディー感満載で、でっかい会場と満員のオーディエンス、みたいなメジャー感は決して出せないんだけれども。

でも、僕らミュージシャンにとっては、ライヴの場っていうのは、なんていったらいいのか、愛し合う場なわけだ。喩えとしてはそれしかないから、それこそセックスと同義というくらいに。そういうものだと思う。普通に、みんな。

だから、ライヴの場で、なんというのかな、規模ではなくて、どれだけ濃いロック密度を体現することが出来たか、みたいなところが、すごく重要で。
そこに熱い何か、新しい何か、愛のメッセージ、そしてありえないくらいに熱いコミュニケーション、それを実現することが出来たか。どれだけ熱く、「愛してる」と言うことが出来たのか。みたいな。

この”Jee-You”に使った映像はというと、ここ数年の、つまり”Jee-You”は、曲を書いたのは2014年の1月のことで、そして人前で初めて演奏したのは2014年の11月のこと。それ以来、ライヴではたくさん演奏してきたわけだけれど、この2、3年でやってきたライヴ、つまりそれは、僕たちみたいなバンドは、ライヴの本数も多いわけではないし、ツアーみたいにして各地を回る機会も決して多くない。

特にここ数年を振り返って、2013年以降、XTJ (The Extreme Tour Japan)をやってきたことは、僕たちのバンドの進路としてはやはり少なからず、大きな決断だったんだけれど。それでも、僕らみたいな、特に日本国内ではあまり人々と接点を持たない、ちょっと異質なメタルバンドにとって、こうして日本国内で、小規模であってもツアーとか、仲間と言える人々とともに、演奏活動をしてくることが、出来た。
そのことは、やっぱり、決して小さなことではない。

なにが言いたかったかというと、ひとつには、ライヴ映像を組み合わせただけで、いろいろなメッセージを込めたミュージックビデオを作ることが出来るっていうのは、やっぱり、ライヴの現場での表現とか、姿勢が、問われることで、それをこうしてMVとして表現することが出来たのは良かった、ということがひとつ。

もうひとつは、やはり振り返って、何度も繰り返すけれども、無名の不器用なバンドではあるけれども、こうしてここ数年、XTJやCalling Recordsの活動の中で、いろいろな人々に支えてもらって、こうして「熱い」ライヴをやってくることが出来たことに、本当に感謝。やっぱり、この数年やってきたことは、決して無駄ではなかったと思える。こうして僕らは大事な作品であり、ひとつの境地である”Jesus Wind”を作りあげたし、その先の「鍋島」のヴィジョンにも辿り着くことが出来た。(たとえ、ここで一度、バンドを解体しなくてはならないとしても。)

だから本当に感謝だ。
このビデオにしても、楽曲にしても、いっぽんいっぽんのライヴにしても。
支えていただいた、応援していただいたみんなに感謝。

この”Jee-You”という楽曲自体と、そのメッセージについては。
もちろん、ビデオの冒頭にもあるように、これは”Jesus – You”ということと「自由」ということのダジャレなんだけれども。

この曲は”Jesus Wind”の楽曲の中では、最後に書いた曲で、有り体に言ってしまえば、恥ずかしながら、Y&Tのライヴを見て、”Forever”っていうわざとらしい曲で合唱しているオーディエンスの様子を見て、僕もこんなわざとらしいメタルの曲を作ってみたい、って思って(笑)ついつい出来てしまった曲。

でもそのおかげで、この歴史をテーマにしたコンセプトアルバムのストーリーは、当初、やっぱラストは世界滅亡かな、と思っていたところ、もっと希望のあるエンディングのストーリーにすることが出来た。それはやっぱ、民衆の力、とか、情熱、とか、革命、みたいな。民主主義、みたいな。

だからこの曲の歌詞は、よく見ると、ちょっとだけ政治色がある。反戦歌、みたいなことも言っている。けれども、読み方にとっては、反戦の歌なのか、それとも「戦え」と言ってる歌なのか、どっちとも取れる。

でも、結局のところ、信じることによって、情熱によって、世界を変えていくんだ、みたいな曲です。

そして、冒頭のせりふで言ってるみたいに、ライヴでいつもやっていたあのMCというのか、決め台詞。
自由というのは、神と人間との間にあるものだ、という。
このお決まりのMCが生まれたことだけでも、この曲をやった意味があったと思います。
「自由」なんてタイトルの曲を、そうそうやれるもんじゃないけれど、やってみたので、やっぱり自分にとって、大事な曲です。

以上。ゴッドブレスユー。

No(4907)

■…2017年 7月 7日 (Sat)…….Cold Boostの試み
まだまだ使っているShoals Overdriveのセッティングを更新、というか新しいセッティング例を追加したので、「プリセットのメモ」をまた掲載。

もう、良いとか悪いとか、性能とか、いい音って何か、とかを越えて、単純に自分に合ってる、という気がしている。
いろいろ試してはいるし、まだまだいろいろ試したいけれど、実用上、これがいちばん合うんじゃないかなって。

知ってのとおり制作元のウェブサイトとかも閉じてるし、もう作ってないんだろうし、使ってる人もきっとあまりいないだろうし。
でも、俺は、ここまで既に役に立ってくれた。
素性は知らんが見た目が良い。

以下。

Heavy Lid Effects Shoals Overdrive の使い方 2枚中1枚目 Tone’s Preset (1/2)
まずはこのペダルの考え方を説明する…..
*すべてはDriveの設定でキャラクターが変わる。Driveに伴う多彩な変化こそがShoalsの最大の特徴である。
*Gainを下げればクリーンブースト的に使えるし、Gainを上げても破綻せず、むしろ音は太くなる。TS的なミッドの押しを求める時はGainを上げていった方が良い。Gain上げる:太い音、Gain下げる:すっきりした音。
*ブースター系ODの常として、Levelは基本的に最大と考えていいが、Gainとの兼ね合いで下げてみると良い結果が出ることも多いようだ。Gainを上げてLevelを下げるか、Levelを上げてGainを下げるか、相関関係で出力を決める。
*押し出しと太さを求めてGainを上げていきたいのは山々であるが、潰し過ぎると副作用がやはりあるので、ブースター用途の場合アンサンブル内での音抜けを考えるとやはりGainは午前を基本として、要所で正午まで持っていく方が経験上正解のようだ。
*Driveは「メタル指数」と考えて差し支えない。Driveを上げればゲインも上がる。
*Toneに関しては、Shoalsの最大の武器はシルキーかつエッジィな刃のようなハイエンドなので、基本的にToneを上げていった方が持ち味は出る。しかし太い音が欲しい場合は控えめにした方が良いのも事実。まずDriveでキャラクターを決め、Gain&Levelは兼ね合いの関係、しかしToneは常に環境や気分に合わせて流動的に考えた方が良いようだ。
*このペダルの良いところは、「上げても破綻しない」「上げるほど持ち味を発揮する」「どのセッティングでも使える」「多用途に使える」というところにある。そのぶんセッティングは、とてもとても難しい。
*Drive(ロー)もTone(ハイ)も、上げ下げすると出力も上下する。ブースト出力の調整に関わってくる部分である。
*ゲイン、出力は十分にあり「100%クリーン」なアンプ以外、「20%でも歪むアンプ」さえあれば、ハードロックが弾ける音までは「必ず」プッシュできる。ただしEQ、Toneの設定に注意すべし。歪みの質感はEQに大いに依存する。
— さて以下のプリセットはあくまで参考である。スタート地点として考えていただきたい。–

8時のクリーンブースト (Drive 8時) (朝焼けブースト)
最も癖のないブースト。Level最大。Toneは高めが基本。用途によりGainを上げていく。Morning Gloryの名の通り、案外とBritish Classicか。

9時のCream Breaker (Drive 9時)
Marshall Blues Breakerペダル(初代)との比較を行っていた際に、結局Drive9時で最も近い音が出たことから。BBのキレ及びハイミッドの張り出し及び絶妙の曇り具合に迫るため、Gainは高め(4時くらい)に落ち着いた。Toneも極力高めと考えていい。当然ながら(残念ながら)BBよりも低域はガッシリしており、definitionもよりはっきりしている。

10時のチューブブースト (Drive 10時) (つるかめブースト)
Albit/Cranetortoiseの真空管ブーストに近いニュアンスがもっとも出やすい。Level最大。Toneは高めが基本。いいと思うところまでGainを上げていく。

11時のすっきりスクリーマ (Drive 11時)
10時と11時でかなりキャラクターが変わる。以下、Drive11時から2時くらいまではTSゾーンである。TS的なミッドの押しを求めるセッティングのため、Toneは必ずしも上げる必要はない。11時から12時が目安。Gainを上げていった方がTS的な押しの強さと音の厚みが出るようだ。その場合必要に応じてLevelを下げる。

11時半のケンタロウドライヴ (Drive 11:30)
健太に似せるためのスウィートスポットは11:30くらいにあるようだ。Gain2時、Tone4時でヘヴィドライヴ、Gain11時、Tone1時でライトブースト。その他GainとToneの組み合わせで色々やれると思う。ただ本物のクリーンミックス感に迫るにはToneはGainプラス1or2の位置関係がいいようだ。

12時の凪ドライヴ (Drive 12時) (上司ドライヴ)
なぜか知らないがDrive12時だと面白くないのである。ピンと来ないのである。まるで正午の凪である。ということは逆にどうしようもない時にここに合わせるといいのかもしれない。サラリーマン上司(Boss)ドライヴと呼びたい。「ああ、これね」という「間違いのない」音になるだろう。

1時の普通スクリーマ (Drive 1時) (British Screamer)
Drive、Gain、Tone、Level、すべて1時。ある程度歪むアンプ(Marshall想定)に使用する。まったくもって普通のスクリーマー系プッシュドライヴ。レスポールと合わせれば伝統ブリティッシュ。

2時の標準ドライヴ (Drive 2時) (じゃじゃスクリーマ)
適度な厚みを持ち、じゃじゃ馬的なパワフルさと、どんな音楽性にも対応できるversatileさを兼ね備えたShoals基本のセッティング。Drive、Gain、Tone、Level、すべて2時に設定するのが基本。そこからまずGainの最適値を求め、必要に応じてTone (ハイエンド)を上げ下げする。

2時のバーボンブースト (Drive 2時) (American Screamer)
要するに僕の「いつもの」セッティングのことである。Drive2時、Gain午前中、Tone午後、Level最大。あくまでShoalsの本来のキャラクターを生かすフルレンジで透明な琥珀色のセッティング。TS的なMidの張り出しはアンプのMidをちょい上げすることで出る。

2時のToneRider (Drive 2時) (Chinese Screamer)
しばらく有用していたTonerider AO-1の音に合わせたセッティング。押し出しの強いモダンTS系の用途。Drive2時、Gain2時、Tone1時、Level3時。Toneriderを上回る性能は実証済み。

3時のTS Breaker (Drive 3時) (Metal Screamer)
Drive3時、Gain2時、Level2時、Tone11時。現時点でこれがビンゴ。Metal Screamerとも言うべきTSを越える芳香なドライヴをここから作り出せるはず。

3時のBritish Steel (Drive 3時)
Drive、Toneともに3時が基本。Gainは必要に応じてなるべく上げていく。Shoalsの持ち味がもっとも美味しく出るスウィートスポット的なセッティング。スピード感とソリッドな切れ味の良さがあり、鋼のような刃のようなそんな正統派のヘヴィメタル。

4時のエクストリームメタル (Drive 4時)
Drive、Toneともに4時が基本。Gainは必要に応じてなるべく上げていく。ローエンドに殴りつけるような圧力と、厚みのあるハイエンドの刃が加わってくる。現在のEVHサウンドに近いニュアンスでもある。

5時のつや消しドライヴ (Drive全開) (Matte Drive)
特定のギターで太い音を狙いたい場合に有効。Drive全開、Gain3時、Level12時、Toneゼロ。Shoalsの持つ最も太い音と言える。Toneはゼロでも実用可能だが、現実的にはそこから適宜Toneを上げていくことになるだろう。

5時のストーナードライヴ (Drive全開) (Stoner Drive)
Drive最大の状態でGainやToneを極力下げていく。太いが古くさいブーストサウンドを作ることが出来るだろう。

未知の最大 (Drive全開)
さて問題は、どんなときにDriveを最大まで上げる必要があるか、という時だ。往々にしてローエンドが出過ぎる状態になるので、少し戻して4時にする事の方が多い。誰かをぶん殴りたい時か、まったく歪まないアンプを最大出力でプッシュする必要がある時などが考えられる。
Heavy Lid Effects Shoals Overdrive の使い方 2枚目 Tone’s Preset (2/2)
1枚目からの続きである…..

Cold Boost (Gain 7:30~8時にて固定)
上(1枚目)に列挙したDriveによるキャラクターの変化を踏まえ、今度はGainを固定してDriveを動かしていく考え方のセッティングである。これはCold Boostもしくは「氷の刃」とも呼ぶべきクリーンブースト系のセッティングである。
Gainを早朝7:30(ちょっと上げただけ)で基本的に固定し、Driveによって必要な音の太さを選択する。Levelは必要なだけ上げる。クリーンブーストの性質上、Toneは高めが基本である。
Gainが低いため、出力も全体的に低めとなる。比較的ゲインのあるアンプをプッシュする用途に向くと言える。
(出力は、DriveやToneのセッティングによっても変化する。どちらも上げれば、それにつれて出力も上がる。)
これの用途は、野暮ったく太いアンプの音や、むしろ高過ぎるゲインなど、「温度の高すぎる音」を冷却する効果と言えるかもしれない。Shoalsの設定の中ではギターの原音の特性が比較的生きるセッティングでもある。

セッティング例
Cold Boost D2 (Drive 2時、Tone2~3時) 偶然発見されたセッティング。なにげにバーボンブーストと近い。
Cold Boost D9 (Drive 9時、Tone2~3時) しゃきしゃき系の新鮮なクランチが必要な際のセッティング。
Cold Boost D12 (Drive 12時、Tone適宜) これが普通のクリーンブースト。
Cold Boost D4 (Drive 4時、Tone適宜) クリーンブーストと言いつつ太めに鳴らす。Toneも上げればドンシャリに。

No(4908)

■…2017年 7月 8日 (Sun)…….音だって痩せたい時もある
あくまで今日ちょっと試してみた印象に過ぎないのだが、
Brainworx (Plugin Alliance)のアンプシミュレーターは、クオリティは高いのだけれど、概して、ちょっと音が太めというか、深めの出音になる傾向があると思う。

よく、音を細くすることは簡単でも、太い音を録るのは難しい、みたいなことが言われると思うけど(知らん)、
Brainworxのアンプシミュ、たとえばENGLのRetroTubeのモデルとかでも、僕の用途だと、音がちょっと「深過ぎる」みたいなところがある。モダン過ぎるというのか。

で、今日、ちょっと、手元にあるペダルで、古いMarshall Drive Masterとかをブースター用途で突っ込んでみたら、「良い感じにこなれた」。つまり、ちょっと細くなったというか、ちょっとスムースになったというか。案外こういう使い方もありかもしれない。

結局、良い音というのは、太ければいい、とか、クリアならいい、とか、一概に言えるものではなく、その人にとって演奏や表現の自由度が上がるもの、その人なりの自由な表現が可能になるもの、が正解だ。

だから、音を良くするだけじゃなく、荒くする、とか、古くする、とか、細くする、とかも、やっぱり大事だ。当たり前のことだけれども。

そういう用途で、古いペダルとか、結構使いどころがあったりするのかもしれない。

一年近く、普段弾きやデモ作りに使ってきて、クオリティ凄い高いんだけど、やっぱだんだん、不満も出てきた、Brainworxのシミュレーター。プラグインのTube Screamerよりも、本物のペダルの方がやっぱり出音が速いとか。
あとはやっぱ、本物のペダルを突っ込んだ時の反応とかも、実際のアンプででっかい音を出した時の反応と比べて、まだまだ少し不満があったり。

やはりシミュレーターはシミュレーターだ。
それをわかって、使い方を工夫して、そういう道具として活用しないといけない。
長くなるから以下省略。

No(4909)

■…2017年 7月 8日 (Sun)…….おもちゃで世界を壊せる時代のガイドライン
自分はちょっと前くらいから、音楽家つーか、いやしくも宗教家のはしくれとして(いや、宗教家ですらないがw)、政治に対して政治で対抗すること(数とか、権力とか)には意味がない、と悟ったので、あんまし積極的には言う必要もないし、またネットとかソーシャルメディアでそういう発言とかつぶやいたりポストするのも面倒でしかないが、それでも身の回りで発言することは個人の生活の範疇であるとは思う。

昨今の、トランプさんの言動とか、北の国のミサイルとか、どこかの国の総理が言ったらしいあんな人たちという言葉とか。

大して興味もないけれど、今この世界というかこの地球で起こっている「たたかい」の質がどんなものなのか、それを象徴的に表してるなあという気はちょっとする。それが、だんだん露骨になってきているというか。

つまりは、きょうびの政治家は、「自分は国民に選ばれてここにある」なんてことは、もはや言わないのだろう。彼らは明らかに、特定の人たちを代表して、特定の思想を掲げ、特定の目的のためにやっているんだろうと思う。

(なんとなく、ミュージシャンと同じだ、きょうびの。世界を鳴らすのではなく、特定の細分化されたカテゴリやグループに向けて、鳴らす。オーディエンスもまた、その特定のカテゴリという壁の中に安心して入りたがる。)

どちらにしても今この地球上で進行していることは、そういう質の「たたかい」であり、国境でも人種でも経済でも既にない。あるいはそれを霊(スピリット)と言ってしまっていいけれど、言葉の上でどう表現しようと、それは目に見えず進んでいくものだから、何をどうすることもないだろうと思う。行く先の舵取りとか全体のバランスは神様が取ってくれるだろうとそう思うしかない。

ただ、鳴らすべき音は鳴らしたいし、自分が馬鹿みたいにそれでも政治でも数でも力でもなく、愛とかキリストとかそういうわけのわからんものにすがっていきたいんであれば、ちゃんと愛の言葉は語りたいなとは思う。せめて身近な人たちに向けてだけでも。

最近いろいろ本を読んだので、感想文を書きたいが、たぶん後日。

No(4910)

■…2017年 7月 8日 (Sun)…….現時点で詰めてみた
現在のところパソコンの中(手持ちのシミュレータープラグイン)で作れる自分にとって最高のセッティング見つけたでござる。

1:お気に入りの適当なペダル(ブースト、オーバードライヴ、プラグインでなくリアルの)を通し、
2:Brainworxのbx_rockrack pro (旧バージョン)のJCM800の自分用セッティングで音を作り、キャビネットはスルー。
3:同じくBrainworxのENGL RetroTube E765の、アンプはプリ、パワーともにスルーして、キャビとRec Chainのみ使用して鳴らし、キャビはSTD(マーシャル?)、マイクはBlueberry一本、あるいは563一本、のコンデンサー一発で拾う。
4:そいでパソコンの中のみの音だとどうしてもリアリティに欠けるので、適当にお気に入りのリヴァーブをかける。(大抵Eventide)

という感じか。パソコンの中で作れる音としては現時点でかなり詰めたというか理想に近づいた感がある。このセッティングからまた他の組み合わせで色々作れる。
小さなリサーチだったけれどこういうのは後々ぜったい無駄にはならない。
少なくとも日々の練習はきっととても充実する。
ていうか日々の練習をしろという感じ(汗)

No(4911)

■…2017年 7月 9日 (Mon)…….読書感想文June-July2017
久しぶりに挑戦してるオフィスワークの、やっぱり肌に合わないストレスなのか、あるいはバンドの現状の、あんまりライヴとかやれない鬱憤なのか、なにをどう間違ったのか、急に本が読みたくなり、少しばかり読書をしてしまった。他にやらなければいけないことはたくさんあるというのに。

バンドのコンセプトアルバムについての文章を考えていた時にちょっと調べもので検索したら、どこかのよくある「世界と日本の政治情勢とかについてわかったようなことを書いて本を売る論客みたいな人」の本にヒットしてしまい、好奇心でつい読んでみようと思い(思うつぼ)、そこから連鎖式に、今更哲学の今更ニーチェとか、そこの逆に行って、家に何冊もあるけどちゃんと読んでないチェスタトン、そんでもって今年から絶賛大ファンを公言しているところの今更遠藤周作大先生、と戻ってみた。もちろん、戻ると言えば、そこから聖書のパウロさんのあたりを読み直したことはもちろんである。

僕の読書嗜好とかは、結構変わっていて、そもそも、人生の中で本をよく読んでいたのは小学生の時がいちばん多かったと思われ、それはくそ真面目な子供だったからである。その時に、いろいろな文学全集とか日本の有名な作家なんかも読んだ記憶があるが、あたりまえのことだがそんなもん子供が読むもんじゃない。どうして周りの大人はそんなあたりまえのことを言ってくれないのか。おかげで子供らしい子供をやれなかった僕は大人になっていい歳になって、今更スケートボードに取り組んでいる始末である。オフィスワークの昼休みに近くのスポットでちまちまカーブとレッジの(初歩的なやつに)取り組み、汗だくになって白い目で見られている今の私である。

スケートについても、嗜好や能力が自閉症的に偏っており、妙に器用な部分と、圧倒的に不器用な部分が交錯しているのだが、上手い人があたりまえに理解していることを理解するために、僕はやっぱり時間がかかる。だから、初歩のレッジに関しても、ゆっくり向き合わせてほしい。自分向きの「段差」に出会う機会は、ここ日本の孤独な人見知りスケーターとしては、結構貴重なのだ。

話がそれたがそうして本を読んだ。哲学とかよりも聖書を読めよと、キリスト教世界においては、強迫的に言われそうな傾向を感じるが、俺は聖書を精読しているとは言い難いが、in my opinion、正直なところ、あんなもん何回通読しようが、「霊が働かん限りは」人間ごときに理解ができるもんではない。そして、理解ができるとしたら、それは「霊が働いた範囲」に限っての話である。
そしてもっと言わせてもらうのであれば、たとえ俺が聖書を普段「ざっと読んだ程度」であったとしても、ざっと読んでわかる程度のことが、なぜキリスト教世界のえらい人たちには、わからんのか。そこを問うべきであると、俺は思う。

さてそんなこんなで、今更にニーチェ先生を読んでみたのだ。
で、ニーチェはキリスト教を批判した人だから、一応もってクリスチャンやってるところの僕としては、そんなに賛同する書物ではない。けれどもついついニーチェ先生と呼びたくなるのは、彼のとんでもなく圧倒的な中二病ぶりを、中二病の本場であるところの現代日本の中二病インディーロッカーとして、同情をこめて敬意を評するのである。つまり、彼こそは、おそらくは人類史上に初めて盛大に記録を残した、世界で最初の中二病患者だったのだろうから。その意味で、彼は現代の中二病精神世界を切り開いた人なのだろう。

誰でもわかるところだけれど、ニーチェ先生のおそろしいまでの中二病っぷりは、普通、ちょっと読めばわかるし、本当に痛い人である。そんでもって、素直にかわいそうな人だなと思う。でも、その彼の中二病世界の中において、彼がその中二病的な栄光を掲げていたことは、信じてあげたい。

今回僕がちらっと読んでみたのは、「悲劇の誕生」、「ツァラトゥストラ」、「アンチクリスト」、「この人を見よ」の4つである。

ニーチェを本格的に知るには、もっと読むべきのなのか知らんが、俺としては既にお腹いっぱいだ。あんまり、おもしろいとも思わなかった。盛大な中二病っぷりを除いては(笑)

そして、ひとつ弁護するならば、処女作であるところの「悲劇の誕生」は、非常に美しかった。若い頃のニーチェ先生は、まだそんなに中二病をこじらせてはいなかったのである。あるいは、この「悲劇の誕生」が世間に認められなかったから、彼はどんどんと病気をこじらせていってしまったのか。

だから「悲劇の誕生」は、非常に美しい書物であって、俺としてはこれは別途ちゃんと感想文を書く価値があるくらいの書物だ。そもそもが音楽について書かれた本だから、そんな音楽とか芸術ということの本質について、思い入れたっぷりに書かれたこんな書物を、いやしくもインディーミュージシャンのはしくれである僕としては、気に入らないわけがない。

ニーチェとセットでワーグナーを聴くべきではないかとも思うが、ワーグナーなんて、有名どころをちらっと聞いたくらいである。高校の音楽の授業とか。せめてと思って、「トリスタン」を流してみたのだが、やっぱ何かの映画で聞いた記憶があるな。ワーグナーについてあれこれ言うのは僕はまだ10年早そうだ。

で、ニーチェ先生のキリスト教批判についてである。
で、俺としては、「アンチクリスト」なんていう仰々しいタイトルの、いかにも近代哲学の大家みたいなニーチェ先生の、近代的なキリスト教批判なんていうから、かなり期待して、読んでみたのだが、かなりのところ期待はずれだったと思う。正直なところ。

ニーチェのキリスト教批判は、俺なんかの視点から見ても、ぜんぜん批判になってない。ほとんどのところ、ニーチェのキリスト教批判は、彼の言葉で言うところのルサンチマンと、個人的な不満や鬱積から来ているものなので、あんまし本格的な批判になっているとは言い難い印象を受けた。つまりはニーチェのキリスト教批判は、中二病の妄想でしかないということだ。こんなことは、別に、「善良なキリスト教徒」でなくても、同時代のちゃんとした大人であれば、ちょっと読めばわかることだっただろう。

でも、たとえそれが中二病の妄想であっても、ヨーロッパ世界において、こんなふうに盛大にキリスト教批判の文章を書くことは、とても勇気の要ること、というか、とんでもないことであっただろうから、そこにはやっぱり、敬意を表し、一定の評価をしたい。

そして、ニーチェに同情の気持ちを示すとすれば、俺も最近、現状ちょっと日曜日に教会に行けてない日々が続いているので、オフィスワークのかたわら、都内のどこかの「古くて大きな教会」の平日の祈り会に出てみたのだ。
そしたら、それは大きくて立派な教会だったのだが、こんなバンドやってる関係上、僕も少しは色々な教会を見てきてはいるが、それは今まで見た中で、いちばん「暗くて、ださい」教会だった。いや、たとえ暗かったからといって、ださかったからといって、そしてたとえ偽善的だったとして、そこに集っている人々の信仰を疑う気持ちはない。信仰というのは、そんなものではない。そして偽善者だろうと根暗だろうと、人は罪人だからこそキリストに救いを求めるものである。だから、その教会自体に、ぜんぜん「罪」はないのだが(キリスト教の原罪はあるだろうがw)。

だが、僕は思ったものである。現代においても、こういう教会が普通にある以上、ニーチェ先生の同時代のヨーロッパとかドイツには、もっと「暗い」教会、「ださい」教会、「古くさい」教会、きっといっぱいあったに違いない。とすれば、ニーチェ先生が個人的に「ルサンチマン」を抱いて批判を展開しても、無理はないのである。

だから、時代も国も違うが、一応のキリスト教徒の一人として、ニーチェ先生に謝っておきたい。
つまり、ニーチェが晩年に発狂して、その後、天国に行ったのか地獄に行ったのか、俺には知る由もないが、もし発狂したニーチェの晩年が不幸であり、その魂が地獄に行ったりなんかしているのであれば、なんというかキリスト教徒の一人として謝っておきたいのである。
つまり、ニーチェ先生が、父親が牧師だったにも関わらず、キリストから離れていってしまい、中二病をこじらせてしまったのは、少なくとも当時の、俺たちキリスト教徒が、ダサかったからである。あまりにもダサかったからである。
キリスト教徒がダサかったから、ニーチェ先生みたいな真面目で純朴な青年が、キリストから離れていってしまったのだ。
だから俺はそのへん、時代も国も立場も違うが、ニーチェには謝っておきたいとともに、「信仰の保持者」であるキリスト者の一人としては、やっぱり、難しいことではあるが、なるべく「ダサくない」ように、努力をしなくてはいけないのだと思う。

つまり、ちゃんと真実に向き合っていないといけないという感じか。

そんでもって、「アンチクリスト」であれ、他の本であれ、一応はキリスト教批判の書であるから、悪魔の書、と言えないこともないが、もしこの「アンチクリスト」を悪魔の書と呼ぶにしても、悪魔の書としては、おそらくは初歩の初歩、手引書とか入門書、という程度の内容ではないかと思う。だから、どっちにしてもそんなに内容としてはがつんと来るような読み応えのあるものではないと思う。

もっと手強い「悪魔の書」は、(音楽であれば)、個人的に僕だってもっと体験したことが何度もある。
だから、手強いキリスト教批判を期待していた僕としては、わりと期待はずれだったというのが、正直な感想だ。

ただ、フォローの意味でひとつ言えば、あの盛大な中二病の集大成である「ツァラトゥストラ」の中に出てきた、永遠回帰、永劫回帰ってやつか。あの概念は、なんというか「ジョジョ」で各部のボスキャラが使う、「時をあやつる最終能力」みたいな凄みと迫力があった。実際に、第6部のラストとかに近いものがあったし。(ちゃんと読んでないけど、ジョジョ、最初の方しか。でも、そのラスボスも確か神父って設定だったような。皮肉というかニーチェが一番嫌っていた人種であろうところの。)

あれは、キリスト教における「魂の永遠」の否定としては、ちょっとした悪魔が与えたナイフだったかもしれない。

けれども、その永遠回帰の「スタンド能力」についても、チェスタトンの書いていたところの「永遠というのは、実はそれほど難しいものではない。しかし一瞬こそは、実に恐るべき問題だ。」という言葉で、看破できてしまう。

つまり、永遠というのは実際のところ概念に過ぎず、つまり突き詰めれば一瞬と永遠は限りなく同義なのである。人というのは結局、その目の前の一瞬にイエスというかノーというか、それだけの生き物だ。だからもしその「一瞬」を燃やし尽くしたいと願うのであれば、俺としてはどう考えても、永遠回帰のスタンド能力よりは、キリストの十字架の方が、「熱い」と思う。

その意味では、ニーチェ先生の切り開いた中二病世界の、ひとつの落とし子であるとこのこの日本の漫画世界。その少年ジャンプ的な価値観の方が、まだニーチェ先生のルサンチマンよりはキリストに近い。(結局は、北斗の拳、も、るろうに剣心、も、ジョジョ、も、キリスト教マンガだったというではないか)

そう思うと、やはりあらゆる意味で痛い人、哀れな人であったと思う。ニーチェ先生は。

(わからんよ、天国行ったら、「これはこれで彼にしかできない十字架の背負い方であった」とか言って、キリストのそばにいるかもしれんから。笑。)

でも、その元祖中二病患者としてのスピリットは、本当に高く評価したい。
その中二病世界の盛大な集大成である「ツァラトゥストラ」も、つまんないな、と思うとこも多いが、それでも俺は、評価したいと、偉そうにそう思っている。

俺も現代を生きるいい歳した中二病患者、ニーチェ先生に負けず劣らず痛い人間として、そのスピリットは受け継ぎたい(笑)

つまり、ニーチェ先生は間違いなく孤独な人間だったのだろうが、
孤独っぷりと、同時代の世の中から浮いてる点においては、きっと俺も、そんなに負けてないというか、いい勝負なんじゃないかと思うから。

哲学者(とか思想家とか芸術家)とかにしか友人のいない人生も、それはそれでいいんじゃないかと。

ニーチェ先生がなぜ発狂したかって、そんなのは、誰にもわかんないし、あるいは誰にも明白だろうけれど。

もちろんこれには、チェスタトンの言葉で言うところの、「狂人とは、理性を失った人のことを言うのではなく、理性以外のすべてのものを失った人間のことを指す」という言葉がきれいに当てはまってしまうけれど。ニーチェ先生については。つまり彼は、キリスト教的なファンタジーを、すべて否定したのだろうから。

わかんないもんは、わかんないって、ミステリーにしとけばいいじゃん。
かの遠藤周作だって、そうした。
みんな、そうやって生きてるよね。
言葉にすると痛いくらい。
でも信じるって、そういうこと。

でも、俺に言わせれば。ごくごく勝手に言わせてもらえば。
ニーチェがなぜ発狂したかって、それは、もう、神に出会ってしまったからなんだろう。

彼が生涯をかけて批判してきた、同時代の「ドイツ的なもの」、そして「キリスト教世界」。
けれども、ニーチェ自身が、本当は誰よりもドイツ的であったことに、そして本当は、誰よりもキリスト教徒だったことに、気がついてしまったからなんだろう。

そして、彼が崇拝して追い求めてきた「ディオニュソス」。

そのディオニュソスが仮面を取れば、そこに居たのはやはり他でもないキリストだったことに気が付いた時、彼は自分自身を保てなくなったのだろう。

その意味では、僕が近年ずっと、「Bacchus」と書かれたギターを愛用していることも、その意味でもやはり、意味のあることだ。

ディオニュソス的なもの、ということについて言うんであれば、ワーグナーの時代に生きていたニーチェ先生よりも、ロックンロール以降の現代を生きている僕らの方が、圧倒的によく理解している。しかもそれは概念ではなく、体験としてだ。

それこそ、ロックンロールの「神学」について論じれば、本が一冊書けるし、というか何冊でも書けるし、実際に書きたいくらいだが。

だから神学的なロックを求めてきた僕が、最終的に今こうしてバッカス(ディオニュソスの別名)と書かれたギターを手にしているのは、ディオニュソス的なもの、とともに、ニーチェ先生に端を発するこの人類の中二病の遺産を、キリストのもとに返却しようとする試みでもある。
神のものは神に返せ、と、確かにイエスさんも言ったんだから。

ニーチェについては以上かな。

で、チェスタトンについては、俺はなんだかんだ、読んできているし、
もちろん古くさいカトリックで、頑固なイングリッシュで、賛同できない点もあるけれど、
だけれどもキリスト教徒としては、なかなか説得力のある人で、読んでいても、これだよね、というような安心感というか戻ってきた感がある。

ので、今日のところはいちいち書かない。

で、次。
どこかのよくある「世界と日本の政治状況とか文化とか経済とかをぶったぎって論評する論客みたいな人」の本。

2、3冊読んだだけなのであれこれ言えないけれど。
それなりに面白かったけれど、いろいろな歴史や政治の真実を追い求める姿勢は、素晴らしいと思うけれど、やっぱり甘いなと思うことがある。

ニーチェ先生の話の続きとして言うのであれば、近代以降、現代の日本というのは、ニーチェ先生の思想がもっとも受け入れられ、定着し、花開いた地であると言えると思う。

なんでかしらんが日本ではニーチェがわりと受け入れられ、ありがたがられたと思うのだ。理由は知らん。
いや、理由はそれは、キリスト教をちゃんと受け入れられなかったので、キリスト教を理解できなかったぶん、哲学でお茶を濁すしかなかったからでしょ。
いや、負け犬、である日本国民にとっては、ルサンチマンというものが、よく理解できたからか。
で、永遠にお茶を濁し続ける文化になった。前からそうか。
もちろん俺だって抹茶は好きだけど。

ニーチェが受け入れられた国だからこそ、中二病文化、おたく文化、マンガやアニメなども花開いたし、それはそれで悪くない。んだけれども、本当に「世界」とかを論じたいんであれば、「ど真ん中」に向き合わなくてはいけない。

俺がその論客さんに対して言いたいのは。
それはつまり、その人だけじゃなくて、評論家とか、学者とか、世間で世界情勢とか文化について色々と解説を垂れている人たちみんなに向けてだけれども。

神というものは、信じてみないとわからん。
だから、キリスト教というものを理解したいのであれば、信じてみるしかないんだ。

信じてみないで、文化とか、歴史とか、学術対象として考えても、それはあくまでアウトサイダー、外部の、蚊帳の外から見たものなんだよ。

だから、本当に「キリスト教世界」に向き合っていきたいのであれば、それはもう、信じてみるしかないんだ。
そこがスタート地点だよ。

多くの日本人は、そのスタート地点にすら立っていない。
だからいつまでたっても「蚊帳の外」だし、世界情勢の中でも、日本は「蚊帳の外」の道化であり続ける。

キリスト教について、文句があるんなら。
その信仰について、文句があるんなら。
そして良しにつけ悪しきにつけ、そのキリスト教世界が作り出した、今の世界と、文化について、文句があるんなら。

信仰に勝てるのは、信仰だけなんだよ。
信仰をぶっこわせるのも、やはり信仰だけなんだよ。

信仰だけでなく思想においても、人類史の巨大な軸であり、やはり彼を中心に回り続けるしかなかった、そしてニーチェも、その周囲を踊る一人でしかなかった、その一人の人物を、どう解釈し、どう向き合うのか。
そこの勝負に、その土俵に、上がるのか、否か。

俺はその土俵に、日本人として上がってみたいと思ったんだ。

そして、日本人の「ヘヴィメタル」なキリスト教のアーティストとして、遠藤周作さんという偉大な先輩がいる。

たとえば、そういった論客さんたちが、口角泡を飛ばして叫ぶ。
「日本人は平和ボケである。世界は、非情で冷酷な現実によって動いているのだ。日本人は目を覚まして、そういった現実に向き合うべきである。」

しかし、彼らの言うことは、すべて論評者の、傍観者の視点でしかないのである。

だけれど俺に言わせれば、じゃあ遠藤周作さんが書いているところの、現実は。
弱い立場の、人間という生き物が、その「冷酷な現実」ってやつの中で、いかに無力で、いかに血を流し、いかに死んでいくかを、淡々と、よほど直視して、描いているではないか。

そして、その中で、いかに希望や救いを、見出したり、見出さなかったりするのか、その小さな現実を。
たとえ小さな現実であっても、そちらの方が、俺としてはよほど重要だ。

俺に言わせれば、こっちの方がよほど冷徹な目で、よほどその残酷な世界の現実というものを、描き出している。

俺は、それは、遠藤周作さんが、その本質において「ヘヴィメタル」だったからこそ、出来たことだと思う。

世界情勢とか、それこそ、宗教ってものがどうなのか、とか、
いくらでも自分勝手に論じることは出来るけど、別に俺がやることじゃないし、自分の「思想体系」はほら、音楽の中にちゃんとあるしさ。

とりあえずここまで。

あとは、宗教ってことについて思うとき、「パウロさん」ってことについてもちょっと書きたいことがあったんだけど、やめとく(笑)

みんな、パウロさんをそんなに悪者扱いして責めないでやってくれ(笑)

今年やってる曲の中に、パウロさんの曲があるんだよ。Forgivenってタイトルで、ちょっとバラードっぽい、日本語の曲。
直接にパウロさんの曲ってわけじゃないけど、歌詞の中に出てくるんだ。

以上。

God bless you all.

No(4912)

■…2017年 7月 9日 (Mon)…….とても便利なサンタクロース
とても季節はずれの話だけれど。

サンタクロースの喩えって知ってる?

人がサンタクロースを信じるのには、段階があるんだよ。

つまり、小さな子供の時、人はサンタクロースを信じる。
そして、クリスマスの夜にはサンタさんがプレゼントを届けてくれるんだよ、って嬉しそうに言う。

けれど、子供が少し大きくなると、子供はサンタクロースを信じなくなる。
そして、知ってるか、本当はサンタクロースなんかいないんだぜ、って、周りの子供に言って回る。

だけれども、その子供が大人になり、人の親になると、ああ、本当はサンタクロースは確かにいるのだ、と、そう知ることになる。
そして、自分の子供に対して「クリスマスの夜には、サンタさんがプレゼントを届けてくれるんだよ」と伝えるわけだ。

このサンタクロースの喩えの良いところは、
どちらが子供で、どちらが大人なのか、それは誰にもわからない、ってところ。
そして、もっと良いところは、どちらであったとしても、大人にも子供にも罪はない、ってところ。

「ねえねえ、知ってる? クリスマスにはサンタさんが来てくれるんだよ」
と、子供がはしゃいでいたとしても、それをいちいちつかまえて、
「君、それは間違っているよ。本当はサンタクロースなんていないんだよ。」
なんて言う大人はいない。

サンタを信じる子供を見て、人が微笑ましく感じるのは、
信じるっていうことは前向きなエネルギーだということを、
誰でも知っているからだ。

そして、サンタクロースとクリスマス。
信仰と人間社会。
子供とキリストとの間をとりもつサンタクロースの立場についても、いろいろなことを言うことが出来る。

サンタクロースは別にキリスト教の教えってわけじゃない。
サンタは聖書に出てこない。
じゃあ、サンタクロースを廃止しましょう、って誰かが言ったとする。

サンタクロースを殺したらどうなるか。
知ってるかい。
クリスマスがなくなるんだよ。

かくて信念の防御者であるところの信仰の保持者、
つまりDefenders of the Faith

は、様々な形で神の命を受け、世にあるのである。

ゆめゆめ忘れてはならない。
ちゃんちゃん。

No(4913)

■…2017年 7月27日 (Fri)…….“Overture” Summer Tape 2017
[楽曲に添えて。手紙。]
こちら

自分のことをうまく伝えられないと思うことがある。
そんでもって自分の言いたいことをうまく伝えられない、と感じることが最近とても多い。
そんな時に、音楽というものがとても貴重に思える。
よく、言葉で伝えるよりも、音楽で伝える方が早い、なんていうけれど、そんなばかな、って思っていたこともあるけれど、今となってはそれは本当に普通に本当だと思ったりもする。

人と人が何かを伝え合うことはとても難しいことなので、だからこそ、人は手紙を書いたり、物語を書いたりする。小説でも書くのであれば、あるいは詩のひとつでも書くのであれば、確かに言葉で伝えることが出来るかもしれない。だからこうしてばかみたいな思索を書いて誰ともなく伝えようとするのであるが、バンドやってたりする人、音楽家なんて言わなくとも、であれば、それはやっぱり音楽に付随するキャプションに過ぎない。

人の期待に応えられない、と感じることがある。
特にこの数年、僕たちのバンドは、周囲の皆さんの「期待」みたいなものに、きちんと応えることが出来なかった。そう感じている。

僕は、僕たちは、これまでも、人々の期待にちゃんと応えてくることが出来たとは言い難い。むしろ、皆さんの期待を裏切りまくっていると思う。それはわかっている。けれども、そんな僕自身が、誰よりそのことをとても歯がゆく思っている。僕が来年にかけてバンドの体制の再構築を考えているのはバンドの到達地点である「鍋島」に向き合うとともに、それに合わせて、今度こそ、そんな皆の、期待に、もっと応えることが出来るように、そんな思いだ。

けれども、たとえ、人々の期待に応えてくることが今まで出来なかったとしても、ひとつだけ、期待を裏切らずに向き合ってこれたものがある。それは音楽だ。音楽、音そのものに向き合い、創作し、作品を作り、その作品世界を深めて、前に進む。そのことだけは、きっと神が課した宿題に、そこだけはきちんと応えてきたと思う。だからこそ、人生のこの段階で、究極の最終到達地点とも言える「鍋島」を射程距離に収めることが出来た。

インディーバンドの分際でこういうことを言うのはフェアではないとわかっているが、僕たちは創作においては、決して人に負けない速度で走ってきた。
共に活動をしている仲間や、以前から見守ってくださる方々は、きっと気付いていると思う。インターネット上のメディアを通じて僕たちの音楽に触れてくれる世界のいろんなところの「キッズ」(と呼びたい)は言わずもがなだろう。そして、僕は誰よりそんな、見も知らない、あるいは時代さえも違うかもしれないそんな遠い誰かの期待に応えたい。それは同時に、もっとも遠く、同時にもっとも近くにいる存在である神の期待「だけ」には応えたい、というフォーカスでもある。優先事項、重点事項があるとすればそれだ。

つまり、僕らみたいなライヴ演奏の機会の少ない出不精のインディーバンドであっても、うちのバンドは、演奏する曲目が、まったく一定していない。毎回少しずつ変わる、どころか、毎回まったく違うのはきっと皆さん知っているだろう。それはきっと、音楽的に僕が欲張り過ぎるだけなのだ。いまどき、そんな贅沢は、ワールドツアーをやって2時間のコンサートをするレジェンダリーバンドでもやれないことだ。(それはもちろん、ベテランバンドほど、昔の曲しかやれないからだ。) だけれども、音を鳴らすのに何のリミットも限界もない。著作権団体は何かを言うかもしれないが笑、僕らはそこにすらおおむね関わりがない。だったら音を鳴らすことに限界を設ける必要はないし、そうするべきでもない。

今まで僕らの演奏曲目は、めまぐるしく変わってきたし、これからもそうだろう。もちろん、やらなきゃいけない時には、”Faith Rider”や”Karma Flower”をやるし、”Jee-You”だってやるだろうけれども。

僕らは、もともと、僕のメッセージがストレートでアクが強過ぎるために、そしてクリスチャンなんたら言い始める前からすでにスピリチュアルな要素が強かったがために、「音楽性もハードロックなんだから、英語でやった方がいいよ」と常に周囲から言われてきたバンドだ。

で、それも、本当はいやだなと思い、日本人だから日本語で歌う方がいいに決まっている、と思っていたのだけれど、とある機会がきっかけとなり、先人の志を受け継ぐ形で、では英語で歌ってみよう、と決意したのだった。
ところがそれでやってみると、つまりはキリスト教的なメッセージを歌うようになると、今度は「なんで日本語で歌わないんだ」みたいなことを言われるようになる。おいおい、俺は本当は日本語でやりたいと思ってたのに、周囲にそう言われたからわざわざ英語でやって、それもやっと多少は上手くなって、しっくりくるようになったののに、今度は逆のことを言うのかよ、と、そんなふうにいつも感じていた。

結論から言えば、両方必要なのだし、そして俺としても、やはり日本語も英語も両方やりたいのだし、そして実際のところは、今までだってちゃんと、両方やってきたのだ。日本語も英語も、両方ちゃんとやっているのだ。クリスチャン系の楽曲だって、基本英語でやってきたけれども、メッセージの強いワーシップ系の楽曲は、常に日本語バージョンも録音制作して、ライブでも日本語で歌うようにしてきたのだ。

たとえば、”Japan Metal Jesus”アルバムの最後に入ってる”Shito Shinjo”(使徒信条)なんかは、使徒信条を歌った曲、海外のクリスチャンバンドはよくやってるけれど、他の日本のバンドがやって陳腐になる前に、俺たちもやっちゃおう、と思ったから、日本語で使徒信条を作品にしてみた曲だ。すごい即席なんだけれど、シャレが利いていて自分ではわりと気に入っている。あの曲のサビに出てくる「わかりきったことに議論なんか必要ないでしょう」というのは、すごく宗教っぽくて笑えるという自虐ギャグのつもりなんだけれど、元ネタは別にキリスト教とかじゃなく、Van HalenのライヴアルバムでSammy HagarがMCで言っていた言葉が元ネタだ。どこかの作家からの引用だろうと思うけれど。

だから、日本の人にせよ海外の人にせよ、「なんで英語で歌っているんだ。日本語の曲はないのか。」と言う人は、大抵YouTubeとかでちょっとだけ聴いただけで、バンドのウェブサイトすら見ていない、知らないだけなのだ。

ウェブサイトの作品リストを見てもらえば、過去に日本語の楽曲をたくさん作ってきたことも、クリスチャン系のメッセージを持った曲でも日本語のものがいくつもあることが、わかるはずだ。だから、こう返答するようにしているのだ。「僕たちは、これまでに日本語の楽曲を、だいたい100曲くらいレコーディングして発表していますよ。」って。それは別に、普通に事実である。

さて、うちのバンドがこれから制作する作品、”Overture”は全曲日本語のアルバムである。本当はうちの基準だとフルアルバムって感じではなくて、バンドで録音するのは7曲、あとの3曲はおまけだから、うちの基準だと4ぶんの3アルバム、みたいな感じだ。フルアルバムには足りない気分のそんな作品だ。

そうだとしても、全曲日本語のアルバムを作るのは、やっぱりずいぶん久しぶりだ。
もちろんここ数年、過去の日本語アルバムのリミックスや修正の作業もやっていたから、僕としては気持ちとしては久しぶりって感じはしないのだけれど。

このアルバムは、Imari Tonesの今の現メンバーで制作するアルバムとしては最後の作品になる、と皆には公言するようにしているけれど、だからいろいろと複雑な意味合いを持つ作品ではあるけれど、そのことには今は触れない。どちらにせよバンドの到達点である「鍋島」を鳴らすために、そして「皆さんの期待」に応えるために、今のままでは無理である、と判断したから、バンドの再構築、建て直し、を検討しているのである。

クリスチャンメタルバンド、なんて言い始めてしばらくたつと、こんな素晴らしいクリスチャンのメッセージを歌っているのだから、英語だけでなく、日本語で歌ってほしい、なんて言われることがある。もちろん、それは日本でライブを行った時の話である。
つまり、僕の「クリスチャンメタル」の英語の歌詞は、非常にストレートに、率直に神のことを歌っているのである。それは、はっきりいって、日本人だから出来ること、というか、日本人だからというその立場を半分くらい意識して利用しているところもはっきり言ってある。つまり、英語が母国語の、たとえばアメリカ人のアーティストだったら、これほどストレートに神について歌えないだろうと思う。母国語ではないから、逆に率直に歌うことが出来る、という表現の妙である。

かといって、俺がライブの際、たとえ英語で歌っていても、これは英語でMCやっても日本語でMCやっても同じように、MCで、歌詞以上にストレートに神について語っている、というか叫んでいる、のは、ライヴを見た人ならきっと知っているはずだ。YouTubeにもそういうライブの映像がいっぱいアップしてある。

だから、俺はどっちにしろ、これ以上なくストレートに、神の愛を伝えてきたつもりだ。だからこそ、日本語だの英語だのといったことを言われる筋合いはないし、その必要もない、と思っている。

で、今度の”Overture”は全曲日本語なのである。
では、日本語で歌詞を書いてクリスチャンロックしたら、英語と同じようにストレートなメッセージになったかと言えば、これがやっぱり、ならなかったのである(笑)
それはつまり、日本語は母国語であるから、自然に書いたとしても、より高度であったり、複雑であったり、遠回しな表現が可能になってしまうからだった。つまり、詩を紡ぐのであれば、自然に書けば書くほど、それは自然と、そういった内容になるからだ。
そして、若い時に書いていた率直過ぎる歌詞よりも、やはり年を重ねたぶん、多少は気の利いた言い回しが出来るようになっていたのだった。

かといってストレートにクリスチャンしてる歌詞も無いわけではない。
今回の”Overture”の中には、たとえば、
[Born Again]や、[Forgiven]、そして[Mistake]あたりは、非常に直接的にキリスト教的な歌詞の色が強い。
[Overture]や、[Discarded World]あたりは、キリスト教的な要素は、実は強く入っているけれども、それをうまく隠した歌詞になっている。多少は歌詞が書けるようになったということか。
ラップ曲の[Revive The Nation]や、弾き語り曲の[誰も神を見ない」あたりは、キリスト教世界の、というよりは人類世界の中の、信仰をめぐる状況について、遠回しに批判的に歌う内容になっている。
そして[さむらわない]、[言葉]、[Cat Licks]は、それほどクリスチャン的な内容とかはあんまり関係のない曲である(笑) 少なくとも直接的にはあんまりない。

以上で10曲、の歌詞の感じだ。
ライブで披露する機会に、あまり恵まれないぶん、ちょっとついでの機会に、練習中の動画を記録してみた。

あくまでリハスタでの練習中の演奏であるが、正直言って、うちのバンドの弱点とか悪いところが出まくっている内容の映像でもある。そこは、バンドの演奏がわかる人が聴けば、きっとダメ出しが満載だろう。

けれどもこの”Overture”はそれでも昨年の年末あたりから既に取り組んでいたので、それでもまだマシな方ということでアップすることにした。
スタジオ練習だし、ワカメちゃんみたいな髪型でへんな見た目になっている中でも、この曲だけはわりとイケメン風に映ったので、アップしてもいいかなと思った。

この”Overture”はセクシーな曲だと思う。自分は決してイケメンではないしセクシーでもないが、この曲は自分が書いた中ではセクシーな方の曲だと思う。
これを聴いてクリスチャンソングだと思わない人もいるかもしれない。
むしろその逆だと思う人もいるかもしれない。

けれどもこの曲は、「信じることのかけがえのなさ」と、「信じることの難しさ」を、思い切りかっこつけて歌った曲なのだ。
思い切りかっこつけて、笑っちゃうくらい気障に、かつ軟派に、歌う曲なので、そう聴こえないかもしれない。
けれども、たとえ、俺たちが、現状にどれだけの不満を抱いていたとしても、俺たちが、たとえ世の中の状況に絶望していたとしても、それでもやっぱり「信じることを選ぶ」。そして、「一緒に来ないかい」と呼びかけている。だから、俺たちにとってこの”Overture”は、間違いなく勝利なのである。たとえ、今のバンド活動が限界に来ていて、このメンバーの現体制で作る、これが最後の作品だったとしても、やっぱり俺たちの答えは「勝利」なのである。

もっとストレートな曲も確かにあるよ。
でも、これがImari Tonesによる日本語のクリスチャンロックバンドとしての表現だ、と、そう言ってしまって、かまわない。
本当に、信じる、ということの真実を射抜くためには、こんなふうに言葉を削ぎ落とすしかなかった。
そんな内容の詩です。

ああでも、歌詞まちがえてるけどね、この映像(笑)
肝心なところでサビの決めの歌詞を、間違えてる(笑)

すでに昨年の時点で、「鍋島」の2枚組24曲の作詞作曲はすべて完成していることはお伝えしていると思う。それは半分日本語、半分英語、だけれども、それらの歌詞についても、どんな「クリスチャンロック」を言葉にしたのか、はやく皆さんに、お伝えしたくてたまらない。
でもきっと、早くても数年、まだかかるんだろうと、思う。


ときに、Calling Recordsのライブイベントが2017年10月7日(土)新宿Mega Rockにて行われます。Imari Tonesも演奏します。現メンバーであと何本やれるかわかりません。ぜひ見にきてくださったら、嬉しいです。

No(4914)

■…2017年 7月31日 (Tue)…….時と場所を得て効果値千金
こういう関係のないことをわざわざ日記に書き留めてしまうのは調子が良いのか悪いのか。

ちょっと暇なときにプラグインエフェクトをいじっていて。
というのは、Eventideの昔っからある伝説的なハーモナイザー/マルチエフェクトであるところのE3000のプラグインを今更ながらデモ版をインストールして、どんなもんだか試していた。ちょっとだけ。といっても、プリセットをずっと見ていただけだけれど。だけれどもプリセットだけでもかなりの数があるので、プリセットをひととおり試すだけでもかなりの時間を必要とすると思う。

しかしそれでも、H3000 Factoryのプラグインは、もともとのH3000のハードウェアの機能の、それでも一部分をプラグインにしただけのようだし、現在のフラッグシップのエフェクトプロセッサーはH8000FWってやつみたいだけれど、そんなの、どれだけの機能がついているのやら。想像もつかないとはこのことだ。

僕はEventideに関しては、ここ3年くらいだろうか、UltraReverbのプラグインに出会ってから、なんか自分に合うというかしっくり来る、使いやすいので、そこからUltraChannelとか次々にはまっていってしまった。すげえ「基本のしっかりした」老舗のプロフェッショナルオーディオプロセッサーのメーカーだ、と感じる。

んで、H3000 Factoryのプラグインをほんのちょっとだけ試してみて、感じたところは、本当に率直な感想を書いてしまうと、結構、これは時代を感じる。音質としてもきっと、いまどきのDAW世代のプラグインの方が音がクリアだと思うし、「エフェクト」として考えたときも、H3000 Factoryに入っているエフェクトってなんだか古典的なものが多く、いまどきの21世紀のプラグインエフェクトの方が、良いものがたくさんあると思う。

だから、伝説の音だから、ニーズも用途もあるんだろうけれど、プラグインとしては値段ちょっと高いし、それだけ払って買うかって言われたら、あんまり必要性は感じないかなあ。

しかしそうはいっても、実際に数々のメジャーの録音で使われた、歴史と実績のあるEventideのエフェクト。たとえばプリセットを見ているだけで、ああ、こんなふうにドラムとかスネアの音を補強してたんだ、とか、こんなふうにマイクロピッチのエフェクトで音を広げてたんだ、とか、こんなふうにSEを作ってたんだ、とか、いろいろ思うことがある。もちろん、ピッチシフターとか、いろんな派手な、あるいは良くも悪くも野暮な、エフェクトだけでなく、そういったマイクロピッチとかステレオ広げるような、「地味な」機能こそが、Eventideのハーモナイザーが重宝された部分である、というのは、なんとなく話には聞いている。(でも、そのマイクロピッチにしても、UltraChannelについてるやつがすごく使いやすいしね。昨年の録音でも、本当にめちゃくちゃ助けられたもの。)

けれども、録音とか、音づくり、そしてその工夫ということを考えたときに、エフェクトってどういうことなのか、エフェクトで何ができるのか、そして、Eventideなんかまさにそういったエフェクトに命をかけてきた老舗メーカーさんだと思うけれど、そういった「エフェクト」ってことに関する、工夫というのか、創意工夫、そういったものを使って、録音制作、音楽制作にどれだけのクリエイティビティを持ち込めるのか。そういったことに思いを馳せるだけでも、勉強になる。

Eventideと言えば、今年の初頭にFissionっていう新しいプラグインを発表していたのは記憶に新しい。僕はチェックしてないけれど、よくあるトランジェントエディター、ではなく、トランジェントマルチエフェクター、みたいな。僕が自分の音楽で果たしてそういった機能を必要とするか、その必然性があるか、はわからないけれど、すべて出尽くしてしまったようなこの時代にあって、新しいアイディアで新しいサウンドプロセッシングを切り開いて提案しようとするその努力と姿勢には本当に感銘を受ける。

はて、どんなエフェクトが、たとえば、ちょっとしたエフェクトをギターやらドラムにかけたい、って思ったときに、どんなエフェクトの選択肢が、手持ちのプラグインの中にあるかな、って、思ってチェックしてみたのだけれど。ただ、フリーのものとかも含めて、いろいろなものがあるので、すべてチェックするのは骨の折れることだけれども。

見直してみて、これはいいじゃん、って改めて思うものは。

ひとつは、HOFAのSystem1。

これは僕はプリオーダーで入手してしまったから、何ドルだったか、4000円くらいのノリだったんだけれど、8月いっぱいまで、まだ80ユーロくらい、ちょっと「持ってけ泥棒」感はなくなったけれど、EQもコンプもいいし、リヴァーブも凄いし、お買い得感は半端ない。モジュールっていうのか、自分でエフェクトをデザインできるから、プリセットからちょっといじるだけでも、かなりいろんなことが出来るので、まぁ、まだエンベロップフォロワー的なあれとか、無い気がするけれど、はっきりいってEventide H3000 Factoryよりも、こっちの方が良いんじゃないかという気はしている。まあ、プリセットの豊富さで言えば、Eventideには及ばないけれども。モジュール組み合わせて自分で作れって感じで。

ふたつは、ValhallaDSPのValhalla UberMod。

Valhalla DSPは、リヴァーブの、Valhalla RoomとかValhalla Vintage Verbとかが人気だけれど、僕が思うに、このValhalla UberModが実は最高傑作なんじゃないかという気がしている。上記のHOFA Systemもそうだし、H3000だってそうなんだけれど、エフェクトの構造とか、原理のところからいじれるので、自由度が高い、応用範囲が広いってのはあって、このUberModも、ディレイアンドコーラスの全部入りって感じがする。しょせん、エフェクトなんていうのは、ディレイとかピッチとかモジュレーションとか、それをいろいろ組み合わせているものなので、その組み合わせでどれだけのことが出来るのか、どれだけの音が作れるのか。それを、このUberModは、すごく追求してる感じがある。コーラスだけでも、これだけいろんなコーラスをマニアックに全部揃えた、みたいな。少なくとも究極のコーラスプラグインってことは言えるんじゃないか。

あとはToneboostersのTB_Moduleとか。

これも結構、安いやつだけれど、いろいろ使えて便利だと思う。

そんで、Waves GTRとかGuitarRigとかAmplitubeに入ってるギター用ペダルとか。
見逃しがちだけれど、この手のギター用シミュのエフェクターって結構、いけるやつがあって。

最後には、僕はいまだに古いバージョン9を使っているところのLogicProの標準搭載エフェクトも、改めて見るとびっくりするくらいに充実している。

いまどきのDAWに標準搭載されているそういった基本的なエフェクトを見るだけでも、このレガシーというかまさに伝説であるEventide H3000とか比べると、ああやっぱ、時代はずいぶんと変わったんだな、とか正直思う。H3000に搭載されているあれやこれやのエフェクトは、かなりの部分はやっぱりそういったDAW標準搭載のエフェクトで似たようなことが出来てしまったり、下手するともっと出来たりするんじゃないか。

僕は最近、オフィスワークの給料で、ギターに関しては足下にMXRのアナログコーラスを使い始めたんだけれど、ああ、コーラスっていうのかモジュレーションは、ギターに関してはこれでよかったんだ、というか、これだけあればよかったんだな、とちょっとした気付きだった。今更感は満載なのだけれど、でもこの水色のアナログコーラスのモデルにしても、2010年代とかに入ってからのモデルで、ミックスとかEQとかのコントロールがあって、それでいけるようになったので、やっぱり案外と自分に必要なものは、ギターにしてもペダルにしても、2010年代になってようやく、しっくりくるものが、世の中に出て来たのだと思う。

自分は、ベーシックで古くさいロック、ハードロックをやっているので、実際のところ、エフェクトはあんまり必要ないというか。
それでも、ロックの歴史の中でも、印象的なエフェクトっていうか、歴史を作ったエフェクトがあるじゃん。

QueenのKeep Yourself Aliveのフランジャーとか。
Van Halenの1stのフェイザーとか。
U2のヨシュアトゥリーのディレイとか。

そういった「エフェクト」「効果」が、ばっちり音楽にはまる瞬間というのがやっぱりあって。
その瞬間をうまくつかまえることが出来るのであれば。それこそが創意工夫というものではないかと。

自分のささやかな録音物だと、たとえば今まで。

Steel Wheelsのイントロのリフとか。あれはLogicPro標準のフィルターみたいなエフェクトを使ったけれど、うまく結果が出た。プリセットだったのか、プリセットをいじったのか、それは正確に記憶していない。ライヴの時はフランジャーで代用している。

あとはなんだろう。
fine tuneの間奏部分のフランジャーとか。昔のCubaseの標準搭載のやつだったんじゃないか。

フランジャーといえば、Only One Wishのエンディングのドラムにもフランジャーがかかっている。ミックスしたのは当時のドラマーのManzo氏だったけれど、Deep Purpleを意識したって言ってた。あれだな、あの曲だよな。

あとは、報せ来る、のディレイとか。

きれいな色の花、のトークボックスとか。

前途多難、のギターソロの、これもペダルだけどフランジャーとか。

そういえば一年半くらい前に「ReBuild」したところの「空飛ぶキッチン」のギター、音はAmplitubeだけれど、これはWavesのダブラーとかEventideで右に飛ばしたりとか、いろいろやってる(笑) 自分にしては珍しくエフェクトで作ったギターの音という感じ。

あと、これはミックスしたのは世界的プロデューサーSascha氏だけどIron Hammerのイントロのフランジャーとか。

フランジャー多いですね(笑)

でもギター用ペダルというかライヴでは、なかなかしっくりくるフランジャーに出会えなくってね。MXRのVan Halenフランジャーも一時期、持ってたんだけれど、でかくて重いので不便なのと、あとちょっと、強過ぎて。

まあ、エフェクター全般に言えることだけれど、あんまりちゃんと試したり、買ったり、追求してないんだよな。あるものを適当に使ってた、というか。あるいは別に使ってなかった、というか。

結局、これも2010年代になってから、足下にあるCoolMusicの汎用マルチみたいなので、それがいちばんしっくりきてるかな。操作がかんたんだし、ディレイにもコーラスにもなるから便利で、一台で済むから荷物も軽くなるしね。

しかも、フランジャーモードの音は気に入ってなくて、コーラスモードのディレイタイムを短くした時のフランジャーっぽい音が、いちばんしっくり来るっていう。これも結構、コーラスとかモジュレーションに関しては「全部入り」のペダルなんだよね。ショートディレイで「マイクロピッチ」っぽいダブリングも出来るもの。

だからデジタルで行くときはそのCoolMusicのペダルで良いんだけれど、アナログで行くときはMXRの水色コーラスペダルでオッケーかな。フランジャーっぽい感じも出せるしね。それだけあればオッケーなんだ、ということに、最近気付いた。

もちろん、大きなステージをプロフェッショナル的にやれと言われたら、それこそEventideのペダルとか、システム組み直すけどね(汗) ちゃんとエフェクトループを使うとか(笑) でもインディーでライブハウスでやってるぶんには、これでいいかなあ。

ミックス、アナログ、デジタル、卓、コンソール、の音、みたいなことについても、また考察したので書きたいけれど、体力限られてるからまた今度。

No(4915)

■…2017年 7月31日 (Tue)…….その時生まれ変わるボーンアゲイン
Overtureプロジェクトより”Born Again”練習風景。べたべたにストレートなJ-Rockです。べたべたなJ-Rockをイマリトーンズ流にひねってある感じ。ちょっとソルフェイの”Calling”を意識したところもあるかもしれない(笑)
歌詞はなんか誤解されるけど、自分勝手に生きていた男が神に出会い人生が変わる、という内容の、これがめっちゃストレートな日本語クリスチャンロック!
こちら

No(4916)

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