立志40 本編 [失ったものと、欲しいもの]
そういったわけで「鍋島デモ」(世間に公開してもいい、「オープンデモ」と呼んでいたもの)は完成した。と思う。
年内に完成までもっていけると思っていなかったので、予定より早いと言える。
そういうわけで「立志」を行いたい。
まずは、今までの人生を振り返って、得たもの、手に入れたもの、手に入ったもの、それも大切なんだけれども、
それ以上に、手に入らなかったもの、失ったもの、それらのものについて考えてみたい。
そして、それを踏まえて、自分が何を欲しているのか。
自分が、何を求めて、どこへ行きたいのか。
どこへ生きたいのか。
どこへ逝きたいのか。
見つけ出したいと思う。
できるかわからないがやってみる。
以下は前に書いたセンテンスから引っ張ってきての貼付けである。
そこからつないで書いてみる。
どちらにしても強迫観念の中で仕事するのは嫌なんだよね。
権威と記号ってものを追いかけると、それは強迫観念に追いかけられるってことなんだよな。
追いかけてるんじゃなくて、追いかけられるんだよ。自分では追っているつもりでも、実は追われている。
それって、結構な呪いなんだよね。
それは、俺は嫌なんだ。
呪いじゃなくて、祝福を広めたいんだな。
呪うと祝う、の、ダジャレに違いない。
漢字とか日本語ってのはよく出来てる。
口を使って、嘘百百を言う、のと、
行動や生き方で、示す、ってことの違いかな。
でも、世の中では、その区別さえも、ぜんぜん定かではない。
だから、人は間違っていく。
でも、それは罪ってもので、アダムさんが林檎を食べた時からそうだった。
人は本来、基本的に、間違う生き物だって、そういうことになっている。
これって、あたりまえのベーシックだけれども、やっぱり結構に絶望的なことだ。
絶望的な世の中だ。
そこから先は省略だ。
では、そんな絶望的な状況の中で、どうやって愛なんてものを伝えたらいいのか。
愛って、どこに行ったら見つかるのか。
俺は、この愛ってものを信仰したい。
そのための人生にしたい。
そんで、神さんはそのためのものを与えてくれてると信じたい。
「いい歳」になって、昔から公言していた「年齢についてのジョーク」を言える歳についになった。
ここまで実際に生きていられると思わなかったし、これからも思わないけれど、感謝したい。
だから立志ってものをしたい。遅いと言われるかもしれないが。志を立てることが必要だ。いや、きっと音の中にすでに示されているものだけれど、それを自分の人生の中であてはめて自分なりに考えてみるだけのことだ。
今までの人生、とても幸運で恵まれた人生だったけれど、
望んだものは、たいてい、ほとんど、望んだ以上に、いつでも手に入った、と、そう感じているけれど、
それは自分がそう思っているだけで、能天気なだけで、
本当は手に入らなかったものも、すごく大きいのかもしれない。
だから、失ったものについて考えてみたい。
手に入らなかったもの、失ったもの、っていうと、
まずこのことを最初に考える。
まっとうな人生。
たとえば、家族とか、子供とか家庭を持つとかね。
いつも言っているけど、僕は別に「ロックスターになるぞ」とか言って、やりたくてバンドを始めたわけじゃない。
10代の頃からわりとそのへんは覚めてて、ロックバンドやるなんてばかばかしい、と思って、もっと違った夢があった。
でも人生はそうはいかなかった。その後は、何度も書いたり語ったりしているから省略。
この歳になると、というか、この歳になるまで、と言った方がいいかな、
たとえば、街に出かけて、小さなお子さんを連れたお母さんとか、夫婦とか、見かけるじゃない。
本当に、いろいろな思いで複雑になるものだった。今でもそうだし、余計にそうだ。
もちろん、うらやましいなという感情もそこには多分に含まれている。
この歳になれば、そういったご夫婦とかお母さんは、多くは既に自分よりも年下の世代だったりするし、普段生活している中でも、自分は中身がいまだにこれほど幼いままなのに、時間だけが経っていることのギャップに、なんだか複雑な気持ちになる。情けないと言ってしまってもいいかもしれないが、けれども人間にはこの世界でそれぞれに役割があるものだとも思う。
こういう人生を送ってきてこの歳になれば、むしろやはり自分(自分たち)は人の親になるということの意味においては甚だ不適格であることは重々にわかっているのだが。それでも、今までにも、周囲から言われたことや、訊かれたことは何度かある。当惑するより他なかったが。
けれども、人生においての「前提」みたいなこと。人生においての重大な決断みたいなことは、ひとつやふたつではなくて、たくさんのどうしようもないような理由があって決まることだ。
そしてその「前提」というものは、言葉に出来るものではない。
言葉にすると、あまりにもつらすぎるものだからだ。
だからそして、「前提」というものは、誰も教えてはくれない。
わかってもらおうとも思わないし、思えない。
けれどもその中には「失ったもの」というものがたくさんあって、そしてそれらの「失ったもの」がたくさんあるからこそ僕たちはこういう人生を送っている、のだと思う。
まず最初に、僕たちはいつ、「家族」というものを失ったのか、ということ。
そして、それよりも前に、僕たちは、いつ、「故郷」とか「ふるさと」と言えるものを失ってしまったのだろうか。(あれか、それこそ、アダムの頃か。)
そして、僕が、「祖国」みたいなものを失ったと思ったのはいつのことだっただろうか。
あるいは、「伝統」とでも呼べるもの、自らの身を委ねることのできるような「大きなもの」を、自分は探して、そしてそんなものはどこにも見つからなかったのではなかったか。
それらのことに、僕はどれほど苦しんだのか。
あるいは、ちっとも苦しまなかったのか。
どっちかな、それは知らない。
知ってても言えるわけない。
それらのものは、僕が心の奥で望んでいたものだ。
人として生きるために、
魂の奥で欲していたものだ。
けれども、それは、与えられなかった。
手に入らなかった。
理由はわかんない。運命とか。めぐりあわせみたいなもんか。
時代の状況とかそう言うこともできる。
もっと不幸な境遇で生まれてくる人たちだってたくさんいる。
じゃあ、人類の歴史上、本物の「伝統」なんてものが、
実際どれくらい存在していたのだろうか。
あるいは「武士道」なんてものがあったとして、
それはもちろん騎士道でもなんでもいいんだけれど、
それは剣術とか空手とか柔道とか、そういう武術の体系のことなのか。
そういった技術は、とっくに失われているんじゃないか。
また技術には自ずから限界というものがあるのじゃないか。
技術でなくて、人が生きることおしなべてすべてにあまねく存在する、
「道」みたいなものは、体系化できるものなのか。
武士道なんてものは、拾うとか無くすとか、得るとか失うとか、
そういうものじゃなくて、
最初っからそこにあるものなんじゃないか。
それを為す手段、表現する手段というのは、それぞれに、神から示されているものなんじゃないか。
失ったもの、を、もう少し数えてみようか。
憧れというものがあった。
また、「違う人生」というものもあったかもしれない。
「違う世界」ということだ。
いろいろな背景を投げ出して、他者に人生を預けることだ。
選択も、義務も、運命も投げ出したいと思うことは、人生の中で、誰だってあるだろう。
そして、自分の身を、心を、「預けたい」と思えるくらいのサウンドに、
出会ったことが無いわけではないんだ。
すべて忘れて、その中に溶け込みたい。
無になりたい。
そう願った。
だけれども、不思議なことに、それは自分の音を鳴らすことと引き換えだった。
他者の鳴らす音に満足することは、自分の音を鳴らすのをやめること。
だから出来なかった。
そうしたかったけれど。
そして、自分が見た「理想」の「逃げ込む場所」も、やっぱり、
それほど頼れるほどには脆弱なものだった。
政治的な風向きひとつで、それは消えてしまいそうになるものであったし、
また彼らも、難しい状況の中で、無力を承知の上で戦っているのだと。
彼らだって、人間に過ぎないのだと。
だったら、僕も戦列に参加しなくてはならない。
共に世界の前線に立たないといけない。
闘技場に飛び降りなくてはならない。
彼らを一人にはしておけない。
だからこそ、それはもちろん、自分が憧れたヒーローのサウンドがそうであったように、
他者に頼るのではなくて、だからこそ自分はそのために、自分のDNAに向き合わなくてはいけない、
というものだった。
そして、俺はそれに自分なりに向き合ってやってきたつもりである、自分の宿題を、この何年かにおいても。
「バカヤロー」と言いながらも。
どこでもない遠くへ行きたい。
そういう願いはいつもある。
いちばん遠くへ連れてってくれるのはどの音だ。
せめてそれだけが、神が与えてくれた自由であり、祝福だ。
でも、いちばん遠くへ行ける音は、やっぱり自分の中にある。
いやな答えだ。
そのために、僕は結局、自分から逃れられない。
自分に戻ってくるしかない。
それがどんなに皮肉な「呪い」なのかは他人にはわからない。
でも、「それがどこにあろうと」
僕はやはり、いちばん遠くの景色が見たいんだ。
だから、それだけが神さんが俺に許してくれた祝福だ。
ヒーローの喪失があった。
誰だってヒーローを失っているかもしれない。
僕たちの世代について象徴的なのは、
やっぱり1994年にKurt Cobainが死んだ時だろうと思う。
そして、彼はきっと、いろんなものを道連れにしていった。
そして日本においても、世界の音楽状況においても、
90年代、という世代にとっては、
失う、ということや、壊れる、ということが、
ほとんど特徴的だった。
失うための世代。
だからかわかんないけれどロスジェネなんて呼ばれていた。
ロスジェネと呼ばれた世代の、最後の方に、僕と、そんで嫁さんなんかはわりと最後の方にあたると思う。
だけれども、失ったから、壊れたから、見えたものというものがある。
そして、それは、それが当たり前になり、うやむやになり、そして見かけ上、修復されたようになり、そうなってしまえば、誰ももう、後の世代は気付かない。
僕にもヒーローの喪失があった。
自分にとってのヒーローが、ずっとそこに健在で居てくれたら、僕はこんなに無茶をすることは絶対になかった。
けれども、そのヒーローが、それまでも、その時も、たぶんそれからも、僕に教えてくれたことは、あまりにも大きかった。
だから、僕はこれをやるしかなかった。
世界一有名だけれど、世界一、誰からも理解されなかった人かもしれない、僕のそのヒーローのために。
そのヒーローの喪失が、どれほどの空虚なからっぽを、僕の中に残したのかは、それはとても、言葉には出来ない。
失うということが前提の世代だったように思う。
僕にとってのもう一人のヒーローはだからこう歌っていた。
僕たちは最前線を戦う豚なのだ、と。
とても悲しい旋律で。
2011年にあった災害で、僕は何かを失っただろうか。
もちろん、被害のあった地域の方々は、言葉にできないくらいに、様々なものを失っている。
けれども、失ったのは、この国に住む人たち、皆がそうではないか。
だから、しっかりと向き合わなくてはいけないことなのではないか。
失ったものから、目を背けて、なかったことに、知らんぷりをするのではなく。
僕もきっと失った。
皆がそうだから、だからと言って何が言えるわけではない。
失ったとすれば、何を失ったのか。
そして、それは、自分の時間が、そこから止まったままだということではないか。
その時間は、動き出す時が来るのだろうか。
それは未来ということだろうか。未来を失ったのだろうか。
自分はそこに、踏みとどまることしか、出来なかったのではないか。
あえて時を止めるしかなかったのではないか。
他者にはわからなかったとしても。
失うことで、引き換えにすることで、得たものはあっただろうか。
あったとすれば、それは、最初から、そういう神との約束であり、契約だったのか。
選択はいつ為されたのか。
生まれる前か。
時間の概念の外側においてだろうか。
引き換えに何かを得たとすれば、僕はその「何か」を、どう扱うべきなのだろうか。
失う人生の中で出会った、たった一人の人、だったのかもしれない。
うちの嫁さんのことであるが。
だから、何度も書いているが、僕は別にバンドがやりたかったわけではなく、
まっとうな人生や家庭が欲しかった少年時代の僕に向かって、
「子供なんていらない」ときっぱりとそう言ったのは、彼女の方である。
失い続ける人生を、どうやって生きていくのか、
そのために与えられた、お互いの伴侶だったように思う。
それはきっと、「あの人」もそうだろう。
世代のこともあるが、場所のこともあるが、
だからこそきっと、今でも僕はその人のことを忘れていない。
そして、その運命の反動で、今年、お見かけしたところの「その人」には、
出来れば、与え続ける人生を、歩んで欲しいとそう祈っている。
もちろん、小さなもので、構わないんだ。
たとえばコーヒーを入れてあげるだけでいい。
「社会」というものを失ったのはいつのことだったか。
そして「夢」というものを失ったのはいつだったか。
いつも言っていたことだが、
(そろそろ年齢的に言われなくなると思うが、笑)
バンドマンとかやってると、夢があっていいですね、とか、
夢を追いかける人生ですね、と言われることは多かった。
病気のバンドマンは大抵わかっていると思うが、
このことの皮肉は、
自分たちは、夢があるからバンドをやっているわけではなく、
むしろ夢を失ったから、夢を奪い去られたからこそ、
バンドをやらざるを得なかったのが実情だからだ。
自分には夢があった。
そして、それには、「社会」とか、
その中にあっての「正義」や「理想」というものが前提になっていた。
けれども、それが幻想なのだと、打ち砕かれる瞬間がやはりあった。
では、尚の事、それに向かって戦えばいいではないかと言われるかもしれないが、
それが最早とっくに、言い表す術もないくらいに、とっくに手遅れを過ぎているということに、気付くくらいのことは、僕でなくても誰でもわかることだった。
それは「政治」の喪失でもあったし、
「政治」の手段がもはや有効ではないと知った時から、
僕にはせめて音楽を鳴らすくらいしか残っていなかった。
つまり「理」に向き合うことでは間に合わないのであれば、
「霊」に向き合うしかない、と判断したわけだ。
10年後、20年後はだめかもしれないけれど、
ならばせめて100年後、200年後をなんとかしたいと、そう思った。
その時まで世界が存在していればの話だけど。
現代の「政治」も「民主主義」も、機能しているとは思わないが、
それでも僕は「民主主義」というものを、あきらめてはいない。
それは人類全体が救われる時のための、希求なのだから。
気付けば何にもない、砂漠みたいな場所に、僕は放り出されていた。
なんにもないところから、何を見つけ出していけばいいのか。
見つけ出したとして、それを守り育んでいくことが、どれほど気の遠くなるようなことなのか。
基本的には、そんな感じで生きてきた。
別に笑ってくれたって構わないんだけれど。
小さなことだけれども、少年の頃の夢が叶わなかった時に、
僕にはもうひとつ、ささやかな夢や願いあったのだけれど、
結果として、それもここまで、叶っていない。
それは、僕が、技術や伝統みたいなものを求めても、
それは現代においてはロマンのかけらみたいな幻想に過ぎないし、
大きなシステムの歯車の中で、末端のパーツとしてであっても、
やっていける自信が、とても無いからだ。
現代には、豊かな国、時代で、何でもあるけれど、
すべて、かつてあったものの、かけら、であるとか、ぬけがら、であるとか、にせもの、しか残っていない。
だからすごく貧しい時代だとも言える。
ひとつの例ではあるが、
日本でもそうかもしれないが、アメリカあたりのニュースの記事を見ても、
農業であれなんであれ、生産する立場の人が、まったく地位が低く報われないのは、
やばいような気がしている。
さて。
失ったものリストは、ほどほどにしておいて、
では、僕は、これまでに得たものがあるとして、
そしてこれまでに得られなかったもの、があるとして、
では僕は、これから何を手に入れたいのか。
今僕は、何を持っていて、
何を持っていないのか。
故郷が欲しい。
うん、欲しいよな。
故郷ってなんだろう。
それって難しい問いかけだけれど。
でもひとつだけ確かなのは、僕は今までの人生の中で、故郷というものは与えられなかった、ということなんだ。
だから欲しいと思う、故郷。
スタジオね、建てたいな、って思うんだ。
建てなくてもいいんだけれど。
リハーサルが出来て、録音も出来て、発信も出来るような。
拠点が。
別にそれは自分の所有するものでなくてもいいのかもしれないけれど。
拠点とできるような「ベニュー」が。
あのね、それは「故郷」ってものとも関連するんだけれど、
この前、Muscle Shoalsのスタジオに関するドキュメントを見てさ、BBCの制作のものだったと思うけど。
なんでそんなものに興味を持ったかというと、
足下にここ一年半あまり愛用してるオーバードライヴに”Shoals”って書いてあるじゃない。
なんかメタルっぽい見た目のペダルだけど、作者の意図したルーツはソウルであり、サザンロックであり、クラシックロックなんだろうね。
そんでちょうど、自分の中でも古いソウルとか、ちょっとそのへんに興味が行っていたので。
で、Muscle Shoalsは、アラバマのどっかの、別に何にもない田舎だって言うじゃない。
なんでもヘレン・ケラーもそこの出身らしいんだけれども。
でも、まぁアメリカの南部なんて、ロックとかブルーズとかジャズとか、どこも全部聖地みたいなもんだけれど、
そんな何もない田舎が、なんでそんなにホットな場所になったのか、って。
川とか、風土とか、いろいろ言ってたけれども。
志、拠点、キーパーソン、発信、あとはリズムセクションかな、って。
だから、リズムセクション、欲しいんだよね。
今度は、ちゃんとしたやつ(笑)
なんでも出来るやつらが。
それで、ヘヴィメタルから、オサレ系から、ブルーズから、全部やりたいと思っているんだ。
自分のバンドでも、人のバックでも。
今までのバンドはね、技術的なこととか、時間の制約や、モチベーションの問題もあって、カバーソング、他人の曲を、やることができなかった。でも、これからはやりたいと思っている。自分たちなりのやり方で。それも、ロックとヘヴィメタルの伝統を継承し、伝える意味で。
だから神よ、このMuscle ShoalsのThe Swampersみたいな、あるいはストーンローゼズのレニとマニみたいな、そんなリズムセクションを、僕に下さい(笑)。いや、笑っちゃいけないな、本気でください。お願いジーザス。
この、Muscle Shoalsみたいな、「場所」を。
あるいは、「街」を、作りたいな、って思って。
それはね、別に、「LAメタル」とか、「シアトルのグランジシーン」みたいなのは、無理かもしれないんだけれど、「マッスルショールズ」だったら、なんか手が届きそうな気がして。スタジオとかお店がいっこあればいいんだし。
それは、なんか自分にとっての「ヘヴィメタルカフェ」を作りたいってことかもしれない。
なんか、そういう漫画があったような気がするんだけれども。
Muscle Shoalsみたいなスタジオを建てたい。
リズムセクション(バンド)を建て上げたい。
それをフル稼働して、様々な音楽を発信したい。
本当の意味でのヘヴィメタルと、神の愛を伝道したい。
そして愛を発信し、そこから世界に打って出たい。
そしてもちろん、世界をツアーしたい。
家族ってのは、難しいかもしれないが。
故郷。
政治。
祖国。
ヒーローの復活は無理かもしれないが、
ヒーローの偉業を、何万ぶんの一でも、そしていちばん大事な志を継げれば。
社会、ってのは手が届かないかもしれない。
伝統、ってのも、すぐには無理かもしれない。
けれども、
ずっと未来の社会や伝統のための土台となる、
道、を、築くことが出来れば。
未来っていうのは失ったかもしれないが、
もっと大きな未来を、より輝かしい、より多くの人を幸せにする未来を、作ることが出来れば。
憧れた人生っていうのは、夢に終わったかもしれないが、
それ以上の現実を、この手で作り上げれば。
他のいつ、とか、他のどこ、とかではなく、
「今、ここ」と言える場所を、作り上げることが出来たら。
そんなものを、作り上げたい。
音楽っていうものがある。
その音楽ってものに出会って、音楽というものを使って、
何をするのか。
音楽というものは道具に過ぎない。
音楽というものは、人生を作り、世界を作るための道具であり材料に過ぎない。
それは、ギターや、楽器が音楽を作るための道具であるように。
音楽は人生を作るための道具だ。
未来を作るための道しるべだ。
世界を作るための材料だ。
それを使って、何をやるのか。
それは人それぞれだと思う。
で、もう面倒くさいので、
失ったものリスト、と、
欲しいものリスト、をひととおり書いた上で。
答えを、ばばっと書いてしまうと、
俺は国を建て上げたいんだ。
ジャパンって国をね。
別にジャパンじゃなくてもいいんだけれど、
前にも書いたことがあるけれど、
俺が作り方を知っているのは、ジャパンだけだから、
それを作ればいいんだと思うんだ。
別に呼び名は何でも構わないんだが。
国を建て上げる。
それが俺の希望かな。
そのためにね、「道」ってものを、
建て上げる必要があるんだ。
これは前に書いたセンテンスを、メモ帳からひっぱってくるだけなんだけれど、
どんなお話であれ、
国を建て上げるためのストーリーや過程ってものがあって、
俺の場合はそれは、
少年の純情をつらぬくこと、
愛を見つけること、
神を見つけること、
そして道を見つけること、
そして国を建て上げること。
そういう感じだと思うんだよね。
そんでもって、最近、他の文章でも書いていたし、
また後で別記するんだけれど、
本当の意味でヘヴィメタルを伝道できる「バンド」を、
「リズムセクション」を。
本当の意味で、ヘヴィメタルと「神の愛」を伝えることのできる、
伝道することのできるバンドを、
本当の意味での音楽ミニストリーを、
建て上げたいな、って思ってる。