捧げるってことはそんなに簡単なことじゃない

厳しいことを言えばね。
 
俺の基準では。
 
クリスチャンロックのイベントを名乗るからには、
 
神に演奏を捧げなきゃいけない。
 
自分を捨てて、神に委ねる演奏をやるやつが、最低ひとりはいなきゃいけない。
 
もちろん役割もあれば土台もある。
準備もあれば運営もある。
サッカーだったら、ゴールキーパーもいれば、ミッドフィールダーもいる。
だけれども、ゴールを決めるストライカーってやつは、やっぱりちょっと特別な精神性が必要だ。
(知ってのとおり日本人がいちばん苦手なところだ)
 
魂のゴールに届かせる役割。
 
クリスチャンロック、神に捧げるロックを名乗るからには、
最低ひとりは、そういう演奏ができるやつがいなきゃいけない。
 
けれども現実には、
まだまだみんな、自分のために演奏している。
がんばってはいるけれど、まだまだ自分のための演奏をしているな、
っていうのは、魂の音や、声が聴けるやつにはわかってしまう。
 
今回のイベントでは、石川ヨナがその役割を果たしてくれた。
 
だからすべてがあるべきところにおさまった。
 
だけれども、そのために、彼女にかかっていた負荷や、負担を考えると、
 
毎回あんなことをやらせるわけにはいかない。
 
だからもって、俺みたいな立場で、
(ヘヴィメタル、嫌われ者、色物、etc)
軽々とそれをやれるやつが、やっぱりいなきゃいけない。
 
(笑ってくれていいところです)
 
みんな、今回の石川ヨナのステージを見て、何を感じたのだろう。
 
彼女が放っていたメッセージを、どれだけ真摯に受け止めたのだろうか。
 
本当は、あんなものを見たのであれば、
生き方を変えなければいけない。
生活を変えなければいけない。
 
次の日から、ほんのひとつでも、小さなことでもいいから、
何かを変えてみなければならない。
 
だけれども、現実には、(I hope I’m wrong)
「なんかすごいものを見たな」
くらいで終わってしまったり、
3日もすれば、忘れてしまったり、していないだろうか。
 
そうじゃないことを祈る。
 
俺はといえば、
まぁうちのバンドの存続を願ってくれていたヨナさん本人からすれば皮肉かもしれないが、
迷いが消えて、
やっぱり今のイマリトーンズの形はいったんリセットして、
新たな形で再スタートさせることで、間違っていないのだ、と確信することができた。
 
そして、俺が色々の選択をしながら、
これまでやってきたことが、無駄ではなかった、ということを、
彼女自身の演奏でもって示してくれた。
 
そんでもって、その「志」のために、
新たな一歩を踏み出すための、
勇気をもらったかな。
 
そんな感じ。
 
今日は俺は新橋ZZで演奏してくるけれど、
最後の最後だからね、
これはパーソナルな、ごく個人的な、
自分たちのための演奏をするよ。
 
だから、申し訳ないけれど、
どかーんとインパクトの強い、
いつも期待されているようなステージは、今回もしない。
(それは2月の西横浜でやったつもりだ。振り返れば風邪でひどい声だったけれど。)
 
だけれども、真心をこめて音を鳴らしてくるつもりです。
 
ありがとう。

 

 

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