とりま、年上のベースさんとのセッションの日程だけは決まったようだ。
故に現在、検討中のベーシストさんを採用するのであれば、必然的にジェイクにも声をかけることになる、だろう。多分。
もしベーシストさんを採用しないのであれば、ジェイクを呼び戻すこともない。
命運はそこにかかっているから、
もしImari Tonesのバンドとしての早い時期での復帰を願ってくださる方がいらしたら、
そのへんをお祈りいただけたら良いかもしれない。
僕としては神さんの手にまかせるだけだ。
ぶっちゃけ、ベーシストさんを採用せず、ジェイクも呼び戻さず、
しばらく一人で活動することになっても、
僕は一向に構わない。
(自分ではそう思っている)
どちらにしても、「鍋島」は一人でも作る。
「鍋島」のドラムは自分で叩く、という決意の上のことだ。
おそらくジェイクに「鍋島」は叩けない。
だから自分が叩かなくてはいけない。
けれども、「鍋島」の曲のすべてが「難しい」曲というわけではないから、ジェイクにも手分けして叩いてもらえばいいのだ。
そうすれば、僕の作業量が減るから、気持ちも楽になる。
そして、ライヴ演奏っていうのは、いずれにしても妥協の産物であるから、
これからの活動は「割り切って」行えばいいのだ。
思えば、今まで、「創作」を最優先して、ライヴ活動も、それを優先して行ってきた。
つまり、演り慣れた曲をやるよりは、
たとえ本番でミスっても、新しい曲の練度を上げて、レコーディングに臨む、という選択を、してきた。
というよりそういう選択をし過ぎた。
でも、これからは、もっとエンターテインメント重視になる。
無理のない選曲をして、お客さんに楽しんでもらうこと最優先したステージをやることになるだろう。
今までは、修行僧のように(キリスト教の音楽修行僧であるけれど)、
ストイックに音楽に向き合い過ぎていたかもしれないから。
と、考えてはいるが、
さっきも書いたように、しばらく一人で活動したとしても、
何の問題もない、と、そう考えているのだ。
やれること、やらなきゃいけないこと、は、
いっぱいあるし、
実際のところ、その大部分は、いずれにしても自分が一人でやらなければいけないものだからだ。