ジャパニーズバーベキューは浮気という意味ではない

くだらない話題だけれど、ちょっと前に、アリアナ・グランデ(Ariana Grande)が手に”Seven Rings”という意図で「七輪」というタトゥーを彫って、それが「ジャパニーズ・バーベキューだ」ということでツッコミが入り話題になった、という事があったと思う。

よくよく、スルーしようと思っていたのだが、彼女の曲がなんだか全米チャートの1位、2位、3位を占める、なんていうことがあったらしく、ニュースになっていたので、やっぱり便乗して書いてしまおう。ちなみに僕は彼女の音楽がどんなであるか、全然知らない。ただの話題便乗だ。

 

外国の人たちが、ちょっと意味のずれた、あるいは思いっきり意味の間違ったタトゥーをしていたり、Tシャツに書いてある日本語が勘違いしていたり、そういうことは多々あると思う。

しかし同時に、日本人だって(日本人に限ったことではないが)、思いっきり間違った英語を使っていたり、書いていたり、またそういった間違った英語が、街中とか、下手すると公共の文書なんかでも、平気で使われているので、人のこと(他の国のこと)は言えない。これは事実であり、前提だ。つまりはお互い様ってことだ。

 

けれども、僕は若い頃は自分は気の長い寛大な人間だとばかり思っていたが、歳を取ってきて、自分がある部分に関しては結構細かい、そして、こと「言葉」ってことに関しては、結構うるさい、細かいことを気にするタイプであることがわかってきた。

別に今回の「Seven Rings」の件は、個人的にはそうでもないけれど、でも、たとえば、昔のメタルで、Jake.E.Leeだったか(日系だが)、「神風」という文字をギターのストラップにあしらった時に、勘違いして縦書きで「ネ、申、風」とやってしまった例とか、あったと思う。たぶん往年のメタルファンにはおなじみなんだろう。

あるいは、同様に80年代のメタルのネタでは、RATTのウォーレンがギターに何か日本語を書いたらクールだろうと思い、Gary Mooreだったか誰かのライヴアルバムのジャケットに書かれた日本語を真似てペイントしたら、それが「ロンドン」だったという例のエピソード。つまり、ウォーレン本人は、何か意味深な東洋の神秘みたいな日本語を書いたつもりが、当の日本のファンはみんな、「なんでウォーレン、『ロンドン』ってギターに書いてるんやろ」って不思議がっていた、という。

で、僕は案外と、そういう言語に関する「細かい勘違い」とか「思い込み」が、結構許せなかったりする(笑) まぁ、では自分がたとえばちゃんとした英語で話したり、書けているかと言われれば、そうではないかもしれないが。

 

今の時代は、Political Correctnessっていうのか、時代が厳しくなって、たとえば白人さんがパーティーでチャイナドレスとか着たら、「文化に対する侮辱だ」みたいに言われてしまったりもするので、また国際化した時代でもあるので、さすがにみんな、そういうの敏感になっていると思う。

けれども、時々日本に居ても、たとえば白人の人とか外国人をいかにもなステレオタイプなイメージで描いていたり、メディアの中とか、CM、広告とかで、その他にもいろいろと外国の人たちに対して、「これはさすがにまずいだろ」っていう表現を見ることが、まだまだ、ちょくちょくあるもんな。

それから、日本にいて、一応のところキリスト教徒やってると、一般の日本人というか、日本社会の、この宗教とか、信仰ってことに関しての鈍感さに、これはまずいんじゃないか、ってやっぱり思うことは、とても多い。これは、今更あらためて言うまでもないことだろう。

 

昔の、いや、今でもそうだけれど、ハリウッド映画とかで、日本人と中国人の区別がいい加減だったり、いかにもなステレオタイプな扱いをされると、僕はわりと、クスっと笑いつつも、やっぱりむっとしてしまう。

上記のJake.E.Leeにしたって、オジーのバンドで雇われた時に、芸名で「リー」っていうラストネームを付けられたのも、東洋人の苗字って、「ブルース・リー」とか、みんなそういうイメージしかないから、「リー」になった、って。今思うとちょっと失礼な話だ。

 

僕らにしたって、過去にアメリカをバンドで回っていた時に、向こうのミュージシャンが(年齢層にもよるが)、僕らを見るたびに、口々に、”ドーモアリガット、ミスターロバット”(Styx)と歌い出したり、「Turning Japanese~」(The Vapors)とか歌い出すのを見ると、殴ったろか、と、ちょっと思ったのも事実である。

 

 

それはきっと、海外の大物バンドが来日して、「さいたまスーパーアリーナ」とか「幕張メッセ」とかでライヴをやる際に、「サンキュー、トキヨゥー!」と叫ぶのを見て、「ここ東京じゃねえんだけど。つーかトキヨゥ、って言うな、東京って言え」と思ってしまうのとたぶん根っこは一緒だ。

その点、2013年のあの来日公演の際のDavid Lee Rothは、当時習っていた、「普通の外国人以上に日本に興味を持ち実際に日本に住み日本語を学んでしまったが故のかっこ悪い日本語」をしゃべりまくっていて、それはもちろん、滑稽な日本語ではあったが、希有な例であったことには違いない。「カモン、エヴリバディ!」と言う代わりに「みなさーん!!」と叫ぶ様は、滑稽だったが画期的であった。さすがデヴィッド・リー・ロスである。

 

と、思えば、そういえば、5月にJapanese Breakfastが来日するということで、僕も昨年あたりちょっと聴いていたので、若干楽しみにはしているのだが。今どきのインディーシーンの音楽に、期待はしていないけれど、楽しみにはしている。つまり、アメリカのオサレ系インディで昨今ちょっと人気のあるところのJapanese Breakfastは、名前こそジャパニーズだが、韓国系アメリカ人の女性アーティストであり、彼女はそういった自分のルーツについてもブログだか、コラムとかにも書いていると思う。どうせアメリカの音楽ファンには、ジャパニーズもコリアンも区別つかないだろうから、っていう、そのへんが前提になった、オシャレなんだか投げやりなんだか微妙なアーティスト名ではある。

この曲のビデオとか、完全に狙ってやっちゃってる系だけれども。

どちらにしてもこの手のオサレ系インディは、センスのいい「いい女」であることが一番だろうから、バンドがどんな音を鳴らしてくれるか、そこにはあまり期待はすまい。いや、やりたいんだけれどね、僕も、この手のジャンルの音楽を。もう4、5年、やりたい、と言い続けているが、なかなか取り掛かれない。

 

で、何が書きたかったか、っていうと、「七輪」で思い出したんだよね。

まず思い出したのは、「Hibachi」のことを思い出した。

これは、たぶんアメリカの話なんだろうな。
アメリカに住んだことのある人、住んでる人は、アメリカで一般化している「日本料理」の中に、この「Hibachi」ってものがあることを知っていると思う。

あれは2010年か2011年だったか。とある教会で演奏をした時に、「ヘイ、Tak、日本食が食いたいだろう。ハバチを食べに行かないか」と聞かれた。

「ハバチ」って何やねん、って、当然、思ったわけである。
で、レストランの看板を見ると、確かに「Hibachi」と書いてある。発音的に「ハバチ」となってしまうらしい。

 

これと同じことで、英語をしゃべる外国人に「サーキー」と言われるのも、僕はちょっと納得が行かないのだ。つまりは「Sake」のことで、日本酒のことなのだが、せめて「サケ」って言えよ。っていうかサケってのは会話言葉ではアルコール全般のことで、「ニホンシュ」って言えよ、と言いたくなる。無理だとはわかっちゃいるのだが。サーキー、とか言われても、何だそれ、って思っちゃうじゃないか。たぶん、日本語が上手い人とか、日本での生活経験がある人は、「サケ」とか「ニホンシュ」とか言ってくれるに違いない。そしてそういう人は、ビールも「ビア」じゃなくて、「ビールぅぅぅ」と言うだろう。

 

で、話がそれたが、この「Hibachi」ってやつは、要するに日本語で言うところの「鉄板焼き」のことであるようだ。鉄板焼きステーキみたいな感じ。どこが日本料理なんだ、と言いたくなるが、そこは、言うまい。なぜなら、日本にあっても、中華料理とか、イタリアンとか、なんにせよ、日本風に全部アレンジされて、現地にそんなもの無えよ、って状態になっているだろうから。(僕ら、愛知県の人間は、あの「あんかけスパゲティ」が、世界共通のものであると、本場イタリアのものであると、信じて育ってきた。今はインターネット社会だから、さすがにそんな勘違いはないと思うが。)

その「Hibachi」レストランにおいて、インドネシア人(アジア系なら、みんな、区別つかないんだろう、これも、お互い様である)の料理人が鉄板焼きを作るのを見ながら、その牧師さんは僕に言った。「ヘイ、Tak、ミソスープの味はどうだ?」僕は、あまりにもそれが、普通にただのオニオンスープだったから、きょとんとして「え、どこにミソスープがあるの?」と聞き返してしまった。大騒ぎである。牧師さんは、インドネシア人のシェフに、「これはミソスープではないのか?」と詰め寄り、彼は「This is onion soup」とか言っている。俺のせいじゃないぜ、と言いたげだ。きっとあの牧師さんは、この店のスープが「ミソスープ」だと信じて通っていたのだろう。

 

日本人の言語感覚としては、なぜ、この「日本風鉄板焼き」が、アメリカにおいて「Hibachi」つまり「火鉢」と呼ばれるのか、ちょっと不思議に思うのではないだろうか。僕は、不思議に思った。つまり、「火鉢」っていうのは、どちらかといえば暖房器具じゃないか。fireplace、暖炉、みたいな。日本風バーベキュー、と言いたいのなら、「七輪」とする方が、日本人の感覚からすれば自然だ。
なぜそれを、「火鉢」というネーミングにしたのだろうか、と、僕は不思議に思った。

 

その答えは、2、3年してわかった。
2013年に、最初の年のXTJ(The Extreme Tour Japan)で、アメリカとカナダのバンドを日本に招いて、津々浦々を回った時。

とあるシェアハウスにお世話になり、そこで皆でバーベキューパーティーをやることになった。そこで、準備をしながら、道具の説明をして、僕は、(日本においてはなるべく日本語で話せよ、お前ら、という意味もあり)、「これは七輪っていうんだ」と、そのジャパニーズバーベキューの道具を指差し、説明した。

そしたら、彼らは、”What!?”と、一様に驚いた顔をして、僕に聞き返してきたのである。つまり、そこにいたのはGuysだったが、奥さんを連れて一緒に日本に来てる人もいたから。

 

その時、僕は理解した。
「七輪」(Shichirin)という言葉は、英語では「She Cheating」と聞こえてしまうのである。それは、日本語に訳すと「彼女は浮気をしている」という意味になる。

(Japanese Barbeque, “Shichirin”, somehow sounds like “She Cheating”. That’s probably why they decided to call Japanese BBQ “Hibachi” in American market. Hibachi, to us, sounds more like “firepot” rather than BBQ.)

これは、あまりよろしくない。
「彼女は浮気をしている」という名前のレストランとか、料理が、売れるわけはない。

そう思うと、たとえば日本の寿司職人が、最初にアメリカに渡った時に、海苔巻きが受け入れられず、知恵を絞ってカリフォルニアロールを生み出したように。

この「Hibachi」の裏側に、なんとか工夫をして、現地に受け入れられようと努力した、日本人の料理人や、経営者の顔が、浮かんできた。つまり、「七輪」というネーミングでは、現地に受け入れられないから、「火鉢」として、また、肉が好きなアメリカ人の好みに合わせて、「日本風鉄板焼き」を、編み出していったのだろうと、想像することが出来る。

 

「Hibachi」は、決して、伝統的な、オーセンティックな日本料理ではないかもしれないが、たとえ、ちょっと間違っていたり、勘違いされていたとしても、やっぱりそれは、国際化の時代における、ひとつの日本食の進化の形であり、また、愛される料理であるのならば、それでいいんじゃないか。

いろいろ複雑な気持ちにはなるけれど、食文化ってのは、難しいし、語り出すととても長くなるし、今の時代においてはなおさらだ。

だから、「七輪」ってタトゥーも、別にあったっていいんじゃないかと、思う。

 

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