長年、夢に見てきた理想のアンプ。
「Nabeshima」の制作にいよいよ取り掛かるにあたり、ふさわしいアンプを見つける必要があった。
これまで、過去何作かの録音制作については、録音に使っているスタジオ(普通のリハスタである)に置いてあるMarshall JVM210Hを使ってきた。
自分はJVMはモダンなマーシャルの中では決定版と言える優秀なアンプだと思っている。
だが、「鍋島」を制作するにあたり、もう一歩踏み込んだ表現力が必要だということはわかっていた。
というわけで、今年に入ってから、嫁さんに許可を取り、この「Nabeshima」の制作のための準備、必要な道具、機材を手に入れるという事を行っていた。
ギターアンプはその最も重要なものだった。
そんなわけで、実にひさしぶりに実機のマイアンプを所有することになった。
ここから先は、その手に入れたギターアンプ、および、ギターアンプ全般に関する所感であり、振り返りであり、記録である。
たぶんもったいぶった記事になるだろう。
まずは前提の話をすると、
(また前提からかよ、っていう)
日本に生まれ育ったギタリストとしては、また日本で演奏活動をするバンドマンとして、住宅環境、そして演奏環境ということがあり、ここはどうしても海外のギタリストと比べて、ギターアンプという点に関して、不利になる面がある。
つまり日本に住む、一般的なギタープレイヤーの皆さんは当然わかってくださると思うが、日本で一般的なインディのバンド活動をするにあたって、ギタリストはそもそもアンプを所有する必要がない。またその必然性も薄い。
ひとつには、日本の住宅環境だと、ギターアンプを十分な音量で鳴らす環境は稀である、ということ。
もうひとつは、日本のライブハウスには、大抵の場合、質の良いギターアンプが用意されているからだ。英語で言うところのbacklineがちゃんとしている、ということになる。
だから日本のギタリスト、バンドマンは、通常はそういったライブハウス、会場にあるギターアンプを使用することが一般的で、必然的に、個性を出すための音作りの大半は足下のペダル(エフェクター)で行うことになる。
このおかげで、日本のギタリストはエフェクターを多用したり、エフェクターの使い方がうまかったり、あるいは歪みエフェクターが発達したり、といった面もあったと思う。
逆に、一般的にリハスタやライブハウスに置いてある、その最たるものであるところのRoland JC120、いわゆるジャズコ、あれがギタリストにとっての標準となり、悪い意味で言えば真空管アンプならではのプレイやサウンドがギタリストの間に定着せず、ジャズコとエフェクターを使った音作りが一般的となって発展したという事も、日本のロックの歴史の中で間違いなくあると思う。
もっともその状況も時代とともに変わってきた。
デジタル時代になってからは、デジタルによるシミュレーションのアンプを、世界中のギタリストが使うようになったので、状況はがらっと変わった。
また、真空管アンプに関しても、時代とともに、個人的なニーズに合わせて、小型化し、出力の小さいものが増えてきた。またその価格も手に入りやすいものも多くなった。
なので、ギターアンプをめぐる状況はずいぶん変わったし、これから先、もっと変わることだろう。
と、まあ、そんな日本のギタリストをめぐる状況が前提としてあり、そうした中で育ってきた自分としては、さらに世代的な問題もあり、世界的な基準からみれば、ギターアンプということに関して、きちんと考えるようになったのはとても遅かったと思う。
自分はアンプは、今までほとんどの場合、消去法で選んできた。
Marshallを使うことが多かったのは、「よし、これだ」と思ったわけではなく、他のものではそもそも合わなかったからであって、その時に使っている楽器、ブースター用途のペダル、その時にやっていた楽曲のサウンドに対して、Marshallで十分に機能してくれたからである。というか、他のものは機能してくれなかった。
なので消去法で選んで、「そのへんのリハスタに転がっているMarshall」が、結局いちばんマシだった、というだけの話だった。
プレイスタイルだか、音楽性だか知らないが、たぶん僕はアンプに関して、好き嫌いが結構激しいみたいだ。
というよりも、物事全般に関して、好き嫌いや選り好みが結構あるのだろう。
ちょっとsnobになっているというか、hipster気取りというか、つまり人が使ってるのと同じのは嫌、みたいなところは多分にある。
そして、これも結論に近いが、自分は多分にして、なるべく安物を選んでしまう傾向がある。つまり、安物でもこれだけやれる、というか、安物でこれだけ戦える、みたいなポーズを取りたいのだろう。
あるいは単純にケチなのかもしれないし、もっと言ってしまえば貧乏インディバンドの人なので、予算が潤沢に無いだけかもしれない。たぶんそうだろう。
けれども、たとえそうであったとしても、きちんと音を探求し、音や性能や機能性を基準にして考え、理想のものを見つけた時、なぜだかしらないがそれが世間一般で言うところの「安物」として扱われていた、ということが多かった。
僕がBacchusさんのギターが大好きなのは、別に安かったからではない。
もちろん、値段が安かったことはありがたいことではあったが、僕がBacchus(Deviser/Headway)さんの楽器を好きになったのは、別に安かったからではなく、少なくとも自分の考える基準において、感じるところの感性において、それらが海外の有名メーカーのものよりも、サウンドや性能が格段に優れていたからだ。そしてそのサウンドや性能が、現実的に自分の音楽に役に立ってくれるものだったからである。
そして、今回僕は、”Nabeshima”を作るのにふさわしい、自分にとって理想と言えるアンプに、ついに出会ったわけだが、そのアンプは、やっぱり、世間一般に言うところの「安物」だった。
そのことは、たぶん偶然ではないし、神の恵みと言ってしまえばそれまでだが、導きや必然性は感じている。
僕がこれまでに試してきた、世の中にある色々のアンプ、それらについて、あらためてコメントを書くことはやめよう。
そういったコメントは、過去の日記で書いたことが何度かあると思うから。
でも、世間のギタリストが良いと言っている様々な有名ブランドのアンプは、自分にとっては良くない、合わない、嫌いだ、やれない、と思っているアンプが、たくさんあるのである。
たとえば僕はMesa/Boogieは苦手だ。嫌いと言っていいレベルだ。
ENGLも嫌いだし、ヒューケトも無理だ。
Soldanoは決して嫌いではないが、やはりほとんどの場合には合わない。
Bognerは例のプリアンプを一度レコーディングに使わせてもらったことしかない。良かったが、自分のための音だとは思わなかった。もっと試してみてもいいのかもしれないが、パブリックイメージの段階で、少し敬遠している(笑)
実はFenderは好きなのだが、自分はメタルギタリストなので、そもそも用途に合わないという事実がある。
そして僕はVan Halenの大ファンだが、、Peavey5150をはじめとするEVH、エディが使ってきたアンプ、あれらはもちろん嫌いではないし、ライヴの現場であれば、ぜんぜんやれる。
だが、自分の音としてレコーディングに使うとなると、やっぱり違う。
そんな中で、Marshallはそのへんにあるアンプであったが、消去法で「いちばん普通に機能するアンプ」として、これまで使ってくることが出来た。
JCM2000は決して好きなアンプではないが、当時、録音に使った時、その時の楽器、ペダル、楽曲にはきちんと合っていた。
そしてJVM210Hに関しては、「ドライブの緑のチャンネル」しか使っていないが、JCM800みたいなナチュラルな歪み方のニュアンスを持ちつつ、もうちょっとだけモダンに寄せた音が出るので、今までで一番、自分にとっては理想に近い、理想のサウンドとは言わないまでも、理想の使い勝手と言うことは出来るくらいのアンプだった。
自分はJCM800はかなり好きである。
後の時代のリイシューの800も、素直で扱いやすいと感じるが、
80年代の古い800を弾かせてもらった時に、やはり「これは」と思うものがあった。
必ずしも扱いやすいアンプではなかったが、そこが気に入ったのだった。
おそらくは、それ以前の、いわゆるプレキシとか、ヴィンテージと呼ばれるような古いマーシャルを探求してもいいのかもしれない。
けれど、そういうのを手に入れる予算はおそらく無いだろうし、そもそもおそらく、それらのプレキシだのヴィンテージだのというやつでは、僕の用途には最初っからゲインが足りないだろう。
うちはゴリゴリのモダンメタルではないが、それでもやっぱり、メタルバンドであることには違いない。
ゴリゴリのモダンなハイゲインアンプは、自分には合わない。そういうアンプで、自分の求める音は出ない。
また、サウンドやプレイに関して「上げ底」されているモダンなタイプのアンプでは、僕の求めるニュアンスは出ない。
かといって、一応メタルバンドであることには違いないので、ヴィンテージタイプのアンプでは、絶対的にゲインや、音の太さが足りない。
Eddie Van Halenが大好きだけれども、かといってエディそのままの仕様では、自分の求める表現が出来ない。
みんなが使ってるようなのはイヤ。
機材、道具のルックスというか、見た目も、うるさくなく、かといってダサくもなく、しっくりくるものでないとイヤ。
トラディショナルなテイストが欲しいけれど、がっつり定番なものもイヤ。
なんかとにかく、やっぱり意外とわがままなのかもしれない。
だから、そういった古いJCM800や、古いプレキシとか、探せばいいじゃん、みたいにも思わなくもない。
けれども、それはまた後にとっておこう。
そしておそらくは、使い勝手の面で、僕はきっとそれらのものにも満足しないだろう。
機能性、と言うのだろうか。それとも万能性と言うべきか。
たとえば、自分の音楽性の幅を鑑みた上で、あれもこれも、これひとつで全部対応できる、みたいな幅の広いversatilityを、僕は道具に対して求めていることを、今ではわかっているからだ。
そんなわがままで、好き嫌いの激しい僕が、ついにようやく、自分で所有したいと思える、理想のアンプに出会った。
このブログの記事で、そのアンプの名前は書かないよ。
だって、安物だから。
安物だから恥ずかしいというだけでなく、
これもhipster的な気取りなのだろうけれども、もったいぶって、書きたくないのだ。
ただ、僕はそのアンプに、”Imaria”という名前を付けた。
そして同じブランドから、同じデザイナーの手が加わった、多少ニュアンスの近い小型のモデルも出ていたので、それが二束三文であったことをチャンスと思い、小回りの効くサブ、ないしは練習/ライブ用として入手し、それに”Little Imaria”と名付けた。
“Imaria”は50Wのモデルであり、また”Little Imaria”は20Wのモデルであった。
その小型のサブ機である”Little Imaria”については、今回は詳しくは書かない。素直な特性とパワーを併せ持つ貴重なアンプだが、”Imaria”の性能には及ばないし、これこそ利便性を求めて手に入れたものだからだ。(可愛いけどね)
今回の「理想のアンプ」との出会いには、実は過去に伏線があった。
僕が過去に自分で買って所有したアンプと言えば、
10代の頃の練習用シャーベルを別にすれば、
初期の自宅録音に使っていたMarshall Valvestateの65W 1×12のコンボ。
この当時は、ペダルで音を作っていたので、ペダルの受け皿、スピーカーとしての役割だった。そしてその役割には十分に優秀だった。
そして、某E社の安価な50Wのアンプ。これについてはこれから書く。
ツアー用に米国で入手したPeaveyのValveking 50W 1×12コンボ。これも、録音となると役不足ではあるものの、ギグ用としては非常に気に入っていた。Y牧師が同じものを購入して、日本でも使うことが出来た。もう廃盤かと思うが、使い勝手が良く、今でも欲しいと思うくらいだ。
で、あとは・・・これだけか。
だから、本当に、自分でアンプを所有したことは少ない。
(もっとも、今時、パソコンの中にソフトウェアのアンプはいくつもあるけれど)
なので、今回、この”Imaria”および”Little Imaria”を手に入れたことが、自分のギタリスト人生の中ではいかに大事件か、と言うことができる(笑)
で、2008年の初頭であったと思う。
その時も、自分にとっての理想のアンプって何だろう、と考えていた僕は、その聞き慣れないE社のアンプを、うっかり手に入れてしまった。それは、とんでもない安物だった。
“So Cal”というわざとらしいが素敵な名前と、自分好みのクラシックなルックスを持ったその50Wのヘッドは、決して悪いアンプではなかった。
だが、しょせんは安物であり、セッティングをほんのちょっとでも間違えると、というか、ほとんどのセッティングでは、kusoみたいなひどい音しか出なかった。(真空管替えりゃ良かったのかもね)
だが、うまくちょうどいいセッティングを探り当てると、見事に理想のサウンドが出てくれた。
いや、本当に理想、とは言わないものの、かなり理想に近いサウンドだったのは事実だ。
それもそのはず、そのアンプは、製造こそメイドインチャイナであったものの、そのパネルには、”Designed by Soldano”と書かれていた。
そのアンプを使って、当時の僕は、”Welcome To The School”というアルバムをレコーディングした。あのアルバムのミックスはギターが控えめで、そこは賛否両論だが、ギターサウンドは決して悪くはなかったはずだ。
これらがそのレコーディングだ。
そのE社のアンプは、すぐに廃盤になってしまったが、当時のアメリカや世界の経済状況に合わせたバジェットアンプの流れのひとつであり、また、その企画が、そのすぐ後に立ち上げられたJet City Ampにつながっていったのではないかと推測している。
だから、後になって何度か(ソフトウェアも、実機も)弾いてみたところのJet Cityのアンプ(Designed by Soldano)は、確かに僕がこの時使っていたE社のアンプにとてもよく似ていた。(もちろん、使い勝手ははるかに向上していたが)
つまり、その”So Cal”という名前を持ったE社のアンプは、セッティングをひとつ間違えるとひどい音しか出ない、という基本的なところでのクオリティの不足はあったが、ルックスにせよ、サウンドにせよ、製品のコンセプトにせよ、実は僕にとってはかなり理想に近いものだったということは事実だったのだ。
(だが、もろもろの事情によって、また、その基本的なクオリティの不足によって、すぐに売り飛ばしてしまった)
僕はSoldanoは決して嫌いではないものの、サウンドキャラクターがやたら頑固なため、合う曲と合わない曲がどうしてもあり、そしてどちらかといえば、合わないことの方が多かった。
だが、「廉価版ソルダーノ」であるところのJet Cityは、高級な本物にくらべ、庶民向けに作られているせいか、頑固なところが薄まっており、より使いやすくフレンドリーになっていたからだ。
もっとも、しょせんはメイドインチャイナの廉価版の安物であるから、電源だか、配線だか、トランスだか、何かが原因で、全体的な音の安っぽさ、奥行きの無さにつながっていて、そこが僕としては、「完璧」とは言えないポイントだった。(しかし、そもそもSoldanoに奥行きがあったかどうか、うん、それはまた別の議論であろう)
そしてまた、SoldanoをベースとしたJet Cityは、タフで豪快なアメリカンサウンドだろう。もちろん、僕はそういったサウンドは好みだが、今の僕のアンプに対するニーズということを考えると、もう少しブリティッシュ寄りの製品があったなら・・・そう思ったことも事実だった。
しかしJet Cityということに関して言ってしまえば、Mod、つまり改造をすることが定番だ。ネットを検索すると、やはりどうしても日本語の情報は少ないが、世界中でいろんな改造をしている人たちの例が、いっぱい出て来るはずだ。そこでパーツをグレードアップするなり、好みの音にするなり、そういったお手軽な改造のプラットフォームとしてJet Cityが人々に提供したものは、計り知れないだろう。
さて、その後、リハスタの適当なアンプで制作をしていた僕にとって、JCM2000は決して理想とは言えない、本当に純粋に消去法でしょうがなく使っていたものであった。
しかし、その時に使っていた楽器やペダルとの相性は良かったし、その時の楽曲にも合っていた。
モダンなマーシャルはみんなそうだが、クランチ程度の歪みチャンネルは問題がないのだが、ハイゲインみたいなモードに切り替えると、ノイズが乗るとか、不自然な使えない歪み方をするとか、やっぱりあって、僕もやはり2000に関しても、リードチャンネルとかは使わず、クランチ程度のモードを、ブーストして使っていたのだ。(やっぱハイゲインなMarshallに関してはJCM900のSLXが最高傑作だったのかね)
もっとも2000はかなり「ぐちゃっと」歪むアンプであったのも事実で、意外とVan Halen的なブラウンサウンドを出したい時のプラットフォームとしては、適したアンプであったことも確かだと思う。
そんで、その2000を作ってレコーディングしたのはこういう感じの楽曲たちだ。
数が多くなるから載せないけれど、”Faith Rider”とかやってる”Victory In Christ”アルバムも、JCM2000であるよ。トレブリーな音だけどね。
あと、ちなみに、ツアー用のPeavey Valvekingの1×12コンボでレコーディングした曲が、これですね。
それ以降、Bacchusの日本製レスポールを使うようになり、自分のサウンドの価値観も変わっていき、ちょうどそれに合わせるようにして、リハスタでJVMが使えるようになった。
しかし上記のとおり、モダンなマーシャルは、ハイゲインなモードだと、やっぱりぱっとしないところがあり、(だからハイゲインなニーズのギタリストたちは、Marshall以外のアンプを使うわけだろう)、
なので、やはり「緑チャンネル」のクランチをペダルでブーストする形でしか使わなかった。
しかし、800っぽいナチュラルなMarshallなサウンドながらも、もうちょっとモダンな音で、自分にとっては理想に近く、少なくとも使い勝手の面では、「今までで一番安心できるマーシャル」であったことは事実だった。
そのJVM210Hを使って、[Tone-Hassy-Jake]体制の後半の5年間の間に、3枚の作品をレコーディングした。
その中で、ギターの音がわかりやすそうなものをのせておきます。
どっちにしろ、近所にそういう立派なリハスタがあり、そこで、質の良いアンプが、キャビも含めて置いてあり、ちゃんと整備もされていて使うことが出来た、ということは幸運なことであり、日本という国のアンプ環境、演奏環境は必ずしも良くない面も多いが、かといって、設備に恵まれていた点には感謝すべきだろう。
で、そんなこんなで、好き嫌いも激しく、僕は皮肉屋で、ひねくれた価値観の持ち主であるから、「ああ、アンプなんて言ったって」とか、いつも思っていたが、
そうはいっても、「自分の理想のアンプは・・・」なんていうことは、もちろんギタリストだから、いつも考えてはいたさ。
いつだったか、カナダのギタリストで自分でアンプを作ってるやつに、Trainwreckだかなんだかのコピーを弾かせてもらったことがあって、その時の経験も、前にちょこっと日記に書いたことがあったと思う。結論から言えば、とても良かったが、自分の音楽にはやっぱり合わないという感じだったのだ。
そんな感じだから、「ダンブルが究極」とか言ってくれるな。しょせん、私はメタルだし、その中でも、微妙な立ち位置の音楽性にあるのだから。
電圧の問題については、絶対にあるけど、今日は触れない。ただでさえ長々書いてるのに、終わらなくなってしまうから。
そういえば、10代の頃、高校の時とか、理想のアンプについて考えていた。
つまり、自分が将来、シグネチャーモデルのアンプを作るとしたら、どんなものを作りたいか、夢想していたのだ(笑)
そのネーミングは、”Whopper”にしようと考えていた。
つまり、それはバーガーキングだけれども、セットメニューの”コンボ”ってやつに引っ掛けて、ヘッドだけでなく、コンボアンプの場合は「ワッパーコンボ」と言えるからだった。
しかし、そんな巨大ハンバーガー的な、がっつり歪んで豪快で分厚い音のする、いかにもVan Halen的なテイストのアンプを思い描いていた。そして、その時に頭の中で鳴っていた音は、今、現実にエディがEVHの5150Ⅲのアンプでほとんど実現してくれているように思う。
だが、もちろんのところ現実には、自分の音楽を追求していく中で、僕の求めるサウンドの方向性は、いつの間にかそこから(EVHとは)違う方へと向かっていた。
もし、僕が本当に今、立場や予算を与えられて、オリジナルの「シグネチャーアンプ」を作るとすれば、やはりALBITさんを訪ねることになるだろう。
もう長い間、僕の足下には、AlbitもしくはCranetortoiseのペダルが、だいたいいつもあった。実を言うと、今はもうないけど、しかしやっぱり実を言うと、今、ベースを弾いているところのうちの嫁さんの足下には、やっぱりAlbitのペダルがふたつ並んでいる。
それくらい、Albitさんの音には共感していて、好みの音であることが多いから、アンプの制作をお願いするとすれば、やっぱり一番はそこになる。そして、実際にあそこにアンプの制作を依頼する人は多いだろうと思う。特に音のわかる「玄人」はそうだろう。
僕もそれをやってもよかったのかもしれないが、ヴィンテージのMarshallをいつかディグる日が来るように、それをやるのも、後の楽しみにとっておこう。
(つまり、ALBITさんが待ってくれるとは限らないが、いつかそういった小規模なブティックっぽいビルダーさんに作ってもらうような機会が、あるといいなという事だ)
僕はEddie Van Halenの大ファンで、ずっと豪快で開放的なアメリカンハードロックに憧れてきたが、今の僕のサウンドの志向は、もう少しブリティッシュな方向性に向いている。
だから、「鍋島」のためのアンプも、そういったニュアンスを持ったものでなければいけない。それはもちろん、これから作るその”Nabeshima”だけでなく、その先に鳴らす音のためでもある。
と、そんなふうに、現実にはなかなか存在しないところの「夢のアンプ」を思い描く中で、ある日、ネット上で、やたらめったらかっこいいアンプを見かけた。もう何年にも前になると思う。
それはVictory Ampsだった。
なんでも、Cornfordというアンプを作っていたMartin Kiddという高名なアンプビルダーが、新たに立ち上げたイギリスのアンプメーカーだということだった。
その音のサンプルをネット経由で聴くと、「ちょっとミッドが濃厚すぎじゃね、笑」と、思ったが、しかし、とにもかくにもやたらめったらかっこいいのは事実だった。ちょっとルックスも濃厚すぎて、うるさい見た目だけどね。
俺は思った。これひょっとして、俺にとっての理想のアンプなんじゃね、と。
しかし、その時も、そして、それから何年も経過した今でも、やっぱりいまだに、そのVictory Ampsは、日本に代理店がないようで、国内販売が無いではないか。
うむ、残念。
そう思っていたのだが、ある日、見つけた。
このMartin Kiddさんのアンプが、日本で買える方法、あるじゃん、しかも、格安で。
しかも、あのちょっと派手すぎるVictoryの見た目にくらべ、もっと自分好みのルックスで。
もっと自分好みのパッケージで。
そして、もっと素敵な名前で。
JVMは、今のところ、これまで使ってきた中でいちばん満足のいくアンプだった。(録音制作の話ね。ライブはもっと色々、環境も条件も、セットリストも関わってくるから。)
でも、これから”Nabeshima”を作るにあたり、もう一歩、踏み込む必要があるとしたら、こいつが、その必要を満たしてくれるかもしれない。
僕は、2008年当時に、そのE社の安物のアンプを買ったことを思い出した。
なんか、とてもよく似ていたからだ。
似ている理由は、ここまでの文脈からも推測できるだろう。
つまり、あの時、クオリティの点でまだまだ不完全だったその、庶民のための廉価版アンプが、
時代の変化にともなって、ついに完全になって戻ってきてくれた。
自分の注文どおりの、ホットロッドされたヴィンテージブリティッシュな方向性になって、戻ってきてくれた。
はっきり言って、俺は安物でいいのだ。
というか、安物の量産品でやることに意義を感じている。
(それは僕が、あの古いロボットアニメ、ボトムズのキリコに憧れているからだろう、笑)
これはたぶん、最強の安物ではないかと思う。
現に、それほど好き嫌いの激しい、わがままな自分が、このアンプのサウンドと性能に、ぶっとんだからだ。
ちゃんとスタジオでJVMと比較してみた。
“Nabeshima”の制作にあたり、JVMよりも、もう少しだけ、個性が出せたら。あと一歩だけ、踏み込むことが出来たら。ほんの少し、何かの点で、ちょっぴりJVMを上回っているところがあれば、十分だった。
だって、JVMはもともと、とても優秀なアンプだからだ。
何分の一、というような廉価版のアンプに対して、正面きってJVMを上回ることは、期待はしていなかった。
けれど、比較してみて、まったくのぶっちぎりだった。
JVMよりも、ちょっとだけいい、って感じじゃなかった。
圧倒的に、ぶっちぎりで、上回っていた。
そして、何より大切なことに、それを間違いなく「自分の音」と感じた。
一番驚いたのは、”Imaria”を弾いた後、比較のためにJVMに戻した時。
Hassy&Jakeと何年もリハーサルで使い続け、3枚も録音制作に使った、その使い慣れたはずのおなじみのJVM。
それが、”Imaria”を弾いた後だと、「まったくの他人の音」と感じた。
使い慣れたはずのJVMを、それほど「遠く」に感じるほど、Imariaの音は、自分に「近い」ものだったんだ。
他人から見れば、これは、ただの「安物」であり「廉価版」なのかもしれない。
しかし、僕にとってみれば、これがいかに、ピンポイントで自分の好みに合わせて作られたプロダクトであるか、わかるだろうか。
(そして、僕がここ最近、ソフトウェアのアンプで一番気に入っていたのが、MercuriallによるフリーウェアのCornfordを模したものだったというのは、どういう偶然なんだ)
今の僕のサウンドの志向性は、ブリティッシュに向いている。
けれども、僕は日本人だし、もともとアメリカンハードロックが大好きだ。
少しはアメリカンな大味な部分も兼ね備えていてほしい。
ハンバーガーのような大雑把さも、少しだけ持っていてほしい。
そして、もっと言えば寿司のような切れ味も兼ね備えていてほしい。
求め過ぎかな。きっとそうだろう。
しかしこの”Imaria”が、そんな僕のわがままに、ちょうど応えてくれるものだったなんてことは、きっと他人には理解できないだろう。
そして、まるでその「飛行機」のようなルックスだ。
Imariaを手に入れて、僕がずっとアンプに求めていたその「クラシック」とは、飛行機であったことに気が付いた。
僕は車は好きじゃない。ギタリストは大抵、クルマ好きだと言われるが(昔の話か)、僕はクルマは好きじゃない。
バイクも、興味がないとは言わないが、別にそそられることはない。
唯一乗るとすれば、スケートボードくらいだ。
そして、たとえ憧れていたとしても、飛行機を自分で操縦することも、きっとないだろう。
(その飛行機のモチーフが、リチャード・バックのそれであれ、宮崎駿のそれであれ、あるいはまた別のものであれ)
だから気が付いた。
きっとギターアンプこそが、僕にとっての飛行機であったことに。
やっと、そう言えるものに出会えた。
こいつで世界の空を飛ぶのだ、と、そう言える機体に出会えた。
だからそれが、伝説の飛行機乗りの名前を冠していたことは、決して偶然ではなかった。
で、その驚異的なまでのVersatility。
だからこそ、こいつで世界の空を飛べる、と言える。
ヴィンテージにも憧れるけれど、きっと僕は、こういった幅の広さ、ある種の万能と言える機能性を、道具に求めるのだろう。
(もっともそのversatileというものの基準も、人によって、そのニーズによって違い、その人の持つ表現の「軸」に合うものであれば、たとえ一種類の音しか出なかったとしても、その人にとって「万能」となるのだと思う)
さて、そんなふうにして、長年の伏線を経た上で、ついに出会った「自分にとっての理想のアンプ」であるけれども、
この”Imaria”は間違いなく安物だ。
そしてこのモデルに対しても、オフィシャルに、いくつものMod、改造のメニューが用意されている。
そのメニューの内容を見ると、単純なパーツのアップグレード、つまり、キャパシターやトランスの交換から、
世にある様々な人気のアンプ、たとえばENGLにせよ、Bognerにせよ、Friedmanにせよ、そういったアンプと同じ音に出来ますよ、みたいなMODの内容も、いくつも掲載されている。
そこから見えてくる事実は、世の中には色々なアンプがあるが、しかし、その実、回路の設計という面で見れば、実際にはちょっとの違いしかない、ということなのだと思う。
そのちょっとの回路の違い、パーツの選定の違いで、ちょっとした音の色付けとか、音のキャラクターを決めて、あとはそれに、ブランドとか、かっこいい名前をつけて、かっこいいシャーシに入れて、場合によっては有名なギタリストのエンドースを取り付けて、そうして世に普及するのだと思う。
そう思うと、なんだかな、というか、そんなもんか、というか、
別にアンプなんか、どれでもいいや、と思えてくるのも事実であった。
どうせ中身の回路に大差は無いんだろ、って。
オーバードライブのペダルでも同じことを思うけど。
そして、ネット上のフォーラムとか動画とか見ると、世界中のギター弾きの皆さんが、夢中になってmodしているのだが、それはもちろん、音は変わるだろうし、良い方向に変化することも多々あるとは思うが、果たして実際上、それが必要かと思わされるのも事実だった。
今の時代には、様々な機材に関して、安価でも性能の良いものがたくさんあり、しかしその性能と比較すると、世の中のミュージシャンの皆さんは、まだまださぼっているのではないかと思わされる。
楽器だけでなく、アンプもそうだが、録音機材に関しても同様だ。
つまり、良いものを求めればキリがない。何百万円もする高級なんちゃらが無ければ、音楽が作れないと、皆さん思っているのではないだろうか。
高級なアナログ機器は高価かもしれないが、もっとも高価な「アナログ」とは、人間そのものであることを、忘れてはいないだろうか。(キリッ、って書くところだよね、苦笑)
少なくとも、僕は”Imaria”を弾いてみて、こいつのどこにmodが必要やねん、と思った。
こんなん、贅沢すぎるやん、こんなんで作れん、とか、そんなわけがあるかい、と。
(もっとも、真空管の交換は、ぜんぜん現実的やと思うけどね・・・)
そういったMODは、オフィシャルが提供しているとすれば、それは、廉価で販売しているそのメーカーが、利益を確保するための有効な手段であり、またそれ自体がエンターテイメントでもあり、それによってカスタマーもハッピーになって、メーカーにも余計にお金が入るのでみんなハッピーな手段である。たとえ、そのカスタマーがハッピーになっているのが、日本語で言うところの自己満足に過ぎなかったとしても、だ。
また、その改造メニューの中に「チョーク」というものがある。
つまり、僕はアンプ制作や回路の知識はまったくないので、ググって読んだだけのことであるが、チョークというものは、電源のあたりに付いている、なんかしらんがフィルターする何からしい。
そして、一般的な高いアンプには、普通はそのチョークだか、チョークコイルだかいうものが、付いているのが普通らしい。
だが、安価なアンプは、そのチョークというものが付いておらず、代わりに抵抗だかなんだかで代用している、ということだ。
なので、安価なアンプに関しては、その「チョーク」なるものを取り付けることで、反応が良くなる、と、そう書かれている。
そう言われると、取り付けなくてはいけないような気がしてくる。
しかし、ここで、僕のヒーローであるところのEddie Van Halenを見てみよう。
エディのシグネチャーアンプである、Peavey 5150、そして、現行のEVHのアンプには、ネットでぐぐった限り、その「チョーク」というものは付いていない。
ちょっと検索すると、EVHのアンプデザイナーであるところのMike Ulrichなる人物のインタビューが出て来るはずだ。(https://www.guitarplayer.com/miscellaneous/evhs-mike-ulrich-on-the-making-of-the-5150-iii)
その中で、その人物はこう言っている。
「5150Ⅲの電源部分にはチョークを取り付けなかった。なぜなら、その方が電源が自由に呼吸が出来るようになり、自然なサグ感が得られるからだ」とか、なんとか言っている。
つまり、エディは、その「チョーク」なるものが無い方がいい、と、音で判断した、ということだと思う。
で、あれば、僕も、「ええー、高いアンプにはみんなチョークが付いてるって話なら、僕も改造して取り付けなきゃ!」みたいには、思う必要はたぶん無い。
自分にとって必要な音が出ればいい。
それ以上でもなければ、それ以下でもない。(キリっ)
ついに出会った自分にとっての夢のアンプ”Imaria”、僕はこいつを「鍋島」のレコーディングに使うだろう。
しかし、最初に前提として書いたとおり、日本でライヴ活動をしていて、果たしてそのアンプを、ライブの現場に持ち込むかどうか、それはわからない。
でも、ゆくゆくは、ライヴの場で、そのサウンドをぶっ放す日が来るんじゃないかと、それを楽しみにしています。
まぁ、その前に”Little Imaria”があるけどな。
(練習のためにお借りしている某スタジオで、他人のアンプを使わないため、というよりは、感電して死なないために入手した、というのはシリアスな事実です)