ロックが死んだ瞬間を目撃した世代だからこそ

先日書いた文章の続き。

僕らはおそらく、ロックンロールが死んでいく様子を目撃した世代であり、
また、民主主義が死んでいく様子も否応なく目撃することになった世代だ。

インターネットが民主主義を殺したという言い方が出来るとすれば、
また同様に、インターネットがロックンロールを殺したという言い方も出来る。

僕は民主主義の現状が理想から程遠いことに絶望し、それによって仕方なく音楽を始めた人間であるが、
しかし僕が音楽を始めたその頃、ロックンロールは既に死んでいた。
十分すぎるほど死んでいた。

そして、その死んでいることを前提として僕は始めた。
いつも繰り返し言っていることだが、だからスタート地点は絶望であり、そこにあった景色は、何もない荒野だ。

僕は、その何もない荒野の光景を目の前に、それを知った上で始めたが、その後、実際に見て来たものも、言葉もないくらいにことごとく「死に切った」現状だった。

もちろん、さきほど言ったように、それらの美しい「燃え残り」「消え残り」を、小規模ではあるがもっとも進化した炎を、その「最涯の光」を、僕は確かにいくつかは見つけてきたわけだけれども。

 

ロックンロールというものは、民主主義の音楽であり、
少なくとも僕にとっては、ロックンロールと民主主義はおおよそ同義のものだ。

その死んでいくロックンロールの、消え残った残り火であるとか、小さなかけらを、最後の進化を遂げようとするその姿を、僕は追い求めてここまで来た。

しかし、時すでに2019年ともなれば、それが「ロックンロール」であれ「パンク」であれ「ヘヴィメタル」であれ、「ポストロック」(言葉が矛盾)であれ、何度死んだのかもわからないくらいであり、僕の目の前にあるのは累々たる屍の山と、言い知れぬ哀しみばかりだ。

 

民主主義の現状っていうのは、それくらい情けないものだ。
そして人類の現状というものも、それくらい情けないものだろう。

時代はすでに2019年にもなり、目の前の現実を君はどう思う。
目の前にある現実を見て、これが夢に見た理想の未来であると、そう言い切ることが出来るまでは、俺たちは・・・

 

人間が自由意志を持った時、何を選ぶのか。
それは、聖書のいちばん最初の場面にすでに書いてある。
人は神に従うのではなく、悪魔のささやきの方を魅力と感じ、罪という果実を食べてしまう生き物だ。

だからこそ、ただギターを持って音をかき鳴らす、というそれだけの行為であっても、
人はそれを純粋な自由意志で鳴らすことすら出来ない。

鳴らす前から、「罪」というものにがんじがらめになってしまっているのが現実だ。
物理的にも、精神的にも。
(エレクトリックギターひとつとってみてもそうだ)

ほとんどの人間にとっては、自由なんていうわけのわからないものよりも、
誰かの言いなりになって支配される方が楽に決まっているのだから。

与えられたガラスの箱(glass ceiling)の中で、安全な音だけを鳴らす方が、みんな安心なんだ。知ってる。
それは、国の体制が多少ちがっても、だいたいみんな、そうだろう。

ロックンロールが終わって久しい現代、
妥協に妥協を重ね、すでにロックンロールはその本質から遠く離れ、音楽は素晴らしいものでも、エキサイティングなものでもなくなってしまっている。

それが、民主主義という名のもとで、人々が選んだものだ。

 

けれどもこの問題は、はるか昔から、数々の宗教家が取り組んできたことでもある。

少なくとも、「大衆の救済」みたいなことに取り組むところの宗教、
たとえばキリスト教や大乗仏教はきっとそうだろう。

いちいち説明はしない。
カトリックであれ、日本の仏教であれ、
洋の東西を問わず、歴史の中にいろんなことがありすぎるから。

仏教の場合には、たとえば「ナミアミダブツ」って言えばオッケー、って、そう言ってみたりした。

大きな志と慈悲の心を持った宗教家たちは、
(まぁ別に宗教家じゃなくてもいいんだけど)
そこにある矛盾に、苦しみながらも向き合ってきたはずなんだ。

言ってしまえばキリストの十字架っていうのは、その究極の象徴だ。

罪は全部俺が背負ってやる。
だから信じろ。
それでも信じろ。

そう、彼は、俺たちに呼びかけた。
神の子として、「ユダヤ人の王」として。
その声は、今でも響き渡っている。

 

ロックンロールは、その表舞台においては、
何度も死に、嫌ってほど死に、とっくに死に絶えて久しい。

けれど、その「霊」は決して消えてはいない。

キリストが地上を去った後、「聖霊」ってやつが皆に降ってきたのとおんなじだ。

民主主義もおんなじだ。

そいつは、殺せるようなものじゃない。

どこかの宇宙アニメの登場人物の言葉ではないが、
民主主義は、終わったんじゃない。
まだまだ未熟で、始まったばかりなんだ。

霊における「救済」なんてものが実現したとき、
その時、民主主義ってやつは、やっと完成する。
その時、「神の御国」ってやつも、そこにあるはずだ。

やっぱりちょっとニュータイプっぽい、ガンダムの。

 

僕はロックが死に絶えたところから始めた。
だからこそ、今の民主主義の現状に対する答えも、
最初から知っていたことになる。

愛を知ること。
愛を信じること。
そして、
あきらめない、ってことだと思う。

 

でも、本音を言えば、一日の半分くらいは、人類も世界ももうダメかな、って思いながら生きてるよ(笑)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

トップに戻る