理想の世界を思い描くことがある。
これも歳を経るにつれて、そうなることが増えてきたように思う。
その世界では、
グレタちゃんは抗議活動ではなく、他の何かで有名になっている。
スポーツかもしれないし、アートかもしれないし、発明かもしれない。
(わかるよね、その世界では、すでに環境問題は解決されているからだ。)
香港では自由と独立を記念して百万人以上の人がストリートに集まって祝う。その様子が美しい夜景とともに報道される。アグネス・チョウさんは学生の代表として他の若者たちと共にスピーチし、夢を語る。
桜を見る会には、身寄りのない人や路上生活者がみんな招待される。
山本太郎さんは世界的な名俳優として大成している。たぶん政治家とか宗教家とかスケールの大きな役どころを得意としているだろう。(つまりその世界では、彼は政治家に転身する必要はなかったのだ)
あるいは田代まさしさんは、「こんな自分でも社会の役に立てる」という内容をコントにしているかもしれない。
そしてVan Halenは20枚目のアルバムをリリースし、歴代のシンガーをフィーチャーしたワールドツアーに出る。
そんな世界があったとしたら、君は何をする?
そんな世界で俺は・・・
わかるだろうか。
「俺は・・・」以下が、自分が本当に望むものであり、これから自分が為すべきことだ。
理想の世界を取り戻しに行こう。
もう一句。
逆説的であり、同じテーマかもしれない。
身近なところで言えば、
うちの嫁さんは、いつもどうして、こうも幸せそうに笑っているのだろう、と思うことがある。
昔からそうだったが、歳を取れば取るほど、そのように思う。
毎朝、毎晩、楽しそうに鼻歌をうたい、きゃーきゃーにゃーにゃーと騒いでいる。はたして人間とは、このようになれるものだっただろうか。
けれどもこれが逆の可能性もあったのかもしれない。
うちの嫁さんは、なぜいつも泣いているのだろう、となっていた可能性だって、あったのだと思う。
それについては、あまり他人にはわかってもらえない領域であるが、けれども重く受け止めて、思いを馳せなければならないと思う。
いつも言っていることだが、僕は、望んで今のような人生を始めたわけではない。
彼女に出会わなければ、そもそも、僕が鳴らしているこの音楽は生まれなかった。
だが彼女に出会ってしまったからこそ、僕の人生は、そしてこの世界は、このような難問に向き合うことになったのかと、思わずにはいられない。
理想の世界の中では、僕はそもそも音楽をやっていない。
だが彼女がいないのであれば、そんな理想の世界に生きていたいとは思わない。
これでよかったのか、あるいは、そうでないのか。
それは、本当のところは神様にしかわからない。
あるいは彼女の存在は、僕の人生における最大の謎なのかもしれない。
けれど、その意味を僕は考え、決して軽くはないその答を受け止める。
受け止めた上で、彼女がより笑える世界を、探すより他ない。