現代のバンドにとって武道館は目標たり得るのか

追記。
僕の言葉はわかりづらく、あるいは誤解を招くかもしれないので、
僕はこの武道館でイベントをやりたいという夢を持っている青年に対して、批判するものではないことを明記しておきます。
僕は彼に対して「そんな大きな夢が実現するわけない」と言ったわけではなく、「そんな小さな夢でいいのかい」と問いかけたつもりの趣旨です。
世間からすれば弱者の遠吠えに聞こえるかもしれませんが、しかし芸術家の中には同意してくれる人がたくさんいると思いますが、僕の価値観の中では、「武道館で演奏する」というのは難易度で言えばいろいろな夢の中で「低い難易度」の中に分類されるものだからです。
そして、当然ながら、彼が本気でそれを望んでいるのであれば、その夢は必ず実現するでしょう。僕みたいな者が何を言っても言わなくても、やる奴はやるし、やらない奴はやらない。きっと若者はどんどん行動して、夢を実現させるでしょう。
もし老婆心があるのだとすれば、「それは君の本当の夢なのかい」「世間の価値観に振り回されていないかい」ということくらい。
僕が言いたかったのは、「もっと夢は大きく持っていいんだぜ」「人間にはもっと大きな夢が必要なんだ」ということです。
そして、、、行間の部分、後は察してね、ということ。
僕はそもそもヘヴィメタル、さらにその中でもニッチな「クリスチャンヘヴィメタル」を選んだ人間ですから、そういった世間一般のポピュラーな価値観とは違うところにいる人間だということです。
追記ここまで。

 

 

先月、御園バプテスト教会で行ったライヴの際に、一人の熱心なクリスチャンの青年が見に来てくれた。

僕はその青年と、その時は直接には話さなかったのだが、嫁さんが後で教えてくれて「クリスチャンのアーティストを集めて武道館でコンサートをやるのが夢なんだって」と言っていた。

僕は、ほほう、そりゃ立派なことだ、と思ったが、
同時に、現代に生きる若者が持つ夢としては、少しばかりスケールが小さいのではないか、ということも思った。

その青年はたぶん、すでに、この狭い日本のクリスチャンの世界の中では、結構顔が広いと思うので、あるいは知り合いの人もいると思う。

で、僕はその日は彼とは話さなかったのだが、また別のライヴの場にて、まぁ具体的に言えば(元)ソルフェイのオオハラ氏のソロライヴの時に彼とばったり会い、その時にはちゃんと話す事が出来た。

その時に、彼に直接、面と向かって、「武道館でイベントをやるというのは、それは夢としては小さなものなのだ」ということは伝えた。(年寄りのお節介だったかもしれない)
そして、彼はそれに対して、「すべての人がイエス・キリストを信じること」という、これまた立派な回答を返してくれた。(ううむ、立派である)

まぁそんな立派な青年であったので、彼は着実に目標を実現していくことだろう。

 

なので、そのように本人には伝えたので、以下は単なる偏屈な中年バンドマンの独り言として、

そして、それとは別に、
「はて、確かに武道館でライヴをやる、というのはかつてはよくある目標だったかもしれないが、現代のバンドマンにとっては果たして有効な目標たりうるのだろうか」
ということについて、純粋に考えてしまった。

 

キリスト教、クリスチャン、また日本におけるキリスト教の「伝道」(一般的に言えば宣教)という視点で言えば、
武道館でクリスチャン/ゴスペル系のアーティストを集めてコンサートやイベントをやる、ということは、
企画次第では面白いと思うが、
じゃあそういった大きな会場でイベントを打てば、皆がキリストを信じるか、とか、何かが変わるか、と言われれば、たぶん変わらないと思う。

うまくは言えないが、人間が変わる、というのは、たぶんそういうことではない。
つまり、一人の人間が変わる、というのは、そういうことではないと、僕は考えている。

記憶に新しいところでは、何年か前に、かの有名な「ビリー・グラハム」だか何かのイベントで、大きな宣教イベントとして、武道館でどかんと行われたことを、日本のクリスチャンの人たちはたぶん覚えているだろう。
けれど、一般の人はたぶん知らない人の方が多いだろう。

そして、彼にも伝えたのだが、日本のゴスペルミュージックには「ミクタム」という偉大な先輩、先達がいて、小坂忠師を中心として、それらの人々は、80年代とか90年代の熱い時代には、ものすごい情熱で活動していて、なんか映像で見たけど、(よく覚えてないが)、どっかの大きなスタジアムでやっぱり大きなイベントをやっていた。たぶん賛美コンサートとか、宣教コンサートとか、そういうやつだと思う。(すげえうろおぼえでごめんなさい)

 

じゃあ、そういうでっかい会場で、何万人集めてイベントをやったら、世の中が変わるか、というと、たぶんそういうことじゃないんだと、僕は思っている。

これは昨年あたりにも、そのミクタムのイベントに招待していただいた際に、わりと忌憚のないブログを書いてしまい、諸先輩方からお叱りを受けたのであるが、

僕としては、そういった諸先輩方や、先人たちの皆様の努力、それらを尊敬しており、また重く受け止めており、(なぜならそれらは自分にはとても出来ないことだからだ)

そしてその上で、違うんじゃね、と思ったわけだった。
そしてそれは、そういった諸先輩方が、命がけでやってみせてくれたからこそ、「俺たちは、より若い世代は、もっと違うことをやらなきゃいけないんじゃないか」、と思うことが出来るのだ。
それは、何はともあれ、先輩方がひとつ壁を壊してくれたから、そう言える、ということだ。
そして、俺たちには俺たちの、壊すべき壁が、またあるはずである。

 

常々言っていて、たとえば僕らが集まっていた”Calling Records”の集まりや仲間たちにも言っていたことなのだけれど、
僕は「信仰」と「営業」は一緒にはしたくない。

そして「信仰」を「数字」で測ることもしたくない。
いや、別に数字にしたっていいんだけれども、僕らが人間である以上、表に出て来る数字なんてものは、どう考えても正確なものじゃない。内心を数字に出来るだろうか。そこが問題だ。そして数字に置き換えたとたんに、内面の信仰ってものを無視することになる。

もちろん、これは理想論であり、かつ極論であって、
現実には人間の世界というのは「数字」で動いているのであって、
そしてそれはどんなビジネスでも数字で動いているのであって、
また、「キリスト教会」とはいえ、やはり世の中に存在し、存続していく以上は「ビジネス」の側面があるのであって、
だからこそ、その「信仰」と「営業」のバランスを取っていかなくてはならない、
ということくらいは、僕にだってわかる。

(わかるよね、これは「ロック」とか、「ヘヴィメタル」についても言っているんだよ)

 

わかっちゃいるが、
それでもやはり、俺は、少なくとも自分の身の回りにおいては、
「信仰」というものと、「営業」というものを一緒くたにして考えることが、
どうしても出来ないみたいなのだ。

あるいは、僕がそういう主張を曲げないせいで、”Calling Records”の運営や、活動を邪魔してしまっていたかもしれない。

でも、たとえば”Calling Records”には、僕よりもさらにピュアリストな「石川ヨナ」とかも居たからね。

彼女は会議で「営業」の「え」の字が出ただけで、とっとと部屋を出ていったよ。
いや、センテンス最後まで聞こうよ、って。
でも、僕も内心はだいたいおんなじ気持ちだったからね。

 

人を集めてでかいイベントをやる、ということと、
本当に誰かを救いたい、ということは、まったくかぶらないわけではないけれども、
やっぱりちょっと違うことだ。

別にどっちが良いとか、悪いとかではない。
人によって、どっちがやりたい人、というのがいるのだと思う。

人を集める。
数を示す。
力を示す。

それで変わることも多々あるとは思うが、
僕はそこに「救済」があるとはあんまり思えない。
できれば奇跡は、何万人もの人が注目している場所ではなく、何も無いところにこそ、ひっそりと起きて欲しい。好みの問題かな。

 

であるから、ちょっとでも「信仰」を掲げてるイベントに出るのであれば、
やっぱ誰かが「生贄」となって、「十字架にかかって」みせなければならない。
それをやるために腕と心を磨いてきた。
クリスチャンアーティストとして、これは企業秘密でもなんでもないはずだ。
イエス・キリストの愛ってやつは。

ぶっちゃけて言えば、
人を集めて大きなイベントをやる、なんてことは、
別にキリスト教でなくったって、
どこの新興宗教でもやっている。

それが楽しくてやっているんなら、何も言わないが、
僕はあまり、そこにはわくわくしないのだ。

 

武道館、ということについて考えてみよう。

 

もちろん、武道館でライヴをやることで、変わることだってあると思う。

自分が憧れている1980年代の日本のロックバンドの中に、EARTHSHAKERというハードロックバンドがいる。

彼らが、「ジャパメタ」ブームに乗って人気の頂点を駆け上がり、武道館でライヴを行ったのが、1986年、だっけ。

その時のライヴ盤は有名だし、YouTube等で映像も見れるはずだ。
それは、ハードロックのみならず、日本の若者たちによる「日本のロック」として、
彼らが武道館で演奏した時、確かに何かが変わったように、(その当時や、現場を知らない僕からしてみても)、そう思える。

あの場で「ありがとう君に」が流れたら、そりゃ泣いちゃうでしょ。

そのように、武道館でのコンサートが、何かの象徴であったり、歴史的な意義を持った瞬間というのは、確かにあったと思う。
(Cheap Trickとか、”Live at Budokan”がステータスだった時代が、確かにあったでしょう)

けれど、では、その後、今に時代にいたるまで、武道館でライヴをやったバンド、アーティストは、数限りないと思う。たくさんいると思う。
それらのバンドが武道館で演奏することで、何かが変わったのか、というと、そうじゃないと思う。

僕はインディ志向の人間であるから、では、小さなライヴハウス、小さなヴェニュー、そういった場所で行われるライヴに、より価値を見出してきたし、それなりにライヴも見てきたけれど、いまだに個人的には、人生で最上のライヴ体験は、2008年の渋谷Nestで見た+/-{plus/minus}だったと思っている。もっとも2012年に同様にO-Nestで見たブッチャーズも忘れられないが。

つまり、人集めのシステムに乗っかって、大きな会場でやっても、それはロックの勝利じゃない、ということでしょう。

本来、ありえない純情なロックが、奇跡的にそこで演るからこそ、少年少女たちにとっての勝利となるんだろう。

 

で、武道館。
昔から、たとえば80年代とか、90年代に、たくさんのバンドが「武道館」を目標に掲げてきたのは、それはもちろんステータスや、成功のバロメーターということもあるだろうけれども、
一番の理由は、目標としてわかりやすいからだと思う。

目標がわかりやすければ、伝わりやすい。
そういった、わかりやすく、伝わりやすい目標を掲げれば、多くの人の支持を集めることが出来る。

 

でも、今の時代の若者たちにとっては、そもそもバンドとか、ロックバンドをやること自体が、流行らない。
個人の演奏を、何か新鮮な形でYouTube等にアップし、そこで注目を集める方が、おそらく目標としてはわかりやすいだろう。

少なくとも規模の大きな音楽ビジネスや、「ロック」というものが、過去のものとなって久しい世代。

そんな時代に、「武道館」は「夢」として成り立ち得るか。
僕はとっくに若者ではないので、わからない。

また、今の時代のロックの「現場」というのは、
ないしは「最前線」というのは、
もっと違う場所にあるのではないか。
たとえば・・・
(どちらにせよ、もっと身近な何かでしょう)

 

 

話の流れはだいたい方向性が見えてるだろうから、
もう結論に飛んじゃうんだけど、

今の時代にあって、バンドをやる、インディバンドをやる、なんてことは、大変なことだ。流行らないし、時代に逆行してるし、ちょっと成功したところで音楽は金にならない時代だし。

ましてや、それを「続ける」なんてことは、とても困難なことであると思う。
そして、そこで、何かを「成し遂げる」ということは、極めて困難な道のりであると思う。

そういう時代にあって、たとえ無名のインディであっても、規模の小さな地方のアーティストであっても、意味のある音楽を作り出し、愛のある音楽を作り続け、そして活動を続けていくためには、「より大きな目標」が必要だ。

そのためには「武道館でライヴをやる」というのは、夢としてはおそらく足りないと思う。
もっと、意味のわからん、形にできないような「でっかい夢」がないと、たぶん続かないし、やってられない。

無名のアーティストほど、でっかい夢が必要なのだ。

この際、妄想でも構わないよ。

だから、君の夢は何だ。

 

たぶん、それは、別にバンドマンに限らず、
人間というものには、何かそういった、意味のわからんくらいに大きな夢が必要だ。
人が生きるっていうことは、そういうことだろう。
それくらい、人が生きるってことは、大変なことなのだから。

 

僕は、このような人間であるから、音楽を始めた最初のスタート地点から、「成功」という文字はまったくあり得ない場所からのスタートであったので、なので武道館であれ東京ドームであれ、どこでもいいんだけど、そういうのは、目標には無かったし、考えたことも無かった。

ごめん、そういうわかりやすい夢は持ってない。

そして、自分が「武道館」を夢にも目標にも掲げていないのは、憧れもこだわりも無い、ということもあるが、もちろんそこには、現実的に考えて「自分には縁がない」ということは全然ある。そして、別にそれでいい。やれる人がやればいい。そしてそういう人は、世の中には僕以外にたくさんいる。

いかしたライヴ、いかしたイベントであるのなら、会場はどこでもいい。

武道館はもとより、どんな会場であっても、大きくても小さくても、すべてのライヴイベントは、コンサートは、大変なものだ。そして、やはり素晴らしいものだ。多くの人たちの力がなくては成り立たないし、その中には、素晴らしい人間の輝きがある。
でも、俺はその輝きが見たいんであって、規模の大小は関係ない。

 

だから、君の夢は何だ。

俺の場合は、それが「信仰」とも結びついている。
クリスチャンロッカーなわけだから、当然というか、ごく自然なことだ。

世界中の人が、イエス・キリストを信じる、とか、そういう模範的な答えも、もちろんいいと思う。

でも、信仰って、そんな簡単なことじゃないからな。

 

誰か一人、信じてくれたら、それでいいかな。

 

僕はいつも、自分は別に夢を見て音楽を始めたんじゃない、
そうじゃなくて、夢に破れたから仕方なく音楽を始めたんだ、
と言ってきた。

けれど、じゃあ、僕の見ていた本当の夢とは何だったんだ。
武道館でやります、とか、東京ドームでやります、とか、
テレビに出ます、とか、チャートで一位を取ります、とか、
そういう「わかりやすい夢」は確かにまったく持っていなかった。

でも、「意味のわからん夢」は、あったのかもしれない。

今でも考えている。
そして、若い頃にはわかんなかったけれど、歳をとるにつれて、少しずつ、「ああ、こういうことだったのかな」とおぼろげに見えてきた。

俺の夢はいったい何だったのか。

それは、自分でもまだはっきりとわかっていないから、今、ここには書けない。
(なんてね、それは、最初っから、これ以上ないくらい明白に、わかっていただろう)

 

けれど、無名のインディミュージシャンが持つべき「でっかい夢」の例として、
ひとつ、わかりやすい例を示すことが出来ると思う。

それは、
「宇宙一のアーティスト」ということだと思う。

あるいは「地球を代表する、宇宙規模のアーティスト」とか(笑)

 

今の時代、もう「世界」というものも小さくなってしまった。
「世界」というものを遠く感じる人って、もういないと思う。
わかりやすい例えで言えば、数年前のピコ太郎さんのヒットでもあらためて証明されてしまっている。

だから、宇宙って言ってみる。

とはいえ、難しい。

そもそも、宇宙一のアーティストって、どのくらい凄いんだ。
そしてそれは、どんなふうに凄いんだ。

宇宙っていう前に、自分は地球で一番ですらないのに、
地球どころか、日本、というか、神奈川県、というか、
むしろたぶん、住んでいる町内ですら、一番ではないと思うんだけれど、
それで果たして宇宙規模になれるのか。

宇宙で一番になる、というのは、そのためには地球で一番になる必要があるのか。
とか、いろいろ命題があると思う。

でも、今の時代に「バンド」とか「ロック」とか「アート」をやるには、
それくらいの「夢」がないとやれないと、本気で思っている。

今でもロックしている人たちって、たぶん、だいたい、そういう「夢」を持っている人だろう。

 

だから、若者よ。
夢を語るのなら、もっとでっかい夢を語れ。

「どこどこのでっかい会場で演りたいんです」
って言ったら、僕は、
「へえ、すごいね・・・」
って言いながら、心の中で、小さな夢だな、とつぶやくだろう。

でもあるいは、
「どこどこの国のジャングルの奥地で、洞穴の中でコンサートやりたいです」
とか言われたら、
「面白い!」
ってなるかも。

スカイダイビングしながらライヴとか、いまどき、やれそうじゃん。
もうやってる人いるかな。
いてもおかしくない時代だよね。

そういうエクストリームなライヴが、俺もやりたいぜ!!

 

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