さて、これもちょっと前にインスタグラムに投稿したポエムが気に入っております。
なのでウェブサイトにも掲載しておきたい。
クリスチャンメタルとは、本来、痛いもの。
それがエンターテインメントとして成立するには、様々な壁があって、その壁を乗り越えないと、演る方はおろか、聴く方すらも楽しめないというすごいハードルがあるね。
さて僕らはどのようにして。うん、僕は道化で構わないかな〜。
「クリスチャンメタル」なるものは、少なくとも1990年代まではマイナーなもので、それがある程度の一般的な人気を得て定着したのは2000年代以降のメタルコア等のジャンルにおいてだと思う。
それは、「人の罪」「人間の弱さ」といったものを表現するにあたって、スキンヘッドでマッチョでタトゥーのいっぱい入ったガタイのいい男たちが、そういう弱さを爆音にのって激しく表現する、というのが、エンターテイメントとしてバランスが良かったからではないかと思う。
それを、僕のようなやせっぽっちの日本人がやっても、おそらくは痛い表現になるだけなのだろう。その事は、よくわかっている。
たとえばかの偉大なるEddie Van Halenを以てしても、同じようにむき出しの痛い表現をした時、(たとえそこにスピリチュアル系やキリスト教の看板を掲げていなかったにせよ、本質はまさに)、世界はそっぽを向いてしまったのだから。
またCreedのScott Stappを例にとっても、彼もまたその表現の「女々しさ」から毛嫌いされることがあるくらいだ。ましてや、僕なんかがという話である。
それでもやっている以上、その「痛さ」ゆえに、直視しづらいことは承知の上だ。けれど、そのぶん、遠くまで届く音を鳴らしたいと思っているし、キリスト教徒である以上、普遍とか永遠みたいなものは信じているつもりだ。
キリストの十字架、受難からもわかるように、キリスト教というものは痛いものだ。
けれどもそこに本質がある以上、目を逸らすことは出来ない。
「罪の許し」と「祝福」は、その痛みの向こう側にこそあるのだから。
クソ真面目にクリスチャンメタルに向き合う結果、俺には痛い表現しか出来ない。
だからこそ、不真面目に笑っておどけてみせるのだが、それすらもかえって誤解のタネにしかならないことが多い。
これは自分としては、非常に笑える冗談(comedy=喜劇)のつもりなのだけれど、伝わるだろうか。
笑い飛ばせるくらいには、”Don’t take yourself seriously”の信条は、貫いているつもりなのだ。
それがロックンロールってものだから。