僕が”Nabeshima”(鍋島、と名付けた、伊万里音色、と名乗っている以上、運命付けられている究極の作品)の楽曲を書いたのは、おおむね、2014年から2015年の前半にかけて、です。もちろん少しは、2013年以前のマテリアル、2015年後半以降のマテリアルも入っていますが。
それらの楽曲のスケッチを、最初にデモの形にしたのは2016年の8月のこと。
それはちょうど、渾身の力作である”Jesus Wind”のレコーディングを終えたすぐ後のことでした。
その際に、2枚組アルバムになるだろう、というボリューム、そして演奏内容の難しさ、それ以上に表現内容の難しさ、に圧倒され、果たしてこれが出来るのか、と途方に暮れつつ、その時にイメージし、自分自身に課したデッドライン、個人的な目標が、「2020年に東京オリンピックが開催されるまでにこれを作り上げる」というものでした。
昨年2019年に入って、ようやく録音の準備にとりかかり、9月から実際の録音を開始。
素材の録音を最後のバックグラウンドヴォーカルまで、2020年2月いっぱいかけて終えて、3月にミキシング。
4月は忙しく作業できずでしたが、いわゆる最後の「マスタリング」の工程をようやく終えて、
5月9日早朝、”Nabeshima”アルバムの音源が、ようやく完成しました。
なにしろ二枚組のダブルアルバムで24曲もあるからね。
ちょっとした作業でも、時間がかかる。
「この曲に合うディザーを選んでみよう」なんて言っても、それを24曲ぶんやってると、すごい時間がかかる。笑。
(ああ、ちなみに上の写真はインスタに投稿したものだけれど、手に持っているCD-Rはインスタ用のダミーです。いまどきディスクで納品することはあまり無いよね、きっと。)
2020年の夏が来るまでに仕上げることが出来たので、あの時に設定した「東京でオリンピックが行われるまでに完成させる」という目標は、確かにきっちり達成できたと思う。
けれどもどういうわけか、現実にはオリンピックそのものが一年後に延期されてしまった。
それすら本当に行われるのか、今の時点で確信を持って言える人はいないと思う。
だけどこれは、課せられた次の目標は、この東京でのオリンピックが実際に行われる前に、この”Nabeshima”アルバムを「リリース」する、ということになるのだろうか。
音源は完成したけれども、リリースするまでの道のりは、まだまだ長いから。
今まで発表してきた作品以上に、今回はもったいつけて、様々な状況を整えてからリリースしなければならないから。
だから現実には2021年のうちにリリースできたら「御の字」だろうと思っています。
ジャケットひとつとっても、今回はたぶん乗り越えないといけないハードルがあると思うし。
僕はもし許されるのであればあの十四代にお会いして、頭を下げたいと思っているんだよ。そんな資格も無いかもしれないが、だからその資格を得るべくがんばりたい。これから、ね。
月並みな言い方だけれど、ここまで本当に長かった。
それぞれの曲を書いてから何年、ということも言えるけれども、デモの形にしてからさらに4年近くが経過している。3年9ヶ月くらい。
あのデモを作った時点で、この”Nabeshima”の意味を悟り、それから何が出来るのか、どうするべきなのか、それを考えた。
そこから2016年秋の四度目にして(現時点で)最後のXTJ (The Extreme Tour Japan)を行い、バンドのメンバーと話し合って、どうするかを決めた。
そこで出した答えは、「現状ではこの3人ではこれは作れないだろう。そのかわりもう一枚、日本語のアルバム”Overture”を作り、それで最後としよう」というものだった。
やはり振り返ると、現実には[Tone-Hassy-Jake]のImari Tonesは、その最大の使命は究極のメタルアルバムである”Jesus Wind”を作るというものであり、あの作品を作り上げた2016年夏の時点で、バンドとしては全力を出し終え、すでに寿命が来ていた、と言える。
そこから一年あまりかけて”Overture”を作り、2018年3月をもって、約10年間続いた[Tone-Hassy-Jake]によるImari Tonesを終わらせる。
そこからさらに、次をどうするか、悩み、神に問うたが、新ドラマーKojiさんとの出会いを通じ、示された答えは、「今、ここで、お前が作れ」というもの。
僕は、僕らは、創作に向きあうとき、他の皆様はどうかはしらないが、現実世界でもインターネット上のソーシャルメディアであっても、「今、これをやってます」みたいに器用にPRが出来る方ではない。はっきりいってそんなことが出来るわけがない。
だから、世間から見て、何もしていないように見えたかもしれないが、そこから約2年。自分は全力で走り切って、この”Nabeshima”に取り組んだ。
そしてそれが完成した。
何度も言っているように、この”Nabeshima”は、伊万里音色の究極の到達地点であり、自分の音楽人生の究極のゴールだ。
それを作り上げた。
ここまで来れると思わなかった。
これを世界に対して発表するまでは、まだたくさんのことをしなければならないが、これでもし来週僕がうっかり死んでしまったとしても、もう”Nabeshima”は完成しているのだから、僕は自分の人生の中で音楽的な目標をすべて達成した、と言える。
だがもちろん、これで最後とは言うまい。
最後かもしれないけれど。
少なくとも、僕はこの後、何枚ぶんもの楽曲を、すでに書き上げている。
それは”Nabeshima”ほど「凄い」ものではないかもしれない。
けれど、決して劣りはしない。
そんでもって、行くべき場所は見えている。
次第にはっきりと見えて来ている。
それだから。
別に隠すことでもないが、僕らはインディペンデントなバンドであり、今までもほとんどの作品は(一部の例外を除いて)、セルフプロデュース、セルフレコーディングで作ってきた。
だから今回もマスタリングの工程まで含めて、自分でやったのである。
自主録音でやってきてはいても、「録音なんか適当でいいや」とやっていた時期も結構あり、こうして振り返ってもひどい録音、ルールやセオリー無視でやった録音もたくさんあるし、失敗の連続であり、また、録音に関してはまだまだ勉強中であるとも言える。
けれども今回は、今までと比較して、わりと基本に忠実なレコーディングが出来た。
だから、奇をてらった音ではないものの、しっかりとした音に仕上がっていると思う。
出来にはとても満足している。
一般の人気のあるバンドさんたちや、メジャーの人たちや、そういう人たちと比べたら、ささやかなもの、安物ばかりだけれども、僕としては人生で最高に贅沢なレコーディングだった。かなり自分なりに追及出来た、追及する余地をいただいた、と言っていい。
録音の過程で何度も奇跡が起きた。
何度も奇跡を体験した。
それは言葉にして人に伝えられるようなものではないけれど、音楽を聴いてもらえればきっと伝わるだろう。
結果は、自分で想定していたよりもはるかに良いものが出来た、と言ってしまっていい。そう思っている。
本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
すべての人に感謝をしなければならない。
これまで、いろいろなところで助けてくれた人。
いろいろなところで関わってくれた人。
直接のかかわりがなくても、やはり色々を通じて支えてくれた人。
僕は、それらの皆に、「やった。やりました。」と言える。
そしてもちろん、神さんにも。
その成果を、世界の皆に聴いてもらいたい。
この数年というもの、特にこの一年間。
この”Nabeshima”アルバムの作業にかかりきりで、本当に命がけで。
それ以外のことなんて、何にも出来なかった。
インターネット上でのアップデートやPR活動さえも、すべておざなりな状態だった。
で、それはやっぱり、マスタリングを終えて、24曲すべてを完成版の16bitのファイルに落とすその瞬間まで、やはり手一杯で、何もできなかった。
この前のBrinsonとのラップの曲とか、もっとPRしなきゃいけないけど、それも出来なかった。
だからこれから、PR活動を開始しなきゃ。
これから始まるんです。
異世界宇宙での激しい戦いを終えて、僕らは地球へ戻ってきたのだから。
もちろん、まだ手直しはすると思う。
実際にリリースするまでには、まだ間があるだろうから、それまでに、ひとつふたつ、小さな手直しは行う余地はたぶんある。
なぜかというと、聴いているうちに自分でここはやっぱり直したいな、みたいなのは、必ず出て来るからね。
でも、それらは小さなことだし、このままリリースしてしまって問題がない。
そう確信している。
さて、僕はここで、喜んでいい場面であり、祝っていい場面であり、そして、ゆっくり休んでも良い場面である。
だって、人生の目標を達成したんだ。
世間から見て、わかりやすい形の「成功」とか「名声」は得ていないから、他人には理解されないかもしれないが、音楽的に見れば、僕は確かに、人生で最大の目標を達成したのだ。
だから、これは本当に、自分にそう命ずるようにして、少しの間、ゆっくりしよう。
そう、スケートしに行こう。
自粛でパークは閉鎖されているが、どこかの広場ではやれるだろう。
スケートボードをするのだ。
この一年というもの、スケートは全然できなかった。
きっと下手になっているだろう。
果たしてまだキックフリップは出来るだろうか。笑。
もちろん、このような生活を送っているからには、政府に言われるまでもなく、僕は最初から引きこもりの自粛生活をしていたようなものだ。
健康のために、たまには運動をしなければならない。
僕は孤独な人間であるから、これも政府から言われるまでもなく、行動パターンは隔離されているのである。
かたわらに嫁さんが居てくれなければ、とても孤独には耐えられなかっただろう、とも言えるが、そもそも嫁さんと出会っていなければこのような人生は選ばなかったので、そこは鶏と卵である。
この”Nabeshima”は、伊万里音色にとっての究極のクリスチャンヘヴィメタルの形である。
それと同時に、これは僕が18歳当時に「作りたい」と思っていた音楽である。
僕はそれをやっとつかむことが出来た。
そしてまた同時に、そして最も大切なことに、これは僕と彼女にとって、非常に大切な、個人的な意味を持つ音でもあるのだ。
その個人的な何かを、愛と呼んでも差し支えはないし、人としてはそれが正しい姿だと思うが、もし何かを為すのであれば、そして何かを成すのであれば、愛を以てそれを成したいと、そう願っている。