2021の現状と抱負なスタート

写真はただの質素なお雑煮。嫁さんありがとう。いつも甘えてばかりです。

 

2021年が明けまして、おめでとうございます。

今年の抱負などを書いてみたいと思います。

世相の影響により自動的に帰省の予定がなくなり、夫婦で静かに年末年始を過ごしたせいか、
おかげさまで比較的に良好な精神状態で新年を迎えることが出来ました。

(とはいえ、相変わらず不安定であり、これを書いている今この瞬間、僕の精神状態はやはり落ち込み気味で、安定していない状況です)

 

今年の抱負を書きます。
まず最初に箇条書きみたいにして挙げます。

ひとつ、
ソーシャルメディアをあまりやらないようにしたい。

ふたつ、
外向きのPRや発信、営業活動に注力したい

みっつ、
それに関連して、”fame”というものの意味に向き合いたい。

よっつ、
少年の頃に持っていたような「信じる心」を取り戻したい。

いつつ、
勉強したい。

 

 

それぞれ順番に書いていきます。
ひとつめは、ソーシャルメディアをあまり見ないようにしたい(笑)

かといって、まったくやらないというのも現実的ではないのですが。
けれども、(今までもすでにそうだったかもしれませんが)、あまりソーシャルメディアに顔を出さない、あまり頻繁に投稿/発言をしない人でいたいと思っています。

 

2010年代になって訪れた、インターネット社会のひとつの行き着いた形であるところの、このソーシャルメディア社会。ソーシャルメディアが支配する世界。

この世界、社会の現状に対して、僕は少なからず不満があり、少なからず嫌悪しており、また危機感も持っています。

実際に、このソーシャルメディア社会が、僕たちから大切なものをすでにいくつも奪っていったのではないかという気がしています。
政治や社会もそうかもしれませんが、
特に音楽や芸術にとってはそうだと思います。

とはいえ、このような僕のような社会の端っこにいる個人であっても、そのようなソーシャルメディア社会の便利さといった恩恵を多少なりとも受けていることも事実です。

その恩恵と弊害を見つめながら、冷静に距離を置いていたい。

 

また、同時に、PRとして、TwitchやTikTokといった新しい(のかどうかよく知らない)メディアも活用して、ミュージシャンとしての発信にトライしてみたいと思っています。

インディの表現者として、インターネット社会や、ソーシャルメディアというものを嫌悪していますが、
それと同じくらい、このソーシャルメディア社会とその仕組みを理解して、うまく利用しなくてはいけないとも思っています。

はっきりいって、自分には合っていない、と思うけれど。
たぶん僕のことだから、「うまくはやれない」と思うけれども。

でも、トライはしてみたい。

 

 

ふたつめは、PRや営業をしたい、ということ。

これは、本当は昨年2020年にもっとやれると思っていたことでした。

2020年の6月に長年の目標にしていた”Nabeshima”アルバムの制作を完了して、その後、「これからは、外に向けたPRや発信、営業活動がもっと出来る」と思っていました。

しかし現実には、様々なものを自分の中で「外向きの営業モード」に切り替えるためにはかなりの時間が必要で、2020年はそのための「準備」で終わってしまいました。

ですので、予定していた「営業活動」は全然できていない。
それを、2021年はやっと取り組みたい。取り組めるはず。

 

そして蓋を明けてみれば、その”Nabeshima”アルバムの制作を終えて、その後、2020年後半は、外向きの発信に集中するはずだったのが、実際には、もっとよりたくさんの「制作」「創作」をする結果になってしまいました。

「オシャレ系インディロックプロジェクト」のEP制作。
急遽作ることになった「アコースティックEP」の制作。
そして7月から毎月行っていた「Patreonのマンスリーソング」の制作。
はたまた、いくつかのミュージックビデオの制作など。

これは必ずしも悪いことではなく、むしろ良いことなのですが、
けれども、そのために制作にかかりきりになり、外向けのPR活動は出来なかったのも事実。

今年、2021年は、もう「作らなくてはいけない」ものなど無いのだから。(マンスリーソングは相変わらずやるけれども)
だから、もっと自由に、世界に向けた、世間に向けた発信とPR、そして営業をしていきたい。

 

 

その中で、”Fame”といったものに向き合おうと思っています。
みっつめ。
これはたぶんひとつの大きな(あるいは、それほど大きくない)テーマかと思います。
Fame&Success、ですね。

名声と成功、ってことだと思いますが。

近年、僕はちょくちょく言ったり、書いたりしてきましたが、
僕はこの現代における、インターネット時代、ソーシャルメディア時代の「成功」「名声」(fame)なんていうものは、全部まやかしだと思っています。安っぽいものだと思っています。
正直なところ、価値なんてないと思っています。
今、現状でこの世界、この世の中には、自分が欲しいと思う「成功」なんてものは存在していない。

だから、自分が求める「成功」なんていうものがあるとすれば、それは何なのか、よく見極めなければならないと思っています。
そして、たぶんその「形」すら、自分で作らなくてはならないと思っています。
あるいは自分で作るものですらなく、いつしか自然に見えてくる形なのかもしれないけれど。

容易なことではないと思います。
たとえ可能だったとしても、とても時間がかかることではないかと思います。
あるいは時間がかかることだからこそ。
若い時にはそういったことを、感じることは出来ても、理解したり認識したりすることは出来なかった。

 

けれど、歳を取って、多少は物事が見えるようになり、わかるようになってくると、
(若い頃は、そういったものが「見えなかった」し、「わからなかった」のですが、僕は今、正直、見えなくてよかった、知らなくてよかった、わからなくてよかった、と心底思っています。)
世の中における、いわゆる世の中の一般の皆さんが考えている、求めている、「成功」であるとか、「名声」であるとか、そういったものが、どういうものなのか、ということが少しは見えてきます。

そして、たぶん世の中にはそういった「成功」や「名声」を欲しがっている人はたくさんいると思いますが、(特にバンドや音楽をやるような人の中には)
この歳になって、多少は自分自身や、世間というものが見えてくると、僕にとってはこの「成功」や「名声」というものは、むしろ積極的に避けたいものであることが、次第に理解出来てきました。

 

つまり、世間には、これが理解できる側と、理解できない側の人間がいると思いますが、
そしてこれは2017年に起きた僕の『スタンド能力』の覚醒(認識)とも関連があるのですが、
つまり今では僕は、カート・コバーンが死ななければならなかった理由が、結構わかる、ということです。(多少、だけれど)

 

その意味では、僕はこれは、ある意味偶然ではあるのですが、本名で活動をしてきてしまったことについて、「あらら」みたいに多少の後悔と、残念な気持ちがあります。芸名にして、アイデンティティも隠しておけばよかったのに、って。笑。

実はこれは、最初から本名ってわけじゃなかったんですよ。
つまり僕は、なりたい名前を、自分で手に入れたんです。

でも、「あはは、まあ、いっか」みたいに思っています。
それに、たぶんそれでよかったんだろうと思っています。

「大したことじゃない」って思っているんです。

その意味では、「名声」や「成功」ということについても、
僕の意見は同じで、たぶん最初から「大したことじゃない」って思っていたのだと思います。

 

子供の頃、あるいは、少年の頃にはわからなかったんですね。
つまり、人間というものは、これほどまでにも「人の目を気にして」生きているのだ、ということが。

いわゆる「不良」と呼ばれるカテゴリの人が、(今の時代にはもういないかもしれませんが、僕たちの時代にはぎりぎり、まだ、いた。地方だったし。)、ああいった格好をして、ああいった行動をすることの理由が、僕にはわからなかったんです。
でも、この歳になって、少し、わかってきました。
それは、人の目を気にするからなのだ、ということが。

そして、それは別に「不良」のカテゴリの人だけではなく、また、日本だけに限った話ではなく、あらゆる種類の、あらゆる世界の人たちが、おんなじように「人の目」をとても強く意識して、この地球上に生きているのだ、ということが。
不良のカテゴリに属する人たちは、それらをわかりやすい形で表現するぶん、まだ正直だったんだと思います。

そして、それらのことって、またこれもソーシャルメディアの時代になって、可視化されてきたと思います。
人間というものは、こんなにも人の目を気にしないと生きていられないのだ、ということが、ソーシャルメディアの時代には、はっきりとした数字でわかるようになってきた。

 

僕は、作ってきたものの是非とか賛否はともかくとして、ここまで生きてくる中で、わりとそれなりにインディにしてはたくさん音楽を作ってきましたが、それは間違いなく、「人の目を気にしていたら」出来なかったし、作れなかったものです。

少なくとも僕は、人の目を気にする必要はなかった。
なんでだろう。信じているものがあったからだろうか。
あるいは単に鈍くて、そういう感覚が欠落していたのか。
一生懸命に夢中になっていたからなのか。

 

人の目を気にする必要がない領域に、精神状態があった、ということです。
人によっては、たとえば昔のミュージシャンであれば、それは、ドラッグであったり、アルコールであったかもしれない。
けれども、僕にとっては、それは「信仰」だった。
そして、「信じる心」だった。

 

けれど、それらのことって、「他人」とか「傍目」から見たら、好感を持つ、とかいうよりは、むしろぎょっとして避けるとか、目を背けるようなものではないかと思います。

だから、僕たちのやってることって、「遠くから見る」くらいがちょうどよかったりする。
面白いけど、関わりたくはない、って、きっとそう思われているはずだ。

日本の人たちに好奇心は持ってもらえても、熱狂的なファンレターみたいなのは、99%が海外からっていうのは、そういう理由もあるんだと思います。

 

僕はそんなふうに、「ソーシャルメディア時代」に、僕が欲しいと思う成功なんて、世界中のどこにもない、って、そんなふうに断じてきました。

ていうか、たぶん最初からそうだった。

で、2021年、やっと「営業」っていうものに本気で向き合う。
その中で、自分なりに”fame”っていうものに向き合い、見つめる機会があるはずです。

で、その時に、その”fame”なんてものが、「必要ない」と判断できたのであれば、僕はばっさりとこの”fame”ってやつを切り捨てます。

これは、僕の音楽人生でもっとも大切な作品”Nabeshima”を完成させた今のタイミングだからこそ、人生で唯一、もっとも”fame”という概念に向き合える時期なのだ、ということだと思います。(なぜなら、この作品は大事な作品で、成功して欲しい、って思っているから。)

 

もっとも、以前も書いたけれど、現実にはこの”fame”っていうのは、一部の選ばれた人しか手に出来ないもの。
資本主義社会である以上、ある程度の名声(パブリシティ)っていうものはお金で買えるものだと思いますが、それらに手に入れる価値がないと思えば、僕は笑顔でそれに手を振るし、
また、なけなしのfameであっても「無いよりはマシ」と思えば、多少の「宣伝費」はそこに突っ込むでしょう。

でも、やっぱり個人でやってる無名のインディには限界があるからね。
もともと、こんな「世間に受け入れ難い」性質のことをやっているし。

だけど、こんな自分であっても、せいいっぱいに、人生で最大限に、「世間」ってやつにすり寄って行きたいと思っています。

水と油、かもしれないが、たとえそうであっても、それが混ざり合う奇跡こそが、愛でありロックンロールだから。

フラれ続けているように思うかもしれないが、ラヴコールは一生涯、送り続けたい。
ラヴコールを送ることを、決してやめなかった、と、そう墓標に記されたい。

 

 

で、これらのことを考えていて、思い出したんです。
自分にとっては、それらの”fame”(名声)や”success”(成功)よりも、「信じる気持ち」の方が、よほど大切だったんだ、ということに。

よっつめ。

今年は、信じる気持ちっていうやつを、取り戻していきたいと考えています。

なぜかというと、きっと僕は、少年の頃の僕は、もっと「信じる」ということが出来ていた。

信じること、っていうのは才能であり、センスだと思います。
努力ではないし、断じて道徳ではない。
信じるということ自体がギフトであると思います。

僕は一応は、キリスト教徒ってやつをやっていて、
クリスチャンの皆さんは、信じる、ということが前提のようにしてそこにあると思う。

また、よくいわれるように「信じれば救われる」みたいに言われる。
聖書にもそう書いてあるとされる。

けれども、実際には、「信じる」ということは、決して簡単じゃない。

 

僕は、自分なりにここまで、信じて自分の人生を歩いてきたと思います。
インディの音楽家としても、ひとりのキリスト教徒としても。

けれども、人間は生きているうちに、様々な理由で、様々な事柄によって、信じることをやめてしまう。
あるいは、信じるということから、目を逸らされてしまう。
自分自身の魂のことをあきらめてしまう。
様々な言い訳で、様々なきっかけで、様々な傷や痛みによって。

けれどそうじゃない。
それらの傷や痛みを癒すのは、信じる心、それしかない。

信じるっていうことは。
本当に信じるっていうことは、
本当に信じることが出来た時、そこにある結果なんてどうでもいいんです。
信じるってことは、そういう次元じゃない。

信じた瞬間、そいつは別次元なんです。

 

僕がキリスト教徒になったのは、大人になってから、結婚してから。
ぶっちゃけ、30歳になるかならないかくらいだったと思う。

けれども、思い出せばだすほど、
「信じる」ってことについては、若い頃の方が出来ていたんだよ。
別にクリスチャンでも何でもなかった、10代の頃の方が、よっぽど「信じて」いたんだよ。

信じていた時。
世界は果てしなく広く、どこまでも広がっていた。

大人になって、物理的な世界の行動範囲が広がり、コンピューターネットワークの進化によってより多くの情報に触れるようになるほど、それに反比例して世界は狭いものになっていった。
人間というものの限界を、いやというほどに見せつけられた。

たぶん、10代の頃よりは、多少はひととおりのことを経験したから、今の方が世界ってものが少しはわかっていると思う。

少年の頃には「憧れ」だったものが、確かに今では、(たとえ世間から見てほんの小さなものであったにせよ)、いくつも予想を越えて実現した。

そして、大人になることの条件かもしれないが、少しは世の中というものに、世界というものに幻滅することが出来た。

 

そんな今だからこそ、もう一度、10代の頃、高校生だった頃のような、「信じる心」を取り戻したい。

僕は、「奇跡」というやつには、年齢制限もなければ、適性試験もなければ、経済的な事情も関係がないと思う。きっとルックスにも関係がないはずだ。苦笑。

世間は関係がない。
数字も関係がない。
ただ、自分の心の中にある、その「奇跡」を取り戻したい。

たぶん、それが2021年の、いちばん大きなテーマかな。

 

 

次にもうひとつ、
勉強したい、っていうこと。
いつつめ。

これは、正直、何を勉強したらいいのかわからないんだ。

けれど、勉強したい。自分自身をエデュケイトしたい。

僕は、なんかしらんが、インディのバンドマンを意地を張ってやることになって。
しかも、日本人だてらにクリスチャンメタルなんていうことを、しかも時代遅れの音楽性でやることになって。

だから、音楽には自分なりに向き合ってきたけれど、それ以外のことにあまり向き合えなかった。
教育、とか、education、っていうことについて言えば、とても長い話になってしまう。
当然のことだと思うけれど、これはとても、とてつもなく大切で、重要で、また大切な、とても大きなテーマだ。

だから、別にここではeducation、教育ってことについては書かないけれど。
それでも、僕は自分自身をeducateしたいと願っている。
これは、どちらかといえばただの願望だ。

 

僕はこれまで、クリスチャンなテーマを掲げて、自分なりの音楽表現に向き合ってはきたけれど、そこには色々な限界もある。

だから、たとえば「神のために働く」とか「神の御国のために戦う」みたいなことを言ったって、
別に音楽以外にも様々な方法があるはずだ。

信仰を表現して生きる、にしても、
普通は、それぞれの人生の中でそれをやればいいわけだ。
それは、どんな職業でも、どんな仕事でも、どんな形の人生でも同じだと思う。

そんな時に、僕は、音楽だけに自分のアイデンティティを求めるんじゃなくて、
それ以外に何か、神のために働けるスキルを持ちたい。
音楽以外にも、自分のアイデンティティを見出せるようなスキルを持っていたい。

もちろん、今だって、その「あて」がまったく無いわけじゃない。
スキルというよりは「呪い」のようなものだけど。(blessingとcurseは紙一重というか表裏一体)

けれども、今この歳になって、現状の自分で、何ができるかわからないし、何もできないかもしれないが、

でも何かを探していきたいと思っている。

よくわからないから、まずは本を少しでも読んでみようかと思っている。
本っていえば、もっと聖書をちゃんと読もうと思っているよ。
やっぱり世界ってものを理解するには、これがまずは基本だと思うから。

 

 

そんなところかな。
さて2021年という名の世界の現状。

音楽的なことを言えばねー、
それは長くなるから、省略ね。

もう、いい歳だから、自分の中の思考や、自分の中で起きていることを、すべて書き起こして記録することは出来ないよ。

書きたいんだけどね。音楽的なこと。

 

あとはね、これ、年末に、Facebookに書こうかどうか迷ってたことなんだけど、
12月にさ、クリスマスの前くらいかな、夢の中でね、友人が出てきて、言われたんだよ。
「年が明けたら大変なことになるからね~」(世界が)って。

僕はそれっぽいポストをFacebookに書こうかと思ったんだよ。
なぜって、予言というのは「外れる」ことこそが目的だから。
人に言えばそれは起きないだろう、と思ったから。

でも、夢の中で、その友人は、「あの時は大変だったよね」みたいなノリで笑いながら言っていたから。
気にしないことにしました。

まあでも、よく考えたら、もうすでに大変なことになっているけれどもね。

世界が平和でありますように!!
God bless the world in 2021!!

 

 

>>>
もうひとつ、書き記しておかなければならない。
“Nabeshima”の完成と、会いに行きたい人たちのことについて。

僕は”Nabeshima”を完成させたら、一度腰を据えてアメリカを訪問しようと思っていた。
それは、営業という意味もあり、また挨拶という意味もある。
また、それ以上に、人に会う、ということには意味がある。

 

僕たちはちょっとだけ海外での成功のチャンスをつかみかけたことがあるバンドだ。

だがそれ以来。
たとえば2013年に第一回目のXTJ (The Extreme Tour Japan)をやって以降、年が明けるたびに、
たとえば2014年の正月以来、年があけるといつも、バンドメンバー(HassyとJake)とミーティングの中で、
「今年はどうする? アメリカに演奏しにいけるかい?」と相談していたものだ。
(また同時に、「まだバンドやれるかい?」というのも毎年聞いていた。)

たとえば会いたい人たちもいたし、ナッシュビル近郊を拠点とするThe Extreme Tourの人たちと色々やりたいという思いもあった。
ていうか、いろんなことがあった。

(もちろん、南米だって行きたいし、ブラジルにもチリにも友達はいるし、近隣のアジアの国にも演奏しに行きたいさ。それに関西九州東北はじめもっと国内でいろいろ行きたいよ)

 

少なくとも、ライヴの場で勝負するんなら、僕らは日本の外に出ないと話にならないバンドだ。そういう条件の、そういうメッセージ性の、そういう特性のバンドだった。残念ながら。

けれども、バンドというものは一人では出来ない。
バンドメンバーである僕、Hassy、Jake。その、たった三人の集まりであったとしても、人間の集まりは、組織とか、チームとか、いつも思い通りに行くとは限らない。一人でも駄目って言ったら、それは駄目なんだ。

だから、2014年以降、僕は、今年こそはアメリカ(ないし、様々な場所)に殴り込みに行きたいと思っていたが、
バンドメンバーの全員が、「いいよ」「やれるよ」と言うタイミングは、ついに訪れなかった。

もちろん、理由はいろいろなことがあったと思うが、ここでは触れない。

(それでも10年間一緒にやったんだから、僕らはいいチームだったんだ。そこには、誰にも異論を挟んでほしくないよ)

 

2018年3月をもって、2008年から続いた、この[Tone, Hassy, Jake]のラインナップは終了、解散したわけなんだけれど。

そのことはいつも胸の中にある。
彼らと過ごした時間や、鳴らした音、作ってきた音、は、いつも心の中にあるし、
それをたびたび夢にも見る。

まったく心残りがないとはいえない。

けれど、2018年3月の時点で終了、とした、その判断は今でも間違っていなかったと思う。

ひとつには、”Nabeshima”を作らなくてはならない、という理由が最大のものだった。
今、こうして、どんな方法にせよ、こうしてその作品を作り上げることが出来て、その完成した音に向き合う時、やはりこれで間違っていなかった、と、そう感じる。

そしてまた、今、夢中だった時期を振り返り、こうして孤独に、いろんな自己否定やら、果たして自分は間違っていただろうか、等と、様々な角度から振り返り、世間を見つめ、自分自身を見つめる時間を持てたことも、大きいと思う。(それらは、さっきから書いている)

 

そして、そんなふうに、旅に出たい、というか、アメリカを訪問して、過去にお世話になった人たちにお礼および挨拶をしたい。
それはもちろん、”Nabeshima”の売り込みと営業もしたい。
たった一人でもいいから、足を運び、人に会いたい。
なぜならもちろん、”Nabeshima”は命をかけて作った作品であるから、その営業も、命をかけてしたいと思うのは当然なのだ。

その意味で、ちょっと腰を据えてアメリカを回ろうかとずっと考えていた。

 

そう思いながら、”Nabeshima”の制作に、2019年からずっと取り組んでいたのだけれど、
2020年になって、いざ作品を完成させてみたら、パンデミックでそもそも海外に出られない状況に、世界がなっていた。

これは、ほとんどギャグといって言いほどの状況であって。
(とはいえ、きっと世界中の人が、似たような状況を経験したには違いないけれど)

なんかの運命か。何かが僕を阻もうとしているのか。
なんというか運命のいたずらなのか。
そんなふうに思ってしまっても不自然でないくらいの状況だ。

 

だから、「よし、Nabeshimaを完成させたら、海を渡って、たった一人でも、海を渡って、いろんな人に会い、挨拶をし、営業をしよう」と思っていたけれど、
実際に完成させたら、世界の状況が一変していて、それが不可能になっていた。

もちろん、その気になれば渡航くらいは出来るのかもしれないが、そもそも人に会うことがNGになっている社会状況であるから、営業ということは成り立たない。
ましてや、現在の状況ではアジア人であることはマイナスに作用することも十分に考えられる。

だから、この時点で、2020年前半に”Nabeshima”を完成させた時点で、僕の「営業の旅に出るための計画」は、NGになっていた。
また、再びそれが出来るようになる日が、いつ訪れるのかは、まだわからない。

 

なので、僕は別のことを、今ここでやれることを選択することにした。
なぜなら、実際に、今ここで、まだまだやれること、やらなくてはいけないことは、たくさんあったからだ。

そして、今年2021年、僕は、ここでやれること、ここでやらなければいけないこと、を、すでにいくつか見据えている。

 

僕は基本的に、大人になってからずっと、「人生があと一年しか無いとしたら、何をするか」を考えて行動してきた。
それについては、非難もされるかもしれないが、そんな感じで実際に生きてきた。

それだから、振り返った時に、だいたい悔いはない。
人から見てどう思われるかはわからないが、それは関係なく、自分自身に悔いはない。

これから先もたぶんそんな感じだと思う。

ただ、これを英語で書くつもりはないし、そもそも人の目は気にしないと決めてはいるけれども、
お世話になった方々や、お礼を言いたい方々や、会って気持ちを伝えたい方々は何人もいるので、

こうして自分の気持ちを書き記しておきたかった。

 

関連して、多少、話が変わる。
そんなふうに。

そもそも日本の外に出て勝負しないと始まらないバンド、である僕たちが、こうして日本から出られずにstuck(足止め)な状態になっていることについて、僕は何年もの間ずっと、「まるで牢獄にいるみたいだな」と思っていた。

けれども、最近、僕は思うようになった。
そもそも、この世界全体が、牢獄のようなものなのではないか、と。

この地球。
この地上に、物質世界の制約の中で生きる僕たちは、間違いなく囚人だ。
魂の囚人だ。

パンデミックの影響の下、その事実はよりはっきりと浮き彫りになったのかもしれない。
世界全体が、ひとつの大きな牢獄なのだ、と。

 

さきほどのfame&successの話に戻れば、
そんな「牢獄」の中で富や名声や成功を求めて何になるのだ、とも思える。
「囚人」たちの中の親分になって権力を握っても、果たしてそれは意味があるだろうか。

あるいは神の視点(別に宇宙人でもいい、それが好みなら)から見れば、それは「試験管」のようなものかもしれないが。
この牢獄のような物質世界の地球という狭い惑星に閉じ込められた時、
その地球というひとつの牢獄の中で、「服役中」の囚人たちはどのような行動を取るのか。

確かにそれは「牢獄」かもしれないが、僕たちはそこを天国のようにも出来るし、地獄のようにも出来る。

 

そもそも、その「牢獄」の中において、果たされるべき目的とは何なのか。どうしたらその刑期を終えて、自由の身になれるのか。

たとえば、たまに言われるたとえだが、子宮の中にも喩えられる。
その中で為すべきは成長することであって、外の世界に出るその日のために備えることだ。
人の目から見てそれは「死」であって、消滅のように見えるかもしれないが、外の世界から見ればそれは生まれることであって、新たな世界における、新たな命の誕生だ。

 

僕らはこの地球という物質世界の牢獄に居る。
だがその魂は救済され、自由にならなければならない。

牢獄から出て自由になる、というのは、たぶんそういうことだ。
魂が自由にならなければいけないのだ。

たぶん、エモーショナルな言葉にすれば、愛を見つけて、愛を知って、魂の故郷に帰らなければならないのだ。

牢獄の中の囚人である僕らが、学ばなくてはいけないことはたくさんあるだろうけれども、
一番に果たされなければいけないのは、それではないかと、僕はわりとそう本気で信じている。

 

もう十分に長くなったから、ここまでにしておきたい。
ひとつながりで書いてしまい、なんだか申し訳ない。

そんなふうに感じて、この2021年を迎えている。

 

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