2年前、今住んでいる場所に引越しをした。
それは、「ものすごく狭いアパート」に住んでいたところから、「それよりちょっとだけ広いアパート」に引っ越した、というだけのことだ。
けれども、それがちょっとだけ広くなっただけであっても、生活環境は快適になったし、それに人生に張りが出た。
周囲の環境も結構気に入っており、生活上の利便性と、それなりにのどかな環境というバランスがとても良い。
音楽をやる制作環境としては、決して完璧ではないが、それでもやはり前の狭い部屋よりは格段に向上した。もっとも基本的には安いアパートであるから、音を出すにはとても気を使うけれど。
そして何よりも、心機一転という人生の節目になった。
なんだか、若い頃のことを思い出したり、そして、そんなふうに若い頃のことを思い出すと、今もこうして音が鳴っており、今も嫁さんが隣に居てくれることが心から幸せな、かけがえのないことだと思えた。
それは、バンドにおいて、Hassy&Jakeとやってきた10年間(2008-2018)を終えた後だったこともあり、節目として、心機一転、また若い頃の気持ちに戻って、ゼロからスタートしよう、という、そんな気持ちになったのだ。
そして引越しの大きな目的のひとつは”Nabeshima”アルバムを作ることだった。
そのための制作環境として、新たな場所で、新たな生活を必要とした。
10年間続いた[Tone, Hassy, Jake]体制を終わらせて、僕は”Nabeshima”アルバムを作るために、決して軽くはない決心をしていた。
そのために、祈り、考え、試行錯誤をして、果たして、いつ、どこで、誰と、どのようにしてこの大切な作品を作るのか、ということを考えた。
そのために、たとえば新たな場所で、新たな人生を始めることも大いに現実的に考えていた。たとえば、日本の地方であるとか、外国のどこか、とか、そういう選択肢も含めての話だ。
あるいはどこかのキリスト教のミニストリーのために働きながら生きることも、大いに現実的に考えた。(というか、そういうのは今でも、気持ちは十分にある)(とはいえ人間性や適性は伴わないと思うが)
だが、色々の扉を叩いていく中で、神に示された答えは、「今、ここで、自分で」作ることだった。
そして僕は心を決め、そして前に住んでいた場所も、なぜだか自然と居づらくなる出来事が発生し、人生の次のステップへと押し出されるようにして、僕らは新しい生活を始めた。
地方で新しい人生を始めようか、とか、外国で新しい挑戦をしようか、とか色々考えたが、結局、横浜市内で小さな引越しをするだけに留まったのである(笑)
その2年前の折に、引越しをして心機一転という内容のブログというか日記を書いた。
これかな。
社会的にどうか、経済的にどうか、世の中から見て成功しているか、とか、そういうことは全然関係なく、
私生活において、また心の中において、それから2年。
“Nabeshima”の制作に取り組んで、それはとても大変であったけれど、
私生活の中における、また人生における幸せというものは、それからずっと、日に日に強く感じている。
祝福と言ってしまっていいと思う。
感謝している。神に。人に。いろいろなものに。
また、”Nabeshima”アルバムの制作に費やした努力や時間、そこに込めた気持ちは、生涯忘れないであろう。
それから2年。
引越しをしたのは2月だったので、本当は2月のうちにこの個人的な日記を記しておきたかったのだけれど、やはり少し忙しかった。
なんとしても”Nabeshima”アルバムを作るのだ、と決意して新しい人生のステップに踏み出した、その小さな引越しであったけれど。
それから2年が経過するまでに。
目的である”Nabeshima”アルバムは、しかるべき形で、満足のいく形で無事に完成させることが出来た。
そればかりか、そのアルバムをリリースするための海外レーベルとの契約も獲得した。
そればかりか、そのためのバンドの新体制も整えることが出来た。(これについては、Kojiさんの件が少し残念であるけれども、Shinryu氏との新しいバンドの形に大いに期待している)
“Nabeshima”アルバムだけではなく、長年の宿題であったオシャレ系インディロックのEPや、アコースティックEP等も制作した。
またPatreon等を始めて、小さな一歩ではあるが、音楽を収益化することに踏み出した。
上出来ではなかろうか。
もっと、何年もかかるのじゃないかと思っていた。
果たして、この”Nabeshima”アルバムが、世間に受け入れられるのか、ちょっとでも売れてくれるのか、ちょっとでも話題になってくれるのか、やってみなければわからないけれども、
たとえ大きな成功が手に入らなかったとしても、たとえまったく成功しなかったとしても、「僕にしては上出来だ」と言える。
ここまで来れただけでも、幸せだと、そう感じている。
さて、無事にリリースするまでが、これまた、忙しいのである。
ビデオやら、アートワークやら、やらなくてはいけないことがたくさんあるからだ。
そして、やっぱりそれらのことで大変だし、それらのことで頭が痛い。
ゆえに、日々、絶好調というわけにはいかない。
でも、そんなふうでもいいから、のろのろとした不器用な、自分たちらしいやり方でいいから、進んで行きたい。
今までもそうしてきたのだから。
先だって発表したように、(日本語での発表にどれだけのリアクションがあるのかはわからないが)、僕たちはヨーロッパはラトビア(とイタリア)のレーベルと契約したわけだけれども、
今この時代にあって、僕たちにとって、レーベルと契約する、なんていうことが make sense するとは思っていなかった。
レーベル、とか、商売、とか、そういうの、今はもう、成立しないよね、というのが、前提としてあったし、そういう状況しか見てこなかった。
ひとつは、アメリカの風景ばかり見ていたのがいけなかったのかもしれない。
アメリカは、ヘヴィメタル的には、特に正統派ぽいヘヴィメタルとしては、まったく荒れ果てた荒野と化しているからだ。(個人的な印象かもしれないが)
ヨーロッパにもっと目を向ければ、やはりそっちの方が、メタルは生き残っている、今でもメタルが結構盛んである、という状況に目が行ったかもしれない。
そのへんは、僕が必ずしもヨーロッパ系のメタルが好きではなく、というかメタル自体本当に好きかと言われると定かではなく、個人的に他ジャンルやUSインディ系に惹かれてしまうあたりが影響していたと思われる。音楽性としてもそのへんの立ち位置がうちのバンドの弱点である。
どちらにしても、僕たちは、僕たちの世代は、(社会的にもいわゆるロスジェネ的な世代の末端に当たるのだが)、(そして音楽的には90年代オルタナ世代、00年代インディ世代の、やはり失われた世代と言えるのだが)、
少なくとも自分たちの目線において、自分たちの世代は、荒れ果てた、何もない荒野、それしか見てこなかった。
2010年前後、アメリカで演奏して、それなりにチャンスっぽい状況を得て音を鳴らした時であっても、僕たちの前にあった現実とは、「音楽業界、音楽ビジネスなんてものは、もうとっくに崩壊して無くなってしまっているよね」というものだった。
また、昔からのベテラン、大物や、一部のビッグアーティスト以外で、良質なインディ、みたいな領域において、HR/HMの分野において、またクリスチャンミュージックの領域において、ビジネスなんていうものは、ほぼ存在していなかった。
もちろん、アメリカには「クリスチャンメタルコア」があり、たとえばSolid State Recordsとか、そのへんのシーンは常にあったが、僕らは残念ながらジャンルが違うし、また、これが2006年ならともかくも、2010年代以降、ましてや2020年や2021年現在において、僕はそれらの「クリスチャンメタルコア」シーンというものも、あんまり信用していない。音楽的な面でも、信仰の面でも、だ。あのへんも、すでに色んなことがあって、終わってしまった後だと思っている。
そして、追い打ちをかけるように昨年からのCOVID-19の影響だ。
音楽業界とか、音楽シーンは、みなどこも、手痛い打撃を受けているし、これでまた、世界が様変わりするだろう。
だから、そんな中で、この現代において、HR/HMの領域において、良質なインディみたいなカテゴリの中で、少しでもビジネスが成り立っている、make senseしているところがあるとは、思ってもみなかったし、意外に思っている。
これも、時代が進んだことによって、今の時代に合った形の音楽ビジネスやレーベル、アーティストの活動の形が、出来上がってきた、ということだろうか。
たとえば契約の内容ひとつとってみても、それは小規模で自主的なものではあるが、メジャーレーベルと契約する昔の時代のアーティストたちが、実際には搾取されまくっていたのを考えれば、夢のような自由な内容であろう。
もちろん、結果はやってみないとわからない。
僕らはしょせん、わかりづらいジャンルの、ややこしいメッセージ性の、古臭い音楽性をやっているだけの、弱小バンドだ。
音楽ビジネスなんて、普通はなかなか金にはならないし、よほど運が良くなければ成功しない。それは、昔からそういうものだ。
音楽をビジネスにするなんて、基本的には博打であり、ギャンブル同然なのだ。
けれども、それであっても、現代の小規模なインディ的な世界観の中であっても、こうして、海外のレーベルと契約を結び、ビジネスの形をきちんと取って作品を発表できることは、ありがたいことだ。
だから、自分たちなりに、全力でやってみようと思う。
ていうか、やんなきゃいけない。
そうしなければ、今までにお世話になった方々や、関わってくれた人たちに失礼だ。
うん、やるよ。
ダメ人間なりに(笑)
神様どうもありがとう。
みんなありがとう。