天下統一すべきバンド

もうひとつ、さきほどに引き続いて音楽全般の話、個人日記。

自分はもうそんな若くないですが、一応、ソングライターとして、バンドやってる身として、
その折々にて、新しいバンド、面白いバンド、など、新しい音楽を聴いて吸収しようという努力はしてきました。

もっとも、もともと興味の範囲が狭く、また価値観も一般とは違い、基本的に自分の音楽をやるので精一杯なので、積極的に探す余裕もなく、たまたま縁のあったものを聴くだけ、という姿勢です。

 

しかし、そろそろ自分の年齢を考えると、もう別に若いバンド、新しい音楽をチェックしなくてもいいかな、と、ここ数年は考えています。
それよりも、古いものや、自分の興味のある古典などを追及する方が、実りがあると思うからです。

それは、ブルースもそうだけれど、クラシックもそうだし、また僕の場合は、歳をとった今になって、パンクの歴史に興味が出てきたりしています。

 

また、特に21世紀以降のものは、メジャーのものよりも、インディのバンドの方が俄然面白いというのは事実です。
とはいえ、メジャーのバンドはわかりやすいし、インディの良いバンドを見つけるというのは簡単ではないから、運と縁に頼っている状態だけれども。

 

けれども、最近、とても良いバンドに夢中になった。
メジャー、メインストリームのロックバンドとしては、ここ20年で一番気に入った、と言ってもいいくらいのバンド。

20年ぶりくらいに衝撃を受けた、と言ってもいいくらいのバンドだと思います。

 

これは、普通に新しいバンドをチェックしているロックファンからすれば、もう何年も前からとっくに知っているよ、という感じなんだろうけれど、
それはイギリスのThe Strutsというバンドです。

 

The Strutsは、リードシンガーのLuke Spillerが、一目瞭然で「フレディ・マーキュリーの再来」なので、その時点ですでに話題であり、カリスマであると思うんだけれども、
僕は彼らの音楽を聴いて、「ああ、こんなバンドにもっと早く出会えていたら、僕は別に自分で音楽をやる必要なかったのになあ」と思いました。

 

彼らのデビューというか、1stアルバムは2014年に出ているみたいだけれど、
そのサウンドが確立されたのは、2018年のセカンドアルバムの前後ではないかと思う。

というのも、ファーストアルバムの音は、必ずしもロックしておらず、またそのファーストアルバムも後になって作り直しているみたいだから。

だから、アルバム3枚が出た今だからこそ、やっとその実力がわかるバンドであると思う。

 

彼らはかつてのクラシックロック、ロックの黄金時代のサウンドを再び新しい形で作り上げているけれど、それは他のバンドとは、ちょっとレベルが違う。

たとえばメタル系で言えば、2010年代になってからも、北欧あたりのバンドが、「往年の80年代メタル」の方向性で、いきのいいバンドがいくつもいることは、僕も認識はしていた。

ひとつの例としては北欧のこのバンドなんかは、たまにYouTubeなどで見かけた際に、なかなかいいな、なんて思ったりしたものである。

 

けれども、The Strutsは、そういった、ノスタルジーで80年代サウンドを復興しようとしているバンドとは、またちょっと次元が違う。
なぜなら、彼らの楽曲の中には、ノスタルジーどころか、ロック黄金時代の熱さが、そのまま生きているからだ。

はっきりいって信じられなかったし、こうやって書いていても信じられないくらいだ。

 

基本的に、今の時代、
というよりは、僕の知る限り、1990年代以降のミュージシャンというものは、
まずは「諦める」ところから、音を鳴らすプロセスがスタートするものだと思う。

つまり、ロックという表現方法は、もう終わったものである、という諦め。
もう終わった表現形態であり、また、ありとあらゆる音はすでに鳴らされてしまっている、という事実があって、その上で、「じゃあ、本当に最高のものは、もう鳴らすことは出来ないけれど、自分はその残り物の中から、何をやろうか」という選択をしていくものだと思う。

それは、あるいは1990年代に限らず、1970年代後半のパンクの時点で、そういったパンクやニューウェイブの先駆者たちは、同じような「諦念」を持ち、そこから活動がスタートしていたかもしれない。

(ここで、では自分はどうだったか、という話は、しないでおく)

 

けれども、The Strutsのサウンドは、そしてLuke Spillerの歌唱は。
それは、ぜんぜんちっとも諦めてない音だ。

ロックの黄金時代と同じように、あくまで単純に良い曲で、良いメロディで、ご機嫌なリズムで、そして最高の歌唱で、皆と幸せを分かち合おうという、ごくごくストレートで、まっとうなロックサウンドだ。

それはロックのスタート地点から、まったく何も変わらず、ひとつも諦めてない。
そんな音を、2010年代後半、ならびにこの2020年代に鳴らしているというのは、僕にとっては途轍もない驚きだった。

 

そして、Luke Spillerの歌唱と、パフォーマンス、そしてスター性に衝撃を受けた。

これは本物のロックスターだ、と。
この21世紀に、本物のロックスターなんてものが、まだ存在しているとは思わなかった。

そして、しみじみと思ったものだ。
こんなヒーローが、こんなスーパースターが、もっと早く世に現れてくれれば、僕は別に苦労して、自分のバンドを立ち上げ、東洋の片隅で音楽を作ることもなかっただろうに、と。

それは、僕が自分のバンドを立ち上げ、自分の音楽を作り上げた理由のひとつには、やはりヒーローの不在があったからだ。そしてロックの不在があったからだ。
自分のいちばんのヒーローであるVan Halenが、1999年以降も活動を続けてくれていたら、僕は別に自分で音楽を作る必要はなかった。

自分の聴きたい音楽が、なくなってしまったから、僕はそれを自分で作るしかなかった。
それって、他人にはわからないかもしれないけれど、かなり切実なことだったのだ。

 

だから、せめて、こんな本物のロックスターが、
僕が自分の音楽活動を初めようとしていた2001年当時、
あるいは、最初のバンドの形がバラけて、これでやめようと思っていた2005年当時、
あるいはせめて、ドイツでの録音を終えて、もういっぺんゼロに戻ろうと考えていた2007年当時。

それらの時期に、これほどのバンドが居て、その音を世界に響かせてくれていたら、僕はその時点で、「ああ、こんな素晴らしいバンドが世にいるのであれば、僕はもう自分で音楽を作る必要ないや」って思って、無事に音楽をやめられたかもしれない。

 

1990年代以降、そして2000年代以降のインターネット時代において、ヘヴィメタルの世界は当然ながら、ロックの不在、音楽業界の縮小と変質、そういった「空洞の時代」については、説明する必要がない。
それは世代によっても捉え方が違うかもしれないが、こと古典的なロックを基準として考えるのあれば、間違いなくそのようになる。

そんな「ロックの不在」を生きてきた僕らにとって、だからこそインディで音を鳴らさざるを得なかった僕らにとって、やっとこの時代になって、こんなバンドに出会えたことは、非常に嬉しい奇跡であると同時に、また非常に苦い皮肉でもある。

もっと早く出てきてくれたら、みたいに、本当にそう思う。

 

彼ら、The Strutsが現在までリリースしてきた作品を、僕はまだ全部ちゃんと聴いたわけではない。
それは、これから聴く。

だから、今ここに書いているのは、ざっと一聴しただけの印象なのだけれど。

ファーストアルバムは素晴らしいが、サウンドが必ずしもロックしておらず、もっとその当時のポップ寄りだったり、違う何かになっている。
しかし、作り直したらしいので、作り直した後のやつは、たぶんロック色が強くなって良くなっているのじゃないかと思う。推測だけど。
だけれども、それらの楽曲や、Luke Spillerの歌唱はやっぱり本当に素晴らしい。

またたとえどのような現代的なサウンド、いまどきのアレンジになっていようとも、曲のベーシックな部分がきちんと書かれたものであれば、普遍的なポップソング、ロックソングとして通用するのだ、ということを強く感じる。
たとえ現代のデジタルサウンドになっていたとしても、曲が良ければ関係ない、そんなパワーを感じる。

 

そしてセカンドアルバムは、もっとクラシックロックを意識した作りになっている気がする。
それは、Luke Spillerが「フレディ・マーキュリーにそっくり」という点を前面に押し出して、おもいっきりQueenに寄せていく、ということをやったのだと思う。
もっとも、全編それではなくて、聴いた感じではアルバム前半は、もうちょっと今時の音作りになっている。

それはきっと、ファーストの後のツアー等で、そういったQueenやクラシックロックを意識した路線が、オーディエンスに受けるということを手応えとして感じとり、プロダクションがそのような方向性になったのだと思う。

だから、そのセカンドアルバムに前後してリリースされたEPやらシングルやらも、やっぱり古典的なクラシックロックの色が強く、楽曲も非常に充実している。

(彼らは”Dancing In The Street”のカバーをやっているけれど、Van Halenのファンとしては、それがVan Halenバージョンに基づいていることは、言及しておきたいし、それは、めっちゃ嬉しい。)

 

サードアルバムは、まだちょっとした聴いてないのだが、2020年の”quarantine”の中で作られた、いわゆるコロナ禍の中の作品ということで、ちょっとゆるい作りになっていると感じた。
様々な曲で、様々な大物ゲスト、特にブリティッシュロックの大物たちを迎え、共演しまくったアルバムのようだ。
それは、まだまだ、この希有なバンドを人々に知ってもらい、知名度を上げなくてはならないという、現実的なビジネス上の戦略もあったのだと思う。
だから内容は、ちょっとゆるい気がするんだけれど、一般の音楽ファンには、その方が聴きやすいかもしれないし、聴き込んでいけば、もっと魅力がわかるかもしれない。

 

The Struts魅力は、いくつも挙げられると思うが、
ロックファンの立場からしてみれば、まず言わなければならないのが、
彼らの音楽は、まさにブリティッシュロックの歴史のいいとこ取り、ブリティッシュロックの伝統の総決算になっているところだ。

1960年代のThe Beatles、The Rolling Stones、The Whoはもちろん、
1970年代のグラムロック、そしてパンク、
1980年代のアリーナロック、
1990年代のブリットポップ、
そういったものが、全部詰まっている。

そしてそれ以降のコンテンポラリーなポップミュージックも、やはり入っている。

そしてそれを、Freddie Mercuryの再来としか思えないような最高のシンガーが歌うわけである。

ちょっと、なに、その夢みたいなスペックのバンド、みたいに思えてくる。

なんでそんなことが出来るのかは、さっぱりわからないが、どちらにしてもきっとイギリスのバンドにしか出来なかったことなのだろう、ということは言える。
歴史、伝統、誇り、みたいなものだ。

 

たとえばQueenみたいな曲、ローリング・ストーンズみたいな曲、とか、もちろんあるけれど、
僕なんかは1990年代のBritpopが好きな世代だが、そんな僕からしてみても、ああこの曲のこの部分はBlurだよね、とか、この曲はOasisっぽいね、とか、ああ今のフレーズはSupergrassのオマージュだね、とか、そういう部分がわかったりする。
しかもそれがただの引用で終わっておらず、むしろ引用したオリジナルよりも良かったりする。
まじでありえない。

そしてそのように「ああこれはあのバンドの引用だ」みたいのは、ロックに詳しい人であればあるほど、彼らの曲のあちこちに見つけられるに違いない。

 

このソングライティングを見るにつけ、僕はこれが個人レベルでやれるとは思わず、優れたソングライティングのチーム、あるいは優れたライターとの共同作業によって書かれたものではないかという印象を受ける。
そう思ってウィキペディアを見て、作曲のクレジットを見てみると、彼らの楽曲の多くは、シンガーのLuke Spiller、ギタリストのAdam Slackのコンビが中心になりつつも、やはり優れたライターやプロデューサーとの共同作業によるTeam Effortであるようだ。
しかし、それも含めて「凄い」と僕はそう思う。

はっきりいって、英国(UK)が、国を挙げてプッシュしてしかるべきバンドじゃないかと思うからだ。それくらいの宝と言える存在であるから、優れたライティングチームがサポートするのは、当たり前のことである。

 

そして、やはりなんといってもフロントマンでありリードシンガーであるLuke Spillerのヴォーカリストとしての素晴らしい実力と、ロックスターとしての魅力である。

僕は素直にこのLuke Spillerの大ファンになってしまった。

彼は、どう見てもFreddie Mercuryの再来であり、見た目も声もそっくりだ。
見た目は、ひょっとすると整形とかしている可能性もあるけれど、表情なんかも含めて、本当に似ているんだからしょうがない。

そして、歌もそっくりであるが、むしろ後の時代に生まれ、良い部分を集中してスキルを伸ばす分、技術的には当のフレディよりも上なんじゃないだろうか。

 

21世紀の今の時代には、ミュージシャン、プレイヤーの技術、スキルはとんでもなく高く、それはYouTubeを見れば7歳とか8歳のスーパープレイヤーがたくさんいることからもわかる。
そしてヴォーカリストということで言っても、今のシンガーは技術的には素晴らしく上手い人が多いと思う。
だけどそのぶん、突き抜けた個性であるとか、きわどい魅力を持った人は少ない。

けれどもこのLuke Spillerは、本物のFreddie Mercuryよりも上なんじゃないかと思うくらいの歌唱のスキルがある上に、存在感も本物だ。

なにって、Luke Spillerは、フレディ・マーキュリーであるだけではなく、Mick Jaggerでもあるし、Michael Jacksonでもあるのだ。
なにそれ、ずるい、ずるすぎる。

そういった過去の伝説的なフロントマンの魅力を兼ね備えているうえに、歌声はフレディ・マーキュリーなわけである。

おい、誰かがパラメーターを操作して作ったチートキャラじゃないのか。
あるいは誰かがバイオテクノロジーで作り出した超人なんじゃないのか。
そう言いたくなる。笑。

 

そして何よりも、彼は本物のロックスターであり、
いまどきもうとっくに絶滅したと思っていた本物のロックスターであり、
そしてまた、人々を楽しませたいという思いによって生きている本物のエンターテイナーなのだ。
その純粋なエンターテイメントの精神を、皆を分け隔てなく楽しませたいという、いってみれば「愛」みたいな精神を、彼のパフォーマンス、彼らの楽曲、から強く感じるからこそ、僕は感動しているわけである。

 

もちろん、世間には素晴らしいヴォーカリストはたくさんいるわけなんだけれども、特にライヴ映像を見ていると、Luke Spillerの実力は、やはり桁外れに突き抜けているように思える。
それはもう、凄まじい。
でも、きっと普通のファンは、それがどれほど凄いことか、そんなことは意識せずに、純粋に楽しんでいるに違いない。

(Freddie Mercuryのそっくりさん的なヴォーカリストとしては、例の映画Bohemian Rhapsodyでもヴォーカルを担当したカナダのMarc Martelというシンガーがいることは、僕も知っている。そしてまた、彼はDownhereというバンドをやっていた「クリスチャンミュージシャン」でもあるから、彼の音楽をチェックしなければ、とずっと思っているが、ごめん、まだ出来てない。甚だ不勉強ですみません。)

 

ロックの歴史、そしてロックの現在、そういった時代に幻滅することなく、また諦めることもなく、
まっすぐに、純粋にいいメロディを持ったいい曲を書くことによって、人々を楽しませるという、至極まっとうなロックの原点。
それが、今の時代によみがえるなんて、思ってもみなかった。

そのまっすぐなエンターテイメント精神こそが、僕がこのThe Strutsに感じている素晴らしさのひとつである。

 

僕の意見では、こんなに素晴らしいバンドは、本来ならば天下統一してしかるべきだ。
British Rockの歴史を総決算して、さらにその先を行くような、そんな素晴らしいバンドは、今すぐに全世界のチャートの一位を取って、世界のアリーナをツアーしてしかるべきだ。

もちろん彼らはすでにかなりの人気があると思う。
だけれども、今ではやはりロックの時代はとっくに過ぎ去っているので、本来そうなるべき、大規模な知名度と支持には至ってないように見える。

ぜひもっと多くのロックファンに知ってもらうべきバンドだし、もっともっと活躍すべきバンドだ。
でも、現実にそうなっていないとすれば、やはり今の時代にはもう、彼らが取るべき「天下」なんてものは、そもそもすでに存在していないのだろう。
様々なものが、多様化した世界であるから、現代は。

彼らがこれからどんなキャリアを重ね、どんな音楽を作って行くのか。
期待と不安が半分ずつだ。

 

 

でね、やっぱりヴォーカルということですよ。

僕は、もうこれは今となっては、技術的なことも含めて、このLuke Spillerはもはやロック史上最高のヴォーカリストと言ってしまっていいんじゃないかと思う。それくらい高く評価している。

立ち位置としては、僕はもちろんQueenは大好きだけれど、個人的に大ファンという程ではない。
だけど、このThe Strutsはファンになってしまったんだよね。時代と立場の違いはあるけれど、これは決して小さなことではない。

 

ヴォーカリストの力ってことを思ったんだよね。

つまり、僕は自分は基本的には「ハードロックギタリスト」なわけですよ。

だから、楽曲の中心には常にギターがあるし、Van Halenみたいなスタイルで、ギターありきで曲を作ってきた。

だけれども、こんなに素晴らしいヴォーカリストがいると、そういった曲作りの条件が、まったく変わってしまう。
別に凄いギタープレイをしなくても、別に変わったコード進行を使わなくても、別に複雑な変拍子など使わなくても、素直に良い曲を書き、素直に良いメロディを歌わせれば、それでもう、素晴らしく最高な音楽が出来てしまう。

そして、これほどのシンガーになると、メロディの質も変わってくる。
並のシンガーでは為し得ないような表現力で、並のシンガーでは歌えないようなメロディで、曲を作ることが出来る。

 

あたりまえのことなんだけれども、
ロックミュージック、ポップミュージックにとって、シンガーの力というものは、これほどまでに重要で、これほどまでに大きいものなんだな、ということを思い知らされた。

シンガーが素晴らしいという、たったそれだけで、曲作りの世界観がまったく違ってしまうのだから。

だから、これまでハードロックギタリストとして生きてきた自分にとっては、ギター以上に「ヴォーカル」の力を思い知らされた、そんな体験だった。このLuke Spillerとの出会いは。

 

逆に言えば、自分にとっての最高のバンドであり、原点であるところのVan Halenというバンド、そしてEddie Van Halenについて、あらためて考えてみることも出来る。

Eddie Van Halenはもちろん、世界最高のロックギタリストだった。
けれど、彼が曲を書き、音楽を作る中で、シンガー、ヴォーカリストという問題がそこには常にあった。

David Lee Rothというシンガーと組むことで、エディはワイルドで野放図な最高のハードロックを作り上げた。
そしてまたその後、Sammy Hagarというシンガーと組むことで、多くの人々に愛される最高のポップソングを作り上げた。

だけれども、その後、もっとスピリチュアルなメッセージと深みを持った音楽を作ろうとした時には、そのどちらも、その表現には足りなかった。

 

そう思って振り返ってみれば、クリスチャンミュージシャンとしての側面があるハードロックヴォーカリストであるGary Cheroneは、あの時点では確かに最善の選択だったのかもしれない。

だが、そのGaryをもってしても、やはり足りなかったのだと思う。

 

つまり、Eddie Van Halenが、本来は行きたかったであろう、あれ以上の音楽的な高みにたどり着けなかったのは、シンガーの不在によるものなのだ。
そうではなかったのかと、今、振り返ってそう思う。

じゃあ、その時、その場に、このLuke Spillerが居たら、という仮定の話はしてもしょうがない。それはまた、タイプが違うし、あるいはLukeでもやっぱり足りないかもしれないから。(そんでもって、Mitch Malloyでもやっぱり足りなかっただろう)

 

けれども、僕はやはり、こうして改めて、ヴォーカリスト、ヴォーカルということの重要性を、噛み締めているのだ。

 

振り返って自分の身を見てみれば、僕はギタリストでありながら、自分で歌うという選択をしてしまっている。
もちろんそれは、自らすすんでした選択ではなくて、それしか方法がなかったから、仕方なく自分で歌う羽目になったのである。

だけれども、そこにはひょっとすると可能性があるかもしれない。
実力不足や、デメリットも大きかったかもしれないが、それ以上に可能性はまだあるのかもしれない。

 

なので僕は、シンガーとして、ヴォーカリストとして、この若き帝王、Luke Spillerから、多くのものを学ばなくてはならない。
学ぼうと思っている。

僕はきっちりレッスンを受けて歌を習ったような、そんなちゃんとしたヴォーカリストではない。
見よう見まねで、その場その場でなんとか自分なりに、下手なりにやってきただけだ。

そんな僕でも、もともとの適性や技量、肉体的な器の限界はわかっていても、これまで向き合ってくる中で、技術や理論の積み重ねがある。

だが、このLuke Spillerとの出会いは、そういった技術の積み重ねがいったん白紙になってしまうくらいの衝撃がある。

そういう意味では、すでに影響を受けている。

 

もういっぺん言うけれども、
もし、もっと早くこのバンド、そしてこのシンガーが世に出ていれば、
もっと早くこのバンドに出会えていれば、僕は音楽を辞めることが出来たかもしれない。

だけれども、今の時点ではたぶんもう遅い。

いや、思ってるよ、こんないいバンド、こんないいシンガーに出会ってしまうとね。
ああ、こんないいシンガーが歌ってるのを見ると、もう自分は馬鹿馬鹿しくて歌えないなあ、って。
もうやめちゃおうかな、って。笑。

でも、今人生のこの時点で、そんなシンガー、そんなバンドに出会えたこと自体が幸福だ。

 

それに、かのVan Halenもやはりそうであったように、
彼らには背負えないものもある。
メジャーバンド、メインストリームのバンドには背負えないものがある。

仮にもゴスペルミュージシャンである自分には、ただのロックスター以上の夢があり理想がある。

そうである以上、僕は、自分の能力の限界、肉体的な限界を嫌というほど知りつつも、やはり、このLuke Spillerを新たに目標として、より良いヴォーカリストになれるよう努力しなければならない。

 

僕は基本的にはハードロックギタリストだ。
だからこれまでにも、たくさんのギタリストに影響を受けてきた。

けれど、僕は別に自分をヴォーカリストとは思っていない。
だから、シンガー、ヴォーカリストに憧れたり、好きになったりすることは少ない。
僕が特定のシンガーをこれほど好きになり、影響を受けるのは、10代の頃に夢中になったSuedeのBrett Anderson以来、これで2人目だよ。

僕は底辺のインディバンドの人に過ぎないかもしれないけれど、僕は頑張るよ。
彼に負けない歌が歌えるように。

 

あとはね、もうひとつ書き記しておきたいのは。
これで、フレディ・マーキュリーの再来なんていうシンガーが現れたってことは。

ひょっとするとエディ・ヴァン・ヘイレンの再来みたいなギタリストにも、まだこの先、出会えるんじゃないかって、そう期待しちゃう。

そんなギタリストに出会えたら、僕はもう悔いはないよ。

 

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