The Gardenの解説とコメンタリー

さて、The Gardenのミュージックビデオが公開されましたが、その直後に、僕たちはその解説のためのコメンタリービデオを作ってアップしました。

まずは”The Garden”のMV

 

そしてこれがその解説のコメンタリー。

 

コメンタリー動画は、日本のバンドなので必然的に日本語でやってますが、
メンバー3人でわいわいと、撮影の苦労話をしたり、撮影で使ったモデルガンを撃ってみたり、Marieちゃんもドレス姿を披露したりと、なかなか楽しい内容です。
そして動画の最後では”The Garden”のアコースティックバージョンも、わりと即席のアコースティックライブの形で披露しています。(歌うの難しかったけど)

 

この曲に関しては本当に思い入れがあり、また曲の内容もスピリチュアルかつ個人的で、難解なものかもしれません。

ですので、ひととおりの解説や註釈を書き残しておきたかった。

しかし今は色々と時間に余裕がなく、
そのかわり、コメンタリービデオを作る際に、内容を整理するために書きなぐった文章が残っています。

最近ではもう、昔のように、思いのままに書きなぐった文章を、バンドのウェブサイトにのっけることもあまりしなくなってしまいました。
それはウェブサイトの形式、昔は日記帳のページだったから気楽に書けていたからかもしれないし、歳を取って見てくれを気にするようになってしまったかもしれません。

けれども、アイディアをまとめるために書きなぐったこの文章は、比較的に素のままの自分の創作に向き合う内面が出ています。

きちんとした文体の記事に書き直している時間が惜しいこともあり、このまま掲載しようかと思います。

– – –

 

The GardenのMV、見ていただけましたでしょうか。
非常に美しい作品になったと思っています。

けれども、ストーリーや歌詞は、ひょっとすると難解かもしれない。
ビデオの中で、なぜいきなり銃を撃つのか。
しかもラヴソングのはずなのに、ヒロインみたいな女性をなぜ撃つのか(少なくとも、撃っているように見える)、驚く人もいるかもしれない。

ややこしい曲であり、ややこしいビデオなので、ここで解説をさせてほしい。

で、これは僕にとってはすごく個人的な曲なのね。
とても個人的なラヴソングなのよ。

なぜなら、この曲を書いた人間、Toneは、もう長い間、一人の女性を非常に強く愛している。
そして、もう20年以上も前、彼がその女性を愛してしまったことが、そもそもこの伊万里音色(Imari Tones)というバンドの始まりだった。

 

この曲の歌詞っていうのは、その個人的な思いを、非常にスピリチュアルな形で表現したものなのね。
でもね、だからこそ、他人にはわからないかもしれない。

でも、ぶっちゃけ俺は、他人にはわからなくてもいいや、って思ってる。
そう思ってこの曲を書いたし、このビデオも、そんな気分のままで作った。
大切な人にだけ、伝わればいいんだよ。

音楽っていうのは、何も売れるためにだけ、作るわけじゃないんだぜ。
人気者になるために音楽をやってるわけじゃないんだよ。
この曲は、まさにそれだね、
大切な人に、大切な思いを伝える、それだけのためさ。
もっとも、Nabeshimaアルバム自体が、そういう側面があるけどね。
日本の伝統とキリスト教ということをテーマにしたアルバムであると同時に、非常に個人的な側面を持ったアルバムでもある。

 

この曲は、クリスチャンソングかどうか、っていう問題がある。
僕は、”Nabeshima”アルバムを作るにあたって、信仰について歌おうとは思っていたけれど、無理にクリスチャンアルバムにしようとは、実際のところ考えていなかった。
僕は一人の人間として、自分の育った文化や、辿ってきた道のりを、正直に音楽に反映させようと思っていた。
その結果、これは世間一般に言うところの、クリスチャンミュージックとは違ったものになるかもしれない。特に、欧米で一般的なクリスチャンミュージックとは違うだろうと思う。
けれど、僕が自分の神に対する信仰について歌っていることは事実だ。
なぜならイエス・キリストは、クリスチャンミュージックシーンよりも余程でかいということは確かだから。
もし人々が、これはクリスチャンミュージックではない、と言うのであれば、それでいいと僕は思っていたよ。

この曲は僕の、そして僕たちの魂にとっての真実だ。
それは僕たちの実際の愛のストーリーに基づいている。
このスピリチュアルな魂のストーリーは、僕と、僕の大切な人との間の物語であって、僕たちにとっては真実なんだよね。

 

このビデオで、見た人が戸惑うのは、銃を撃つシーンだと思う。
白いドレスを着た女性が登場するけれど、
突然、男はその女性に向けて銃を発砲する。
それに対して、なんで、どうしてそうなるの、と思う人は多いと思う。

笑っちゃうのは、僕はこの曲についての思い入れが余りにも強いので、
他人に言われるまでそれに気が付かなかったことだね。

ビデオの撮影を担当してくれた、オオハラ氏と打合せをしていて、
「ラヴソングなのに、なんで女の子を銃で撃つんですか」って言われて、
「え、それって何かおかしい?」って聞き返しちゃった。
僕の中では、それがとても自然なストーリーだったからさ。

これがラヴソングだとすれば、なぜ女の子を銃で撃つ必要があるのか。
あるいは、彼は本当に彼女を撃ったのか。
それについて、明確な答えを言うことは出来ないね。
けれども僕に言えるのは、愛とはそういうものだ、ということだ。
愛とはとても不可解で、難しいものであり、矛盾をはらんだものだということだ。

だからこそ、彼は彼女を撃たなければならなかった。
そして、彼女は自分が銃で撃たれようとしているにも関わらず、何事もなかったかのように笑っているんだよ。

 

でも実際のところ、単純にかっこよかったからやってみた、っていうのはあるね。
僕らみたいなインディバンドがビデオを作ろうとするときに、小道具として銃を使ってみる、っていうのは、物語をドラマティックにするためには効果的だ。
もちろん、日本では銃を所持することは違法だから、これはモデルガン(toy gun, cap gun)、おもちゃの銃だよ。でも、火薬をセットして火花が出るから、それで雰囲気を出した感じだね。

 

この曲は、ビデオをぜひ作りたかったんだよね。
昨年、PassionやGod Anthemといったビデオを作ってきたけれど、Nabeshimaアルバムには曲がたくさんあって、大切な曲がいっぱいある。ビデオを作りたい曲は、まだまだいくつもあるんだけど、このThe Gardenは中でも個人的な思い入れが強い曲だから、ビデオを作りたいなと思っていた。

でも、アイディアが全然浮かばなかったんだよね。

最初は、きれいな庭園を使いたかったんだよ。
この曲は、天国にある庭園をイメージしているんだ。
きれいなアルペジオのイントロで始まるだろ。
それは、文字通りにotherworldlyな、美しい天の国の、神の国にある庭園を表現しているんだよね。

だからそういった、美しい庭園を使ってビデオを撮影することが出来たらいいなと思っていた。
だけど、現実にはなかなか難しくてね。

そして、僕は誰か、俳優さんや女優さんを起用したいと思っていた。
この曲はラブソングだから、カップルというか、恋人の役を、どこかの男女にやってもらいたいと思っていた。
それは、美男美女の俳優さんでもいいけれど、誰か友人にやってもらってもいいかなと思っていた。
で、彼らにラブストーリーを演じてもらって、僕らバンドメンバーは、その後ろで背景に溶け込んで演奏しようと思っていた。
だけど、実際には大きな庭園を撮影に使用するにはハードルが高い上に、恋人役の男女を探すのもけっこう難しい。

だったら、バンドメンバーで演じて、表現してみようということになった。
で、なぜかスーツ姿にサングラス、という出で立ちになった。
恋人同士というよりは、ギャング(mob)のメンバーみたいになった。

 

歌詞のことを説明すると。

この曲の歌詞のストーリは、まあ読んだままなんだけれど、
天の国で、一人の男が一人の女と出会うんだよね。
でも、その男は罪を犯した反逆者なわけだ。

それはなぜかっていうと、人間というのは、罪を犯すものだからさ。
人間には罪(原罪)っていうものがあって、どうしたって罪を犯す、神に逆らうように出来ている。

歌詞の上では、その男は、天の国の、その美しい庭園に、忍び込んだということになっている。
どうして忍び込んだのかは、わからないけれど。

ただそこで、彼は一人の女性に出会ったわけさ。
天の園に、その時たまたまいた一人の女性。
彼は、その女性を愛すると誓うわけだ。
で、それは彼にとってはただひとつの真実だったわけ。

ただ彼は罪人であるから、天の国では受け入れられる存在ではない。

けれど彼は、その女性を愛するために、全世界を敵に回してもいいと決意するわけだね。
なぜかというと、愛というものはそれくらいクレイジーであり、またクレイジーなくらいに真実なものだからだ。

歌詞の中で歌っているんだけど、
彼は、野生の狼のように、君のためだったら反逆者になろう、と、
そして、君のためだったら巨人とも戦うし、神々だって殺めよう、と言っているわけだ。
イメージとしては、西遊記に出て来る孫悟空みたいな感じかな。全世界を敵に回して、天にも逆らうといったような。

けれども、それらもすべて、天の最も高い所におられる、主なる神が、計画したことなんだね。
なぜならそれは、罪の購いと、魂の成長ということだから。
それがこの愛の物語のストーリー、肝要なところであって。
そして、これは人間と神との間のラブストーリーでもあるわけだ。
男と女の関係を歌ったラブストーリーであると同時に、これは神と人間との関係についての曲でもあるわけだ。
そして、そこには、愛と許しがある。
ここでやっとキリスト教っぽくなってくるわけだね。

そして、これはもちろん、男と女の関係に限らず、それが愛というものであれば、様々な関係について言えることだと思う。

で、これがどういう経緯で、どういう理由でそうなったのかは、歌詞の中では明らかではないけれど、
その男と女は、地上で生きることを選ぶわけだ。

それは、あるいは、天界を追い出された罰なのかもしれない。
あるいは、天界から逃げ出した彼らが、自分で選んだことなのかもしれない。

けれども地上で生きるということは、そこには生があると同時に、死もあるわけだ。

地上には苦難があり、病もあり、貧困もあり、そして老いというものもある。

だけれども彼は彼女に言うわけだ。
たとえ限りのある命だったとしても、
自分と一緒にこの地上で生きて、そして死んでくれ、ということをね。

だからこの曲は、ラヴソングの歌詞としてはとても変わっていると思うよ。

地上に降りた天使よ、僕と一緒に人として生きて、
そして共に年老いて、衰え、死んでくれるか、
と言っているわけだからね。

この「衰える」というのは、witherという言葉をつかっているんだけど、これは植物がしおれて、枯れる時に使う言葉だよね。
あるいは年月を経て衰える、という意味で、weatherでもいいのかもしれない。自分はどっちかよくわからずに、どっちでもいいやと思って歌っていたよ。

地上において共に生きる、ということは、ともに朽ち果て、死ぬ、ということでもあるわけだ。
そこにはやっぱり、何か大きな意味合いがある。

そして、その地上に生きる中で、きっと男は、何かを見つけるんだね。
自分のためではなく誰かのために生きて、そして死ぬ中で、何かを見つけるんだと思う。
それは愛ということを学ぶんだと思うよ。
そして、神の愛と、そこにある贖罪ということに気付くんだと思う。

だから最終的に、彼らは天の国に戻っていくわけだ。
そして、神の愛によって罪を購われた彼らは、あの美しい「天の園」において、永遠の中に生きることになるわけだ。

といった感じの、まあ、自分なりの個人的なラブソング、そういった思いを、うまいことキリスト教の救済という概念の中に落としこんで、
スピリチュアル・ラヴソングとでも言うような、天と地、生と死、そして永遠につながっていく愛の物語を描くことが出来たんじゃないかなと思っている。

ただ、なかなか難しいから、わかりづらいかもしれない。笑。

 

ここでもう一度この歌詞、この曲のストーリーについて触れると、女の方は、別に罪を犯した、とか、そういうふうには書かれていない。
彼女も罪人だったのかもしれないし、そうではないかもしれない。
でも、歌詞を読む限りでは、彼女はたまたま、天の園にいて、たまたま男と出会ってしまっただけなんだよね。

だから彼女は、別に地上に降りる必要はなかったわけだ。
わざわざ地上に降りて、人として生きる必要はなかったはずなんだよ。
それでも、彼女は男とともに、地上に降りて、人として生きることを選んだ。
そこに、やっぱり愛みたいなものがあると思うね。
女性の愛というのか、仏教で言えば観音様みたいな概念の、女性ならではの愛があるように、僕は思う。

この曲を女性視点、ヒロインの視点から見ることで、また別の物語がもうひとつ書けそうな気がするけれど、それはまた別の機会にしておこう。

 

まあ、歌詞なんて大抵、適当に書いてるから、こういうことも、後になってから気付いたことなんだけどね。

 

 

で、歌詞の説明、曲のテーマについては今、話したとおりだから、
今度はビデオの内容について説明してみよう。

さっきも言ったように、もともと、この曲のビデオはアイディアがなかなか浮かばなくて、本当はどこかの美しい庭園を使って、美男美女の俳優に恋人役を演じてもらおうと思っていた。

けれど、バンドメンバーでやろう、って決めたから、別の方法を探さなきゃいけなかった。

 

大きな庭園で撮影をするのは、許可を取らなきゃいけなかったり、色々と難しいから、God Anthemのビデオでやったように、また海でやってみよう、という話になった。

そこで、思い出したんだけれど、僕が好きなとある古いマンガの中に、一晩中飲み明かした主人公たちが、朝になって海を訪れるというシーンがあった。

それは1980年代のマンガで、どちらかといえばレゲエをテーマにしたマンガだったけれど、知っている人は知っていると思う。

 

で、それをやってみよう、と思った。

何か大きな仕事を終えて、一晩中飲み明かしたサラリーマンが、翌朝、ふと空しさを感じて、海を見たくなった。そして海辺にやってきた。

そんな設定を考えた。
バンドメンバーが、今回スーツ姿になっているのは、そんな設定があるからだ。

ただ実際には、ちょっとハードボイルドな雰囲気にしたかったから、サラリーマンとか勤め人というよりは、もうちょっとマフィアみたいな感じになったね。笑。

 

で、これはラヴソングだから、何かそういう表現を使わなければいけなかった。
ただ、僕はMarieと夫婦だけれど、自分たちで恋人役をやるのはちょっと嫌だったので、Marieに別のキャラクターを演じてもらうことにした。

それはつまり、Marieに白いドレスを着てもらって、それを美しい誰かであるとか、愛する存在の象徴みたいなキャラクターとして登場してもらうということだ。
女神みたいな感じでね。

で、演奏シーンには、Marieはスーツ姿で登場するので、バンドの一員として演奏しているMarieと、白いドレスを着ている「女神Marie」は、基本的には別のキャラクターとして考えた。

そして、何と言ってもクライマックスは、Toneが銃を撃つシーンだと思うんだけれども、ここで、なんでいきなり銃を撃つのか、という問題がある。

で、正直に言えば、かっこいいかな、と思ったから、やってみた、というだけなんだけれども。

けれど、その「愛の象徴」みたいな設定のキャラクターに、なぜ銃を向けなければいけないのか、というところが、なかなか説明が難しいと思う。

でも、さっきも言ったように、僕はそれが自然だと思っていた。
この曲のテーマから考えれば、愛というものの本質として、それは必然だと思ったんだね。
でも、それは人にはわからないかもしれない。

それは、自分の中にある偶像や、幻想といったものを打ち破る行為なのかもしれない。
あるいは、愛しているからこそ、撃たなければならない、みたいなことがあるのかもしれない。
あるいはまた、白いドレスのMarieは、向き合わなければならない真実、みたいな意味合いの存在なのかもしれない。

けれど、ここでひとつ指摘しておきたいのは、
この銃を撃つシーンの中で、白いドレスのMarieは笑っているんだね。

マフィアみたいな格好のToneに銃を向けられても、笑っているわけだ。
ここは、やっぱり彼女は役者ではないので、女神のような包容力のある笑顔というわけにはいかず、どちらかというと緊張感のない顔でへらへらと笑っているわけなんだけれども、

けれども、思い詰めた真剣な表情で銃を向けるマフィアToneと、穏やかに笑っている女神Marieの対比が、この曲のテーマとして大切な部分なのかもしれない。

 

で、Toneは銃を撃つわけなんだけれども、それで白いドレスのMarieは果たして死んだのかどうか。
それは、よくわからない。
死んだのかもしれないし、死んでいないかもしれない。

けれど、それがどちらであったとしても、その銃を撃つシーンの後に、非常にエモーショナルな、情感のこもったギターソロがあるので、それが色々なことを語っている気がするね。

個人的には、この白いドレスの「女神Marie」は、殺そうとしても殺せない存在なんじゃないかという気がしている。

そしてこのギターソロは、僕はギタリストとして、自分のすべてを込めたといっても過言ではないくらいだ。

この”Nabeshima”アルバムには、たくさんのギターソロが入っている。
アルバムの方向性とか、ヘヴィメタルアルバムとして考えた場合のまとまりで言えば、僕たちの代表作のひとつである”Jesus Wind”の方を評価する人は、きっといると思う。
けれど、ギタリストとして、自分が最高のギターソロを弾いたのは、間違いなくこの”Nabeshima”であると僕は思っている。

けれども、その中でも、この”The Garden”のギターソロは、あまりにも伝えたいことが大き過ぎて、自分の力量を越えていた感がある。
そして本当のことを言えば、この曲自体が、自分の、自分たちの力量を越えていて、ちゃんとうまく演奏し、表現できたかどうか自信がないくらい、それくらい難しい曲だ。

だから、この”The Garden”のギターソロには、自分のエモーションであるとか、ギタリストとしての様々なものが込められているし、愛みたいなものを、きっと伝えようとしているんだと思う。自分としては、本当に命がけで弾いたソロだと言いたい。

けれども、だからこそ、このギターソロを自分で聴くと、とても恥ずかしい気分になる。
それはまるで、自分のプライベートな部分であるとか、自分の中の醜い部分、まるで自分の裸を見られているような気になるんだよ。
けれども、今まで自分が弾いた中でも、もっとも官能的でセクシーなギタープレイだ、ということは確かだと思う。

 

そんな感じで、エモーショナルに、ドラマティックに愛を表現するために、色々やってみたビデオだったんだけど、
実際のところ、本当のことを言えば、このビデオのストーリーに気が付いたのは、作品が完成した後だった。

そして、このバンドにおいて、Marieがいかに大きな役割を果たしてきたか、ということに気付かされたんだね。

 

このビデオの主役は、間違いなくMarieだと思う。

後になってから気付いたんだけれど、このビデオのストーリーの中でMarieは、間違いなく主役というか、まるでジャンヌダルクみたいな役柄を演じている。
そして、ひとつの救済の象徴のような役割を果たしている。

作品の解釈の仕方はいくつもあるので、これが正式なストーリーというわけでは必ずしもないんだけれど、僕が思ったストーリーはこのようなものだ。

 

人間は、死に支配されて、様々なものに支配されて、そして悲しみの中に生きている。
だからこそ、オープニングのシーンで、彼らは泣いている、涙を流している。
そしてまた、そのマフィアみたいな雰囲気の彼らは、まるで葬式のように暗い雰囲気で海辺を歩いている。

しかし、Marieは十字架を見つめ、何かを決意する。
なんだか、そんなふうに見える。

立ち上がった彼女は、白いドレスを身に纏った「女神」(聖女?)となり、信仰の証である十字架を天に掲げて見せる。

そして、そこから、きっと色々なことがあったと思うのだけれど、
最終的に彼女は自分の身を犠牲にして、銃で撃たれるわけだね。

それはもちろん、十字架によって人類の魂の救済を成し遂げた、キリストの象徴なわけだ。
この白いドレスのMarieはキリストではないけれど、殉教したカトリックの聖人みたいに、信仰と救済を示しているわけだ。

そしてもちろん、世界は悲しみに包まれる。
そういったエモーションは、ギターソロの中にたくさん表現されていると思う。

けれどMarieは決して死んではいないんだね。
ギターソロの美しい情景の中に、彼女は再び現れるし、その後の演奏シーンにもバンドの一員として登場している。
それはあるいは、魂の永遠を象徴しているのかもしれないし、復活ということを表しているのかもしれない。

そして、彼女の勇気ある行為と犠牲、そして信仰によって、人々の魂は救われたわけだ。
だからこそ、エンディングのパートで、彼らはそれぞれに手に花を持って笑っている。
そして最後は、葬式のようだったオープニングとは打って変わって、光の中をにこやかに微笑みながら歩いている。

なので、このビデオのシナリオも、Marieというキャラクターを通じて、実にキリスト教的な救済のストーリーになっていることに気が付いた。

実はこれは、作っている最中には、全然考えていなかったことなんだ。

 

考えてみれば、Marieはこのバンド、伊万里音色(Imari Tones)の歴史の中でも、非常に重要な役割を果たしている。
というよりも、彼女こそが伊万里音色だと言ってもいい。

彼女がベーシストとしてバンドメンバーになったのは2018年のことだけれど、実は彼女はもっとずっと前から、このバンドが最初に産声を上げた時から、そこにいたわけだからね。
それは、このバンドの歴史と、成り立ちを見てもらえば、わかることだと思う。

そういったMarieという存在が、主役として象徴的に表現されたビデオではないかと思う。

 

そして実際に、ビデオの撮影に際しても、MVPと言えるのは彼女だった。
今、公開したのは2022年の1月だけれど、このビデオの撮影は、12月に行った。
それは非常に寒い冬の日だったけれど、そんな寒い冬の海辺で、彼女はドレス姿になり、過酷な撮影をこなした訳だ。
それは本当に、大変なことだったと思う。

 

そしてShinryu師範も、出番は少ないかもしれないけれど、非常にかっこよく、渋く、アダルトな魅力を発揮しまくっているね。
全体として、渋い感じの大人のラブソングとして、サウンドも映像も表現できたんじゃないかと思っているよ。

 

このビデオで、個人的に気に入っている場面がふたつある。

もちろん、すべてのシーンに意味があり、すべてのシーンが気に入っているけれど、特に面白いと思う箇所がふたつあるんだ。

ひとつは、ギターソロの冒頭部分、ギターを弾いているToneの背後に鳥が飛んでいるシーン。
速いから、よく見ないとわからないかもしれない。

スローにしたものを用意した。あるいはまだかも。

ギターソロで鳥が飛ぶというのは、なんかとてもいい。
なんか非常に、この場面に合っているような気がして、気に入っている。

 

もうひとつは、二回目のサビのところで、バンドが演奏しているシーン、
そこで、Marieのすぐ背後にある雲が、なんだかハートの形をしているように見えることだ。

さっきも言ったように、Marieはこのビデオの主役だと思う。
そのMarieがベースを弾いているすぐ後ろに、こんなふうにハートの形が置かれているのは、なんだかキュートだし、非常にふさわしいと思う。
これは偶然だけれども、ちょっとした神様からのプレゼントのように思える。

ちなみに、Marie自身は、美しいドレス姿よりも、スーツ姿でベースを弾いている姿の方が、自分らしくリラックスしていて好きだそうです。

でもそれは、ドレス姿の映像を見ると、あの寒くて大変だった撮影を思い出すからかもしれません。

 

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