これはToneが誕生日の月なのでなんとなく書いてみた戯言である。
たぶん無理に読む必要はない。
また英語ブログ直訳系の記事です。読みづらかったらごめん。
写真は、誕生日を前にしてToneが個人的にスシ・セッションをした時のものです。
皆が同意してくれるかどうかはわからないけれど、僕は自分のことを幸運な人間だと思っている。
時々、自分は地球で最も幸運な人間なのじゃないかと思うことがある。あるいは少なくとも、もっとも幸運なミュージシャンなのではないかと思うことがある。
6月は僕の誕生月だ。
僕はもともと、たくさんの人から誕生日のメッセージをもらうようなタイプではない。
基本的に自分はシャイで、引っ込み思案だ。
フェイスブックの個人アカウントでも、誕生日の通知をオフにしている。
だから、ここで僕にそうした類いのメッセージを浴びせる必要はない。
ただ僕は、この機会に少し人生を振り返ってみたかった。
日本では、6月9日は「ロックの日」と呼ばれることがある。それは6-9というのが日本語では「ロック」のように聞こえるからだ。
あるミュージシャンたちはその「ロックの日」を祝ったりする。その日に生まれた人々は、まさに「ロックンロールの子供」と呼ぶことが出来る。なかなかゴージャスだ。
ここでしかし、惜しいことに、僕はこのロックの日に生まれなかった。
僕はそこから一日遅れて生まれたのだ。
たぶん僕は母親のお腹の中でだらだらと時間を過ごしていたのかもしれない。
のろまだったのかもしれない。
あるいは、この世界に出て来るのが怖くてびびっていたのかもしれない。
けれども、なんだかそれはとても自分らしいな、と、そんなふうに思う。
結局のところ、僕はロックンロールに遅れて生まれてきたのだ。
僕が思うに、現代のミュージシャンにとって、音楽を作り始める前に、最初にしなければならないことは、まだ鳴らされていないサウンドを探すことだ。
なぜなら、すべてのサウンドは、少なくともそのほとんどは、The Beatles、Led Zeppelin、Queenといった伝説のバンドたちによって鳴らされてしまったからだ。
何か残されたものはないか。自分が鳴らすべき音はどこかに残っていないか。
現実的に、それがミュージシャンたちが自らの音楽を作る前に、自分自身に向けて問いかけるそれが最初の質問になる。
僕は、まだ自分が探求することの出来るサウンドがそこに残っていると感じたから、自分の音楽を作ることを決意した。ロックの歴史の中で、まだ鳴らされていない音があると感じていた。それを鳴らさなければいけないと感じていた。
けれども現実を考えれば、僕はきっと遅過ぎただろう。
僕は古典的なスタイルのハードロックミュージックを演奏したかった。
けれども、1970年代はとっくの昔に過ぎ去っていたのだから。
僕は「ロックの日」には間に合わなかった。
僕は「ポストロックの日」に生まれたのだ。
ポストロックの時代に、僕は生まれてきた。
(もっとも、ポストロックという言葉を、僕はあまり信じていないが。)
しかしそれは本当に不幸なことだったのだろうか。
実のところ、必ずしもそうは思っていない。
これはとてもおかしな事のように聞こえるかもしれないが、僕はロックミュージックを終わらせる人間になりたいと思っている。
ロックンロールの歴史の最後において。ロックンロールの時代の最後の日々において。
僕が「クリスチャンロック」なんていうスタイルを選んだのはそれが理由だ。僕は「神のために鳴らす音楽」が、ロックミュージックの最終形態であり、究極の形だと信じているからだ。
多くの人はまだその事実を知らないかもしれないが、ロックミュージックは最初、「クリスチャンロック」の形で始まった。それはロックンロールのゴッドマザーとして知られるSister Rosetta Tharpeによって鳴らされたのだ。一番最初のロックミュージックは、クリスチャンロックだったんだ。
今、僕たちはロックンロールを、その本来の形に戻さなければならない。それこそが最終にして究極のロックミュージックの形なのだ。
たぶん、大きな音楽業界のメジャーなアーティストたちには、それは出来ないだろう。なんといっても制約が多過ぎる。
君はそれを笑うかもしれないが、たぶんそれは、僕たちみたいなインディーミュージシャンの手によって可能になることなんじゃないかと思っている。
ちょうど古いブルーズみたいに。
それは商業的な音楽ではなく、もっと個人的な表現の形であり、人生の中の真摯なメッセージだった。
個人の人生の中で見出される、魂の自由。
名も無きインディーミュージシャンによって達成される、もっとも大きなロックミュージック。
それが僕たちの目標だ。
たぶんオーバーグラウンドでは、ロックは死んでいるのかもしれない。もう長いこと、それは死んでいる状態だろう。けれどインディーアーティストの目線では、ロックンロールの物語はまだ続いている。そして、その使命が成し遂げられるのを待っている。
基本的に、僕はロックスターではなく、画家になりたかったのだと思う。
ロックスターというものはメディアの中にしか存在しない。それが雑誌であれ、テレビであれ、インスタグラムであれ。
けれど、画家は、その芸術的な表現を行うために、メディアの力なんて必要としない。
ヴァン・ゴッホは、その傑作を描くために、メディアの露出なんか必要としなかった。
僕は自分を幸運だと思っている。
ロックの黄金時代、1970年代や1980年代に間に合わなかったことを不運と思う人もいるかもしれない。
けれど実際はわからない。その時代には競争が激し過ぎたかもしれない。
僕はインディーミュージック、オルタナティヴミュージックの時代に生まれた。だからこそ僕は、自分なりのやり方で、自分の音楽を作ってくることが出来た。
僕は自分を幸運だと思っている。
僕は日本の地方の町に生まれた。
ポップミュージックやポップカルチャーというものは、政治的な力に支配されているものだ。その意味では、日本人にとって表現することには大きな制限がある。
けれどもアジアの東端に生まれた普通の人間だからこそ、僕は自分自身のブルーズを見つけることが出来た。それはつまり、支配するための音楽ではなく、仕えるための音楽ということだ。
僕は自分を幸運だと思っている。
僕は1980年代はおろか、1990年代にも間に合わなかったかもしれないが、少なくともソーシャルメディアの時代になる前に音楽を作り始めることは出来た。もし、もう少し生まれてくるのが遅ければ、僕は実際に音楽を作るよりも、LikeやViewの数を集めることに時間を費やしていたかもしれない。
僕は自分を幸運だと思っている。
僕らは大手のレコード会社と契約している大きなバンドではない。音楽業界で名の知れたバンドなんかではない。
しかし少なくとも、僕たちは自分たちの音楽的なゴールを、より自由に追及することが出来た。そして僕たちは、多くの成功したバンドよりも、より生産的に音楽を作ってくることが出来た。
僕は、自分たちがとても幸運だと思っている。
なぜなら僕たちには現実にファンがいるからだ。
僕たちは大きな成功を収めたバンドではないかもしれない。自慢できるような大きな数字も持っていないかもしれない。
けれども、だからこそ余計に特別に思える。
僕たちは世界的に成功した有名なバンドではないにも関わらず、世界中に熱心に応援してくれるファンの人たちがいる。(ある種の、インディ的な知名度はあるかもしれない)
熱心なメッセージや、励まされるコメントを送ってくれるファンの人たちがいるんだ。
それらに、どれだけ僕たちが励まされているかわかるだろうか。
これはほとんど奇跡のようだと思わないだろうか。
君たちの親切な言葉や、励ましのメッセージのおかげで、僕たちはここまでがんばってくることが出来た。それらの応援があったから、僕たちはここまでやり続けることが出来たんだ。
だからこれをどう言っていいかわからない。
どうもありがとう。君たちはとても特別な人々です。
僕は自分を幸運だと思っている。
僕はシャイで不器用な人間だが、それにも関わらず、いつでもバンドがあった。そしてバンドは常に家族のようだった。僕は自分の部屋で一人で孤独に音楽を作り続けることも出来た。けれども現実には、いつだってバンドで音を鳴らしていた。Imari Tonesは、2004年以来、常にバンドとして存在し、活動をし続けている。これがどれだけ幸運なことか、僕は知っている。
僕は自分を幸運だと思っている。
少なくとも、僕らはメインストリーム級のレコーディングを一、二度経験している。そして音楽業界のあれやこれやも少しは見てきた。それらを経験した上で、僕らは今、自分たちのやり方でインディペンデントに活動することが、幸せだと言える。
僕は自分を幸運だと思っている。
僕たちは日本でクリスチャンメタルを演奏している。もし商売の視点から見れば、これはあり得ないほどに間違った選択だ。日本ではキリスト教は非常に小さいものなので、受け入れられる可能性はほぼ無いからだ。けれどもそのおかげで、僕たちは謙虚であり続けることが出来た。僕たちは自分たちの信仰に忠実であることが出来た、世間的な成功を追い求めるのではなく。
僕は自分を幸運だと思っている。
僕たちはクリスチャンヘヴィメタルを演奏している。それは日本の一般的な音楽シーンで受け入れられないというだけでなく、日本の教会でも多くの場合には受け入れられないものだった。どこに行っても、僕たちは場違いだと感じた。僕たちには、属する場というものが無かった。けれどそのおかげで、僕たちは日本のインディーミュージックの現実というものを経験し、そこに生きることが出来た。正直に言うのであれば、それはミュージシャンとしては最大の祝福のひとつだったと思う。これはとても言葉では説明出来ない。
僕は自分を幸運だと思っている。
なぜなら僕は自分自身の芸術表現を見つけたからだ。自分自身の人生の物語を見つけたからだ。
それは僕がMarieに出会ったからだった。彼女を愛するようになり、そしてバンドに彼女の名前を付けた。(何年も後になって、その彼女がバンドにベーシストとして加入するとは思っていなかったけど。)
彼女がとても特別な人物だったので、僕は自分自身の人生の物語を見つけ、そして自分自身の音楽のスタイルを見つけることが出来た。その個人的なラブストーリーは、やがてもっと大きな、イエス・キリストへのラブストーリーへと僕たちを導いた。
僕は時々、Marieにジョークを言っている。「もし君に出会わなかったら、きっと成功した弁護士にでもなっていただろうに」って。けれど、もし彼女に出会わなかったら、僕はきっとイエス・キリストにも出会っていなかっただろう。
普通は日本に生まれたら、イエス・キリストのことを知る機会はとても少ないのだから。
さて、君は僕のことを幸運な人間だと思うだろうか。
僕自身は、どんな宝くじに当選するよりも、これは価値のあることだと感じている。
繰り返すけれど、僕は「ロックの日」に、たった一日間に合わなかった。
間違いなく僕は、ロックの黄金時代から遅れて生まれてきたんだ。
けれども、本当はすべてが良いタイミングだったのかもしれない。
なぜなら僕たちはこうして、他のどこにも無いような音楽を作ることが出来ているのだから。
インディで、真摯で、自由で、世間の予想に逆らい、信仰のみによって支えられ、そんなふうにして日本からクリスチャンメタルミュージックを鳴らしている。
僕は成功には遅過ぎたのかもしれないが、けれども信仰には遅過ぎなかったのかもしれない。
大きなメインストリームの成功を得るためには確かに遅過ぎたが、自分自身のインディミュージックを鳴らすためには、絶好のタイミングで生まれてきた。
ロックンロールを生み出すためにはまるで遅過ぎたけれど、けれども自分に出来る最高の音楽で、それを終わらせるためには、遅過ぎはしなかったかもしれない。
ご存知かどうかわからないけれど、僕たちはもう結構長い間、これをやっている。
僕たちはもうそんなに若いってわけじゃない。
だけれど、本当はまだ若いのかもしれない。
少なくとも、僕たちはまだまだ若くあり続けている。
(これもまたひとつの幸運だ。アジア系は年を取るのが遅いのだ。あるいはそれも神の祝福なのだろうか?)
そして、たぶん僕たちは何か大きなことを達成できるかもしれない。
今までに誰もやったことのないようなことを。
だから友よ、ロックし続けよう。
神様は僕たちにロックンロールを与えてくれた。
そこにはちゃんと、素晴らしい理由があるはずなんだ。