誰かとギタートークがしたい。
ギターやギターサウンドや機材について語り合いたい。
それは、僕がそもそも友達があまりいないということもある。
引きこもりがちな音楽生活を送っているということもある。
僕はギター(エレクトリックギター)に関して、それなりにこだわりがある。
それは、ごくごく個人的な、自分のスタイルに基づいた、非常に個人的なこだわりだ。
だが、そういったこだわりを追求する中で、学んだことや、わかったこともたくさんある。
そういったことを、皆さんと意見交換したり、話し合ったりしてみたいと、いつも思っている。
非常に強く、そう思っている。
たとえばギターの構造。ボルトオン、セットネック、スルーネック等。(その他の構造もあるかもしれない)
ギターの木材。メイプル、アルダー、マホガニー、アッシュ、バスウッド。などなど。
ピックはどんなのがいいかとか。
ピックアップはどんなのがいいかとか。
そしてオーバードライブやアンプまで話題が及んでしまった日には、もう一晩では話が終わらないだろう。
そして、そんな細かいことよりも、もっと話し合いたいのは、エレクトリックギターや、ロックミュージックをめぐる世の中の状況ということだ。
歴史的な経緯を経た上での現在地ということだ。
そんなことまで話し合えたら、とても勉強になり、そして僕は自分の中にある思いをより確かな形で確かめることが出来るだろう。
だが、なかなかそんな機会はない。
そして、もっと言えば、僕は人と話が合わない。
ロックの話や、ヘヴィメタルの話をしたところで、僕は皆さんと話が合わないことが多い。
なぜ合わないのか、というと、そこにはいろいろな理由があるだろうと思う。
けれど、それはきっと、夢中になるポイントや、興味を持つポイントが普通と少し違うからではないかと思う。
そして、それは、エレクトリックギターについて、一般的なギタリストの皆さんと話をした場合にも、きっとそれは、話が合わない場合が多いに違いない。
そして実際に、これまでも、結構やっぱり、ギタリスト諸兄と話す中で、話が合わないことは多かった。
それでもギタートークしたいんだけど。笑。
たぶん話が合わないと思われるポイントはいくつかある。
僕はそもそも、資本主義の原則を信じていない。
つまり、値段が高いものが良いとは必ずしも信じていない。
また、世間で評価の高いものが必ずしも良いとも考えていない。
前者については、これはとても残念なことで、僕としては、良いものが値段が高いというふうな世の中だったら、どんなによかっただろう、と個人的には思っている。でも、僕が経験してきた限りでは、残念ながら世の中はそんなふうにはなっていなかった。
もちろん、値段の高いものの中には、素晴らしいものはやっぱり多いということも言えるし、中には、これは値段が高いだけのことはある、これは良い、と思える楽器もある。
けれども、世の中においては、楽器の値段というものは、実用的な性能だけではなくて、コレクター的な価値であるとか、ブランド的な価値であるとか、世の中の政治的な力学であるとか、インターネット上のハイプであるとか、そういった実用性以外のところで決まってくる部分がとても多いので、結果として、真剣にギターを弾きたいプレイヤーにとっては、実用性のある楽器は、なんかしらんが、それほど高くない楽器の中から見つかることが多い、という現実があるように思う。
また、これは、現代はギター製作においても世の中が進歩しているので、値段の安いものが必ずしも品質が低いとは限らず、安いものでも品質の良いものがたくさんある、という背景があるのは言うまでもない。
また、後者として、世間で評判の良いもの、世間で定番とされているものが、必ずしも良いとは限らないということ。
これは、ぶっちゃけ人によると思う。しかし、僕の場合には、自分の演奏のスタイル、また、自分のやりたい音楽のスタイル、自分の志向している音楽性、自分の出したいサウンドということを考えると、世間で「定番だから、これを選べば間違いないよ」と言われているものは、だいたいの場合には間違いだった。
で、すすめてくれた人は、「え、あら、ほんとだ、合わないね、おかしいね」みたいになるのである。
これは、「おお、なんて個性的な、独自のスタイルをやっているんだ。いかにも奇抜で、これは普通のやり方では対応できないぞ」といったものではなくて、僕は見た目も普通であって、地味に、オーソドックスな音楽をやっているのだが、実際にやってみると「なぜだか定番のツールや、一般的なやり方では機能しない」ということになることが多い。なんかしらんが。ほんとにこれは、なんかよくわからん。I don’t know what is going on with me.
これはギターの音作りということでなく、録音制作についても同じような現象が多々ある。
だから、レコーディング制作においても、「定番のマイク」とか、「間違いない定番のマイクプリアンプ」みたいなものは、むしろ微妙な結果につながることが多かった。ちゃんとしたスタジオでエンジニアさんに録ってもらった場合でもそうであった。で、僕が自分で音を作ってみせると、「ワオ、君は自分のバンドがどういう音を出すべきかわかっているんだね」(英語)とか言われる始末であった。で、そういった場合でも、僕を助けてくれたのは、高価な機材というよりは、むしろ安価な価格帯の機材であることが多かった。理由は知らない。たぶん僕はしょせん安っぽいプレイヤーなのだろう。
だからギタートークをするにあたっても、たぶん前提となる価値観が結構一般的なものと違っている可能性が高い。
そのへんがギタリストの皆さんと話が合わない理由でもある。
僕はぶっちゃけたところ、最低限の話をするならば、ギターについては、3万円とか4万円くらいのバッカスでいいんじゃないかと思っている方である。今はもうちょっと値上がりしているから5、6万かもしれないが。僕は「日本製の丁寧に作られたセットネックのギター」が一番のお気に入りであるが、ボルトオンのギターに関しては、Bacchusのグローバルシリーズ(フィリピン製)の安いやつを何本か持っている。それは、税込み2万4千円だったり、せいぜい4万円くらいで入手したものである。でも、いかにコスパに優れたBacchusとは言え、個体差や当たり外れはあるから気をつけて探す必要はあるが、それらの品質にはまったく問題がないと思っている。で、実際にそれらの楽器を使って録音作品を作ったことも何度かある。
また、僕は安いEpiphoneを使っていたこともあるし、そのEpiphoneでレコーディングして本気の作品を作ってしまったこともある。別にEpiphoneは道具としては全然使えるものだと認識している。
同じ文脈で言えば、Gibsonだったら、やたら高いカスタムなんとかとかヒストリーなんとかみたいな豪華なやつよりも、なるべくシンプルな普通のやつの方がいいような気が、これも経験上、なんとなくしている。自分で選ぶんだったら、いちばんストリップダウンされたLes Paul Studioあたりを選ぶ可能性が高い。
で、いきなり結論に飛んでしまえば、
現代の世の中全般がそうであるように、政治や経済や学術や宗教をめぐる状況がそうであるように、エレクトリックギターをめぐる世の中の状況も、ひどく間違っている、間違いまくって久しい、そして、混迷をきわめている、と思っている。
だから、幸せな消費者でいたい人とは、まず最初から話はきっと合わないだろう。
楽器の話をする時には、人によってこだわりがあるが、そのこだわりというものは実際は半分以上はプライドで出来ている。
また、楽器の値段というものを考えた時にも、その値段の中には、所有欲があり、自己肯定欲みたいなのがあり、そして楽器の価値というものには、それを裏付けてくれる権威のようなものがある。そしてその数字が裏付けてくれるものは、やっぱりその人個人のプライドであったりする。
だからこそ、僕は相手のプライドを傷つけたくないから、あまりギタートークはしない。
また、ちょっとでもギタートークを掘り下げて話すと、結構な確率で、僕は相手を怒らせてしまうことになる。
そのへんまで理解してくれる人がいるのであれば、僕は本当に、お酒を飲みながらギタートークがしたい。
もちろん、世の中には様々な価値観がある。
そして、エレクトリックギターというものの中にも、様々な価値観がある。
それは、もともとエレクトリックギターという楽器は、多様性を持った楽器だからだ。
形だって様々な形があるし、色やペイントだってそうだし、電気によって音を加工する特性上、ひとくちにギターと言っても実に色々なサウンドを出すことが出来る。だからこそ、プレイスタイルは人によって十人十色であるし、その理想とするサウンドが人によって違うのは当たり前のことだ。
だから僕は、そういった様々な価値観を否定することはしたくない。
けれどその上で、自分なりのたどりついた価値観というものを、人と話し合ってみたいのだ。
ああ、それが君の見つけたスタイルなんだね、素晴らしいね。
そう言って、お互いのサウンドを素晴らしいと認め合うことが出来れば、きっとその人とは友達になれる。
こんな多様性の海の中で、果てしない世界の中で、ひとつのスタイルを見つけ、築き上げるということ自体が、そもそも奇跡のようなかけがえのないことなのだから。
で、前置きはこれくらいにして。
また、やたらと長い前置き、前提のトークであった。
本編の日記を書こう。
これは、僕がある日、御茶ノ水へと出かけていったことの記録である。
その日、僕は何本ものギターを試し、最終的に一本のギターと出会った。
その出会いは、やっぱりそれなりに貴重なものであり、その日の体験は、やっぱりそれなりに貴重なものであった。
だから、書き記しておきたくなった。
今年、先だって、僕はThe Extreme Tour 2022、アメリカ西海岸ということで、久しぶりにバンドでアメリカ遠征をして、何本かの(9本かな)ライブ演奏を行った。
それはもちろん貴重な体験だったけれど、その中でまたギターサウンドについて考えた。
持っていったのは貴重なUSA製のHamer Vector Korinaであったが、そのサウンドが、うまく機能した時もあったし、そうでもない時もあった。(95パーセントは素晴らしく機能した。残りの5パーセントはそうでもなかった。)
また使用した(お借りした)アンプも良いものだったので、それも経験になった。ペダルの使い方も同様である。それはどちらかといえば、昔ながらのヴィンテージ系のクラシックロックのサウンドだ。
それはそうとして、Hamer USAのコリーナ製のフライングVという、基本ヴィンテージテイストの良い楽器をずっと弾いていたので、「ああ、やっぱりいいな」と思って、そっち方面の音をもっと掘り下げたくなった。ニュアンスフルな、太い音、オーガニックであたたかな木の鳴りという感じである。
で、ここからなぜか方向性が変わるが、ボルトオンのスーパーストラトがもう一本あってもいいな、というふうに話が飛ぶのである。
なぜかと言うと、フライングVや、セットネックのギター(レスポール系)をめぐる状況は、あまりにも色々な難しい事情がありすぎる。それは、世の中の事情もそうだし、僕自身の事情もそうだ。
そんでもって、だいたい僕はもう、素晴らしいセットネックのギターを手元に何本も持っている。
だけど、セットネックのギターを本命として考えるので、ボルトオンのギターについては、日常で気軽に弾く用途という程度にしか考えていなかった。
で、ツアー中にHamerを弾いていて、やっぱHamerいいなあ、と思った時に、そういえば昔、楽器屋さんでDiabloモデルを弾いたことがあったよな、と思い出した。
セットネックのギター(Gibson系、レスポール系)というのは、デリケートなものであるから、僕はなんとなく大事に扱ってしまい、普段でも気軽に弾くということがあまりない。
普段、さっと手に取って弾く、みたいなのは、メイプルネックの付いたボルトオンのストラト系ということになる。それは、デリケートなGibson系とは違い、ボルトオンでメイプルネックの楽器は、ぶん投げたってそうそう壊れないからである。(ぶん投げない方がいいと思うけど)
だから、部屋の手の届くところに置いてあるのは、だいたいボルトオンのストラト系。しかも僕は一応ハードロック系、メタル系のプレイヤーであるから、ハムバッカーのついたいわゆるスーパーストラトに分類されるものになる。
だからこそ、普段、楽しんで弾く、という用途だったら、スーパーストラト系の方がいいかも、と思う。
その時に、Hamerということで、Diabloというモデルがあったのを思い出した。
Hamerというメーカーも、かなり色々な背景と経緯があって、生まれ、発展し、そして消滅したブランドである。
しかし、基本的にはヴィンテージのGibson系を踏襲したブランドだ。そんなHamerも、1980年代には時代の流れでヘヴィメタル的なテイストのギターをたくさん作り、そして、本来のHamerのスタイルとは違うはずのボルトオンのギターも生産した。
Diabloは、そんなHamerが過渡期に作ったボルトオン構造の、シンプルなスーパーストラトのスタイルの楽器である。
昔、試奏した時の感触はよく覚えている。
フロイドローズの付いたボルトオン構造のギターにも関わらず、やたらと太い音がして、Hamer特有の太くオーガニックな鳴り方であった。この手のメタル用ギターとしては、むしろ音が太すぎて使いにくいのではないか、と思うくらいだった。
でも、思い返してみると、Hamer的なアメリカンで豪快で太い音、そしてスーパーストラト系のギターの中でも、シンプルかつストリップダウンされたスタイルということで、結構いいなあ、と思える部分があった。
ただ、マーケットにもうあまり存在してない。
また昨今の世相もあり、あったとしても随分値上がりしている。
そう思った時点で、僕は御茶ノ水に足を運んだ。
先だって10月のことである。
なぜか。
それは、僕は過去において、セットネックのギター(レスポール系)については、こだわりを持ってリサーチしたことは何度もあったが、ことボルトオンのギターについては、本気でリサーチをしたことが、よく考えるとあまり無かったからだ。
だから、この機会に本気でボルトオンのギターを検証し、探してみようと思った。
個人的な事情は省くが、普段弾き用のボルトオン/スーパーストラトのギターが足りていないという現状に気付き、またツアー後でお金の余裕など無いが、手持ちのあまり使っていないエフェクターを売却すれば、なんとかなるかな、と思ったのである。
で、僕は、高い値段のやつから、ほどほどの値段のやつまで、結果として8本か9本くらい試したと思う。
だけれど、やっぱりひとつショックだったことがある。
それは、鳴らない楽器が多いということだった。
鳴る、鳴らない、っていうのも、基準が曖昧だし、個人の感じ方かもしれない。
また、そういうのもあまり、あてにならない感覚だ。
けれども、僕の基準からすると、鳴らない楽器が多かった。
それは、結構値段の高いギターでもそうであった。
僕がショックだったのは、そして意外に思ったのは。
つまりセットネックのギター(レスポール系)については、生産、製作にも手間暇がかかるし、作り方、使われ方、作り手、弾き手の間にも様々な問題がある。
だから、セットネックのギターにおいて、鳴らない楽器が一般的になってしまっているのも、まあ仕方ないかな、と思う部分があった。
けれど、ボルトオンの楽器に関しては、もうちょっとハードルが低いはずだ。
素人だからそう考えてしまうのかもしれないけれど、僕はそう考えていた。
セットネックのギター、レスポールと比べれば、ボルトオン構造の楽器は、作る側にも、弾く側にも、もうちょっとハードルが低いはずだと。
もうちょっと気軽に、カジュアルにそのハードルを超えることが出来るはずだと、そう思っていた。
そのためにレオ・フェンダーさんは、こういうデザインを考案し、また生産体制を確立し、エレクトリックギターの父、みたいな存在になったはずだ。
けれど、現実を見てみると。
実際に弾いてみると。
鳴らない楽器があまりにも多いことに気付く。
鳴らない楽器が、当たり前になっているのだ。
つまり、それがセットネックであれ、ボルトオンであれ、鳴らないギターが当たり前であり、その鳴らないギターを前提として、鳴らないギターの価値観の中で、世の中の大多数のギタープレイヤーは音を作り、機材を選び、バンドで演奏している、ということになる。
たぶん、それが普通だ、ということだ。
これは、あらためて実感すると、結構ショックだった。
つまり世界のほとんどは、「鳴らない世界観」の中にある。
世界のほとんどの人は、「鳴らない世界」の中で生きているのである。
こんな世界で、いいはずがない。
こんな状況で、いいはずがない。
具体的にどのメーカーのどの楽器を弾いたか、とか。
あるいは、中には良かったものもいくつかあったのだが、それがどのようなものだったか、とか、色々あるけど、具体的に書くことは、今日はやめておこう。長いし。すでにやたらめったら長いけど。
でも、やっぱり贔屓目も含めて書いておけば、僕はBacchusのギターを気に入っていることからもわかるように、Deviser系のギターはかなり好きだ。
なので、Bacchusとか、ディバイザー系のスーパーストラトは無いかな、と思って探していたのであった。
身も蓋もないことを言えば、BacchusあるいはMomose等のディバイザー系ブランドには、メタルっぽいギターとか、ハードロック的なスーパーストラトの楽器は少ない。あまり見かけない。かなり少ない。
だが、昔のカタログなどをインターネットで探して見ると、かつて、マスタービルダーの一人が、わりとハードロックの匂いのするモデルを作っていたようである。その方は、たぶん現在はフィリピン工場の監督をされている方のようだ。
ただ、その方が手がけたマスタービルダーモデルのスーパーストラトなど、市場で見かけることは、非常に珍しい。運が良ければインターネット上で見かけることもあるが、それが、実際に足を運んで試奏できる場所にあるとは限らない。
なので、その方の作った本気のスーパーストラト、を試すことは、今回は射程の外であったのだけれど。
そのかわりに、もう一人のマスタービルダーの方。というか、STRブランドで有名なあの方の昔の作品、それもフロイドローズの付いたスーパーストラト、を試すことが出来た。
それは実際に手に取ってみると、見るからに堅実な楽器であって、その鳴り方はやはり素晴らしく、昔にいっぺん弾いたHamer Diabloとやはりかなり共通するところがあったが、Hamer Diabloがアメリカンで豪快で太かったのに比べると、やはりもっと素直で繊細で、きれいな鳴り方という印象であった。
しかし、なるほど、やっぱりこういうことだよね、という実感は得ることが出来た。
(そして、もちろん、僕が現在、ライブ用のギターとしてもっとも信頼しているのは、Sierra Seriesという安価な普及版のモデルではあるけれど、STRブランドのフロイド付きレスポールだぞ)
Hamer USAのオーガニックでクラシックな鳴りにインスパイアされ、その方向性を普段気軽に使えるスーパーストラト/ボルトオンに見いだそうというのが今回のテーマのひとつではあった。
だが、エレクトリックギター、ましてやボルトオンのギター、ましてやましてやフロイドローズの付いたギターに、「味」なんてものを求めるのがそもそも間違っているという気がしないでもない。
ヴィンテージ的な味とか。
そういうやつは、大抵の場合は幻想であり、ヴィジュアル的な演出はできても、音の上では定義ができない。
じゃああのアーティストの、あのアルバムの音、とか言うことは出来るが、それもヴィジュアルの要素も大きかったりするし、レコードで聞いているその音は、実際にはギターが出していた音ではなく、レコーディングコンソールの中のトランスフォーマーやオペアンプの音かもしれないし、マスタリングの際のコンプレッサーの音を聞いているだけかもしれない。
味、なんていうものはそんなもので、それは定義するものではなく、記憶や体験の中にあるものに過ぎない。
なので、味、とか、あたたかい音、とか、木の鳴り、とか、そういうものを期待するのは、このくらいの時点で早々にあきらめた。
そもそも、そういうの求めるんだったら、やはりGibson系セットネックに行く方が近い。
あたたかなマホガニーの鳴り・・・なんて曖昧な言葉なんだ!!(笑)
どちらにしても、僕がこの日、8本か9本ほど試してみたボルトオン構造、スーパーストラト系のギターの中で、「味のある、あたたかな木の鳴り」なんてものは無かったのである。
ただひとつを除いては・・・。
でも、バッカス、ディバイザー系のギターの中で、メタル系、ハードロック系の匂いがするもの、というのであれば、僕はもう、フィリピン製のGlobal Seriesのやつを持っている。
イケベ楽器のオリジナルモデルのやつもそうだし、あとはGraceがある。
そのGraceについては、以前にもブログに書いたことがあると思う。これかな。
どちらも安価な、リーズナブルな価格のものだったが、とても楽しく弾ける楽器だ。
で、それに、かつてBacchusにおいてメタルの匂いのするモデルを作っていた方の息がかかっているのであれば、それでいいのかもしれない。
Bacchusブランドの中でも、たまに、そのフィリピン製のGlobal Seriesの中から、比較的にハードロック的なモデルが、ほんのときどき、出てきたのは、その監督されている方のカラーかもしれない、なんて推測してみたりする。
で、御茶ノ水で何本も弾いた後に、秋葉原でもまた少し弾いて、そこからまた少しだけ電車に乗り、僕は一本の、中古のGraceモデルを試した。なぜかと言えば、呼ばれていたからである。その、あまりぱっとしない中古のGraceに。
そのついでに、なかなか高価で、値段にふさわしく良いギターも試した。
それはFreedom Custom Guitar Researchのギターで、確かHydraというモデルであったと思う。
後になってカタログスペックを見ると、指板はハカランダだったらしく、うわっ、と思ったが。
それは、確かにその日、何本も弾いた中でも印象に残るギターであって、確かに高いだけのことはある、と思えた一本でもあった。
さすが日本の一流ブティックメーカーが本気で作っただけあって、どこから見ても隙のない完璧に近いギターであった。
印象的だったのは、ネックジョイントの構造が独特で、つまりそれは、一応ボルトオン構造の範疇ではあるが、セットネック的なニュアンスも多分に持っているというものだという印象を受けた。
よって音が太い。ボルトオン的なキレもありながら、セットネック的な太さもあるという印象だった。
だがそれは、タイトなセットネックというよりは、どちらかといえば現代Gibsonの高いやつとも共通する、それほどタイトではないセットネックの鳴り方に近い印象でもあった。
どっちにしても、それは鳴るといえば、すごい鳴るのである。
だが、不思議なことに、僕の中では、それは「鳴る世界観」の中には分類されないのだ。
いくら鳴ってはいても、それはやはり、「鳴らない世界」の楽器なのである。たぶんそれは、存在そのものに関する問題なのだろう。
実際のところ、僕は興味がある。
こういう鳴り方をする楽器、たとえば、Gibsonの百万円くらいするようなカスタムなんちゃらとかヒストリーなんちゃらの高いレスポール、それを自分のバンドの現場に持ち込んで、果たしてどれだけ機能するのか。
合わないな、となるのか。
あるいは、やっぱりいいね、となるのか。
論より証拠であるから、やれるんだったら、とてもやってみたい。
けど、ぽんと百万円出せないから、僕はそれを個人的に検証できないでいる。
誰か親切な人が貸してくれたらぜひやってみたい。
だから、このFreedomさんの楽器についても、実際に自分のバンドに持ち込んでみたらどういうことになるのか、やってみたいし、とても興味がある。
だけど、たぶん、レンジが広過ぎるんだろうな、という予感はしている。
低音やローミッドがだぶつきそうだなという予感もする。
結果、埋もれる可能性がある。
つまり、マニア的な性能は優れているかもしれないが、バンドの現場において必要な性能かどうかは、やってみないとわからない。
所有欲のための性能や、権威のための性能ではなく、バンドで機能するためには、どちらかといえばシンプルな楽器の方がいいからだ。
でも、やっぱり良いね、となるかもしれないから、いつかやってみたいけれど。
店員さんは笑っていたよ。
雲泥の差ですね、って言って。
やっぱりこんな安物のバッカスじゃ、勝負になりませんよ、って。
でも、僕は、そうかな、と思ったんだ。
で、エフェクターを5個くらい売ればなんとかなるだろうと思って、僕はその中古のBacchus Graceを持ち帰った。これもやっぱり投げ売りといっていい安価なものである。
こういった安価な楽器は、特に中古の場合は、セットアップがちゃんとされていない場合が多い。
その結果、店頭で弾いてみた時に、あまり本領が発揮されていない状態のことがある。
もちろん、どんなギターにも言えることでもある。
でもきっと、お店としても、高価な楽器であれば、ちゃんとセットアップしようと思うのではないだろうか。
安価な楽器は、あまり丁寧に扱われず、いい加減な状態で置いてあることが多いのではないだろうか。
これは、うどん屋さんやハンバーガーチェーンの状況と似ている。
つまり、本場のうどんを知らないバイトさんが調理すると、その人は「うどんなんてこんなもんでしょ」と思っているから、美味しいうどんは出て来ない。
だが、讃岐に行ったことがあり本物のうどん(もしくはハンバーガー)を知っている人が作れば、「うどんは凄いものだ」と思って作るから、ちゃんと良いものが出て来る。
そういうものだ。(たぶん)
確かに全然鳴らないな。
今までに弾いてきたBacchusの中でも、これはたぶんハズレの個体だろう。
僕はそう思った。
それにも関わらず、何か不思議な魅力を感じた。
鳴らない。確かに。
でも、ここまで何本も弾いてきて、感じなかったはずの、味、とか、木のあたたかな鳴り、みたいなものが、確かにこの個体からは感じられる。
何故なのかはわからない。
それは、ボディがマホガニー一発のオイルフィニッシュという、かなり希少な仕様のGrace-FTモデルであった。
たぶん2018年製だろうと思われる。あるいは2019年かもしれないが。
僕がすでに所有して、”Nabeshima”アルバム(2曲半だけ)や”To Rome”EP(3曲)でも使用した「シリアルナンバー1」のGrace-FTモデルと、同時期に作られた一本ではないかと思う。
明らかに合わないゲージの弦が張られ、ブリッジのセッティングもひどい状態だった。
後から考えれば、これで鳴る方がおかしいと言える。
で、家に持ち帰ってから、しばらくその楽器と向き合ってみた。
これは、答え合わせの意味もあった。
様々な、感じていたことの答え合わせだ。
その答えは、僕個人が得るものであって、個人的な答えなので、他人にとっては価値のないものかもしれないし、人に当てはまるかどうかはわからないものだ。
まずは弦のゲージを交換。とはいっても普通の10-46なのだが、持ち帰った段階では09-42と思われるものが張られており、バランスが取れていなかった。
ブリッジを調整し。無茶な状態になっていたブリッジの高さを調整し。
トレモロスプリングを調整。
これは、ウィルキンソントレモロであるが、僕が持っているシリアル1のGraceと比べると、なぜだかトレモロアームの反応が軽く、クリケット奏法が出来るくらい軽かった。
それはそれで良かったが、もうちょっとしっかり固定したかったので、結果としてスプリングの本数を増やした。アームの反応は犠牲になったが、鳴りは良くなった。もともと僕はそれほどアーミングはしない方なので、問題はない。
僕はポットのつまみなんかも好みのルックスのものに変えることが多いが、この個体は重量が3キロジャストと非常に軽いので、重さを稼ぎたくて、つまみはもともと付いていた金属製のものをそのまま使うことにした。しかし、位置がわかるように印だけ付けさせてもらった。
ナットにグリスを塗り、ストリングガイドの位置を上げる。どうやって上げるかは、ケースバイケースで工夫してほしい。アーミングの際のチューニングの狂いを最小限にするためにはいろいろ工夫が必要だ。弦の巻き方ということもある。マグナムロックのようなロック式のペグに交換する手もあるが、弦の巻き方を効率よくやれば、十分実用範囲になる気もしている。いくつかの巻き方を試したが、結局、普通の巻き方で少なめに巻く、というのが一番良さそうだった。また、ペグのトルクを調整するネジを適度に締めることも重要なようだ。軽過ぎると狂いが生じるらしい。この時点で、まあ状態にもよるが、普通にヴィブラートをかけたり、一、二度、dive bombのアームダウンをするくらいだったらほとんど狂わない、という状態になった。
他にどんな調整をしたのか覚えていない。
だが、決め手になったのは、ネックジョイントの部分、そのボルトオンのネジの締め具合を、ほんの少し微妙に調節した。
これは、なんか、きつすぎるような音がしていたからだ。
対角線上に、2本、ほんの少しだけ緩めてみた。
それは、どうせTom Andersonとかだってボルトは2本だから、そう思ったのである。
ほんの少し、微妙に緩めただけだ。音を聞きながら。
そしたら、嘘みたいに鳴るようになった。
理由はわかんない。
たぶん、ネックジョイントのところが、「なんかしらんがいい具合」になったんだろう。
このへんが、ボルトオン構造のギターのロマンがあるところではないかと思う。
ボルトオン構造っていうのは、ボルトの音だから、金属っぽくて、歯切れがいい、という印象だと思う。
だが、セットネックのギターと比べると、なんだか音が細かったり、キレはあるけれど、どこか欠落しているような印象を受ける。
だが、その欠落の中にこそ、ボルトオンギターの魅力が詰まっている。
あらためてそのことを思い知らされた。
その欠落した音の中にこそ、なんかやたらと気持ちのいい音が鳴るポイントがあり、素晴らしい可能性が秘められている。
ような気がする。
で、たぶん、僕は、その当たりのポイントを見つけることが出来たのかもしれない。
自分のギタリスト人生の中で、間違いなく人生を変えるような衝撃的な一本になった。
なんかやっぱり、オイルフィニッシュっていうのは、すごい魅力があることは否めない。
木の質感を感じたい、という欲求のあるギタリストにとっては、オイルフィニッシュは恐ろしいほどの魅力がある。見た目や触れる感触も含めての話だ。
オイルフィニッシュは、素朴な鳴り方だと思う。
鳴ると言えば鳴るが、鳴らないと言えば鳴らない。
つまり、ちゃんと塗装をした方が、ぱりっとしたわかりやすい鳴り方で、まとまった音になると思う。
オイルフィニッシュはレンジが広いぶん鳴り方が散らかってしまう。
でも、この素朴な鳴り方は、これはこれでやっぱり独特の魅力がある。
僕はBacchusファンであるから、自然とオイルフィニッシュの楽器は家にいくつかある。
Marieがツアーに持っていった、たぶん2010年前後のモデルと思われるStandardベース、セパレートブリッジのやつ、これは名機だと思うが、中古で安価でいっぱい出回っているが、これは名機だと思うが、これもオイルフィニッシュであり、Marieもとても気に入っているようだが。
僕もDuke Standardのオイルフィニッシュを持っている。これは、オイルフィニッシュのレスポールだが、”Overture”ならびに”Nabeshima”の録音でメインで使ったものだ。ただ、僕はこの楽器はなんだか大事にしてしまい、ふだんあまり弾かないし、レコーディング用といった感じで、ライブで使うことも少ない。もちろん、恐ろしく反応のいい楽器で、ニュアンス重視の録音にはこれしかない、といった素晴らしい楽器ではある。
だが、日常で気軽に弾くスーパーストラトのスタイルで、このようなオイルフィニッシュの楽器となると、触れる機会が多いぶん、より愛着も湧く。オイルフィニッシュはどうしても塗装が剥げる。その塗装の落ち方もきっと速いだろうと思うが、それも込みで使うしかない。ただ自分としては個人的にはワックスはちょくちょく塗るようにしているが。
この一本。シリアル36のGrace-FT/Mモデル。
バッカスさんは、こういうカタログやウェブサイトに載らない仕様のモデルをちょくちょく作ることがあるようだが、これもその一本だろう。
いかにもシュレッダー仕様を感じさせる。シュレッドしてくれ、速弾きしてくれ、ハードロックを弾いてくれ、と言わんばかりの意図を感じる。
そして間違いなく、今まで自分が所有した中では、いちばんシュレッドに適した、速弾きしたくなる楽器だ。
スーパーストラトの醍醐味を感じさせる。
スーパーストラトの、そしてハードロックギターのあらゆる魅力に満ちている。
そして、Hamer Diabloモデルにも劣らないくらいの、クラシックな感性と、オーソドックスな定番の可能性を感じる。
そもそも、一応クリスチャンロックをやっている身であるから、悪魔という名前のギターよりも、「神の恩寵」「神の祝福」といった名を持つギターの方が好ましいではないか。
僕にとっては最高のスーパーストラトであるかもしれない。
シリアル1に続き、2本目のモダンバッカス、フィリピン製のハードロック仕様である。
同じGraceモデルということで、シリアル1とデザインは共通するが、オイルフィニッシュであるところから、楽器としての性格は結構異なる。ボディエッジも丸められていて、その結果24フレットへのアクセスもしやすい。だが、90年代風ハイエンドスーパーストラトを感じさせる(どうしても僕はPeavey Wolfgangを思い出してしまう)というテイストはやはり共通している。
非常に軽い個体なので、低音はあまり鳴らないところはあるが、かといって本当の意味の低音が出ていないわけではないし、全体的には馬鹿鳴りなので、高めのポジションでリフを弾いていてもまるでエンジンが付いているかのような推進力がある。
軽量なマホガニーボディにオイルフィニッシュという点で、上記のDuke Standardに近いニュアンスも出せるし、ちゃんとセットアップしてみたら、プレイヤビリティも問題なく、利便性も良い。魅力と衝撃は語り尽くせない。レスポール系、セットネック系と心中するつもりの自分ではあるが、なんだかんだこの楽器をライブで使う日がそのうちやってくるかもしれない。ちょうど将来的に考えているアイディアやプロジェクトもある。
最初は「鳴らない外れの個体かな」と思っていたので、ピックアップをパワーのあるものに変えようかと思っていた。ホットロッドの嗜みとして、それも結構楽しみだったのだけど、結局、もともと付いているピックアップでいい、という結論に達してしまった。
そのままでもパワーがある音がしたからだ。
下手に変えるよりも、素直で反応にすぐれた標準装備のピックアップの方が実用性があるというのも事実だ。
またオイルフィニッシュは塗装が落ちるので、ピックの当たる部分に、ピックガードの代わりにステッカーを貼付した。うまい具合に、先だってのアメリカ遠征で、思い出の場所であるStevenson WA、そこのスケートショップでもらってきたステッカーが、ばっちり合ったのである。(この女の子が傘をさしているデザインは、Morton Saltという会社の有名な古いロゴらしい。)
すでに二度ほど、バンドのリハーサルに持ち込んで使ってみたが、結果は非常に良好だ。
答え合わせは正解だったと言える。
自分のギター演奏に、そのスタイルや技術に、大きな影響を及ぼしてくれそうな楽器だし、また、すでに多いに影響と変化をもたらしてくれている。意義のある出会いだったことは間違いない。普段弾きの用途としても、一緒に歳を取るための相棒としても申し分がない。
濃い青のオイルフィニッシュ。インディゴのような質感だ。
Marieはこのギターを見て、「相鉄ネイビーブルー」と呼んだが、彼女と話しているうちに、ああ、この色は僕らの母校の制服の色と同じなのだ、という話になった。
だから惹かれたのか、それはそれで、ちょっとどうかと思うが、まあそれは差し置いても、エレクトリックギターの音とは、青春である、ということは真実だ。
だからこそ高価なギター、豪華な楽器ではやれない表現がある、というように思う。
余計なものは必要ない。
真っ向勝負している楽器、不完全でも真っ向勝負なギター。
それで鳴らすのが、青春のスピリットであるロックミュージックなのだろう。
かつてエレクトリックギターは、そんな青春のスピリットを持っていた。
そういうことではないだろうか。
真っ向勝負の先にこそ、「鳴る世界」は存在している。