どうなるBacchusギター

ギターの話題です。
いいでしょ、僕だってギタリストだから。
ちゃんとブログに書き記しておきたい。

 

Bacchus(ギター/Deviser傘下ブランド)の新しいレスポールモデル(新Duke)を試してきた。
この新しいDukeに関して、初夏頃に大々的に発表されていたから興味があった。どんなもんかと試してみたかった。
ちなみに僕が弾いたのはDUKE-STDというモデルだ。

結論から言えば非常に良い楽器だった。

 

僕は2013年の秋頃に日本製Bacchusのレスポールに出会って以来、Bacchus及びDeviserさんのギターの大ファンを公言しているが、近年Bacchusのギターについて、フィリピン製のモデルを見かけなくなった事が気になっていた。

 

Bacchusの製品ラインの中でも東南アジアで作られるGlobal Seriesの楽器は、性能、価格、実用性のバランス、いわゆるコスパが一番良いので、僕も、そしてMarie(ベース)も、何本か所有し、かなり愛用してきた。

しかし近年、発表されるGlobal Seriesのモデルはインドネシア製のものになっており、フィリピン工場の楽器は見なくなった。そしてなんとなくソーシャルメディアやウェブサイトの記述から察するに、Bacchusのフィリピン工場はクローズしてしまったんじゃないかと推察していた。

 

で、気になっていたので楽器屋の店員さんに聞いてみたところ、やはりそれは事実だったようで、Global Seriesのフィリピン工場はやはり閉鎖されてしまったようである。

僕は日本製のBacchusも所有し愛用しているが、僕がフィリピン製のGlobal Seriesを結構気に入っていたのは、価格、スペック、性能のバランスが一番美味しいラインだった事もあるが、トラディショナルかつ一般的な楽器が多いバッカスの中で、Global Seriesはちょくちょくメタル、ハードロック向けのモデルを出してくれていたからである。

 

そんなフィリピン工場から、インドネシア製に生産が切り替えられた最近のGlobal Series。その品質がいかなるものなのか、ずっと興味があった。
Bacchusさん、Deviserさんの社内でもたぶん色々なことがあったと思うのだけれど、大々的に発表された今回の「新しいDuke」。きっと自信があるに違いない。そして、セットネックのギター、レスポールは、色々な理由により「難しい楽器」である。新しいGlobal Seriesの実力を測るのに、これ以上適したモデルは無い。

(Dukeというのは、Bacchusがその初期から作ってきた、日本製ハンドメイドシリーズのレスポールモデルの名称である。)

 

で、今回やっと店頭で試奏し、試すことが出来たわけだが、結論から言えば、先も述べたように非常に完成度の高い、良い楽器だった。
太く、かつ張りのある、分離も良い音が出て、さすがにDukeの名を冠するだけあって、良いレスポールの条件をちゃんと備えていた。使える、使えない、で言えば、「十分に使える」。これくらい良い、本当に使えるレスポールを探すのがいかに難しいか、ということは、僕も経験上知っている。

だから、必要な時には僕はこのモデルを喜んで買う。
たとえば、遠征先などで、何らかの理由で手持ちの楽器が使えなくなったとする。(また飛行機で破損とか、ネック折れたとか、そういうケースが想定される。)
その時に、手の届くところにこの「新しいDuke」があったとしたら、僕は大喜びで使うに違いない。選択肢としては最上級である。
メインの楽器になんかあったらこれを買えばいい。それはとてもありがたいことだ。

 

同じインドネシア製の楽器ということで言うと、僕は昔、Hamer XTのインドネシア製のフライングVを所有していたことがある。4年ほどライブ用のメインとして愛用したし、録音にも少しだけ使った。あれは安価な楽器ではあったが、Gibson系のセットネックのギターとして、たかが廉価モデルと馬鹿にできない、かなり良いものだった。しかし僕の感覚ではこの「新しいDuke」はそのHamer XTの出来を上回っている。二段くらい上回っている感じだ。

(あのインドネシア製Hamer XTは、とても気に入っていて、バンドのアメリカ遠征でも何度も使ったくらいだった。その楽器を手放してしまったのは、奇しくも2013年秋に日本製Bacchusのレスポールを手に入れて以来、同じGibson系セットネックのギターとして、Hamer XTの鳴りが物足りなくなってきてしまったのがひとつの理由だ。)(尚、もちろんUSA製のHamerはもっと凄い楽器である事を、念のため付け加えておく。)

 

その意味ではBacchusならではのクオリティは確かに引き継がれ、維持されている。そもそもBacchusさんは、さらに廉価な中国製のUniverse Seriesでも品質の高い楽器を作っている。僕も過去にUniverse Seriesの中古のレスポールカスタムを試して、その余りのクオリティの高さに驚愕した経験がある。だから海外の工場で品質を高めるノウハウがある事は間違いない。

 

しかし、やはり少し変わってしまった点もある。それは些細な点ではあるが、本質的な事だ。近年の新しいGlobal Seriesの楽器からは、それまでのGlobal Seriesにあった”Handcrafted Equipment”という言葉が消えてしまっている。

これはつまり、完全なる自社工場でこだわりを持ったハンドメイド体制で作っていたフィリピン工場と違い、インドネシア製に切り替わってからは、完全ハンドメイドではなくなってしまっていることを示唆しているのではないか。多分そうではないかと思う。

 

ハンドメイドで作る事が良い事かと言えば、それは難しいところだ。僕も過去に長野県松本市にDeviserさんの工場見学に行った事がある。極力ハンドメイドにこだわるBacchusさん(飛鳥工場、Momose、Headway等)、僕もよくわからんが、コンピューター制御のCNCルーターみたいなものを使わないという、その制作体制は、ある意味では狂気じみたものであり、また経営という立場から言えば、狂気以外の何物でもないかもしれない。

 

そのBacchusが力を入れていた自社工場であるフィリピン工場もまた、そのハンドメイドの方針を引き継いでいたと聞く。
ハンドメイド、しかしコストを追求せざるを得ない海外生産ライン。
それ故に、僕の経験ではフィリピン製のGlobal Seriesの楽器にはやはり当たり外れはあった。仕上がりにムラもあったと思う。だから僕も気になるモデルがある時には、都内の楽器店(だいたいイケベさん)を周り、同モデルの個体をいくつも試して、その中から自分に合った当たりの一本を探したものだ。

だがそのぶん、安価なフィリピン製ではあってもBacchusさんの楽器には、言葉で表現できない個性や、気合いみたいなものが感じられた。欠点のある楽器もあったが、それも含めて、こんなに気軽に手の届く値段で、これほどに個性や表情、魂を持った楽器が作れるのかと、感動していたものだ。(それは、わかる人にしかわからない性質のものかもしれない)

 

インドネシア製に切り替わったBacchus Global Seriesは、おそらく製品の仕上がりとしては、より安定しているのかもしれない。完全ハンドメイドのこだわりを捨てて、しかし本質的に重要な部分でのクオリティは維持する。あるいはその方が結果は良いかもしれない。実際に今回僕が試したDUKE-STDは、完成度の高い良い楽器だった。繰り返すが、これくらい使えるレスポールを探すのは、現実にはとても難しい。

参考までに記せば、それは、たとえば1970年代のレスポールカスタムとか、メタル系の音とか、そういう価値観とも違う。また1950年代のヴィンテージとも同じではないだろう。だが、ちゃんとバンドの中で鳴って、本来のレスポールらしさがあって、幅広い音楽性に対応できる楽器という意味である。

 

だが、それでもやはり、ヘッドに誇らしげに記された”Handcrafted Equipment”の文字が無いことに、一抹の寂しさを覚えるのは、きっと僕だけでは無いだろう。(僕だけか?)(ごめんDukeはそもそもヘッドの形が違うので関係なかった。)

セットネックのソリッドギター、レスポールとして、秀逸な仕上がりである事に間違いはないが、Bacchusならではの個性は、あるいは薄まってしまったかもしれない。つまり、他社の楽器との差異が、あまりなくなってしまった、という感覚だ。

 

で、たぶん僕の予想では、フィリピン工場の楽器や、日本製のBacchusに感じられた、そのような個性や独自性は、これから次第に薄まっていくのだと思う。
1990年代のブランド発足時や、一部の楽器店や少数のプレイヤーに支持されていた頃と違い、今ではBacchus、MomoseといったDeviser社のブランドもかなり一般に浸透した。そして桜や栃といった和材を使った楽器はヒット商品となり、高級ラインとして支持されていると思う。

そのように、これからより一般に商業的に広まっていくためには、こういうのって避けられないことなんじゃないかと思う。これはバンドでもまったく同じことだ。

 

レスポールは難しい楽器だ。
それは、制作技術だけじゃなくて、社会的な状況や、弾く側のプレイヤーの問題、ヴィンテージ神話、色んな理由や事情があって、難しいのだと感じる。

日本製Bacchusのレスポールは元々貴重だった。
制作本数も非常に少ないものだったようだ。僕は2014年製と思われる日本製のDuke Standardを所有しているが、あれを手に入れる事が出来たのも殆ど奇跡に近い。

Deviser/Bacchusさんの公式ウェブサイトを見ると、日本製Handmade Seriesの”Duke”には、現段階で「生産終了」の文字が付いている。(というか、現時点でHandmade Series、およびCraft Seriesのすべてのモデルに「生産終了」と表示されている。)

だから、この日本製のDukeはこれから一層貴重なものになっていくに違いない。

2010年代初頭くらいまで何度か作られたと思われる日本製の「Classic Series」についても同様だろう。
(僕が愛用している「猫ポール」も、その中の一本、2011年のHシリアルのモデルだ。)

 

だがそれは、たぶん最初からわかっていたことだ。
作り手が、クリエイティビティを全開にして、予算や商売を度外視して、本気で何かを作る。

それは、いつだって一期一会だ。

その昔、Gibsonがバーストを作った時だってそうだった筈だ。

だから、良い楽器は大切にした方がいい。

 

> 投稿前追記
そう思ってウェブサイトを見たら、9月1日付けで、Bacchus Handmade Seriesの生産停止の記事が掲載されている。これは事件である。泣いていい。ギターファンなら泣いていい事件である。
https://www.deviser.co.jp/information/308812

 

泣いていい事件だ。嘆いていい状況だ。
BacchusのHandmade seriesがもう作られないかもしれない。少なくとも今は作られていない。
どうなるんだBacchus。
どうするつもりなんだDeviser。

そういえば今年か、昨年か。
いつの時点かは覚えていないが、ある時にウェブサイトを見ると、「工場見学一時休止のお知らせ」というニュースがウェブサイトに記載されていた。

そうした事から推察するに、ここ数年のうちに、Bacchus/Deviserの社内では色々なことがあったのかもしれない。

 

今回、ハンドメイドシリーズの生産停止がオフィシャルに発表されたが、実際には結構前から「生産終了」の文字が付いていた。

なので、実際にどんな理由、どんな事情があって、今回このような発表となったのか、それは推測するしかない。そして、いろいろ勘ぐってみても、それは推測の域を出ない。

なんとなく、上層部と現場との方針の食い違いがあったのではないかと勘繰りたくなるのだが・・・

 

> 再追記 – 栃材をトップに使ったDuke Superiorなどの販売があったりと、スポット生産という形でHandmade Seriesは一応続いているようですね。(2023年9月時点)

>追記ここまで

 

 

 

 

Bacchus Guitars フィリピン工場、R.I.P. (Rest in peace)
素敵な楽器をたくさん作ってくれてありがとう。

そしてあの「恵み」のモデルは、たびたびハードロック色を出してきていたフィリピン工場の、最後の意地であり、最後に与えられた「祝福」であったのかもしれない。

僕は手元にある”Grace”モデルを長く愛用していくだろう。

 

そして・・・

まだ市場に残っているうちに。
そういうことも言えるのだ。

その「志」は、まだ手の届くところに残っているかもしれないのだから。

 

Bacchusブランドは、これからどのようになっていくだろう。
あるいは日本製のモデルはすべてMomoseブランドに置き換わるのかもしれない。
日本製のハンドメイドのBacchusは、あるいはもうオフィシャルには作られないのかもしれない。

 

もちろん、最終的にブランドなんてどうでもいい。値段もどうだっていい。高くたって構わない。

あの、切れ味鋭い、触れるだけでヒリヒリとするような気合いを感じる、あの美しい楽器。
それは工芸品ではなく、インテリアやオブジェでもなく、確かに真剣に音楽を作るための道具なのだと感じられる、その本質を研ぎすましたギター。
そのような他には見られないギターを制作するための技術、風土、精神。そういったものが、日本から失われないことを願っている。わりと本気で願っている。

 

 

そういった「本質」は、文字やキャッチコピーに出来ない、わかる人にしかわからない類いのものだ。
だからこそ「本質」と「商売」は、だいたいのケースにおいて相反するものとなる。

だから貴重なのだ。

 

 

時代の流れっていうものがある。

なんか、僕の人生においては、2010年代に、自分に合った楽器、機材が、たくさん出て来て、巡り会えたという感覚がある。

ギターを始めた少年時代。1990年代には、そもそも手の届く範囲に、本当の意味で良いギターなんていうものは無かった。それは当時の音楽をめぐる社会状況によるものだ。
だから、その中、いかにましなものを選ぶか、という事だったように思う。
その中で、日本製のスルーネックのJackson Soloistは、かなり良い選択だった。
僕はスルーネックはエレクトリックギターの本来の音だとは思わないが、そうだったとしても、丁寧に作られたそれは、楽器として最低限の表現力と品格を持った、おもちゃではなく楽器と呼べるものだったからだ。

 

2000年代になって、良いものはきっと出てきたのだろうけれど、自分の手の届く範囲にはそれは無かった。

 

2010年代になって、ギターであれ、エフェクトペダルであれ、アンプであれ、やっと自分が望んでいたようなものが手に入るようになった。
それは、世の中の進歩ということだろう。世界中の音楽を愛する皆さんの努力の結果であり、また僕みたいなインディーバンドの人間でも手の届く値段で本当に良い楽器に出会えたのは、Bacchus/Deviserさんの弛まぬ企業努力の結果である。

 

だが時代の流れ、ロックミュージック、ギターそのものを巡る時代の変化を考えると、2020年代になった今、これからは僕の望むような楽器、機材は、たぶん減っていく、世の中から無くなっていくのだろうと予想出来る。

 

 

時代は流れる。
常に流れ、変わっていく。
人も社会も変わっていく。
だが、変わらないものもある。

だからこそ、人はいつだって志(こころざし)というものを大切にしなければならないのだ。

 

変わらないもの。
音楽にあって、それは何だろう。

人生にあって、それは何だろう。

とか雰囲気出して書いてみた次第である。

 

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