美味いものと人間の罪

書く気力があるかどうか。
また書くかどうかも迷っている。

 

いつもの前置き。
いつもこういう前置きを書いている。

パーティーの場において、政治と宗教の話はすべきではない。
またほとんどの場合に「野球」とか「フットボール」といったような話題も避けるべきだ。
そう言われる。

 

ロックンロールなパーティーの場において、政治や宗教の話を持ち出すのは野暮である。

だが僕らはそもそもクリスチャンバンドであって、メッセージがあり、そのメッセージを前提に音楽活動をやっている。

 

また世代によっても考え方は違うだろう、1960年代の音楽は政治的なメッセージとも関わりが深かったと聞いている。
僕らの世代の場合は、1990年代のヒップホップの中にはやはり政治的なメッセージが強いものがあった。そして、それらは間違いなくかっこよかった。

 

ファン、リスナー、オーディエンスの立場も、人によって違うだろう。
僕は個人的には、自分の好きなアーティストが、政治的な主張、発信をすると、嬉しかった。そうでなくっちゃ、と思った。かっこいいと思った。
そして、思い返すと、僕が好きになったアーティスト、ミュージシャン、バンドは、普段それほど政治的な音楽をやっていないけれど、必要な時にはちゃんと発言したり、さりげなく発信する人たちが多かったように思う。

 

 

僕らは、クリスチャンバンドである以上、「強いメッセージ性のあるバンド」だ。それが前提だ。パーティーの場で、宗教について平気で語っているからには、政治についても、人とは違った切り口であるかもしれないが、やはり語ることをタブーとしてはならない。

そして本当のところは、政治的なメッセージについても、かなり苦しみ抜いた上で、音楽の中に盛り込んできたつもりだ。

 

僕らの代表作のひとつである”Jesus Wind”は、歴史もののコンセプトアルバムであるが、歴史について描こうとする時、どうしても政治的なメッセージを、そこに込めざるを得なかった。もっともそれは、どのような方向にも解釈できる性質のものだったから、特定の政治的立場というよりは、リスナーがそれぞれの立場で受け取ることのできる何かだったかもしれない。

 

まあ、ほとんどの人はそんなこと気にしていないかもしれない。

そもそも僕らのバンドは無名のインディバンドだ。社会的な影響力なんて無いか、あったとしてもすごく小さい。

 

 

今回の、福島の原発の汚染水の処理水の海洋放出については、僕から言えることは何もない。

僕は別に魔法を使って、汚染水を浄化することは出来ない。
よし、では、僕が総理大臣になってこの問題を解決します、と言ったわけではない。
海洋放出を止めるために社会活動を展開したわけでもない。
その逆に、科学的に安全ですと言う資料を広めたわけでもない。
まっとうなことを言っている政治家を、ひとりでも支援しただろうか。
社会の中で、ソーシャルメディア上であっても、そういう発言を盛んにしていたわけでもない。
そもそも僕はソーシャルメディアを信じていない、、、以下略である。

 

フォローとお断りを入れておけば、僕は美味いものが好きだ。魚も寿司も海産物も大好きだ。
美味いものなら、僕は喜んで食べる。

それを踏まえて、それでもある時、ソーシャルメディアにちょっとだけ書いたので、それを残しておく。

 

 

SNS上で政治的な発言する事に疑問あるし、政治そのものも重視してないというか諦めているが、アリバイ的に言うなら僕は処理水の放出に賛成してないです。科学者や公的機関が大丈夫って言ってんだから大丈夫とかは全然思いません。

今回の処理水の放出くらいまさにキリスト教における人間の罪っていうのを象徴するトピックも無いと思う。母なる自然(そして父なる神)は僕ら人間の罪を問題ないくらいに薄めてくれるかもしれない。だからといって人間がそのまま悔い改めなくていい訳じゃない。

結局垂れ流して薄めるしかなかったっていうのは色んな意味で敗北だと思いますね。人類の。テクノロジーの。政治の。この国の。一人一人の。

どちらしても、国益に反する事言う奴、体制に逆らう発言をする奴は国賊、みたいな空気はこの国はずっと昔から変わらないんだなって思いますね。気を付けなくっちゃ。

ファクトチェックセンターみたいな機関が二千年前にあったら「イエス・キリストが復活したという噂は事実に反します。死んだ人間が生き返る事はありません。信じないで下さい」って躍起になって言ってたんだろうな。

こういった意思決定は科学的事実や議論云々よりも結局権力構造なんだろうなという気はしています。科学は人間が本質をとらえるための手段ではありますが、結局人間は本質よりも権力や保身を好む。これはどの道でもそうですし、宗教信仰の世界では本質をほったらかして偶像崇拝がはびこる理由でもあります。

人間が生きている以上は糞は出ますので、そればかりは人間にはどうしようもない。糞をどう片付けるかが政治なわけですが、大雑把に言えば「糞をしないで生きていきましょう」と主張するのが左側、「この糞は俺たちのじゃない。あいつらのだ」と言い張るのが右側だという印象を持っています。で、実際の糞に向き合わなければならないのはだいたい庶民ですよね。

自然の力が人間の糞を浄化してくれること、色々の影響が無いことを祈ってます。

 

以上。

 

 

政治というものについては、みんなかなりのところまであきらめているかもしれない。
そもそもこのバンド、僕がこうして音楽活動をしていること自体、政治的なものへの絶望が、いちばん最初に前提みたいにしてあったことが理由にある。若い頃に。

そして、僕自身、政治、ポリティクスということに関しては、それは大事なものではあるけれど、本当に大事なものではない、本当に大事なものはもっと別にある、というスタンスになっている。

だけど、それが民主主義であれ、どのような政治支配体制であれ、僕たちには物事を変える力がある。そのことを、たぶん忘れちゃいけないんだろう。最後までそうなんだと思う。

 

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