振り返らないギタートーク

 

振り返らないけど、最後に一言だけ振り返っておきたいだけのギターについての感慨、というかぼやきだ。旧Twitterに書こうと思っていたものだ。
こういうの書かなくてもいいんだけど、つい言葉が出てきてしまった。だからこれで最後ね。

写真は、Bacchusギターのボルトオン仕様モデルのヘッド。ありがちなヘッドの形状ではあるけれど、好きな形だ。どうしてもF社からの派生になるので、メーカーによってはいただけない形状のヘッドも多い。だがこれは好きだ。僕はペンギンヘッドと呼んでいた。

 

 

今年はディバイザーさんのカレンダー(2024)を注文していない。
勿論生活環境の変化ということもある。
ディバイザーさんとこの楽器は今でも好きだし、応援し続けたいと思っているが、プレイヤーとして、僕とはあまり縁が無くなった気がしている。僕が欲しいと思うような楽器は、近年のディバイザーブランドからは出ていない。

 

2013年10月、僕はたまにはレスポールを弾いてみようと思い、御茶ノ水に行き、売れ残って放置されたBacchus Classic Seriesのレスポール(2011モデルHシリアル)を試奏した。そしてあまりのクオリティに衝撃を受けた。ギタリストとしての価値観が変わる程の出会いだった。

 

そこから、Bacchusのギターにはまって何本も手に入れた。ベースも手に入れ、Headwayのアコギも手に入れ、STR(廉価版のSierra Seriesだが)のギターも手に入れた。日本製も素晴らしかったが、フィリピン製のGlobal Seriesが値段の割に面白くてかなり愛用した。

 

時が経つにつれ、Deviser/Headway/Momose/Bacchusは桜ギター等をきっかけに市民権を得て、楽器屋さんで見かける事が多くなった。ライブハウスで見かける事も多くなった。だが近年、Global Seriesの生産国が変わったり、いまいち自分に刺さらない楽器が増えていった。

 

たぶん僕にちょうど良かったのは2010年代のDeviserだったのだろうという気はしている。最近の豪華仕様のMomoseのギターを見ていても、素晴らしい楽器だと思うが、自分が弾きたいとはあまり思わない。より広い層を狙ったデザインの低価格のBacchusにも同様の事が言える。

 

まあ、そうはいっても、そもそもハードロック、メタル系のスタイルのバンドをやっている僕にとって、Deviserさんは最初から縁遠いということは言える。世間一般のメタル系のギタリストは、見た目、定番ブランド、歪ませた音作りなど、どこを取ってもBacchus/Momose等とは逆の位置にある。

 

2023年9月、Bacchus Handmade Seriesの生産停止が発表された。僕にとってのBacchusはこれで終了したんだろうな、という思いが強くなった。僕は思い立ち、中古市場で2019年頃と思われる「神の恩寵」と名付けられたモデルのカスタムバージョンを最後に手に入れた。

 

Custom/Craft seriesだから、木工がフィリピンで、組み込みが日本製のモデルではないかと思う。素晴らしいクオリティだ。
奇しくもそれは、僕が14歳の頃に最初に弾いたギター(日本製の白いJackson Soloist)によく似ていた。僕としてはこれを人生最後のギターにしようというつもりである。出来ればそうしたい。

 

そもそもBacchusブランドの楽器は、価格に対しての性能、いわゆるコスパが非常に良かった。その結果、シンプルではあるが実直で性能の良い質実剛健な性格の楽器になったとも言える。だが、昨今の世の中では経営として、特に手間暇をかけたHandmadeシリーズ等を考えると、商売としては難しいものだったことは想像に難くない。つまり、貴重なものだったのだ。文字通りの意味で、有り難いものであった。

 

そして、前にも書いたかもしれないが、世の中にいるのは、そういった質実剛健な内容を理解し、評価することの出来るプレイヤーばかりではない。むしろそうでない人の方が、消費者としては多いだろう。だからこそ余計に、実直に使える道具を作ってくれるメーカーは有り難かった。しかも、これだけのレベルで。

 

ひとつ心残りがあったとすれば、Global SeriesのフライングVを手に入れなかった事だ。良いモデルだったのだが、フレットの高さとか、ストラップピンの位置とか、細かいところが気に入らなかったのだ。でも、今後フライングVを果たしてどれだけ使うかは疑問だ。既にHamer USAの良いのを持っているから、僕にとってのVはそれで完成ということで、単純に縁が無かったのだろう。

 

振り返ってみると、2010年代を通じてDeviserさんは、僕にぴったりの楽器をいくつも提供してくれた。カスタムオーダーしてみたい、なんていう気持ちもある。自分だけのシグネチャーを作りたい、という思いもある。だけどオーダーしなくても、自分の希望がそのまま形になったようなモデルを、いくつか提供してくれた。

 

そのどれもに、説明出来ない運命のようなものを感じた。そこに込められた音楽的な意図、願い、そういったものが感じられて、言葉にしなくても、スペックや宣伝文句のキャッチコピーに書かずとも、作り手と心が通うような気がして、プレイヤーとして身が引き締まった。これは、決して言葉には出来ない事である。

 

人生の中でそういった出会いはそうそう無い。
どんなものでも、どんなジャンルでもそうだと思う。
いちギタープレイヤーとして、そんな出会いに恵まれた事に感謝したい。それが日本製のシンプルで美しい楽器であったことに更に感謝したい。
以上で、いちギタリスト、インディバンドのプレイヤーとしての、年末のぼやきは終了である。

 

 

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