レスポール80は確かに本物

たとえばソーシャルメディアによれば、今、世界で一番上手いギタリストはこの人らしい。
Matteo Mancuso、イタリアのギタリストだそうだ。

 

Rick Beatoのインタビューにも出ていた。

 

確かに素晴らしいプレイヤーだ。
スタイル的には、ロック的な要素もあるが、ジャズ、フュージョン、そしてクラシカルギターの影響がある、アカデミックな要素の強いプレイヤーだ。
(YAMAHAのギターを使っているのは好感が持てる)

 

ソーシャルメディアの時代になってから、SNSのプラットフォーム上で視聴回数を稼ぐことに特化したような奇抜なスタイルのプレイヤー(音楽そのものも)が増えていたように思うが、そういった状況も少しは一段落、ないしは成熟して、ちょっとずつ本当に良いプレイヤーが出てくるようになったのかもしれない。

 

けれども、それはやはり「ロックスター」といった感じではない。

これはもう、10年、15年くらい前には感じていたことだとは思うが、ロックミュージックも、すでに古典、クラシカルミュージックと同じようになってきたということだと考えている。

だから、これから世に出ようとするプレイヤー、というか、演奏家は、音楽学校に通って音楽理論や演奏技術をしっかりと身につけ、クラシックやジャズをきちんと勉強して、それらを踏まえた上でさらに世界的な才能を持っていないと、世の中には認められないだろう。

それはクラシック音楽の演奏家と似たような感じになってくるのかもしれない。

 

けれど、それは実のところ、良い音楽を生み出すこととは別の話だ。

このMatteo Mancuso君にしても、本当に夢のような素晴らしいギタリストであるが、それが、僕らを幸せにしてくれるような、本当にわくわくさせてくれるような、良い曲を書いてくれるかと言えば、それはまったく別の問題だ。

 

ロックというのは、本来は、そういったアカデミックな音楽の世界や、技術や理論の制約が嫌で、そういったものから逃れた場所で鳴らされたものだったはずだ。
そこから自由な音楽が生まれて、なんかしらんが素晴らしい瞬間の数々が生まれ、そしてロックは発展していった。

でも、もうそうした時代は、たぶんとっくに過ぎ去っている。
ロックが持っていたメッセージや本質は形骸化し・・・そして今は・・・とか書きたいが、長くなるし、意味がないからやめておく。

 

でも、これは、僕も結構ファンであるところのYvette Youngを見ても思ったことであるが、フィンガーピッキングで、またクラシカルギターのようなスタイルで、これほど素晴らしい高度な演奏を聴かされると、

エレクトリックギターをピックで力一杯弾いていた前世紀のギタリストたちが、なんだかみんな、ばかばかしく思えてくる。自分も含めて、なんか、洗練されていない、原始的な存在のように思えてくるのだ。

エレクトリックギター、ロックギターとはこういうものだ、と、20世紀の人間は考えていたが、本当は、このようにクラシカルギターのようなフィンガーピッキングのスタイルで、洗練された素敵な演奏が出来るものなのかもしれない、エレクトリックギターというものは。

 

僕はそれにわくわくするだろうか。

演奏そのもの、楽器としての可能性には、わくわくと感じるものが無いではない。

けれど、音楽そのものが持つメッセージについては、どうかわからない。
やはり僕は、ロックが聴きたいのかもしれない。
ヴォーカル、メロディ、シンプルなパワーと勢い、そして、世界を変えてやるんだというメッセージ。

さて、最後にロックにわくわくしたのはいつだったっけ。

 

 

 

いきなり話が逸れた。

またギターについて書きたい。
エレクトリックギターについて。

 

昨年秋に、ちょっとギターを弾く機会があった。
昨年の10月には、Heavy Metal Churchの第一回のイベントをやったけれど、その時期に、アメリカからは2022年に知り合ったFunky Sunday PartyことScott氏が来ていて、それとは別に、イギリスからJonathanという人が来ていた。彼らは日本を訪れ、そして教会に滞在していた。

Jonathanさん(Jonさん)は、イギリス人であるが(確かWalesの出身と言っていた)、現在はスイス在住で、ヘヴィメタル、クリスチャンメタルが大好きであり、また僕たちImari Tonesの熱心なファンでもある。そんなふうに、熱心なファンという人々が、外国からわざわざ日本に来て、僕たちに会いに来てくれることは、これまでもちょくちょくあったのだが、Jonさんはその中でも、ちょっと特徴的な、面白い人物であったと言える。(またいずれ、彼について紹介しよう)

 

 

そういった経緯はともかくとして、僕はそのJonさんと一緒に、都内の楽器屋を何軒か見て回った。

普段は割と遠慮がちであっても、友人と一緒だと、また海外からのお客様と一緒だと、少しテンションが上がって、普段は気後れして試さないような憧れの楽器を、ちょっと試奏してみようか、なんてことになったりする。

 

一年ちょっと前、僕は「ボルトオン構造のギター」を少しこだわってチェックしてみたことがあったが、今回はその延長で、たとえば定番の高級ブランドである、Suhrであるとか、Tom Andersonなんかも試してみた。

ちょっとだけ試してみた印象では、僕はSuhrについては、ちょっとわざとらしさが盛り盛りで、それほど好きではなく、どちらかといえばTom Andersonの方が素直な楽器だと感じた。だが、もし選んでいいのであれば、たぶん僕はJames Tylerの方が結果が良いだろうと思う。(僕はBacchus/Deviserのファンだから、Tylerはそっち系統の楽器だということもある。)定番の高級コンポーネントギターに対する僕の認識は、今のところそんな感じだ。あんまりちゃんと試してないから、わかんないけどね。

 

僕はそもそも、僕にとっての本命はセットネック系(レスポール等)であるので、ボルトオン構造のエレクトリックギターについては、そんなにお金をかけてこだわってきてはいない。今ではGrace-ATのアーチトップのCustomモデルがあるので、僕にとってのボルトオンはそれで終着駅という感じだ。たとえ値段は、ばかにされそうなほど安いものだったとしても。

 

他にも色々試したと思うんだけど、その日、いちばん大切だったのは、あのモデルを試してみたことだ。

ずっと、どうなんだろうって気になっていたけど、実物を弾いてみる機会はなかった、昔のGibsonのあの楽器。

ヴィンテージマニアの人には、きっと馬鹿にされるだろう。それはレスポール80というやつだ。
Heritage 80と言うのだろうか。
1980年代の初期に作られたレスポールで、その後のヴィンテージレスポールのリイシューの先駆けとなった存在だと聞いている。

 

話に聞くには、素晴らしく良い、という話も聞く。
だが、ヴィンテージレスポールの再現、リイシューとしては、本物の59年とかそういう古い楽器とは、仕様やら形やら、違う点が多く、不完全であると言われている。

僕が知りたいのは、別に仕様がヴィンテージと一緒かどうか、ではなく、楽器として、その音や使い勝手がどうか、という点だ。

 

なぜ気になっていたのか。
それは、僕が10代の頃、夢中になっていた音楽の中に、この「レスポール80」を使ってレコーディングされたと言われているレコードが、結構あるのだ。
大人になってから、このレスポールの音いいな、と思ったアルバムの中にも、レスポール80が使われているものがいくつかあった。

だから、個人的にすごく気になっていた。

 

 

僕のレスポールについての「経験」と「認識」をおさらいしておく。

僕は別に、レスポールに憧れていたことは無かった。弾きづらい、使いづらい楽器だと思っていたし、絶対に似合わないと思っていた。だから興味はまったく無かった。

2013年の秋、The Extreme Tour Japanの第一回目をやった時に、参加していたカナダ人のギタリストに「お前はレスポールを買うのか」とふと言われた。
そんな気はぜんぜんなかったんだけど、なぜだかそう言われたら、その言葉がずっと頭の中にひっかかって、レスポールってどういうものなのか、調べてみようという気になった。

そして、そうか、ヴィンテージのレスポールは、そんな馬鹿馬鹿しい値段がついた呪われた楽器なんだな、と思った(笑)

 

僕はレスポールなんてほとんど弾いたことがなかった。
だが、記憶を辿ると、ドイツでSascha Paeth氏のところでレコーディングさせてもらった時に、「なんかすげえ金色のレスポール」を弾かされたことを思い出した。それは、「なんかすげえ古いピンスイッチのマーシャル」に通して弾かされたのだ。

そして、ギタリストというのは面白いもので、その時の音、そして感触を、手がしっかりと覚えていた。

その記憶を頼りに、僕は御茶ノ水をさまよった。2013年の10月の末のことだったと思う。

何本もGibsonを弾いたと思う。Tokaiも試したと思う。他は覚えてない。なんかしらんが、色々試したことだけ覚えている。

 

記憶の中のそのゴールドトップのレスポールの感触。
どのGibsonを試しても、「その感触」は無かった。
Tokaiを試しても、やっぱりなかった。これじゃないと思った。
その他のメーカーも弾いたけど、書かない。

 

だけど、一本だけ、「その感触」を感じる楽器があった。
うん、記憶の中のゴールドトップと比べると、ちょっと線が細いというか、もっと繊細だけど、でも確かに、あの感触」がある。

そして「あの感触」があるからこそ、ピッキングに反応し、ダイナミズムのある演奏表現が可能となる。なんというか、ちゃんと鳴ってくれて、ちゃんと応えてくれて、ちゃんと表現出来る。

 

僕はプレイスタイルの関係で、エレクトリックギターに関して「これじゃやれない」という事が結構多く、マーケットにある多くの楽器は、「無理」「対象外」みたいになってしまうのだが、そのレスポールは、「うん、これならやれる」と思えるものだった。

その楽器には、Bacchusと書かれていた。日本製だそうだ。

別にヴィンテージと同じじゃなくて構わない。同じような太い音が出なくても構わない。ただ、「その感触」がちゃんとあり、ピッキングに、演奏に、応えてくれたらそれでいい。多様な表現を可能にしてくれたらそれでいい。表現の自由をくれたらそれでいい。あとはこっち(弾き手)でやるから。

前にも書いたが、それまで、僕は自分の演奏スタイルにちゃんと応えてくれる楽器っていうのは、Musicman Axis (EVHモデル)くらいだった。でも、レスポールって弾きづらいと思っていたけど、本当にいいレスポールっていうのは、EVHモデル以上に、多彩で自由な表現が出来るんだな、ってその時知った。

 

それをきっかけに、僕はBacchus(Deviser系ブランド)のファンになった。

オイルフィニッシュのDuke Standardも手に入れたし、ボルトオンの楽器もいくつか手に入れた。ベースも手に入れたし、Headwayのアコースティックギターも手に入れてしまったくらいだ。

で、Bacchusさんの話はここ最近何回か書いたので、今日は置いておくとして。

 

 

でも、僕の感覚では、
その2013年秋に出会ったBacchusのレスポール(Classic Series BLP-STD-FM Hシリアル)も、Duke Standardも、またSTR Sierra Seriesのフロイドローズの付いたレスポールも、どれもみんな、「その感触」がちゃんとあった。

たとえばDeviserさんの楽器、その他のBacchusや、Momoseのレスポールを試しても、いまいちぴんとこない、これは外れかな、という楽器も何度か見ているので、すべての個体が良いとは言わない。僕の経験では外れも結構あった。

だが、本家Gibsonのレスポールをお店で試しても、「その感触」に出会ったことは、たぶん無い。無かったように思う。決してGibsonが駄目だという事ではない。そもそも僕は、Epiphoneの安いレスポールやフライングVでも、結構ばりばり弾いていたことがある。だからGibsonが駄目だとは断じて言わない。要は使い方の問題だ。

 

だが、1970年代のヴィンテージを弾いてみても、やはり全然手応えが無い感じなのだ。他人が弾いているのを聴くと、いい音だな、素晴らしい楽器だ、と思うが、自分が弾いてみると、これでは全然ダメだ、となってしまう。

そのような、弾いてる気がしないレスポールを、僕は「ダメポール」と呼ぶようになった。ごめん。決してダメじゃないんだけど。僕がダメなんだよ。
ひとつの基準として、ダメポールは、弾いている手応えがあんましなくて、そしてフロントピックアップの音がゆるゆるで使えないのだ。

これは、僕が愛用しているBacchusのたとえばDuke Standardなんかだと、フロントの音が、なんというのか、きゅっと締まった小気味良い、ぴりっとした音で鳴ってくれて、それでソロが取れるのだ。

 

このへんがサンプルとして伝わるだろうか。音作りも、決して楽器の音を生かしているとは言えないが。

 

 

 

 

とにかくも、世の中に売られているレスポール、そしてセットネック系の楽器や、かなりの部分が、僕の意見ではこの「ダメポール」に分類される音を持っている。

では、「あの感触」を持ち、ぴりっとした音で鳴ってくれるレスポール(セットネックのエレクトリックギター)に、僕はこれまで、Bacchus(Deviser系)以外で出会ったことがあるだろうか。

 

僕はそれから、何年もの間に、良さそうなレスポール/セットネック系のギターは、片っ端から、とは言わないまでも、それなりに積極的に試してきた。

だが、納得できるものには、ほとんど出会っていない。
それこそ、Bacchus/Momose以外では、USA製のHamerくらいである。USA製のHamerは贅沢な楽器であるので、純粋に鳴りという意味では、日本製の繊細なBacchus/Momoseよりも、もっと豪快にパワフルに鳴る印象がある。その意味では、クオリティはさらに上かもしれない。(だが、僕は日本人だから、ちょっと豪快すぎて、これは自分が使うものじゃない、と思った。)

 

なんか、あっただろうか。「その感触」がちゃんとあるギター。

ぶっちゃけ、記憶にないのだ。

あの高級ブランドも、高名な個人ビルダーのものも、あの実力派メーカーも、どれも試したけれど、「それ」があるセットネックのギターには、ほとんど出会っていない。

 

ひとつ、例を挙げるとすれば、カラマズーにあるH社だ。古いGibsonの伝統を受け継いだメーカーとして、僕も憧れていた。
H社の楽器なんて、日本で見る機会なんてあんまり無いなと思っていたけれど、近年では代理店がついたのかしらないが、よく見かけるようになった。
インターネット上で見ると、良い音をしているので、きっと良い楽器なのだろうと。本物なのだろう、と。「それ」があるのだろうと思っていた。

けど、ある日、楽器店で試してみて、ショックを受けた。僕が弾いた限りでは、H社のギターに、「あの感触」はなかった。そして、出てくる音も、プレイヤビリティに関しても、僕の言葉で言うところの「ダメポール」そのものだった。

これは、結構ショックだったんだよね。憧れてたからかな、いかにもヴィンテージっぽい、本物を受け継いだイメージのブランドに。
結局Gibsonのカスタムショップと同じような商売になってしまうんだなと感じて、それが寂しかったのかな。

 

 

だから、高級ブランドだろうが、カスタムショップだろうが、たとえ高いお金を払ったとしても、僕が言うところの「それ」がちゃんとある楽器は、なかなか無い。

うーん、でも、国内の丁寧な小規模のメーカーで、そういえば、あのブランドとか、このメーカーとかは、それでも悪くなかったような記憶があるけど・・・記憶が曖昧だ。ごめん。

 

 

そんなわけで、もういいや、と思っていたのだけど、
Jonさんを連れて、都内の楽器屋を回っていたら、彼も興味がありそうだから、彼のためにも、僕も本気で試してみようと思った。

そんで、ぱっと見たら、レスポール Heritage 80があるじゃない。

あの、話には良いって聞く、そして、僕が少年時代に夢中になったあのアルバムや、このアルバムで使われている、例の、件の、レスポール80が、そこにある。

うん、今日がその日だ。
自分の手と耳で、試してみよう。

 

一音、コードを鳴らしただけですぐにわかった。

「あの感触」がある。

素晴らしい楽器だった。

感動した。

 

記憶の中の、何年製か知らんが、ドイツで弾かされたゴールドトップを除けば。
Gibsonのギターで「あの感触」があったのは、これが初めてである。

音は荒削りだった。楽器全体の印象としても、なんか荒削りなところがあった。
でも、たぶん本質的には、「それ」がちゃんとある音だ。

だから僕の推測では、Les Paul Heritage 80は、「荒削りなバースト」みたいなものなのじゃないだろうか。

(試した楽器がたまたまそういう個体だったのかもしれないけれど。)

 

なぜ感動したか。

ちゃんとした楽器に、ちゃんと演奏に応えてくれるような、これだよね、これが本来の姿だよね、って思えるような楽器に出会ったのが、久しぶりだったから。

というのもあるけれど。

僕が少年時代に夢中になったあの音は、あのアルバムの音は、やっぱりこれだったんだ、って。
やはり、それは「ダメポール」ではなく、ちゃんとしたレスポールの音で鳴らされたものだったんだ、って、それがわかって、嬉しかった。

 

じゃあ、僕はそのLes Paul 80を買うか、って聞かれたら、たぶん買わない。

なぜかって、自分が持っているBacchusにも、同じ「あの感触」があるからだ。

あるいは、アメリカ製と日本製の違い、様々な違い、作られてからの年月など、やはり”Heritage 80″の方があるいは幾分鳴りが良いかもしれない。だけど、本質的に「それ」があることには変わりがない。

それに、やっぱり僕には、ちょっと音が荒々しく、豪快過ぎるし。
こういう楽器は身長180センチ以上ある人が弾けばいい。それはたぶん僕じゃない。

 

本物の59年を弾く機会は、一生ないかもしれないけど。
Heritage80という本物のGibsonに、確かに「その感触」があることがわかっただけでも、僕にとっては宝物のような発見だった。

 

難しいんですよ、レスポールは。

見た目はみんな同じでも、中身は全然違うから。

 

 

同じ話題で行くと、また他の日、他の場所で、70年代のストラトを弾かせてもらう機会があった。

1970年代の楽器と言えば、世間での楽器としての純粋な評価は決して高くない。
だが、僕の経験では、1970年代のレスポールは「ダメポール」ではあるものの、やっぱり、弾く人が弾けば、素晴らしい音がする。

で、弾かせてもらったそのストラトも、やっぱり全然鳴らなかった。それは間違いなく、鳴らない楽器だった。

だけど、そのぶん、めちゃくちゃ弾きやすかった。とても楽々と速弾きが出来てしまうような楽器だった。

だからこそ、当時、1970年代や1980年代のハードロックや、ヘヴィメタルの素晴らしいプレイヤーたちが、素晴らしい速弾きのプレイをすることが出来たんだな、ということが、容易に想像出来た。

(古い楽器ならではの、味、mojoみたいなものは、やっぱりとてもあった。その時代ならではのものだろう。)

 

ちゃんと鳴る楽器だと、かえって速弾きがしづらいとか、そういうことがある。
もちろんケースバイケースだけど。

だから、プレイスタイル次第。使い方次第。
良し悪しなんていうのは、価値観の問題。
でも、楽器でここまで変わるっていうのも事実だ。

 

そういう多様性があるから、エレクトリックギターは面白い。
僕にとってはそういうことだ。

さて、君は?

 

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