エッセンシャルでない人生

僕にはいつでもちょっとした引け目のようなものがある。
これは単純な、居酒屋で話すような愚痴のような独り言の記述だ。

 

僕はインディバンドをやっている人だ。
もともと音楽で飯が食えるとも思っていないし、また、思ったこともない。
10代の頃から僕はすでに音楽ビジネス、音楽業界といったものを否定していた。

日本で初めてのクリスチャンヘヴィメタルバンドという事で、その狭いニッチの中では海外を中心に多少の知名度はあるかもしれないが、それで十分なお金になるわけではないし、また世間に対して自慢出来るような数字は持っていない。

 

僕には少年の頃、ちょっとした夢があった。
いつも言っている話だと思う。
勉強して法律家になりたかった。中でも検事というものに憧れていた。
それは社会正義といったものに理想を持っていたからだろう。
割と立派な夢を持っていたと言える。

 

どちらかといえば僕はちゃんとした大人になり、まっとうな人間となり、また立派な家庭を持って、安定した人生を送りたかった。
だが、17だか18だかの頃に、一人の女性と出会い、その出会いをきっかけとして、世の中の見え方がすっかり変わってしまった。
人生に対する自分の価値観が変わったというだけでなく、それまで見えなかった現実の社会の色々なものが見えるように、そして感じられるようになった。

あるいは前から感じ取っていたのかもしれないが、それらに対して見て見ぬ振りをするのではなく、直視するようになったのかもしれない。

それによって、それまで信じていたもの、それまで正しいと思っていたもの、そういった価値観が、まったく意味をなさなくなった。

 

その出会った女性というのは、言うまでなく「うちの嫁さん」の事であり、今ではバンドのメンバーとしてベースを担当してくれているMarieの事に他ならないが、彼女は本当に危険なまでに天然無心で人の人生を引っ掻き回すタイプではあるが、やはり非常に特別な人であり、不思議な人であると言える。だが、彼女の人となりは、今回とはまた別の話題である。

 

信じていた価値観が崩れ、人生のレールの外側に放り出されてしまった僕には、何も出来なかった。何も出来なかったし、何もわからなかった。相当に病んでもいた。かろうじて残されていたのが音楽だったと言える。ひとつだけ、それでも信じる事が出来たのが音楽だったという表現の方が近いだろう。

 

だがインディバンドで音楽をやるということは途方もない事であり、無謀な事でもある。おかげで僕の人生は、ずっと宙ぶらりんで、中途半端だとも言える。

そこには、やはり引け目のようなものがある。

(売れようと思えば、少しでも人の目を引き、人気者になろうとするのであれば、そもそもヘヴィメタルはやらないだろう。また日本でクリスチャンヘヴィメタルをやる、なんていうことは、言うまでもなく自殺行為のようなものである。)

 

少年の頃の夢や目標を捨ててしまった自分にとって、「何かになる」なんていう事はおよそ手の届かぬ事であり、高嶺の花というのか、許されない贅沢みたいなものである。それでも、もし今からでも何かになれるのであれば、という点では、昔からひとつ憧れていたものがあった。

それは料理人というのか、料理の世界に興味と憧れがあった。料理というのは、結構音楽と似ているところがある。食材、素材、スパイス、ハーブ、調味、技法、文化、歴史、そして人の感覚への挑戦。今でも僕は料理、食といったものには、相応に興味があり、またその文化と、その分野で働く人々に対して、大きな尊敬を抱いている。

 

自分はしがないバンドマンであるから、バイト生活がやはり結構長い。その中で、料理のバイトをやった事は何度かあった。それはとても楽しかった。好きな仕事だったと言っていい。結構頑張っていたと思うし、向いていると言われる事もあった。けれども、しがないバンド生活であるから、本格的なお店で働いて修行する、みたいな事には、やはり手が届かなかった。

ある時、少し良いお店で働かせてもらっていた時があった。言っておくが、それはまだ20代の頃であったと思う。その時、僕は考えて、そして気付いてしまった。
自分は料理の事を、24時間、365日、夢中になって考えていられるだろうかと自問した。自分にはそれは出来ないという事に気付いてしまった。趣味、興味、関心の対象としては、出来るかもしれない。だが、その道に本気で命を賭ける事が出来ないという事に、僕は気付いてしまった。そして僕は自分には料理は出来ないという結論に辿り着いた。

 

これも僕がいつも言っている持論、というよりは、誰にでも自明の当たり前の事であるが、
食事、食、食べる事。それはあらゆる人間にとって欠かせない、生きるために必要な行為だ。だからこそ、食べる事、食文化は偉大であり、また人間の味覚は相応に進化し発達している筈だと思う。

それに対して、音楽というものは、別にそれが無かったからと言って死ぬ事はない。
たとえば一週間の間、音楽を一度も耳にしなかったとしても、人は死ぬ事はない。
「食」に比べれば、「音楽」は優先度の低い、なくても困らない物だと言える。

 

それにも関わらず、現代において「食」を巡る状況というのは、非常に複雑であり、多くの問題を抱えていると思う。

僕には知識も見識もないので、いちいちここで挙げる必要はないけれど。

本物よりも手軽さが求められる事。
工業的に加工された食品が大半を占める事。
画一化された業態の中で、個人の技術や独自性ではなく、効率が求められる事。
国や地域の伝統から切り離され、昔ながらの良いものが失われる事。
農業や漁業や畜産業をめぐる状況、それらの生産にまつわる問題。
そのへんまで行くと、もうきりがないくらいに、現代の「食」を巡る状況っていうのは、やばいんだな、というのは、別に専門家でなくったって察しがつくっていうものだ。

 

これらは何も「食」に限った事ではなく、現代においては様々な分野において、生活の中で、文化の中で、人生の中で起きている事象であると思う。

 

そんな「食」を巡る状況を目の当たりにした時に、そこで自分に何かがやれるとは、僕には思えなかった。

また、まともに努力をしたところで、報われる世界だとも思えなかった。
努力をして、技術や知識を身に付け、その道を究めようとしたところで、時代状況として、それが報われるとは、どうしても思えなかったのだ。

 

これが、その道について、本当に理解と情熱がある人であれば、きっと違うのだろうと思う。
本物の知識と技術を身に付け、これからの時代にふさわしい新しい何かを、「食」の世界で為す事が出来るのだろうと思う。

混迷した、複雑化した世界の中で、過去の焼き直しではなく、「食」や「食文化」「食を巡る状況」を良くしていくような仕事を為す事が出来る人間も、きっといるに違いない。それが食をめぐるどんな分野のものであれ。

(僕は今でも、たとえば造り酒屋とか、昔からの農家だとか、古い漬物屋だとか、そういった場所に生まれ育ったら良かったのに、と思う事がある。もちろん理想と現実は違うだろうけれど。今ではほとんどのものは工場で作られるだろうし。)

 

音楽についても同じ事は言える。
というよりも、僕の目(耳)からすれば、音楽、ロックミュージックを巡る状況はそれよりもさらに混沌としている。

さっきも言った通り、音楽というものは、人間の生存に直接的に必要なものではないからだ。また、存在そのものが軽く扱われているポップミュージックやロックミュージックにおいては尚更の事だ。

 

ロックミュージックの歴史から言えば、ロックは少なくともオーバーグラウンドにおいては、1990年代の段階で死んでいるというのが、僕の認識だ。
そしてまた、インディミュージックシーン、アンダーグラウンドにおいても、実質的にはソーシャルメディア時代の到来、ストリーミング時代の到来と共に、その文化、シーンそのものは崩壊したと思っている。

 

だがそんな混沌とした状況の中であっても、僕には自分に鳴らせる音がある事がわかっていた。
自分に鳴らすべき音がまだある事がわかっていた。
たとえ過去何十年の間に、すべてがやり尽くされ、すべての音が鳴らされ、すべてのメロディが歌われていたとしても、まだそこに、僕だけにしか鳴らせない音がある事が、僕にはわかっていた。
たとえロックがとっくに死んでいたとしても、僕にはその何もない荒野で、砕け散ったその破片を拾い集め、規模は小さくとも、そこに本来の輝きを取り戻す術があると考えた。

いつも言っている事だが、僕は夢を見て音楽を始めた方ではない。何も無い、荒れ果てた荒野を目の前にして、絶望の中で、ゼロから、マイナスから、それでもやると決めて始めたのだ。

 

わかっていた、というよりは、わかってしまった、という方が正しいし、
見えていた、というよりは、見えてしまった、という方が実際に近い。
こういう書き方をするのは抵抗があるけれど、実感としてはそれ以外に無い。

ゆえに、僕はいつまでも、中途半端な宙ぶらりんな状態で、この歳になっても、いや、大して歳を取る事すらなく、今もこうしている。

 

本当は、ひとつ夢があるのだ。今でもまだ。たぶん神様が残してくれた夢が。
法律家でもなく、料理人でもない、もうひとつの夢が。
(音楽が僕にとって夢だった事は一度も無い)

その夢についてはまだ公言はすまいと思う。
ただ、こんな中途半端な僕が、あるいは何かを形にしていける最後のチャンスかもしれないから、僕はその仕事についてはなるべく、放棄する事なく食らいついていくつもりだ。たとえ細い糸のような手がかりであったとしても。たとえ不格好な歩き方だったとしても。

 

けれども、そんな中途半端な人生を続けていても、何十年か生きていると、少しは世の中の事が見えてくる。
少しはわかってきた事がある。

 

世の中には必要とされる仕事がたくさんある。
近年のパンデミックの際には「エッセンシャル」なんていう言葉が使われた。
さっき書いたように「食」を巡る分野はその最たる物だけれど、それ以外にも人が生きていくためには色々なものが必要だ。

 

だけれど、そういった「エッセンシャル」では無い分野、一般にエッセンシャルから遠いと考えられている事柄が、人間にとって不必要かと言えば、そうではない。

ある人にとっては不必要だというものが、他の人にとってはかけがえのないものである事も、世の中にはある。

自由というものはその最たる物ではないだろうか。

 

人は「自由」が無くても生きていける。
生きていけるのだ。
それが現実だ。

また、誰もが「自由」を求めているわけではない。
僕らは一応、民主主義とされる国に生まれ育ち、「自由」という価値観がある程度当たり前のものとして、それは大切なものである、と教えられて育ってきた。少なくとも額面の上、建前の上では、そういうものだと教えられた。(たぶん)

けれども現実には、「自由」を本当に欲しがっている人は、決して多くはない。生きていると、そういう事がわかってくる。
人間というものは、「自由」よりも、目先の安全を求める。目先の利益を求める。
安定した生活が保証されるのであれば、人は自由なんて喜んで放棄する。
自分たちの自由についてもそうであるから、他人の自由については尚更に無関心だ。

 

「真実」についてもおんなじ事が言える。
誰もが真実を欲しがっている訳ではない。真実なんていうものは、面倒くさいものだ。そしてまた、厄介なものだ。真実は危険なものだ。それを知ってしまえば、生活が、人生が破壊される。多くの人は真実なんていうものに、触れたくもなければ、関わりたいとも思わない筈だ。

(僕の人生がこんなふうになったのも、あるいはその「真実」の一片に触れたからなのかもしれない)

 

僕は一応、今では「信仰」というものを大切にして生きている。
自信は無いが、そういう事になっている。一応これでもキリスト教徒であって、クリスチャンメタルを演奏し、ゴスペルミュージシャンのはしくれであるから、そうであるべきだ。

だが、その「信仰」などという形の無いものもまた、「エッセンシャル」とはかけ離れたものであると言える。

 

人は何かを信じなければ生きていけない生き物である。僕はそう思っている。
だが、そうだったとしても、「信仰」なんていうものを後生大事に抱えていかずとも、人は生きていける。

多くの日本人のように「私は無宗教です」と言い張っても、人生は進む。仕事も進むし、社会は回る。お金には宗派は関係ないし、どの神を信じようと信じまいと、美味い物は美味い。なんだったら何も信仰しない方が制限なく色んな物が食える。

迫害を受ければ、政治的圧力や暴力に屈して改宗したり、信仰を捨てる事もあるだろう。その昔、日本のキリシタンが迫害された時、その中には殉教した人もたくさん居たが、棄教、改宗した人もたくさん居たはずだ。
僕はその人たちを責めようとは思わない。「もう信じません」と言えば、命が助かるのだから。それは心の中の事である。心の中で、また言葉の上でそう言えば、それだけで死なずに済むのだ。簡単な事ではないか。

(もちろん、これはクリスチャンにとってはローマ書10章の信仰告白のそのまま裏返しである。しかし、信じるという行為が、実際にはそれほど単純な事では無いように、心の中で信じているものを曲げる事は、果たしてそれほど簡単な事だろうか。)

 

歳を取り、年月を経て振り返ると、あらためて気付くという事がある。

僕が本当に欲していたものは、どうやらこの「自由」というものだったらしい。その事に気付いて、僕は今更のように驚いた。

自由というのは、英語で言えば”freedom”である。

このfreedomという言葉の意味は、僕は前はよくわからなかったが、英語が少しわかるようになった今では、なんとなくわかるようになった。

それはつまり、自分と神様との間に、何ものも居ない、という事。人は皆、分け隔てなく平等であり、自分の上にあるのは、神様だけである、という、その状態の事。

だからこそ神と直接、人はつながる事が出来る。
そうして初めて、人は神と、本当につながる事が出来る。

だから、この「自由」「freedom」とは、信仰者のはしくれである僕にとっては非常に重要な事なのだ。
信仰に関わる大切なものだからこそ、僕はこの「自由」というものを、常に欲していたのだ。その事に気付いた。

 

僕はいつも、「自由」というのは”Jesus Loves You”の事である、と言って、ステージ上でもちょくちょくそういうパフォーマンスをして、また”Jee-You”なんていう曲も演奏しているけれど。

でも、たぶん僕はその意味を、ずっと考えてきたのだと思う。もっと若い頃から、ずっと。なんでかな。ロックを聴いてしまったからだろう。そして、曲がりなりにも少しだけロックが理解出来てしまったからではないか。

 

階級社会、封建社会、絶対王政、そのような政治体制の社会の中で、この”freedom”という概念を知ってしまったら、それはもう、死ぬしかなくなる。
それは、そういうものだと思う。

けれども、建前の上では自由な社会であるはずの現代においても、たぶん状況は、そんなに変わらない。多少マシではあるけれど、究極的には変わらない。

 

僕が人生の中で、自分の心で、魂で、本当にずっと欲していたもの。
それは「自由」というものであり、また「真実」というものだ。

そんなもの要らない、っていう人もいるかもしれない。
どちらかと言うと、要らない、っていう人の方が多数派かもしれない。

でも、僕はたぶん、そのために命を賭ける価値があるって思ったんじゃないかと思う。

多くの人にとっては「エッセンシャル」ではない、そういった「自由」や「真実」や「信仰」といったもの。

けれど僕にとっては、それ以上に大切な物なんてない、それが本当の気持ちだ。

 

今でも、なれるものなら板前さんでもコックさんでもなりたいと思っているよ。
けれど僕は、「自由」「真実」「信仰」を、時代の混沌の中で射抜く術を見つけてしまったのだと思う。
たまたまその持ち場が、音楽であり、ロックであり、伝統的なヘヴィメタルであり、インディの分野であった。

そのためなら命を賭けて惜しくない。
それは、今この瞬間でも、そう言える。

 

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