新年抱負2025

さて2025年を迎えました。(写真は無しね。SNSには載せるかも。)

年末にソーシャルメディアのページやこのブログにも投稿したクリスマスのご挨拶投稿の中で、2024年を振り返る内容を書いておりましたが、

今年は現在、新しいアルバム”Coming Back Alive”のリリース作業の真っ最中であり、12月から1月にかけて5曲のシングルをリリースするという計画を立ててしまったばかりに、「リリース期間真っ最中」といった感じの進行になってしまい、心境としてもあまり「年末年始」みたいな気分になれず、なんやかんや忙しくしているうちに新年になってしまった感があります。

(いや、もちろん、個人的にはゆっくりする時間や、思いを馳せる時間などちゃんとありましたが、全体的には、年末気分をあまり味わうことなく年を越してしまいました。)

 

あらためて2024年を振り返ると、非常に充実していた、非常にAWESOMEな年であったことを実感します。

やはり一番大きかったのは7月に行ったアメリカ遠征でした。準備も大変だったし。
2022年に行った”The Extreme Tour”とはまた違い、自分たちですべてブッキングする自主ツアー、それをテキサスを中心とするアメリカ南部で行ったこと。期間こそ若干短めでしたが、手応え、収穫は大きく、僕たちとしては、バンドとしての長年の宿題をようやく成し遂げたような気分でした。

そのぶん後遺症も大きかった。
だいたい、こういった海外ツアーのようなハードな事を行うと、後遺症が出てきます。
そもそも、僕はインディバンドで、[Tone, Hassy, Jake]体制の頃からスピリチュアルなメッセージ性の強いバンドで「戦って」きています。
普通のバンドのツアー、ライブとは幾分違った活動、旅路となります。
もちろん日本でクリスチャンメタルを演奏するということの意味は重い。

 

ですので、理解はしてもらえないかもしれないけれど、これまでの活動の中で、とっくに「パンチドランカー」のようになり「ほとんど廃人」となっているところがあります。笑われるかもしれないけれど、人生何周もして、内面はとっくに老人といった感じです。

戦場から戻った兵士がPTSDになるのとは、また少し違うのかもしれないけれど、少し共通するものがあるのかもしれない。奇しくもアメリカで旅路を一緒にまわったFunky Sunday PartyことScottは、その「戦場から戻ったPTSDに苦しむ兵士」であるわけで。アーティスト同士ということもあるが、Shinさんが彼と仲がいいのとはまた別の意味で、僕が彼と通じ合う部分があるのは、そういった立ち位置によるところもある。

 

だから今回も、そういう後遺症は来るだろうと普通に予測していました。
けれども、遠征から戻った後に、Shinryu師範の脱退の件があったので、その「後遺症」にきちんと対処できず、より傷が深くなるというのか、症状が長引くこととなってしまった。やっぱり少なからず悩んだしね。

Shinryu師範の脱退までに、東名阪で3本のライブがあり、それは良い感じに「3年半の活動のまとめ」となり、またある種の「凱旋」ともなったのだけれど、それをちゃんとやれるのか、演奏できるのか、それを乗り越えるので精一杯だったところがあります。傍から見てそんなふうには見えなかったかもしれなかったけれど、やはり一度バランスが崩れてしまったアンサンブルでライブをこなすためには、それくらい困難が伴った。

 

でも、そこからがんばってリリースのための準備を進めていったよね。
アートワークの制作といったこともあるし、多少の売り込みはもちろん。
ビデオ制作のためにとにかく準備したし、なんかもう必死だった。
もちろん水面化で進めているプロジェクトもいくつかあるのだし。

廃人同様の状態で這うようにしてちょっとずつ作業を進めていったけれど、12月に入ってついに楽曲をリリースしていく段階になって、やっと回復してきたというか、人心地がついてきた。

リリースに伴う作業はまだまだこれからあって大変なんだけど、こうして作品を発表していく中で、やっと色々なことを実感できて、次に進めるようになるのだろうと思う。

 

別に愚痴のようなことを書くつもりはなかったんだけれど。

 

けれどもいくつもの国内遠征も出来て、それもとても良いものになったし、あらゆる面で2024年は本当に充実した活動が出来た一年だった。もちろん、Shinryu師範が2021年初頭に加入してから、うちのバンドの活動は常に充実し、突っ走ってきたわけなんだけども、後から振り返った時、この2024年はやっぱり充実した年として感慨深いだろうと思う。

そして個人的にも様々なことが充実し、幸せだった一年だったと言える。
もちろんいろんなことがあったけど、精神的にはとても充実していた。

今年は、それをさらに、もっと充実させ、もっと幸福な一年としなければならない。

 

さて新年の抱負。

バンドとして、ドラマーのShinryu師範が脱退してしまったので、これからの活動がどうなるんだろう、と思っている人もいるかもしれない。

僕としては、じゃあ新しいドラマーを早速募集しましょう、っていう気分には、まだなれない。
というか、それよりも先に、今はリリース作業で忙しい。
アルバム”Coming Back Alive”を発表するだけで、しばらくは手一杯だろうと思う。

そもそもShinさんの脱退は、バンドとして走ってきた活動に一区切りを付けて、違うことをやれという神様のメッセージではないか、という事も思っている。最初からそのように認識していた。

 

未来のビジョンっていうものがある。
世界っていうものがもっと「とっちらかってしまう」ようなヴィジョンも見ている。
今年は世の中の情勢が、そんなふうに変わっていく可能性が高いと思う。
いろんなものの概念が変わり、いろんなものの前提が崩れる。
そんな事態を予想してる。

そんな中で、自由にロックを鳴らし、作品を作るための時間が限られているのであれば、今できるうちに、とっととやっちまえ、創作人生を最後のゴールまで、とっとと進めてしまえ、ということかもしれない。

そのためには、今はむしろライブバンドなんて無い方がいい。(今は、ね。)

その気になれば、必要な際には、ライブバンドなんて三日で構築できる。そう考えている。

 

明るく楽しい素直な80年代ロック趣味全開の”Coming Back Alive”のリリースまで漕ぎ着けたことはとても嬉しい。これはまさに、15歳の頃の自分が聴きたかった音楽だと言える。そして僕らの音楽人生の、Imari Tonesというバンドのハッピーエンドの音としてもふさわしい。

ここまで生き延びて、この音を鳴らせただけでも幸福なんだけれど。

まだやることがあるとすれば、それは伝統芸能の完成だ。
伝統芸能としてのヘヴィメタルを完成させることだ。

 

僕は欲張りだから、いろんな音楽がやりたい。
いろんな音楽をやりたかった。
こういう時代であっても、売れるため、注目を集めるためといった理由で、ジャンルの蛸壺に収まるのは嫌だった。

だから、このImari Tonesと名付けた自分のバンドにおいても、80年代ハードロックとか、正統派メタルとか言いつつも、実際にはまとまりがないくらいに、色々なことをやってきたと思う。

僕は本当はもっとおしゃれな音楽がやりたい。笑。失笑。爆笑。

自由な都会に住み、先進的なインディのシーンに身を起き、感性の鋭いおしゃれな音を鳴らしていたい。
そんなことをずっと思っていた、というか、思っていたこともあった(笑)。

 

だけれど、ことギタープレイヤーとして、本当に自分が鳴らすべき音、作り上げなければならない音は、やはり伝統芸能だ。
伝統芸能としてのハードロックであり、ヘヴィメタルだ。

そのことも、非常に意義深かった2024年という時の中で、はっきりと示され、人生の答としてはっきりとしたように思う。

残りの人生で、成し遂げるべき目標があるとすればそれだろう。
もちろんそこには、目標であり理想である「ヘヴィメタル・チャーチ」というものもある。それは目標でもあり、理想でもあり、概念だが、現実のプロジェクトとして進めていきたい。

 

個人的なことだが、このバンド、Imari Tonesの成り立ち、そもそもの起源や発端を思うと、それは本質的に個人的なものだ。なんか日本語がおかしくてすみません。

そういった意味で、今年2025年は、僕たちにとって記念すべき年だったりする。
今現在、Shinryu師範が脱退して、僕とMarieの二人なんだけど、この記念の年を二人で迎えることが出来たという事実も、何かしらのそういった運命の導きによるものかもしれない。

当面、二人で出来ること、二人だから鳴らすことの出来る音というものがあるだろうと思う。
また、それは今だからこそ鳴らさなければならない音かもしれない。

その音に取り組んでみて。
ドラマーさんを探すのは、その後でいいかな、なんて思っている。
いずれにしても、ライブバンドについては焦っていない。
あせってライブをやるよりも、もっと他にやるべきことがある。

 

とはいえ、Marieちゃんが意外と、やる気があるんですよね。
彼女が、やはりステージに立つことを望んでいる。音を鳴らすことを望んでいる。そして更なる冒険と音楽の旅路を望んでいる。
それを思うと、やはりこのバンドの「意志」は彼女の存在そのものなのだろうね。やっぱり彼女のバンドだしね。

しばらくは二人で歩く旅路になるのかもしれないけれど、それは楽しい旅になるだろうし、そこには絶対に良い音が鳴るはずだ。そこについては、手抜きはしないよ。今まで以上に、「良い音」を鳴らすのでなければ意味がない。計算上では、それが出来るはずだと思っている。

その、二人で歩く記念すべき年ということで、そこには祝福が、幸福が、降り注がないはずがない、そのように予感している。
そして、その大きな祝福と幸福を、皆さんに伝えていけるのではないかと感じている。それが目標であり、使命であり、僕らがこれからやるべきことかな。

 

時代ということを思う。
果たして僕らはこういった未来を望んでいただろうか。

何度もそうやって書いているかもしれない。
分岐点はどこだったのか。
Kurt Cobainが死んでしまった時だったのか。
Van Halenが終盤のキャリアを間違えた時だったのか。
Butchers吉村さんが逝ってしまった時か。
もっと前からそうなる運命だったのか。

ある時期以降、いつも感じている。
自分は、自分たちは、悲劇へと進んでいく、間違ったタイムラインの世界に迷い込んでしまったのではないかと。
(よく言う例えとしては、ドラゴンボールにおいて、孫悟空が心臓病で死んでしまうタイムラインに居るような感じだ。)

それはロックンロールの歴史そのものもそうだし、この国であるとか、人類社会全体を見てもそうだ。

たぶん10年もしないうちには、人類社会からは、本当に生産的なものなどひとつもなくなって、ごく限られた少数の人間がAIなどのシステムを通じ、AIによって支配される世の中になっていくのではないか。ていうか、言うまでもなく、すでにかなりのところまでそうなってますよね。

 

そんな気持ちをずっと前提として生きてきた自分ですから、自分にとっては自分の音楽人生は最初から、「何もない荒野で、砕け散ったロックンロールの破片を探す旅」でしかなかった。
夢を見ることは一度もなかったです。

 

少なくとも2010年代の半ばくらいから、不思議な錯覚を覚えることが多くなった。
自分は未来を見ているのではなく、まるで過去を見ているような感覚。

日本の年号が令和になった頃には、その感覚が決定的に強くなった。
つまり令和っていうのは、老朽化し劣化した昭和に他ならないわけで。そこにあるのは古くなった街並みと、スマホだけと言おうか。しかも、そこにはロックはない。スマホがあって、ロックがなくなった、あまり希望のない劣化版の昭和のようなものだと思っていた。

おかしなもので、若い子たち、若い世代の人たちを見ていても、未来を見ている気がしない。
まるで100年前のレトロな写真を見せられているような、歴史の教科書に掲載された風景を見せられているような、そんな気持ちになるんだ。

僕にとっての未来は、とっくに終わっていたのかもしれない。

 

なんか暗い感じの記述になってしまったけれど、
それでも、様々な概念が崩れ去っていったとしても、
その後、何もない荒野で、ロックンロールが鳴り響くことを信じているよ。

それが唯一の希望かな。

忙しくて手の付けられていないプロジェクトがいくつもあるんだ。
それを順番に進めていけたらと思っています。

 

非常にまとまりのない、とりとめのない文章。
きっと読みにくいことだろう。

共感ベース、数秒インプレッション前提の下で、効率的な自己アピールをすることが当たり前のソーシャルメディア社会では、こんなふうなことを書く人はいないだろう。
でも、ひさしぶりに、こういう思考パターンが自分らしいと感じる。

つまらないレトロな時代だけれど、自分はまだまだ若返ることが出来る、そんなふうにも感じているよ。
走り抜けたい、まだまだ走る気がある。
それだけでも抱負と言えるかな。

ありがとうございます。

 

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