商談会ギタートーク

 

 

写真は、昨年からメインギターとして愛用するようになったBacchus Grace-AT/BW、僕は”White Grace”または「ジーザスギター」と呼んでいる
昨年秋にShinryu師範が脱退した後、しばらくバンドで演奏しないから、このギターもしばらく封印だろうと思っていた。だが、若きドラマーKenshinくんの加入により、また引っ張り出してリハーサルに使用している。思ったより早く、また引っ張り出すことになった。

またギタートークである。
忙しいのに、無駄なトークである。
時々無駄なことを書きたくなるのでご容赦いただきたい。
本当はもっと書きたいのだ。
ギターだけでなく、政治について宗教について、もっと色々な世相、事象、興味関心について書きたいのだが、あまり書いている時間の余裕がない。

 

 

時々書いているように、僕は過去10年あまり、BacchusをはじめとするDeviserさんとこの楽器、ギターおよびベースの大ファンであった。初めてBacchusの日本製のレスポールを手に入れたのが2013年の秋のことだ。
それは、メタル系のギタリストとして、ヘヴィメタル的な価値観からスタートしてギターを弾き始めて、今でも基本的にそこは変わっていないのだが、いわゆるメタル的なギターではなく、Bacchus(Deviser)の楽器にある、モダンヴィンテージ的な本質に魅了され、共感するようになったということだ。

 

しかし、2010年代を通じて、だいたい僕は、人生の中で必要な楽器は作っていただいたような気がしている。
2020年代に入り、Deviserさんとこの楽器も傾向が少し変わってきた。楽器そのものも、売り方も変わってきたように思う。
それは決して悪いことではない。
桜や栃といった和材を使ったギターが認知され、支持を得て、MomoseやHeadwayといった楽器がプレイヤーの中で支持されるようになってきた気がするし、それはいちファンとしては嬉しいことだ。

けれど、2010年代の終わり頃に、どうやらフィリピン工場が閉鎖されたらしいという、そのあたりを境目として、またパンデミックの頃と前後して、なんやら色々、時代の変化、マーケットや環境の変化があり、そしてどういうわけだか、その頃から、僕はDeviserさんとこの楽器にあまりわくわくしなくなってきた。

だから、僕にとってのBacchusは終わったかなというか、僕が縁があったのはここまでだったかな、という気がしている。

 

とはいえ、Deviser系の楽器として、僕は素晴らしいレスポールも持っているし、Duke Standardも持っているし、フロイドローズの付いたSTR Sierra Seriesも持っているし、Handmade Seriesの2008年製G-Studioも持っているし、メタル用ギターとしてのGrace-AT Custom Seriesもあるし、もう十分すぎるくらい「秘密兵器」は手元にある。

いちインディミュージシャンとして、無名のプレイヤーである自分が、世間の基準からすれば考えられないほどの安価で、これほどの性能と本質的な良さを持った楽器を手に入れることが出来たこと、そしてそれらを駆使して自分の音楽を作ってこれたことは、本当に考えられないくらいの幸運であり、幸せなことであったと思う。

 

プレイヤーと楽器の関係も、結局は縁であり、その「縁」ってやつの中には、説明しがたい色々の要素がある。あるいは、そこには自分のプレイヤーとしての力量の限界も関係しているのかもしれない。

しかしどちらにしても、2020年あたりと前後して、またパンデミックと前後するくらいから、僕はDeviserさんとこの楽器にあんまりワクワクしなくなった。

エレクトリックの楽器の力点はブランド的にはMomoseに移り、豪華な材を使った美しい楽器が作られ、また値段も豪華であるが、それと反比例して、いちプレイヤーとしては興味が失せていった。

また、歴史的な点でいえば、昨年に日本が誇る偉大なビルダーである百瀬恭夫氏が亡くなり、またかのJames Tylerもこの世を去った。
それもまた、ひとつの時代の移り変わりを象徴するものかもしれない。

 

そうはいっても、僕はファンであるので、ネット上でDeviserさんとこの新商品を、ソーシャルメディア上や、ウェブサイトでちょくちょく拝見し、毎回のように「きれいな楽器だな」と感心してはいる。

 

今回、「ディバイザー大商談会2025」というものがあり、そこで発表された楽器をネット上でじーっと見ていた。
まるでアーティストがアルバムを発表するかのように、このようなイベントが大々的に行われて新作楽器が発表され、それが全国の楽器店や楽器業界を巻き込んで盛り上がっていくのは、Bacchus/Deviserを応援していた身としては、なんだか嬉しいことだ。

たとえ、その楽器のほとんどが、自分の興味を引かないものであったとしてもだ。

しかし、今回、それらの楽器の中で、二、三、僕の興味を引くものがあった。

 

ひとつは、なんといってもこれだ。

Momose MA-SAKURA Maestro/J #20000
https://www.deviser.co.jp/products/ma-sakura-maestro-j-20000

 

これは、Momoseの20,000本目の記念モデルとして作られた、超豪華ギターである。
Deviserさんが得意とする和材である桜と栃がボディに使われているが、それ以上にハカランダである。指板がハカランダっていうのはまだわかるが、ネックがハカランダ。それだけじゃなく、ピックアップカバー、ピックアップリング(エスカッション)、バックプレートまでがハカランダ製である。

なんてことしてくれるんだよ、こんなの絶対税関で捕まるじゃん!海外に持ってけないじゃん!(笑)

意味がわからないくらいの豪華さだ。値段も160万円となっている。

 

だが、僕が気になったのは、その豪華さが理由ではない。
このモデル、ボディシェイプがGrace-ATである。
ボディシェイプと、楽器としての仕様が、Bacchusブランドで2018/2019年頃に販売されていたGrace-AT/BWとほぼ同じである。
もしかすると細かいところは違うかもしれないが、これはGrace-AT/BWを、Momoseブランドによる豪華バージョンとして名を変えて作ったものだと思われる。

僕はこのGrace-AT/BWの白いモデルを、一昨年入手し、昨年はメインギターとしてライブ活動に使用した。僕にとってはプレイスタイル的に、Deviser/Bacchusさんの歴代モデルの中ではもっとも自分に合うと言っても過言ではない楽器であり、おそらくはこれからもライブ活動のメインとして使っていくだろうと思う。

そのことは昨年のブログ記事にも書いたと思う。

 

その際にも触れたのだが、この”Grace”というモデルは、僕がネット検索して調べた限りでは、当初2013年頃にイケベ楽器とのコラボ企画のような形でDeviserブランドで作られたものであり、それが2018年頃にBacchusブランドでよりシンプルな形となって販売された。

メタル系のギターがほとんどないDeviserさんの楽器ラインナップの中で、このテクニカル仕様とも言える”Grace”が引き継がれ、Momoseブランドで新たに作られるのであれば、それは嬉しいことだ。

だが、公式の説明の中で、この”MT”モデルについて単に「新シェイプ」とだけ説明され、かつてのGraceモデルについて一言も触れられていないのは少々寂しく感じた。

24フレット仕様のスーパーストラトとしては、決して目新しいものではなく、しゅっとした流線形のボディシェイプは、Jackson Soloistあたりに雰囲気が似ている。形としてはSoloistのアーチトトップのものにかなり近いだろう。Ibanezをはじめとして、似たような仕様のギターは様々なメーカーから出ているだろう。しかし、この”Grace”は、ネックの仕込みの位置とか、ウィルキンソンのブリッジとか、僕にとっては「色々とちょうどいい」ものであったのだ。

 

まあ、どちらにしても、この2万本記念モデルは、豪華すぎるし、見た目もごちゃごちゃしていて、僕にとっては実用性は乏しい。そして、どうやら発表後すぐに売り切れてしまったようだ。入手された方、すごい。おめでとうございます。お目が高い。いつか縁があったらちょっと弾かせてください(笑)

まあ、ものすごいモデルであることは間違いないですね。

僕としては、Momoseブランドだからお高いだろうとは思うんだけど、今後、もう少しシンプルな形で、桜トップの”Grace”が販売されるようであれば、あるいは食指が動くこともあるかもしれない。僕は”Grace”は自分にとっては運命のモデルだと思っているからね。

 

 

もうひとつ、ふたつ、気になったのは、STR JTG Designのモデルだ。

これとか、これである。
https://www.deviser.co.jp/products/str-jtg-design-ssh-ft-ft

STR JTG Design HH FT/FT JTD0105

 

なんかリンクが勝手に貼られたり貼られなかったり。

 

STR JTG Designは、ディバイザーさんとこ、というか、飛鳥工場が、James Tyler Japanの製作を受け持つようになって、James Tylerさんと交流が深まり、その中でSTRのマスタービルダーである八塚悟氏へ「お礼」として(??)、James Tyler氏が自ら新たにデザインしたモデルである。詳しいことは知らんが、だいたいそのような説明が書かれていると思う。

その、ビルダー同士、男と男の絆というか、海を越えた交流というか、そういう熱い何かを感じるモデルだ。

STRには、エレクトリックギターでいえば、OSというモデルがあり、それもオリジナルシェイプの面白い形をした興味深いモデルであるのだが、それとはまた違い、よりオーソドックスなコンポーネントギターに近い形のモデルであると言える。

だが、よく見てみると、このSTR JTGのモデル、非常に美しい形をしている。
一般的なストラト系のコンポーネントギター、ストラトをベースにした形であるが、その曲線が非常に優美であり、繊細だ。
そして、ボディに使われている和材や、その杢、そして塗装が、なんともいえない「和」の印象をかきたてる。
和の伝統美とモダンさが同居していて、まるで新進気鋭のアーティストによる和風の工芸品を見ているような気分になる。
このデザインと、曲線の美しさなどのディテールを見るにつけ、James Tylerという人物は、おそらく「和」の心と美しさをちゃんと理解していたのであろうと思えてくる。
モダンなエレクトリックギターの到達点として、非常に完成度が高いデザインだ。

 

さて、そんなわけで、抜かりなく、僕はちょこっと弾いてきたのである。

結果。
残念ながら、自分には合わない楽器だとわかった。

僕は過去に、飛鳥工場で作られた、James Tyler Japanのモデルを二度ほど試したことがある。
奇しくも、今回STR JTGを試した印象は、それらのモデルを弾いた印象とほぼ同じだった。
つまり、形は違うが、サウンドの中身としては、James Tyler Japanと同じ系統なのかもしれない。(JTGという名前が付いているから当然と言えば当然だが)

細めのネックなのに、まったくブレない、びくともしない恐るべき強度のネック。堅実なボディ鳴り。素晴らしい鳴りでありながら、まとまりのある、モダンなギターとしての完成度の高い音。ピックアップもピュアな出音だ。
だが、なんかしらんが僕には合わない。

理由は説明できない。たぶん僕が下手なのかもしれない(笑)
しょせん自分は未熟なメタルギタリストに過ぎないのかもしれない。

 

そしてまた、過去に何度かMomoseの高価なギターを試した時の印象とも共通する印象があった。

Momoseのギターは、Bacchusの日本製のやつと作ってるのは同じところだし、基本的には似たような感じだと思うんだけど、現実には、どういったわけか、僕はMomoseのギターを弾いて「ぴん」と来たことがない。過去に何度も何度も試しているにも関わらず、である。

いや、もちろん良い楽器なんだけどね。さすがだな、って思うんだけど。だけど、個人的に「これだ」ってなったことは、なぜか無いんだよね。

 

僕が思うに、「高級ギター」には、僕が必要としない余計なものが色々と付いている。
それは、見た目とか仕様のことではなくて、音の面での話だ。

たぶん僕が思うに、値段の高い高級ギターは、「高級ギターです」っていう音がしないといけない宿命にあるのじゃないだろうか。

でも、単に音楽を作りたい人間、自分のオリジナリティを込めた音楽を作りたい人間からしてみれば、それは「邪魔なもの」だ。
純粋に、まっすぐな音が鳴ってほしい。余計なものはいらない。

 

Bacchusの楽器は安価だったと思う。
それが日本製のモデルであれ、フィリピン製や、アジア各国で作られたものであれ、常に「コスパがいい」という文脈で語られた。
それはまったく事実だったと思う。

それは、別に海外製の廉価版のモデルについて言っているのではなく、日本製の本気のモデルについても同様だ。「おいおい、俺はこの楽器を数万円で手に入れてしまったが、こいつの楽器としての本質的な価値は、いったいどんだけあるんだ」と、半ばあきれてしまうくらいの価値なのである。

製作し販売する側から言えば、良いクオリティの本気の楽器をリーズナブルな値段で販売するということは、おそらくは血の滲むような努力であったに違いない。商売としては、絶対にきついことである。
だからこそ、ブランドの価値を高め、付加価値を付け、高級な楽器として販売する方が、会社としては絶対に正解だ。

だけれど、そうやって「血の滲むような」領域において作られたシンプルで堅実な楽器が、なぜだか僕がプレイヤーとして必要とするサウンドを備えているようなのだ。

 

これは不思議なことだ。
だが、かつてHamerのJol Dantzigも言っていたように思う。「楽器の良し悪しと、帳簿の良し悪しは相反する」みたいなことを。職人としての良し悪しと、会計士としての良し悪しは残念ながら相反するものだ、みたいなことを。
それは、音楽を作る上でも常にそこにある悩ましいテーマだ。

 

高級ギターとして作られたMomoseの50万円のモデルには、50万円の価値がある。
たまたま数万円で手に入れてしまったBacchusの日本製モデルには、時にはその数百倍の価値がある。
いちプレイヤーとしての実感はそんな感じだ。
数字にならない部分ってことかな。

 

今回のモデルの中で、Momoseのモデルは試してない。また機会があれば試したいし、試してみれば、Momoseの中にも「これは」と思うものがあるかもしれない。
しかし、これまでの経験から言うと、そんな感じであるので。

僕は、たとえばBacchusのグローバルシリーズが、今では一般的なギター生産国であるインドネシア製に切り替わって、「相変わらず楽器のクオリティは素晴らしいものの、つまらなくなった」「他のメーカーとの差異がなくなってきた」と感じた。(モデルや企画は良いところを突いていると思うけれど。)

それと同じように、Deviserさんとこの楽器、たとえばMomoseブランドも、だんだんとSuhrやTom Andersonといったような、「普通の高級ギター」と変わらないものになっていくのかもしれない。

それはそれで悪くはない。日本製の楽器バンザイである。日本のメーカーには頑張ってほしい。
でも、そういう方向性だと、たぶん僕にはあまり縁がないだろうと思う。

 

あとは、うーん、
STRのOSモデルをまだ試したことがないから、機会があれば弾いてみたいな。
ただ、滅多に見かけないからね。
OS624の、いい色のものがあれば、一度試してみたい。
ただ、不思議な形をしているから、一般的なハードケースに収まってくれるのか、そこが心配なんだけどね。

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