“I don’t believe in politics nor in religion. I only believe in Jesus Christ and His cross”.
(僕は人間の行う政治も、人間の行う宗教も信じていない。ただイエス・キリストと、その十字架による救済だけを信じている。)
[英語で書いたやつはこちら]
[今の世界で、これが僕に言える最善のことだ]
僕は政治が嫌いだ。
今の分断された世の中で、政治について語るのは面倒だ。それは厄介事しか産まない。
しかし、だからといってremain silentして、何も言わずにいるのも気持ちが悪い。
ここ数年、いつも言っているように僕は政治というものを信じていない。
それは、権力というものを信じてないからだ。そして支配というものについても信じていない。
僕は権力に興味はないし、社会的な地位や立場についても興味がない。 (注: 下記の注釈を参照のこと)
右や左といった立場についても信じていない。
そんなものは、人が作り出したものだと思う。
それらは人の目から見たときの概念であって、超自然的な目線、あるいは神の目から見たら、そんな概念はたぶん存在しない。
僕は若い頃は、自分はどちらかといえばリベラル側の立ち位置にいるものだと思っていた。それは、単純にアーティストとしての立場だ。
自分はアーティストであるから、自由な表現、また自由な生き方に憧れた。
そして、ロックの歴史上における、ゲイ、あるいはバイセクシャルだと言われている素晴らしいパフォーマーたちに感銘を受けた。それは性的なステレオタイプにとらわれない表現をするということだ。(そして実際に、自分は男性的なタイプではないし、ミュージシャンとしても、一般的なヘヴィメタルの男性優位なカルチャーとは違う表現をしているであろうと思う。)
しかし現実には、僕は性的な面ではつまらないごく一般的なストレートの男子であった。かといって自分が”sinless”や”sin free”であるわけではない。僕は理想的な人間などではまったくない。性的な嗜好の方向性、性的オリエンテーションがどうかというのはあまり問題ではない。どちらにしても人間は罪にまみれているし、人間のセックスは罪を含んでいる。だからこそ、大事なのは愛である。愛が私たちを導き、愛が私たちをredeemする(贖う)からである。
しかし大人になるにつれ、自分の中にある、自分自身の本来の価値観は案外と伝統的であり、かつ保守的であることに気がついた。それはもちろん、自分がキリスト教徒となった後に、アメリカをはじめとする世界中のクリスチャンの友人たちと交流する中で気づいたことでもあるが、また同時に、ロックの歴史や、ヘヴィメタルの歴史、その中で守るべき本質について考えたことが原因でもあった。
それはもちろん、日本人として、日本の伝統的な文化を守りたいという思いにも関連している。
今では僕は、自分が人間の世界において、政治的にどこに位置するのか、もはやわからない。
自分は、人間としてはかなり保守的で伝統的な考え方を持っているが、また同時に、進取的な考え方を持つ人々に対して大きなシンパシーを持っている。
僕が両方の立場に友達がいるのも、そういった事が理由だろう。
僕は、どちらの立場も否定するつもりはない。
どちらの立場の人々も、僕には愛すべき良き人間に思える。
正直なことを言えば、僕は政治を知らない。
権力構造や社会的な地位といったものに疎い自分は、人間関係や政治力学についてのセンスがない。
だから政治といったものがどう動いているのか知らないし、はっきり言って興味もない。
自分にとって大切なのは、どのような音が鳴り、そこにどのようなスピリットが込められているか、それだけだからだ。
だが、そんな僕にもわかることがある。
それは、この世界にはいろんなタイプの人間が必要だということだ。
右も左も、どちらの考え方も、人間社会には必要だということだ。
だからこそ、憎み合う必要なんてない。
「俺たち」と「やつら」みたいにして考える必要なんてない。
神は、イエス・キリストは、人間世界における政治なんていうものを超えた存在だと考えている。
僕は政治なんてものを信じていない。権力なんていうものも信じていない。「正しい」なんていうことも信じていない。人間の考える「正しさ」は、神の正しさには及ばない。俺たちはみんな「どこか間違っている」のだ。(それが聖書の言う罪という事だ)
僕が信じているのは、イエス・キリストと、その十字架だけだ。
イエス・キリストが十字架を背負った時、彼は俺たちみんなのためにそれをやったのだ。
そして、その十字架のその一点、その一瞬、宇宙でただひとつ、その中にこそ、すべての違いを超えて、俺たちがひとつになる真実があると信じている。
この傷ついた世界に神の恩寵と導きがあるように祈ります。
Tak / Imari Tones (Japan)
日本語のための注釈。
上記の文章において「信じていない」と書いたのは、それは英語でいうところの”believe in”である。つまり、存在を信じてないといった意味に近い。つまり権力は幻想であり、支配も幻想であり、つまり政治も幻想だと思っていることに近い。お金がそうであるように政治なんてものは仮のものであり、世の中が効率よく回るための決め事にすぎない。かといって、そんなことを言い始めたら、世の中のほとんどは「仮のもの」ということになる。じゃあ何が真実なのかと問い始めると、芸術、哲学、宗教の領域になってしまうが、そもそも僕は一応芸術家のはしくれであり、宗教に基づいた音楽をやっているのであるから、そのへんは前提として察して頂けると幸いだ。
ウェブサイトに書くにあたっての注釈。
この文章は、当然ながら、現在のアメリカをはじめとする世界の中でのキリスト教と政治の関わりを念頭に置いて書いたものです。日本の政治はまた違った状況があり、違った権力構造、違った力学で動いています。ここに書いた事と、日本における保守と進取の概念はまた違ったものであることを踏まえて読んで頂ければ幸いです。
以上。
たまには、言いたいこと言ってもいいよね😀