Coming Back Alive 完成

 

報告の日記を綴っておきます。

 

アルバムが完成した。
“Coming Back Alive”と名付けられた新しいアルバム。
その、「音」の部分が、完成しました。
完成した日付は、5月1日かな。

もっとも実際に発表するまで、まだ少しは、手直しをする部分があると思うけど。いつもそうだから。
でも、こうして完成形にはなった。

 

振り返ってもいいだろうか。
この作品を作るにあたって、ここまで、とてもドラマティックな出来事の連続だったから。

日本語で書くと、個人的な思いをたくさん綴ることが出来る。

 

この作品は、僕たちのバンドImari Tones (伊万里音色)にとっては、”Nabeshima”の次のアルバムにあたる。

“Nabeshima”のリリースに前後して、EPを2枚、さらにはサイドプロジェクトのEPを1枚、さらにPatreonのための楽曲もたくさん、制作して発表したけれど。

アルバムとしては”Nabeshima”の次に当たるものだ。

(いつも言うが、いっちょまえにアルバムとかいう言葉を使うのが恥ずかしい。正しくは「作品」あるいは「楽曲集」である。)

 

ここまで来れるとは思っていなかった。

そもそも”Nabeshima”を作ることも、不可能ではないかと、その時は思っていた。

そこからさらに先に進んで、この”Coming Back Alive”を作ることは、贅沢な夢だった。ある意味で、確かに大願成就と言ってもいい。

 

このアルバムはある意味で「ハッピーエンド」と言えるアルバムだ。だから、この作品が僕らにとっての最後の作品になったとしても何ら悔いは無いし、最後としては結構美しい。内容がちょうどいいのだ。ハッピーエンドな感じだから。

原点に戻って、若返ったかのように楽しくパーティーして、80年代ロック全開って感じの音楽性で、なおかつ信仰の面でも、ちゃんとメッセージがあり、ハッピーエンドを迎えるのだ。

 

音楽性の方向としては、僕たちImari Tonesは、”Nabeshima”において、ちょいとばかし日本の伝統的な音楽、みたいな要素を取り入れて、和風メタルをやった。つまり、「和風のクリスチャンメタル」をやったのだ。そこにちょうど「侍キャラ」のドラマーであるShinryu師範が加入したのは、まさに天の配剤だったと言える。

だから、僕たちは今後もその方向性を続けて、「侍クリスチャンロック」「和風メタル」「和の要素を持ったクリスチャンヘヴィメタル」をやっていくのにやぶさかではない。というか、もちろんその方向性を突き詰めていきたいと思っている。

 

だが、その前にもう一度、明るくて、楽しくて、ストレートな1980年代風のハードロックを作っておきたかった。

何故か。

それはやっぱり、それが僕たちの長年の「夢」だからだろう。

そして、最後にいまいちど、少年の頃に戻り、当時の自分たちのために約束の音を鳴らしたかった。

なによりも、人間、生きていて時間は戻らない。少しでも若いうちに、自分の中に少しでも元気が残っているうちに、純粋ではつらつとした、青臭い80年代メタルを、もう一度鳴らしておきたいと思ったのだ。

それは、やっぱりVan Halenが永遠に大好きだし、自分たちの一番のルーツと言える。その本来のルーツに、もう一度戻ってみたかった。そして、やっぱりそれはエンターテイメントだから、その楽しくて希望にあふれたロックで、ファンの皆さんにハッピーを届けたかった。

 

「もし1980年代に、Van Halenがクリスチャンロックをやったら、こんなふうになるんじゃないか」
ソーシャルメディアにも書いたけど、そんな感じのテーマ、そんな感じの音になっている。

そのへんの思い入れは敢えて書かないでおこう。
でも、1980年代的なサウンドであるとか、昔の、アナログなサウンド、そういう点には、確かにこだわった。

録音も非常にシンプルな手法で行ったし。(いつもそうだけど)
結果的には、これ本当に1982年に録音したんじゃないか、っていう音になっていると思う。
まあ、マスタリング処理したら、それでも結構、ある程度現代的なクリアな音になったけど。

 

普通はレコーディング制作と言えば、音をたくさん重ねるものだ。いろいろな音を入れて、商品としてふさわしいものにする。

けれども、僕は、初期Van Halenへのオマージュ的な意味でこだわりがあり、ギターを一本しかレコーディングしない。それについては、きっと賛否両論あるだろうと思う。いまどき、なかなかあり得ない手法だろうとも思う。

それでも、ある時期には、
具体的には”Japanese Pop”から”Jesus Wind”までの10年間は、僕はせめて、リズムギターは左右一本ずつ、合計2本は録音していた。それは、せめて左右一本ずつ録って、音に厚みを付けようという事だ。とても基本的だ。

でも、それ以降は、「もう歳を取ったし、人の目を気にして飾らなくてもいいよね」と思って、またギターは一本だけに戻った。

だから、僕たちのレコードは、世の中に溢れている商品っぽいサウンドに慣れている人にとっては、しょぼい、とか、素朴なものに感じられるだろう。
オーガニックで自然、と言うことも出来る。笑。

 

 

話が逸れる。いつも逸れる。そして前置きが長い。
なぜならコミュニケーションというものは、前置き、そして前提というものがあってこそ、初めて成り立つものだから。

僕らはその「前提」が世間からわりと遠い場所にあるので、こうして長い前置きが必要となる。

 

 

今回のアルバム”Coming Back Alive”の曲を書いたのは、それらの最初のいくつかの曲を書いたのは、確か2017年の事だ。”Nabeshima”の曲をすべて書き上げたのが2016年の事だったから、そう思うと順番的には合っている。

知っているかわからないが、僕はかつて友人たちと”Atsuki Ryo with Jesus Mode”というバンドをサイドプロジェクトとしてやっていた。それはやはりクリスチャンメタルなのだが、Imari Tonesと違って、もっとストレートでべたべたにわかりやすい音楽性で、80年代的な内容のヘヴィメタルをやっているバンドだった。

その”Jesus Mode”の影響で、「短くて、ストレートで、わかりやすい」曲を、当時僕はいくつか書いた。そして、それが”Coming Back Alive”の構想へとつながっていった。

つまり、今回の”Coming Back Alive”は、1980年代ハードロックへのオマージュであると同時に、かつてやっていた”熱きリョウとジーザスモード”への、自分なりのセルフアンサーでもある。だから、笑っちゃうくらいにわかりやすくて、べたべたな、「これぞクリスチャンメタル」みたいな曲が結構入っている。(たぶん)

 

最初のいくつかの曲を書いたのが、2017年だったわけなんだけど、僕は大抵、常になんとなく曲を書いているので、そこから何年もの間に書いたたくさんの曲の中から、今回の「明るくて、楽しくて、わかりやすいべたべたの80年代風ハードロック」というテーマに合致する曲を選んで行った。その選曲を行ったのが2022年の春頃の事だ。そして、その際に、いちばん最後の曲を書いた。それはShinryu師範が加入した後のことだから、その時にはShinryuのドラムをイメージして、いくつかの曲のドラムパートを構築することが出来た。

 

そんで、デモの形にしたのが、2022年の晩秋くらいの事。
で、2023年の春に、歌詞を書いた。

で、これからそれらの曲に取り組もう、って言って準備してたら。

予想外の出来事が起きた。

それが、昨年6月の火事でした。

火事のことはもう何度も書いていると思う。だから、ここで改めて書かなくてもいいかもしれない。

 

でも、先日、出来上がったアルバムの音源を携帯(スマホ)に入れて、ある場所を訪れた。

それは、学生時代(大学時代?)に住んでいた町だ。

確か、”Nabeshima”を作っている時、作る前、と、出来た後にも、その町を訪れた。

なんか、やっぱりあるんだと思う。
個人的な理由が。初心みたいなものが。

 

とある素敵な公園があって、近くに閑静な住宅街がある。
昨年、僕は誕生日に、嫁さんと一緒にそこでデートしていた。
で、その閑静な住宅街を見て、ああ、こんな立派な家に住んでたら、そんな人生も良かっただろうな、と思った。
別に人の人生がうらやましいわけではなく、こんな大きな家に住んでいたら、家でギターアンプを鳴らしてレコーディングも出来るのではないか、と、そう思ったのだ。もちろん、ヴォーカル録りだって家で出来るし、可能性がいっぱいある。

だけど、僕は、先日その場所を訪れて、その閑静な住宅街を見ても、もう羨ましいとは思わなかった。

なぜなら、僕は、もっと広い、ある意味もっと立派な場所で、そしてもっと素敵な場所で、自由にレコーディングをさせてもらえたからだ。
教会という、一般の住宅ではあり得ない設備、場所で。

 

自分のアンプのみならず、自前のキャビネットでレコーディングするという祝福も得た。別に、スタジオにある一般的なG12T-75の入ったキャビが駄目なわけじゃなく、むしろ全然好きなスピーカーだけど、やっぱり日本の住環境だと、自分のスタジオとか、自分のアンプ持ち込めないし、自分のキャビでレコーディングする環境って、ずっと憧れていた。

 

とにもかくにも、僕らはこうして生き伸び、そしてあの日から一年たたないうちに、こうしてアルバムは完成した。

僕らは、あの火事の時に、死んでいてもおかしくなかった。
楽器や機材も、燃えてしまって、すべて失ってもおかしくなかった。

だけど、家財道具はほとんど失ったけど、楽器だけは守られた。もちろん、煤をかぶって真っ黒になったものがいくつもあったけど。
マイク等に関しては結構厳重に保管してあったので、灰をかぶることもなかった。

 

そして、あの教会に導かれたことで、たくさんの素敵な出会いがあり、間違いなく人生が変わった。

もっと神様のために働け、と、僕たちは言われたのだ。

だから、僕はこうして、神様にありがとう、と言うために、またその場所を訪れた。

 

その祈りが、こうして感謝となり、約束となり、数えるべき祝福となる。
旧約聖書の時代から、人はずっとそうやって、神に導かれ、主と共に居たのだろう。それと同じことだ。

 

この一年の出来事をもっと詳細に振り返りたかったけど、ここでもう書く気力がなくなった。笑。
とりとめもない言葉しか綴れなかった。

でも、その祝福は、楽曲となって、サウンドとなって、メッセージとなって、その中にすべて込められている。

 

おかしなことに、僕らは、今、「ベストアルバム」のリリースを計画している。
だから、この新しい作品”Coming Back Alive”を発表するのは、もっと後になるだろう。まだジャケット、アートワークも出来てないし。

発表、リリースするには、色々な準備も必要だ。どうやって、どんな形でリリースするのかも、検討する必要がある。

ぶっちゃけたところ、2024年の年内にリリース出来るかどうかは、ちょっとわからない。

でも、皆さんにこれを届け、この祝福を皆さんとシェアするのが待ちきれない。

 

これが喜びの声を上げずにいられるだろうか。

サンキュージーザス。
ハレルヤ——!!!

 

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