Timeline 2005

2005年1月
盟友Poor Midnight Grandmaと共に、高田馬場の某レーベルの企画ライヴに参加、新宿Club Doctorにて演奏。
下北沢GARAGEにてライヴ、 演奏は上々だが、難しい関係と状況であったガレージの壁を、いまだ破れず。

 

2005年2月
この頃、はらっちが、並行して参加していたバンド”音信+”に 集中するため、バンドからの離脱を表明。Toneは前向きにバンド活動に対する視点を変えていき、もともとイマリトーンズは一人で始めたものであって、決まった形にとらわれないものであるから、バンドとしての形が無かったとしても活動はできると言い放つ。
Toneはバンドの在り方について考え、ライヴ活動の意義に疑問を持っていたこともあり、当面は他メンバーを探すことをせずに、これを好機として今しかできない録音制作に向かうことを決意。ナははらっちに「いつでも戻って来いよ」と伝え、結果的に非常に平和的な離脱劇となる。
2月14日、秋葉原GOODMANにてバレンタインデーライヴ。またも3人とも風邪という悪条件となるが、エンターテイメント性にあふれた元気のいいさわやかな演奏となる。

 

2005年1月末~3月半ば
Imari Tonesは、アルバムのレコーディングを行う。前年6月に録音した5曲に加え、 新たに7曲を録音し、12曲入りのアルバムを自主制作する。
録音は、ドラム以外はStudio Juku-Shikiにて行われる。ベーシックなバンドサウンドが映えた前年制作の5曲に対し、この時新たに録音された7曲は、ポップな楽曲の広がりと、何よりもさわやかな楽しさに満ちたヴォーカルが映える仕上がりとなる。
「愛と笑い」に満ちた、イマリトーンズらしい作品。このアルバムには、”光のヒーロー”というタイトルが付けられる。もっとも親しみやすく、ゴキゲンにロックしたImari Tonesの代表作のひとつと言える作品になる。

 

2005年3月
当面のしめくくりのライヴを前にして、この時期になってバンドはアンサンブルの完成を見る。なにより、一年の活動、修行を通じてメンバー3人は成長し、精神的により高いゴールに達していた。
また、ナカミネはバンド活動や音楽活動に対するヴィジョンを日々発見し、次の活動へのヴィジョンを研ぎ澄ましていく。
2月頃からナカミネはドラムの練習を始める。
はらっち、House Juku-Shikiから引越し。一時は何人いるのかわからないほどにぎやかだったHouse Juku-Shikiに、静けさが訪れる。
3月30日、当面のライヴ活動のしめくくりとなるライヴが、御徒町Sahaにて行われる。完成したバンドサウンドとそして、3人の音と精神のコンビネーションをきちんと披露する、しめくくりにふさわしい充実の演奏となる。質のいい客層にも恵まれ、非常に幸福な演奏であったといえる。
この日、完成したばかりのアルバム”光のヒーロー”の テスト盤が、来場した観客に配布される。
また、この日のリハーサル前には、埼玉県某所のとあるイタリアンレストランにて、”光のヒーロー”のジャケット撮影が行われた。

 

2005年4月
4月15日、Toneは、ドラマーが休業中の盟友、Poor Midnight Grandmaのライヴにヘルプドラマーとして参加、渋谷Gig Anticにて演奏を行う。

 

2005年5月
5月7日、Toneは、ドラマーが休業中の盟友、Poor Midnight Grandmaのライヴにヘルプドラマーとして参加、渋谷Club Asia Pにて演奏を行う。
5月15日、Toneは、Poor Midnight Grandmaの 池袋手刀にて行われた自主企画イベント「ロックでぶっとばせ」のライヴに、ヘルプドラマーとして参加、イベントも盛況でおおいに盛り上がる。

 

2005年6月
6月1日、Toneは、Poor Midnight Grandmaの新宿MARZにて行われたライヴに ヘルプドラマーとして参加。PMGのサポートドラマーとしての全日程を終了する。
この時期からナカミネは、ImariTonesの自主制作シリーズを完成させるべく、4枚のアルバム制作を企画し、それを2ラウンドに分けて2005年中に完成させる計画を立て、ドラムも自身でプレイし、たった一人で制作にとりかかる。

 

2005年9月
計画した4枚のうちの、前半の2枚が完成。
「異能レース」(Heterogeneous Species)、「無責任なメシア」(Reluctant Savior)と名付けられる。
これらの作品には、はらっちと、PMGのスギペがコーラスで参加。
制作と同時に、2001年の作品である「Entering The New World」から、「Entering The New World」「Changes!!」「春風に乗って君と飛ぼう」の3曲をリマスター。

 

2005年10月
現代社会、とりわけ日本における ロックンロールのリアリティについて考えていたナカミネは、この頃、政治家になろうか、あるいはアメリカに移住しようかなどと考える。
またこの時期、盟友であり大先輩であるRaphy氏を通じて、少年時代からの憧れの人物であるTak Yonemochi氏と出会う。

 

2005年11月
この頃、ナカミネは、自主制作のヴォーカルレコーディングを乗り切るために、自分のヴォーカルの限界を超えるべく、発声の方法を少しずつ変えていく。以降、新しい発声を模索し、以後1年あまりの間、新しい声を探して悩むこととなる。

 

2005年12月
計画した4枚のうちの、後半の2枚が完成。「Color Of Hers」、「fireworks」と名付けられる。
はらっちと、PMGスギペが今回もコーラスで参加。
これにより、ImariTonesの10枚の自主制作アルバムが完成。(ライヴアルバム1枚を含む)
後に海外向けのハードロックや、クリスチャンヘヴィメタルなどに取り組むImari Tonesであるが、日本語で少年の心を素直に表現したここまでの作品が、もっとも純粋に伝えたい内容であったと言える。

 

 

 

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