2006年1月
ナカミネがバンド活動再開に向けて 水面下で動くなか、ベーシストみねっち、 家庭の事情により、なにげなく戦線離脱。笑顔でのハッピーな別れであった。
2006年2月
そうこうしているうちに、ImariTones、ナカミネの少年時代からの憧れの人物の一人である、Tak Yonemochi氏(Air Pavilion)に、プロデュースしていただくことになる。
急転直下、ナカミネは、みねっちに勝るとも劣らぬ、ことスタジオワークにおいてはみねっちを上回る力量を持つ 有能なジャズベーシスト、Babaくんに出会い、バンドに加入させる。
また、参加していたバンド「音信+」の活動停止により、暇になっていたはらっちが、一年前の予告どおり戻ってくる。ナカミネ(G,Vo)、ハラ(Dr)、ババ(B)、のトリオ編成で、世界を照準に本格的なレコーディングに臨むこととなる。
2006年2月~6月
Yonemochi氏の監修の下、水面下でスタジオワーク、レコーディングが少しずつ進む。スタジオワークのみで、退屈であるが、風まかせでのんびりと運営する。Yonemochi氏と出会ったことにより、この頃からナカミネは、英語で歌うようになる。
この時期、はらっち、大正琴職人になる。ナカミネと同居し、離別も再会も経験し、苦楽を共にしてきた彼にとっても、おそらくはこれまでのバンド活動の答えを得るため、彼はイマリトーンズに戻ってきたであろうと考えられる。はらっち、恋人の待つ地元名古屋に転居。 家出同然で上京してきた彼であったが、ひととおりのライヴ活動で、様々な経験をし、学び、 人間的に成熟したことによって、イマリトーンズの活動も非常に大人なスタイルになっていく。
2006年7月
ドイツに行く話が浮上して身辺が慌しくなる。
2006年8月吉日
ナカミネ、Imari Tonesのバンド名の由来でもあり、そしてナカミネに道を踏み外させた張本人である Marie嬢と、晴れて結婚。プロポーズは見てのとおり10年前に済ませていた。
2006年9月~10月
ImariTones、ナカミネ、ハラ、ババの3人は、Tak Yonemochi氏とともに、ドイツへ赴き、AngraやEdguy、Rhapsodyなどを手がけているジャーマンメタル界の売れっ子プロデューサー、サシャ・ピート氏のもとで、数曲をレコーディング。素晴らしい旅路と、世界レベルのサウンド、そして大きなヴィジョンを授与される。Tak Yonemochi氏のソロアルバムのレコーディングにも立ち会い、また、ナカミネは米持氏のソロ・レコーディングでも1曲ギターを弾いている。
2006年10月8日
おなじみといえる、良い記憶しかないハコ、御徒町Sahaにて、ある意味ImariTones初の企画ライヴと言える、プライベートライヴパーティーをぶちあげる。
ドイツ帰国報告などを兼ねた、節目のイベントで、敬愛する先輩であるRaphy氏、未藍千紗さんと共演。久々のライヴながらも出来の良い演奏を披露する。J-GEORGE氏とのギターバトルや、Tak Yonemochi氏をお迎えしての即席Air Pavilionセッションも敢行。
2006年12月
Yonemochi氏およびSascha氏と制作してきたアルバムのマスタリングを目黒区の某スタジオにて行う。最終的にこのアルバムは”Japanese Pop”というタイトルとなる。