2週間以上に書いた文章ですが、ようやくポストします。
個人的な内容につき、閲覧ご注意ください。
恥ずかしい文章だけどね。
せっかくなので自分の個人アカウントのウォールの投稿においては、写真を付けておこうと思う。もう若くないし。時間も長く過ぎている。友人限定の投稿であれば。ひとまずここでは、文中にあるショッピングモールの写真。
「僕のすべてのアイディアは、君が愛してくれたのだという真実の前提に基づいている」
これはもちろん、お気に入りのバンドの歌詞の一節である。なかなか不思議な曲であり、なかなか不思議な一節であると言える。こういう美しく純粋なインディロックにもっと出会いたいと思うが、現実にはなかなかそんなバンドは存在しない。
世界中のメタルファンがオジー・オズボーンの追悼モードに入っている中。
とはいえ、今はかつてのロックレジェンドたちが次々と世を去り、また去ろうとしている時代だ。
すべてのミュージシャンを追悼しようとすれば、一年中喪章を付けていなければならない。
(現にこの文章を書いてポストするまでの2、3週間の間にも、いくつものロックミュージシャンの訃報が流れた。)
昨日、嫁さんと一緒にお気に入りのお店にデートに出かけたところ、たまたまそこでオジー追悼プレイリストが流れていて号泣だったのだけれど。
熱心なヘヴィメタルファンは世界中どこにでもいるものであり、そのこと自体は不思議ではない。
だが一般的なショッピングモールの中でそれが流れ、それが僕たちのお気に入りのお店で、たまたま僕たちが立ち寄った際に絶妙なタイミングで流れているという事はそれなりに不思議な事だ。
同様な出来事は過去にも体験したことがある。そしてそれが人生の中で象徴的な意味を持つことがある。嫁さんと初めてニューヨークを訪れた時、2009年、それはバンドでの渡米、そのフリータイムの折だったが、アメリカではあまり認知されていないはずのそのバンドの曲が、Lower East Sideにおいて僕たちが選んだお店で偶然にも流れ、それが大切な思い出の曲だった。偶然と考えるにはあまりにも象徴的だった。
人生とはそういうものだろう。つまりそれは偶然ではなく、間違いなく必然によって導かれ、僕たちの人生における選択に上からの解答を与えてくれるものだ。Spiritual message from aboveといったところか。
-(こういうネタばらしも恥ずかしいのだが、それはなんの曲だったかと言えば、他でもないこの曲である。)-
オジー追悼のついでというわけではないが、自分なりにその方のことを追悼したい。
追悼という言葉は適切ではないかもしれない。僕は夢を見たというだけだ。
その方のことを思い、人生の不思議や、そこで起きる数々の奇跡について思い、そこにあるメッセージを受け取りたいのだ。
そもそも本来の追悼とはそのように思い出し、おもいを馳せ、そして共にあることを確認することである。
それは人が世を去った後に行われる行為であるが、本来は生きているうちに会い、伝え、祈るほうが良い。
夢を見た。
かなりリアルな夢だった。
今までにも増して異質でリアルなものだったと言える。
僕は夢の中で曲を書くことがある。
過去にもそのようにして夢の中で書いた曲(夢の中から持ち帰ってきた曲)がいくつもある。
これは特段に珍しいことではなく、ソングライターにはちょくちょくあることではないかと思う。
かなりリアルな夢だったため、自分自身、これは夢だなという事を認識しつつ、そこで鳴っている曲を持ち帰ろうと努力していたように思う。僕は夢を見つつ、そこで3曲を書いた。
しかし、結論から言えば一曲も持ち帰ることができなかった。
それはそれで構わない。
僕は若い頃から、勝手に曲が湧き上がって出来てしまうタイプだった。
高校時代からそうだったが、若い頃に嫁さんに出会ってからいよいよそれが止まらなくなった。それによって人並みの生活が出来ず苦しんでいたという事も言える。
しかし、年齢を重ねるにつれて、ようやくインスピレーションの流れは止まり、そのように曲が生まれることも少なくなった。もっとも寿命や限界のある人の身で、これ以上楽曲を書いたところで自分の首を絞めるだけであるから、これでいいのだ。やっと楽になったとも言えるのだ。
だが、夢の中ではまだまだ僕はそのインスピレーションの源流にアクセスできるのだということを感じた。そして、それをつかみとろうとする意志がまだ自分にあるのだということを確認できた。
それだけで十分だったのではないかと思う。
僕は夢のお告げは結構信じる方だ。
夢のお告げによって人生が変わったことがあるだろうか。
そういう意味では、僕は何度かあると言うことが出来る。
自分は肉親の死にあたって、夢のお告げによって知らされたことがある。そのようなことは多くの人が経験しているのではないだろうか。
また僕は姪っ子が生まれる際にも同様の夢を見ており、そのような家族のライフイベントに関わる事において、感じてきたそれは首尾一貫したものであって、単なる夢のお告げを超えた意味合いが明らかにそこに存在した。
僕はあまり恋愛はしない方だ。
このような話は気恥ずかしく、また今更この歳になると余計に気恥ずかしい話題である。
本来はお酒を飲んだ際に話題にすればいい事だが、僕はそのようなノリでお酒を飲むことは少ないし、また話を聞いてくれる人も少ない。自分なりのユニークな昔話のネタはそれなりにあるのであるが。その多くは幼い頃の無邪気で微笑ましい思い出話だ。機会があれば話すので、ぜひ聞いてやってほしい。結構面白いエピソードがいくつかあるのだ。たとえば、よく子供の世界を描くにあたって、女の子が無邪気に「大きくなったらXXくんのお嫁さんになる」と言うパターンがある。そうやっておませな女の子に付き纏われた経験があるだろうか。僕はそれはあったのだが、エピソードとしてはすごく面白いのだが、子供心にも結構迷惑だったものである。だが、幼い頃のことだから、はちゃめちゃであり、笑い話となるのだ。
恋愛感情というのはドラマの題材である。そしてストーリーを生み出す元でもある。
生物として遺伝子に組み込まれているからこそ、人は生まれながらにしてそれを理解できるのであり、たとえ小学生であってもテレビドラマなどを見て理解し、ストーリーに夢中になることが出来る。たとえば僕は小学生の頃、サザンオールスターズ(全盛期)の楽曲を聴いて、ああこれが大人の恋愛というものなのか、と、その切ないメロディと、そこに込められたストーリーや感情に心を動かされたのだ。まだ小学生だから、そんなのわかるはずないのだが、音楽を通じて表現される感情や物語は理解できるのだ。それが音楽やアートの素晴らしいところだとも言える。
しかし現実に自分の人生の中で人を好きになるという経験は、それとはまったく違う。少なくとも僕にとっては、まったく違ったものだった。
僕は13歳の頃、まさに思春期の頃であるが、初めて人を好きになった。
そして、ある意味では、それは僕にとっては人並みに「恋」という感情を経験した人生で唯一の機会であったかもしれない。
過去に僕は、ネット上のこのような日記の中で、「嫁さんへの感情は恋ですらなかった」といった言葉を書いてお叱りを受けたことがある。
確かに普通は理解できないかもしれない。
が、これは、僕の実感であって、僕が当時、うちの嫁に対して感じていた感情は、一般的に世間で言うところの恋愛感情として認識されるようなものではなく、そんなものよりもはるかに原初的で、はるかに大きく、そもそも好きとか嫌いとかそういう事ですらなく、意図的に判断するとか抗うとかそういう次元のものではなかったという意味合いである。
愛とはこの世界のものではない。
イエス・キリストがそうであったように、愛とはこの世界のことわりの外にあるものだ。
愛とは異質なものであり、僕たち人間の理解の及ばないものだ。
Van Halenの書いたラブソングのひとつ”Love Walks In”において、Sammy Hagarが「愛はまるでエイリアンのように」と歌っているのは確かに言い得て妙であって、耳あたりのよい言葉を並べたラブソングよりも、その意味では愛という存在をよく表現している。
そういう意味では僕にとっては嫁さんとの出会いは「未知との遭遇」でしかなかった。
僕は、神の存在というか、神の導き、神の介入、そして「やるのか、やらんのか」という選択肢すら最初からないような問いかけ、そのような人生においての直接的な神からの介入を感じたのは、その時が初めてだったと思っている。
だから、当時でさえ僕は、「彼女のことが可愛いな、大好きだ」と思って嫁さんに会いにいったわけではなく、「なんで僕はこんなことをしなければならないのだ」と半ば撫然としつつ、『神に言われるまま』(あるいは、神だかなんだかわからん存在)、仕方なくそうしていたのである。
そして成人してからは、やはりそもそも女性に興味がない。
嫁はんが居るからというのはもちろんだが、そもそも世間、というよりはこの世界そのものと距離を感じていたから、そこにいる人間にリアリティを感じなかった。まったくもって興味関心の外側だったと言っていい。そして、そのこと自体は結構な悲劇であるのだが、それはまた別の話であり、同時にまた芸術家のはしくれを名乗るのであれば前提ともなる話である。
であるから、もしうちの嫁はんをカウントに入れていいのであれば、僕は人生の中で、二人の女性に恋をしたと言える。
そして、なんならその二人が一緒に写っている写真すらある。
けれども、それらの出会いには音楽的な意味があった。
すべては音楽によって導かれていた。
それは13歳当時の僕には知る由もないことだった。
それがどんな経緯であれ、どんな偶然やくだらない理由であれ、あるいはどんな超自然的な力によって導かれたにせよしないにせよ、僕が「うちの嫁さん」を選び、彼女と一緒の人生を選んだということは、「ヘヴィメタル」を選んだという事である。
しかもそれは、伝統的、古典的な正統派のヘヴィメタルを、である。
ジャンルが細分化し蛸壺の中に入っていった時代以降のものではなく、まだ王道というものが存在していた時代の古典を、である。
「安定した生活」でもなく、
「堅実な人生」でもなく、
「尊敬される仕事」でもなく、
「幸せな家庭生活」でもなく、
また、
「おしゃれな音楽」でもなく、
「おしゃれな生活」でもなく、
「人から羨ましがられるような、いい感じ」の人生、生活、家庭、夫婦、でもなく。
ぐっちゃぐっちゃの、
無軌道で理不尽な、
底辺を這いずるような、
不器用で醜い、
矛盾に満ちた、
誰からも理解されぬような、
人から指を差され、目を背けられるような、
そんな生き方。
それでも、ひきかえに「ヘヴィメタル」を選んだのだ。
それであったとしても、
奇跡と、導きと、感動と、勝利と、他人には解らないかもしれない栄光に満ち、
それでも信じられる、そう言える。
そして人には解らないかもしれぬが、測りきれないほどの幸せが、そこにあった。
そして間違いなく音楽はそこにあった。
ある意味で僕は確かに、知らぬうちに「ブルーズ」を選んでいたのであり、また「ブルーズ」を生きることを望んだのであり、
そして必然的に愛は僕たちを「ゴスペル」へと導いたのだ。
愛という感情は人間が持つ中でもっとも強いものだ。
そしてまた、それがこの世界においてもっとも強い「なにものか」であることも事実だ。
人間は霊的な力を本来持っている。大きな力を本来持っている。
しかし、その力の行使にあたっては基本的に制限がかかっている。
そのような力を行使するには、大きなリスクがあり、危険がある。想像することは可能だと思うが、超能力者や異能者といったものは、なりたくてそうなるものではない。
だが時に人をしてそのような力を行使させるのは、それはやはり愛によって突き動かされる時だ。
山に登るためには理由が必要だ。
登山家に聞けばまた違った答えが返ってくるかもしれないが。
そこには個人的な動機が必要であり、山に登るという行為はそのための手段のひとつでしかない。
登山家は山に登ること自体が目標かもしれないが、本来、山を登る人間にとって、山を登るか登らないかといった事はどうでもいいのだ。
そこにあるのは個人的な愛であり、個人的な約束である。
僕がこのような人生を貫いてきたのも、それは個人的な愛であり、また個人的な約束を果たすためだったと言える。
そしてここまで、様々な事を経つつも、その約束はおおむね果たしてきたように思う。
音を交わし、魂を重ね、信じる何かを通じて交流してきた様々な人物との約束は、自分自身が人生をかけて音を探し、鳴らし、つかみとることで果たして来た気がする。
だが本当にそうだろうか。
僕はそのことを自分に問うてきたし、常に考えてきた。
僕はその方に胸を張って恥ずかしくないだけの結果を残せただろうか。
人生の中で、目標とする人物、偉大な存在、尊敬する先人、また諸先輩方、お世話になった方々も含め、様々な人物が居るものの、同世代の音楽家として、僕が本当に乗り越えたいと思っていて、ある意味でライバル視しているのは同郷の彼女だけである。
あらゆる数字や結果を鑑みるに、もちろん頑張ってきた自負はあるが、まだまだ彼女のやったことを超えられないと思う部分がある。
そこについて、完全に乗り越えたと思える日が果たしてくるのだろうか。
そう思える日が来るとすれば、それは僕自身が見据えている「偉大な何か」を実現した時ではないだろうか。
そういえば最近、若き頃の自分の思いをあらためて実感する出来事があった。
最近とは言っても2、3ヶ月ほど前のことかもしれない。
音楽を聴き、若き頃の純粋な思いを思い出した。
それは思春期の頃の自らの思い。
ロックの初期衝動とも呼べる感情、その根源となるものだ。
それは思春期における「恋」とでも呼べる感情とダイレクトにつながっており、つまりそれは人生の中で理想を求める気持ちそのものだった。
人生において、魂が求めるすべてを指し示す感情だった。
自分は、理想に向かって、大きな何かに向かって、まっすぐに努力し、ひたむきに研鑽し、そしてひたすらに突き進むことを望んでいたのである。
人は本来、そのような大きな理想に向かって、ひたむきに努力し、前に進む事を望むものだ。その気持ちを思い出した。
ひたむきで純粋であった少年時代。そしてその時、あの方がそこにいた。
僕があの方への思いを表現するのは、むしろこれからだ。
あの方が僕に与えてくれたストーリー。
あの方が僕に与えてくれた理想。
そこにふさわしい答えをつかむには、まだまだ努力が必要だ。
あの少年の日に、彼女が与えてくれたもの、それにふさわしいものをお返しするためには、まだまだ精進していかねばならない。
男というか、男の子は理想を追いかけるものだ。
そして志を追うものだ。
昔の時代であれば、その志とは、武士道であったり、忠義であったり、愛国といったものであったかもしれない。科学や医学であったり、立身出世であったり、実業や実学を以て社会に貢献することだったかもしれない。
だが、僕たちが見つけた志とは、もっと大きなものだった。
そして、たぶん僕はそれを信じられるほどにはクレイジーだった。
その約束を、僕は様々な人と、交わしたような気がしている。あの頃、若き日に。
あの人の存在は、僕にとっては、それらの約束の象徴だ。
そして、若き日の、まだ純粋だった少年時代の自分が魂の中で求めていた理想でもある。
しかし、その理想は「最先端のおしゃれなXXX」ではなく、古典的かつ普遍的なヘヴィメタルの中にこそあった。
それはもう、長い旅路と経験を経て、答としてわかっていることであり、示されていることだ。最先端のおしゃれなXXX(呼び方を知らん。呼び方は変わる)では、僕の求める場所には辿り着かない。それがはっきりしてしまったのだ。
泥臭くとも、汗と涙と血にまみれた音楽。人類の悲劇を、神のドラマを。十字架の本質を表現する音楽。
ゴスペル、ブルーズ、ハードロック、そして古典本来のヘヴィメタル。
僕が求める本道は、やはりそこにあったのだ。
僕は一人の少女に恋をしたのではなく、少年の心に求めていた、もっと大きなものに恋をしていたのである。真面目に、ひたむきに、真心と努力によって追い求めることが出来る真実と呼べるものにである。
僕の解釈によれば、「恋」とは運命の呼び声に他ならないからだ。
だからこそ少年は旅立ち、そしてヘヴィメタルそのものと言える女性と出会った。
夢によって導かれて、人に出会うということがあるだろうか。
僕のいわゆる「初恋」が実ったとすれば、それは音楽的な意味においてである。
そして、それは夢に導かれて始まったものだった。
まさかあのような形で、少年時代のラブレターの返事を受け取るとは思ってもいなかったからだ。
おそらく僕たちは、音楽を通じて、象徴的な互いの存在をテーマとして音を鳴らし、青春の純粋な思いをそこにキャプチャーし、音を贈り合ったのだろうと思う。
かといって、大人になった自分にとっては、彼女の存在は特段に自分の好みというわけではない。大人になるとはそういうことであり、現実はそういったものだ。
別にもう生きて会う機会もあるまい、と忘れていたが、
そう思えばそう思ったで、運命は霊によって人を結びつける。
(普通なら会いに行こうと思うところかもしれないが、僕はわりと薄情である)
夢はその表れ(現れ)のひとつにすぎないのだと思う。
曲は持って帰れなかったが、そんなことはどうでもいい。
その気になれば、まだいくらでも書ける。そうわかっている。
そんなことよりも、思いが伝わることの方が大切なことである。
それは相手が人であれ、人でないものであれ、神であれ、同じことだ。
彼女に「可能性に目を開け」「可能性に心を開け」と言われた気がする。
また単純にそれは「心を開く」「Open your mind」という意味合いであるかもしれない。
言葉にするよりも概念としてそのまま受け取る方が良い。
目を開いてから、ヒントをいくつか探したが、与えられた言葉のひとつは”I already know about my death”というものだ。文脈がないと意味がわからないかもしれない。
それはどのように答えにつなげることもできる。
I already know と読むことも出来るし、IをYouに変えることも出来るし、deathをlifeに読み替えることも可能だ。
その他にもたくさんメッセージを受け取り、また示唆されているのだと思う。
しかし、人間の意識ではそれらをすべて認識し、認知することは難しい。
けれども、僕の霊の領域はそれらを受け取り、運命へと変えていくであろうと思う。
運命の少女に、ありがとう。
Ozzy Osbourneに、ありがとう。追悼の意味で。
僕はソーシャルメディアのコメントに、
14-year-old me could not have survived without Ozzy’s music
14歳当時の僕はオジーの音楽がなければ生き延びることが出来なかったかもしれない
と書いたが、それは誇張でもなんでもないのだ。
そのような思春期を、僕も経てきたという事なのだ。
そして同じ言葉は、同様に彼女について言うことも出来る。
あなたがくれた笑顔が、些細ないくつかの言葉がなければ、あるいは僕は生きていなかったかもしれないのだ。
そしてあなたもまた、よく考えると、オジーによく似た、オジーのような人であったかもしれない。
(そういえばプロデューサー氏と、オジーについて話し、彼が熱烈なザック・ワイルドのファンだと語っていたことを覚えている。今にして思えば、偶然にしてもよくできた話だ。)
でも、うちの嫁さんはリアルにオジーの物真似の一発芸が出来るくらいに、オジー似だからな。
夢の中にもかかわらず僕はわりとちゃんとしていて線を引いて大人の応対をしていて、なおかつそこで書いた曲を持ち帰ろうと必死にメモライズしようとしていたのが笑える。
いろいろとご期待に応えられなくてほんとすみません。
自分はくそまじめであり、かつ不器用であります。
最後までがんばります。