2019年の7月に、バンドの新ラインナップをようやく、正式に発表することが出来た。
アー写もきちんと撮影して、それっぽくヘヴィメタルな格好をした写真を掲載し、「アンセムの前身バンドのドラマー」という(世間はどう捉えるかわからないが、僕としては熱い事実である)キーワードも添えて、動画も撮影して、ささやかながら新メンバーでの門出を宣言した。
ささやかに活動しているインディーバンドであるから、それが大きな数字につながるような注目を集めることはもともと期待していないが、それでも継続的に活動し、少しずつ話題となり、よりたくさんの人の目と耳に触れることが出来ればいいなと思っている。
さて、多くの人が思うであろう事として、また、確かにそれは認めざるを得ない事実として、今回のこの新ラインナップ、その門出は「ヘヴィメタルの敗者復活戦」であるということだ。
たぶん、そういうふうに思われることが多いのだろうし、また、そういう切り口で捉えると、話題としてもわかりやすいかもしれない。
もっとも、今となっては「オヤジバンド」なんて世間に星の数ほどあるし、「ロック」がすでに若者の音楽ではない以上、歳をとってからの再始動には新鮮な話題性があるわけでは必ずしも無いけれども。
Kojiさんは、その経歴を見ればわかる通り、日本のヘヴィメタル(ジャパメタ)の黎明期に活躍し、かつての仲間たちが大きな成功を手にしながらも、自らはそこには立たなかった人だ。(それが良かったか、悪かったかは別にして)
Marieは、少女時代にはバンドを志しながら、プレイヤーとしては芽が出ず、舞台裏からバンドを、そしてヘヴィメタルというものを、支えてきた人だ。
そして僕は、自分のバンドで何度かは「成功のチャンス」を視界に捉えながらも、色々な事情でそのチャンスに手を伸ばすことが出来ず、ここまでやってきた人間だ。
そんな3人がこうして集まり、新たなバンド活動を本気になって始めるということは、世間から見ればそれは「敗者復活戦」にきっと見えることだろう。
それでいいんじゃないかと思う。
幸いにして「ヘヴィメタル」というものは、
そんな「再挑戦」を許してくれるほどに懐が深い音楽だった。
そしてヘヴィメタルというものは、そこまでして、長い時間をかけ、人生をかけて追求するほどに、十分な価値を持ったものだった。
僕はそう思っている。
ここでひとつ、マンガという題材で申し訳ないのだが、例に出したい作品がある。
僕は、音楽を扱った漫画、バンド漫画といったものは、あまり好きではない方だった。
それは、漫画のみならず、映画やドラマでもそうであるように、ほとんどの場合、その内容が現実とは大きくかけ離れているからだ。
けれども、昔のマンガで、「ヘヴィメタル甲子園」というものがあった。
(いや、表記は「ヘビメタ甲子園」だったか?)
内容は破天荒なギャグ漫画以外の何物でもないのだけれども、その物語は、やはり「敗者復活戦」であり、
今ではもう無くなってしまった「ヘヴィメタル」や「ロック」といったものを甦らせるため、どこにでもいる一般市民となったかつてのバンドメンバーを再結集させ、新たな活動を始める、というお話だ。
かなりくだらないストーリーの漫画であったのだが、今になって読み返すと、この作品は、「ロック」というものが死に絶えてしまった後の、21世紀現在のことを予見して描かれているように思えてくる。
そしてサラリーマンであったり、学校の教師であったり、料理人であったり、そのようなどこにでもいる普通の人たちが、志を持って、情熱を燃やしてロックするからこそ、美しいのであり、そしてそれはロックというものの本質を表していると思う。
きっと世界中にいるたくさんの「オヤジバンド」がそうであるように、
僕たちがやろうとしているのも、そんな「ヘヴィメタル甲子園」の実写版である。
そしてもうひとつ例を上げれば、それは「Bill&Ted」でもあると思う。
タイムトラベラーとなったビルとテッドのバンド”Wyld Stallyns”が、そのロックの精神と価値観が、世界の歴史を変えてしまったように、「ロックは世界を変えられる」という、そんなピュアな夢を、おそらく僕たちは今でも追い続けているのだと思う。
そしてそれは、人気のあるメジャーバンドではなく、市井の舞台で自由に音を鳴らすインディーバンドの特権ではないかと思う。
あらゆるロックバンドが夢を失ってしまった時代に、そんな僕らだからこそ、もっとも遠くへと行くための「最涯の音」を、この日本の地で鳴らしてみたい。
どこまでやれるかは、やってみなければわからないけれど、
あたたかく見守り、そして声援を送ってくれたら嬉しいです。
どうぞよろしく。