聴覚というものは年齢とともに衰えると言われている。
そして、それは実際、人間は年齢とともに様々なものが衰えるので仕方のないことだし、それが自然なことだ。
僕はわりと高い周波数が聴こえているという自覚はある。
世の中には耳のいい人はたくさんいるし、たとえばサウンドエンジニアの人とか、音を扱うプロの方々の中には、耳がすごくいい人はたくさんいるだろう。
その意味では僕は音に親しんでいる人間の中では平均的なところではないかと推測している。
この話題は、昔にMixiとかの日記に書いたことがあるし、このウェブサイトの日記の記録にもあるかもしれないが、たとえば昔から、街中を歩いていて、それらの音を聴くことがある。
「スーパーの野菜売り場」とか「雑居ビルの入口」とか「ホームセンターの園芸用品売り場」とかで、たまにバチバチなってる、あのうるさいやつ、と言って、「ああ、あれね、やかましいよね」と同意してくれる人って、どのくらいいるのだろうか。
たぶんあれは、ネズミとか害虫よけの高周波の発生装置なのだと思うけれど、かなりの大音量で鳴り響いているので、聴こえる人、感じることの出来る人には、かなり迷惑なはずだ。高い音って、かなり圧迫感があるしね。
いつも決まった場所で鳴っていたりするんだけど、うちの嫁さんに聞いてみると、わかんないらしいんだよね。
前にググってみた時には、あんまり情報は出て来なかった。
今は、なんか怖いからぐぐる気がしないからやめておく。
どれくらいの割合の人が、あれを「迷惑」と感じているのだろう。
いつ頃から認識するようになったのかは定かではないが、
僕にとっては、この耳でわりと高い方の周波数を聴くことってのは、なんかしらないけれど意味のあることで、僕が数年前から自覚するようになった「スタンド能力」とも関連している。
記憶している限りでは、あの「バチバチ」でうるさいなあ、と思った記憶は、20代の頃にすでにあった。それより昔の記憶は覚えていない。
自分は大した機材を持っていないので、また、日常の中で、ちゃんとした機材につないでテストする、という機会はあまりなかったので、「ちゃんと測る」という自覚はないのだけれど、
時折、ちゃんと聴こえるだろうか、と思ってプラグインのテスト用のオシレーターだかジェネレーターを使って、サイン波を出力して聴いてみることがあった。
たとえば健康診断などで聴力検査がある。
そこで調べられる周波数は、なんかサイン波とかで、1kおよび4kとか、検査表の項目を見ても、やったとしてもせいぜい7kとかの音だ。
これは視力検査と比較すると、すごく簡易なもののように思う。
視力検査では、かなり細かく調べたりするのに、聴覚に関しては、「すごく大きな印」と、「それよりちょっと小さな印」を見せられて、「はい、見えてますね、オッケーですよ」くらいのものではないだろうか。
これはつまり、人間の社会というものが、視覚情報に頼って生活しているので、視覚に比べて聴覚はわりとどうでもいい扱いにされている、ということでもあると思う。
また、目に見えるもの、つまり「形のある」ものと違って、音というものは形のないものであるから、余計にそうだ。
味覚に関しては、食べることは生きるために必須であるから、もう少しちゃんと取り組みがされているように思うが、聴覚、音、ということに関しては、人間社会の中で、かなり「おざなり」にされているように常に感じている。
聴覚検査ってことで言えば、これは4kHzとか7kHzで検査をする、ということは、人によってはそうした4kや7kの音が聴こえない、聴こえづらい人がいる、ということのように思われる。
たとえば言語で、日本語と英語を例にとってもやっぱり周波数が違うけれど、その話は今日はしないでおこう。日本語はすごく母音が中心になった言葉だから、周波数は低いのよね。これは歌う時の言葉の乗せ方っていうだけじゃなく、ロックのサウンド全般にもやっぱり関わってくるところだ。
音の聴こえ方は人によって違う。
つまり、同じ音楽を聞いたとしても、人によってそもそも耳の構造や形が違うし、感度も違う。
これは驚くべきことのように思うし、いやしくも音楽に取り組む者のはしくれとしては、考えさせられることだ。
僕は音楽を演奏したり、作ったり、聴く上で、自分にとって大切な情報は、低音よりもむしろ、ハイミッドより上の高い方の周波数にあるように、いつも感じているし、いつも感じていた。
だが、これは、人によってはそもそも聴こえない、感度の悪い周波数であるのかもしれない。それは、ちょっと考え込んでしまう現実だ。
でも、音っていうのは、耳だけではなく、振動や体感として、体全体で感じるものでもあるから、やっぱりそれほど、心配はしていないけれども。
目を開く、というのと同様に、耳を開く、という現象もきっとあるはずだ。
僕は昨年、引っ越して以来、やっと、わりと最低限のモニタースピーカーをデスクの上に置いて、作業をするようになった。
それまでは、驚くべきことだが、非常に安物のパソコン用のスピーカーでやっていた時期もあるし、2014年から2018年にかけてのすべての制作は、笑われるかもしれないがFostexのPM0.3でやってしまっていた。低音は無視、と割り切るか、密閉型のヘッドホンで確認するしかなかったわけだが。
普段、ギター用の安物のオーディオインターフェイスしかつないでいなかったので、それの再生能力もあやしいものであるから、「検査」しようと思っても、精度はあてにならなかった。
ヘッドホンでやってしまうこともあったが、やってみるとわかるのは、たとえば手持ちのヘッドホンで、CADの「録り」用途の密閉型のやつは、18kとか19kとかの音は、実はあんまり出ていないことがわかった。けれども定番ではあるがAKGのK240のやつ(オープンだっけ、半密閉だっけ、ああ、今見たらセミオープンって書いてあった)は、ちゃんと19kとか20kも聞き取れた。
一応ことわっておくけど、うるさいから、それはヘッドホンをかぶってやるんじゃなくて、かぶらないで手に持って鳴らすのよ。
で、引越しして、まだまだ安物だけれど、今はもうちょっとまともなモニタースピーカーがあるので、また最近、普段のポジョションにもTascamのオーディオインターフェイスが置いてあるようになったので、先日、ギターを弾くついでに、ちょっとジェネレーターのプラグインを立ち上げて、16kから上の音を順番に鳴らしてみた。
年齢が上がるにつれて聴こえなくなる、と言われているので、僕も、いったい何歳まで19kとか20kが聴こえるだろうか、と思っているけれど。
90年代に青春を過ごした僕はすでにフォーティーサムシングなわけだが、
まだ18kも19kも普通に聴こえた。
というか、いつも適当にやっていたので、ちゃんと検査したのは初めて、くらいだったと思う。
部屋に置いてあるモニターが多少ましなものになったから、やれたのだ。
ちなみに、何年か前に試した時には、うちの嫁さんは、16kくらいですでに「わかんない」と言っていた。なので、聴こえない人にはやはり聞こえないらしい。
周波数が上に行くほど、やはり再生能力も落ちるし、僕の耳も鈍感になるので、少しずつ音量のつまみを上げることになる。
いつも思うが、隣の部屋で飼われている猫ちゃんには迷惑な話かもしれない。
僕は絶対音感はないので、これまであまり気にしたことはなかったが、音程のことを考えてみると、僕の耳は19kの音をCシャープであると認識した。
だが、後でメーター上の数値を見てみると、どうやら19kHzというのはDの音にあたるらしい。
まあ、だいたい合っていた、ということで。笑。
それくらいの高い周波数の、音程の感じ方には、そういった法則や感じ方の傾向があるのかもしれないし、単純に僕の耳の感度が悪いだけかもしれない。
これってギターの1弦のチューニングとかにも関連のある話かもしれないね。僕は1弦はわりと高めにチューニングしてしまう傾向があるから。
と、いったわけで、単純に、この時、この年齢で、自分はまだ19キロヘルツの音が聴こえていた、という記録を残しておきたかっただけだ。
たとえばこれは、2年後には聴こえなくなっているかもしれない。
僕は視力は、まだ1.0とか1.5はあると思うが、かといって疲れているときに見づらいとか、ピントが合うのに時間がかかるようになってきたのは感じている。
また、自分の消化器官に関しても、たとえば大食いが何歳まで出来るか、とか、そういうの、馬鹿みたいな話だけれど。
スケートボードが何歳まで出来るか、ということももちろんある。
しかし本当のところは肉体の衰えよりも気力の衰えの方が問題かもしれない。
いずれにしても衰えていくには違いない、これは自分の肉体と向き合っていく作業の一貫だ。
たぶん、衰えた時に、では、どうやって物事を感じ取るか、という話になってくる。
きっと、そういうスピリチュアルな話につながっていくはずだと思う、笑。
でも、その話は、またその時になったらわかるだろうから、今はしない。