間違いだらけのセルフマスタリング

レコーディングの音作りの話だ。

僕らはインディで、本当に孤立無援のインディで、また制作的にも、性格的にも、僕は自分で音を作ってしまう方が方針に合っていたので、これまでもだいたいほとんど、録音制作については、自分で音を作ってしまっていた。

 

その音作り、ミックス、などなどの処理に関しては、振り返ると間違いだらけである。

その経験を生かして、他人様のために作業をするのであれば、なるべく間違わない仕事をしたいと思っている。別に、そういった商売はやっていないし、永遠にやらないかもしれないけれど。

なぜなら自分の作品、自分たちの作品を作る時には、とても個人的かつ、感情的である。
僕は「ちゃんとした音」にすることよりも、メッセージが伝わる音にすることの方を優先する考え方だし、自分たちの作品の場合には、定石とかルールは無視しまくっている。

けれども、もちろん、人様のためにレコーディング作業をするのであれば、もちろんそういった基本的なルールは守らなくてはならない。

 

自分でやっていると色々と限界もある。
というか限界だらけだ。

機材の限界、ということはとても大きかった。
それから環境の限界、ということも非常に大きかった。

 

どうしても生活環境の中でミックス等の作業を行うことになるため、その環境の影響をとても大きく受ける。
そして、その時に、忙しい時期だったり、気持ちに余裕がなかったりすると、やっぱりその影響を受ける。

たとえば、ドラムを録ろうと思った時に、2chぶんの入力しかないインターフェイスしか持っていなかったり。
たとえば、まともなモニタースピーカーを、所持していなかったり。

(昔、録音制作を始めた頃に、わりと悪くないモニタースピーカーを所持していたのだが、それはバンド活動を続けるうちに、生活の関係とか、「録音どうでもいい」な時期があったりして、手放してしまい、本当に、パソコン用のスピーカーとかで聴いていた時期すらあったのだ)

でもほら、予算がなかったんだから仕方がないではないか。
やってくれる人もいなかった。
その時に出来る最善は、それしかなかったのだ。

 

たとえば、近いところでいうと、2017年末に録音し、2018年初頭にミックスしたところの、[Tone-Hassy-Jake]体制の最後の作品である”Overture”アルバム。

あれは、あの3人での最後の作品ということでもあり、また、別れる前に最後にもう一枚作ろう、ということで、かなり急いで作った作品でもあり、急いだぶん、内容的に中途半端な部分もあり、また感情的にも、すごく感情的になって作った作品だ。

なので、悪い作品ではないが、ミックスの上では、ミスをいっぱいやっている。
もちろん、その逆に、うまくいった部分もあるけれど、大きなミスもいくつかある。

でも、はっきり言うと、「それでいいや」と僕は割り切って作ったのだった。
メッセージが伝わればいいや、って。
で、実際、わりと伝わっているみたいだし。

具体的な言い訳は書かないでおこう。

 

記念碑的な作品である“Jesus Wind”アルバムにおいても、いくつかのミスがやっぱりある。ただ、あの作品は、それでもわりと、なぜだかうまいぐあいにうまくいってくれた作品だと思う。それは、やっぱり気合いが入っていたからだろう。

環境、機材、ってことで言えば、プラグインも限られていたけれど、Plugin Allianceのプラグインを使うようになったのは、僕はその”Jesus Wind”からで、その後、PAのプラグインを買い足していって、それでやっぱりクオリティは上がっていったんだよね。いろいろと勉強になったし。

その前の”Revive The World”なんかは、LogicPro9の標準装備のプラグイン、プラスアルファ、くらいだからね。
ミキシングの基本についても、何にもわかってなかったと思う。

 

僕は、いわゆる「マスタリング」の処理において、ずっと某、有名ソフトウェアの古いバージョンを長いこと使い続けていたのだけれども、
確か、そのセッティングだか、もういっこ新しいバージョンを使った時の、初期設定のせいで、

そのせいで、たとえば”Revive The World”あたりは、ビット数の天井を全然開けておらず、いわゆるTrue Peakのクリップは、これでもかっていうくらいに発生してしまっているだろうと思う。

すごく、下品な。
ちゃんとしたエンジニアの方からしてみれば、ありえないくらいに下品なマスタリングの処理だと言える。

実際に、僕らのバンドの作品のうち、ある時期の作品に関しては、たとえば、ある種の古いCDプレイヤーで再生した時に、この「True Peak」ってやつによって歪んでしまってまともに再生が出来ない、みたいなアルバムが、何枚かあるかもしれない。
(けれども、そういうCDプレイヤーっていうのも、実際には限られていると思う)

 

だが、インディバンドで必死にやっている立場からすれば、そういうのは再生する側の問題であって、作る側としてはこれで精一杯だ、としか言えない部分もある。

そして自分の感じていることを言えば、僕はこの”True Peak”ってやつをあまり信用していない。
どっちにしてもトランスペアレント(that overused buzz word)な、と言われる”True Peak”タイプのマスタリングリミッターは、僕はちょっと、音が気に入らないことが多いのだ。

今に始まった話ではないし、もうとっくに手遅れな話ではあるが、こうやって皆、「次の時代の標準」に遅れまいと、人間味のない音に乗っかっていき、音楽は次第に牙を失っていくことになる。(みたいに感じている)

 

どっちにしても、それくらいに下品なマスタリング処理で作品をたくさん作ってしまった記憶がある。

僕がエンジニアリングとかミックスについて、多少わかってきたのは、ごくごく最近のことだ。

“Overture”は、あの3人での最後の作品であったと同時に、自分の中では”Nabeshima”への試金石でもあった。だから、色々と試していた。

その”Overture”の反省を生かした形で、”Nabeshima”の録音に全力で取り組んだ。

リリースはいつになるかわからないが、”Nabeshima”において、僕はやっと、人生で初めて、「わりと基本に忠実な」レコーディングが出来たと感じている。

自分にしては上出来だと言えるし、あるいは、たぶん人生で最高到達地点かもしれない。

だけれども、マスタリング作業においては、やっぱり、それなりに下品に「ぶっこんだ」処理をしてしまった。
それは、別にラウドネスウォーもとっくに終結してるし、今回の作品はヴィンテージ志向だし、音量は上げる必要ないよな、と思っていたんだけれども、実際にマスタリング作業をしてみると、やっぱり「よっしゃ、いけー!」みたいなノリで、かなりぶっこんでしまったのである。

人によっては、このマスタリング処理には文句があるかもしれないが、僕は、やっぱりこれでいいと考えている。

つまり、僕の考える「ヴィンテージ」とは、どちらかといえば「ぶっこんだ」方のヴィンテージだったのだと思う。うん、知ってた。たぶん、前から。

 

 

で、このマスタリングについてのラウドネス処理ってことに関しても、僕は本当に、マイペースで考えてきたので。

2000年代の、いわゆる音圧戦争、音圧競争、Loudness Warの真っ只中で音楽を作っていた世代の人間としては。
マスタリング処理は、ぶっこんで当たり前じゃん、みたいなところがあった。

で、近年、4、5年くらい前から、ストリーミングサービス各社が、自動で音量を調整するようになって、ついにこの「ラウドネス戦争」が終結した、みたいな話は、なんとなく聴いていた。
けれど、「へえ、そうなの」としか思っていなかった。

で、みんな、LUFSって言ってるじゃん。
なんだよ、LUFSって、とか思っていたけれど(怒られそうだ)、
先日、ようやく、このLUFSの付いたメーターのプラグインを入手してね(笑)
遅過ぎるわ、って話なんだけれども。

 

で、ああ、そうね、今はDynamics is the new loudなんだよね、とか思って。

 

今、うちのバンドはベスト盤を企画してるじゃん。
で、それのリマスターの作業を、10月くらいにやっとやったのよ。
10月にやって、11月にもういっぺんやり直したんだっけか。

そのLUFSっていうのを鑑みて、前みたいに目一杯突っ込むんじゃなくて、もうちょっと「ダイナミクス」を維持した処理をしてみよう、と思って。

うまくいってるかはわからないけれど、少なくともLUFSの数値の上では、以前よりは突っ込んでいない。
-9とか-10とか、そのくらいになっていると思う。
いや、それでも大き過ぎるわい、って言われるかもしれないが。

 

Patreonのマンスリーソングを毎月、制作しているけれど、その意味では、10月の曲から、やっぱり、それまでの「突っ込み過ぎ」を反省して、やはり-10くらいに留めていると思う。

ただ、それは、意識して狙ったというよりは、その方が曲に合っていたから。

今月、これからリリースするアコースティックEP「血まみれのアコースティック」(Bloody Acoustics)も、同様に、-10dB LUFSくらいになっていると思う。
でも、これは、内容がアコースティックものだったので、自然の成り行きと言える。
(といっても、エレクトリックも入ってるし、ドラムも多少入っていたり、純粋にアコースティックだけではないのだけれど)

 

と、まぁ、これまでもいつもいつも、ミックスしている時に、「いい感じだな」と思っていても、マスタリング処理の際に、「なんでこんなに突っ込んで、音が変わっちゃうじゃないか」と思っていた面ももちろんあったので。

その意味では、それほど突っ込まないで作品を仕上げることが出来るのは、有り難いといえば有り難い。

けれども、それでも、やっぱり、
僕は、この現代のストリーミング時代における「LUFSゲーム」も、また、音圧戦争が形を変えただけのものに過ぎない気が、大いにしている。

その時代のトレンドとか、人々の傾向ってものがあって、みんな、羊の群れのように、同じ方向に行くものだから。

 

突っ込んでしっくりくる音楽もあれば、静かに仕上げてしっくりくる音楽もある。
それは、それぞれだと思う。

で、今回やってみて、うちのバンド、このImari Tonesの音楽については、やっぱり、基本的に、ぶっこんでナンボの音楽である、と僕は感じた。

音の純度とか、上品な意味合いでのクオリティに関しては、確かに、リミッターに突っ込むと失われる部分があると思う。
しかし、そもそもが自主制作しているインディバンドであるうちみたいなバンドの場合、そもそもの録音のクオリティで勝負してもしょうがない部分がある。
電源や部屋鳴りやケーブルや位相や、そういった色々なものまで吟味され、何億円もするような機材でレコーディングされた、メジャースタジオの音ではない。

で、あれば、気合いと根性で「なるべく気持ちを伝えてくれる」リミッターや、テープシミュレーターなどに、ぶっこんでみるのも、悪い選択では無いのではないだろうか。

 

確かにダイナミクスは失われるかもしれない。
けれど、音楽に完璧がないように、音響に完璧はない。
何かを得ようとすれば、何かを失うものだ。
皆と同じ音、ではなく、ここでしかありえない音、というものを選んでみても、いいのではないだろうか。

たとえば僕は”Nabeshima”をヴィンテージ志向で処理しようと考えていたが、それは、なんというか、土の中から発掘された、何百年も前の遺物、といった感じの考え方であった。
なので、ダイナミクスをある程度犠牲にすることで、逆にその「遺跡」「遺物」な感じが出ることもあるだろうと思う。ある程度、聴けりゃ、いいじゃん、みたいな。笑。形はある程度、維持されているんだから、いいだろ、って。古いアナログテープみたいに、オーブンで焼く必要は少なくとも無いわけだから。

(それに、かなり突っ込んだにもかかわらず、サウンド自体は、トランスペアレントに維持されていると思うのよ、それは、どうやったかは、秘密ですよ)

 

 

今の風潮だと、「ダイナミクスを維持しなきゃ駄目ですよ」みたいに言われることが多そうだけれども、
そもそも、よく言われる話だと思うが、The Beatlesのサウンド自体、リミッターに突っ込みまくった結果生まれた音だ、というのは、よく知られた話だ。
もちろん、そこで使われた「ヴィンテージリミッター」(Fairchildだっけ)が、良い物だったから、そうなったのだろうけれども。

そうやってリミッターにぶっこんだからこそ、生まれる音もある、ということだと思う。
その音が、愛されることだって十分にあり得る。

音響に完璧はないし、やっぱり、表現することにルールはない。
(業界標準みたいなものはあるけれど)

 

もっとも、あれだ、調べてみれば、当然のことながら、YouTubeやSpotifyといった、現代のインターネットのストリーミングメディア上で、音質的に不利になる、ということはあるかもしれないね。

ただ、それを言うんだったら、僕は、wavファイルをちゃんと聴いてもらいたいんだよね。。。

世の中が劣化したフォーマットを使っているのだから、それに合わせる必要が、どこにあるのか、と僕は感じる。
特に、時間や予算といったリソースの無いインディの人間としては、余計にそう感じる。

自分たちにとってDefinitiveな、wav/aiffのCD規格の16bit音源で、正式な作品、と呼ばせてくれよ、と言いたくなる。

自分としては、そのDefinitiveなバージョンを作りたいし、それしか作りたくない。

ていうか、そもそもCD規格の16bit/44.1kHzだって、多くの人にとっては、十分に音質がいいとは言えないのだから。
(僕ももちろん、せめて24bitのフォーマットで発表できたらいいのに、と常々思っている)

自分が音楽を作り始めた、20年くらい前。
この16bit/44.1kHzってやつに、うーむ、と思って、将来的にはもっと音質の良いフォーマットになっていくだろうか、と考えていたこともあったけれど。
現実はその逆になったわけだ。

世の中は音質の悪い方向に向かっていったわけだ。

これはたぶん、僕にとっても、人類全体にとっても、決して幸せなことではなかっただろうと思う。

 

 

話は逸れたが、僕は今回、来年にはたぶん発表できると思うけれど、「ベスト盤」の企画のために、過去の楽曲をリマスターした。

その際に、突っ込み過ぎを反省して、多少は音圧を下げて、ダイナミクスを維持するようにしてみた。
(といっても、-9とか-10くらいなので、他人から見たら、まだ大き過ぎる、と言われるかもしれない)

また同時に、過去にやった処理を反省して、ああ、あの時はこんな無茶な処理をしたんだー、と、自分で自分を笑いつつ、今はもっと色々と使えるプラグインがあるので、過去よりも、もっと「上品な」「質の良い」処理をしてみた。

もちろん、それで、良くなった部分もある。
けれども、やっぱり、「あの時のあの音は、あの時にやったあの処理でしかあり得ない」という部分も、いっぱい感じた。
たとえ下品な音でもね。

だから、やっぱり、インディバンドのありのままの姿としては、過去に、その時、その時に、行った処理で、やっぱり間違っていなかったのだと思う。

それでしかあり得なかった音、表現というものがある。
それは、自分たちの「立ち位置」ってことでもある。

 

で、もって、いかに世の中が「そういう基準」で動いていたとしても、
インディの立場で音を鳴らす者として、ルールからはみ出そうとも、牙みたいなもの、主張みたいなもの、は、失わずにいたい、牙を抜かれずにいたいなと思う。

なので僕は、自分の気持ちとしては、TruePeak上等、だと思っている。

繰り返すようだが、人様のために作業をする際には、この限りではない。
ちゃんと「-16dB LUFSに合わせて、TruePeakも1dB以上空ける」ように、すると思うよ。笑。

 

今月リリースする、アコースティックEPにも、ミックスの間違いはたくさんあるだろうと思う。
急いで作ったしね。
いつもと違う編成、instrumentationだし、馴れない感じで、バランスがおかしい部分もあるかもしれない。
作風や音楽性もいつもと違うし。

でも、それでいいと思うし、きっとメッセージは、伝わるんじゃないかな。
伝わったらいいな。

 

> 追記 2020年12月19日
言い訳をするわけじゃないが、こんなことを言ってる人が居たよ。動画の最後の方で、現代のラウドネスウォーについて語っている。
僕もこのAndrew Schepsさんと同じようなふうに思っているよ。もちろん、ぜんぜんやってるレベルは違うんだけれども(笑)

 

 

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