身近な人物を安易に起用するのはダメだろうか

うちのバンドのメンバー募集の状況については、
Facebookにフレンド限定でたまに近況報告をしているものの、
記事の性質上、ここにはあんまし書いていない。

そもそも英語では、いまだに3月末をもってのはっしー&ジェイクの脱退も正式にアナウンスしていない。今月、遅くとも来月には、ちゃんと英語でもアナウンスしたいと思っているけれど。

だが、ここにもメモとして書き記しておこうと思う。

これは、数日前に書いた文章である。

 

[技術は未熟だが身近な人物をベーシストに起用するのは是か否か]

その人物をベースに起用する、というアイディアは確かに前からあるにはあるのだが、あまりにも安易な選択であるので、その是非について、友人、知り合いの皆さんに意見を聞いてみたいとは思っている。

Money is not an issue (お金は問題じゃない)って言えたらなあ。
そう本来言うべきだし、そう言えるように努力しているつもりなんだけれど。
お金よりも芸術の方が大事だ、ってね。

お金は問題ではなくても、時間は問題だ。
僕にとってはそっちの方が大切だ。

 

これはただの愚痴で日記でひとりごとです。

というのは、思うこと、どうしようかな、って、自分の思いは日々変わるから。

今日のところはこう思っている、っていう。

 

元ジャパメタの、歳は食っているが強力なドラマーさんをゲット(? たぶん。Hopefully)したこともあり、
ベースについては安易な考えも浮かぶ。
安易な考えに逃げたくなる。

つまり、ドラムがこれだけ演奏力が強力なのだから、ベースは演奏力を重視しなくてもいいんじゃないかという計算、equation。ドラムがこれだけ強力だと、全体の計算が変わってくるからだ。

体質的には悪くないサウンドを持っていて、メタル指数が高くて、ルックスも(メタル的な価値観では)決して悪くない人材が、近いところに居ることには居るからだ。しかも、その人物はクリスチャンだ。クリスチャンでしかもメタルだ。友人知り合いはもちろん誰のことを指しているのかはわかることだろう(笑)

この人物の起用については、人からサジェスチョンをされることは度々あったが、今までそれをしなかったのは、サイドプロジェクトのベタベタな80年代メタルのベースラインならともかく、Imari Tonesの楽曲の複雑なベースラインを、その人物が弾けるはずが無いからである。

 

だが、「鍋島」は一人でも作る、とすでに決めてしまっている。
ちょっと特異な立ち位置の作品になるのは間違いない。
ドラムすら自分で叩こうかと、思っている、思っていた、くらいだ。

だからベースは自分で弾いてしまえばいい。レコーディングではね。

これは複雑なことで、すべてではないし、前任者に対して心苦しいが、ここ2作のレコーディングにおいて、理想的なベースサウンドは、むしろ自分で弾いてしまった曲において得られた、という事情もある。(曲によっては、むしろ彼の方が良かったし、素晴らしいプレイもサウンドも、もちろんやってくれたけれど。まだリリース前だけど、”Mistake”のベースなんか、本当に「はっしー&ジェイク」ならではのサウンドだ。)

 

それで、これからの身の振り方についても、バンドの在り方についても迷っている。決断できない。いっぺんにすべてを解決することは出来ない。

だったら、重く考えずに、とりあえずは最小限、目の前のライブイベントをこなすための、「臨時バンド」でいいじゃないか。

 

で、あれば、「鍋島」のドラムはきっとあの素晴らしきベテランドラマーさんが叩いてくれるだろうから、録音制作は別途進めて、ライヴに関しては、安易な臨時メンバーで、限られた選曲でも出来るだけのことをやればいいんじゃないか。

という発想。

 

そんで、いろんなことの準備をしているうちに、臨時メンバーでほのぼのと暇つぶしをしているうちに、いつの間にか「鍋島」が出来ちゃいました、レコーディング終わっちゃいました、となることを希望している。

そうなるといいな、みたいな、願望というか、あてにするというか。

 

「鍋島」は大作だから、苦しいレコーディング、苦しい制作になるのは間違いない。だから、適当にやってるうちになんか終わっちゃった、みたいな展開を期待したいのだ。

いつのまにか終わってた、っていうふうになればいい。

(無苦の、仏の境地というか、ね、クリスチャンだけど。その領域を使っていきたい。[仏教は本来宗教ではなく、霊と宇宙のサイエンス])

 

その後のことは、またそれから考えればいい。
別に歳食ったって自分の成し遂げたいことは出来ないわけじゃない。

いつも言ってるように、僕は「彫刻家」とか「小説家」とか「陶芸家」になりたい、と思って一人で音楽を作り始めたのだから。

 

もちろん、サポートのベーシストさんにお願いするという手もある。
ありがたいことに、クリスチャンのベーシストの方を中心に、サポートをお願いできそうな人物のあては、3、4人はいる。

だが、サポートをお願いするよりは、どちらにしても臨時なのであれば、くだんの身近な人物の方が長い目で見て得るものがあるかもしれない。自由度も高いし。

 

運営上の問題は、無いわけではない。それは、Time&Moneyだけでなく、色々の意味においてである。だがそれは、家庭の事情でもあるので、人間修行の一環とも呼べる。

運営上の問題は、それを乗り越えることで、むしろバンドの活動に新たなダイナミズムを生み出す可能性もある。より外に向いていくという意味合いにおいて。

けれど、演奏については、たとえばベースラインについては、ある程度簡略化するとか、せざるを得ない部分は出てくるだろう。

 

けれど、そんなことを言えば、この前セッションしたベーシストさんであっても、きちんとした技術を持った方だったが、ジャンル的、スタイル的な要因で、おそらくはベースラインをメタル的な価値観で弾いてもらえない可能性は高い。

その面で言えば、ひとつ良い事を言えば、「くだんの人物」は、サウンドについては僕の音楽の価値観の中では良いものを持っているので、またその価値観も共有しているから、そこ(ベースサウンド)については妥協しなくて済む。

 

サポートをお願いしようかなと思っている人物の中にも、面白い人物、ユニークな方はたくさんいらっしゃるので、それらの方と一緒にやることで、人間的に学ぶこともきっと多いだろう。

だが、くだんの身近な人物にお願いすることで、得られる学び、というか人間面での修行も同じくらい多いような気がする。繰り返すが、それは家庭の問題であるからだ(笑)

つまり、いかに広い心を持つか、気持ちに余裕を持つか、という意味合いにおいて。

 

あれなんだよね、たとえ「臨時メンバーです」って言ったとしても。
年輩のベテランさんをドラマーに迎えるのであれば、フロントについては少しはルックスを重視したい、という事情は、やっぱりある。(知ってのとおり、「くだんの人物」は、シャープなルックスを持った女性である。)

そうはいっても、この前セッションしたベーシストさんに、さきほどこうしてメールを送ってみたので、それにちゃんと返事が来て、ドラマーさんと合わせてみて、よかったら、そのまま平均年齢の高いオヤジバンドで稼働を始めるかもしれない。

 

あとは、やっぱり3人で集まった時に、居心地の良さがあるかどうか。
ファミリー、フレンズ、仲間、という人間のヴァイブが生まれるかどうか。
案外、そこがいちばん重要か。

案外、じゃないな、バンドって本来、そこが本質だ。
音楽って人だもの。

 

まだまだ気持ちは定まらず、いろいろと模索をしておりますので、

気分で、知り合いのベーシストさんにメッセージを投げるかもしれないので、ご迷惑かもしれませんが、大目に見てやってください。

ありがとうございます。

 

 

[その次に書いた記事]

歳は食っているが素晴らしいドラマーさんを、たぶんメンバーとして迎える展開になっている、
が、この人を連れて海外をツアーする、なんていうことは、たぶん出来ないだろう。現状では普通、そうだろうと思う。

んでは、海外ツアーをやろうとするとして、
そしたら、俺一人で行って、
リズム隊は現地調達して、やる、とか。

そういうふうな発想でも良いかもしれないよね?

そしたら、可能性が開けるじゃない。

どうしてもやれないところは一人アコースティックでやればいいんだし。

 

そうやって考えれば、現状、重く考えず、「臨時」ってとらえておいて、国内はこの体制で地道にやれるではないか?

どう??

 

やっぱり今までの10年が、特に最初の5年は、恵まれていたんだと思うんだ。
(ロックバンドの青春という意味で)
3人の仲間で、ツアーという旅路(戦場?)を共にしたわけだからね。アメリカでも、日本でも。

もちろん、これからももっと恵まれるつもりだが、
その形には、もうこだわらなくてもいいんじゃないか。

 

この地球上にあって、自由でいること。
それってどういうことなのか、向き合っていきたい。

そんなふうに思った。

 

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