愛国フットボール世界杯2018

自分の愛国心ゲージは絶え間なく上下しっぱなしだった。

もう何日も前のことになるが。

日本中、見ていたに違いない。
サッカーのワールドカップ、決勝トーナメントのベスト8入りを賭けた、日本対ベルギーの試合。

いや、僕はサッカーについても、スポーツ全般についても、まったく詳しくはなく。

ただ、サッカーっていうスポーツは、他のスポーツと比較しても、すごくお国柄というものが現れるから・・・

ついつい、なんとなく思い入れを持って見てしまう。

 

もともと、あまり期待されておらず、直前の監督解任とか、バタバタのドラマを経て、迎えたワールドカップ。

で、あまり国民の皆さん、期待値が高くなかったであろうところへ、予想外の善戦、そして、予選リーグポーランド戦の、あのコントラバーシャルな、賛否両論のぎりぎりの戦術。

それでも結果を出して、決勝トーナメントまで進出。

これだけでも、多数が予想していなかった善戦。

その上で、強豪ベルギーとの一戦。

すごく善戦しただけに、あの後は、日本中が、いろいろと複雑な思いを抱いたに違いない。

もう少しで勝てたのに、とか、どうして負けてしまったんだろう、とか。

あそこでああしていれば、とか、そういう思いを。

 

そんでもって、僕はスポーツ全般苦手だし、サッカーも普段興味はないし、詳しくもないし、情熱もないし、

そういう素人の、印象論で、ただの気持ちを書かせていただくに過ぎないのだけれど。

そういう前提の上で。

だから、サッカーに詳しい人が読んだら、笑われるかもしれないが。

 

画面の中で、ベルギーの選手が入場してくる様子を見ただけで、うわ、こんなのに勝てるわけないよ、って思ったのね。

なんというのかね、僕がいつも使う言葉で言えば、霊的な、つまり、スピリットの。

選手の人たち、個性豊かじゃない。

おっきいのもいれば、ちいさいのも居て、人種もいろいろ混じってて。

髪型もそれぞれファンキーで。

 

しかも、なんか、さわやかだったのね。

とたんにベルギーという国に興味が出て来てしまって。

なんという、すがすがしいヴァイブを持ったチームだろう、と。

で、能力の高い才能を持った選手たちが、こんなふうに自由でさわやかなヴァイブの下に、結集しているのであれば、こんなのに勝てるわけない、と思ったわけだ。

 

何って、これは笑われるかもしれないが、サッカーに詳しい人には、きっと笑われるだろうけれども、

日本のチームと似ていたのよ。

その、「さわやかなヴァイブ」っていう感じが。

それと、誤解を恐れずに言えば、プレイスタイルがね。

で、同じようなヴァイブ、精神性、スタイルを持った上で、実力に差があるのであれば、その差は、おそらく埋めようのないものとなって、結果に表れる。

そう思ったから、余計に勝ち目がないと思った。

 

で、試合が始まってみたら、とてもさわやかで、すがすがしいゲームだったじゃない。

内容も良かったし。

どちらのチームも、すごくきれいなフェアプレーで、美しいサッカーだった。

ああ、こんな美しいサッカー、日本のナショナルチームも出来るんだあ、って思って。

日本も上手くなったんだなあ、って(失礼)。

僕はサッカーについてそんなに情熱ないし、スポーツに対して情熱ないし、詳しくもないけれど、テレビとかで日本代表の試合見ていて、今まででいちばん見てて面白いなあ、って、素直に思った。そんな試合だったよね。わくわくしたもの。

 

で、こんな相手に勝てるわけない、って、そんな印象だったのに、

後半、いきなり2点リードしたじゃない。

うわ、って思って。

 

つまり、僕の中で、勝手に思っていたんだよね。

人間、自分のことが一番見えないし、自分の出身国、自分が住んでいる国のことも、案外自分たち自身がいちばん見えていない。

だから、もし、こんなとんでもなく素晴らしいヴァイブを持った国のチームに、万が一でも勝てることがあるのであれば、「俺も考えよう」と。

決意をしよう、と。

何を考えるのか、何を決意するのか、それは自分自身でもはっきりとはわからなかったんだけれども、

そんなふうに、一視聴者として、いち国民として、なんか小さなものを、あるいは小さからぬ何かを、その試合の結果に、僕は賭けていた。心の中で、勝手に。

 

全力を尽くして、勝つとか、負けるとか、それはいい。

でも、なんかぐだぐだで負けるのだけはいやだなと思っていた。

はっきりと、答を出して欲しかったから。

その、僕の心の中の小さな賭けに対して。

 

日本はすげえがんばったと思う。

それはみんな同じ意見だろうと思う。

で、結果は、衝撃的な逆転負け。

それについて、国民全員、ほとんどが、複雑な思いを抱いたまま、次の日、次の週を迎えたはずだ。

完膚なきまでにやられるんならともかく、

それなりに勝てる見込みがある展開になったのに、

いつのまにか逆転を許してしまった、という、

ある意味、やっぱりぐだぐだな展開に。

なんで負けてしまったんだろう、

なんで勝てなかったんだろう、と、

その結果をプロセスできない、消化できない、納得できない思いで。

 

いろいろな意見を読んだけれども、

この記事なんかは、サッカー解説者というだけあって、とてもプロフェッショナルな目線を感じた。

https://russia2018.yahoo.co.jp/column/detail/201807040002-spnavi/

もちろん、僕はサッカーにも疎いので、書いてあることの技術論的な部分はわからないが、これを読んでいると、これからどちらに向かって歩いていけばいいのか、そして、その未来に向かって踏み出すヴィジョンが浮かんでくる。わりと前向きに。光が差す、みたいな感覚。

 

で、後半の衝撃的な逆転負け、たてつづけに3点取られる、っていう結果はショックだったに違いないけれども、

やっぱり昨晩のブラジルVSベルギーなんか見てると、あれは決して偶然でも不運でもなく、ベルギーの実力だったことがわかる。

とんでもない、電撃的な速攻の攻撃力を持ったチームだったということが。

 

ブラジル対ベルギーの試合も、素人目線で見ていたんだけれど、

入場してくる時の選手の顔つきというのか、面構えを見た時は、絶対にブラジルの方が強いと思った。

サッカー王国ブラジルが背負ってるものの重みをひしひしと感じた。

そして、ベルギーの選手たちも、日本との試合の時みたいに余裕のある顔はしていなくて、もっと余裕のない、厳しい顔をしていた。

 

そして、試合内容も、素人目には、ブラジルの方が優位に立って進めているように思えた。しかも、結構な技術の差をもって。

けれど、結果はベルギーの勝利だった。

なんかね、サッカー王国ブラジルが、一体感の意識が強くて、チーム全体がひとつの生き物みたいな動きだったのに対して、ベルギーは、色とりどりの個が集まって、それがそのまんま力を合わせてる感じ。言語もばらばらみたいだし、そういう国なのかもしれないね。

 

で、そんな世界のトップの試合を見ると、やはり日本のサッカーとは、歴然としたレベルの違いあるのが、僕みたいな素人にもわかる。

だから、今回、日本のサッカーは素晴らしい善戦をしたが、それはやっと、世界の土俵に手をかけた、というだけに過ぎないのだろう。

なんか、パワーレベルが22,000くらいの相手に、パワーレベル7,000の日本が、「3倍界王拳」みたいのを使って、潜在能力を限界まで引き出してかなり善戦するも、最後は底力の差を見せつけられて力つきる、みたいな展開だったのだろう。

戦うための「前提」みたいなレベルに、これだけ頑張ってやっと、たどりついた、みたいな。

でも、それは「前提」のレベルに過ぎなかったので、そこから先の「戦略」や「技術」がより必要になってくる、という。

 

もっとも、日本のサッカーをめぐる状況を考えたら、この短期間で、よくぞここまで、としか言いようがないのだけれど。

それはやはり、日本人のモラルの高さ、意識の高さ、レベルの高さと考えていいだろう。

 

サッカーは、集団で行うスポーツで、試合の形式上、ゲームの性格上、とても「戦争」に近いと思う。精神的な意味で。

つまり、原始的な意味合いでの戦争を、ゲームとしてすごく象徴できるスポーツ。

だから、世界中の誰もが夢中になる。(人間は野蛮だから)

そして、そこには国民性、お国柄が強く表れるし、国をかけたプライドみたいなものも強く象徴される。

 

スポーツは、もちろん選手の技術、才能、体力、努力、といった要素が重要だけれど、それに劣らないくらい、それを支える環境、人員、土壌、文化、そして、つまりのところ、政治の問題になってくる。政治というのは、広い意味において。

その面でも、日本は、決して恵まれていないとは言わないものの、完璧からは程遠い。

 

で、現代の進化成熟した世界レベルのサッカーでは、そうした技術が高いレベルで完成されていることを前提として、その上で、さらに高度な戦略が必要になってくるのだと思う。

ブラジルVSベルギーの試合を見ていて、素人目には、技術とか、ボール保持率とか、ブラジルの方が上に思えて、さすがサッカー王国、と思ったのだけれども、

結果的にベルギーが勝利したのは、その戦略の部分なのだろうと思う。

(そして、なんか知らんが、「運」も大きかったように思う。)

戦略というか、インテリジェンスというか。

そのインテリジェンス、戦略を支えるために、モラルというか規律、精神的なものが必要とされるのも当然のことで、ベルギーあたりのヨーロッパのチームというのはそういったものも兼ね備えているのだろう。スピリットの面でもね。

試合ごとにそういった戦略を実行できる柔軟性もすごいと思う。

 

本当のことを言えば、日本対ベルギーの試合を見て、その「すがすがしい」「自由な」フェアプレーぶりを見て、僕はすっかりベルギーのチームに魅了されてしまった。

「赤い悪魔」とか通称されているらしいけれど、そんな悪魔呼ばわりされてるネーミングの人たちに限って、天使そのものな内容だったりすることはよくあることで。選手たち、人の良さがすごく表れてる気がする。

だから、ちょっとベルギーという国に興味が出てきた。

 

だから、もしそんなすげえ国に勝てるのであれば、と思ったが、

結果は、衝撃的な逆転負け。

だが、それは不運だったわけでも、何でもなく、

きちんと実力の差が結果になっただけのことだった。

それが日本という国の現在地だった。

それ以上でも、以下でもない。

がんばったし、見込みもあるが、だが、まだまだである、という。

うーん、なんか厳しいな、っていう。

 

だから、試合を見る中で、その結果の成り行きに、自分の中で、小さな何かを賭けていたのだけれど、

その賭けは、はっきりした答というよりは、もやもやして、何とも言いようのない、すごく苦い答になった。

だから、答はやっぱり自分で出さないといけないみたいだ。

 

別に、スポーツの試合でいちいち「祈る」っていう行為、技能を、行使することはないが、いちにわかファンの立場だし、

僕が何かを「祈る」と、それはぜんぜん予想とは違った形で現実になったり、それと代償に、何かが引き換えになったりするので、迂闊に安易に祈らないように、とは思っている。苦い経験がいっぱいあるから。

クリスチャンの人たちが日常的に言う「祈ってるよ」みたいな言葉よりは、もうちょっと真剣に考えたいと思っているけどね。でも、わかんないな。祈り、って、意識してやるものじゃないでしょ? 特に、本当の祈りってやつは。

 

ちなみに、昨晩ついでに、フランスの試合も見たけれど、とんでもない強さだった。

なんというのか、まさに”Discipline”という言葉がぴったりくるくらいに。

いや、フランス語で「規律」って何て言うのか知らないけれど。

こんなのに勝てるチームいるのかな・・・

 

というわけで、僕の愛国心ゲージは、上がったと思えば、また下がり、中途半端で放っておかれるのはつらいので、

人任せにするのはやっぱりやめておく。

 

2018/7/11追記

結局ベルギー対フランスはフランスが勝利した。
フランスの冷徹な試合運びと、攻めあぐねるベルギーが印象的だった。
素人目にはフランスの完勝に思えた。
だが、画面ごしに見てもベルギーという国は楽しそうだ。なんかちょっと変わっている。
英語で言うとweirdという感じだ。良い意味で言う時のウィアード。
僕はヨーロッパの文化にも詳しいわけではなく、ヨーロッパに行った経験も2006年のレコーディングの時だけだが、
文明の成熟したヨーロッパという地にあってベルギーはweirdであることをやめないのであろう。
僕は物事を霊性や精神の形で量りたがる傾向があるが、フランスのナショナルチームは覇者にふさわしい皇帝の戦いぶりだった。
皇帝に勝てるのはあるいは王者かもしれないが、果たしてそんなチームは存在するだろうか。
結局のところベルギーは王者ではなく、変わり者だった。
示唆に富む結果だ。

 

 

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