一夜明けたけれど、
サッカーもスポーツもまるで詳しくない門外漢だけれど、
それでも書いちゃおう。
的外れや主観は、ご容赦。
今回、サッカーの日本代表は、
まるで期待されない中、ワールドカップに出場した。
たくさんの人がはじめから落胆して、きっと3敗して終わりに違いないと思っていた、んだよね、報道によれば。
それが、いろいろと開き直りや、窮鼠猫を噛むといったような状態を生んだのか、
代表チームは、精神的にすごく団結し、強くなって、結果を出した。
技術や、実力、戦力がたとえ劣っていても、
ポテンシャルというものを考えるとき、
精神的に、皆が奮い立って、団結することで、
ここまで力が引き出されるものなのか、という、
そのことを、代表チームは証明してみせたし、
その精神的な底力に皆が感動した。
そして、よくわかんないけど、本田さんとか、
海外で活躍していた異能の選手たちの力がうまく発揮されることになった。
おそらくはそのプラスアルファがうまく作用した。(「たまたま」うまく作用した??)
結果、世界が驚き、てのひらを返したように皆が注目し、期待が高まった。
僕は昨夜、テレビをつけてみたけれど、
もし、神様がいて、いろいろなものを公平に見て、勝敗を決めるのであれば、
報道のあり方というのか、よくわからないけれど、
コメディアンとアイドルグループのような人達が、おもわせぶりに画面に登場しているのを見て、
僕は、「あー、これは、負けるかも」と思った。
サッカーというスポーツが、
国や、国民、民族の、
精神というかあるいは、生命力みたいのの総括である以上は。
気のせいかもしれないが、スポーツ選手とか、見てると、
海外で成果を出すのは、なんか国内の状況として四面楚歌ないしはアウトサイダー的な立ち位置を取ったときが多い気がしている。
祈りの力というものを考えてみたい。
勝負、試合、勝ち負け、
っていうのは、一方が勝って、一方が負ける。
みんなが勝つというわけにはいかない。
敗者がいるから、勝者の栄光がある。
で、祈りという行為があるとすれば、
どちらのチームも、どちらの国も、必死に祈ってるんだ。
でも、どちらかのチームは、負けなければならない。
どちらかの祈りは、神さんはかなえない。(少なくとも直近で見れば)
そこには、必ず、理由がある。
本当に紙一重の勝負だったんだろうし、
松井さんのシュートが、あと5センチ下だったら、
本田さんのシュートが、もう少し右に行っていたら、
そういうシーンがたくさんあったと思う。
どうにもゴールに嫌われていたと思った。
攻撃はどちらの国も下手だったと思う。
パラグアイさんも、ずいぶんと決定的なチャンスをはずしてくれたし、
攻めに関しては凡ミスをたくさんしてくれた。
中盤のボールキープはパラグアイは圧倒的だったけれど、
守備に関しては、日本の守備は神業のように堅かった。
あるいは祈りの力なのかもしれない。
チャンスこそ少なかったけれど、
日本もとてもクレバーでよい攻めをしていたと思う。
本田さんとか、起点にして、すごく美しい鋭い攻めをしていた。
それでも点が入らなかった。
パラグアイの守備がそれだけ良かったということだろうし、
あれだけ、懸命に攻めて駄目だったんだから、しょうがない。
終盤とか、延長は、明らかに日本が圧倒していたよね。
それでも点が入らなかった。
本当に、ゴールに嫌われていた。
あるいはそれは、祈りの差なのかもしれないし、
偶像崇拝の報いなのかもしれない。
現在のポテンシャルとしては、
日本はすごくいっぱいいっぱに出して戦っていたんだろうと思う。
もともと、技術や戦力が無いことが前提の、
独特のスタイルと戦略と、精神的なポテンシャルを最大限に発揮しての、
窮鼠猫を噛む戦い。
それは、おのずと限界があるものであって、
あくまで非常策に過ぎない。
たとえば目標が「優勝」とか上位とか言うんであれば、
そういう上位には通用しないことはわかりきっていた。
そういう意味では、この目の前の戦いは、惜しい敗北だったけれど、
その先を見据えるんであれば、順当というか、ちっとも惜しくはない負けだ、というのが現実だろうと思う。
でも、そういった技術や、地力という面でも、
差が縮まってきている、あるいはこれから縮まっていく、
そういうことを感じさせる戦いには間違いなかったんだろう。
明らかに日本は、一歩前に踏み出すことに成功したし、
サッカーの上で、今まで破れなかったなにかを破って、
ブレイクスルーし、
日本サッカーに新たな一歩、新たな時代を踏み出すことに成功した。
試合を通じて見せてくれた、
サッカー日本代表チームの、
そして日本人の、
精神的な強さ、団結力、献身、圧倒的な粘り。
本当に、誇りに思い、敬意を表したい。
で、結論を言うならば、
本田△ーー、
ていうことに尽きると思う(笑)