2010年5月の日記

■…2010年 5月 5日 (Thu)…….いろいろな機会
このカンファレンスの紹介メールが来て、

こちら

うーん、売り込みのためにも、行ってみたいけど、

ナッシュビル行きの飛行機、

たとえばニューヨークとかロスみたいなメジャーな都市じゃないし、

やっぱ高いんだよね。

無理っぽいなー。

きっと行けばよいネットワーキングと、コネ作り、
なにより経験と勉強になるんだろうけどね。

LeelandとかPillarのライヴも見れちゃうらしいし。

えーと、いろいろと書きたいことあるんですが、
今日はこのへんで。

ていうか書き溜めたの連投します。

No(587)

■…2010年 5月 5日 (Thu)…….Glory Train
もう先週の話になるけれど、

「伝説のバンド」栄光号を見た。

花小金井の小さなライヴハウスで。

うちの教会にいたMさんを始め、
今までいろんな人から、栄光号の話を聞いていた。

いわく、そんな以前から、
おそらくは日本で始めて、
クリスチャンロック、
神へのメッセージを、大きなロックサウンドにのせて、
高らかにうたってしまった人達だと。

インターネットで映像は見ていた。
そのスタイルは、明らかにジミ・ヘンドリクスに影響を受けたものだけれど、
オリジナリティ含めて、そのレベルは非常に高い。

世の中の、トリビュートバンド含め、
ジミヘン的なスタイルの演奏の中でも、
サウンドやギタープレイの面でも、一級品にジミヘンしているのではないかと思った。

そして、それ以上にオリジナリティがある。
それは、才能のある人にしか出来ないことだ。

なにより、僕もクリスチャンロックをやっている人間の一人として、
最近はThe First Christian Heavy Metal from Japanとか名乗ってしまっているし。
日本ではまだ少ないクリスチャンロックをやっている人間の一人としては、

ぜひ見てみたいと思っていたバンドだった。

実際に見てみて、
クリスチャンロックのメッセージ的なものがどうこういう前に、
とても楽しいバンドでありライヴだった。

ロックが本当にかっこいいものだったセヴンティーズのノリと雰囲気を身に纏いつつ、
ファンキーに、クールにロックする。

そして、トシロウ氏の、非常におちゃめで魅力的なキャラクターとともに、
その天性のロックスターぶりが、しっかりと伝わってくるライヴだった。

そして、Twitterで、どこかの人に、
Ricky Nelsonの、Glory Trainという曲が、
いちばん最初のクリスチャンロックだと教わった。

つまりはこれが日本のクリスチャンロックの歴史だ。

こちら

No(588)

■…2010年 5月 5日 (Thu)…….悪魔狩り
ヘヴィメタル、デスメタル、ハードコア、メタルコア界隈の人達が、
ヘルイェー、
という言葉を言うと思うんだけど、

なんでも、聞いたには、本当かどうか、知らないけれど、
この言葉を最初に使い出したのは、
一説には、
マイミクもさせていただいている、
Ogre JapanのGuiltさんらしい。

彼には、みなとみらいの花火を特等席で見せてもらったりと、
お世話になっているし、素晴らしい人物だから、
実際のところ小さなことはあまり気にしていないだろうし、
この言葉はすでに彼のもとを離れてしまっていると思うので、

言ってみると、
また各方面で反感を買いそうなことだけれど、
ヘルイェー、と言っているうちは、
日本のメタルは外国、とくにアメリカには追いつけないんじゃないかという
気がしている、最近。

いや、知らないけどさ、そういうハードコアなデスメタルシーンのことなんて。

Demon Hunterを聞いている。

こちら

名前は何年か前から聞いていた。
マイスペース等でチェックして、これはいいな、とおもっていたもののひとつだ。

クリスチャンデスメタルの有力バンドのひとつで、

たとえばMySpaceやPurevolumeで知り合ったアメリカのキッズ、
ネットに限らず、実際に会って音楽の話をしたアメリカの子たちが、
メタルをあまり聞かないような子であっても、一様に口をそろえて、
Demon Hunterが好きだ、と言っていた。

例によって日本には紹介されてないバンドのひとつなので、
日本ではあんまり一般的に知られてないみたいだけれど、
アメリカではそんなに人気があるんだなーと思った。

で、昨年くらいから、うちの嫁さんが、
クリスチャン・デスメタルのこれも有力なバンド、
War Of Agesにはまっていて、
これはとてもストレートで硬派の中の硬派といったバンドで、
なかなか悪くないんだけれど、

今年はちょこっと僕もクリスチャンデスメタルを聞こうと思い、
気になっていたDemon Hunterに手を出してみた。

新譜であるThe World Is A Thornと、
そのもひとつ前の、Storm The Gates Of Hellを試している。

その実力は、以前から認識していたので、予想はしていたけれど、

これが、とてもユニークな音楽性を持っていて、結構面白い。
なんというか、ちょっと異質だ。

まだ聞き込んでないので、
はっきりとはいえないけれど、
21世紀になってからこっち聞いたロックの中でも、
すごく印象に残る作品なのは確かだ。

この手のデスメタル系の中では、
まあもともとあまり聞いてないけど、

初めてというくらい、自分のストライクゾーンに来るバンドだ。

Wikipediaによれば、
このThe World Is A Thornは、
アメリカのチャートで、ビルボードの総合39位、ロックチャートで6位。

こういうデスメタル系ということもあるし、
きょうび、このご時世を考えるに、なかなかの成績な気がする。

そして、今、ロックの本流というか王道は、
このあたりのバンドにあるのかもしれない、と思った。

しかし、最初の週の売上で14000枚。

数字的には、これが今の時代の現実だよなという気がする。

もいっこ前の、”Storm The Gates Of Hell”は、もう少しストレートで、
メロディが多い。
ストレートにファスト&ヘヴィだから、
こちらのほうがキャッチーでわかりやすいかもしれない。

だが、異質なとんがり具合でいうと、新しい”The World Is A Thorn”の方が良いと思う。

これは、おすすめ注意報だ。
ハードコア、デスメタル系が苦手でなければ、おすすめしたい。
ピアノやチェロなどの使用もあるけれど、
音楽的にちょっと異質な感じで、おもしろい。

あとは、ドラマーの技量がちょっと素晴らしいように思う。
サウンドもいいし細かい表現が際立っている。

同じクリスチャンデスメタルでも、
たぶんAs I Lay Dyingとかは、それほどクリスチャン色を前面に出してないのかも、
しれないし、

Demon Hunterはあまりにもクリスチャン色が強いから、日本に輸入されないのかもしれないけど。

ヘヴィメタルとFaithは、相性がいい、昔から。

だからそのFaithを突き詰めることで、ヘヴィメタルは研ぎ澄まされる。

反感買いそうなコメントをもって、

冒頭で言いたかったのは、そのことだ。

別にクリスチャンでなくたっていい、

メタルの概念を、信念を研ぎ澄ませ、

揺らぎのないものがあればこそ、

新しく変化もしていける。

他にもいろいろと紹介したいCDあるんだけれどまた今度。

No(589)

■…2010年 5月 5日 (Thu)…….歴史に残らないものたちへ
たとえばスクールオブロックの映画とか、
古くはドリアン助川とか、
そのへんのロック雑誌とか。

誰でもいいんだけれど、
よく黒板に書いていたと思うんだよね、

20世紀ロックの歴史と体系を。

ブルーズがあってチャックベリーがいてエルヴィスがいて、
ビートルズがあってクリームがツェッペリンが
パンクがあってメタルがあってグランジがあって以下分岐していろいろみたいな。

そういうのをきっと一度ならず見たことがあると思うんだけれど。

もっとも、ああいうのは書いた瞬間にうそ臭くなるものではあるんだけれど。

別にとっくに皆わかりきってることだとは思うんだけれど、

21世紀の今、そういうのはもう無い。

記録できる歴史はもう無い。

さっき書いたDemon Hunterのようなバンドもそうだ。

カテゴリやジャンルの分岐も細分化しすぎてしまっているし、
音楽的にもあまりにも先鋭化しすぎてしまっているし、

いろんなことがあまりにも多すぎて、ひとつの物語として記録できるようなものはもう無い。

簡単に言い換えるならば、何が起こっているのか、誰も知らない、誰もわからない。

メディアは、特にロックを管理したがる日本のメディアは、なんか物語をでっちあげるかもしれないが、

今本当に面白いことは、あまり雑誌に載らないようなバンドの界隈で起こっていることが多いし、

でっちあげた物語もあまりにも小さなカテゴリの中の出来事であって、

なにかひとつピックアップするにはあまりにもたくさんのことが起こりすぎている。

だから音楽ビジネスも目に見えて形がずいぶん変わってしまっているし。

歴史に残るっていうのは、
音楽とかなんにせよ芸術とか、やってる人にとっては、
とても目指してるところのものだと思うんだけれど、

たぶん明白に歴史的に見て、
今鳴っている21世紀以降のロックというのは、
たぶん歴史には残らない。

そもそも歴史って何だって話もあるけど。

記録されるロックの歴史は、
もうとっくに終わってしまったということ。

あとは、みんな、何があっても、
「その他大勢、いろいろありました」
で終わりだ。

それを前提で、音を鳴らすというのは、
とても面白くもあり、どこか悲しくもある。

カンのいいミュージシャンたちは、
そのことに、
20世紀の終わり頃から、気付いていたと思う。

だからこれは逆説だ。

新しい時代のフォークソングを鳴らす方法を、
探している。

逆に言うんなら、本当に面白い時代であり、
本当にやらなくてはいけないのは、これからだということだ。

No(590)

■…2010年 5月 7日 (Sat)…….Beat Wire
Beat Wireに作ってもらったプレスリリースこんな感じ。

記録のために。

効果あるかどうか、まだわかんない。

今のとこ目に見えた効果はない。

なんかひとつでもメディアに取り上げてもらえればね。

IMARi ToNES – Rocking for God

Email: [email protected]

Website: こちら

こちら

Here comes something you don’t see every day – a Christian rock band from Japan!

But IMARi ToNES is certainly not a joke, nor is this collection of giften Japanese musicians, led by Van Halen inspired guitarist Tak Nakamine, a novelty act.

Far from it. Because these boys from Yokohama sure know how to rock a party. Or indeed a church.

Being almost certainly the first band of its kind to come from the land of the rising sun, IMARi ToNES has its work cut out to win over a native audience unused to the subtleties of the Christian Rock sound. But they are making inroads both in their native land and the United States.

Word of mouth about this incendiary live act is spreading, backed by the power chords, smoking hot licks and uplifting vocals of Tak and his band.

And to back up the buzz, the band is releasing two new live albums – ‘IMARi ToNES in Glory Zone’ and ‘Dosamawari Live 2010’. Both showcase what makes this band the special, unique musical and spiritual force that it is. What’s more, both albums are free to download from the band’s website.

Formed in 2004, IMARi ToNES already has 10 albums under its belt, all self-penned and produced. But now the time has come for the band to break into the mainstream and carry its message of Christian love and powerful rock to the masses.

Inspired as much by Jimi Hendrix, Led Zeppelin and Judas Priest as by their religion, the songs on these albums are nothing like the Christian music that most of America knows. And they’re all the better for it.

These albums will appeal to the believer who thinks that church can rock, while their raw musical power may even be enough to convert the non-believers in the band’s native Japan.

Music is always a powerful force. And in these two albums, IMARi ToNES show just how powerful that force can be.

No(591)

■…2010年 5月 7日 (Sat)…….泣き言を言ってみろ
「なきごと」
いや、そうじゃなくて泣き言を言ってみろというんだ、
「なきごと」
そうじゃないだろ。もういい、泣き言など言うな。
彼女は泣き言など言わなかった。

弱音を吐く理由なんていくらでもあるわけだ。

どうも最近、自分の作品が聞けないのよね自分で。

たとえば勝ちか負けかでいったら、
僕なんかとっくにいろんなことで負けなわけで。

でもそんなことを数え上げていたらきりがない。

でも祝福の数を数えていけば、
決して少なくはないわけで、
むしろとても助けられているわけで。
現に自分はとても幸せだし。

だからこそここまで歩いてきているわけだし。

たぶん誰の人生でも、よっぽどの人でないかぎり、

勝ってる時間よりも、負けている時間の方が多いと思うわけですきっと。

その負け戦を楽しめるかどうか、って、
とても陳腐な言葉だけれど。
真実だ。

昨年読み残したチェスタトンの本「正統とは何か」を読み進めているけれど、
今のところ、鋭い部分もありつつも、同意できない部分があり、
結構つまらない。
がんばって最後まで読んでみる。

本当の泣き言は一緒に飲んでくれたら言ってやる。

でも、今そうして聞いているんだけれど、

死ぬものをresurrectして生かす録音と、
生かして永遠を与える、
クラシックたる条件、
そういう音はわかるようになった。

単純。愛だよ。
技術があっても金があっても、誰もやらんだけ。

これが強がりだ。

No(592)

■…2010年 5月 7日 (Sat)…….ジョン啓示
昨年4月に初めてのあめりか遠征を終えた後、
その後、1,2ヶ月のうちに、
神さんから啓示があったわけです。

次にこれをしなさい、つって。
もう一枚、録音作品、作れるだろ、つって。

だから、6月のうちには、50以上曲を書いて、
7月のうちにその中から14に絞ってデモを制作して、
8月のうちにはリハーサルを始めた。
そして11月にリハーサルを終えて録音を始めた。

今年、2月に東海岸に遠征に行ったのは、
カンファレンスに出れることになったというきっかけがあって、
ついでにリッチー牧師の教会にも来てくれと言われていたのでちょうど、
という感じで、計画していたわけじゃなくて偶発的な感じだったけれど。

終わってみてね、価値のある遠征だったけれど、
帰ってから、次に何をしたらいいか、
もちろん、わかりきっていたことはいくつもあって、
それを順次、やっているけれど、

次に何をしたらいいのか、

それがわからなくて、この1,2ヶ月というもの、
啓示があるまでは、
とても精神状態が不安定だった。

今日、というか昨日、
啓示があった。

ふと訪れた。

たとえばね、
じゃあ3度目の遠征に行きましょうっつって、
今度は西海岸中心かな、とか言ってたんだけど、

なんかいまいち、ときめかないのね。

ときめく、ときめかない、
とか、
わくわくするかどうか、で決めるのは、
判断基準として正しくないかもしれないけれど、

やっぱり僕の基準はそこだったりするので。

たとえば、がんばって3週間くらいの遠征をやったとして、

それはもちろん、得るものは大きいだろうけど、
なんかいまいち、わくわくしなくって。

僕がかの国で演奏することにきっかけの動機をくれたのは、
2007年のオースティンの夜の匂いと、
プラスマイナスというあのとんでもなく大事なバンド。

そして、どういうわけか、導かれて行き着いた先は、
クリスチャンロック、
神さんのために、ってことになっちゃった。

そうか俺は神さんのために死ぬのか、と。
いいよ、別に、つって思った。
くれてやるよ、どうせもらったもんだし。

そのためにさ、
どうするべきなのかと。

じゃあとっとと死ねよ、ということで。
そんなところでぬくぬく生き永らえてないでさ。

そのため。

で、啓示が与えられたには、

次にすべきことは、

明らかにたぶん、

2週間とか3週間とかの遠征じゃなくて、
それ以上の何かなわけだ。

皆さんにメール書いてたんだけれど報告の、
ブッチ先生はうちにも来て演奏してくれと言ってくれたし、

他にも行きたいところはたくさんある。
みんな行くにはどうしたらいいか。

次にすべきはそれだ。
おまえ、とっとと最前線につっこんで死ねよと。

たとえばさ、
リッチー先生が、最長2年の宣教師ビザ取るの手伝ってくれるんだったらさ、
それでもいいじゃん。
すくなくともそれで働けるじゃん、おもいっきし。

いつ、とかさ、こうなったら、
じゃなくてさ、

今やれよ、と。

そのためにどうやって最短距離を走れるか。

啓示、なのかどうか。
それは、自分の中の感覚で、わかるものだけれど。

祈ってみるよ、これでいいのか、
どうするのがいいのか。

次にすべきことがわかった。

よかったよ、もう一枚作品つくれとか、言われなくって。

No(593)

■…2010年 5月 7日 (Sat)…….迷信名士盟主
今週の小田嶋さんも面白い。

こちら

クリスチャンの皆さん、
どうよ、
信仰なくて迷信はびこる、
そんなニッポン。

ほとんど冗談みたい。

 
Posted from MixiDock mini

No(594)

■…2010年 5月10日 (Tue)…….幻想共同音源
メタル系バンドの人達のところには、
ひょっとして同じメールが行ってるかもしれないけれど、
なんかコンピレーションに関してのメールが来ている。

コンピレーションアルバムなんて、普段なら参加するメリットを感じないけれど、
メタル系といわれると
ちょっと迷ってしまう。

現実として、今、ジャンル、カテゴリ、ニーズ的に、
僕らイマリトーンズがあてはまるようなレーベルが、
世界中探してもあるかどうかわからないからだ。

しかしこういうのに参加するのにも費用がかかる。

同じところからフルアルバムを出すとなればなおさらかかる。

それがインディーズの現実だ。

なんか、メタル系の畑の中に、僕らの必殺クリスチャン丸出しメタルソング”Faith Rider”を、収録できたら、
それはそれで、日本にもクリスチャンメタルがあるんだぞーというアピールになるかもしれない、と思うには思うのだけれど。

いや、幻想かな、そういう効果とか、いうほど無いかもしれないし。

こういうのにちゃんと参加すれば、
国内ヘヴィメタル界隈で認知されるとか、
そういうふうな気もするけど、幻想かもしれない。

いずれにせよ、このいろいろと物入りな財政状況の中で、
たかだかコンピ参加費用といえども、難しいな。

効果といえば、Beat Wireのプレスリリース、
ひとまず、いくつかのブログが取り上げてくれているようです。

もっと、どーんと、行かんかなと思うけど、どうかね。
様子見です。

さっきのコンピの話にしても、きっとうちのはっしーあたりに言わせればきっと、
「とりあえず国内市場はほっときましょうよ」
って言いそうな気がする。

アピール、リリース、発表、って言ったら、
それこそ、いまどき、YouTubeにアップしたら、結構聞いてもらえるのかもしれないし。

下手にコンピに参加やCDをプレスするよりも、
金をかけずにYouTubeやらを利用したほうが、人々に届くのかもしれないし。

いや、予算があれば、いろいろやるのに越したことないに決まってますけどね。

ひとまず、BandBoxのほうで、無料ライヴトラックは、
けっこう順調にダウンロードされているのです。
今見たら、Guatemara、グァテマラ、からのダウンロードが。
グァテマラって。どこだっけ。中央アメリカか。

国内のmonstar.fm経由は、実は無料ダウンロードがカウントされないので、いくつダウンロードしてもらえたのか、わかりません(泣)

なんか、メールアドレスcollectするとか、してほしいよね、monstar.fmさん。

そして、さっき見たら、書いていただきました。
ありがとうございます。

こちら

日本のメタル界隈で認知されたいなあ。
メタル界隈なんてものが、まだあれば、の話だけどね。

無いのかも、しれないなあ。

No(595)

■…2010年 5月10日 (Tue)…….伊万里音色 “That’s why i love you”
土曜日は、自分のバンドのリハを早めに終わらせて、
東武東上線は大山にある、
SonRise Cafe(なんというクリスチャンなネーミング)にて、
こちら
クリスチャンアートの集まりであるCANに参加してきました。

久しぶりな気がする。

いろいろと出会いがありました。
こういう集まりはやはり楽しいです。

クリスチャンでアート、音楽をやっている人たちと交流できるというのは、良いですね。

僕は、
アコースティックギターで、1曲、ということで、
安全策で、例のstarfieldを歌ってきましたが、

もし日本語の曲をと言われたらやろうと思っていたのが、これ。

こちら

で、これがブログの説明書き。
こちら

「伊万里音色 IMARi ToNES “That’s why i love you”」

ひさしぶりのラヴレターです。
またも、「光のヒーロー」からになります。
あのときは、それまでやりたかった曲を、たくさんやったからね。

このThat’s why i love youは、バックグラウンドストーリーというか、いわくつきの曲で、
この曲を書いたのは、もう今からするとはるか昔だけれど、1998年。

そのとき、かのVan Halenが、Extremeのゲイリー・シェローンをヴォーカリストに迎えて、問題作「Van Halen 3」をリリースしようとしていた。

で、発売前に、雑誌でインタビューとか見て、待ちきれなかった僕は、雑誌に載っていたトラックリスト、曲名をもとに、自分で勝手に曲を書いて、「仮想Van Halen 3」を自分の頭の中で作っちゃったのね。

で、この曲は、その中のひとつなんだけれど、
おかしなことに、雑誌に載っていたそのVan Halenの曲のうち、
“That’s Why I Love You”と名付けられた曲は、アルバムの発売直前に、諸事情によりボツになってしまい、実際にはアルバムには収録されなかった。

でも、僕は自分で作った「仮想Van Halen 3」のうち、この曲はすごく気に入っていたので、自分のバンドで演奏することにした。

この曲は、すごくくさいラヴソングです。
歌詞もすごくダイレクトで、自分の中にある孤独がよく現れてる。

*******

このときのレコーディングでは、
歌うのが苦手なみねっちを、無理矢理コーラスさせたのを覚えてる。
サビのところで、右チャンネルで、かすかに聞こえる、若干音程の不安定な声が、彼です。
歌ってもらってよかったと思う。

先日、「次の一手」をどうしようかと書いたけれど、
祈っていたらその翌日になんかカナダのバンクーバーあたりから謎のメールが来た。
どうなるかわからないけれど、なんかなるかもしれない。

なんにせよ、難儀だ。
でも、僕らは感謝して祈るしかない。

祈るってどういうことだろう。
いつも考える。

だからこれが、祈るギターソロだってば。

いろいろ書きたいことあると思うんだけれど忘れたのでここまで。

No(596)

■…2010年 5月12日 (Thu)…….サマーの映画
なんかもうすぐ、
Stryperファンとしては、嫁さんと一緒に、楽しみにしてる、
Stryperがちょっと引用されている映画”Whip It”の国内公開が
もうすぐらしいんだけれど、
邦題が、「ローラーガールズダイヤリー」だそうで。
なんでそんなにベタベタなタイトルになってしまうかな。
こちら

2月の遠征のときに行きと帰りの飛行機であわせて3回くらい見たけどね。

帰りのひこうきで、何本か見た映画が、
例のかわいそうな女の子の映画「プレシャス」は、見ごたえはあったけれど、
見た映画が全部ローになるようなやつで、
あまりにもロウだったので、

でもひとつ、書いておきたかったのがあるので今更ながら書いてみる。

500日のサマーという映画だそうです。

こちら

劇場公開は、もう終わってるのかな。

やたら身勝手な女の子と、
とてもまっすぐな男の子の、
ほろ苦い恋愛を描いてるだけなんだけれど、

ロックファンとしては、The Smithがとても重要な題材として使われている。

なんだけれど、なによりも、
なんというか、

気まぐれなヒロインの女の子も魅力的なんだけれど、
結局、なんかあまりにも気まぐれでだんだん憎らしくなっちゃうのに対して、

まるでB’zの稲葉コーシさんを数回ハンマーで叩いて壊したような顔の
主演の男性が、とても魅力的。
とてもひたむきでがんばっている様子が、とても魅力的、
と、それだけの映画。

なんか東洋系に見えたんだよね、髪とか黒いし。
B’zの稲葉さんを数回ハンマーでたたいて変形させたような
(それでも十分かっこいいということですが)
顔の、東洋系な雰囲気の男性が、
とにかく、とても魅力的なんです。

でも見たら、主演の俳優さん、ユダヤ系で、別に東洋系じゃないみたいですね。

Joseph Gordon-Levittさんだそうです。

いい男発見、
ということで、
画像検索。

こちら

魅力的にも程がある。

後味のほろ苦い映画だったなー。

それだけ。

No(597)

■…2010年 5月12日 (Thu)…….あーてすと狩り
有名なジーザスのセリフ。
「私についてきなさい。人を獲る猟師にしてあげましょう」

人を獲る猟師、
今風に言えば、
ナンパ?

違うか。

マイミクの某ギタープレイヤーの方が、
ナンパというキーワードでいろいろ書いているのを見て、
とても興味を引かれた。

そういう積極的な行動やマインドはとても大切だ。

そういうわけで、インディーズサイトでいろいろバンドとかミュージシャンの方の音を聞いている。

なぜなら人を狩ってナンパしなければいけないからだ。

うまくいくだろうか。

作りたいのはレーベルではなく、コミュニティであり、人から成る作品なのだから。

これがナンパの理由だ。
こちら

女性と同様に、

音楽やバンドであっても、

僕のストライクゾーンはひどく狭い。
極端に狭い。

ナンパはおろか、いろんな社会的なことが機能しない所以だ。

だけれど少なくともいろいろなインディーズアーティストの音に触れてみれば、
何かが見えてくるだろう。

今、
リスト1ページ聞いて、
ひとつ、良いアーティストを見つけた。

No(598)

■…2010年 5月12日 (Thu)…….神との戦い
マイミクの絵描きさんが「神に打たれる恐怖」ということを書いていて、
非常に僕にも身に覚えのあるテーマだったので書いてみた。

僕はクリスチャンになったのは2年数ヶ月前だけれど、
そうなる前にも、
人生や芸術を通して、
神さんとのかかわりが無かったわけじゃない。

なぜってほら、
才能あったから(笑)

全部は話せないし、
まだ僕自身わかってない。
ほんの少しだけ話そう。

誰も興味が無いかもしれないが、
僕がずっともう何年も前に、

ほんとにそれができる唯一のことだったので、
というか、それをやらないでは死んでしまうという感じで、
やむにやまれず、
生きるか死ぬかの思いで、

実家の音楽室にパソコンを置いて、
録音制作を始めたとき、

いちばん最初に作った作品のタイトルが、

“Through The Garden Of Gods”
だった。

それは、とても暗い作品だった。

少年の頃からVan Halen大好きで、
陽気で元気のいいロックが大好きで、
今でもそういう元気のいいハードロックを演奏し続けている僕だけれど、

その作品は、暗かった。

それは、
当時、まだ若かったけれど、
自分の人生が、とても苦しい状況にあったこと、
説明するのはとても難しいけれど、
社会の矛盾とか重圧みたいのを、
自分の身に感じていた頃でもあった。
目に見えるわかりやすい証としては、
僕が当時高校で出会った女の子と、
10何年たった今でも一緒にいる理由を考えてみてほしい。

そして、また、神とも戦っていた。

戦っていた、という表現は適切でないかもしれないけれど。

たとえば、このときの作品の歌詞に、こんなのがある。

何かに取りつかれているのさ
気が付けばここまで来ていたのさ

落ちていくことを恐れながら 遥か空の高みを駆けてゆく
Oh 星が見える Oh 光が見える 神の怒れる影が

Help Me! Please help me!
Rescue me from all these stuff!

犯した全ての罪に怯えながら 裁きに直面する そう それがオレの最後の日

イヤな予感が オレにつきまとうのさ
引き返すことなどできはしないのさ

最悪の事態を恐れながら 神々の庭園を駆けてゆく
Oh 時代が見える Oh 炎が見える オレの消えそな命が

Help Me! Please help me!
Rescue me from all these stuff!

人の業の深さに怯えながら 真実に直面する そう それがオレの最後の日

「邂逅」と名付けられているけれど、
この曲なんかは、
当時、僕の中で起こっていたことの質を、よく表している。

これはまったく個人的なことなので、
このとき僕の内面で、どのような神との戦い、葛藤が行われていたかを、
説明もできないし、他人と共有もあんましできないと思うんだけれど、

(聞きたければ、こっから、ね、売ってます、一応、笑)
こちら

たぶんは何年か、神さんとの格闘ののち、
たぶん僕は、神に勝った、ないしは、許された。

そういう感覚があった。
実際に勝ってしまった。

もちろん、本当に神に勝てるわけはなくて、
人間のひとりやふたりや数億人、
神さんがちょっと手をひねれば簡単に死んでしまうんだけれど、
それはまあ、置いておいて。

以来、これを乗り越えて以来、
僕の中には、そういった「恐れ」は、なくなった。

なぜか。

恐れというのは、失うことへの恐れだ。

それ以来、僕には、失うものというのは、基本的には無いからだ。

最後まで戦い抜くのであれば、
失うことが、敗北ではないことを、僕はもう知っている。

卑近なたとえだが、
たとえば、
僕が、往年のロボットアニメ「装甲騎兵ボトムズ」が好きなのは、
(残念ながら僕はガンダムファンじゃない)

(日本人男性の半数はガンダムファンだと思うが、僕は残念ながら違う)
(僕の世代の日本人男性は漫画「スラムダンク」を読んで育ったと思うが、残念ながら僕は読んだことがない)
(ついでにワンピースも読んだことがない)
(話それすぎた)

僕が往年のロボットアニメ「装甲騎兵ボトムズ」が好きなのは、
もっともあれは宗教ではなくてSFの範疇だけれど、
最後に、主人公が神を殺すシーンが出てくる。
(2001年宇宙の旅のパクりだけれど)

その神を殺すシーンが、僕にはSFの中のこととは思えず、
より精神的なものに思えたからだ。

僕がやったのも、まさにそれだ。

人間として、戦う理由が、あったからだ。

神を刺し殺す度胸もなしに、
クリスチャンなんてやっていられるか。

僕はそう思う。

そうでなければ、
僕は正しいクリスチャンじゃないのかもしれない。

かまわない。

君たちが、「神様、どうか」って祈ってる間に、
僕は、「よう、神さん、元気か、ちょっと金貸してくれないか」
って声をかける。

他人じゃないからさ。

僕は天国に行こうなんて思っちゃいない。

神さんには言ってあるんだ。

地獄行きだって殺されたって上等だ、ってね。

それで神さんが笑ってくれるんだったら、永遠に苦しむこともやぶさかじゃない。

この話はここまで。

No(599)

■…2010年 5月12日 (Thu)…….楽園ジャパン
日本はとても良い国だ。

言われなくてもわかってる。

治安がいい。

モラルが高い。

教育水準や文化水準もおおむね高い。

誠実な人が多い。

便利で物があふれている。

わかってる。

そして、独創的で知的な風土がある。

同じくらい、閉鎖的で同調圧力の強い面もあるけれど。

日本は便利な国だ。

なんでもある。

でも、本当に必要なものは、大抵、無いことが多い。

それもわかってる。

楽器も、レンタルスタジオも、機材も、ライヴハウスもある。

だけれど、ロックスピリッツは無い。

資本主義、ロック、民主主義
これらのものは日本には無い、ないしは、根付いていない。

そして、クリスチャニティもない。

クリスチャンとしては、
どうして、日本は、
先進国の中でも、

ダントツに、例外的に、ものすごく極端に、
キリスト教人口が少ないのか、

ということは、常に思わされるテーマだ。

僕は、迷信深い信者よりは、主義主張のはっきりした無神論者の方が、
ずっとマシだと思っているし、
(その方がまだ神にたどりつけると思うからだ)

そんで、
クリスチャンになってからこっち、
いろんな人に、「どうして日本にはクリスチャン少ないんでしょうね」
というテーマを、聞いてみたけれど。

本当は心のどこかで思っている本音がある。

日本は、素晴らしい国だ。

文化水準が高く、安全で、豊かで、平和だ。

そんな中で、クリスチャンでいるというのは、最高の贅沢だ。

最高のことだ。

そんな贅沢は、なかなか手の届かないようになっているんだ。

日本は、あまりにも平和で素晴らしく、

別に神を知らなくても、神を信じなくても、

普通に十分に幸せに生きていけてしまう。

そんな中で、本当の神を知るという幸福が、
簡単に手に入るはずがない。

そうだとしたら、それは、世界の人達に対して、あまりにも不公平だ。

だから、日本人でクリスチャンをやっている人達は、
ものすごく選ばれた、ものすごく幸福な人達ということになる。

あとは好みの問題だ。

かりそめの繁栄はもういらない。

無知と増長の魂が、
ふさわしい果実をかじるとき、
きっと新しい芽が生まれる。

No(600)

■…2010年 5月12日 (Thu)…….マルムスティーンの朝食はウルリッヒ
だそうだ。
そしてLunch to End All Lunches

全然関係ないが、
Yngwie Malmsteenのベーシックな部分を最近、再確認していて、

思うに、
僕にとってのいちばん肝心なYngwieは、宗教音楽としてのYngwieだ。

本人が熱心なクリスチャンかどうかにかかわらず、
またどれだけ本人が意識しているかに関わらず。
音楽そのものが語っている。

だってイングヴェイは、現代のバッハなわけだ。

ヨーロッパのクラシック音楽、
その父祖であるバッハ、
それは、宗教音楽なわけだけれど、

それを現代のロックによみがえらせた張本人のイングヴェイが、
宗教音楽で無いわけがない。

彼のauthenticというのか、いちばんベーシックな部分は、
彼の本当の強みは、そこなんだと思う。

思うに個人的な意見だけれど、
イングヴェイの初期の若い時代の作品は、
彼の独自の北欧ならではの情感がよく表れていた。

その後、次第に個人としての表現を超えていく過程で、
より歴史を意識した宗教音楽家としての顔が多くのぞいてくるように思う。

歌詞にもキリスト教のモチーフはよく出てくるが、
それは、普通に一般的な素材だとは思うけれど、

だからといって、Yngwie Malmsteenが、当代一流の、宗教音楽家であることに、変わりはない。

神は不変、
よく言われることだ。

イングヴェイは、時代が変わろうと、人がなんと言おうと、
自分のやっていることを、決して変えない、曲げない。
状況がどうであろうともだ。

それは、信仰っていう面で見たら、
普通に、すごいことなんじゃないのか。

たとえ、ロックンロールアティチュードで、
大口を叩き、
態度、ついでに体重というか体格もデカかったとしてもだ。

良い子ちゃんのCCMアーティストよりも、
よっぽど信仰として、優秀だと思うぜ。

神さんに聞いてみたらいい。

こちら

あらら(笑)

No(601)

■…2010年 5月12日 (Thu)…….Nowhere In This World
先日、クリスチャンアーティストの集いに行ったときに、
「教会を喜ばせるようなアーティストにならないように」
といった意味の発言を、とある方の口から聞いたような気がする。

そうさ僕らは今やクリスチャンロック、クリスチャンメタルを名乗っている。
The first Christian heavy metal from Japanだ。

僕らはもともと、世の中で、カテゴリ的に、どこにも属せなかった。

そしで、僕は、人間的にも、コミュニケーションに問題があるためか、

人としても、どこかのコミュニティに属するということが、あまりできていない。

その状況は、クリスチャンになったからといって、別に変わりはしない。
もちろん、多少、マシになったけれど、やっぱり変わらない。

同世代や若い世代のクリスチャンのコミュニティと親しくできるわけでもない。

どこかの教会とかクリスチャンのイベンターや重要人物とつるめるわけでもない。

日本最初のクリスチャンメタルを名乗ってみても、

それで別に業界のヒーローになれるわけでもない。

相変わらず僕はコミュニティの外だし、僕らは相変わらず不器用にやっている。

それでいいんだ。

だからこそ僕は神様と友達になったんだ。

いったい僕らの言うところのクリスチャンロック、とは何なのか。

それは、たぶんアメリカあたりのCCMバンドやマーケットが思っているものとは違う。

僕らはタブーを恐れない。

誤解されそうな歌詞や、ときには神の悪口を歌うことだって恐れない。

信じるためには、疑問を口にすることも恐れない。

僕らは人間だ。

不完全で、自由に考え、自由に決断する人間だ。

僕らは自分達の信仰を守り抜く。

そのためには、たとえば狭いこの世界で、誰から何と思われたって、
それは問題じゃあない。

すべては僕らと、神様の間のことだ。

No(602)

■…2010年 5月12日 (Thu)…….The only one who keeps his promises
Twitterになんとなく書いたのよね。

いいこと言った、と思って。

悪魔は誘惑する、
悪を行えばこんなに素晴らしいぞ、
罪を犯せばこんなにいい事があるぞ。

だが現実はそうじゃない。
罪を犯した後に残るのは悪魔に全てを奪われた哀れな自分だけだ。
悪魔は約束を守らない。

これは、わかりやすく、罪を犯す、悪を行う、
ということに対してもそうだけれど、

神の用意した道から外れる、ということ全般に対してそうだと思う。

誘惑というか、雑念というか、
安易な成功法、とかさ、
占いでも風水でも、
ハウツー本とか、ノウハウ、自己啓発みたいなものとか、

こうしたら成功できますよ、
これさえやればうまくいきますよ、
っていうの。

嘘だ。

約束を守るのは、神さんだけだ。

現実を見てみたらいい。

世の中そういう誘惑や誘いでいっぱいだ。

そう思うと、神さんの用意してくれた道を、
踏み外さずに歩くのは、結構難しい。

自分を信じろ。
この言葉はとても重い。

神さんに言われたことだけを、やってりゃあいい。

No(603)

■…2010年 5月12日 (Thu)…….David Crowder Band
クリスチャンやるようになってからこっち、

まあ音楽的な動機で神さんを信じてることもあって、

CCM (comtemporary christian music)といわれるジャンルの音楽を、
順番にチェックしてきているんだけれど。

CCMは、ピュアな感じのアーティストが多くて良いなと思う反面、
たとえば、思わせぶりというのか、
やたら曲構成がシンプルだったり、
歌詞はジーザスジーザスいってればいいんだろ、って感じがしたり、
みんなおとなしくていい子ちゃんなお行儀よい感じだったり、
ちょっとどうよ、と思う部分もたくさんある。

先日書いたクリスチャンメタルコアDemon Hunterのように
(こちら)
好きになれたバンドもいくつもあったけれど、
これはちょっと合わないなあというバンドもあった。

David Crowder Bandもそのひとつだ。

僕は、A Collisionという代表作ぽいのと、
Remedyというもうちょっとポップなやつと、2枚試してみた。

事前の情報からすると、このDavid Crowder Bandは、
アコースティックやエレクトロニカ的要素を、現代的な才能でミックスした
天才的なアクトだというようなふうな能書きを読んでいたので、

これは天才に触れることができるかもしれないと、結構期待していた。

だが、聞いてみると、思いのほか、軽く、思いのほか、安っぽく、
ちょっとなあ、と思ってしまった。

確かに、バンドサウンドにエレクトロというかテクノ要素をミックスしているけれど、
それは、まるで90年代半ばみたいな、使い古しまくったスタイルだし、
曲構成や曲作りも、あまり才能を感じるものではなく、
どちらかというと陳腐なものだし、
A Collisionで取り組んだとされる実験的な音楽性も、
どちらかというと、メタ情報を書き換えるだけの子供だましの域を出ていないように思うし、

あと、リーダーでヴォーカルのDavid Crowderさんの、声がどうにも無理だった。
なんというか、この人は、ミュージシャンというよりは、
Geekな雰囲気がして、理系の感じというのか、
音楽も、バンドというよりはパソコン、デスクトップで作っているような感じがしてしまう。
そして、その神経質そうな声、いかにもクリスチャン受けを狙ったような、振幅の速いヴィブラートのわざとらしい感じとかが、どうにもダメだった。

思うに、確かにこの人は天才なのだろうけど、
その才能は、音楽そのものというよりは、
音楽を通じた、コミュニケーションの方に向かっているのではないか、
そう思った。

音楽は、ぶっちゃけ僕は陳腐だと思うけれど、
クリスチャンミュージックとして、
キッズに親しまれ、ハッピーを広めていく、
そういったコミュニケーションのスキルは、
このバンドはものすごく高いような気がする。
それは、YouTubeで見られるドラマ仕立てのビデオ番組なんかを見てもわかる。

それが、この人の才能なんだと思う。

と、さんざんに書いたけれど、
そうはいっても、何度も聞いていて、結構気に入っている部分もある。

僕としては、このバンドは、陳腐なテクノポップをやるよりも、
ピアノやギターのアコースティックの曲の方が、素晴らしい曲が多いように思える。
それはもう、見事なものだ。

そして、なんだかんだいって、
軽い、陳腐なポップをやっているとはいっても、
才能のひらめきも、ところどころに感じるし、
CCM、クリスチャンミュージックに特有の、霊感のひらめきも、確かにあるのだ。

すごく親しみやすいバンドだし、
キッズ向けの、軽いポップが嫌いでなければ、
クリスチャンの人にはおすすめしたい。

クリスチャンでない人には、どうかなあ・・・・

僕が聞いたA Collisionと、Remedyの2つでは、
僕はむしろ、Remedyの方が、ストレートにポップな作風で、よかった。

こちら

こちら

Twitterを揶揄したビデオブログはこちら。

こちら

No(604)

■…2010年 5月12日 (Thu)…….Imogen Heap “Ellipse”
この前、Frou Frouがなかなか良かったので、
というか、聞いているうちに、
歌っているお姉さん、Imogen Heapさんの独特の魅力に、
すっかり惚れてしまい、

2009年に出ていたImogen Heapさんのアルバムを入手してきて聞いている。

Frou Frouのような鋭さはそれほど無いけれど、
やっぱりかなり良い。

Imogen Heapさんが、日本でどれだけ人気があるのか無いのか、知らないけれど。

以前書いたようにImogen Heapさんは僕らの世代の独創的なインディースピリットの最大の成功例のひとつなのだろうと思っている。

ヴォイスというのかスキャットを多用したトラックなんかでは、
ちょっと懐かしのエンヤ(懐かしすぎ)を思い出す瞬間もあるんだけれど、

決して、新しい、とはいえないかもしれないけれど、
とても質の高いオシャレ・エレクトロ・ポップ。

そして適度にマニアックな音楽性。

これはおすすめ注意報だ。

オシャレ系が苦手でなければ、普通におすすめしたい。

こちら

新作のすべての曲が聴けるようになっているようだ。
僕は、Tidalという曲がお気に入りだ。
そして、Half Lifeという曲が、雰囲気があって、一般受けしそうだ。

こちら

No(605)

■…2010年 5月13日 (Fri)…….構やしない
せっかくなので神聖かまってちゃんをYouTubeで20曲くらい聴いてみた。

YouTubeで聞いたくらいでどうこういえないけれど。

凄く面白いし、
正直ここ10年で見た日本人のアクトの中でこんなに才能を感じたものはない。

でも、そのメタタグ情報の中に書かれていることは、あまり皆にとって幸福といえないことだ。

実際のところは、その正体はすごくまっとうでベーシックなパンクバンドだと思う。

そのこと自体は素晴らしい。

が、まとったメタ情報と、

射抜いた時代の音が、

どうにもなってやしない。

若い世代の人気のあるバンドのうちいくつかにも感じたことだけれど、

僕はこの才能の出現を手放しで喜ぶ気にはとてもならない。

他のいくつかの人気バンドと同様に、

僕はNoだ。

神聖かまってちゃん。

No(606)

■…2010年 5月14日 (Sat)…….それでも一向に構わない
補足するわけじゃないんだけれど、

昨晩書いたとおり、
神聖かまってちゃんの人は、
僕がここ10年で触れた日本のミュージシャンの中でも、
もうダントツに、すごい才能を感じる。
あのバンドよりも、このバンドよりもだ。

なるほど現代日本にこういう形でパンクが成就したかという感慨もある。
でも、だ。

あのね僕はNirvanaのNevermindも、
とても冷静に聞いてられない人なのね、
いつも言ってることだけれど。
(In Uteroは逆にすごく落ち着いて聞ける)

だから、Nevermindいいよね、Nirvanaいいよね、
って平気で言える人の気が知れない。

それと似たようなことで。

たとえば最近ヤギ氏のmixi日記を見ていて、
あー僕の日記が人がコメントしづらい、っていう理由が
こういうことなのねって実感したけれど(笑)

たとえば彼のように鋭い言葉を投げかけるのであれば。

あの神聖かまってちゃんに対して、
「いいよね」なんて平気で言える人間は、
いっぺん死んで悔い改めた方がいいと思うよ。

そういうことじゃあ、ねえだろ、っていう。

君たちはどんだけ残酷なんだ、って思う。

間違いなく君たちは、あの才能のある哀れなパンクロッカーを、
そう遠くなく、最後には、殺すに違いないよ。

僕は神聖かまってちゃんに対して、”No”だ。

それが、あの凄い才能に対する、
いちばんの敬意であり、誠意であり、

いやしくもクリスチャンロックを名乗って
ポジティヴなメッセージを発しようとする音楽屋の、
責務だ。

陳腐でかまやしないよ。

チェスタトンの「正統とは何か」、
イントロで、ん?って思ったけど、

読み進めたら、面白くなってきた。

昨日1日で読破した経営の本よりもずっと面白い。
(ってことは、やっぱ僕にはビジネスは無理かも)

この本は長く愛読することになりそうだ。

バンクーバーとメールやりとり続行。
8月の都内のちょっとした野外イベントも決まりそうだ。
次の一手は。
どうなることやら。

No(607)

■…2010年 5月14日 (Sat)…….doesn’t matter at all
昔っからファンの、寺沢武一のマンガの、
名セリフに、こういうのがある。

「あなたはどうやら嫌われてるみたいね」

「構わないさ。人気者になるために来たわけじゃないからな」

普通は、
仮にも、バンドやってたり、ミュージシャンのはしくれである人間が、
こういうことを言うものじゃないと思う。

バンドとか、ミュージシャンは、人気がないと、やっていけないからだ。

でも、僕はこの言葉が好きだ。

この言葉を好きになった時点で、
僕はやはり人としても音楽やってる人のはしくれとしても、
人気者になるのはあきらめた方がいいのかもしれない。

いや、とっくにあきらめてはいるんだけどね。

でも、僕はこの言葉を、今またしっかり自分に言い聞かせたいと思う。

僕がここへ来たのは、君たちの間で人気者になるためじゃなく、
何かするべきことがあるからだ。

芸術はそれを見て受け取る人がいて初めて成り立つわけだから、
このことは矛盾しているようだけれど、
僕には真実だ。

前にも書いたように、
クリスチャンになったからといって、
それが変わるわけじゃない。

クリスチャンのコミュニティにおいても、
人気者になんかなれやしないだろう。

でも、確かに何かをするために、
僕はここへ来たんだ。

No(608)

■…2010年 5月15日 (Sun)…….カンザスシティー中継
なんか無料ライヴ音源聞いてくれたらしいカンサスシティーの子からfacebookの個人アカウントに直接メッセージがあって嬉しいなーと思って返事しようとログインしたらいきなりチャットで話しかけられてつかまった(笑)

日本時間朝8時になったらここの中継を見ろって言われたよー。
こちら

ぜひぜひ。

なんか一緒に聖書読んで聖書の箇所をいろいろ示された。
黙示録5:9とか
出エジプト15章とか。
熱い。
これで曲つくれって言われた。

あーりがーとねー
こういうのほんと嬉しいんだ。

でも眠い。

仮眠ります。

No(609)

■…2010年 5月17日 (Tue)…….こぴばんクリスチャン霊的バトル
今日はコピーバンドのイベントだったんですが、

いったい、いつなんだ、どこなんだ、というメタルぶりの日でした。

覚えてる範囲で、

2本のB.C.Richベース(!)、
2本のシャーベル、
1本のMusicMan Axis、
1本のHamer(珍しい!)、
1本のDean、
1本のシェクター(Kizzyさん)
1本のKillerベース、
Ibanezの5弦ベース、
そしてフロイドローズ付きのレスポール

変形ギターいっぱい、
メタルギターいっぱい。

どんな日やねん、っていう。

さて猫系Stryperコピーバンド、Chatryper(ちゃとらいぱー)で演奏してきました。

もともとこのちゃとらいぱー、

今ではすっかりStryperのファンである、
うちの嫁さんが言いだしっぺで、

以前、Y氏、S氏、そんでクロジュン氏に手伝ってもらって一度ライブしましたが、

K夫妻と、当初のコンセプト通り(?)「猫」にテーマをあてて(?)今回僕がヴォーカルを取る形でやってみたわけです。

いや、マイケル・スウィート役ということで、
あんな超絶ヴォーカルを、メロディなぞるだけでもえらい難しいし、
ギター弾きながらなんて、もっと難しいしね。

僕としてはとんでもなくハードルの高い修行以外のなにものでもないんですが。

曲がりなりにも歌いきったというだけで、自分を誉めてやりたい気分ですが。

ともあれ。

うちの嫁さんの気軽な冗談から始まった、
このちゃとらいぱーの、今回のライヴ、

Kizzyさん夫妻と一緒に、
プレッシャーもなく、
気軽なお遊びコピーバンド、

の、はずだったんですが、

ステージに上がってみれば、
戦いが待っていました。

クリスチャンロックとしての戦いが。

超、想定外でした(笑)

思うに、

クリスチャンロックを演奏するということは、
簡単なことではありません。

特にこの日本においては。

It’s harder than it looks.

霊的戦いがありました。

Stryperをこうして人前で演奏するということで、
特に実際にクリスチャンである僕と嫁さんは、
その、クリスチャンロックを演奏する困難さに、
はからずも向き合うことになりました。

それは、大袈裟にいってしまえば自己犠牲のようなものです。

そして、この一日のうちに、
そのクリスチャンロックを演奏することの困難、
そして、その向こうにある喜びと祝福を、
短時間のうちに経験することができました。

これは、普段、イマリトーンズというちょっと難儀なバンドでチャレンジしている僕は、常に向き合っていることでもありますが、

それを家の嫁さんが、身を持って体験できたことに、
この日の大きな意義があったと思います。

この霊的戦いの質を、うちの嫁さんが身を持って経験し理解できたことが、
とても大きな成長であり祝福だったと思います。

何人かの方、twitterなどで交流のあったStryperファンの方や、
一部の客さんや共演者の方々に非常に喜んでもらえたこと、
それだけでも、とてもやった意義があったと思います。

恥ずかしい話ですが、

僕はめっちゃ緊張しました(笑)

自分のバンドで演奏するとき以上に緊張して、
ギターなんか、指がふるえて、何もしなくても勝手にヴィブラートがかかるほどでした(笑)

歌も、全然声がでなくてまいった、
と思ったんですが、

後で録音したものを聞いてみたら、
そうはいっても結構意外と歌えていました。

僕はヴィブラートをかけて歌うのは苦手ですが、
緊張で震えていたので、
苦手なヴィブラートが勝手にかかっていました(笑)

これぞまさに神の奇跡、主の助け、
という感じですが、

冷静にきくとやっぱり下手なので、
ぬか喜びはできないんですが(汗)

猫系バンドのコンセプトにふさわしく、
持ち前のキュートなキャラクターのハイトーンヴォイスは発揮できていたと思います。

・Soldier Under Commandは、いちばん良い歌唱ができた、かも。萌え系のサビで狙いどおり。
・練習で、いつも難しいなあと思っていた”Reborn”が、意外と歌えたのが収穫だった
・RebornはAメロ平歌の歌詞が飛んで、アドリブでクリスチャンメッセージを歌ってしまった。スポンティニアスでよかったと思う。
・Calling On Youは、1番はカンペキに歌えた、んだけれど、その後ちからつきて気力も続かなかった。まあ、なんとか。
・ギターソロは全敗という感じでした。ことごとくすべて失敗しました。でもまあ、Kizzyさんが完璧に弾いてくれたからいいや、ってことで。
・今日はメタル系のイベントで、皆さん上手いギタリストばかりだったので余計はずかしかった。
・でも、Stryperを形だけでもなんとか1ステージ歌いきっただけでも自分としてはたいしたもんだしとてもよい修行になった。とりあえず自分を誉めて自己満足しておきたいところだ(笑)
・だって、ちゃとらいぱーは、チューニングが面倒だから、ってことで、スタンダードチューニング、つまり原曲より半音上でやってるんだぜ?

軽い気持ちから始めたプロジェクトかもしれませんが、
きちんと結果的に霊的戦いにのぞんでひるむことのなかったうちの嫁さんを誉めてあげたいと思います。

録音した音源は手元にありますが、もし映像がちゃんと撮れていたら、
近しい人達にはこっそりお見せしようかと思います。

イベントとしても非常に盛り上がっていました。
なぜかLAメタルが集まり、
POISON、そしてRATTのコピーバンドと共演、
つまりRATTとPOISONとSTRYPERがいっぺんに見れるという
すごいことになっていました(笑)
LAメタル夢の共演。

その他のバンドさんも、みんな凄かった。
アナーキー、Feel So Bad、80年代女性ヴォーカルものいろいろ、
とありました。

打ち上げとかもっといろいろ皆さんと交流したかったんですが、
いかんせん、家が遠いので、早めに帰らざるを得なかったですが、

家で一人、反省会してます。

メール、コメントのレスなど、後でしますね。

サンキュージーザス!!

No(610)

■…2010年 5月20日 (Fri)…….いろいろ
しかしlast.fmとかで見ると、
まあ些細な履歴なんですが、

どっかの国の人が、
うちのバンドの、
昔の日本語の曲とか、
結構、聞いててくれるのは、
いったいどっからファイル落としてきたんだろう。
iTunesにものっけてない曲とかさ。
どっから違法でダウンロードしたんだろう、きっとね、
でも、それはそれで、ありがたいけどね。

ところで告知忘れてましたが、
FUさんのネットラジオにお邪魔してきたやつ、
アップされてます。

こちら

ちょっとあれなことしゃべっちゃったけどね。
でも非常に面白いですね。

さてここ数日、精神的にちょっと落ちてました。

先日のStryperコピーバンドが、
気軽なライヴのつもりだったのが、
フタを開けてみたら結構霊的な戦いだったというのも
あるんですが。

でもそんな霊的な戦いをやるんだったら、
演奏の面でも、
表現の面でも、他人のふんどしでやるのでは、
ちょっと欲求不満が残るのは確かです。

というわけで、
今週土曜、
伊万里音色(IMARi ToNES)
新宿FNVにてライヴです。

よくよく考えると、
2月にアメリカ遠征行って以来、
ひさしぶりのライヴですね。

ほんとに今、バンドとして表現として、
尖ってパワーアップしているイマリトーンズを、
見てほしいです。

5月22日(土)
新宿FNV
こちら
「夜明けのヘイヘイヘイ」
RIDE-ONE CUSTOM/SILVERADE/伊万里音色/RUMBLE CHELCY/爆黒/THE
ONE TRACKERS
■OPEN / START 17:30/18:00
■CHARGE : adv 1,800 yen / door 2,300 yen *共に1D別(500 yen)

出番は19:20頃の予定みたいです。

ところでチェスタトンの「正統とは何か」を
やっと読み終わりました。

全体的にやっぱり面白かった。

おおむねやっぱ良い内容なんだけれど、
ここは同意できるな、とか、
でもこれは違うんじゃない、
とか、

自分の考えの立ち位置を確認するのに
とてもよかったと思います。

神学もなんも知らないけどね。

でもキリスト教の、いろんな特徴や特異な点を、
うまく説明していて、面白かった。

でも立ち位置とか考えの差異も、
本当は関係がないけどね。

チェスタトンが言うところの逆説や、
矛盾する両極が同時に成り立つことを言うのなら、

僕が思うに、
ジーザスが神であり唯一の道である、ってこと、
それを確かに信じている自分と、

でも、そうでなくても、
違う生き方、違う考え方も、
同時に認めること、
それが両方なくては、本当ではないと思う。

だって、
信じていること、
信仰っていうのは、
いわゆる、意見とか、理屈、考えとは、
もうひとつチャンネルが上の精神的働きだと思うから。

だから、それは本当は、
人に伝えることは難しいし、
議論してどうこうなるものでもないし、
押し付けるものでは、本当はない。

僕が思うに、
チェスタトンや、
19世紀や20世紀の学者さんとか、
現代の人が、どんな議論をするより。

神さんの本当の神殿、
それは、
ひとりひとりの肉体であり、
そして文字通りの肉体以外にも、
精神的、霊的な肉体であり、

それを通じて、
リアルタイムで届く、
神さんからの言葉、メッセージ、
そこに基準を置くんであれば、
何も迷うことなんて無いと思う。

そして、教義とか、
何が正しいとか、
本当は議論するとこじゃない。

だって、何かを伝えるって、
何かを伝えるって?

どうしたら何かを本当に伝えられると思うんだい?

それは、身をもってするしか、
ないと思うんだよね。

小坂忠さんの、Chu’s Gospelという2枚組のアルバムを入手した。

こちら

なんでも、25年?だかの、
あいだの、彼の取り組んできたゴスペルソング、
というか、CCMの音楽活動の、ベスト盤みたいなものだと思う。
1975-2000くらいの間のベスト盤なのかな。

音楽性は、それこそ、はっぴいえんど、とか、
あるいは古き良き70年代の日本のオリジナリティがあったころの
ロックソングの延長だ。

彼は、メインストリームや、商業的な音楽とは、一線を画して、
自身のポップサウンドで、ゴスペルを表現することを、
ずっとやってきた。

それを、25年だか、35年だか。

身をもって示す、ていうことは、
ひとつには、間違いなく、こういうことだと思う。

This means a lot to me.

マジメな話、
18のときに高校生だったころに、
うちの嫁さんにプロポーズしたとき、

あるいは、
21のときの僕が、
実家の音楽室でひとりで録音をはじめたとき、

26のときの僕が、
バンドの皆と一緒に共同生活をはじめたとき、

新しい生き方がしたいと思った。

新しい価値観による、
既存の価値観にとらわれない、
本当の意味で自由な、あたらしい生き方をしようと思っていた。

でも、その新しい生き方は、
たとえば、2000年くらい前に、
新約聖書にとっくに書かれていた。

本当の価値観とは、
そういうものだと思う。

No(611)

■…2010年 5月21日 (Sat)…….目の前の企画に全力を:ユルクリblock party
そのミクタムの小坂忠さんの、
エッセイ本を読んでいるんですが、

伝道とか、日本にリバイバルを、
ってね、

いや、僕だって僕らだって、
もちろん、日本にリバイバルを起こすために
やっているんだけれど、

伝道、って、
ちゃんとやってるかな自分、
って思っちゃって。

そもそも伝道ってどういうことを言うのだろう。

たとえば、道を歩いていて、
少年たちを見かけると、
走り寄っていろんなことを伝えてあげたくなる。

でも、「ここは日本だし」
大抵はそんなことは、実際にはしない。
落し物をした人、なんか困ってる人とかには、
さすがに声をかけるけど。

アピールすること?
道端で、大声で福音を叫ぶこと?
友達にかたっぱしから声をかけること?

わかんない。
それができる人はそれでいいのだと思う。

せめて、僕は、最近とみにまた日常でダメ人間をやっているので、
ダメ人間ならせめて、と思って、普段わりとシャツの中にしまってある十字架ネックレスを、
見せておいて、
「僕はこんなに神さんの助けが必要なダメ人間ですよ」
とアピールしようと思っているけれど。

やはり、言葉で伝えることは、どうにも僕にはうそくさい。

身をもって示すっていうのは・・・・

難しいな。

自分が本当に取り組んでいのちをかけていること、
それを通じて、やるしかないのだと思う。

自分のバンドで、
普通にライヴハウスやイベントで、
「クリスチャンロックだ」
って言ってみたり、お祈りしちゃってみたり。

それもできることのうちなのかもしれないし、

とりあえず、
目の前に、与えられたことを全力で、

というわけで、
今うちの教会で、
僕とRくんとY牧師で話し合って、
こんなこと企画してます。

“ユルクリblock party” Vol.1
日程: 5月29日(土)
時間: Open 16:00 Start 16:30
場所: 横浜 山手D-Factory
こちら
入場: 500円(1drink付き)
主催: Victory International Church Yokohama
出演: ユミコ・ベック、VIC worship team、ナカミネ from 伊万里音色、Amin Band

教会で主催するマンスリーコンサートの、初回です。
横浜の、山手でやります。
会場のD-Factoryは、NPOが運営する、ちょっと変わったライヴハウス。
おもしろそうです。

ゲストに、おなじみ、ユミコ・ベックさんをお迎えします。
こちら

ユルクリっていうのは、
「ゆるいクリスチャンの」という意味で、
block partyという言葉は、R氏の提案によるネーミング。

リラックスして楽しめるゴスペル系のコンサート、パーティーのこと。

もし可能であれば、ビデオポドキャスト、YouTube、
そしてustreamでの配信もやってみたいと思ってる。
まだどうなるか、わからないけれど。

このへん、アドバイスいただけると、ちょっと嬉しいです。

一応ね、急ぎだけれど、フライヤーも、作ってみた。

ほんと、急ぎなんだけれど、

こちら

そんな感じです。

また告知に文章長くてスミマセン!

そうか、
日曜日に、みんなで「教会なう」とかtweetすれば、
ちょっとしたアピールになるのか。

普段日曜日に教会行くときはtwitter開かないもんで。
むしろ教会でもtwitterしちゃえばいいのかも。

No(612)

■…2010年 5月22日 (Sun)…….1年半ぶりのbloodthirsty butchers
ブッチャーズを見てきた。

1年半ぶりだ。

でもそのときは、
プラマイの来日を連日で見たときの
二日目の対バンだったから、
短いステージだった。

ちゃんと、ワンマンみたいな形で、
じっくり見たのは、

なんと3年ぶりだ。

2007年の2月だったかな。

米持師匠とSXSWに出かけるその直前に見たんだよね。

気合入れるために。

そのSXSWで僕は+/-{plus/minus}に出会い、
そこから、
いろんなことがあったなあ、この3年間で。

いきなりクリスチャンになったりとか(笑)
またバンドでの演奏も含め、何度アメリカに赴いただろう。

ブッチャーズの新譜は本当に過去最高にダントツに素晴らしいし、
今日のコンサートも本当によかった。

お客さん、みんな熱心で、(日本人らしく反応は控えめだけど)
なんとバンドにアンコールを4回もやらせてしまった。

本当に心地のよいライヴだった。

本編は新譜の曲を全部、

確か
散文とブルース、から始まって、
black out

ああもう中間の曲順は覚えてない

最後は、
Ocean
curve
フランジングサン

curveで歌うひさ子さんが、
感極まっているように見えたのは、
あるいは汗のせいか照明のせいか。

twitterでひで子ママのキャラクターがネタになっている影響なのか、
これまでになくよくしゃべる吉村さん
これまでになくよくしゃべる開放的なブッチャーズを見ることができた。

1度目のアンコールは、
サラバ世界君主
Sunn
さよなら文鳥
no future
Jack Nicolson
地獄のロッカー

みたな感じ。覚えてないけど。

2度目のアンコールで、
5月、
6月、
7月、
というこの流れ。もう。

3度目のアンコールで、
2月
8月

4度目のアンコールで、
ファウスト

確かこんな感じだったと思う。

もひとつ珍しかったのが、
音量が控えめでバランスが取れていたこと。
いつもブッチャーズといえば、
アンプからの音が、異常なくらい爆音だったのに、
新作の繊細な音世界を再現するためか、
今日は非常にバランスが取れていた。
あれだけ長いショウだったのに終演後耳鳴りが起こらなかった。

本当に
本当に
素晴らしいライヴだったけれど、

僕はほんのちょっとだけ、感傷的な気持ちで見ていた。

それは、ブッチャーズの演奏もだけれど、
それ以上に、

この日本の観客、
日本のライヴハウス、
そして日本のロック。

こんなtweetをした。

礼儀正しい観客、でも熱い拍手、アンコールを求める乾いた手拍子と声。少なくとも90年代から同時代体験してきたであろうこの日本のロックの現場とオーディエンスの共感を、懐かしく、少し悲しい思いで聞いていました。さらば、青く無邪気な時代よ。わが青春よ。今ぞ変化のとき。

少年の頃から、
こういうロックの中で、
育ってきたと思う。

そして、これが90年代から、僕たちの世代が共有してきた、
日本のロックの文化だ。
それを思うとき、とても甘く、苦い感傷に僕は襲われる。

今、僕はこう思う。
こんな時代はもう長くない。
無責任で、安心して人に頼っていられる中途半端な時代は、
たぶんきっと、もうすぐ終わりを告げる。

公正を期す、フェアに語るなら、
ブッチャーズは、日本のそうしたシーンの中に、
必ずしも、正しい意味で、居たわけではないけれど、

今日のコンサートを、
僕の中では、ひとつの区切りの象徴のように、
そんな感傷を感じながら、見ていた。

さよなら、僕らの時代。
甘く、頭でっかちで、傲慢に自己満足し、それぞれに引きこもっていられた、
そんな時代。

次の時代。
まだまだ、ブッチャーズは、未知を走るというのか。

その勇気を、僕も少しだけ、受け取ったと思う。

No(613)

■…2010年 5月23日 (Mon)…….“Yes go ahead and hit me. Then I can show you something more than violence”
“Yes go ahead and hit me. Then I can show you something more than violence”

今日はちょっと誉めてもらいたいです、神様。

いや、神様基準でいったら、「まだまだだ」といわれることはわかってます。
わかってますってば。

でも、ちょっとだけ。

二度目の「信仰修行」海外遠征後、
初めての国内ライヴハウスギグ@新宿FMVでした。

もう僕の中の情熱を抑えることができない。
福音語りまくり。
ジーザスに言及しまくり。

最後の曲をやる前にお祈りパフォーマンスしちゃう。

普通のライヴハウスの、普通のイベントで(笑)

そいつを自然にやるんだぜ。

でっかい十字架をつけて、聖書を抱えて歩く今日の自分は、
まるで宣教師の気分だった。

ギターのストラップにまで、John 3:16と書いてあるんだぜ。
(渋谷イシバシ楽器で半額投売り。誰も買わなかったんだろうな。意味わかんないだろうし)

先週のStryperコピーバンドの際に、
気軽に臨んだら、ふたを開けると激しい霊的戦いだったので、

IMARi ToNESのライヴは、それ以上に戦いになるだろうと思っていた。

少しだけクリスチャンカラーを出すとか、
ほのめかすとか、
そんなんじゃあ、もうきかない、僕の場合は。

だって、この国の状態は、もう、限界を超えている。
この国の霊的な惨状は。

平和に見えるこの国、
豊かに見えるこの国、
でも、ここには、過酷な霊的戦いがある。
世界有数の過酷な戦場。
そして僕の知る限り、少なくとも僕の知るこの20年ばかし、
ここでは常に悪魔(さたんちゃん)が優勢に勝ってきた。

霊的に生きている人なんて、ほとんどいない。
死んだ人ばかり、
死んでいる、人、人、人ばかり、ばかりだ。

嘘だと思うなら、
試してみなよ。

本当のことを、
真実を、
神の、ジーザスのことを、
口にしてみなよ。

Soon you will see what I mean.

ここでは、神のこと、本当の真実は、
決して語られないようになっている。

人々を真実から遠ざけるためだ。

僕らは日本で最初のクリスチャンヘヴィメタル。
(オールドスクールメタルですが)

激しく戦わないわけにはいかない。

これは戦争だ。

This is a war.

二度の信仰修行?旅行を終えて。
日本の状況にケンカを売り。
熱く燃える本当のクリスチャンロックに一歩近づいた僕ら。

今日は国内のライヴで初めて。
さらに、一歩踏み出すことができた。

恐れずに真実を語り、演奏をたたきつけた。

一歩踏み出すんだ。
なぜなら一歩踏み出したとき、はじめて、リバイバルは始まる。
Because if people take one step ahead, that’s when things start to change.

よく言われるように、キリスト者(へんな言葉)は、
この世に属さない。

だからこそ、人々から忌み嫌われ、迫害を受けるとされている。

それを思えば、僕は幸福だ。
いつだって、僕はそんなふうだったのだから。

僕は見てのとおりとても素っ頓狂な性格だ。
パーソナリティも変わっている。
空気が読めないことは帰国子女以上。
人々となじめないことは狼男以上だ。

きっと、今日もいろいろな人と話したけれど、
対バンの人達も、僕をへんなやつだと思っただろうと思う。

(でも、いくつか、交流もできた。クリスチャントークもできたけどね。)

最後には、対バンの人に、胸倉をつかまれて凄まれるということまであった。
いかしたバンドだったけどね。
光栄だと思う。
嬉しかったよ。
欲をいえば、もっと濃いコミュニケーションが取れればよかった。

機材トラブルもあった。
とある中古のJacksonのギターを使ったのだけれど、
2曲目のギターソロを弾き終えたところで、
フロイドローズの1弦のコマが外れた。
おかげでチューニングは狂い、
応急処置に時間を要し、ステージは中断。
セットリストを1曲削ることになった。

サタンの攻撃だなんていわない。
もし攻撃だったとしたらむしろありがたい。
さたんちゃんの標的になるってことは、正しいことをやっている証だからだ。

これは昔にも似たような経験があると思ったけれど、
帰ってよく見ると、
なんのことはない。
僕の初めてのギターもフロイドローズのついたジャクソンだったが、
そのギターも、一度、1弦のコマが外れていた。
ネジ山をねじきってしまっていたのだ。

オクターブピッチについては、
2番目のネジ穴を使うことで問題なく使えるようになる。
(細かいことさえ言わなければ)
解決済みの問題だ。

今日は
残念ながら、嫁さんもいなかったし、
ビデオが最近調子がおかしく、
映像は残っていない。
音だけは残っている。

でも、今日、いちばん本当に思ったことを言おう。

僕は恵まれている。
ものすごく恵まれている。

なぜなら、
こんなに激しく、孤独な、難しい戦いをしているのに、
一緒に演奏し戦ってくれる、仲間がいるからだ。
はっしーとジェイクは本当にたいしたやつらだと思う。
こんな僕についてきてくれる二人は本当に凄い。

そして、多少なりとも、応援のエールを、応援を、
してくれる人が、いるからだ。
世界中に(笑)
微妙にちょっとずつ世界中に(笑)

そして、こんな僕を、
本当に互いに受け入れてくれる愛する嫁さんもいるからだ。

そして、まだ戦うことができる状況がある。

なんて、なんて恵まれているんだろう。
こんなに恵まれている人って、いるだろうか。

本当に、涙を流して僕は感謝する。

戦えなくなるまで。

“I’m His servant till I die” (Faith Rider)

神さんは、僕が、こんなどうしようもない、
誰と協調もできなければ、
周囲のことも見えやしない、
「深刻なお調子者」
だけれど、

だからこそ、
僕に、この面倒な役目を、
押し付けてくださったんだと、

思いたい。

それくらいイカれた馬鹿じゃなければ、
こんなことやらないだろうからだ。

大上段から、振りかぶる。

もう一度言う、
僕らは日本で最初の、おそらくは最初の、
クリスチャンヘヴィメタルバンド。

次のライヴは6月10日の三軒茶屋。

また戦いになるだろう。

はあ、ゆーうつ、
じゃない(笑)

燃え尽きたってかまやしない。

いくらでも、生贄になってやる。

それが終われば、次は町田FUSEでの教会ライヴだ。

教会ライヴ??!
オアシスのような響きだ。

サンキュージーザス。

No(614)

■…2010年 5月27日 (Fri)…….魔法が解けるとき
この危機感の無さはなんなんだろう。

これが2010年代に入ったってことなのかもしれない。

今日のMike Orlandoのイベントもそうだったんだけれど、

最近、いくつかのライヴイベントで、

先週の自分らのバンドのライヴのときとか、

そう思うことが続いた。

どういうことかというと、

なんだかまるで、15年か、20年くらい、時代が戻ったかのような、

まるで80年代というか、たぶん90年代半ばくらいのような、

そういうライヴの現場を見ることが続いたからだ。

そして、先日のbloodthirsty butchersのライヴで感じた、

まるで、繊細な日本のロック、

あるいは理知的なオルタナの時代が終わるかのような、

寂しさの感覚。

あるいは僕だけかもしれないけれど、

90年代の後半から、

時代を通してずっと、

僕らは、不思議な危機感の中に生きていた。

いわゆるロスト・ジェネレーションの感覚と関連して、

その危機感と虚無感は、

おそらくたぶん00年代の前半までは有効だったと思う。

僕らが、たとえば80年代のような音をストレートに鳴らせないその理由は、
その危機感からくるものだ。

その危機感と喪失感は、いちいち説明することはしないけれど。

いつのころからか、
おそらくは新しい世代が作り出す、

ストレートで屈託のない、
僕らより上の世代にはおそらく不思議と懐かしい、
そうした表現が、目につくようになっていた。

もはやすべてが出尽くした00年代になって久しく、
80年代やハードロックも含め、
あらゆる表現が選択肢としてアリになって久しい、

その状況は、別に日本の外であっても同じことだけれど、

でも、この危機感の無さというのが、
とても僕は気になる。

00年代は、音楽業界の形が、インディーズ時代、ネット時代の流れが、
どんどんと進行していった時代だ。

長いこと、テレビもまともに見ていなかったので、
気付かなかったけれど、
そういった、テレビのようなメディアの中の表現まで、
なんだか、あの時代以前の、危機感の無かった時代のものに、
逆戻りしているような気がしてならない。

少しは自分のアンテナで、日本に紹介されない、
いくつかの音楽を、チェックしているつもりだけれど、
たぶんアメリカあたりの音楽業界では、
このポストロック的なインディーズ的な発想というのは、
状況として、当たり前の前提になっているはずだ。
たとえある程度メジャーなバンドであっても。

それに対して、
日本のミュージシャンと音楽業界は、
その時代の流れに対して、
何もすることなく、
そのインディーズの方法論とスピリットを見つけられないままで、

来てしまっているような気がしてならない。

あるいは、逆に日本独自の形といえば、
ニコニコ動画とか、秋葉原系といった形があるけれど。

思えば振り返ってみても、
日本には本当は90年代というものは、
直接には来なかった。

世界のロックシーンが、
よりグランジ、オルタネイティヴ、
そこから派生したいろんな流れを経験していく中で、

しかし日本のシーンは、
ある意味80年代の延長の形で、
来ることができてしまっていた。

ガラパゴス的な発達ならまだいい。

居心地のよさゆえの停滞と逆戻りなら、かんべんしてほしい。

今月はiTunesの売上がちょっと少なめだった。
今、難しいとこだし、
ちょっとしたことで落ち込んでしまうぞー。
(まあ、無料ライヴアルバムは結構いい感じに、ダウンロードされたんだけれど)

音楽やめようと思う理由なんていくらでもある。

早く、長いつあーに出たいよ。
最前線に身を置いていたい。

自分的には宿題はだいたいもうやっつけている。

あとは都合をつけるだけだ。

感傷とともに、
ブッチャーズの「無題」をもう一度聞いてみる。

さよなら。

さよなら、やさしさの時代。

僕はメタル、ハードロックが、基本にあるから、

その時代を通ることは、必ずしも複雑だったけれど、

その時代を通り、共有することができて、

よかったと思っている。

とりあえず略。

No(615)

■…2010年 5月27日 (Fri)…….世界最速の男
Mike Orlandoを見てきた。

もちろんものすごい速弾き、ものすごいプレイで、
とても楽しめた。

凄え、って圧倒された部分と、

逆に、それほどでもないな、という部分と、
両方あったけれど、

フレーズ自体はわりと単調だったしね、
(ギタリストというか、ミュージシャンとしてはやはりB級の感じが否めなかった)

しかしその圧倒的な速さと、なにより迫力、速弾きの圧力は素晴らしかった。

とても楽しめ、そしてとても僭越ながら、勉強になった。

なにより、ギターってやっぱり素晴らしいな、
と、心から、また再確認することができた。
それが、いちばん大切なことだろうと思う。

そう思うと、
速弾き、というのは、
人によっていろいろ言うかもしれないけれど、
とても純粋で、一途なものだな、と
そう思った。

一途な情熱こそが、速弾きの真髄だ。

それはともかく、

Kizzyさんのリガ・ミリティアを見逃したのがちょっと残念だったな!

No(616)

■…2010年 5月28日 (Sat)…….(どちらにしてもさみしいことだ)
自分の部屋を見回すと、
スポーツカーのような素晴らしいギターが何本もある。
昔から欲しかったものや、
ハードロックなスタイル、古典的なスタイル、
本物の80年代のギターなど。

ここ2年くらいで、オークションや中古でギターを安く入手できたからというのもあるけれど。

これは、本当に幸せなことだと思う。

そして最近、昔から欲しかった、とある古典的なアニメのDVDを格安で入手できた。

いよいよ、これで欲しいものが無くなってしまった。

情けないというか、
もっといろいろ大きなものとか、欲しいものないのか、
と思うけれど、

これでいよいよ欲しいものが無くなってしまった。

本とかはちまちま読んでいるけれど、

いよいよ欲しいものが無くなってしまった。

(どちらにしてもさみしいことだ)

それと関連して、
関連しないけど、

先日の新代田Feverでのワンマンライヴは本当に素晴らしかった、
生涯の記憶に残るライヴ体験だったけれど、
bloodthirsty butchersの新作は、
自分にとって本当に好きだと言える最後の日本のロックになるかもしれない。

(どちらにしてもさみしいことだ)

これ、吉村氏のtwitterだけれど、
こちら

こんな素晴らしいバンドを応援し支えるために、
ぜひ皆さんブッチャーズの新作「無題 No Album」を買ってみてください。

おすすめなんてもんじゃありません。
本物の日本のアンダーグラウンドロックの、究極の姿です。
そしてブッチャーズの間違いない最高傑作です。

こちら

No(617)

■…2010年 5月28日 (Sat)…….阿漕な真似
アコースティックギターの弦を張り替えた。

なんというか、アコギに、アコギ用の弦を張るのは、
ものすごいひさしぶりだ。

というのは、
もう何年も前、
一緒にやっていたヒッチー氏が、
アコギに、普通にエレクトリック用の弦を張っているのを見て以来、
それでいいじゃん、とおもって、
アコギにも普通にエレクトリック用の弦を張っていた。

そんで、録音作業でアコギを弾くときにも、
だいたい、それでやってしまっていた。

今回、ひさしぶりに、アコギ用の弦のExtra Lightを張ってみたんだけれど、
なんか、やっぱ違う。
鳴りも違えば、使い勝手も違う。
どうもピンと来ない。

ギターとの相性の問題もいろいろあるけれど、
サウンドとか、スタイルとか、
僕は、変則的だけれど、エレクトリック用の弦を張るほうが、
いろいろといいのかもしれない。

テンションもゆるくなるし、
僕、ギタリストにしては極端に握力ないから、
その方がラクだしね。

オクターブピッチはあんまり合わないけどね。
若干太めのエレクトリック弦、くらいで正解かな。

No(618)

■…2010年 5月28日 (Sat)…….明日ユルクリ第一回!
そういうわけで、明日は、

Victory International Churchで、
企画主催する、

気軽なゴスペル系コンサート、

「ユルクリblock party」の第一回です。

えっと、うちのちいさな教会の、ひとつの試みなんですが、
ぜひ、一緒に楽しんでくれたらです。

“ユルクリblock party” Vol.1
日程: 5月29日(土)
時間: Open 16:00 Start 16:30 (18:30頃終了予定)
場所: 横浜 山手D-Factory
こちら
入場: 500円(1drink付き)
主催: Victory International Church Yokohama
出演: ユミコ・ベック、VIC worship team、ナカミネ from 伊万里音色、Amin Band

教会で主催するマンスリーコンサートの、初回です。
横浜の、山手でやります。
会場のD-Factoryは、NPOが運営する、ちょっと変わったライヴハウス。

ユルクリというのは、
「ゆるいクリスチャンの」という意味で、
リラックスして楽しめるゴスペル系のコンサートを目指しています。

ゲストは、ユミコ・ベックさん。

こちら

Ustreamとかもやりたいんだけれど、
どうかな、
Y牧師のiPhoneにアプリを入れてみたけれど、
twitterと連動しないとあまり意味ないしね、
iPhoneだと動画もスムーズじゃないだろうし。

次回以降の課題かな。

とにかく、「ゆるくて」楽しいパーティーになること請け合いです。

Y牧師はまたちょっとレゲエを演奏するみたいです!
Lively up yourself!

No(619)

■…2010年 5月28日 (Sat)…….溝鮫
昨年末くらいに、
良い「狩り場」だったimeemがなくなってしまって以来、

どうしたもんかと思っていたんだけれど、
どうやらGroovesharkというウェブサイトがあるらしい。

メモしておこう。

とかくimeemは、
アメリカやヨーロッパだけでない、
アジアやアフリカ、南米といった、
第三世界というのか、
そういう国の人達とつながるのに、
すごくよかった。

そういうサイトだといいんだけれど。

No(620)

■…2010年 5月28日 (Sat)…….New Heights
これはまた良いクリスチャンロックのバンドを見つけた。

New Heights
こちら
こちら

Seattleのバンド、
まだメジャー契約前みたい、
しかもメンバーが東洋系。

これは面白い。

No(621)

■…2010年 5月31日 (Tue)…….ポリシーと運営
今日は教会は、Kさんちでバーベキューの日だった。

もちろん礼拝もしたし、
僕ははじめて、ようやく、賛美のリードを担当した。

小さいけれど一歩だ。

しかしバーベキューだったけれど、

天気予報はおもいっきり雨だったにもかかわらず、
結局最後まで雨に降られることなくプチミラクルを享受した。

先週にひきつづき、はっしーも礼拝に参加。

そしてまた、いろんな人に会うことができた。

土曜日は、

うちの教会で、ヤオ牧師と、僕と、Rくんで企画した、
「ユルクリblock party vol.1」。
場所は、山手D-Factory。

この場所でやったら、きっとアットホームな感じになるだろうなと
思っていたけれど、
本当にすごくアットホームな雰囲気になった。

しかしやってみると反省事項がものすごくたくさんあった。

「ユルクリ」とは、ゆるいクリスチャン、という意味だけれど、

決して、企画や運営までゆるくするつもりはない。
それは、Rくんやヤオ牧師とも話していたことだった。

けれど、意識として、甘かったところが多かった。

しかし、きてくれた皆さんや、
演奏していただいた、ユミコ・ベックさんのおかげで、
アットホームな中で楽しむことができ、
結果的には、喜んでもらえることができた。

会場の手配の関係で、
準備の時間がほとんど取れなかったことを考えると、
初回ということも含めて、
なんとかギリギリ及第点と言えないこともない。

今回、ustreamまでは、とても手が回らなかったけれど、
今、配信するビデオを編集している。
これに関しては、意図どおりのものができると思う。
(僕のビデオ編集の技術の無さは仕方が無いとしても)

今回の反省、問題点を考えるに、
これは、イベントそのものよりも、
むしろ教会そのものの内部に問題がありそうだ。

今日も教会で、
バーベキューはとても楽しかったんだけれど、
少し、問題になったissueがあった。

イージーゴーイングで、
リラックスして、
ものごとが曖昧なのは、
うちの教会の、いいところでもあるけれど、

同様にポリシーや運営までが曖昧になってしまったり、
FaithなりCreedなり、確かな方向というものを、
きちんと指し示すことができないのであれば、
それは問題な気がする。

教会が教会として存在するために、
もし、
ドグマというか、ポリシー、ないしは教義みたいのが必要なのだとしたら、
果たして今うちの教会は、本当に存在すると言えるのだろうか。

僕らは小さな教会、小さな群れであり、
場所にせよメンバーにせよ、
いくらか流動的なところがあるけれど、

小さな群れだからこそ、
この問題を解決してから、
次回のイベントに取り組みたいところだ、
と思う。

No(622)

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