2010年7月の日記

■…2010年 7月 3日 (Sun)…….Nikki
最近ちょっと歯医者に通っておりまして、
本日も前歯の裏っかわをガリガリと削られました。

まあ出来るうちに早めの治療をするに越したことは無いんですが。

それよりも7月いっぱいで仕事クビになっちゃうんで
求職活動しないといけないんですけどね。

Empty Vesselに投げた新作のミックス/マスタリングがどうなるか、
バンクーバー遠征が実現するかどうかという点も含めて、
また9月の某都内のコンベンションに出れるかどうか、とか、

いろいろありますが、

身の処し方をいろいろ悩むところです。

ミュージシャンとしての生き方に迷いなんてちっとも無いんですが、
そのための身の処し方については悩みは尽きません。

本当はとっとと、どこかもっと人として生きやすい国に移住して、
悔いなく子供を育て、死んでいきたいところです。

お金やらいろいろあれば楽なんでしょうけれど、
そうしたお金に縛られない生き方への脱却もテーマである以上、
精神性でカバーしないといけません。

しかしどちらにせよ、
西海岸あたりを照準に、もう一度大きめの遠征は実現させたいところです。

そんなこんなで、先週の「ユルクリ」のダイジェストビデオの編集がもうすぐ完了です。

No(645)

■…2010年 7月 7日 (Thu)…….優先席のジレンマ
ミクシからコピーするの忘れてた。

優先席のジレンマ
2010年07月05日01:04

電車の中で、席に座っていて、
ふと、「囚人のジレンマ」というやつを思い出した。
こちら

電車の中で、高齢の方や妊婦の方とか、
席を譲るというのは、誰もが知っているマナーだと思うけれど、

実際にそれをやるのには、意外となかなか、いくつものハードルがある。

まず、席を譲りたいターゲットの方が、自分のそばにうまく来てくれるとは限らない。

かといって遠くにいるターゲットに向けて、
「ねえ、あなた、ここに座りなさいよ」
なんて大声で呼ぶのはシャイな日本人としてはとても不可能だ。

また、うまく目の前にターゲットの方が来てくれたとしても、
「どうぞ、お座りください」
なんていって、うやうやしく席を譲るのも、
なんだか、偽善的で、ええかっこしくて、やっぱり出来ない。

かといって、
無言で席を立つと、
ターゲットの隣にいる高校生が、あっさり先に席に座ってしまったりする。

また、高齢の方に席を譲る場合には、
「私は席を譲られるほど歳じゃない」と思われたりして、
かえって失礼なんじゃないか、とか思ってしまうし、

そういったいろいろな事情があって、
実際には高齢の方や、妊婦の方などに、席を譲るのは、
結構ハードルが高く、チャンスはなかなか訪れない。

そういった理由から、
電車に座っている人々の大半は、
どうせ、席を譲ろうとしても無駄さ、と思って、
最初からあきらめてしまっているのじゃないだろうか。

善意はあっても、それを行うことを、最初からあきらめてしまっている現状があったりしないだろうか。

席を譲ろうとして立ち上がっても、それが無駄に終わるのであれば、行動を起こしただけ損だ。
普通は、そう考え、そして結論として、誰も行動しない。
それが、現在の社会の現状だ。

でも、ひとつだけ確実なことは、
もし、自分が何も行動を起こさず、
そこに座り続けていたならば、
その席に、そのターゲットの方が座るという目標は、絶対に実現しないということだ。

だったら、その現状をまず変えてみたらどうだろう。

「どうせ私が席を立っても無駄さ」と皆が思うのでなく、
とりあえず、自分が座っている、その席を立ってみる。
そのことによって、ターゲットが、座れるかどうかは、問わない。
その行為が果たして無意味かどうか、その結果も、考えない。
みんなが、そう考えたとしたらどうだろう。

(もちろん疲れているときや、座っていたい事情があるときはこの限りではない)

一人や二人が席を立っても、たとえばターゲットが、車両の中の遠い位置にいる場合は、
うまくその人に席を譲れないかもしれないが、

たとえば、電車の車両の中に、明らかな高齢者の方が一人乗っていた場合、
突然、座席に座っている50%の人が、いきなり席を立ったとしたら、

いや、50%でなくてもいい、せめて30%の人が、座っているのをやめて、立ち上がったとしたら。

さすがに、その高齢者の方は、席に座ることができるのではないだろうか。

いや、冗談で言っているのではない。

いや、うそだ、これはもちろん、冗談だ。

冗談だけれど、
損得や結果にとらわれず、
「善意はあるけれど、結果が保証されておらず、行動したものが損をすることが予想されるため、結局誰も行動しない」という、「優先席のジレンマ」にとらわれず、
皆がすすんで立ち上がるような社会になったら、
本当に世の中の仕組みは、変わるのではないだろうか。

No(646)

■…2010年 7月 7日 (Thu)…….ざーんねん。
こちら

Imogen Heap – Wait It Out
やっぱ今年の上半期でいちばん聞いてたアルバム、曲なんだけど、
いいね。

昨年からずっと、嫁さんと一緒に、
Stryperの来日を祈願してたんですが、

先月号のBurrn!誌で、
LoudparkでStryper来日決定!
っていうニュースが書いてあって、

非常に興奮したんだけれど、
インターネット上のLoudparkの公式な情報には、
名前が書かれておらず、
まだ公式決定ではないのかな、
と、待っていたところ、

今月号のBurrn!誌で、
「Stryperはアーティストの都合によりキャンセルになりました」
って。

ほぼ、文字通り、これで、
最後の望みが断たれちゃいました。

これが現実です。うーん、残念。

往年のLAメタルのファンであるところのうちの嫁さん、僕もですが、
にとっては、
新作が好評なRATTもLoudparkに来るっていう情報がネットでリークされてたから、
期待していたんだけれど、
こちらも、いまだ公式発表が出ず、
うーむ、と、思っているところです。

音楽業界の不況というか変化の中で、
こうしたアーティストの来日、日本公演も難しくなっているのかなと思います。

これも往年のハードロックですが、
楽しみにしていたLiving Colourの来日公演、
これは、地方も含めて小さなライヴハウスを周るという、
ドサ周り的な、追っかけしたくなるような、
素敵な企画だったんですが、

これも中止になっちゃいました。
しょうがなくチケット払い戻しに行ったよ。

アーティスト側の急病が理由と言われているけれど、
ひょっとするとこれもチケットの売れ行きなどの背景があったかもしれない。

最近の新しい世代のバンドの来日も、
昔と思うと、みな、小さい会場で行われることが多いみたいだしね。

好きなバンドのツアー日程なんか見ていると、
最近では、「名古屋とばし」どころか、
「日本とばし」なんていうことが起きてきているんじゃないかと思いたくなります。

どのバンドも、オーストラリアとかは、行くのに、
日本には来ないからねえ・・・。

Loudparkも今年はどうしようか、と。
ヘッドライナーのOzzy Osbourneはもちろん見たいですが、

僕が少年の頃、20年も前、
いや、20年はまだたってないけど(笑)

当時、Burrn!誌を初めて読んだりしたものですが、
20年近くたった今、

当時と同じアーティスト達がいまだに表紙になっていて、
Ozzyがヘッドライナーで、見るとか見ないとか言っているのは、
不思議な感じがします。

つまりは、これが、現状かと。

No(647)

■…2010年 7月 7日 (Thu)…….データ
また例によって日経オンラインの記事なんだけれど、
おもしろいデータがあった。

日本代表のサッカーの試合を、データの数値で分析しているんだけれど、
このコラム、開幕前には日本の善戦もわりと予想してたし、
日本対パラグアイがPK戦にもつれる可能性が高いことも事前に指摘してて、
けっこうびっくりです。

そして、総括してるんですが、

こちら

なんでも、今回のワールドカップ中の一試合平均のデータでみると、

日本は、

パス数
32国中32位

パス成功率
32国中29位

ミドルパス成功率
32国中32位

ロングパス成功率
32国中32位

シュート数
32国中29位

だそうです。

どれだけ、技術的に実力的に不利だったのかという感じですが、

こんな数字で、決勝トーナメントまで進出したのだから、

やっぱり、なんか奇跡的にすごいものがあったんだろうなー
と、思いました。

ベスト4に勝ち残ったチームを、
同様のデータで見ると、
4チームの中では、
ウルグアイが、だんとつにもっとも出来が悪く、
スペインが、いちばん優秀だということになるようです。

ウルグアイは、実際に、さきほど負けてしまったけれど、
ウルグアイも、データ上はあまりよくないのに、
ベスト4まで勝ち残って凄い。

やっぱり、数値に表れない強さがあるのかもしれない。

No(648)

■…2010年 7月 7日 (Thu)…….ゆでがえる
こちら
こちら

日本という国ではなくて、
僕自身について。

このままでいけないということははっきりわかっている。

問題は、いつ、それをするのか、ということ。

このままではいけないということはわかっている。

問題は、いろいろと都合をつけつつ、ずるずるとタイミングをはかること。

でも、これ以上、ずるずるとタイミングを計っていていいのだろうか。

このままではいけないということ、
環境を変えなければいけないということ、
それははっきりわかっている。

でも、やはりとても勇気が必要だ。

タイミングをしっかり見極めて、
自分に問いかけなければいけない。

自分は、本当にそれでいいのか。
これ以上、一瞬たりとも、ずるずると引き延ばしていいのか。

残りの余生を、何をやって過ごすべきなのか。

同じことだ。

手詰まりになっている。

新しいことは何もおきない。

チャレンジすることもできない。

僕が、ひとりではじめたとき、
新しい生き方をしたいと思っていた。

今ある社会の価値観にとらわれない、
新しい生き方をしたいと思っていた。

そのときに、僕の目に見えていたのは、
安定した平和で豊かな社会ではなくて、

なにもない荒野だった。

僕たちは、新しく作り出さなくてはいけない。

なにもない荒野から。

60年以上も前に、
この国に生きていた先人たちが、
それをしたのは、
なにもなかったから、
いちから、自分達の手で、つくりあげるしかなかったから。

現代の社会の中では、自分達の手で、いちから何かを作り出すなんて、
夢物語みたいに思える。

でもそれは嘘だ。
だまされてるだけだ。

ぼくたちは、いちからつくりださなくてはならないんだ。

政治が機能しないというのなら、
新しい政治のシステムをつくりだせばいい。

経済が機能しないというのなら、
新しい経済のルールをつくりだせばいい。

国家が信用できないというのなら、
新しい国家の概念をつくりだせばいい。

新しい社会がどういうものなのか、
僕にはわからない。

それは、18世紀頃に革命とか民主主義が人類に与えられたみたいに、
いつか神様が与えてくれるものかもしれないけれど。

このままにしていたら、
なにも変わらない。
それだけは確かだ。

だからまず、ここから動かなくてはいけない。

まずは、自分の人生を、いちから作り出そう。
自分の手で。

No(649)

■…2010年 7月12日 (Tue)…….黄金町の映像
コピペアップを忘れてた。

黄金町の映像
 2010年07月08日20:53

というわけで、先日の横浜は黄金町で行われた、
ユルクリblock party 第二回の模様です。

雰囲気が伝われば。

そして、Isaさんの素晴らしい演奏の映像でございます。

今回、自分の一人アコースティックも収録するはめになり、
ちょっと恥ずかしいのですが。

こちら

第3回も、やりますよ、

ゲストさんには、
新宿シャロームからやってきたゴスペルユニット?
「あばんて」さんに来てもらう予定です。

“ユルクリblock party Vol.3”
日程: 7月24日(土)
時間: Open 18:00 Start 18:30
場所: 横浜 黄金町 カフェ試聴室その2
こちら
入場: 1000円+1オーダー
主催: Victory International Church Yokohama
こちら

出演:
あばんて
Amin’s Band
ナカミネ from 伊万里音色

また一人アコースティック恥ずかしいけど、
がんばろ。

No(650)

■…2010年 7月12日 (Tue)…….アコースティック・サマー
さて日記です。

書かないと整理できない性質なので。

音楽をたくさん聞いたり、

自分の気持ちにたくさん整理をつけないといけない性質なので。

えっと、先日、土曜日に、
VICの兄弟教会にあたるところの(たぶん)
YCCさんのバーベキューにお邪魔してきました。

単に、バーベキューと聞いていたので、
バンド練習の後に、嫁さんと、出かけていったのですが、
入ってみれば、

海!
ビーチ!
サーフィン!
太陽サンサン!

という感じで、いきなり海岸でした。
思いもかけず、夏を満喫してしまったわけですが
(風がやたら強く、もはや自然災害の域だったけれど)

お話紹介してもらい、
7月19日(月祝)の、
茅ヶ崎コミュニティーセンターで行われる、
イエスフェスティバルで、アコースティック演奏をさせてもらえることになりました。
感謝です。

午後2時より、2曲の演奏と、軽ーく証をします。
うまく、その場に居る人達に、喜んでもらえる演奏ができるかどうか、
考えて臨みます。

また、日曜日は「すみだストリートジャズフェスティバル」のミーティングに参加してきました。
こちら

これ、今年が第一回の試みで、運営する方も大変そうで、
どんな形になるか、やってみないとわからないフェスティバルですが。

実は、うち、これ、メンバーの都合がつかず、
ていうか、こういう路上のフェス、の条件を見ているうちに、
「ロック度」に敏感なうちのはっしーとジェイクは、
これはちょっとやめておいたほうがいいんでは?
という意見になったので、
結論として、基本、僕の一人アコースティックで参加することになりました。

8月21日(土)です。
場所は錦糸町駅の付近の路上、です。
ちなみに僕の出番はお昼12:30より40分間。

で、演奏場所となる場所など、見てみると、
これはとてもやはりバンドでやる場所ではなく、
少なくともうちのバンドのスタイルで演奏できる場所ではないので、

一人アコースティックパフォーマンスがやはり適していたかな、
という感じです。

他にサポートメンバーなど誰かに頼むかもしれないけれど、
一人でもやってやるよ!
もちろん、ワーシップもひとつかふたつは、やるつもり。

という感じで、
黄金町で行う「ユルクリ」も含めて、
アコギを持ち出すことが多そうな、
そんな夏になっています。

しかし、そんな一回一回の機会を、
大事に、感謝して、演奏に臨みたいと思います。

しかし、ときどき訪れると思うんだけれど、
東京の、いつも利用している西側、渋谷とか新宿、池袋ではなく、
東側の東京は、
なんだかやっぱり、いい感じです。
悪く無いじゃん、と思って、その気になってきた。

建設中の東京スカイツリーも見えたし、
オフィシャルに、路上で演奏できる機会なんだから、
僕もその昔、ちょっとだけ路上パフォーマンスを試したことがあったけれどね。
もう今は、路上をやろうとは思わないけれど。
こんなふうにオフィシャルにやれるのは、ちょっとした機会だ。

楽しみです。

No(651)

■…2010年 7月13日 (Wed)…….You might as well Jump!!
Go ahead and Jump!!

軽くfasting中です。
断食っつ。

二日やるつもりだけれど、
1日目にして、早くも祈りの課題にばちっと答えが示された。

おーすげー。

そうだ。
これしかない。

4月あたりに示されたこととも一貫してる。

そうだ、自分の体が、
自分の命が何をしたいと言っているのか。
何度も体験してわかってたことじゃないか。

俺の命は、全身で、神様のために働きたいと言っているんだよ!

聖書に出てくる人物や、奇跡。
彼らの旅路。

それは、決して昔のフィクションじゃない。

今も生きている。

旅れ。

と、引き続き祈ってみる。

例のごとく硬水をたくさんのんでミネラルは摂取している。
二日は僕にとって十分長期なので(汗)
夜はお豆腐だけ食べようと思うけど許してちょ。

んで、こんなもの見つけた。ボイスにも書いてるけど。

これは面白い!Van Halenで浸水洗礼。飛び込んじゃえ!
こちら

しかも教会のホームページ見ると牧師がVan HalenTシャツ着てるし。I Love 80sってイベントやってるし。(音、出ます)
こちら

こんな教会、訪問してみたいなあ。
近所にこんなノリのちゃーちがあったら超楽しいよね。
これはやばいっすー。

No(652)

■…2010年 7月15日 (Fri)…….Blessed By A Broken Heart
昨年のLoudparkで元気一杯のパフォーマンスを見て、
僕も結構大好きな、

カナダ産の
クリスチャン・メタル・バンド、
Blessed By A Broken Heartが、
こちら

テキサスでバスがぶっこわれて立ち往生してます。

一昨日くらい、ちょっと寄付ったんだけど、

まだ立ち往生してるのか。

よかったら、1ドルでも10ドルでも、寄付してあげてください。

こちら

クレジットカードがあれば、PayPalのシステム経由で寄付できます。
こういうの不慣れだと面倒だけど。

No(653)

■…2010年 7月16日 (Sat)…….力と専門技能と山羊皮
こちら

こちら

こちら

少年時代の追憶に浸るには、
いろいろ方法があるけれど、
suedeの曲を聴くというのはいい方法だ。

僕は少年時代から、今も、
1980年代のハードロックやヘヴィメタルが大好きだったけれど、

年代的には、少年時代にリアルタイムで同時代で体験した音楽というのは、
ブリットポップであり、グランジであり、
その中で終焉を迎えていくハードロックだった。

中でも、suedeは僕にとってとても特別なバンドだった。

僕にとってのそれぞれの時代のdefining artistは。

僕にとっての1960年代は、
ビートルズとヘンドリクス、

1970年代は、
Led Zeppelin、
日本だと荒井由実、

1980年代は、
Van Halen、
日本だとわからない。

1990年代は、
suede、
日本だと熊谷幸子、

2000年代は、
+/-{plus/minus}、
日本だとbloodthirsty butchersだった。

2010年代が始まったけれど、
たぶんもう、これ以降、
こんなふうに好きになれるバンドは現れないだろうと、
そんなふうに予感し思っている。

僕らが思春期、青春時代をすごした90年代という時代を思うに、
と、書いてみても、同時代を過ごした人にしか、伝わらないかもしれないけれど、

かりそめの平安の中で、
現代がゆっくりと成熟し、
そして腐っていく過程だったけれど、

面白い時代だったと思う。
良いタイミングで生まれてきたと、僕は思う。

その腐りゆく嘘っぱちの平安の中で、
学ぶことができてよかったと思う。

いろんなものが崩れてしまう前に、
世界をこの目に記憶に焼き付けることができて良かったと思っている。

Because that’s where I came from.

そんな90年代のけだるい虚無の中で、
僕らが学べたことは、
あらかたの絶望といくばくかの感傷くらいかもしれない。

ちょいとそういうわけで職探しをしているので、
仕事やらいろいろ見回しながら、
見回していると、

もちろん、こういう生き方を選んで、
音楽活動に持てる時間と努力を費やしてきたから、
お仕事探すのに苦労するのは当然なんだけれど。

今、自分の置かれている立ち居地を、
なんだか思い知らされたりする。

いわく、それは、力の否定。

そして、こういう世の中のことや、
生き方について、
誰も教えてくれなかったなあと、
妙に感慨とこめて思ったりする。

つまりは、世の中の仕事のことだ。

今更どうでもいいことだけれど、
僕は少年の頃は、成績のいい方だった。
だから、そういう進路を選んで、
そういう大人になるつもりだった。

その計画は、途中で、変更を余儀なくされ、あきらめざるを得なくなったのは、いつも話しているとおり。
理由は、へんなタイミングで、うちの嫁さんと出会ってしまったからだ。

でも、今思うと、僕は別に、優秀だったわけでも、真面目な人間だったわけでも、
ちっともないことがわかる。

僕は、言われたように勉強なんてしてなかったし、
やりたいように、面白いと思った勉強を、自分の好きな方法で、やっていただけだった。

そして、その勉強に、意味を見出そうとしたり、好きになったりしたのも、そもそも間違いだった。

一人の人間が持てる知識、学べる学問なんて、
世の中全体からしたら、ほんのちょっとのもので、
その意味では、本当に博学な人なんて、いやしないし、
本当に頭のいい人なんて、いやしない。

日々悲しんでいる。

19歳以降、精神的にそういう状態になってしまってからかもしれないけれど、

僕が、好きになって取り組んで、学べることなんて、本当にちょっとしたものに過ぎない。

たとえば、取り組めなかった時期がたくさんあったにしても、
僕が、ずっと、ちょっとずつ英語の勉強をしてきて、

それでも、今身の回りに結構いる、アメリカで育った友人たちには、軽くまったくかなわない。

それくらい、実際に、スキルというものは、厳しいものだ。

逆に、ギターの速弾きのようなハイスキルな演奏技術は、
僕は、自分の表現を追い求めるのに必死だったために、
かえってそういった技術に興味を持たず、またそれに取り組む機会も時間もなかった。
自分の作曲家人生の、大事な作品を、あらかた作ってしまって後、
近年になってやっと、そういった技術に遅まきながら取り組んでいる。
でも、僕の本当にベストなギタープレイは、間違いなく、そうした技術を学ぶ前のものだ。

そして、スキルなんていうものは、その程度のものだ。

僕が、少年時代に夢見ていた、
学問というもの、
そして、正義というもの、
それは、幻想だった。

少なくとも、ここには存在していなかった。
それを、まず最初に教えてほしかった。

あるのは、力としての、知識やスキルだけだった。
学問など、存在してはいなかった。

たとえば、法律は、力だ。
でも、僕は、その力を、信じていなかった。
そのことに気がついた。

専門の技能や、スキルといったものも力だ。
僕は、力を信じていない。

信じていないものを、学べるはずがない。

もちろん、技術や技能や学問を、軽視するわけではないけれど、
ただ信じていない、それだけだ。
それらは、もちろん、素晴らしいものだけれど、
それらが、果たして、人間を幸せにするのか、あまり信用していないだけだ。

僕は、少年の日、世の中で生きていき、身に付けていく技術や知識や「学問」は、
僕が信じられない性質のものだと、早く教えてほしかった。

それを教えてもらえれば、
僕に生きるすべなど、無いのだということを、
もっと早く、自覚できただろう。

いや、それに気付いたからこそ、
19の誕生日を待たずにして、
僕はどうにかなってしまったのだろうけれど。

僕はたぶん、
世の中のもろもろについて、一人で勝手に悲しむ生き方を選んだ時点で、
悲しみと矛盾につきあたって、
芸術に向き合う(笑)生き方を選んだ時点で、
力というものを否定することを選んでいる。
(それは、出家するみたいなものだ)

それは、キリスト教徒になった今ならなおさらだ。

だから、人は、技術やスキルの中で必死に生きている中で、
おそらくはなるべく創造的な仕事をするべきなのだろう。
なるべく、人が生きるような、そんな仕事を、働き方を。

suedeの悲しいサウンドを聞いているからだとは思うけれど、

僕が、なぜ、こういう生き方を選ばざるを得なかったのか、

それは、生きてることが、悲しくて仕方がなかったからだと。

この世の中が悲しくて仕方がなかったからだと理解した。

この悲しみを認めない人、ものは、
僕にとっては、真実じゃあない。
そうなのだろう。

今、やらなければいけないことがある。

なぜか。
僕は、世の中が悲しくて仕方がないからだ。

それは、たとえば、僕が、15年も前に、
うちのハニーちゃん、つまりうちの嫁さんと、
僕たちは一緒に生きるんだ、と言って、
実際に何年もかけて、その一緒に生きるということを
獲得していったのに、似ているかもしれない。

それよりも、簡単かもしれないし、難しいかもしれない。

これはつまり、約束というものだ。
何年かかろうと、愛があれば、たどりつくことができる。

うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない、
あるいは今度こそ死んでしまうかもしれない。

でも、やってみるしかない、んだと、思う。

近く、バンド会議を持って、
そこで、皆の選択を、見極めようと思っている。

おおまかに、A、B、C、と選択肢がある。

どれを選ぶだろうか。

大変だけれど、ABCを全部組み合わせてやってしまうことができたら、
いいなと思っている。

No(654)

■…2010年 7月17日 (Sun)…….恋愛についてのメモ
練習の前の少しの時間だけれどメモ程度に。

なぜなら、いつかメッセージの内容に使えるかもしれないけれどね。

マリッジセミナーってあると思う。

僕も、今年だったか昨年だったか、自分の教会で、
BさんとCさん(アメリカ人夫婦)のマリッジセミナーを聞いた。

それは、それでとても良い内容のものだった。

しかし、マリッジセミナー的なものの情報を見るたびに、

また、クリスチャンの人達が、恋愛や結婚についての話題を語るのを聞くたびに、

妙な違和感を覚える。

そして、こうしたセミナーについても、

もし本気でやるんであれば、

もっとつっこんで話すべきだと思う。

いや、きっとつっこんで話してる人も、たくさんいると思うんだけれど。

クリスチャンの人が、恋愛や結婚について語るとき、

キリストの教えに忠実な、

とか、

聖書の教えに忠実な、

恋愛や、交際、結婚について、語られる機会が多いと思う。

でも、まあ、言うまでもないことだけれど、

僕はその中に、とても偽善的なものを感じる。

言い訳としては、
自分のことについて言うと、
僕は、お互い10代のときに、
お互い高校生のときに、
今の嫁さんと出会って、
それなりにいろんなことを乗り越えつつ、
それなりに大恋愛をして、
結婚し今に至るわけだ。

そりゃあ、だからって明日に離婚しないという保証はないけれど。

でも、僕らはそれまでクリスチャンでもなんでもなかったけれど、
結婚後、ジーザスに出会い、
夫婦そろって同じ日に洗礼を受けた。

夫婦そろって、それまでまったくのノン・クリスチャンが、
一緒に洗礼を受けるというのは、結構ラッキーなケースのはずだ。
特にこの日本では。

そして、最初にジーザスを知り、
「ねえ、俺ちょっと、クリスチャンになるんだけど、君もどう?」
って嫁さんに言ったのは、僕の方で、
これも、ケースとしては、比較的珍しいはず。特に日本では。

それで
「うん、いいね。そうしようか」
って返事がかえってくるくらい、
一応僕らは仲良く信頼しあっている夫婦だということは伺いしれると思う。

以上、言い訳終わり。

聖書の教えに忠実な交際、

なんてのは、ありえないと思う。

少なくとも僕はそう思う。

もし、人を好きになって、
それでも、聖書の教えに忠実な交際、なんてことを言えるんであれば、

その人は本当に人を好きになったことが無いのだと思う。
(あるいは、よっぽど幸運で、能天気か)

本当に人を好きになったら、
聖書の教えなんて、顧みる余裕なんて無いはずだ。

人を好きになったら、
何が正しくて、何が間違っているのかもわからなくなる。

人を好きになるというのは、そういうことだ。

愛というのは、
恋愛というのは、
交通事故みたいなもんだ。

予期しないときにやってくる。

そして、気がついたときにはもう遅い。

交通事故は、一瞬にして起こるけれど、
恋愛は、それがもっと長く、多い場合には何年もかけておこる。

それだけの違いだ。

そして、「正しい交通事故の合いかた」なんて、
学ぶことも、習うことも、できるはずがない。

ここから先は、今日は割愛。
いつかメッセージする際に、準備した上で、きちんとまとめて話す。

だから今日の時点で言いたいのは、
そうしたクリスチャン向けの結婚恋愛セミナーがあるのだとしたら、

それらは、いかに聖書の教えを守るかというのと同様に、

いかにして聖書の教えを破るか、

そして、その意義と、学び、その後の対処について、

きちんと、時間を割いて語られるべきだと思う。

難しいけどね。

でも、キリスト教の本質を考えれば、
当然わかるはず。

キリスト教は、本来、正しい人のためにあるんじゃない。
正しくない人のためにこそあるんだから。

そして、体験として、自分自身の信じていることとして、
これは言っておきたい。

恋愛は交通事故のようなものだと言ったけれど、
その交通事故を手配しているのは、
他でもない神様自身なのだと、僕は信じている。

No(655)

■…2010年 7月18日 (Mon)…….色彩革命
人生における破壊と創造のプロセスにおいての

破壊のステージがまもなく始まる。

今までの状態が続くはずがないのは、

とうにわかりきっていたこととはいえ、

痛みへの確信は、

今までに体験したことのない質の悲しみを連れてきます。

創造と同様に破壊は必然であるよう、

すべて自然なことではありますが、

どうか勇気を持って臨むことができますよう、

神さん信じる力を与えてください。

最期の日々にあっても、

希望を失うことのないよう、

僕らはやるのです。

僕らが革命を起こしたい相手は、

なによりも目の前のこの世界。

目の前の景色を、

ひとつひとつひっくりかえしていくそのために。

ゆえに僕はこれを

色彩革命と名付けます。

どこまでやれるかはわかりません。

うまくやれるかもわかりませんが、

その意味をひとつひとつ知りながら、

僕たちは踏み出します。

と、この一篇の言葉に詩に思いを託して。

No(656)

■…2010年 7月19日 (Tue)…….レス追記メモ。
前提として確かなのは、誰にとっても、聖書の教えを守れることが、いちばん良いのであり、いちばん幸福なことです。それは間違いないです。
もし僕たちが完璧な世界に住んでいるのならば、僕たちは聖書の教えを守ることができます。
でも現状は、それができるのはごく一部の幸運な子たちだけだと思います。
なので、そういう子たちに対して、現実的な救いの手をさしのべることが必要ではないかという趣旨です。

恋愛はどういうものであれ、イエス様の愛を身をもってより深く理解するその大きな人生の学びの場になるはずです。愛はひとつだから。
そして僕たちが自由に生きて、自由に恋愛ができるのは、ジーザスが身をもって僕らの自由を贖ったくれたからですよね。
クリスチャンとしては、そこだけ踏み外さなければ、いいんじゃないかと僕は思っています。

というのが、書きたかった趣旨です。

No(657)

■…2010年 7月19日 (Tue)…….神様の子供
茅ヶ崎にて、イエス・フェスティバルという、日曜学校のイベントにて、
演奏させていただきました。

子供たちの前で!

子供たち。

最強の観客です。

今日は、すごく謙虚な気持ちで演奏できました。

演奏前に、会場というか、場の様子を見て。

小さな子供たちが、大騒ぎして走り回り、はしゃぎまわっている、

それを見て、

「うう、これは、とても、無理だな」

と思いました。ほぼあきらめました。

小さな子供というのは、

もっとも手ごわい観客です。

いちばん、正直で、残酷な、容赦のない観客です。

それこそ、アメリカ遠征で外人さん相手に演奏するよりも、
もっと手ごわい相手です。

そこにきて、

普段のバンドではなく、一人アコースティック、
しかもPAもなく、生音、生声で、
この子供たちに立ち向かわなければならない。

とても勝ち目は無いと思いました。

きっと、誰も集中して聞いてくれないだろうと思いました。

そのぶん、謙虚になれたのが幸いしたかもしれません。

子供たちというのは、

誰だって、神様の子供です。

だから、結果がどうなろうが、
受け止めてくれようがくれまいが、

自分のベストを捧げようと思うことができました。

2曲&スピーチというか証の、
たった15分程度でしたが、

その間、子供たちは、最期まで集中して、
聞いてくれました。
受け止めてくれました。

生声アコースティックで不安だったけれど、
幸いにして声もよく出てくれました。

奇跡。神様ありがとう。

言葉も、素直に話した。

子供たちを信頼したいと思った。

言葉に衣着せずにしゃべってしまったけれど。

今、僕の中にあふれている言葉を伝えたいと思った。

あとで知り合いのアメリカ人のA氏が言っていたんだけれど、
子供と向き合うときには、
正直でいることが大事だと、
子供たちはそれを察知するのだと、

自分なりに、それをやったつもりです。

一人一人、受け止め方は違うだろうけれど、
何かの形で、あの子たちの心に届いたのであれば、本当に幸いです。

そして、すごい子供たちだと思います。
僕の、荒削りな演奏とメッセージを、
あれだけきちんと受け止めてくれたのだから、
本当に、さすがクリスチャンのクラスで学んでいる子供たちというべきか、
本当にやはり聞き手が素晴らしいからこそ、演奏する方も力を発揮できたのだと、
今日もそう思います。

少なくとも、
小さな子供たちという、もっとも手ごわい容赦のない観客を前にして、
相手を引き込み、15分間、アテンションを持続することに成功したことは、

これ以上ない自信というか、自分自身はげましになりました。

ちょっとこの難易度をクリアできたことは、またも自分を誉めてあげたいところです(笑)
僕はすぐに自分を誉めるので(笑)

お招きいただいたG牧師、本当に感謝です。

1曲は、いつも演奏している、18番であるところの、
Starfieldのワーシップ、Son Of Godをやりましたが、

もう1曲、子供たちの前で自分なりに十字架を背負いたいと思い、
「17歳のレクイエム」を演奏しました。

この曲は、馬場くん&はらっち時代に、一度だけ演奏したことがあるけれど、
メッセージ的に難しい曲。
アコースティックで演奏するのはもちろん初めてですが、
挑戦のしがいがありました。

前の日に練習を見てくれたR氏にも感謝を言いたいところです。

イベント全体としても、
子供たちのとても元気な様子とともに、
それらを見守り、運営している皆さんの様子に、
本当に尊敬の念を抱きました。

夏らしいまぶしい天気の日が続いています。

そんな夏の日に、茅ヶ崎の地にて、良いチャレンジができたことを、

神さんに感謝します。

あとで見て、恥ずかしくなければ、
なんかの形で、映像をアップしたいところです。
がんばったもん(笑)
この「金星」は記録しておきたい(笑)

そして、密かに思うところは、
「色彩革命」の、最初の一歩の演奏を、
この神様の子供たちの前で行うことができたことを、
最大の祝福としたい。

No(658)

■…2010年 7月19日 (Tue)…….パーフェクト・ワールド
たぶん、思ったままを書いてしまったり、
誤解を産むことが多いと思うので。

補足するわけじゃあ、ないんだけれど。

先日の日記の恋愛に関する意見のあれこれ。

聖書の教えを守ることが、いちばん最上であり、いちばん正しいことなんです。

誰にとっても、人である以上、
聖書の教えを守ることが、いちばん幸せなことです。

それは、何があっても変わらない。

ジーザスが言ったように、

この世の終わりまで、律法の一文字たるとも、

変わることが無いように、

それは変わらない。

僕の短い人生の中でも、

幸福な人達を何人も見てきた。

そして、

幸福でない人達も何人も見てきた。

もし、僕たちが、完璧な世界に住んでいるとしたら、

僕たちは、聖書の教えを守ることができるだろう。

でも、現実は、そうじゃない。

この世の中は、完璧じゃない。

少なくとも、僕たち人間の世界は、完璧とはほど遠い。

もし僕たちの世界が完璧なのだとしたら、

わざわざジーザスは、僕たちのために死ぬ必要などなかった。

たとえば、男女交際や恋愛に関しても。
その他の、生きること、学ぶこと、働くこと、すべてにおいて。

聖書の教えを守れる人は、幸福だ。
そして、そういう幸福で完璧な世界に住んでいる人は、世界の中の、ごく幸運な一部の人だけだろうと、僕は思う。

実際に、そういう幸福な人を、少なからず知っている。
たとえば、平凡ではあるが愛情の足りない家庭で育った僕としては、
クリスチャンホームに生まれ育った人達を、少なからずうらやましく思っている。

僕たちは完璧な世界に生きているのか?

否。

僕はちがうと思う。

でなければ、

僕がこの短い人生の中で、出会ってきた人達、

必ずしも、幸福とはいえない人達、

彼らの苦しみの、説明がつかないからだ。

そして僕たちが不完全な世界に住み、

僕たち人間が不完全である以上は、

聖書の教えを守ろうにも守れないケースは、たくさんある。

それだけ僕たちは、罪にまみれているからだ。

そして、そういった人達にこそ、
キリスト教は、手を差し伸べなくてはいけない。

神様の基準は、厳しい。

あえて言うならば、

自分は聖書の教えを守っている、守ることができている、

と思う人がいるのであれば、

それ自体が、罪ではないか、と問うてみたい。

聖書の教えを本当に守れている人なんて、
たぶん、この世に一人もいない。

んだと思うんだきっと(笑)

聖書の教えを守ることと同時に、

聖書の教えを守らないことを、前提にした対処をすべきだと、
僕が思ったのは、以上の理由だ。

罪はジーザスにぬぐってもらえばいい。

できないことは、仕方がない。

神様は、僕たちに、出来ないことをやれとは、言わない。

そんで、僕たちはみんな罪人だ。例外はない。

恋愛や結婚の話題に戻すのであれば、

完璧でないからこそ、
僕たちは恋愛をする。

遺伝子の構造からもそうなっている。

もし僕たちが、完璧であれば、生物としての寿命もなく、
そして、性、つまり恋愛もない。
(多様性もない)

不完全で、罪にまみれた存在だからこそ、僕たちは恋愛や結婚をする。

それは、それを通じて、身をもって神様の愛を知るためだ。

罪深い僕たちに、神様が用意してくれた、学びの手段だ。

だからこそ、恋愛は特異な、特別で、非常時な事態であり、
いつでも異常事態、緊急事態であり、

それは、人間の側からコントロールできるようなものではない。

恋愛、そして、愛というのは、そんなに生易しいものではない。

その、「非常事態」「特異点」であること、
その特別さと、神聖な学びの意義について主張したいがために、

僕は前期の日記の文章を書いた。

そんだけ。

以上、すべての不完全な仲間たちへ愛をこめて!!!!!!!

No(659)

■…2010年 7月21日 (Thu)…….茅ヶ崎の映像
月曜日に茅ヶ崎の日曜学校イベント、イエスフェスティバルで演奏させていただいた
映像を一部。

長々としゃべったあと長い曲を演奏してます。

お暇な方は見てみて。

言い訳はちゃんと演奏前に言い訳しているので、書きません(笑)

こちら

No(660)

■…2010年 7月22日 (Fri)…….絶賛悩み中。扉をノックせよ。
自分の使命が、
やらなくちゃいけないことが、
とか、はりきって深刻に考えるのもいいんだけれど、

そうかといって自分の幸せをろっそろっそ頃合に考えてもいいんじゃないかという気もしている。

なにがどうであろうと
何のために生まれてきたかといわれりゃあ
そりゃ楽しむためさ、
というそこは変わらない。

僕らの敬愛するあの人が代表で死んでくれたんだから、
僕らまでなにも無理に磔になる必要はない。

人生を楽しむのにそんな複雑なものなんていらない。

好きな女抱いて、
気に入った酒が飲めて、
風通しのいい街に住めれば
それで十分だ。

十分なんだがね。

でもお呼びがかかればいくわけさ。処刑場でも地獄でも。

まあ一歩一歩とびらをたたいてみる。

8月上旬にバンド会議を予定しているので、
それまでにいろいろと調べておく必要があるんだ。

画像(mixi)は、
Richy先生のところで面倒みてるというバンドである
メキシコのCompradosのマイスペ、

こちら

スペイン語だったから、chromeの自動翻訳をオンにしてみたら、
こうなった。
名だたるクリスチャンバンドたちが。

トップフレンズのところ、
skilletが、「フライパン」
pillerは予想通り「柱」
Redはそのまま「赤」
P.O.D.にいたっては「病」

そしてこの「一回死亡」ってのはなんなんだ。

軽く笑えました。

No(661)

■…2010年 7月23日 (Sat)…….last minute 刻致
ぎりぎりlast minuteの告知になりますが、

明日土曜日、

またも横浜は黄金町の「カフェ試聴室その2」にて、
ユルクリblock party vol.3が行われます。

気軽でカジュアルなミニゴスペルコンサート、という趣旨です。

ゲストには、
新宿シャロームのクロジュン氏つながりで、
ゴスペルユニット、「あばんて」さんに来ていただきます。

くろちゃんのメタル以外の演奏を聞くのは初めてなので、
楽しみだ!!

“ユルクリblock party Vol.3”
日程: 7月24日(土)
時間: Open 18:00 Start 18:30
場所: 横浜 黄金町 カフェ試聴室その2
こちら
入場: 1000円+1オーダー
主催: Victory International Church Yokohama
こちら

これ、前回の映像です。
こちら

そして、25日、日曜日は、
最近何度か演奏させてもらっている新宿Wild Side Tokyoにて、
伊万里音色 / IMARi ToNES、演奏します。

2010.07.25 (Sun)
Wild Side Tokyo
こちら
OPEN 18:00 / START 18:30
AT DOOR ¥1800 / ¥2300
出演:
GROOMY(宮崎) / 伊万里音色 / THE CATTLEFISH FRITTER / 死人観音 / ROCK KIN

僕たち、いまりとーんず、出番は、ずばり一番手、18:30からになります。

えっと、5月、6月と、結構、攻撃的で、クリスチャンメッセージを前面に出した、
というよりはケンカを売るようなステージをやってきたんですが、

今回は、比較的クリスチャンカラーを出さずに、
演奏としてもくせのない、どちらかというと普通な演奏をする予定です。

ご注意ください(笑)

かといって、口に出さないけれど、演奏にはメッセージをこめますよ。

では。

さて、今後の活動計画、生活計画について、
今いろいろと思案してます。

まあ自然に答えが見えてくるでしょう。

神さんよろしく。

No(662)

■…2010年 7月25日 (Mon)…….under my flag
なんかレトロアニメ。

こちら

どんーだけかっこいいねん。

己の信じるもののために、
自らの旗の下で戦う。

明日はそういう気持ちで演奏してきます。
at Shinjuku Wild Side

今日のユルクリVol.3 at 黄金町も楽しかった。

以前書いた、「優先席のジレンマ」じゃないけれど、
人々が皆、
他人の旗のもとで戦うことを潔しとしないほど、誇り高ければ。

真実でない権力に従うよりも死を選ぶほど、勇気があれば。

みんなそんなだったら、

戦争は無いかもね。

命令を聞く兵士はいなくなっちゃうもんね。

現実はそんなシンプルじゃないにせよ、

本質はシンプルだ。

No(663)

■…2010年 7月26日 (Tue)…….Not so wild side of us
今日もまた良い修行をしてきました。

昨年から、都合3回目、
向かいのFNVでの関連イベントを入れれば4度目となる、
新宿Wild Side Tokyoでの演奏をしてきました。

あいかわらず集客という言葉とは縁がなくも、
良い修行と経験で演奏させてもらってるんですが、

前回のイベント出演の際に、
少し、海外向けのステージをそのままやりすぎたこと、

また、ここ何回かのライヴハウス演奏で、
あんまりメッセージ性を重視しすぎて、
ほとんどケンカ腰なステージをやってしまったことを
軽く反省して、

手持ちのボールの中で、
(はっしー提案により)
比較的、国内向けの選曲をし、

MCやステージングも、決して力まず、
コンパクトに淡々と、
しかしメッセージもコンパクトに投げつつ、

そういうステージをやることができました。

こういうステージは、持ち球の中にはありましたが、
今まで比較的、海外向けのストレートなハードロックを優先して、
なおかつ、そちらの方がうまくいっていたため、
ここのとこ、そっちばかりになってしまい、

実際に、取り組んでみて、こういうステージが、(それなりに)うまくいったのは、
ほとんど初めてくらいの感じだったので、
その意味では、非常に収穫でした。

珍しく、力みすぎて浮くことなく、
また、他のバンドさんたちから、必要以上に浮くことなく、
比較的、普通に、淡々と、
比較的、普通なステージをすることができました。
(これは、自分たちとしては、画期的)

しかし、かえって、それでも、きちんと、音楽が、言葉が、
伝わっている感覚がありました。

やっと、落ち着いて、力まずに演奏することができたという感じでしょうか。

たまには、こんなのも、良いと思います。

声の調子は、決して、ベストではなかったけれど、
それでも、ハコのブッキング担当の方には、よく声が出ていたと言ってもらったし、
よくなかったなと思っていたところも、
後で見返してみると、それほどなんとかなっていたりと、
今更ですがまだまだ少しずつ地力がついてきているなという手応えがありました。

完全に自分のためのメモですが、
声については、今日はそれほど、魂から歌うという感じの動機が、
自分の中に湧き上がってこなかったため、
比較的、声のキャラというか、アニメ声の方向にキャラを作って発声するという逃げ道を行きました。
しかし、コンディションがよくないときの対処法としては、効果的な方法であることも確かで、
また、本当に調子が悪いとそういう対処すらできないものなので、
こうした対処法が現実にできるようになったということが、ちょっとした進歩です。

長いこと続けてれば、それでも、不器用でもへたくそでも、
ちょっとずつは進歩するよな、と、当たり前のことですが。

そんなふうなので、まだまだ、長く続けていきたいものです。

また、ここ何回のライヴで使用していた、
ランディV (’91年製、白)も、ずいぶん言うことを聞いてくれるようになりました。
これはDuncanの59がついていますが(素直でとても好きなピックアップです)、
素直な59のキャラとあいまって、とがった見た目に似合わずとても応用範囲の広い楽器で、
だんだん手放せなくなってきました。

といった次第。

あったことを、いろいろ書ききれないことが、
また、ネットにログインしたり、いろいろアップロードしている時間が無いことを指して、
リア充と呼ぶんだなとわかりました、

なんて理由をつけて、
いろいろ書かずにはしょる言い訳にしたいと思います。

映像とかはまた後日アーカイヴしままます。

感謝。

No(664)

■…2010年 7月26日 (Tue)…….電圧ヘブンアンドヘル
また、リハの際に、

対バンのバンドさんが、演奏しているのを見て、

うわー、なんか、いい音だなー、
なんか、アメリカで聞いた向こうのバンドの音みたいだ、

と、思っていて、
後でよく見たら、

ギターアンプに、ステップアップトランスを使って、
120V、というのか、117Vで鳴らしていました。

僕が初めてアメリカに行って、
向こうのバンドの演奏を聞いた、
2007年のSXSWのときから、
衝撃を受けてそう思っていたんですが、

つまり、音が、鳴りがまったく違う、
これはなんなんだ、と。

ほんと、まったく別物、
リスナーにとっての体験やロックというものの認識が、
まったく変わってしまうくらい、
深刻に別物だったので。

そんで、実際自分らのバンドであめりかさんに演奏しに行った際も、
やっぱり鳴りが違う、

そして、たとえば、同じPeavey Valvekingのコンボアンプを、
向こうで120Vで鳴らしたときと、日本仕様の同製品を100Vで鳴らしたときに、
やっぱり結構、違う。

なんか、向こうのときのが、濃い音がして、
日本だと、薄まったような薄い音しかしない。

と思っていたんですが、
最大の原因は、やっぱり電圧だったようです。
そのことが、今日の出来事で、はっきりとわかりました。

たった20Vって、思うんですが、
少なくとも、自分の体験では、この20Vの差は、えらくでかいです。

ていうか、日本の100V環境では、
本物のギターアンプの音はしないように思います。
つまり、日本の電圧が不幸なことに100Vだったために、
日本に本物のギター、本物のロックな音は無くなってしまった、と。
日本の電圧の環境で聞ける日本仕様のギターの音、ロックの音は、
希釈された薄まったものです、と。

アメリカのバンドと日本のバンドの差は、
腕でもなんでもなくて、
環境とかも、あるけど、
実はたった20Vの電圧だった、なんて、
あまりにもあんまりで。

個人的には、日本の電圧に合わせて、100V仕様で、
ギターアンプを作ってしまったメーカーさんたちというか
むかしの業界のひとたち、は、ずいぶん重い罪をおかしてくれちゃったと
思っています。

RolandのジャズコJCが、
便利で丈夫なために、
日本のギタリストたちが、チューブアンプの扱いと演奏に
弱くなってしまい、
またリスナーもそうした音になれてしまったのと
同じように。

ギター業界は、すべからく、
ギタリストは、すべからく、
全国ギター会議を開いて、緊急決定し、
ギターアンプは、すべからく、
皆、ステップアップトランスを込み込みで、
120Vで鳴らすべきだと思うんですが、
提唱したいくらいなんですが。

もう遅いでしょうかね。

一般リスナーのロックギターに対する認識が、
変わるくらい、インパクトが増すと思うんですが。

ちなみに、ヨーロッパで、
220Vだかそのへんで、
鳴らしたときに、
どうか、
は、知らない、
覚えていない。
一度行ったあれはライヴ体験ではなくて、
レコーディングスタジオだったし。

ちなみに、
その今日見たバンドさんは、

これですね。
こちら

演奏もパフォーマンスも楽曲も、
見事な素晴らしいバンドでした。
ギタープレイもサウンドも素晴らしかった。

横浜のバンドだし、
注目したいところです。

No(665)

■…2010年 7月30日 (Sat)…….いっしゅうかん
日記を書く。

デイジョブが終了だ。

木曜日の夜は、Rくんのおうちで教会のPrayer Meeting、祈り会だった。
いろいろご馳走になった(笑)

少し早めについたため、近所を散歩し、
いや、東戸塚はきれいな町だ。典型的なベッドタウンみたいだけれど。
そこで中古CD屋さんでThe Tearsのアルバムが投売りされているのを見つけてしまう。

2005年のアルバムだということはもちろん知っているが、
当時、買うに至らなかった。

もちろん、当時うちのバンドのベーシストだったみねっちは、
即座にこのアルバムを買って、僕も車の中や彼の家で聞いたけれど。

そう彼はグラムロックが好きで、suedeを理解してくれる貴重な友人だったと思う。

この後に及んで、まだsuedeというかブレットの歌声に癒される機会があろうとは意外といえば意外だし、笑ってしまう。

今年もなんだかんだとそれなりに良い音楽には出会っているが、
そうはいっても今までに出会ったいろいろな音楽を振り返って人生を振り返ってみたいと思う。

出さなくてはいけないメールがいくつかあるのだが、
今週は毎日のように夜に予定が入っており、
また、帰ってくると嫁さんとあーだこーだ話し込むハメになり、
まったくネットやメールが放置という状態だった。
まあこれは仕方ないことだろう。

来週にはこの埋め合わせをしたい。

祈り会については、個人の領域なので、書かない、けれど、
Kさんの作ったスパゲティを食べて、
Kさんのことがなんだか理解できた気がしている。
愛情がたくさんありすぎて、伝えるのに苦労している人なんだなあ、と思う。
それは、僕も、どうだ。

Rくんとその家族の皆さんについては、いつものことだけれど、
とても暖かい気持ちにさせてもらっている。

水曜日には、FUさん、
例のとてもユニークなバンドFUさんの、
こちら
レコ発を見にいった。
渋谷O-nestだ。

O-nestで、レコ発をやるというのは、
結構凄いことのような気がする。

友人知り合い親交のあるバンドが、
がんばって成功していくのを見るのは、
初めてではないし、なんか嬉しい気がするものだ。

あいかわらずどうにもならない自分の身が可笑しくもなるけれど。
でもここ最近のFUさんの「いい感じ」、これは、昨年僕が目をつけて以来、
いろいろと良い感じになっているのは、ちょっと意味もなく鼻が高い。

O-nestといえば、+/-{plus/minus}の来日公演を見たハコでもある。
特に2008年10月のあのライヴは、生涯もうこれ以上のライヴを見られるかわからないという感じで、強烈な記憶として残っている。

2002年だか2003年だかのsuedeの最後?の来日のときのアフターパーティーの記憶もここだ。

ブッチャーズ吉村さんに声をかけた記憶もあったりして、
そういう記憶がある場所だが、
その場所でこうしてFUさんの公演を見るのは、ちょっと不思議な気分だった。

FUさんの演奏は素晴らしかった。
もともと、抽象的で難しいテーマに取り組んでいるバンドだけれど、
ユビキタス氏のヴォーカルの存在感、説得力が格段に増していて、
その難しい世界観が、しっかりと伝わってきた。
この日の調子はともあれ、今バンドは非常に良いコンディションになっているに違いないと思う。

そのヴォーカルとギターの説得力は、
まるで、これが新しい宇宙ブルーズだ、と言わんばかりだった。

宇宙ないしは、高い次元に行くことになった日には、
あるいは体は必要ないかもしれない、
体はあっても、今のような制約は無いかもしれない、
お金は必要ないかもしれない、
家賃を払う必要もないかもしれない、

今僕らは明日のご飯や家賃のことで頭を悩ませているかもしれないけれど、
そうしたものでない、
もっと精神が自由になれる場所が、
宇宙なり、次元なり、どっかにはあるんだという、
そんなことを、思わせる演奏だった。

愛してるということを伝えるのに、
電話をかける必要もメールを書く必要もなく、
気持ちはすでに伝わっている、
そういう世界があるかもしれない。

この日は「いじげん音楽フェスティバル」ということで、
かなり、毛色の変わったバンドさん、演者さんたちが集まっていた。

しかし逆に興味深かったのは、
その中で、
余計なギミックや演出なしに、
普通に演奏したのは、FUさんだけだったということだ。

ギミックや演出でなしに、
純粋に演奏で異次元への旅を描いてみせたFUさんは、
非常に素晴らしいと思う。

他のバンドさんも、
非常にユニークで、
特に下の階で見たバンド編成の人達は、
なかなか楽しめた、
けれど、
個人的には、
上の階で行われた、
アコースティック系のアクトさんたちは、
ちょっと個人的には辛かった。

と、そんなんだから僕は皆と仲良くできないのだと思うが。

火曜日は、
個人的な用事だったので省略。

しかし、先週の金曜もそうだったのだけれど、
都内を歩くこと、はともかく、
三田とか田町というか慶應の近くを訪れると、
やはり特別な感慨がある。
その感慨の質については言及できないが、
それでもこんな些細な日のことも、覚えておきたいと僕は思っている。

月曜日は、

町田のFUSEで知り合ったところの、
Josephさんというトランペット吹きさんと、
その他、Rクン、Mさん、Aクン、Kちゃん、と、
実に6人で、渋谷のスタジオでジャムってきた。

ロサンゼルスで5年間プロで食っていたという、
Josephさんには、ひょっとして物足りなかったかもしれないけれど、
とても水準も高く、というよりも、音楽で楽しむ度が高く、
素敵な時間になった。

皆さん、参加したミュージシャンの人達は、
皆、すごく音楽を知っていて、なんも知らない僕なんかとくらべると、
ちゃんと音楽理論やテクニックにも精通している人達だけに、
皆の優秀さに、僕は軽く自己嫌悪に陥った(笑)

しかし、こうして、クリスチャンの音楽仲間で、
集まってジャムり、皆で親交を深めることができたことは、
とてもよかったと思っている。

なんだかんだで、なかなか忘れられない夜だったと思う。
マルチナショナル、マルチカルチャー、そして日本東京渋谷、という感じで。

ひとつだけこっそりと言葉を書きとめておきたいのは、
何があっても、どうなったとしても、
僕はこの東京という街を結構愛している、し、愛していた、ということだ。

もっとも僕の愛情が、そんなに通じているかは、別にせよ。

横浜はいうまでもない。

最初の話だけれど、
僕が、10代の頃、suedeというこのブリットポップのさきがけとなるバンドに出会って夢中になって以来、

アメリカンロックやその他のロック音楽と違って、
suedeの音は、(ないしはブリットポップ全般にせよ)
不思議とこの日本の風景にぴったりと合っていた。

僕にとってsuedeとブレット・アンダーソンの歌声は、
日本の生活の風景にむしろ重なるものだった。

僕にとっては、それで十分であると思う。

日曜日は、新宿で演奏した日。先日書いたので書かない。

動画アップしたので後で。

土曜日は、3回目となる、
「ユルクリblock party」だった。
例によって横浜は黄金町。

Y牧師の個人的なあれこれもあり、準備もできたといいがたいし、
イベントの集客の面で今回は課題があった。

そしてリソースや戦略の面での課題もあって、
今後どういう形にするのかを考えないといけない。

しかし、やりようはあると思っている。

また違った形を工夫する余地があると思っている。

そのへんを、R氏やY牧師、Aくんあたりとも相談しようかと思っている。

しかし、参加していただいた「あばんて」の皆さん、ならびに、来てくださった方々。
とても暖かい気持ちにさせてくれました。

感謝の言葉を伝えたいと、思います。

そして、Vimeoへのファイルアップロードが、この時点で、残り1時間45分・・・・・。

長いなあ。

そして、ネット作業とかできなかった一週間が終わり、
まだ有給の期間は残っているものの、
来週から晴れて失業中です。

この間に、やっておきたいこと、
たとえば、朝早く出かけて、二郎の本店で食べるとか・・・・・。

そんな感じ。

No(666)

■…2010年 7月31日 (Sun)…….土曜日のWild Sideの。
先日の動画。

恥ずかしいからさっきの日記の前にこっちを先に書けばよかったかな。

上に表示がある方を見るもんね。ふつう。

YouTube等、うざったいですが。

いちいち記録を残す方なので。後からきっと。

全体に集客もあれでしたし、
お客さんも反応がおとなしい感じなので、
そんなに盛り上がってないんですが。

前述したように、「いつもとは違う選曲、ステージ」を試みて、結構がんばりました。
引き出しを増やす意味では、よかったと思っています。

“The Wandering Savior”
こちら
今回たぶんいちばんマシだったのこれかなあ。
MCに英語文字つけてみましたが、ださださですみません。
この曲の主題は体験にもとづくジョークなので、ふざけたMCも含め、苦情はうけつけません。
音楽的には、往年のVan HalenのThe Seventh Sealみたいのがやりたかった、と、それだけです。

“Changes!!”
こちら

なにげに昔っからやっている曲。イントロではっしーがミスったのが痛いんですが。ギターは結構いい音出ましたよ、と。

“報せ来る”
こちら
この曲も、結構いつも演奏して・・・と思ってたんですが、なにげに人前で演奏するの、ほぼ一年ぶりだったみたいです。前よりはよくなってると思うんですが。

しかし、日本のライヴハウス、というか、
新宿Wild Side、照明とか凄いですね。こうしてみると。
音響もいいし、いいハコです。

No(667)

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