2011年3月の日記

■…2011年 3月 7日 (Tue)…….命名延命使命
今、自分たちで、4曲の録音作業を進めている。

うまくいけば、ダラスでのレコーディングができれば、
そこにさらに2,3曲くわわって、

それでひとつ、作品ができるはずだ。

しかも、かなり強力なやつが。

タイトルは決めてない。

Living Water EPと仮タイトルだったが、
なんか、God Centered Japan Metalとかもいい気がする。

それをリリースするまでの間は、少なくともバンドは形としては延命というか生き延びることはできる。

しかし、
バンドがどういう形になるにせよ、
成功しても失敗しても、
そのときのバンドの状態がどうであっても、

もう一枚だけは、必ず作ろうと思っている。
作らなくてはいけないような気がしている。

作るだけでいい。
作って発表するだけでいい。

そうすれば、応援してくれる人達の期待に応えることは、最低限できるだろうから。

歴史にテーマを置いたコンセプトアルバムのアイディアがある。

そういうコンセプトアルバムみたいのって、
ヘヴィメタルとは相性がよく、常套手段だし、

メタル界に片足だけでも突っ込んでいる立場としては、
やっておくべきことのような気がしている。

たとえ少々、自分たちらしくなくてもだ。

その先のことは、
アイディアは無いでもない。

ひとつ考えていることがあって、
secular musicとか、christian musicとか、言うけどさ、

Christian music in this secular world
と、
Secular music in heaven
と、
どっちがより神聖なのか、つって。

で、たぶんそれは、Secular music in heavenの方なんじゃないかなと思うのね、僕は。

だから、またいつか、たどりつくことができたら、
僕は、Secular music in heavenを、書いてみたい、挑戦してみたい。

で、
Christian music in heaven
なんていったら、きっともう人間の想像を超えてるね。

でも、この世界にあっても、
ホーリースピリットが触れてくれたのなら、
それは実現するのかも。

だから、それをいつも目指さないといけないね。
まあ、目指してできるもんでも、ないんだろうけど。

何か書こうと思っていたんだけれど、
忘れました。

今日は三軒茶屋にて演奏してきます。

三軒茶屋ヘブンズドア、出番20時20分より。

そして、Kickstarter、
1080ドルまできました。
もうひといき。

ぜひ、ご協力お願いします。

Amazon.comを利用してのクレジットカード支払になります。

こちら

No(770)

■…2011年 3月 9日 (Thu)…….ナルニア国、猫イエス
昨日は、嫁さんとデートをするという約束だったので、
(嫁さんは、簿記の試験が終わり、ひとときくつろいでいる)

なぜか岩盤浴みたいのに連れてかれた他、
(おつかれなのね)

先だって見ようと言っていた、
ナルニアの映画の最新作、パート3を見てきた。
字幕版、3Dにて。

ワタシ、こう見えても、けっこう涙もろいですし、
ドラマや音楽で泣くことも多く、
昨年、カールおじさん、じゃないカールじいさんの空飛ぶ家(長っ!)、原題”Up”(短っ!)を見たときも、かなり泣きましたが、

でも、こんなに大泣きというか、ほとんど声を出して映画館で泣いたのは初めてと思います。

以下、軽くネタバレも含むと思うんで、軽くだけど、
読みたくない場合はスルーを推奨しますが、

いや、クリスチャン色は今回、今までの3作で、いよいよ一番強いと思うんですね。

ナルニア国ものがたり、
は、
英国人作家C.S.ルイスによる小説、
それを映画化したものですが、

これは世界でもっとも有名なクリスチャン小説でもあります。
その背景には、クリスチャンの信仰があります。

で、ものすごいおお泣きしてしまったんですが、

2を見たときにも思ったんですが、
軽く、逆に、これって、クリスチャンの信仰を持たない人が見たら、
どう思うのかな、半分も理解できるのかな、
って、素朴な疑問なんですね。

僕なんかは、今回の映画でも、
画面にあのライオンが現れるだけで、もうほとんど泣きそうになってしまうくらいなんですが、
みんなはどうなんだろう、って。

実際、僕は、クリスチャンでもなんでもなかった2005年頃、
町中に溢れるナルニア1の広告を見て、
ああ、またなんかのファンタジー映画か、くらいにしか思っていなかったんで。

CMやPRにも、この映画の背景にはクリスチャンの信仰が強くあります、みたいなことは当然ながら一切言われていないし。

なんかよくわかんない普通のファンタジーもの、くらいにしか思わないのではないだろうか。

それでも、そのメッセージ性が、伝わったりするんだろうか。

これ、ちょっと疑問。

で、今回の映画には、クリスチャンの映画として、
すごく決定的なセリフが出てきます。

それは、ほとんど、イエス・キリストの名前を出しているのに等しく、

これによって、この映画の出来事が、いっきに自分たちの現実とリンクします。
ものすごいことだと思います。

そして、今回の主役である、ユースチス少年。
いちばん疑い深く、ファンタジーの存在もまったく信じていなかった彼。

そんな彼のもとに、
彼が力尽きようとするとそのとき、
アスランが現れる。

これは、僕たち誰にでも、そうなんじゃないかと思います。
クリスチャンだとか、そうでないとかは関係ありません。

みんな、ひとしく神の子であり、
アスランは、皆に現れるんじゃないかと思います。

そして、誰もが心の中にナルニアを持っていて、
誰もが心の中にアスランを持っているんだなあ。
これは、ぼくたちみんなのお話なんだと思う。
舞台はイギリスだけれども。

海の果てに描かれた、
アスランの国など、宗教的なメタファーが盛りだくさんのこの作品。

いろいろと、見る人によって、読み取れるメッセージがあるはず。

僕は原作の小説は読んだことないけど、
きっと原作にくらべれば、いろいろ省略されていたり、中途半端なところがたくさんあるんだろうけれど、

しかしそれでも十分に、

本当によくできたクリスチャン映画だと思います。

これ本当に凄いわ。原作のC.S.ルイスさんって作家さんはこんな物語書いて、本当に凄えと思う。

こんなエンターテインメントが、世界中の子供達、そして元子供達のもとに届けられるなんて、
ものすごいことだと思う。
信仰に基づいた表現、信仰に基づいた社会、その凄さをとくと考える。

そんで、今回、あのネズミがほんとうにかっこよすぎた。
あのネズミみたいのを真の英雄というんだなあ、と思った。

以上。

No(771)

■…2011年 3月14日 (Tue)…….Give some more time to Japan 神よ祖国に時間を
かけるうちに書いておきたいと思うんだ。

シリアスなこと書くけれど、
状況がすでにこれ以上ないくらいシリアスだから、
真剣になるべきだと思うんだ。

今日13日、昨日だけど、
自分たちの教会VICにて、自分のバンドImari Tonesがワーシップを担当する日だったんで、
元気にワーシップしてきた。
ワーシップというか、半分以上は自分らの曲で普通にROCKしてしまった。
こうしてなんというのか、壁を壊すというのか、していきたくて。
もっとハードに神をワーシップできるということを。

ともあれ災害です。

言葉がありません。
被害にあわれた方、犠牲になった方。
祈るしかない。
そして、僕らもいつ同じ立場にならないとは限らない。

私は、当日は、用事を終えた後、
なんとなく都内に買い物に行きたい気分だったんです。
後で、電車がとまり、嫁さんの様子が心配になり、都内への足がなくなったゆえ、
行っておけばよかったと思うけど、いかなくてあるいはよかったのかも。

twitterで見てた人は、知っていると思うけれど、

結果、地震がおきた後、電話もつながらない、電車も動かない、そして車もものすごい渋滞。

唯一、機能した連絡手段が、twitterだった。

僕は、いろいろ心配した結果、自転車で25キロ走破して、嫁さんを迎えに行って、
(そりゃ、とても大変でドラマティックな25キロだったろうさ)

twitterのおかげで無事に合流することができ、

都内のお店に避難の後、
深夜の電車で帰宅。

自転車はまだ都心に放置してある。
取りにいかないといけないが、うむ。しかし。

この日は本当に自分の信仰を試すようなことを考えていて、
自分自身揺れていたから、
本当に物理的にゆれたことにびっくりした。
自分の精神状態と関連があるんじゃないかという気すらした。

しかしあきらかに皆の精神もゆれているのだろう。

この日はそして聖書の中でも黙示録をそれはそれは真剣に読んだんだ。

事態はものすごく深刻だと思う。

そうした精神的な背景があったからというわけではないが、
まだ被害の状況も報道されていないときから、

これはただごとではない深刻さなのではないかという予感のようなものがあった。

単純にマグニチュードの規模や被害者の数というだけでなく、

1995年の阪神の震災のとき、
そのときとは、もっとなにか質の違う深刻さがあるような気がしている。

うちの教会のKさんなんかは、
比較的こういったことを予感していたようだ。

なんでも、先だってのニュージーランド、
異国の地で、クライストチャーチという地名の場所で、
日本人が閉じ込められ被害に合っている、
それだけで、何かの符号のように感じ、
日本に何かが起こることを予感した、
という趣旨のことを語っていた。

まだ被害がどれほどなのか、正確な状況、情報を把握している人はおらず、
すべてが明らかになるのはおそらくもっと後のことで。

いったい今日本に何がおきているのか、
それを正しく理解している人もおそらくあるいはいないのかもしれない。

異常な規模の地震。
異常な規模の津波。
そして、もはや余震と呼んでいいのかさえわからない各地での地震の頻発。
マグニチュード7だの、大きな規模の余震がこれから起きる確立が70%などと報道されている。

そして原発の危機。クライシス。
放射能汚染の危機的事態。

過去に例のない事態。
説明のつかない事態。

これが、どういうことなのか、考えなくては、僕は、やっぱり、おかしいと思う。
どうしても。

ひとつ、ここまでいわれているのは、
この事態に面しての、日本人たちのすばらしさ。

これだけの震災に直面しても、
混乱を起こすことなく、
思いやりをもって行動し、
インターネットで情報交換し、
冷静に、治安を悪化させることなく、
一致協力して、忍耐づよく現実に向き合っている。

僕もすごいと思った。
あらためて、この祖国日本の、すばらしい文化と社会のレベルの高さを思い知らされた。
間違いなく、僕はそのことを誇りに思う。

でも、ここから先は、知ってのとおり、少年時代から、自分の愛する祖国に複雑な感情を抱きつづけてきた僕個人の複雑なバイアスのかかった感情かもしれないが、

しかし、僕は、この場面で、
おれたち日本人はすごい、
と言う場面では、ないと思う。

断じて、のうのうとしている場合ではない。

おれたちは、くいあらためるべきなんだ。

僕はこの日本に住む人々の、精神文化の高さと、心のきれいさが、大好きだ。
少なくとも、10代の頃までは、本当に大好きだった。

そして、現在に至るまで、今この瞬間に至るまで、
その国家として、民族として、人間の集団として、個人として、
そのレベルの高さ、すばらしさは、証明されている。いろんな場面で。

でも、じゃあ、日本には、日本人には、罪がないのか。

クリスチャンになって最初にならうことのひとつだ。

そう、あるんだよな、罪。

驕るものは、滅ぼされる。

どうしたって、それは、動かせない、宇宙の原則のように思う。

日本には、公式にクリスチャンという人は少ないけれど、実は、形になっていないだけで、本当は見えない神様みたいへの信仰心はけっこうあるのかもしれない。
あるいは心の美しさ、礼儀正しさ、みたいのでいったら、日本人は、本当に世界でトップかもしれない。

でもさ、それで本当に、足りるのか。
神様の前で、足りてると思うのか。

わかるよな、聖書のきほんの最初に習うところ、

足りないんだよ。
神様の基準は、本当に、もっとお話にならないくらい高いんだよ。

たりないんならさ、人間であり、完璧でなく、たりない以上は、
おれたちは神様にそのことをあやまって、
くいあらため、
助けをもとめなければいけないんだ。

まだまだ、試練は始まったばかりのように思っている。
今のところ、本当に日本の人たちは、よくやっている。

しかし、衣食が足りていてこその、道徳ということが、昔からある。

果たして、これから、本当に状況が悪くなっていったとき、
今、ぼくたちが誇っている、礼儀正しさ、治安のよさ、心のうつくしさ、

それらは、本当に保たれるだろうか。

本当に。
スーパーマーケットの戸棚から、品物が順番に消えていくさまを見て、
本当に、人々がずっと礼儀正しくいられると、思うだろうか。

本当に試されるのは、
その後だ。

だから信じてほしい。
信じていたいと思う。
信じられるものがあるということを。
そして神のたすけというものを。

その後に始まる本当の戦いに、
心が強くあってほしい。

人間の、表面的な強さなど、
神の前では、あっというまに崩れ去る。

そのときに、本当に頼るべきものは。
神の助けしかないことを僕は知っている。
人間が、それほど神の前に弱いものなのだということを知っている。

こういう、国をあげての災難に向き合うとき、
それこそ、国をあげて、民族をあげて神に祈らなければいけないとき、
民族あげて神に許しを乞わなくてはいけないとき、

祈ることのできるクリスチャンが、人口のたった1%だとは、
なんということだろうと思う。

twitterに流れている、
#prayforjapan
のハッシュタグ

皆、それを見ている、この
“pray”
祈る、
という言葉が、

これほどまでに日本人の目に、触れている。

そして、海外の各方面から、
日本に神のご加護を、
God bless Japan
という言葉が、
注がれている。

まさに世界中が、日本のために祈ってくれている。

こうした状況にあって、
日本人自身がだれよりも神の許しを求めなければいけないときに、

日本人には、祈るべき神が無い、とは。

世界中が日本のために祈ってくれてるのに、

俺たち自身は祈らないのか?

祈る、って
神に祈るって意味じゃないのか。

そのことにずっと向き合えなかった。

本当の意味での精神文化を築くことができなかった僕らの敗北か。

あるいはいまや僕もこっちがわだけれど、
戦後何十年かけて、結局イエス・キリストへの信仰を日本にきちんと伝えることに失敗してきたクリスチャン業界(?)の敗北か。

確かに、教会の方が示唆していたように、
あるいはニュージーランドの一件は、
符号としての
神様からのぼくら日本への最後通告だったかもしれない。

一瞬でも早く、気がつくべきだ。

唯一、日本に足りないもの、
唯一、日本人が、最後に必要なもの、
それは、神に許しを乞い、神により頼むことだと。

神がイエス・キリストだということを、どうやったら伝えられるか、
そうだな、
僕だってわからないさ。

だから、身をもってやろうとしたつもりだ。

あるいは、間に合わなかったかもしれない。

あるいは、これこそが、大きな変化の契機なのかもしれない。

悲観することはない。

最後の瞬間まで、悲観することはない。

けれども、神よ、神さんよ、願わくば、
うちらの祖国に、もう少しだけ時間を猶予してやってほしい。

そのために死ねっちゅうんだったら、たぶんしょうがないから死んでやる。

僕の大好きな日本のミュージシャンたち、
本当に好きなミュージシャンたちは、
決してメジャーな立場ではないから、
彼らも、僕らと同じように、
この災害に、直面して向き合っているに違いない。

僕が日本のバンドで唯一、そしていちばん好きだといつも言う、
bloodthirsty butchersのひとたち。

彼らもきっとこの現実に直面している。

そして、僕がもっとも好きな日本人アーティストとして尊敬してやまない熊谷幸子さんも、
おそらくは、たぶん、僕の住んでいる町から、それほど遠くない場所で、
同じ日本人として、

きっと皆、この事態に直面しているだろう。

感傷的な意味で
音楽的な意味で、
自分の魂の中でも、

僕はもう、何度も、この祖国日本に、サヨナラを言ってきた。

たとえば明日死んだって、

そりゃ、まだやるべきことはあるけれど、

たとえば明日死んだって、
後悔はない。

ありがたいことにいろんなことをやってきたし、

すばらしい体験もたくさんさせていただいた。

とりあえず今日演奏した、Jesus Train、

こちら

もしこれが万が一、最後の演奏になったとしてもだ。

この曲は、よく聴けばわかるとおり、ひとつにはCrazy Trainのパロディなんだが、

まるで昔の映像にあるオジーとランディのスタジオ演奏の様子あったじゃん、
あれとよくにた手触りの演奏ができたし、
悔いはあるめえ。

この曲は、今、レコーディング作業にとりかかっているところなんだけれど、

もし、なんか死んだら、同情票で話を広めていただいて、
同情票で、俺たちのかわりにStryperがこの曲をレコーディングしてくれるだろう。

あらためて、
僕が頼るのは、Jesus Christその人のみだ。

僕が助けを求めるのは、誰よりもイエス・キリストだ。

本当に、皆で本当に、神の前に悔い改め、
日本のために、祈り、許しを乞わないか、

たとえ人口の1%でもいい。
皆で、一緒になって、祈りたいんだけれど。

なんて、ここで書いてもアレか、

どうしたもんかな、

本当に、助けてほしい。神様。

そして、願わくば、この僕の祖国日本を、許してほしい。

みこころであれば、守ってほしい。

In Jesus name we pray

No(772)

■…2011年 3月17日 (Fri)…….個人的な瞑想
こうした災害が起きてしまった今、

安全な場所に、少なくとも直接被災せずにいる身として、

霊的な戦いということを、やはり考えるのです、いちばんに。

不謹慎かもしれませんが、僕にとっては、それこそがいちばんリアルで重大な戦いです。

とても理論的でないことを書きますが、

11日に、最初に地震が起きたとき、
まるで、それらが、自分のせいで起きたかのような感覚に襲われました。

その日、僕は自分なりに、信仰の立ち位置を求めて、spiritual seekingをしていたんです。その精神の働きに、まるで地球が呼応したみたいな錯覚に陥ったんです。

しかし、こうして、日数がたち、
状況が明らかになり、
理由や、犠牲や、人々の言動を見守るうち、

やはり、これは自分のせいなのだと、思うようになりました。

おそらく、これは僕のせいなのです。

This is my WAR.

これは、僕の個人的な戦いです。

そして、その個人的な戦いに、こんなにたくさんの人々と、犠牲をともなって、国中を巻き込んでしまうのであれば、

反面、それをとても光栄かつ重く受け止めるとともに、

それはやはり僕自身の罪なのです。

どのように祈るべきか、

その課題を考える上で、

つまり僕はこの災害、今この日本で起きているすべての災厄を、
自分の罪として、
一身に背負うように、背負わせてもらえるように、祈るべきなのだと理解しました。

そして、いかなる犠牲を伴おうとも、
それが自分の罪である以上はまた、
これらをすべてハッピーエンドに導くのは、
他でもない私の責任なのだと理解しました。

地震と前後して、
また、震災の後、聖書をはじめとする文献を読み、
あらためて自分の信仰の形を、
そして自分の信仰がどこにあるのか、
それらを考えました。

その答えは、もうずっと、
僕がロックに出会った日から、
あるいは聖霊に出会った日から、

とっくに決まっていることです。

そのことに気づくと、
僕の中から、一切の恐れは消えました。

いえ、怖いですよ、もちろん。
ちょっとした流言にもビビってしまうし、

ちょっとした余震でもびびります。

でも、本質的、霊的な恐れは、抱く必要がない。
なぜなら、われわれは神の霊の中において、もっともっと大きな存在だからです。

僕は前に進み、
この霊的な戦いに、必ず勝利します。

何が本当で、何が正しいのか。

それは誰にもわからない。

本当に正しい答えは、きっと誰も持っていない。

だまされてはいけない。

それは、自分で作り出すのです。

このゲームを終えたとき、
その扉の向こう側では、
きっと、皆が待っている。

誰も傷つかず、誰も犠牲になることなく、
本当の他者が、本当の”YOU”が、”あなた”が、
きっと笑って待っている。

だから、すべてのネガティヴな情報に、惑わされてはいけない。
すべての、絶望や恐れに、屈してはいけない、never surrenderです。
自分自信の、faithを、最後まで持ち続けること。

神に通じるもの、
キリストに通じるもの、
それは、真心だけです。

そして、真心は、必ず通じると信じています。

奇跡を信じますか?

「あなたの心はどれだけかたくななんだ。パンと魚を見ていなかったか。」

イエスの声が聞こえます。

僕だってたいして信じちゃいないけれど、
心の奥の方ではなんだか信じている。

これ以上、犠牲を出すものか。

放射能など、すべて無力化してやる。

そしてこれらすべては私の罪なのだから、神よ俺を地獄に連れていけ。

無茶ですね。
でも、それが僕の祈りなんです。

わかりませんよ、何がどうなるかはわかりません。

でも、こういうときだからこそ内面の戦いこそが大事だと、ひとりの信仰を持った人間として、そう考えます。

この身は弱く小さく、
いつどこであっさりと朽ち果ててしまうかわかりませんが、
必ず皆を守ります。

なぜなら、皆は、僕自身だからです。

Love in Christ,
Tone

内省終わりっ。

たとえばひとつ気づいたことを言えば、
少年時代に聞いたSuedeの”Dog Man Star”は、
あれは間違いなく、90年代の黙示録だったのだと。

私は醜い豚として、炎の中に赴きます。

こちら

No(773)

■…2011年 3月17日 (Fri)…….それぞれラジオ出来ること
日本の時間で5月18日、金曜日の朝、8:30–11:30の間、
(アメリカ東海岸の時間にて5月17日木曜、7:30pm–10:30pm)
Andreaさんという方のラジオに出演します。
後から録音も聞けるみたいです。

こちら

生放送なので、ちょっと英語力ふくめて不安もありますが、やってみます。
(いきなり停電で電話ネットがつながらないとか、ないといいけどね)

僕らイマリトーンズの曲をかけてもらう他、
日本の地震、災害の状況を伝えるということになっています。

番組の中で紹介する募金先としては、日本の団体で何かないかと言われて、探してみたのですが、

クリスチャン関係で、なおかつ英語の募金サイトがあるところということで、
これを選んでみました。

こちら

運営者の方の中には、クリスチャンの友人たちを通じて見聞きした名前、個人的に知っている方の名前もあり、間違いないだろうと思いました。

また僕自身もここにさっそく募金をさせていただきました。

いろんなクリスチャンの人たち、ミュージシャンの仲間たち、それぞれに社会のため、人々のため、動いていると思います。
僕らとしても、自分の立ち位置でできることがあれば幸いです。

On Thursday, March 17th from 7:30pm – 10:30pm Eastern/NYC time… The Imari Tones go Onlinewithandrea to discuss the Japan Crisis live from Japan. Listen Live or Listen to the Archive

The Imari Tones On the Japan Crisis

The Imari Tones the first heavy metal Christian band from Japan goes onlinewithandrea live from Japan about the earthquake and the on going crisis. Hosted by Andrea R. Garrison

こちら

No(774)

■…2011年 3月25日 (Sat)…….心象風景
結論としては
今ある教会に人々が加入するとか参加するんじゃなく、
人々が皆勝手に教会になってしまうしかないと思っている。
ひとりひとりが勝手に教会に。

そのときに、
なにが正しいとか、なにが間違っているとか言い出すのは野暮だと思う。

おれたちはみんな神さんとIn Loveの関係なのだから。
愛に正しいも間違ってるもない。
夫婦ゲンカは犬も食わない。

犬も食わない夫婦ゲンカの間に、
仲裁できるのは
キリストの血そのもの、そして聖霊、
それ以外は、みんな野暮。

いろんなことがあったからなのか、
おそば屋さんで隣にいたカップルが普通に神とか運命とか話し始めたんだ。
そりゃそうだろうと思う。
人がたくさん死んだのだから。

心象風景から始めるのは僕のいつもの常套手段だ。

とくに日本語でのコミュニケーションとか思考パターンとかインターネットとかなんにしても僕は周囲の皆さんとコミュニケーションをとりましょうねという感じでは書いてない。

英語だと難しいことかけないからかえってシンプルにコミュニケーションすることになる。
活動は半ば海外向けでありバンドとしてはそれでちょうどうまくいっている。

でも日本語を理解しバックグラウンドを同じくする皆さんには本当のことを伝えておきたいといつも思って書いているんだ。
だから僕は海外向けにはシンプルに体面を保つけれど、僕が本当のことを伝えるのは日本語スピーカーの皆さんだけだ。

もう曲なんか書けやしない。

いつも言っているけれど、
ずっと前からそう思っていた。

高校を出てからすでにそう言っていたけれど。

少なくとも2005年に、
自分でImari Classicsと呼んでいる10代の頃からの楽曲を
録音制作してしまってからは、
そう言っていた。

でも、米持師匠と出会ってドイツに行くことになったら、
数曲を書き下ろしたし、

戻ってきてからも未来を思ってたくさんの曲を書いた。

そのうちのいくつかはWelcome To The Schoolに収録された。
まんぞう氏のところでWelcome To The Schoolを作ったときも、
もうこれ以上曲なんて書けねえと思っていた。

でも、いくつもそれまでになかったような曲が書けたし、
作り終えたときは、もうこれ以上1曲たりとも書けねえと思った。
書く気もなかった。

でも2009年に、遠征をやった後、
作れという神さんの声がきこえて、
“Victory In Christ”の楽曲たちができた。

でも、作り終えた後は、もう生涯でこれ以上1曲も書けねえと思った。書く気もなかった。

でも、今こうして、たとえば2010年を通じても、いくつかの曲が与えられ、
作る気なかったのに夢の中でできちゃったりして、

こうして今、6曲ないしは7曲の録音の計画にとりかかっている。
先月も急に2曲書けちゃったりしたんだ。

ここへきてまた、新たな衝動に満ちた、荒削りで若々しいものができようとしている。
ダラスでの録音が実現すれば、また結構すごいものができるはずだ。

いつも思う、もうこれ以上1曲たりとも書けやしない。
書く気もない。

自分の中はもうとっくにからっぽだ。

10代の頃の青春の衝動も、個人的な愛情もとっくに使い果たした。
個人としての表現はぜんぶやってしまった。

いつも言うように僕はほぼ恋をしない人間だし、
初恋のあの人に対するあれこれの不思議な縁や感情は何度もモチーフに使わせていただいたけれど、
それもいつまでも使えるわけじゃない。

女性全般に対しても世の中に対してもとっくに熱い感情なんてありゃしない。
枯れまくりもいいところだし。

楽曲のモチーフとしての神さんへの愛情や感情も、WTTSとVICで使い切ってしまった。
とくに前回のVictory In Christで本当に出し切った。

与えられた希望や衝動や情景も、
どんどんと形にする瞬間に、自分の中では陳腐化していく。
言葉としては正確ではないけれど、

自分がどんどんとからっぽになっていく。

人生を歩んでいくのに反比例して、自分の中身はどんどんとからっぽになっていく。
愛も夢も、希望も衝動も憧れも、
死ぬ気で大量生産し、
ぜんぶ使い果たした。

これは、けっこうきついことだ。

自称げーじゅつか(笑)にとっては、
けっこう、実は本当にくるしいことだ。

とっとと、全部投げ出して平安に生きたいと思う。
とっとと、いろいろを投げ出して、本来あるべき場所に行きたいと思う。

自分の中はどんどんからっぽになっていくのに、
ロックへの愛情だけはどんどん強くなっていく。
しかも、とても人間的な感情で。

天から与えられたものを使い切っていくのに比例して、
地に積み上げたものが増えていく。
それは、それで、けっこうきついことだ。

大風呂敷は広げている。
でも、今に始まったことじゃない。

The Wandering Saviorって、今でも言っているし、
最初っから、世界を救う(笑)ために音楽をやってる。
“wandering”(漂泊の)の部分が、「笑」にあたる。
自虐的、自嘲の意味ね。
最初から、これはジョークなんだと断っているんだ。

自意識過剰や誇大妄想は最初っからのことで、
いまさらどうこう言うことじゃない。

でもまじめに考えた証拠として、
まじめに信仰にたどりつき、クリスチャンになっている。
つまりまじめにロックンロールを追求しすぎた結果だ(笑)

でも世界を救うということは、
それはどんな比喩であっても象徴的な出来事でもかまわないんだ。
たとえば自分の精神世界の中で、自分の世界を救うことだって、
それは立派に世界を救うということなんだ。

とくに僕みたいな人間にとっては、
自分自身の精神から自分を救うことは、
けっこうリアルに切実な問題だ。

そしてたとえ自分自身から自分を救うといった、
内面的な小さな(!)ことであっても
人間は神の助けなしにはできないことを知っている。

自分自身を救うということだけであっても、
人には本当に難しい。

そして、それが本当のいちばん激しい戦いではないかと思う。

とっとと、全部投げ出して、
本来あるべきところで、本来あるべきように生きたいと思う。

とっとと、自称げーじゅつか(笑)の宿題をやり終えて、
まっとうに自分らしく本来あるべきように神さんだけ見て生きて死にたい。
自分と神さんだけを置いて祈りと礼拝の中に生きて死にたい。

でも、まだ宿題があるのであれば、やるしかない。

曲なんてもう1曲も書けない。
でも、頭の中には、少なくとももう1枚のヴィジョンが与えられている。
今とりかかってるEPの、さらに次の1枚のことだ。

神さんのインスピレーションなんてとっくに期待してない。
でももうここまで来たら、天から降ってこなくても、
今までの人間的な知識と経験だけでもそれなりのものができる。
それでもいっこうにかまわない。
それが宿題なのだから。

もし、それを作るところまでたどりつけたら、
そろそろ、もうぜったいに投げ出させてもらいたい。
投げ出して、しばらく休みたい。

と、言ってみたものの、

どうかな、
いつもそう思っていたからなぁ、
いまに始まったことじゃない。

このプロジェクトを終えたら、
音楽もバンドも全部いったんやめようと、
常に、毎回、そう思って、
いつも思って、ここまできた。

自分の中はすっからかんになって、
また、活動の上でもいよいよ自分のキャパを越えて、
精神的な余裕もとっくにない上に、
今回の地震をはじめとする災害も重なって、

いよいよ、
何も考えられなくなっている。

何も考えられなくなって、
ぜんぶ神さんに投げる。

もういいよ、好きにしてくれ。

だから、僕の今の祈りの動作は、
祝福をちょうだい、と招くんじゃなくて、
投げる、投げる、丸投げするよ、
と、放り投げる動作だ。

うん、わかってる、わるくない傾向だと思う。

先日の祈りの課題は消化したと思う。
僕にとってはそれで十分だ。
これ以上祈れないし、
そうそう都合よく神さんにおねだりもできない。
感謝して身をゆだねる以外に何ができるなんてあまり考えないほうがいい。

いろいろ考えたけど、
命を与える(give)が神さんであれば、
命を取る(take)のも、神さんの自由だろうと、
それしかわからなかった。

神さんが命を取るとおっしゃるんであれば、
おれたちは従うしかない。

その瞬間まで、信仰を保っていることができるか、
まさにあの日揺れている中で自分を試したか。
自分は死んでもいい、と祈ることができたか。
僕はやってみたんだ。
いざとなりゃ、人は強くなれるかもしれない。
どうかな、本当に死神が鎌を振り下ろす瞬間を、まだ見たわけじゃないから。
その瞬間、死神さんに「お仕事ご苦労さん、大忙しで大変だろう」とジョークのひとつも言えるかどうか。

でも、先に書いたように、
このゲームの外側では、本当は誰も犠牲になんてなっていないのだと、
そう信じている。

だから騙されてはいけないと思う。
目に見える見せかけの世界に。

何も変わってはいない。
それこそ地球が誕生してからこのかた。

そして、僕は、何年かかろうとも、そこへいく。

あの音のむこう、僕が見たその世界に。

それが、僕なりの。

No(775)

■…2011年 3月26日 (Sun)…….賛辞チャーハン
暇人なりにいそがしいです。

tweetとほぼ同じ内容になりますが、

昨日、震災の日より二週間ぶりに、
六本木のどまんなかに放置してあった自転車を回収してきました。
ご迷惑おかけしました。

そしてようやくお米を買うことができたので、
ここぞとばかり、嫁さんの好物であるチャーハンを作りました。
ちょっといいごま油を使って。

いろいろめまぐるしい状況ですが、
しかしやはり、
復興支援やボランティアなどで動いてらっしゃる方々には、
賛辞を送りたいです。

僕なんかも大して、なにもできていないので、
軽くひけめを感じるけれど、

やはり実際に体を動かしている人たちには、
なんでもそうだけれど、現場でね、やってる人たちとか、
本当に賛辞を送るべきだと思う。

たとえばそういった支援活動を行うにも、
いろいろなリソースが必要で、
物的なリソースはもちろん、人的なリソースも必要なので、

そういったものをあまり持たない自分のような人間は、
また性格や、人間のタイプとしても、
きっとそういう現場に居合わせたら、
おそらく僕は実際には何もできないんじゃないだろうかと思う。
どちらかというと自問自答しながらすわりこんで皆のお世話になっているほうが自分のキャラではないかと思う(苦笑)

うちのジェイクなんかはそういうときにもてきぱき動ける人だと思うけどね。

そういったことをふまえて、
しかし人それぞれにやはり役割も持ち場もあるので、
自分にできることを、やっていきたいと思う。

とりあえず、1日1日を、感謝して過ごしています。

No(776)

■…2011年 3月26日 (Sun)…….ひとりごととぅいーと
くいあらためるさいごのチャンス。だと思うのよ。それぞれ。みんな。あらゆる意味で。こんだけのことがおこって。まだおもいあがっていられるか。目を覚ませよ。

No(777)

■…2011年 3月30日 (Thu)…….随筆ふきん新
右に行きたいと思うときは
左に行くことを考えるようにする、

これは僕の精神的な習性で、
つまり右に行きたいとき、
「右にいかなければ」と思い込んで
心を固定してしまうと、

かえって右にも左にもいけなくなってしまうからで、

誰でもやっている類のことではあると思う。

この思考メモも、その一環ではあるのだけれど、

そうそう、今日はスタジオに、
声など録音しに行こうとしたら、
スタジオでレンタルしたマイクが故障していて、
すごすご帰ってくるというはめになった。

たまにはこういうこともあるものか。

しかし、何が本当に幸運なのか不運なのかは、
神様にしかわからない。

ひょっとしたらこれで何か知らない間にいのちびろいしていたかもしれないのだ。
逆もありうるけど。

話戻って、

僕が海外志向、いろんな意味での、
があるのは、
世捨て人的な発想も多分にあるけれど、

ひとつには、やっぱり、なんといわれようとも

つまらないからだった。

この国で生きていくのが。

そして、特に10代を終えて以降、
なんとなく
がまんならなかったのが、

この国の傲慢さ。無知と傲慢。

そして、平気で嘘を重ねた上に成り立っている社会のシステム。

しかし、今、この国が災害と困難に見舞われる中、
静かに変わってきた社会の質と若い世代の台頭が。
ついにあふれでようとしている。

傲慢は次第に砕かれ、

若い世代を中心に人々は活発に議論し、

社会に塗り重ねられた嘘のメッキは、はがされようとする。

今、この国が大変なのはわかっているつもりだけれど、
強制的に省エネとなり、
浮かれた傲慢が取り払われて、
いつもより少し暗い街並みは。

なんだかいい感じに、これが本当かもしれない、と、
僕はちょっと、そう思って、
いつもよりちょっとだけ不便になった生活の中、
不謹慎ながら少し気分がいい。

そして、
すべてが完璧で、すべてがあふれていて、
すべてがきちんとオーガナイズされて、
ロックのロの字も必要としなかったこの社会が、

揺れ動いている今、

その完璧さが気に食わなかった僕としては、

少し、不思議な期待を感じずにはいられない。

不謹慎な笑みを口元に浮かべずにはいられない。

そして、
いちばん不謹慎な思い。

それは、
たとえば、

たとえば、この国が、これから、
いろんな呪いを受けて、
衰退していくのであれば、
あるいは、
本当に滅んでいくのであれば。

ほら、たとえば、もうすぐ世界が終わるって話もあるし、
どんな話でもいいんだけれど、

思わず、こう思わずにはいわれない。

終わり行く世界の中で、
詩をつむぐことができるなんて、
音楽家として、これ以上のチャンスがあるだろうか、と。

たとえば、放射能汚染なり、さらなる災害なりで、
自分たちの街が、国が、
あるいは生存が危ぶまれるほどの、状況になったとしたら。

思わず、こう思わずにはいられない。

命をかけて創作に向かう、と僕らはいつも言うけれど、
実際に、生命の危機の中で、作品を作れるなんて、
これ以上のチャンスがあるだろうか、と。

非常に不謹慎ながら、
不謹慎な、わくわくを感じずにはいられない。

あるいは、これを機会に、
本当に日本の社会は、変わるかもしれない。
どう変わるにしろ、
もう3月11日の以前のようには、戻らない。

10年前の911がアメリカと世界を変えたように、
この311は日本と世界を永遠に変える。

しかし、道のりはどちらにせよ、
至極困難なものに違いない。

基本的に僕みたいなのは、
ただのあまのじゃくだからして、

やれといわれれば、やりたくないし、
やるなといわれれば、かえって挑戦したくなる。

難しいことを提示されればされるほど、
興味をかきたてられる。

今、気に食わなかったこの国が、
ちょっと、弱って、しおらしい顔を見せている。
それは、一時的なものかもしれない。

しかし、もしそいつが、弱っていく一方なのであれば、
彼女(国って女性系だよな)に対して、
墓標に刻む詩を歌ってやれるのは、

自分たちの仕事のような気がしている。

以上、
しかしこの発言は、
次の日にはさっくり撤回するかもしれない。

それは、最初に述べたとおり。

絡めてもう一本。

自分のCDラックの中に、
とある事情で、入手して、
ずっと聞かずに置いてあった、
XTCの最後のアルバムを、
昨日、初めて再生した。

XTCなんて、今更すぎるけれど。

REMのようなオルタナティヴ、ポストパンク風味と、
ブリットポップの元祖のような音と、
ビートルズの国の音と、
それから、徹底した厭世のココロ。

僕の大好きな+/-{plus/minus}とよく似たものを感じた。

つまり、
バンドや音楽や表現をやるにも、
スタンスというものがあり、

ある程度、やはり、多かれ少なかれ、世間との迎合や、売れ線を、
混ぜていくものだ。

その多さ、少なさは、それぞれのスタンスだけれど、
そのスタンスの決め方、立ち位置が、バンドには非常に重要だということは、
言うまでもないだろう。

で、僕の好みもそうだけれど、
このXTCなんかは、本当にもうほとんど、全部、
世間との売れ線を、ほぼ100%、切り捨てた境地にあるように思うのだ。

で、それは、つまりは、僕の大好きな+/-{plus/minus}にしても、
そうなのだ。

異論はあれ、僕が尊敬する熊谷幸子さんもそうだったし、
そして、ブッチャーズ(それでも、売れたい、と映画で言っていたのが印象的だったが)にしても、

しかし、XTCは、それを、なんだか十分にメジャーな土俵でやっていたというだけなのだろう。

こうした、本物の表現に、ひとつでもふたつでも、知り、触れることができるというのは、とても幸福なことだ。

僕らが、今度のつあーで、なにをつかむのか、どんな結果やつながりや未来をつかむのか、
わからないが、

もし、すべてがうまくいかなかったとき、

このXTCは、僕らが行くべき道を、うまく指し示してくれている音かもしれない。

なぜなら、彼らの、その世俗や、世間や、成功を、切り捨てたその音の向こうは、
とてもとても、とても豊かなよろこびにあふれた世界だったからだ。

そのことは、今更、復習するまでもなく、
それら、僕が少年時代から好きになってきた音楽家さんたちに、教わってきたとおりだ。

たとえば、バンド活動や、ライヴ活動など、これまでのようにできるかもわからない、
そんな悩みは常にある。
どのような形で、続けていけばいいか、悩みはつきない。

でも、このXTCを聞く限り、大丈夫だ。

あとね、今更グランジをちょっとずつ復習してる流れで、
今度ちゃんとSoundgardenを聞いてみようと思うよ。

きっとなにかわかるに違いない。

以上。

No(778)

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