2011年7月の日記

■…2011年 7月11日 (Tue)…….みらいを選ぶ、想像と創造
これは持論なんだけれど

本当に大事な選択っていうのは

生まれる前に既に全部してしまってると思うのね。

もちろん、天の国の契約書は、

この地上のものよりはたぶん幾分、精巧にできてるだろうから、

ああなったら、こうなったら、の場合分けや但し書きの条件は、

きっとたくさん付いているとは思うんだけれど。

占いとか人相とか手相ってのはその生まれる前に書いてきた契約条項の内容の傾向を見ようとするものなのかもしれないし。

でもどっちにしろ本当に大事な選択はすでにしてしまっている。

だから僕の人生においても、

いつも言っているように、

「選択肢があったなあ」という気はしない。

ぜんぶ、しかたなくそうなってしまったように思っている。

少なくとも今までは。

でも、ここまで歩いてきて、
これからは、多少はある気はしている、選択の自由。

さっき、ちょっとしたきっかけで、ギターのコレクターさん、なんというかどっちかというと高級で高価なハイエンドギターの、コレクターさんのウェブサイトを見たのだけれど。

へえ、こんな世界があるもんだなあ、と、

感慨を覚えたけれど、

自分が知っているギターの世界とはずいぶん違うなあ、

きっと良い音がするんだろうな、と。

自分が知っているギターの世界とはずいぶん違うけれど、

こういう道も究めると深いものなんだなあって。

でもたとえばこれは単純に趣味の問題で、

ロックとかギターとか音楽について思ったとき、

僕はたぶん、高級なハイエンドギターをコレクションして、裕福なホームスタジオとか、リハーサルスタジオで弾いているよりも、

安価でも戦うギターと一緒に、薄暗いバーで演奏して、実戦の中で、傷をつけて、ボロボロにして、そういうギターの道を選んだんだと思う。

演奏が終わればいつもギターは汗でべとべとになっている。

ときにはショウの中でギターを壊してしまったりもする。

そんな状態が僕は好きだ。

バーで小さなギグをするのも、

高級なハイエンドギターを究めるのも、

どちらも等しく、ロックを愛する行為だと思うけれど、

僕はたぶん、そうやって、

安価でもこだわりと思いいれを持った楽器たちと、

戦ってボロボロにして、そこに値段では図れないロックを

刻み付けていくことを選んだ。

それはそれで、

お金をかけてハイエンドギターをコレクションするのと同じくらい、

あるいはそれ以上に、幸福で贅沢なことだ。

これも、以前から言っていることだけれど、

たとえば男の子の本分というか、

少年時代に、願いは何かって聞いたら、

もちろん僕は、あまり自我を持たない子供ではあったけれど、

心の奥にあったものは、

たぶん旅と冒険だったと思う。

ほら、皆、物語を読んだり、ゲームでも、RPGでファンタジーの世界に出かけたり、

お金持ちになるとか、有名になるとか、成功するとか、

そういうことではなくて、

もっと心から憧れて欲していたものは

男の子を幸せにするものは、

旅と自由と、なによりも冒険だと信じている。

望みは全部かなうと思う。

不可能はないって思ってるしそれを場面場面で自分自身に証明してきたようにも思う。

それは物理的なことにとらわれずに本質を見るということにおいて。

だから、たとえば、もっと大きなステージに立ちたいと思ったら、きっとそれは叶うんだろう。これからも、たぶん、きっと。

でも、一度その鐘を鳴らしてしまったら、もう取り返しがつかないのだとしたら、もう戻れないのだとしたら、

僕は、まだまだやり足りない、

まだまだ、自分達の足で歩き、

無名の旅を人知れず続け、

見知らぬ国での、薄暗いバーや、小さな教会での演奏を、

まだまだ、もう少し、続けていたいと思う。

この難しい時代に、インディーズみゅーじしゃん、
ましてやクリスチャンミュージシャンやってる者の宿命として、

1980年のサンセットストリップでもなく、

1989年のシアトルでもなく、

1993年のロンドンでもなく、

2000年代の価値観に生きるべく、日本の地方都市で育ったいんでぃーずロッカーの一人としては、

この報われない戦いを、無名の戦士の一人として、

まだまだ、もう少し、続けていたい。

そして、僕自身が、傷にまみれたヴィンテージとして完成する日まで。

まだね、旅の途中だという気がしている。

もっと大きなステージに立つのは、もっとずっと後のことでいい。

正直、そう思う。

僕が、そして僕らが、

見知らぬ国での、

別に日本でだって同じだけど、

小さな薄暗いバーみたいな場所での、

見知らぬ人たちの前での演奏が、

好きかというと、

それはとても純粋なケンカだからだ。

甘美なストリートファイトだからだ。

もちろん、真面目な優等生タイプだった少年時代には、

あんまりケンカとかしたことはないが、

古きよき不良の時代でもあるまいし、

この歳になって、

自分たちのスタイル(流儀)を見つけて以来、

このケンカに僕たちは夢中になっている。

その掛け値なしの勝負が、それほど魅力的なのは、

その他に、これほど純粋に勝負できるものが、この世界にあるだろうか、

と、そういいたくなるほどに、

そしてまた、そこから学ぶべきものが、たくさんあるからこそ、

僕らはこの無名の旅路を。

これを知ってしまったら、もう後には戻れない。

だから僕は、

成功した歴史上の有名なあのバンドやこのバンドの彼らを、

必ずしも羨ましいだなんて思わない。

たった何年かで、システムの中に組み込まれて、
アリーナの金魚鉢の中で演奏しなければいけなくなった彼らを、

かわいそうだとすら思う。

僕は、底辺に居るのが大好きだ。

そこは、いちばん物事がリアルだ。

そこでこそ僕は自分の与えることができるものを皆に捧げたい。

僕はもっと、ロックの女神と寝ていたい。

愛し方は、人それぞれ、違う。

本当に惚れたものに対して、本当に永遠っていうくらい、

長いタイムスパンの概念で、

取り組むやつだっている。

実際に嫁さんとの付き合いも10代の頃から、長いが、

僕はたぶんそういうタイプだ。

のし上がりたいわけじゃない。

このストリートファイトを、

ずっと続けていたいだけなんだ。

この21世紀のインディーズ時代に、確信するには、

ロックの本来の意味に、本当に迫ることができるこの時代に、確信するには、

ロックの女神と本当に親密に寝ることのできる、その瞬間刹那は、

アリーナやホールでのショウではなくて、

この計画もされていなければオーガナイズもされていない、

薄暗い場所でのギグにこそある。

(特に僕は2007年の春のあの日に、夏のようなあのオースティンの夜でその光景を見て以来、そう確信している)

もう少し、

順番に、順を追って、

ゆっくりとロックの女神と踊らせてほしい。

そして、順調に、

悪い大人の見本、

順調に、できそこないのロック兄ちゃんになりつつある自分だけれど、

これからの旅路が続いていくことを、

果てしない向上と、完成への学びがあることを、

本当に嬉しく思う。

次第しだいに、欲しいものが、環境が、時代が、整ってくると思っている。

たとえば、今まで、本当に所有したい、自分のものとして愛用したい、なんておもうアンプはこの世にマーケットに、存在しなかったけれど、

たぶん、もうまもなく近いうちに、僕にとってやっと理想かもしれないアンプが、所有したい、愛用したい、と思えそうな、生涯愛用できそうなアンプが、発売される。

そんなふうに、

世の中が少しずつ進歩する中で、

やっと自分の美意識と理想にかなうものが、

自分のために用意されたものが、

少しずつ、出てくると。

新しい世界に出会うことができるようで、

最後には本当に、思い描いた新しい世界に出会えるんじゃないかと。

そう感じている。

これから、これからこそ、自分のために用意されたものが、自分が本来出会うべきものたちが、世の中に現れてくるのだと。

だからまだまだ生きていけることに感謝と喜びを持っている。

だから僕はこの定かではない未来を、

自分の想像力と、ちっぽけな信仰でもって選び取り、作り出したい。

No(786)

■…2011年 7月11日 (Tue)…….compassion
結局のところ、

年齢であるとか、人生であるとか、

つらいなと思いつつも、

とっとと辞めてえなと思いつつも、

今まで地味に少しずつ積み重ねてきた自分の音楽とか「バンド活動」(笑)は、

ここ数年、やっと、どんどんと面白くなってきたし、

きっと、これから、もっと、いちばん面白くなるのだろう。

困ったことだが、

やれることはどんどん増える。

地平線はどんどん広がる。

はからずも広がってしまった。

周囲の状況やら自分の中の理性や固定観念が、やめろと言っても、

グラフは今、上昇曲線を描きつつあり、

これからさらに上がるであろうという、客観的な予測を示している。

面倒な事実だ。

そして、今回の震災と原子力危機、それにともなう社会や政治の混乱が、

ゆっくりと起こりつつある変化が、

明確にメッセージとなって迫ってきた。

それは、自分の信仰ともあいまって、

ナッシュビルのThe Objectiveで出会った人々、

彼らのヴィジョン、

そしてこの難しい時代において、クリスチャンミュージシャンのあるべき姿、

神の奇跡と癒しと、愛をもたらすための使命とか、

そういうやつ、ね、

思わなくもなく、

何がどう転ぶにしても、

右から手をつけるにしても左からやっつけるにしても、

日本人としてやるべき宿題は。

要するに、遠征から戻って以来、

めらめらと自分の中で燃えていた情熱と使命、

神さんが火をつけた愛の炎(笑)、

それが、だんだんと具体的な形として見えてきた。

遠征から戻って、行こう行こうと思っていた、

個人的な祈りの場所に、先週ようやく、行ってきた。

どうにも遠征後、6月を通じて調子が悪く、

生活全般にわたってあまり生産性がなく、

やはりあの場所に行って神さんに感謝とお礼の挨拶というか祈りを捧げてこないことには、

次に進めないんじゃないかと思っていた。

梅雨で天気が悪い週が続いたのが大きな原因だが、

やっと晴れ間が出て、先週、その場所に行ってきた。

たびたび日記にも書いている、

都内某所のその場所、

初めて訪れたのは2002年の夏のことで、

それ以来、節目ふしめに訪れている、

クリスチャンになってからは、その場所に行くということは、

明確に、祈りのためであったし、

自分にとっていちばん、神様に会える場所となったけれど、

クリスチャンになる前から、そこに行くという行為は、

やはり祈るためというか、神様に会うためであったと思っている。

その場所に行くと、なにか、自分の運命が、象徴的に示されるようで、

初めてその場所に行ったときから、

不思議なその感覚と、

「神様の視線」ともいうべきその存在を感じていた。

そして、ああ、僕はこの道をずっと歩いていくのだな、ということを

感じたものだ。

その場所のある、その街、それ自体が、僕のお気に入りであるのだが、

今回、もうその街に足を踏み入れたときから、神様のメッセージはなんだか始まっていたように思う。

これはまた、僕が捧げるべき祈りの課題とは別の事柄だけれど、

首都圏でもまた僕が今住んでいる横浜とは、

もう少し東よりのその都内某所においては、

風の中に漂う毒気のような危機感も、

より現実味を持って感じられた。

たとえば、3月の震災以降、よく言われたことに、

こんな災害が起こっても、危機が起こっても、

日本人は、取り乱すことなく、秩序を保っている、

あるいは、こんな状況になっても、政府やなんやに文句も言わず、言うなりになって黙っている、

とか、言われているけれど、

正直なところ思った。

そんな状況でも、普段どおりに勤勉に暮らす人たちを見て。

この人たちは、たとえばどんなに危機的な状況になったとしても、

たとえば、明日世界が滅ぶとしたら、その前日まで、

こうして、普段どおりに、何事もなかったように、

勤勉に、粛々と、何も言わずにこの生活を続けているに違いない、って。

この人たちは、

暴動を起こさないんでもなく、

意見を言わないのでもなく、

きっと、これしか知らないのだと。

こうやって生きるしか、それしか知らないのだと。

こうやって、秩序ただしく社会のルールに従い、勤勉に生きることしか、できないのだろうと。

そう思ったら。

ある感情がこみ上げてきた。

わかりきったことだけれど、

これから日本は大変になるだろう。

そう思ったら、

この人たちのために、

ここで自分に何ができるのか、

何をするべきなのか、

いくらか、わかったような気がした。

街角で遊ぶ子供たちに、

世界中どこの国だって、

なんの違いもありはしないけれど、

その中に、一人、

テキサスでお世話になっている、

Kさんの息子さんによく似た、男の子が居た。

もちろん、ちょっと似ていた、だけかもしれないけれど。

でも、広々としたテキサスの広場で、遊ぶ子供たちと、

関東や、東北で、放射能の影響にさらされながら、遊ぶ子供たちとの間に、

どんな違いがあるかといえば、

違いなんてあるはずがない。

みな、同じ、子供たちだ。

彼らに対して、何ができるのか、

そう思うとき、

僕は、自称芸術家のはしくれとして、

また信仰を持った人間の一人として、

自分を輝かす機会が、そこにあるかもしれないと思う。

それは、まったくのサクリファイス、無意味な自己犠牲でもかまわない。

そのために、ここに来たのかもしれないと、思わなくもないのだ。

もちろん、先のことなんかわからない。

その場所で、

祈りの中で、

いくつもヴィジョンを示された。

神さんが触れてくれることで、

また神さんが見ていてくれるというそれだけで、

また本当に涙が出てきた。

先のヴィジョンに悩んでいる際に、

こうして具体的なアイディアやヴィジョンをいくつも与えられたことに対して。

先のことはわからないし、

僕らの運命だってわからないけれど、

僕は自分の運命を喜んで受け入れるし、

そこには感謝と献身と、喜びしかない。

僕は、すべての扉を叩くだろうし、

やるべきすべてのことをやって、必要な扉を開くべく、最大限の努力をする。

それはもちろん、成功のためとか、ね。

すべてのことには意味がきっとあるはずだから。

案外と、

こちらの案を捨てて、こちらの案を採る、

ということではなくて、

最終的には、すべてのことが叶うのではないかという気がしている。

不可能なんてない。

この世の成功にも興味ない。

完成すべきものは、完成させたいものは、

誰よりも大きなものだとわかってる。

いつか示された、

神さんの都、

華やかな、きらびやかな、その栄光の国、

そこのステージに立つためには。

何年、何億年かかったってかまやしない。

それが、信じる人間の、やることだってこと。

結局を持って、

この一ヶ月間、いろいろとあがいてみたけれど、

鳴らしたい音がある、

どういう音を鳴らすのか、

それだけを考えてしまう。

そして、それを考えるだけで生きていける。

結局、やはり、僕にとっての真実は、そこなのだと、

僕にとっての生きるということはそれだけなのだと、

それを知ることができただけでも、学びだった。

生きるということをより、知ることができれば、

迷う必要もなければ、不安になる必要もない。

という、それだけの記録。

バンドは、3曲?、4曲?のデモを既に渡し、

年内のプランに取り掛かりつつあります。

No(787)

■…2011年 7月11日 (Tue)…….黒伊万里-クロジュンライヴ7/23吉祥寺迫る~
というわけで、

先週の週末は、

クロジュン氏とイマリトーンズとでスタジオに入りました。

(と、書くと、Facebookみたいに名前をタグれないのが不便に感じる)

彼との共演は、これで3度目。

今回、彼の強力なハイトーンヴォイスが生きるような、

ハードで強力な楽曲を用意しているし、

4人編成の、本格的なハードロックバンドとして、

第10回の記念すべき節目であるG-1にバンドとして出演できることを、

本当に嬉しく思います。

まあ、なんというか、

本当のところの動機は、

本当にただ単純に、くろちゃんと一緒にやりたかっただけなんだけれど、

彼をG-1の舞台に立たせたかっただけなんだけれど、

この日ばかりは、

本当に、「普通の」正統派ヘヴィメタルのバンドとして、

ジャパメタを刻みますよ!

もちろん、クリスチャンメッセージも、ばっちりやるけどね。

G-1 Grand Prix 第10回大会
7月23日(土)
吉祥寺クレッシェンド
こちら
OPEN 16:15 ・ START 16:45 / ADV ・ DOOR 共に\2000+D

Imari Tonesの出番は、18時ちょうどくらいの見込みです。

目撃しに来ていただけると嬉しいです。

No(788)

■…2011年 7月13日 (Thu)…….使徒信条
こちら

いや、これをアップしておきたかったんです、早めに。

春に録音作業したときに、

オマケで作ったトラックというか曲なんだけれど、

ほら、よく、アメリカあたりのクリスチャンバンドが、

(つってもThird DayとかPetraとかがやってるのを聞いたくらいだけど)

使徒信条、というのか、Apostles’ Creedを、

そのまま曲にして、サビの部分だけちょっと違う歌つけて、

演奏したりしてるのよね。

で、それを日本語でやってみたくて。

もちろん、日本でも、ゴスペルのバンドの人とか、

やってる人たち、いるかもしれないけど、

早めに発表しておきたくて(笑)

オマケで作った曲だから、
実はドラムも打ち込みのまんまんだけど、

簡単な曲だからバンドでもすぐに演奏できるだろうしね。

どっちにしろ、なんというのか、

はずかしい、わたしの演技っぽいしゃべりが聞きどころです。

きどった感じの。

しかし、よく考えると、

日本語の曲をつくったのは、ずいぶん久しぶりなのです。

No(789)

■…2011年 7月15日 (Sat)…….悲しみと贖罪とブルー
Y師匠がブルーズというか、日本人がやってるブルーズにあまり良い感情を持ってなかったみたいなのはわかるんだよね。

だって、要するに、僕の意見では、ブルーズというのは、日本に、きちんとした形で紹介されたことは一度もないんだよ。正しく導入されたことは一度もないと思うわけ。

で、つまり、ブルーズの分野で日本人の先駆者がやっているような、ブルーズというのは、言ってしまえば、物まねだったと思うわけ。なんというか、やはり、その、ニセモノに過ぎないと思うわけだ。誤解を恐れずに、言えば。

Y師匠って、本人もひねくれた人だったけれど、そういう物まねみたいなのはいちばん嫌ってたみたいだし、その気持ちはわかるんだ。

で、たとえばアメリカの黒人の人たちが昔やっていたようなブルーズをそのままやるっていうのは、それはやっぱり何の意味もない、本質を欠いた物まねにすぎないと僕も思うわけだ。

僕が、自分の言葉としてブルーズ、というときは、
アメリカの黒人の人たちが昔やっていたような音楽のスタイルのことを言うわけじゃなくて、

ミュージシャンとしては、
そういった昔のブルーズを聞いて学ぶことは、いっぱいあるわけだ。
それは、音楽のスタイルじゃなくて、もっと違う次元のところで。

日本において、ポップミュージックや、ロックというものが普及して(してないけど)、
だけれど、ブルーズはきちんと紹介されていないというのは、

なんというかつまり、
よく言われるように日本の社会でいえば、
市民革命とか理念の部分を抜きにして、形式だけ民主化しちゃった社会みたいな、
ブルーズを基盤としないロックというのは、そういう表面的なものだと思うわけね。

形式だけ導入したけれどタマシイが入ってないから余計なんか違うとこにいっちゃうという。

じゃあ、日本人にとっての本当のブルーズというのは、どういうもので、果たしてそれを鳴らすことが今更可能かどうかって事なんだけれど、

そっから先の話は省略で(笑)

でも思うにin my opinion僕の意見では、
ジミ・ヘンドリクスが鳴らしていたのは、
抗議であったと同時に、
贖罪でもあったと思うんだ。
20世紀。ロックとブルーズによる、贖罪。
その贖罪を、白人が行うんではなく、
黒人とネイティヴアメリカンの子孫であるジミがやっちゃうってのが、
いかにも神さんのシナリオっぽいけれど。

キリストが律法を完成させたように、
ヘンドリクスがブルーズを完成させた、っていったら、
言いすぎだろうか。

そっから先は省略。

No(790)

■…2011年 7月18日 (Tue)…….日本の女性は世界最高
熱が冷めないうちにというわけではないけれど、
今ちょっと、いろいろ長い文章を書いているので、
その書く勢いがあるうちに、ついでに書いてしまいたい。

日本中盛り上がっていると思うけれど、
なでしこJapan、
日本女子サッカーがワールドカップで優勝しちゃいましたね。

またちょっと憎たらしい個人的な思考を書き留めておこうと思います。

サッカーっていうのは、ちょっと特別なスポーツで、
世界中の国がいちばんに熱狂して競っているスポーツで、

よく言われるように、
集団でプレイする要素と個人でプレイする要素が両面あるし、
プレイの中で、ピッチの上で、
その国のお国柄や、国民性、社会性、そして精神性といったものが、
すごく強く表れるスポーツだと思うんですね。

で、だからこそ、世界中の国の人たちが、夢中になるし、
自分の国のチームを本気になって感情移入し応援するんだろうと思うわけです。

もうひとついうならば、
なんかこのサッカーというスポーツは、
その国の経済とか、豊かな国か、そうでないかは、
あんまり関係ない気がする。

ヨーロッパとかの先進国は、やっぱり強いけれど、
かといって、南米とか、アフリカとかもやっぱり強い。
あんまり経済格差が関係ないというか、
かえって第三世界というのかあまり豊かでない国の方が強かったり。

だからこそ、世界中の国が、豊かな国も、そうでない国も、
ひとしく対等に、夢中になって熱狂するのだろうし。

その勝敗の結果は、それこそ、ただのスポーツ以上の意味を持って、世界中にインパクトを与えるだろうと思うわけです。

経済力や、軍事力で認められるよりも、
サッカーで、ロックで、文化で、
認められたい、みたいな気がします。

ただ、女子サッカーの場合は、
少なくとも現時点では、
またちょっと違った意味があるように思います。

今回、女子サッカーは、
なんと、ワールドカップで優勝してしまったわけで。

え?
ていうか、ワールドカップで優勝?!

ワールドカップが、日本にもたらされてしまうなんて、
えええ!?
これは、あらためて、いうまでもなく、
キャプテン翼もびっくりの、
とんでもない大事件なわけですが。

それこそ、もしこれが、男子サッカーで日本が優勝とかだったら、
世界がひっくりかえってると思うわけですが。

アメリカの人たちの負け惜しみをネットで見ると、
It’s girls soccer. Who cares?
みたいな反応もありますが。

僕もまったく事情は知らないですが、
素人の意見に過ぎないことを断っておいて、

女子サッカーの場合は、
少し意味合いが違うと思うんです。

つまり、女子サッカー、
女子のスポーツに全般的に言えることかもしれませんが、

女子の世界大会というのは、
ひとつには、
社会の中でどれだけ女性が自由で元気か、
を競う大会であるという側面がある気がします。

社会の中で、女性がどれだけ自立しているか。
社会の中で、女性がどれだけ社会進出しているか。

ある意味では、その国の社会が、どれだけ成熟した社会であるか、
を競っている気がします。

男子とは状況が違うのか、
その意味では、
女子サッカーには、
それぞれの国の、経済格差が、
結構影響があるように思います。

だってきっと、貧しい国だったら、
女性はスポーツとか、あまりできないだろうから。

また、考え方が、保守的な国であれば、
女性がスポーツとかサッカーとか、するなんて、
とんでもない、
と考える人が多いだろうから。

だから、女子スポーツというか、
女子サッカーの結果は、
その国の社会が、

どれだけ自由で、
どれだけ進歩的で、
どれだけ成熟した社会であるか。

それを競っている側面があるように思うんです。

そういった場で、日本の女子代表が優勝した。

これは、すごい意味のある、
ものすごい、日本社会にとって、
すごい大きなインパクトなのだと、
なんだか今回、気づかされました。

日本の女子サッカーが、順風満帆かというと、
今回もいろいろ、言われていたように、
ぜんぜんそうではないんですよね。

国内プロリーグも、盛り上がっているとはいいがたいし、
選手たちの待遇も、あまりよくなく、
日本代表に入るような選手たちでも、
年俸は少なくて、
アルバイトをして食べているとか、
聞きましたし。
(twitter情報だから定かではないけれど)

また、決勝の相手であったアメリカと比較しても、
競技人口もはるかに少ないということでしたし、
なんかアメリカとか国をあげて社会をあげて、
今サッカーに熱を上げてるみたいだし、
アメリカの選手たち、やたらポジティヴで運動量すごいし。

だいたいが、この狭い日本で、
女子スポーツにとっては練習場の確保とかも大変そうで、
そのへん、諸外国とかと比べて、
環境や条件が、いいとは、まったく言えないだろうと、
思うんですよね、きっと。

それに、そもそもの体格差という話も、日本にはあるし。

それでも優勝した。
それも、堂々たる内容の試合で。

これは、どういうことかというと、

それだけ、日本の女性が、素晴らしいんだ、
ということだと、僕は思うんですね。

前述したように、
サッカーは、集団としての、お国柄、社会性、精神性、
が、とても強く表れるスポーツだと思うんですが、

このへんに、単純な男性と女性の性差も感じるんです。

日本の堅苦しくて生真面目な、
いわゆる村社会を基本とする精神性は、

特に男性の場合、
男性は、より群れの中での集団の中での
社会性のプレッシャーを強く受ける生き物だから、
群れの中の犬みたいにね、

この日本人としての精神性は、
どちらかというとみんなの足をしばって、
マイナスに働くことが多いと思うんですね。

でも、女性の方が、
生き物としても、立場としても、
そういった集団の中の社会性のプレッシャーから
ある程度自由に行動できる生き物だから、
どちらかというと猫みたいに、

だから女子の場合の方が、
生真面目で堅実で、和を重んじるという、
日本人特有のメンタリティが、
ピッチの上でちょうどバランスよく、
プラスに働くように思うんです。

ある意味では、
日本の社会というのは、
男性には社会の過剰なプレッシャーがかかっていて、
そのわりに、比較的女性には、
そのプレッシャーが少ないのかな、
と思わなくもありません。

その意味では、
女性の方が自由な社会だとも思うわけです。
もちろん、一概にはいえないでしょうけれど。

ときどき、
日本の女性は元気だ、
日本は、男性はなんだか元気がないけれど、
女性はとても元気だ、

そんなふうに感じることがあるけれど、
必ずしも根拠の無いことではなかったのかも、
と思います。

まあ、草食男子、肉食女子、なんて言われる時代でもありますが、

でも女性が強いのは、女性が元気なのは、
間違いなく良いことではあります。

貧しい社会において、
女性が抑圧されたり、搾取されたり、
するよりは、よほどか、幸せな社会です。
あたりまえですが。

性差や社会構造のことはここで置いておいて、

競技人口や、競技環境など、
必ずしも恵まれているとはいえない環境をはねのけて
見事優勝したなでしこジャパンに話を戻すに、

たとえば日本の社会は、
欧米にくらべたら、
まだまだ、未成熟かもしれない。

日本の女性は、
欧米に比べたら、社会の中で、
まだまだ自由ではないかもしれない。

(しかし、女性たちが、ワールドカップを最低限、戦えるだけの自由は、日本社会にはあるのです)

しかし、その、未成熟でない、必ずしも恵まれていない状況の中でも、
世界のトップと戦って、頂点に立つくらいの力を、彼女たちは持っていた。

それはすなわち、
他のなんでもなく、

日本の女性は、それだけ素晴らしいのだ、
という、

そのことに尽きると、僕は思います。

僕は男性だから、勝手にそう思うのかもしれませんが、
今回、このアメリカとの決勝戦を見ていて、

日本の女性は、なんて強いんだ、と、幾度も思いました。

二度もリードされて、二度とも追いつき、最後には勝ってしまうなんて。

日本の女性の、粘りというのか、底力というのか、
あのメンタルの強さは、

男子には見られないというか、
日本女性は、なんてメンタルが強いんだ、と。

的外れかもしれませんが、
思わずこの国の歴史に思いをはせました。

たとえば、第二次大戦後の焼け野原から、
それにもかかわらず、生き延び、子を育て、
復興していった日本。

たとえば、戦国時代とかだって、そうかもしれませんが、

それを支えたのは、間違いなく、この日本の女性の、
とてつもないメンタルの強さなんだな、と、
なんとなく感じました。

それこそ、男性である僕には、言葉では説明できないくらいに。

しかし、必ずしも恵まれない状況の中で、最高の結果をつかんだ、女子サッカー。

日本の社会の中では、きっと、アウトサイダーであっただろうと思うわけです。

きっと、それなりに豊かな社会とはいっても、きっと日本の場合は、「女がサッカーやるなんて?」というような意見が、まだ多いかもしれません。

僕たちの身の回りの女性たちも、そういった息苦しさの中で、もがいてがんばっているかもしれない。

どうにも、個人的意見として、日本人で、国際的に評価されたり通用する人たちというのは、分野を問わず、アウトサイダーであることが多いような印象があります。抑圧の強い社会で生まれたものは、その抑圧を乗り越えたとき、たぶん普通以上に個人の力を発揮するからでしょう。

そして、逆に、そもそものところをいえば、女性というのは、この男性社会において、いつだって、アウトサイダーであったのかもしれません。

日本女性の、この強さというのは、そのアウトサイダーの強さであったかもしれない。
しかし、そのアウトサイダーであることも含め、日本の女性は、本当に強くてしなやかで、素晴らしい資質を持った人たちなのだ、と、
そのことに変わりはないと、僕は思います。

ひいきめの意見であると思います。
僕自身、社会の中で堂々たるアウトサイダー(笑)であり、また、恵まれないない環境(というほどでもありませんが)で、国際的に挑戦しながら、それだけでは食べられずに苦労している身分ですから(笑)
その彼女たちに自分を重ね合わせての、贔屓目な意見だとは思います。

どうにも、僕は、もともと、愛国心が、ある方かといわれれば、
そうでもないというか、
いや、逆に愛情が強いぶん、
複雑な感情を持って生きてきたのだと思っていますが、

どうにも、なぜだか、
震災以来、なんだか逆にこの国のことを好きになっていく自分がいます。

とにもかくにも、今回のなでしこJapanの勝利で、
僕の中には、

日本の女性というのは、凄いんだ、

という、その事実のみが、焼きつきました。

よくよく考えれば、
ていうか、当然ですが、

今、となりに居る、うちの嫁さんも、
その「凄い」日本女性の、一員であるわけです。

その素晴らしい日本女性である彼女に、
自分も支えてもらっているのだな、と思い、

なんとなく尊敬の目で、ちょっと見る目が変わったり(笑)

この人は、世界最強の、日本女性の一人なんだなあ、と、
ちょっとこれから、そう思って接しようと思います(笑)

No(791)

■…2011年 7月21日 (Fri)…….最速決定戦!
そんなわけで今週土曜日、7月23日はG-1 Grand Prixが行われます。

おなじみの、HR/HM系ギタリストたちによる、ギター速弾きのトーナメント戦が行われるわけです。

毎年行われてきた、このちょっと特別なイベントですが、

僕らは、一昨年にやったと同じように、

バンドImari Tonesにて、このG-1のイベント内でライヴを行います。

そして、やはり、一昨年と同じように、

ゲストヴォーカリストとして、クロジュン氏を迎えまして、

4人編成のバンドとしてライヴします。

クロジュン氏と一緒にライヴをやるのは、

特別な機会で、いつも楽しいのです。

いつも以上にはっちゃけて演奏できると思いますので、

ギター大会とあわせて、見に来ていただけたらうれしいです。

7/23(土) G-1 Grand Prix
吉祥寺クレッシェンド
こちら

OPEN 16:15
START 16:45
前売当日ともに2000円(ドリンク別)

僕らの出番は18時頃の予定です。

出演バンド
Mysterious Priestess / NANOtechnology / Imari Tones(伊万里音色) / tRance bulldog

出演ギタリスト
Kousuke, Force-9, Kouta, ビンビン丸, Kizzy, Sesshy, Seguinol, NEO SHRED

ところで、

最速のギターといえば、Yahooのトップからたどって、こんな動画を見つけました。

こちら

BPM600、って、いくらなんでもこれは速過ぎでは・・・・・・

一応、このG-1にかかわっている人間の一人として、
これを見てしまうと、さすがにちょっと。

しかし、この人が、バンドをやって、イングヴェイみたいなヒーローになるのか、とても興味がありますね。

そして、ついでに関連動画で、これを見つけました。
最速ラップ。

こちら

これも速い、というか、なんというか。
ラップって言葉が伝わらないと意味ないんじゃ、
というツッコミはこの際、置いておきましょう。

土曜日、吉祥寺でお会いしましょう。

No(792)

■…2011年 7月25日 (Tue)…….G-1ライヴ感謝・祈り目標ヴィジョン
ミュージシャンを気取っても、

いまどきの時代というか、

特にいんでぃぺんでんと音楽家は、

パソコンに向かっていろいろ書いたりするのもお仕事のうちという、

そういう感じですが、

特に日本語で書くこのmixiの日記は、

あんまし見てる人も、いないかもしれませんが、

でも書きましょう、

先日、土曜日には、今回で第10回目を数える、
ギター速弾き選手権、G-1 Grand Prixがありました。

凄いギタリストさんたちによる激戦があった傍らで、
僕らイマリトーンズも、ライヴ演奏にて出演させていただきました。

実を言うとよく思い出してみると、
このバンド、Imari Tonesにて、G-1の場にて演奏させてもらうというのは、
実は3度目でした。

2007年の夏の第5回目のG-1、
てつざんさんが優勝したときですね、
あのとき、
Tone-馬場くん-はらっち、
という、ドイツでレコーディングを行ったラインナップでの
たった3度だけ行った幻のライヴ演奏のうちの
最後のひとつが、このG-1でした。

あのときは、まだバンドの方針としても、
そしてYプロデューサーに、お世話になっている時期でしたが、
しかし思い出せば貴重な機会でしたが。
そしてあの後、また新しいバンドの歩みが始まったのでした。
演奏内容はアレでしたが、すべてぶっこわしてゼロからの歩みを始めるにはちょうどいいステージでした。

その次が、2009年の夏のG-1、これは、第8回でした、Kizzyさんが優勝したとき。
そのとき、既にクリスチャンバンドとして歩き始めていた僕たちは、
クロジュンと組んでの初めてのスペシャルライヴを行ったのでした。
渋谷Club AsiaP(現Glad)という、非常に良い会場でした。
あのときの演奏も非常に楽しかった。

そして、今回は、G-1も、主催がやん氏から、若手に代替わりして、二度目。
場所も、長年こだわってきた渋谷から離れて、メタルの拠点みたいな場所(だと思う)、吉祥寺Crescendoにて。

やっぱり2年ぶりにて、クロジュンをヴォーカルに迎えての演奏をさせていただきました。

クロジュンをゲストヴォーカルに迎えてのライヴをやるのは今度で3度目。
3回目ともなると、なんかちょっとだけ、感じがつかめてきたような気がします。

とにかくいつものスリーピースのライヴと違って、もっとメタル然とした演奏ができるので楽しい!

自分はギターは、間違えまくったけど、特にギタリストのイベントだったので、ギターソロ間違えまくって、恥ずかしかったけど、
でもバンド全体としてはジャパメタの本質みたいないい演奏ができた!

そして自分たちとしては、しがないインディーバンドではありますが、
あんまし自分たちとは普段縁のない吉祥寺Crescendoなんていうメタルな場所で、
G-1という熱いイベントで、お客さんや環境にも恵まれた中でたたきつけるようなライヴをできたことに、
本当に、感謝したいと思います。

G-1にかかわっている皆さんと、参加していただいた皆さんと、お客さんと、歌ってくれたくろちゃんと、
皆さんに感謝。

あとやっぱサンキュージーザス!

たわいもないことを言うようですが、
地方のローティーンの少年だった頃にヘヴィメタルに憧れのあった自分としては、
こうして東京のメタルなライヴハウスで、
タイトなバンドを率いて、自分の信じる形のハードロックを鳴らし、熱いライヴを行うことができたというだけで、
ちょっと軽く、うれしかったりします。
こういうことが、少年の頃、あこがれていて、やりたかったんだよなあ、って。
13歳のときとかに、想像していた、ライヴハウスって、こんなだったよなあ、って(笑)

喜びのThresholdが低いとは思うんですが、
それが偽らざる気持ちであり、常に思っていることです。
バンド活動ってのは僕にとってはそういうことだったりします。

まあ、これがあと10年15年早く実現してたら、とも思うんだけど(笑)

そもそも音楽始めて、東京に来る、ってだけでも遅かったのに、
今更成功を求めてハリウッドに行く、ってわけにもいかないよな、
ってのは前にtweetしたとおりです。

しかし、三十路を迎えてから、
こうした充実した青春にやっと、10年遅れてたどり着くというのも、
実に21世紀的な気もします。

また次の演奏の機会も、祝福されますように。

人生、大変だけど、
明日のことは、明日が、心配するさ(笑)

今日この日に、神様から与えられたことをやろう。

そうそう、聖書投げも、先月のライヴに引き続き、行ったんだけれど、
それも受け取ってもらったけれど、

物販テーブルに置いておいた無料聖書も、イベントが終わってみたらなくなっていたよ。

それこそ、本当の達成というべきだ。

神様ありがとう。

バンドがここまで生き延びてこられたのも、

サンキュージーザス。

クロジュンとの演奏の様子の動画は、

また忘れた頃にYouTubeにアップします。

なんかでも、海外のファンな方から、
オリジナルの僕の声の方がいい、とか書かれそう。

もうちょい僕が、彼みたくうまく歌えればねえ。

個人的な記述になるんですが、

ひとつ、気づいたことがありました。

よく、成功の秘訣みたいなことを言うときに、

「目標を紙に書いて、毎日読む」
とか、それを見て自分に毎日言い聞かせる、
実現するまで毎日読むとか、
期限を書いておく、

とか、よく言われると思うんですが、

どうにも、なんか、それって僕にはしっくりこなくて。

たとえば、果たして紙に書けるような目標が、果たして本当に自分の目標なのか、
とか、疑問に思ってしまい、

あとは単純にグータラとか、
とにかく僕にはしっくりこなくて、
いかにそれを行うことで成功することができたとしても、
なかなか実行する気になれない、

と、僕は常々思っていたんですが、

しかし、最近、気がついたに、
自分でも知らないうちに、
ここ数年の間、僕が、知らない間に無意識に行っていた行為があるんですね。

自分はこういうふうになりたい、
自分はこういうふうになろう、
自分はこういうふうになるんだ、

ということに対して、
無意識のうちに行ってきた行為があるんです。

シンプルで、でもヴィジュアルで、実はイマジネーションなこと。

本当にばかみたいに、知らない間に、そこに書かれた言葉を、僕は毎日のように、読んでいたんですが。

で、気がつけば、だんだん、そのとおりになっていく自分に気づいてきました。

うわ、まさかこれが、という感じで、知らない間に、

具体的に、それがどのような行為だったかは、書きませんが、

結局、やはり、人間というのは、
自分が、こうなりたい、と思ったものになっていく。

この意識の力、
あるいはクリスチャン的な言い方をすれば、祈りの力、といえるかもしれませんが、

この暗示にも似た意識の力は、かなり、すごいなと思っています。

人に言われてやるような、
成功法則みたいなので、その祈り、暗示が、機能するとは、
僕は正直、あまり思わないけれど、

自然に無意識に、自分の中にあるような、
好き、の力、憧れ、の力、
純粋な向上心、の力、

そういったものの働きを知れば、
思ったような人生の目標を達成することは、

あるいは決して、難しいことではないかもしれません。

もし、本当に、
たとえば、
「世界一のパティシエになりたい」と思って、
自然に心から、無理に言い聞かせるんじゃなくて、自然に自発的に、
毎日、そうなりたい、と思えるようであれば、
そしてそれを、毎日、確かに具体的にイメージできるようであれば。
たぶんなれるんですね、世界一のパティシエにも。

さて、自分は、誰に憧れ、誰を目標として、
何を毎日見つめ、
どんな人になっていくべきだろうか。

今すぐ、ここでヴィジョンを、見つけよう。

ひとつ参考にするならば、
いろんな本を読み漁るのもいいですが、
ひとつ、本当に賛同できるものを、
毎日読んだりすると、いいのかもしれませんね。
聖書なんかその最たるものですが、
でも聖書って理想のハードル高いので、
聖書をそうやって「自分の本」にできる人は凄い人かも。

No(793)

■…2011年 7月25日 (Tue)…….G-1ファンとしての感想
前の記述が長くなったので、

別に分けて、

G-1の試合の感想などを、

あくまでファンの一人として。

今回、自分のバンドの演奏などもあり、

あんまし、ちゃんと見てなかった試合もあるんですが、

後でビデオで確認したりしまして、それも含め、

なんとなく僕も関係者っぽい立ち位置にいるので、

名前を出して批評しづらい気もするんですが、

あくまで、いちファンとしての感想と寸票というか。

結果からいえば、Neo Shredさんの2連覇という結果に終わったんですが、

予選が終わって、出場選手が出揃った時点で、

少なくとも僕が思うには、

テーマは「誰がNeo Shredさんを止めるのか」

ということだったと思うんですね。

ちょっとでもギターを弾く人間だったら、わかると思うんですが、

Neo Shredさんは、とにかく凄いんですよね、
何が凄いって、とにかく速い。
何って言われても、速いんだからしかたない、ってくらいに。
頭ひとつ抜けて、実力的に「速い」ギタリストなわけです。

過去に二度G-1に出場して、最初は準優勝、でも内容的には限りなく優勝に近い準優勝だったわけだし、(その次の大会から新ルールが適用になったほどの)

そして、二度目の出場で堂々の圧倒的優勝だったわけで。

なかなか、こんな人には、かないっこない。
で、誰がそんな彼を止めるのか、という。

試合の組み合わせが発表されたときに、
僕はちょっとびっくりしたんですね。

それは、一回戦で、いきなり、そのNeo Shredさんと、強豪のセギノールさんが当たることになったから。
なんでも、それは、リハや会場入りの時間の関係で、仕方なくそうなってしまったらしいのですが。

なんというか、Neo Shredさんと、互角に速弾きで渡り合い、倒せそうな選手というのは、一番に考えて、たぶんSeguinolさんなんですね。実力派のベテラン、そいで、Neo Shredさんに負けないくらいの驚異的なピッキング速度と圧力を持っている。

そのセギノールさんと、Neo Shredさんが、いきなり一回戦で当たるということで、これは事実上の決勝戦なんじゃないかと、思っていたんですが、実際、そのとおりになったわけなんですが、

今回いちばんのカギになる試合であり、また、速弾きという観点で、いちばんのベストな試合は、僕はこの一回戦のNeo ShredさんとSeguinolさんの試合だったと思います。

勝負は、かなりきわどいものでした。
今回、審査の基準が、今までと、少し変わり、速さ以外にも、構成とかアーティキュレーションとか、他の要素がより重要視されるようになりました。
それも、今回のカギになる試合の勝敗を、いくつか分けた場面があったと思います。
その中でも、もう今まで何度もG-1の審査員をされているてつざん氏の審査は、「速さが命」という今までのG-1の伝統を踏まえていて、自分はとても痛快だと思いましたが、

しかしこの事実上の決勝戦は、Neo Shredさんが見事に制し、ほんとに僅差だったと思いますが、やはりこれが王者の強さというべきか。

僕の目から見て、カギとなった試合が、あとふたつありました。

ひとつは、Kousukeさんとビンビン丸くんの準決勝。

ビンビン丸くんは、今回の大会で、いちばんの人気キャラとなりましたが、
こういうお客さんをひきつけることのできるキャラクターは貴重なので、ぜひ次回以降もG-1に参戦してほしいと思いますが、

あるいは、Neo ShredさんやSeguinolさんといった強豪を倒し、最年少で優勝をかっさらう可能性があるプレイヤーとして、ビンビン丸くんには結構期待していました。なにしろ、若干19歳ながら、彼の技術は、誰の目にもずば抜けていましたから。

Kousukeさんとビンビン丸くんの試合は、かなりきわどかったと自分は思っています。
結果として、Kousukeさんが勝ちましたが、僕としては、逆の結果でもおかしくなかったという印象でした。
ここで勝負を分けたのは、音作り、というよりは、ギターそのものだと思います。
Kousukeさんの使っていた、Tom Andersonのギターが、素晴らしく太く、音抜けも良かった。
そして、その素晴らしい粒立ちの音質が、Kousukeさんの、昨年とは見違えるような技術の進歩を、的確に伝えていた。
そのあたりに、勝負のカギがあったように思います。
これは、くしくも、もうひとつのカギとなる試合だったKizzyさんにも言えるのですが、Tom Andersonのような高級ギターの威力というかアドバンテージを、まざまざと見せ付けられた試合でした。
しかし全体の構成や技術力など、Kousukeさんの見違えるようなプレイの進歩とその高度さは、会場にいたどのギタリストも認めるところだったので、彼の勝利については自然なことであったと思います。また一回戦において、優勝候補の一角である実力者Force-9さんを堂々と破ったのも、Kousuke氏の実力だと思います。

しかし、ビンビン丸くんとNeo Shredさんの試合も見たかったですが、いかにビンビン丸くんが才能があるといっても、やはり初出場で、若い選手ですから、Neo Shredさん相手に、互角の戦いは無理だったかもしれません。でもやっぱり、ちょっと見たかった。

もうひとつ、カギになった試合と思ったのは、
もういっぽうの準決勝の、KizzyさんとNeo Shredさんの試合でした。

第8回の優勝者と、第9回の優勝者という、チャンピオン同士の戦いだったわけですが、
Kizzyさんは第8回の優勝者ではあるんですが、こう言うと身も蓋もないんですが、僕は同じギタリストとして思うに、Kizzyさんの持ち味は、単純な速弾きではないと思うんですね。
Kizzyさんの持ち味は、速さ以上に、表現や、アーティキュレーション、そして、最大の武器である、高度なテクニックでも技術がブレない精度と正確性、ステージ上での発言やパフォーマンスにも表れているように、プレイヤーとしてお客さんを楽しませることに、もっとも重きを置いているギタリストです。
今までのG-1の戦い方も、他のG-1選手とはちょっと対照的で、いきなりガッと攻めるのではなく、スローにスタートして、だんだん速度を上げていって、気づいたら勝利をさらっている、という、独特の戦い方をしています。

そんな、柔よく剛を制するみたいな戦い方をするKizzyさんが、剛速球のNeo Shredさんに対して、正直、タイプ的に分が悪いのではないかと思っていたんですが、

しかし、この試合で、Kizzyさんの持ち味が、実に存分に発揮されていたんですよね。彼の魅力である、安定した演奏、構築された旋律、正確なピッキング、音の太さ、そういった、彼のプレイヤーとしての魅力が、ものすごく発揮されていた。
で、ギターを見ると、Kousukeさんと同じように、KizzyさんもTom Andersonを使っていた。しかも、G-1では比較的珍しい、シングルコイルのついたストラトを。

これを見て本当に、Tom Anderson恐るべし、と思ったわけなんですが、

Kizzyさんの持ち味が、比較論として、Neo Shredさんの超速プレイの持ち味を、かなり殺していたように見えたんですね。
審査員の審査基準や、好みによってしまうとは思うんですけど、僕はこれはひょっとして、Kizzyさんの勝ちもあるんじゃないか、と思いました。Kizzyさんは過去にも、セギノールさんやForce-9さん(記憶に違いがなければ)といった強豪と戦って、彼らの勢いをすべて受け止めた上で勝ってますから。

しかし、結果としては僅差でNeo Shredさんの勝ち。
やはり絶対的な速さという意味ではNeo Shredさんに勝てる人はなかなかいないということでしょう。

Neo Shredさんは、結果として優勝したわけですが、
やはり、いちファンとして見た場合、
時の運や、勝負のあやはあれど、
なかなか、このスピードという点で、速弾きという点において、
Neo Shredさんに勝てる人は、しばらくは出てこないんじゃないか、

そして、その運や、勝負のあやを引き寄せてしまうくらい、
今のNeo Shredさんは実力があって、肝も据わっています。
ていうかほんと彼は男らしいイケメンだし。
男から見てもかっこいい男ですね。

彼の自信に満ちたパフォーマンスと発言を見ていると、
彼にその気さえあれば、
来年の三連覇も十分にありうるんじゃないか、
と思うくらいです。

過去何回かのG-1を見てきた立場からすると、
過去に出場した選手たちの中で、
Neo Shredさんに勝てるんじゃないか、
Neo Shredさんとの戦いを見たい、と思う選手として、
第7回優勝のKenji君が居ます。
彼の卓越したテクニックとスピードをもって、
絶対的速度のNeo Shredさんとの戦いを見てみたいと、ファンとしては思いますが、

さて次回のG-1には、どんなギタリストが出てくるでしょうか。

No(794)

■…2011年 7月26日 (Wed)
で、FBにアップしたらミクシにも書くと。

こちら

またいろいろあってYouTubeにいくつも曲をアップしてるんですが、

これは先日作った手作りホームメードビデオで、

He’s Still With Usという曲です。

手作りです、ええ。無名のインディバンドですもの。

ちょっと親米というか、アメリカに媚びを売りすぎてますが、
売れるうちに売っとこうと思いまして。

お暇ならきいてくださいませ。

No(795)

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