2012年2月の日記

■…2012年 2月 4日 (Sat)…….ネ申E.V.H.降臨 キリスト・ギタリスト
最初に書いておくけれど、
人生の中で、音楽の中に、明らかな神の介入というのか、
神の意志、意図、介在を感じた体験が、
一度だけあった。
それは、他でもない、
“Sgt.Peppers Lonely Hearts Club Band”のことだ。
(クスリでぶっとんでいただけ、とも言うが)

とにかくこんなことは滅多にないことなのだ。
人生の中で。

そしてこれが、自分の人生の中で聞く最高のレコードになることはわかってる。
もう既にわかっている。
確定している。

そして、こんなことが人生で二度とないこともわかっている。
こんなことは、生涯に一度きりのことだとわかっている。

今更この歳で。
自分の人生にとって、
最大の、最高の音楽体験がすぐそこまで迫っている。

とりあえず世界中のロックギタリスト、
特にハードロック、ヘヴィメタル系のギタリストは、
全員で頭を下げて、
エディ・ヴァン・ヘイレンに謝った方がいい。

Eddie Van Halenはロックギターの世界に革命を起こした
イノベイターであり、カリスマであるが、
彼がロックの世界にデビューしてから、
もう30年以上もの時がたつのに、
いまだに誰も彼にかなわないなんて。

もちろん、エディ以上に「上手い」ギタリストなんていくらでもいるし、
テクニック的にはEddie Van Halenなんて、とっくに時代遅れのはずだし、
エディ以上に速く正確に弾けるギタリストなんて、
80年代当時から掃いて捨てるほどいたし、
90年代以降だって、大きな革命はなかったものの、
新世代のギタリストたちは、
テクニック、サウンド、すべての面で
進歩を続けてきたはずなのに、

なのに、
結局だれも、結局はだれも、
Eddie Van Halenにはかなわなかったのだから。
誰も、足下にも、及ばなかったのだから。
それがはっきりしてしまった、
この2012年、”A Different Kind of Truth”、
EVHの「再臨」。

テクニックとか、正確性とか、
理論とか、そういったものを全部越えて、
ぐうの音も出ないくらいに、結局は、
「誰もあんなかっこいい音出せねえ!」
そして、
誰もあんなダイナミックでエキサイティングなプレイはできねえ!

彼こそが、ロックンロールの真実だった。
それが、はっきりと思い知らされるくらいに。

*********

「神降臨」
クリスチャンやってる僕がこんなことを、
神降臨、とか、「ネ申」とか、
言うのもなんなんだけれど、

実際にこれは僕にとっては、
まぎれも無く、”2nd coming experience”だ。

僕のロックンロールのキリスト再臨は、
今こうして、ここに来てしまった。

ミュージシャン、ギタリストのはしくれとしての、
自分の述懐を記述しておきたい。

知ってのとおり僕は少しばかり変わった音楽観の持ち主で、
ロックや音楽の歴史についての観点も、
普通と少し違ったり、ずれていたりすると思う。

自分にとってのピラミッドというか大系があるんだ。
常にいつも言っていることだけれど、

僕にとっての人生の中で、
本当に運命的に大切で、本当に大好きな音楽が
3つあって、
それは、
1番目がVan Halen、
2番目が熊谷幸子、
そして3番目が+/-{plus/minus}

そしてその次に、
その3つほど宿命的ではないけれど、
自分が本当にこの人生の中で好きになったバンドたちがある。
それは、音楽的に良いとか、単純に善し悪しの問題ではなくて、
本当に個人的に好きだというもの、
そして縁というかめぐりあわせみたいなもの。

荒井由実
Suede
Jimi Hendrix
Led Zeppelin
Judas Priest
bloodthirsty butchers
John Lennon
Burt Bacharach
Strawberry Machine

などがこのカテゴリに入る。
こうして見ると、十分に普通で伝統的なアーティストが含まれているけれども(笑)
しかし、これらのバンドの音楽だけで、本当に僕は死ぬことができるくらい、それくらい素晴らしいものだ。

その次に、そこまで個人的に感情的な思い入れは、上記のものにくらべれば少ないけれど、
その音楽スタイルや表現に本当に共感し、素晴らしいと評価し、
そしてミュージシャンとして、その音楽スタイルにシンパシーを感じるバンドたちがいる。

Living Colour, Rush, Extreme, Stryper, Demon Hunter, Air Pavilion

などがこれらのカテゴリに入る。

これらの音楽だけで、僕は本当に、いつだって力づけられ、ゴキゲンになることができる。

さらに次に、次というか、上とか下の次元ではないけれど、
世界的に伝統的に評価の高い伝説的なバンドたちで、
やはり僕も本当に大好きだ、と言えるバンドたちがいる。

AC/DC, Queen, The Beatles, Cream

あと何があったっけ。

あとクラシック音楽については割愛する。

また次に、クリスチャンになってからこっち、
特にシンパシー、共感を持って聴いている
クリスチャンロックのバンドたちの中で、
とても良い、気に入っているバンドたちがある。

Starfield, Article One, Revive, RED, Switchfoot, Third Day, Skillet

などがそれにあたる。

なおその中にメタルコアのバンドたちも相当数含まれるが割愛する。

そして、個人的に好きな特定の時代のヒップホップミュージックについても割愛する。

個人的にやっぱり好きで少しは聞きかじっているブルースについても割愛する。

そしてその下あたりに、
やっぱり自分の流派としてどうしてもやっぱり好きな、
ハードロック、ヘヴィメタル、
中でもアメリカンハードロック系の良質なバンドたちとか、
それこそみんな大好きなブリティッシュヘヴィメタルであるとか、
そしてまたジャパメタであるとか、
そういうバンドたちがたくさんある。
このへんはもう、メタラーの人たちには、わざわざ名前を挙げる必要すらない。

そしてやはり世代的にも、いろんな意味でも、
青春というか10代とかそういう時代にかぶった
グランジのバンドたちや、
Brit Popのバンドたちを忘れるわけにはいかない。

そしてその下に、一般的に名作とされていたり、
一般的に偉大なバンドだと言われている有名なバンドたちの、
結構好きで聴いていたり、
昔少年の頃に聴いたり、
単純に勉強のために聴いたり、
そういう音楽が、それこそ、けっこうそれなりにいっぱいいる。

たとえばR.E.M.はけっこう好きだが、
僕にとってU2はそれほど重要なバンドではないし、
Radioheadも正直どうだっていいバンドだ。
そのへんでひろってきたり各所でもらってきた名も知れぬバンドが
意外と名作だったりすることもよくあることだし、
とある恥ずかしいくらい有名な80年代のポップバンドが、
実はとてもお気に入りだったりするし、
それからやっぱり70年代の古い伝説的なロックやブルーズのバンドたちは、
やっぱりとても大好きだし、
いちいち名前を挙げることはしないけれど
いまどきのバンド、アーティストだって、
聴いてみてとても好きになったものだっていくつもあった。

そんな中、
そういう音楽の歴史観というか、
自分なりに築いてきた音楽の大系の中から、
僕は自分の音楽を作り出してきたし、

そしてその音楽史観の頂点にあるのは、
個人的には最初にあげた3つのアーティストだったし、
その下のいくつかのアーティストだったし、
そしてなにをさしおいても、
ナンバーワンはVan Halenだった。

それくらい、僕はEddie Van Halenのギターワークに影響を受けてきたし、
もっと言えば彼のギターワークによって、
僕の人生の価値観は作り上げられてきた。

そんなんだから、
1999年にVan HalenからGary Cheroneが脱退し、
Van Halenが活動を休止して、
21世紀になってから、
少しの再結成ツアーはあったものの、

Van Halenが実質不在の中で、
こうして過ごした10年以上、
最後のアルバムから数えれば、
実に14年、
その歳月が、

いかに長く、つらい
空虚な時間だったか、
わかってもらえるだろうか。

だからこそ、
僕はその間、Van Halenが無いのであれば、
必要なものを自分で作ろうと、
自分の音楽を作ってきたのだし、

そして信じようと信じまいと、
そのピラミッドの頂点にあったのは、
彼らが最後に提示した
Van Halen 3というアルバムだった。

世間的には失敗作という意見も多い問題作であるが、
これが時代的な意味も含め、
少なくとも僕にとっては重要な意味を持っていたのは、
先日の「リリース前レビュー」で書いたとおりだ。

そして、21世紀になって、時が経ち、
もうVan Halenというバンドが(実質的に)居ない今となっては、
もうこれ以上の音楽を、自分の人生で体験することはあるいまい、
自分が生きている中で、
これを越える音楽に出会えることは、おそらくもう無いのだろうと、
半ば寂しく、そう思ってきたのだ。

だからこそ僕は、
そのVan Halenを頂点とする音楽大系の、
その中からさらに最高のものを
自分の人生の中の音として援用し、反映し、
実際に鳴らすべく、
この10年以上がんばってきた。

そして、その中で、
(まさにEddie Van Halenのサウンドに導かれるように)
クリスチャンになったりとか、
自分なりの方向性を少しずつ定めていって、
それなりに、
自分なりには、
その指し示してもらったピラミッドの
音楽大系を、
越えるものを作ってきたつもりだった。
インディペンデントという特殊な立場にて。

それなりに、越えてきたつもりだったのだ。
現実に足りないものはいろいろあるのはさしおいても。

だが、Van Halenは、
戻ってきた。

神様は、僕を置いてきぼりにはしなかった。

13年前に置いてきぼりにされた音楽的孤児である
僕のために、
神様はVan Halenを通じて、
13年後、ちゃんと答えを与えてくれた。
物語の最終章を、ちゃんと見せてくれた。
結末を、答えを、ちゃんと見せてくれた。

だから、これは僕にとっての「答え合わせ」のアルバムだ。
人生の答え合わせ。
ミュージシャン、ギタリストのはしくれとして、
自分がどれだけ、神の意志に近づくことができたか、
その答え合わせの体験なのだ。

要するに、Van Halenは、
ここへきて、
その、ロックの歴史上の
音楽大系のピラミッド、
少なくとも僕の目から見た
音楽大系のピラミッドの、
これまであった頂点から、

さらにはるか高く越える空前絶後の作品を、
今回、提示してきた。
この2012年に。

それが、ロックの歴史上、
どういう意味を持つのかは、
先日書いた「リリース前レビュー」に書いたけれど、

僕にとっては本当にこれは予想外だったのだ。

僕は今、クリスチャンをやっているけれど、
これは、ロックギタリストとしての僕にとっての、
間違いなく、
「再臨」”Second Coming”の体験に他ならない。

ロック史上、もっとも神に近いギタリスト、
テクニックとか、人間がたちうちできるレベルの問題じゃなくて、
神が与えたもうたその才能、
それがE.V.H.
その、完全なる再臨。

もう一度書くけれど、
人生の中で、音楽の中に、明らかな神の介入というのか、
神の意志、意図、介在を感じた体験が、
一度だけあったんだ。

それは、他でもない、
“Sgt.Peppers Lonely Hearts Club Band”のことだ。
(クスリでぶっとんでいただけ、とも言うが)

どうやらこれが、2度目になりそうだ。

それくらい、神が与えた天才Eddie Van Halenは、
やはり、天才であって、
彼が本当の音を、
この地上において本当の仕事をするのは、
まさにこれからなのだ。

僕が自分のささやかなウェブサイトに
何年も前に
「世界はまだ本当のエディ・ヴァン・ヘイレンの音楽を聴いていない」
と書いたこと、
それが、けっこう真実を突いていたことに、
軽く誇らしく思っている。

これから僕がするその体験は、
この”A Different Kind of Truth”と向き合う中で、
神が使わした天才ギタリスト、E.V.H.の再臨と向き合う中で、
この13年間の答え合わせをする、
そういう作業、体験になる。

すっぱり音楽をやめてしまってもいいと思う。
それくらいの勢いだ。
実際、そうだと思う。

これくらい圧倒的な、
皆が30年努力してもまだ足下にも及ばない、
それくらい圧倒的なE.V.H.の才能と、
ロックギタリストとしての「正しさ」を前にすれば、

世界中のギタリストは、
全員謝罪して、音楽をやめてしまってもいいくらいだと
僕は思う。
僕も含めてだ。

はっきりいって、圧倒されている。
まだアルバムを聴いていないにもかかわらず。

自分で音楽を作り出してから、
そして10年以上歩いてきて、
やっとここへきて
今、
圧倒的にかなわないと、
心からそう思う、
そういう体験を、ようやく味わっている。

僕は今日、こう思い、tweetした。

思うに自分に与えられた
なけなしの才能は
神よ、あなたに
E.V.H.に匹敵する音、
越える音を鳴らすためではなく、

むしろあなたを
E.V.H.をより理解するために
与えられたものであったことを。

それくらい、
圧倒的に、まったく誰がどうあがいても
かなわない。

それはつまり、
神が使わした天才E.V.H.

彼こそが主役であり、
彼こそが神の奇跡であり、

つまり主役はいつだって
神様、あなたなのであり、

僕らはただの目撃者に過ぎないことを。

しかし僕はその神の奇跡を
肉の目ではなく、
霊の目でもって
理解するだけの環境と才能を与えられた。

それだけで、
なんと幸福な、
私は祝福された目撃者であったことだろう。

それだけでも
この時代にこの地球に
生まれ落ちた甲斐があったというものだ。
音楽家のはしくれとして。

神は物語の終章を、
答えを、ちゃんと示してくれた。

僕らを置き去りにせず、
僕を置き去りにせず、
おとしまえをつけてくれた。

奇跡の天才E.V.H.を通して。

そしてこの
“A Different Kind Of Truth”
と向き合う中で、
自分がどういう答えを見いだしていくのか。

これからわかっていくだろう。

そして間違いなく、
僕の人生はまた変わる。

自分の人生を変えてくれるような
そんなレコードにまた出会いたいと思っていた。

でももう無理かなと思っていた。

望みはかなった。
余りあるくらいに、超弩級の衝撃を以て。

人生で最大の音楽体験が始まる。

No(845)

■…2012年 2月 9日 (Thu)…….横浜ライブはKing of Gazzarri’s
最近じゃもうMixiの日記とかも
書く理由とか動機もあまり希薄になってきているけれど

facebookにちょこっと書くとかのほうが
コミュニケーションとしては全然成り立つんだろうけれど

それでも書こう

今年はね、
横浜ローカルでやりたいと思ってるんですよ。
バンド活動でもなんでも。

つい今しがた新譜をリリースした
Van Halenが、
リリース前に連続して掲載されていたインタビューの中で、

King of Gazzarri’s

っていうのがあったのね。

こちら

これね。

ロックスターは最初からいつでも
大きな会場でプレイして
ビッグスターになることを目標としている

て思うかもしれないけれど
僕らはそうじゃなかった
いつかGazzarri’sのキングになるんだ、

ってそう思ってただけだった、
ってね。

たぶんそんな感じ。

Gazzarri’sっていうのは、
彼らがデビュー前のクラブ時代に演奏していた、
小さなナイトクラブなわけですよ。

で、僕らも、
まったくビッグスターでもなんでもないけれど、
やっぱりおんなじように、
「King of Gazzarri’s」
になりたいといまだに思っておりまして、

そう、小さなバーで充実した演奏ができれば、
基本、それで幸せなわけですよ、
ミュージシャンなんてものは。

なおかつ、なんというか、
遠くに行くのが面倒だから、
というメンバーの出不精もありまして、

そして、最近は
Yokohama Dreamingなんていう曲も書いてしまった
この地元横浜ラヴなメッセージもありまして、

(これね)
こちら

横浜での、バーライヴを、
ブッキングしてみました。

2月26日(日曜)
音小屋 (横浜、関内)
こちら

19:30頃出番の予定です。

3月20日(火曜、祝日)
NO BORDER (横浜、反町)
こちら
詳細未定

4月8日(日曜、イースターサンデーですが)
音小屋 (横浜、関内)
こちら
詳細未定

どれも、距離の近い、
小さなライヴバーでの演奏です。

いわゆるライヴハウスではなくて。

でも、こうしたバーでの演奏というのが、
僕らがより地に足を着けて、
コミュニケーションのある、
よりロックの本質に近づける演奏の場所であるように
僕たちは感じています。

いわせてもらえば
結構アメリカでも演奏してきた
それが僕らの本音。

小さくても、その方がちゃんと、ロックをはじめられる。

そんな感じ。

今年はツアーに出られるかどうか、
まだわからないけれど、

だって、ほら、
海外ツアーに出ないImari Tonesに価値なんてあるのかと

思うけれど、

でも、この日本の、扉を開け、という
メッセージを、いちおうもらってるからさ、神さんから。

もうけっこう開いてる気もするけどね、扉。

やりますよ、横浜!

あと、それとは別に、また、
自分とこの教会である、VIC (Victory International Church)
にても、またワーシップ演奏をします。

なぜって、僕らは今、自分たちのスタイルならではの
ハードロック、ヘヴィメタルによるワーシップ演奏を
模索し、追及しているからね。

2月19日(日曜)
ワーシップ演奏 @ VIC

日曜礼拝は13:00–15:00くらいの予定。
場所は、横浜は京急日ノ出町駅の近くのシャノアールというライヴハウスにて行っています。
こちら

教会のウェブサイト(あまり更新されていない)
こちら

そんな感じです。

ああ、自分と、音楽と、向き合う時間がもっと欲しいな!

やらなきゃいけないこと、
伝えなきゃいけない人たち、
もっとある。

すべての栄光は神さんに、

自分は、脇役であり単なる目撃者であり、
従者ってかんじ。
でいいさ。

No(846)

■…2012年 2月13日 (Mon)…….Van Halen原理主義者によるレビュー
Van Halenを熱狂的に信じる、
“Van Halen原理主義者”だからこそ書けるレビューをここに。

“This was not supposed to happen”

「期待を遥かに上回る出来」とヘヴィメタル専門誌に書かれ、
“Shockingly Good”といったレビューが大量にインターネットに書かれ、
世界中の人が、
Van Halenは、もっと古くさく、歳をとって衰えた作品をリリースするはずだったのに、
それが、衝撃的なまでに凄まじい内容の新作をリリースしたことに、
世界中のロックファン、ハードロックファンたちが驚いている。

「デイヴ時代に戻った」
とか、
「初期の勢いを取り戻した」
とか、
「1stの頃に戻った」
あるいは
「1984年に戻ったみたいだ」
いろいろ言われているけれど、

事実はそんなに単純じゃない。

そのへん、うちのベースのはっしーはよく理解していた。
これはまったく新しい音楽だ。

僕が数年前に、自分の(以前はYahooカテゴリにも登録されていた)Van Halenファンサイトに、「世界はまだEddie Van Halenの音楽を聴いていない」と書いたのは、冗談ではなくて。

新しく進化した、
これはまったく聴いたことのない音楽だと思うのね。

また、僕にとっては、
このVan Halenの新作は、
ほとんどもってイエス・キリストの再臨に近いくらいの
インパクトを持つ出来事だということは、
先だって書いた通りだ。

リリース前に”Tattoo”を一聴した段階で書いた
「リリース前」レビューのふたつの文章に関して、

おおよそばっちり合っていたことは、
軽く誇らしいが、
Van Halenのただのフリークというだけでなく、
技術でもなくもっと根本からEVHを理解して、
それを自分の人生に援用して表現を模索してきた自分としては、

いわば予測ではなくて、
明らかに知っていることを書いたのであって、
こうなることがわかっていたとしても、
別に不思議なことは無いといえば無い。

そういうわけで、
やっと、ひととおりアルバムを実際に聴いてから、
冷静に分析する機会を得た。

しかし本当のところ、
冷静に分析することなんてできやしない。

地球上でVan Halenを本当に理解する数少ない人間の一人を自認し、
それなりのソングライティング能力を持って、
それなりにバンド経験を経て、
多少は人よりもこの道については知っている(と思う)僕にとってみても、

この新しいVan Halen “A Different Kind of Truth”の音楽は、
正確に分析することができない。

神が与えた天才による奇跡としか、言いようがない。

なぜ彼らはこの時代に、こんな凄まじく圧倒的な復活作を作ることができたのか。

フルアルバムとしては、実に14年ものブランクがあるにも関わらず。

まずは当たり前のことだが、
彼らとてこの14年間、何もしていなかったわけではないということだ。

「昔そのまま」のサウンドではなく、
確実に昔よりも進歩し進化したサウンドは、

まずギターサウンドについて分析するならば、
分析もへったくれもないのだが、

そもそもはっきりいって
どのバンドのどんなレコードと比較しても、
もちろん過去のヴァン・ヘイレンの作品と比較しても、
はっきりいって、
こんな凄いギターサウンドは初めて聴いた、
というのが正直な感想で、
圧倒的すぎて言葉もないのだが、

エディ・ヴァン・ヘイレンのギタリストとしての功績は
数え上げればきりがないほどロックギターの世界に大きいけれど、
彼がシグネチャーモデルとしてギターとアンプを開発したのは、
1990年頃から使い始めた、
Peavey 5150アンプ、

そのサウンドが、その後のロックのサウンドをどれくらい大幅に変えてしまったかは、
あまり話題には上らないものの、
実はタッピングなどの演奏技術以上に、大きく世界を変えた功績なのではないかと思う。

そのPeavey 5150のサウンドは、
ゲインが高いにもかかわらず、透明感があり、理想的な厚みとプレゼンスを併せ持っており、パワーがありながらもスムースという、エレクトリックギターのサウンドのひとつの理想型だった。

そして、しかし、
21世紀に入ってから、
Van Halenはバンドとしては活動停止状態にあったものの、
エディは5150-3の開発など、地味にしていて、
そのサウンドは、それまでのものよりも、
よりヘヴィかつファットな方向へ向かっていた。

それは、エディが90年代に開発、使用して、
今ではヘヴィロックの世界のスタンダードとなったPeavey 5150/6505のサウンドよりも、
より高次元の、最高に分厚く、beefyで、ファットで破壊力のあるものになっていた。

Peavey5150でもってサミー・ヘイガーとプレイしていた90年代に、
初期の曲をライヴで演奏するとサウンドに違和感があった、というのは、
皆思っていることだと思うが、

2000年代に入ってから開発された5150-3が、
よりストレート&ヘヴィ、そしてワイルドなサウンドになっていったということは、
ひょっとしてエディの中で、
デイヴをシンガーに据えた楽曲のイメージが、
この新作のサウンドが、
そういったものがエディの頭の中にあったかもしれない。

ギターサウンドに関しても、
そうした長い開発と追求が、水面下であったからこそ、
この”A Different Kind of Truth”のサウンドは完成した。

このサウンドは、たとえば1978年当時、あるいは1984年当時では、
実現不可能だったと思われる。

初期の雰囲気に戻った、という意見は、
ある意味では正しいが、
過去のVan Halenで、この新作の雰囲気、そして全体の音楽性に、
もっとも近かったのは、
おそらくデビュー前の、ロサンゼルスのローカルクラブで演奏してイケイケだった頃のVan Halenだろう。

アルバムの楽曲の約半分ほどは、
過去の素材、有名なジーン・シモンズのデモに入っていたものや、
過去に使用されなかった楽曲の焼き直しで構成されているが、

これらの楽曲も、見事にこの2012年に、
見たこともないくらい強力なモンスターとしてよみがえっている。

そう思うと、なんで今までこれらの楽曲を発表しなかったんだよ、
という思いも抱くかもしれないが、

この事実から
ひとつ気付かされるのは、時代の流れの中で、世の中というのは、
バンドというのは、そう芸術的に、完璧に自由な中で作品を発表しているわけではないということだ。

たとえば、1stから3rdくらいの時期において、
Van Halenは実際にはAin’t Talkin’ Bout Loveとか、
On Fireとか、
Dance The Night Awayとか、
And The Cradle Will Rockとか、
が収録されたアルバムを、発表したけれど、

必ずしも、本当はそれがベストな選択ではなかったかもしれないということだ。
実際は、もっとこの、本当にクラブシーンのレパートリーだった、
Pasadenaのホットなクラブバンドだった頃のレパートリーだった、
これらの楽曲を発表するべきだったかもしれない、ということだ。

しかし現実には、ジーン・シモンズのデモの段階では、Van Halenはレコード会社からサインされなかったのであって、
歴史上の事実としては、
1978年のデビュー以来、
Van Halenは、時代の流れや、勢いのままに、
あれらの作品を発表したのである。

時代の流れとか、時代の勢いっていうものは、
誰にも止めることができないもので、
そして、すべての人に影響するもので、
それは、良いこともあるけれど、
悪いこともある。

つまり、1980年代にデビューしたHR/HMのバンドであれば、
やはり多かれ少なかれ、ああいった80年代的なメインストリームのポップメタルの音楽性を、やはり演奏することになる。

それは、とても華やかなものではあったが、
しかしそれが、必ずしもそのバンドの真の音楽性、
そのミュージシャンの本当にやりたかった音楽ではないかもしれない。

ハードロック系のおなじみのバンドであれば、
Extremeの場合も、
80年代にリリースした1stや、その後の2ndも、
非常にポップメタルの背景に基づくものだった。

しかし、2008年にリリースされた復活作では、
よりストレートで奔放な、ZeppelinやQueenなどの王道により忠実な、そして70年代的にプリミティヴなサウンドのロックを展開していた。

今にして思えば、Extremeの面々が、本当に自然に鳴らすはずだった本来の音楽性は、
ああいったものだったのかもしれない、と思わされる。

時が過ぎたからこそ、
あるいは歳を取ったからこそ、
本来の自分たちに気付く、ということがある。

MR.BIGにしても同じようなことが言えると思う。
やはり彼らの場合も1stや2ndはポップメタルのマーケットの背景に基づいた作風を持つものだった。
その後、だんだんとブルーズや、ルーツっぽい音楽に彼らは向かっていったが、
かといって、それは本来の方向性をうまく追い求めるというよりも、
90年代の時代背景に追いやられていったような性格のものであり、
結果、そこからバンドは方向性を見失い分裂していったと思われる。

2010(場所によっては2011)に発表されたMR.BIGの復活作においては、
彼らが本来もっていた、独特のノスタルジーと、自然なプレイヤビリティが同居したサウンドが実現されており、
楽曲としてはあまり派手ではないものの、
ああ、この4人が本来鳴らしたかった音は、この4人が本来追い求めていた音は、この4人が本来鳴らすべきであった音は、きっとこれだったのだろう、と思わされるものだった。

このように当時、時代の流れの中で彼らがリリースし、鳴らしていた音は、
時代の流れに乗ったものではあったけれど、
必ずしも、彼らの本来の音を正確に表現したものではないというケースが、
おそらく世の中にはたくさんあると思われる。

世の中というのは、そして、バンドというのは、
ビジネスひとつとってみても、
きっとそんなに生易しいものではないのだろうから。

Van Halenについても、
同様のことが言えて、
おそらく彼らの意図のひとつとしては、
ビジネスやレコード会社が介入する前の、
勢いのあるパサディナのローカルバンドだった頃の
本来のVan Halenの姿に立ち戻るという意図があったかもしれない。

そして、それは、これほどまでに凄いものだったということだろう。

そして、それらの楽曲が、当時発表されなかったことは、
今となっては、
良いことだったのだ。

なぜなら、当時では到底、
当時のレコーディング技術、機材環境では、
作り上げることができなかった、
これらの楽曲の、本来の凄まじいサウンドが、
こうして2012年の今になって、
巨大なモンスターとなって届けられたからだ。

これらの楽曲は、
まさしく時代を待っていたのだと言える。

このアルバムにおいて、
もうひとつの重要なトピック、
目を引くほど優れている点は、
ベースの演奏だ。

これも、この14年間、彼らが進歩していたことのひとつだと言える。
つまりは、このものすごい才能を持ったプレイヤー(今のVan Halenにあってはベースプレイヤーであるが、明らかにすべての楽器を演奏できるマルチプレイヤーだと思われる)は、
この空白の年月の間に、文字通り、大きく成長していたのだから。

エディの息子であるウォルフガング・ヴァン・ヘイレン(Wolfgang Van Halen)が、
実際にこのアルバムでベースを弾いているかどうかについては、
疑う向きもあるようだが、
(つまり、ベースは全部エディが弾いたんじゃないか、と)

少なくとも現在出回っているライヴ映像において、
ウルフィー君は、軽々と、アルバムどおりの演奏をしている、
ということだ。

少なくとも僕は、このアルバムでウルフィー君が実際にベースを弾いてると思っている。
他の作品(Van Halen 3やIt’s About Timeなど)で聴かれるエディのベースと比べ、明らかにタッチもタイム感も違うからだ。もちろん似ているが、明らかに違う。

そして、たくさんの人が指摘しているように、
このウルフィー君のベースが、ちょっと凄い。
ていうか、ちょっとなんてもんじゃないくらい凄い。

要所要所で、軽々とエディとユニゾンで絡んでみせるテクニック、ビリー・シーンを彷彿とさせるタッピングプレイ、そうしたすっとんだ演奏もそうだが、
それ以上にバンド内のアンサンブルの起爆剤としての能力がものすごい。

ちょっと信じられないことだが、
アルバムの演奏を聴く限り、今現在このVan Halenのバンドアンサンブルを引っ張っているのは、エディでもアレックスでもなくこのウルフィー君だと思われる。
言うまでもなくVan Halenというのは、エディのギターがすべてを引っ張るバンドだ。それは、それだけエディが才能のあるプレイヤーだったからだが、
もしそこに、同じくらいの、あるいはそれ以上の才能を持ったプレイヤーがいたらどうなってしまうのか。

その答えが現実となってここにある。
しかも、親子という特別な関係だからなのか、
その才能は、食い合うことなく、お互いに完璧に補い合うような形で、とんでもないプラスの作用をアンサンブルにもたらしている。

このアルバムで、アレックス叔父さん(今では牧師)のドラミングも、いったいどうしちゃったの、っていうくらい、過去に例がないくらいぶっとんでいるが、
これも明らかに、ウルフィー君のベースがアンサンブルにもたらした奇跡だと思われる。

China TownやShe’s The Womanなどで(そして他の曲でも)顕著に見られる、まるでバンドがひとつの生き物になったような変幻自在のグルーヴ、バンドアンサンブルがもたらす、ここまで凄いのか、というマジック。
少なくとも、このアルバムは、ウルフィー君という存在なしには、成立しなかったということがはっきりと言える。

そして、この衝撃的に一体となった奇跡のようなバンドアンサンブルが、僕がこのアルバムでもっとも衝撃を受けた点のひとつだ。
まるでひとつの生き物のように相互に一体化しているのだ。
バンドのアンサンブルとは、極めるとここまでものすごいグルーヴを生み出すものなのか。ここまでの多彩な表現が可能になるものなのか。

ウルフィー君は、シンガーとしても優秀なようで、マイケル・アンソニーほど特徴的な声ではないにしても、高音のコーラスをしっかりとこなしているし、

このバンドをRe-vitalize 、若返らせてしまうほどの起爆剤となったウルフィー君の凄まじい才能、そして親子というか家族アンサンブルの奇跡を見るにつけ、
マイケル・アンソニーの離脱は残念ではあったけれど、はっきりいってウルフィー君のほうがずっといい、正直そう思ってしまう。
この凄まじい衝撃と、軽々と”Van Halen”をマイキー以上に体現するウルフィー君の才能を見てしまうと、はっきりいってマイケル・アンソニーが平凡に見えてきてしまう。もちろん、マイキーだって伝説的なベーシストなのだけれど。

Van Halenは、いまや、かつて以上にもっと”Van Halen”になったのだ。
かつてよりも、もっとすっとんだことが、軽々とできる。

今までのバンドはなんだったんだ、と、
今までのVan Halenはただの予行練習に過ぎなかったのか、とすら思えてくる。
つまり、エディはこの理想のバンドを実現するために、実に長い時間をかけて、ウルフィーという才能あふれる人材が育つのを待っていたのか、と。

これもたくさんの人が指摘しているのを(英語のサイトのレビューとかで)見たが、
このアルバムのテンションの高さ、そして、ギターとベースのすっとんだインタープレイは、
まるでDave Lee Rothの1986年のソロアルバム”Eat’em and Smile”を思い起こさせる。
というか、実際、このアルバムはEat’em And Smileによく似ている部分が多い。

奇しくも、エディのギターは、ところどころでSteve Vaiのようなサウンドと音使いをする場面があるし、
そしてウルフィー君はのベースは、Billy Sheehanのようだ。
もっとも、ウルフィー君のサウンドの方がよりナチュラルで柔軟だけれども。

だが、あのEat’em and SmileのDLRバンドとの決定的な違いは、
DLRバンドの選ばれた超絶メンバーによる戦闘的なピリピリした緊張感と違い、
今のVan Halenはそれをいかにもナチュラルに、リラックスして、柔軟な演奏の中でこなしてしまっていることだ。

2月8日にLA FORUMで行われたドレスリハーサルの演奏の様子がインターネットにアップされているが、
この映像を見てまた僕は衝撃を受けた。
China Townという曲は、このアルバムの中でもハイライトのひとつだが、
エディ親父とウルフィー君は、この曲のテクニカルなインタープレイを、ぴりぴりした緊張感などまったくなく、終止笑顔でリラックスした雰囲気の中で軽々とこなしている。

昔からエディの魅力は難しい顔をせずに、笑顔でテクニックを決めることだったから、これはある意味Van Halenの面目躍如でもあるけれど、
明らかにこの今のVan Halenのステージ上の雰囲気は、「戦うロック」ではなくて、「リラックスした家族団らん」なのだ。
家族団らんのハッピーでリラックスしたムードの中で、これ以上ないくらいにナチュラルにハイレベルな演奏を軽々と決めていく。

この家族団らんの光景に、僕は非常に衝撃を受けた。
それはつまり、Van Halenというバンドの音楽性の本質にかかわる部分でもあるし、
そしてまた、エディ・ヴァン・ヘイレンという人間のミュージシャンとしての考え方をよく表している。

考え方はどうあれ、このリラックスしたムードの中で、このウォルフギャングという才能ある若いミュージシャンは成長し、世界一流のミュージシャンである親父や叔父に軽々と追従し、リードすらするような優れたプレイヤーとなり、
そしてこのとんでもない内容の”A Different Kind of Truth”を作り上げたのだ。

このステージ上のリラックスしたパフォーマンスに、
あらためて僕は、
ロックとは何なのか。
Van Halenとは何なのか。
そして音楽とは何なのか、ということを、考えさせられた。

話はそれたが、
このウルフィー君という、才能あふれる若きプレイヤーを得たことで、
Van Halenは、
過去に類を見ないほどの強力なアンサンブルを獲得し、
また、全盛期のDLRバンドや、MR.BIGに負けないくらいのテクニカルな見せ場の応酬が可能なバンドへと変貌したのだ。

It was certainly worth the wait.

ソングライティングについて触れてみよう。
サウンドがよりヘヴィに、そしてストレートになったのに従って、
また、バンドの音楽性が、デビュー前のワイルドなものにシフトしていったのに従って、
ソングライティングは、よりシンプルになっている。

90年代の、”Balance”や、”Van Halen 3″においては、
エディのギターを骨格とするソングライティングは、かなり複雑になっていったが、
(そして、Van Halen 3では、ちょっと複雑すぎるところまで行ってしまったが)
その意味では、この最新作の楽曲のソングライティングは、よりstraight forwardだと言うことができる。

しかし、決してそれだけではない。
やはり、その90年代以降のエディの複雑なギターワークは、随所にちりばめられているし、その奥の深さは、楽曲の骨組みが簡潔になったぶん、より深みを増したと言っていい。

シンプルかつ、ストレートにして、なおかつ奥が深い。
誰にも真似のできない音楽性と、一瞬で圧倒するパワーを兼ね備えている。
はっきり言ってしまうと、僕にもこのアルバムの楽曲のソングライティングについては、理解不能だ。
理解不能な部分が多い。

もちろん、”Ripley”(Blood&Fire)みたいな、1985年くらいのいかにもエディ印の楽曲は、ぜんぜん理解も分析もできるけれど、
リフや構成はシンプルなはずなのに、アンサンブルのせいか、サウンドそのものが凄まじいせいか、圧倒的なパワーでたたみかける”As Is”や、”China Town”, “Stay Frosty”など、すべてが規格外で理解を越えている。

そして、”Bullethead”や”Outta Space”のようなデビュー前の初期の楽曲に関しては、30年以上も前に書かれたリフにもかかわらず、その天才的なひらめきが、一筆書きのようなマジカルなサウンドとともに、誰にも真似ができず、まったく古くささも感じず、これは本当に、初期の若きエディと、このVan Halenというバンドが、どれほどまでに凄いものだったのかということを実感せずにはいられない。

とにもかくにも、「規格外」「桁外れ」「あまりにも巨大」としか形容の仕様がないような、このアルバムの楽曲とサウンドなのである。

なんというか、本当に、素直にひれ伏すしかない、という感じである。

そして、要所要所に、過去の作品からの、テーマの引き継ぎというのか、
ファンに向けてのメッセージが込められているのも大事なポイントだ。

Tattooの、おなじみの手癖満載のエディのソロもそうだし、
同曲のエンディングにおけるボリュームポットを使った”volume swell”のサウンドもそうだし、
Honeybabysweetiedollのイントロが”Tora! Tora!”を想起させるとか、
同曲の後半で犬の鳴き声が聞こえるのは”Baluchitherium”にひっかけたジョークだとか、
アルバムの意外なハイライトのひとつであるStay Frostyもそうだが、
(Ice Cream Manの続編が、Stay Frostyというのは秀逸)

個人的に涙を禁じ得ないのは、
やはりセンチメンタルな楽曲ではあるが、
“Blood and Fire”、
この曲は、熱心ならファンなら知っているとおり、
80年代の映画”Wild Side”のサントラにエディが提供した
“Ripley”という曲で、その名のとおりリプリーギターを使用して制作されているが、
僕ももちろん、その映画のビデオは昔から持っていて、
そのいかにも当時のエディらしいポップで明るい、はつらつとした楽曲に、
「ああ、この曲は1984の後にデイヴが脱退したからお蔵入りになって、サントラで使われることになったんだろうな、この曲に、ヴォーカルが乗ってVan Halenの楽曲として聴いてみたかったなあ」と、
たぶん世界中のファンがそう思っていたけれど、

それがついに30年近くたって実現した、という曲。

すべて素晴らしいのだけれど、
ソロの前のデイヴの”I told you I was coming back”も泣けるんだけれど、
その後のギターソロから歌に戻るまでの展開が、
今までのVan Halenの要素を、サミー時代からゲイリーとの失敗作、その後の空白期間にいたるまで、
すべて総括し、すべてを取り戻して戻ってくるようで、
本当にそこに込められたメッセージに、僕は涙を禁じ得ない。

まさに復活を高らかにならす音なのだ。

レコーディング、録音の面について着目してみるならば、
確証はないけれど、
おそらくはこのアルバムは、
Van Halenの歴史上、初めて、
デジタルでレコーディングしたアルバムではないかと思われる。

確信は無いけどね、音から判断する限りは。
そして、アルバムのクレジットを見ると、レコーディングの場所が、
初めてというかものすごく久しぶりに、
“5150 Studio”以外の場所でレコーディングされたようだから。

エディは皆知っているようにとんでもない頑固者で、
どのインタビューを読んでも、
デジタルなんて絶対使わない、っていう人だったけれど、
どういうわけか、今回は周囲が説得したのだろう、

その結果、
Van Halenサウンドを現代バージョンにアップデートすることに、
見事に成功している。
しかしよく聴くと、かなりマスタリングの際にリミッターにつっこんでいるような音だし、
(過去のVan Halenの作品は、時代のせいもあり、そういった作品はひとつもなかった)
また、かなり全体にサチュレーションというのかデジタルディストーションがかかっていて、
人によっては、このサウンドを気に入らない人もいるようだ。
デイヴ時代の6枚のあのナチュラルでドリーミィーな(Ted Templemanはもともとソフトロックの畑の人であることが重要なポイントだ)サウンドに比べれば、たしかにその気持ちもわからなくはない。

しかしこのあたりも、
おそらくは若い感性をウルフィー君が持ち込んだり、
外部の意見をうまく取り入れたのだろうし、
なによりも時代にコミットし、前に進もうとするバンドの姿勢の現れとして僕は評価したいと思う。
今回Van Halenは、確実に時代を変えることを、そして時代を越えることを意図していたのだから。

ここでこのアルバムの最も重要な点について論点をシフトしたい。
このアルバムの「時代感覚」についてだ。

多くの人が、このアルバムは、
1stの頃に戻っている
“1984”あるいは”Fair Warning”に戻っている
などという意見を言っているが、

もちろん自分の分析では、過去のVan Halenの歴史上で
敢えてもっとも近い点を探すのであればおそらくはデビュー前、
という意見なのだけれど、

このアルバムの時代感覚は本当の独特だ。
そして、その中心軸には間違いなく「今」がある。

多くの人は、Van Halenは大昔の、過去のバンドであり、
もうとっくに終わったバンドだと、思っていただろう。
実は僕もそう思っていた。
それは、以前の「リリース前レビュー」に書いた通りだ。

Van Halenの商業的な全盛期は間違いなく1980年代だし、
90年代を通じても、ベテランらしい活躍はしていたものの、
次第に時代遅れになり、音楽性も新鮮さを失って
次第につまらないオヤジバンドになっていく、
そんな流れの中にいたバンドだった。
“For Unlawful Carnal Knowledge”、
そして
“Balance”、と、音楽性は円熟の一途をたどり、
“Van Halen 3″では、若い新メンバーの加入により
若返るかという期待もあったが、
基本の路線は変わらず、
そういう意味では歳をとってつまらなくなっていく
その流れを変えることはできなかった。

しかし、どういうわけだか、ここへきて、
いちばん歳をとったはずの、60歳に手が届こうかというこの時になって
バンドは突然若返り、
突如として今までで一番勢いがあり、アグレッシヴで、若さのあふれる作品を作り上げてしまった。

これは、もちろんウルフィー君という若い才能の影響があることはもちろんだけれども。

問題は、彼らが何を考えていたかだ。

既に、「リリース前レビュー」において書いていることだけれども、
Van Halenはこのアルバムにおいて、
この21世紀の音楽シーン、
インターネット時代、多様化と先鋭化と、縮小の一途をたどって久しい
「終焉」という言葉が現実味を帯びている2012年の音楽シーンにおいて、
何を提示すべきなのか、という点を明確に押さえてきた。

既にこのテーマは書いたことだから、簡潔にまとめることにするけども、

このアルバムから感じる時代は。

1978年?
いや違う。

1984年?
それも違う。

1980年?
あるいは1976年?
部分的にはそうだけれども、
どれも違う。

このアルバムから感じる時代感覚は、
実に形容しがたい、
単純にいつっぽい音、というのが言えないものだ。

内容が高度すぎて、凄まじすぎて、
70年代っぽい音だね、
とか、80年代っぽい音だね、
とか、
逆に今っぽい音だね、
とか、
どれも言えない。

で、僕に聞くのであれば、
僕が敢えて何年、ということを言うのならば、
僕の意見では、
これは1912年ぽい音なのだ。

そして、おそらくは2112年ぽい音なのだろうと思う。

要するに、
すべてが多様化し曖昧になったこの時代において、
そして、ロックが生まれて50年だか60年だか、
伝説のミュージシャンたちが高齢化し、あるいは去り、
ロックンロールが終焉を迎えようとするこの時代において、

彼らはロックンロールというものを突き詰め、
そして新しく始めようとしたのだと思う。

これには、他のバンドと大きな違いがある。

他のどの大物のベテランバンドにしても、
近年にリリースされた新作は、
そのキャリアの終盤にあって、
確実に、そのキャリアに終止符を打つ、
その終わりを意識した内容になっている。

しかし、Van Halenは違う。
彼らは、過去100年のエンターテインメントと、
ロックンロールの本質を見つめ直し、
そして次の100年を始めるために、
これからを指し示す新しいロックンロールを作り上げた。

これは、新しいロックンロールだ。
次の100年のためのロックンロールだ。

僕もミュージシャンのはしくれである以上、
これがどれほど大きな啓示であるか、
どれほどの意味を持つか、
それは、言葉にできないくらいだ。

彼らの持つレトロ趣味、
いや、レトロというよりは、クラシックといったほうが
いいのかもしれない。
振り返ってみると、Van Halenの音楽はいつでも「クラシック」だった。

その時代感覚は、いつでも100年の単位でのクラシックを作り上げようとするスケール感を持っていた。
アルバムのアートワークは、アレックスが担当している、と少なくとも以前はそうインタビューで言っていたが、
Van Halen 3や、Balanceあたりのアートワークは、
あきらかに「クラシック」としてのVan Halenならではの独特のレトロ感覚を持ったものだった。
そしてVan Halenのサウンドは、そうした100年の単位での次元を越えたクラシックにふさわしいファンタジーを伴っている。

もう一度、まとめて言うと、
彼らは100年前までにさかのぼって、
エンターテインメントの本質を見つめ直し、
ロックンロールの本質を見つめ直し、
自らがinventした唯一無二のロックンロールを見つめ直し、

そして、それをもって、
次の100年に、僕ら人類が鳴らすべきロックンロールの答えを
指し示した。
その空前絶後のサウンドでもって。

これが、どれほどの意味を持つ啓示なのか、
君が才能あるギタリストであれば、
きっとそのメッセージを感じ取るはずだ。

なぜ、Van Halenだけにこんなことができたのだろう。

論点を少し戻して、
この14年間、Van Halenは何もしていなかったわけではない、
という点について。

デイヴ・リー・ロスにとっては、
それは14年間ではなく、
28年間だった。

1985年に、Van Halenを脱退してからというもの、
David Lee Rothは。

Steve Vai、Billy Sheehanらとともに、
超絶のスーパーバンドを結成し、
Eat’em and Smileという強力なアルバムを
リリースし、ソロキャリアを勢いよくスタートさせたのは、
皆の知るところだ。

そして、その後も、
Skyscraper、A Little Ain’t Enoughなどの
デイヴらしい躍動的なメッセージを伴った作品をリリースしていったが、
時代の変化とともに、デイヴの独特のキャラクターや彼の体現するエンターテインメント自体が、時代遅れとなっていき、
同時期に音楽的に円熟と発展を見せていったVan Hagarとは対照的に、
彼のキャリアは尻すぼみになっていった、
これも皆の知るところだ。

そして、そこから、デイヴの独特の歩みが始まる。
おそらくは、Van Halenを辞めてからの28年間、キャリアに浮き沈みはあっても、デイヴの中で、彼の考えるエンターテインメントというものへの志向が止むことは無かったのだろうと思われる。

90年代半ばには、ラスベガスでショウをするデイヴの姿があったし、
1994年の作品、”Your Filthy Little Mouth”は、内容は地味ながらも、そこにはデイヴらしい機知と、若い頃とは違った個性、そして音楽性は変わっても一貫して失われない「人生を楽しむ姿勢」があった。

そして、2000年代に入ってからも、彼は独特のパフォーマンスに磨きをかけ、2004年には来日もしたし、カバーアルバムをリリースするなど、彼の「エンターテインメント」への追求は決して止まっていなかった。

そして、Van Halenに居た頃は、おそらくは相当に自己中心的なロッカーだった彼、
頭は良かったと思うんだけれど、

若い頃は、その天性の魅力と、ワイルドでセクシーな肉体性でもって、
技術なんてなくても十分にスターであったデイヴ、

歳を重ねて、そういった魅力が失われるにつれて、
その代わりに、彼は、彼の考えるところの、本物のエンターテイナーに
なろうとしていたのだろうと思う。

「人を楽しませたい」というその志だけは、
おそらくはこの人の中では、ずっと変わっていないのだろう。

彼が、この15年間で学んできたであろう、エンターテインメントの追求。
それは、やはりVan Halenの音楽と同じく、
100年単位での本物のクラシックを目指すものだったと思われる。
彼は100年先まで語り継がれる本物の伝説のエンターテイナーになろうとしたのだ。

このアルバムにおいて、
デイヴ・リー・ロスの歌詞は、
過去にないくらい複雑で、機知に富み、洒落の効いたものになっている。
独特のドローイングで彩られた歌詞カードとともに、
これは、他の誰にも書くことのできない歌詞であろうと思う。
これだけでも、クラシックに値するかもしれない。

そして、この新しいVan Halenのステージにおいての、
デイヴのパフォーマンスを、オーディエンスはどう受け止めるだろうか。
タップダンスというか、ボードヴィルダンスというのか、
それこそ100年前のクラシックなエンターテイナーに本当になってしまっている。

困惑はあるかもしれないが、
僕は、方向性としてはこれは間違っていないと思う。
それが、デイヴが本来目指していた「エンターテインメント」なのだから。

デイヴは歌唱においても進化している。
いや、純粋に進化と呼んでいいかどうかは、意見が分かれるかもしれないが。

Van Halen在籍時は、歌唱力で勝負するタイプではまったくなかったし、
音域も狭く、声もしゃがれ声であり、とても優れたシンガーとは言いがたく、
特にライヴにおいてはほとんどラップ状態でまともに歌っていないほどで、
(しかしそれでも成立したのがデイヴ時代のVan Halenの凄いところなのだが)
それもあってシンガーがSammy Hagarに変わったときは、
その反動のようにエディはメロディアスな名曲を連発したが、

デイヴも、Van Halen脱退以降、地道に訓練を重ねていたようで、
年月を経るごとに、その声域は少しずつ広がり、
次第にハイトーンも出るようになっていった。

“Your Filthy Little Mouth”の頃には、楽曲の中に、それなりに高いピッチの歌唱やシャウトがフィーチャリングされるようになった。

しかし、いかんせん、もともと持っている声が、
聞き苦しいしゃがれ声のため、
高い音が出るようになったとはいっても、
それは優れたメタルシンガーのような朗々とした声ではなく、
むしろ無理して出しているような哀れなしゃがれ声であり、
それが、シンガーとしての実力のなさを、余計に露呈させてしまっていたきらいがあった。

この新しいVan Halenのアルバムにおいても、
デイヴのヴォーカルは完璧ではない。
しかし、それでもやはり、年月を経て広くなった音域がなければ、
このアルバムの楽曲は成立しなかったし、
凄まじくなったバックの演奏、
その「100年クラシック」の新しいVH印のサウンドは、
どういうわけだか、この歳をとった「クラシックデイヴ」の声と
ちゃんとマッチするようだ。

このあたりが、やはり運命というか、
人間的にはともかくも、
音楽的に、エディとデイヴが、
実に相性がいいというその証拠なのだろう。

実に、ロックシンガーとしてスタートしてから、
30年以上、おそらくは40年にもなって、
デヴィッド・リー・ロスは、
ようやく今、ロックシンガーとして完成し、
彼の本当の歌唱を聴かせることができるようになった。
その結果が、この”A Different Kind of Truth”だ。

歌唱力はどうあれ、
彼がロックシンガーとして、
歌唱ではなく、アティチュードとキャラクターでもって、
魅力的なパフォーマーであることに変わりはない。
このアルバムにはデイヴの魅力が満載されている。

そして、やはり、Van Halenのシンガーは、
David Lee Rothだった、ということだ。

「サミーか、デイヴか」
という、長年の議論に、
今こうして、事実上の決着が付いたのだ。

いいんだよ、サミーは、
凄いシンガーだけれど、
ソロでも、Chickenfootでも、うまくやっていけるし、
テキーラでも大もうけした優秀なビジネスマンなんだから。

デイヴには、Van Halenしかない。
そして、Van Halenにも、やっぱりデイヴしかいないのだ。

その天性のエンターテイナーの、
これまで追い求めてきた本物のエンターテインメントが、
これからVan Halenのワールドツアーにて、
披露されるはずだ。
それはきっと、華やかなものだろう。

ライヴコンサートということについて、
ついでに触れておくのであれば、
多くのロックバンドにおいて、
どんなベテランの大物バンドであっても、
そのコンサートが、高い質を持って安定して楽しめるようになったのは、
実は最近のことであろうと思われる。

それは、ロックという音楽が、まだ歴史の浅い、新しいものであるからだ。
ソングライティングや、創作の面、
また、時代性をとらえたパフォーマンスということでいえば、
60年代、70年代といった時代の伝説のアーティストたちには
もちろんかなわないが、

ライヴ演奏ということにおいては、
アーティストも肉体という限界を持つ存在である以上、
年齢を重ねて経験と修練を経てはじめて、
(そして、修練を重ねることが出来た者だけが)
その質が向上していく。
40代、50代といった、ベテランのアーティストたちが、
完成されたショウを見せることができるのはそのとおりだし、
彼らのクリエイティヴな全盛期は、20年前だったかもしれないが、
ライヴショウにおいての全盛期は、実は今だったりする。

これは、機材や、音響の進歩によるところも、実は大きい。
たとえば、The Beatlesは、
ロックという辞書の中では、間違いなく「最高のバンド」であるが、
60年代において、そのコンサートは、
少なくとも、当時、まだ珍しかった大きな会場におけるコンサートは、
そのクオリティは、現代とは比較にならない低いものだったと思われる。

それは、当時は、大出力のアンプはおろか、
PAシステムすらも、まだ発達していなかったからであって、
ステージ上のモニターなんてものすらあるはずもなく、
そんな中では、どんなミュージシャンであれ、
まともな演奏など臨むべくもないわけである。

1970年代にはハードロックが発達し、
大音量、大会場が可能になったが、
1980年代においてすら、
大会場でのコンサートは、
今とくらべれば、おそらくは質の違うものだったのではないか。
ミュージシャンたちの過去のインタビューなどを見るにつけ、
限られた音響と、環境の中で、
おそらくはやっと演奏するだけで精一杯だったのではないか。
大音量で演奏するヘヴィメタルにとっては余計にそうだろう。

Van Halenに関して言えば、
デビュー前のブートレッグで聴ける凄まじいクオリティの演奏と比較して、
そのライヴ演奏が、もっとも乱れていたのが、
80年代前半の時期だったと思われる。
それは、そうした、時代や、環境のせいも、
少なからずあったのだろう。
クラブ時代には正確無比な演奏をしていたVan Halenにとっても、
80年代前半という時代にあって、スタジアムのような巨大な会場で演奏するには、やはり難しい環境だったのだろう。そういう時代でもあった。
それでも客を魅了する、圧倒的な魅力を放っていたのが当時のVan Halenだったと思う。
しかし、そう思うと、僕らは、この全盛期のVan Halenの本当の演奏を、まだ聴いていないかもしれない。
それが聴けるのは、今まさに、これからなのだ。

1980年代後半、そして、1990年代に入って、円熟期を迎えたVan Halenのライヴ演奏が、安定したスケールの大きなものになっていったのは、そういった音響機材などの発達も背景にあっただろうと思われる。
そして、ロックも次第に、勢いだけで演奏するのではなく、じっくりと鳴らす円熟味が評価される時代になっていった。

今は、ロックそのものが円熟しつつある時代。
ロックというものが、どういうものなのか、
今は、やる側も、聴く側も、昔よりももっとよくわかっている。
創作についてはともかく、ライヴのそういった現実的な要素については、
現代の方が格段に向上しているだろう。

そんな今の時代に、最高のサウンドで作り出された究極のVan Halenを、
ぜひライヴで体験したいものだ。

機材の発達について、ひとつ、記憶しているエピソードを添えるのであれば、
プロのミュージシャンの間で、今では常識となっている、
インナーイヤーモニター、
いわゆるイヤモニ、

これが開発されるきっかけも、実は他でもないVan Halenだったと何かで読んだことがある。
90年代の円熟期のVan Halenは、キーボードとの同期の関係もあり、
Alex Van Halenは、ヘッドフォンの音を聴きながらドラムを叩いていた。
Live:Right Here, Right Nowの映像でも、AKGの大きなヘッドフォンを着けてドラミングするアレックスの姿を確認することができる。

しかし、”Balance”のツアーの際、
ファンなら知っていると思うが、当時、アレックスは、首を痛めて、むちうち状態であり、ギプスのようなもので首を固定してドラムを叩いていた。それはちょっと、痛々しい光景だったけれど。

そのせいで、ヘッドフォンを着けてプレイするのが、難しかったらしい。
「ヘッドフォンではなく、耳に直接差し込んでモニターできるものを作ってくれ」
このときのアレックスのこの注文が、
後のインイヤーモニターの開発のきっかけになったということだ。

これにより、世界中のアーティストたちは、
足下に置く、いわゆる「転がし」のモニターよりも、
より正確なモニタリングが、ステージ上のどの位置でも可能になり、
そしてそれによって、特にシンガーたちのステージでの歌唱のクオリティは、格段に増した。
ロックバンドの爆音の中でも、自分の声が、より確実に聞こえるようになったのだ。

Van Halenは、実にいろんな形で、ロックの世界に影響を与えている。

Conclusion:
「Van Halenこそがロックの真実」

何度も繰り返しているように、
僕にとってはこのVan Halenの復活のニューアルバムは、
ほとんどイエス・キリストの再来に近いくらいの意味合いがある。

僕の辞書の中では、
歴史上のどんなロックバンドよりも、
どんなにメジャーな大物バンドよりも、
Van Halenは、本物のロックを体現する存在だ。

世界中にどれだけのロックバンドがいようとも、
Van Halenは、本当に正しいロックを鳴らす、
本当に唯一の特別なバンドだったのだ。

それはまさに、
「ロックの王道」と呼ぶにふさわしいバンドだ。

そのVan Halenが、ついに帰ってきた。

前作のオリジナルアルバムから、実に14年、

また、ずっと待望されていた、Dave Lee Rothの復活作としては、
実に28年ぶりに。

そして、その長い不在にもかかわらず、
なんと驚くべきことに、この進化した2012年において、
Van Halenは、時代の最先端どころか、
時代を越えてその先を指し示す、
そんな凄まじい、重大な意義を持つ作品を作ってきた。

時代遅れどころか、彼らは先頭に居た。

Van Halenは、
自らが今でも時代のトップランナーであることを、
再び強力に証明したのだ。

今、世界中のロックファンたちが、
Van Halenのこの衝撃的な復活作に、
驚き、賞賛の声を挙げている。

Van Halenのような伝説的なバンドが、
これだけ素晴らしい復活作を、
この時代に作り上げたというだけで、
既に重大な事件なのだ。

奇跡と言っていいと思う。

そして、この奇跡をもって、
僕はこう言いたい。

他のどのバンドでもなく、
唯一、Van Halenこそが、
ロックの真実だったのだ、と。

今、年月を経て、
彼らが身を以てこれだけの偉業を示してみせた事、

それはすなわち、
ロックの真実が示されたことであり、

これはロックンロールの歴史上、
重大な意味を持つターニングポイントであると、
僕は断言する。

あらためて言いたい。

エディ・ヴァン・ヘイレンには、
結局のところ、誰もかなわなかった。
彼のぶっとんだプレイとサウンドは、
他の誰にも真似のできないものであることが、
今、はっきりしてしまった。

エディ・ヴァン・ヘイレンこそが、
神に選ばれた本物のロックギタリストであり、

Van Halenこそが、
ロックの王道であり、
真実なのだと。

50年前、
神は人間にロックンロールを与え、
The Beatlesが生まれた。

そして、
神はハードロックを選ばれた。

今、Van Halenの
“A Different Kind of Truth”によって、
ロックの真実が示された!!

No(847)

■…2012年 2月21日 (Tue)…….愛と誤解の1曲目
自分の中でVan Halenへの賛美が止まない。

僕のような熱狂的なVan Halenファンにとっては、
2012年になり、
“A Different Kind of Truth”がリリースされてからというもの、

“World seems right again”
というのか、
今まで間違っていた世の中が、
長い時間を経てふたたび
すべてが正しい流れになっていくような
そんな嬉しい感覚がある。

わかりやすくたとえていうならば、
「ドラゴンボール」で、
ピンチのときに、
主人公の悟空が戻ってきたような感覚というか、

ほら、ドラゴンボールでいうと、
悟空が心臓病で死んじゃうタイムラインの世界があったじゃん、
みんな死んじゃって、そんで、トランクスがせめてもの救いのために、
タイムマシンに乗って過去へ旅立つという。

1999年以降というもの、
まるで、その悟空が死んじゃった方の
「間違ったタイムライン」にいるような気分だったんだよね。

本来だったら、Van Halenが活躍して、
何が本物のロックなのか世界に示し、
この世界を正しい方向に導いてくれるはずなのに、
そのVan Halenはもういない、
そういう間違った世界に生きているような気分だった。

でも、そんな絶望に近いくらいの13年間を経て、
僕らのヒーロー孫悟空はまた戻ってきた。

そして、世界はまた、正しいタイムラインへと、
本来への正しい世界へと、変わっていく……

そんな感覚。

そして、そんなVan Halenのツアーが
つい先日アメリカのケンタッキー州からキックオフしたけれど、

そのセットリストがVHNDに公開されるや否や、
山のようについたコメント、その大部分は、
「もっと新しいアルバムからの曲をやってくれ!」

これは驚くべきことで、
普通、こういったベテランのバンドがツアーを行うとなれば、
新譜からのつまらない曲なんていいから、
もっと昔のヒット曲をやってくれ、
という意見が大多数になるのが普通のパターンだと思うんだけれど、

それとは逆に、
「昔の曲なんかより、新譜の曲をもっとやってくれ!」
ていう意見が大多数を占めるなんて。
その中には、
「新譜の曲を全部再現してくれ」
という意見すら、ちらほら見られる。
これは、本当に驚くべきことだ。

だって、奇しくもJudas Priestは今フェアウェアルツアーの真っ最中で、
先日、日本公演も盛り上がったばかりだけれど、
Judas Priestがフェアウェルツアーで
Nostradamusの全編再現とかやったらブーイングが起きるでしょ?
Van Halenは、それを望むファンが相当数居るっていうんだから。

これは、本当にこの新作”A Different Kind of Truth”が、
いかに凄まじい作品で、ファンに衝撃を与えたかということを
よく表している。

特に、
“Stay Frosty”への要望が強い。
“Icecream Man”のアップデートバージョンでもあり、
強いメッセージ性を持つこの曲は、
ファンの間でとても特別な感情をもって受け止められているようだ。

同様の意味で”Beats Workin”への要望も強く、
ファンがいかにバンドが音に込めたメッセージを
真摯に受け取っているかに驚かされる。

新譜からの曲をライヴで聴きたい!
という気持ちは、僕も同様だが、
YouTubeに公開されたライヴ映像を見ると、
昔の曲すらも、
本当に(おそらくは)昔以上に、
理想的な形で演奏されていることに驚いた。

僕がVan Halenのとりこになったのは、
おおよそ15歳の頃の出来事だったが、
その頃すでにもちろん、
デイヴ時代のVan Halenというのは、
歴史の中の存在であったけれども、

僕が本当に夢中になり、夢に見た、
本当に僕を夢中にさせてくれる
あの信じられないバンドは、

この2012年という時になって、
やっと、
それこそ昔以上に、
その本来の純粋な姿を獲得して、
この世界に現れた。

歳をとったデイヴの
より磨かれたエンターテイナーぶり、

最速値こそ昔より低いかもしれないが、
サウンドと表現力にさらに磨きのかかったエディ。

そして、足りないものをすべて補完して余りある
ウォルフギャングの頼もしい才能。

本当に、笑っちゃうくらい、
僕を夢中に、
15歳の頃と同じような気持ちにさせてくれる。

奇跡としか言いようがない。

と、ひととおり賛美を書いておいて、

僕は今日ここで、このパーフェクトともいえる
凄まじい内容の、
もう本当に僕なんかからすれば、
ハードロックの歴史で、
ぶっちぎりで史上最高の内容といえるような
この
“A Different Kind of Truth”の、
弱点を、
足りない部分を指摘してみたいと思う。

僕も、
自分のバンドで表現を追求しているギタリスト、みゅーじしゃんのはしくれである以上は、

この新しいVan Halenのアルバムに、
本質的な弱点のひとつも見つけられないようであれば、
もう本当に音楽を辞めようと思っていた。

(物理的な弱点というのは、いくらでも指摘しようがあるかもしれないが、
ここで大事なのは、概念的、より本質的な意味においての弱点のことだ)

幸いなことに、
幸運か不運か、僕はそれを見つけることに成功した。

あるいは、これも意図的にわざとバンドはやったことかもしれない。
Van Halenの音楽も、他の誰の音楽も、
すべてのことは、神様からのメッセージだと思っている。
だから神様が、意図的にその弱点を作っておいてくれただけかもしれない。

だってすべてに完璧だったら、
他の若いミュージシャンたちは誰も救われないだろうから。

その弱点は、
長い話を短く省略して言うのであれば
to make a long story short,
1曲目が無いことだ。
あるいは、
1曲目が足りないことだ。

そして、これは、
案外ととても重大なことだった。

先週だか先々週のバンドの練習の後に、
僕はメンバーと一緒に、
「ライヴにおける1曲目の選曲の難しさ」
というテーマの雑談をしていた。

奇しくも、Van Halenの新譜の「弱点」とは
それに関連することだった。

ライヴの1曲目というのは、難しい。
いわゆる「アイスブレイク」をもたらす曲であり、
時間でなければいけないからだ。

1曲目の演奏が始まるとき、
バンドと観客の間には、溝があり、
そして、緊張がある。

その緊張を、ほぐし、おっかなびっくりな関係から、
ファーストタッチを成功させなければいけない。

第一印象が大事だ。
誤解されていはいけない。
ちょうど、なんというか、
デートとか、ナンパの感覚に近いんだと思う。

もちろん、これが有名な大物バンドのコンサートなら
話は別だ。
ファンたちはもう、バンドの曲を全部知っている。
それはもう、「ナンパ」でも「初めてのデート」でもなくて、
いわば「親しい恋人や夫婦の付き合い」だからだ。
そこにはもう最初からコミュニケーションが成立しているからだ。

だから、有名な大物バンドのコンサートであれば、
たとえば、
ちょっと意外な渋い曲で幕を開ける、
なんていうことも可能なのだ。

でも、僕らみたいな無名のバンドが、
アウェイな環境で演奏するのであれば、
そこには、観客との間にコミュニケーションを成立させるためには、
けっこう高い壁がある。
その壁をまず、越えるために、
失敗は許されない。

つまりは。
僕らの考える「1曲目」とは。

当然ながら、強力な曲でなければいけない
(中途半端な曲で幕を開けるわけにはいかない)
自分たちらしい曲でなければいけない
(らしくない、変化球を最初に投げたら、誤解されてしまうかもしれない)
わかりやすい曲でなければいけない
(難しい曲では、そっぽを向かれてしまう)
フレンドリーな曲でなければいけない
(お客を突き放すような曲では、初めて見る人は心を閉ざしてしまうかもしれない)
リラックスした曲でなければいけない
(最初のファーストタッチは、演者も、観客も、緊張の中にある。その緊張をときほぐし、アイスブレイクをもたらす曲でなければいけない)
そして、シンガーの立場にあっては、
無理なくノドをあたためることができるウォーミングアップに適した曲である必要がある。

もちろん、鋭いインテンスな曲でいきなりぶっとばすのもありだし、
あえて変化球を投げる手もあるが、
それは応用であって、
基本はこのようなものだと思う。

そして、このような「1曲目」の条件に合う曲というのは、
実は、案外と、探すのが難しい。
当てはまる曲は、意外と少ない。

僕らのバンドが、年末に録音作品を作り終えたばかりにもかかわらず、
すでに更なる新曲の準備をしているのは、
今の曲にもう飽きちゃった……
からではなく、
次の遠征の際に、さらに使える「1曲目」を増やしたいという狙いがあるからだ。
1曲目は、いくつあっても困らない。

逆に、アンコールで使える「最後の曲」というのは、
選ぶのはそれほど難しくなく、
それは、単純にいちばん盛り上がる曲を選べばいいのだ。
(しかし、多くのバンドでは、この位置にある曲は、長年不動だったりする)
(その意味で、アンコールに使える曲がいくつもあるバンド、というのは、ソングライティングが凄いバンドであるに違いない)

あらためて言うが、
この「1曲目」とは、
知らない者同士の「ファーストタッチ」であって、
それは、「デート」であり「ナンパ」なのだ。
そして、もっと言ってしまえば、
それは愛なのだと思う。
コミュニケーションという永遠のテーマ。
その溝を乗り越えようとすることこそ、
愛なのだろうから。

誤解されたり、
うまく伝わらなかったり、
そのもどかしいコミュニケーションを、
不器用に乗り越えようとする試みこそが、
愛なのだと思う。

さて、このVan Halenの新譜
“A Different Kind of Truth”についてだが、
アルバムがリリースされて以降は、
世界中で大絶賛されてい大傑作だと言われているが、
1月にファーストシングルの”Tattoo”がリリースされた時は、
否定的な意見がかなり多かった。

多くの人が、
“Tattoo”をファーストシングルに選んだのは、
ミステイクだった、誤りだった、と言っている。
なぜ、アルバムの中でいちばん弱い曲を
よりによってファーストシングルに選んだのか、と。

で、ここで考えてみてほしい。
アルバム全体を手にした今、
あなただったら、
このアルバムの13曲の中から、
どの曲をファーストシングルにしただろうか、と。

僕も考えてみた。
しかし、考えれば考えるほど、
どうしても、やはり、ファーストシングルは、
“Tattoo”以外には考えられなくなってしまうのだ。

実際、”Tattoo”は、最初に聴いたときこそ、
「なに、このひどく地味な曲は?」と思ったけれど、
実際、よく聴くと、Van Halenらしい良い曲で、
そして、非常に強いメッセージ性を持っている。

そして、
よく考えてみよう。
さきほど、「有名なバンドの場合であれば、リスナーとのコミュニケーションがすでに成り立っているので、1曲目が越えるべき壁は低くなる」と書いたが、
今回のVan Halenには、それは必ずしも当てはまらなかった。

今回のVan Halenのアルバムは、
「14年ぶりのアルバム」であり、
「長年のブランクの後の復活作」なのである。
世間を、それだけ待たせて、それだけ期待させたのだから、
このファーストシングルが越えるべき壁は、
相当に高いものになる。

毎年順調にアルバムをリリースしていた頃のシングルとは、
意味がまったく違うのだ。
まさに「失敗は許されない」といった状況だ。

そんな状況をふまえて、

“Tattoo”以外に、ファーストシングルの候補として、
考えられる曲としては……

たとえば
“You and Your Blues”
これは、Radio Friendlyで、キャッチーで聴きやすいメロディとコーラスを持った曲で、
そう、とてもレディオフレンドリーで、良い曲だが、
やはり14年ぶりのファーストシングルにするには、ぜんぜん弱過ぎる。
そして、このキャッチーさは、あまりVan Halenらしいとは言えない。
この曲は、楽曲の構造としても、すこしばかりGary時代の”3″を彷彿とされる面があり、それもマイナス要因だ。(”3″は世間では失敗作と看做されてしまったため、”3″とは違う、という印象を与えなくてはいけない)

“Blood and Fire”
は、非常にキャッチーな曲であり、Van Halenが全盛期の1983年~1985年くらいの雰囲気を持つ曲であり、
また、歌詞も感動的で、Van Halenの復活、そしてデイヴ・リー・ロスの復活を高らかに告げる名曲だ。
本来だったら、これは素晴らしいシングル候補になりうる。

そう、たとえばこれが1986年だったら、この曲はファーストシングルになり、そしてチャートの1位に輝いていたかもしれない。

しかし、残念ながら、今回は「14年ぶりの復帰を世間に告げるシングル」だ。
Van Halen本来のヘヴィなサウンドではなく、クリーン・クランチ・トーンのギターによるポップなサウンドを持つこの曲は、
「Mighty Van Halenが戻ってきたよ」
というには、残念ながら適さない。
やはり、Van Halenの復活は、ヘヴィに、迫力のあるビッグな曲でなくてはいけないのだ。
そして、もうひとつ言うと、
この曲は、”Ripley”として、1985年に一度、映画のサウンドトラックとして公式に世に出た曲である。
27年前に一度世に出た曲の焼き直しを、復活の最初の曲として使うのは、なんだかいろいろと問題があるような気がする。
さらに言うなれば、このクリーントーンによる複雑なギターワークの楽曲は、やはり1998年の”Van Halen 3″を彷彿とさせてしまう。もちろん、熱心なファンならば、これが1984年の頃の作風だとわかるが、それほど熱心ではないファンは、やはり「またVan Halen 3みたいな作風か」と誤解してしまう危険性が高い。それほどまでに、1998年の作品の失敗の傷は深いのだと言える。

“China Town”
非常にヘヴィでインテンスな曲であり、
ファンの間では、この曲はリリース直後から、
非常に人気のある曲だが、
確かに、ギターとベースのユニゾンのタッピングプレイから始まる衝撃的なこの曲は、Van Halenの真骨頂ではあるが、
残念ながらシングルには向かない曲と言わざるを得ない。
なによりも、ダークな歌詞がシングルには不向きだ。
なにより、14年ぶりのVan Halenのファーストシングルを”China Town”なんていう曲名で出すのは非常に無理がある。
Van Halenには、「親しみやすい大衆性」がなくてはいけないが、この曲にはそれがないのだ。
要するに、”Fair Warning”で一番インパクトのある曲は”Mean Street”ではあったけれど、ヒットシングルになったのは”Unchained”だったのと同じことだ。

“Stay Frosty”
この曲は本当にメッセージ性が強く、Van Halenらしい個性にあふれていて、
長年の不在を埋めるだけの再会のメッセージ性にあふれている。
多くのファンがこの曲をお気に入りに挙げているのもうなずける、
そんな特別ななにかを持つ凄い曲だ。
しかし、ファーストシングルにするには、残念ながらふたつほど問題点がある。
ひとつは、世の中のあらゆる宗教をおちょくったデイヴの歌詞(まさにそれこそが痛快なVan Halenとデイヴのメッセージなのだが)、
そして、”Ice Cream Man”がそうであったように、開始一分ほどはアコースティックである点だ。
それがなければ、この曲は本当に完璧なシングル曲になるはずだった。

“As Is”
チャーリーシーン主演のテレビドラマ”Two and a half man”でも一部が演奏されたこの曲は、すさまじいエナジーとパワーを伴った、最高にハイな、まさにVan Halenの本領発揮のとんでもない曲だが、残念ながら、どう考えてもレディオフレンドリーとは言いがたく、シングルになりうる曲ではない。

“She’s The Woman”
実はこの曲もかなりシングルに成りうる可能性がある。
キャッチーで、フックのあるメロディと、一瞬で食いつくグルーヴ。
あるいはこれをファーストシングルにしてもよかったかもしれない。
しかし、やはりそれでも、このファンキーな変化球的グルーヴは、14年ぶりのファーストシングルというには、少しふさわしくない。そして、曲自体が、とても「2曲目」の雰囲気を持っているのもポイントだ。どう考えても、「1曲目」ではない。

“The Trouble With Never”
キャッチーでわかりやすいコーラスを持つこの曲も、
かなりレディオフレンドリーと言える要素がある。
また、ロックらしいハードなサウンドとヴァイブをたたえた名曲でもある。
しかし、14年ぶりのファーストシングルとしては、やはりちょっと弱いし、
全編でワウを使ったエディのサウンドは、やはりちょっと、「らしくない」ということになってしまう。これほどまでに「14年ぶりのファーストシングル」選びは難しいということだ。

“Bullethead”
昔の楽曲の焼き直しであるこの曲は、アルバムタイトル”A Different Kind of Truth”という言葉が含まれた、アルバムの中でもひとつの鍵となる非常にヘヴィで強力な曲だ。しかしそれでも、シングル向けの楽曲とは言いがたい。キャッチーなサビなど皆無だからだ。つまりは、デイヴ時代のVan Halenは、それだけ「ヒット曲」というものからは遠い位置に居たのであり、もっと言えば、本物のロックンロールとは、「ヒット曲」とは本来やはり関係のないものなのだ。

と、おおよそ、めぼしい候補を見ていって、こんな感じであって、
結局のところ、

最初の食いつきこそはよくないものの、
じわじわと確実にリスナーに浸透し、
賛否両論も計算ずくで、否定意見を通じてインターネット上で話題を効果的に振りまくことができて、
スケールの大きなVan Halenらしいサウンドをいちばん表現し、
そして、今のVan Halemが志向している方向性やテーマ、メッセージをいちばん強く表現し、そしてキャッチーなサビと言葉の魅力を持ったこの”Tattoo”こそが、
やはりどうしてもファーストシングルにふさわしい、
という結論になる。

実際このTattooは、アルバムの中でも、ちょっと浮いている。
アルバムの中で、この曲だけが弱いというわけではない。
むしろ逆で、僕はアルバムの中で、この”Tattoo”だけが、特別に強いメッセージ性を持っていて、それゆえに他の曲とは一段違う位置にあり、それゆえに、1曲目以外に置き場所がない、そんな楽曲だと考えている。
スローで地味な曲ではあるが、メッセージ的には、高らかに、新しいVan Halenの掲げるテーマを宣言している。

いちばんVan Halenの方向性を、正しく伝え、表現しているのだ。
確かに地味な曲ではあったかもしれないが、
いろいろな意味で、今の時代におけるVan Halenのロックの本道を、
世界に宣言する意味で、
これ以上の楽曲もなかったかもしれない。

Van Halenの、14年ぶりのフルアルバムであり、
David Lee Rothをリードシンガーに据えての28年ぶりのアルバムである
この”A Different Kind of Truth”は、
発売初週で、全米チャートの2位になった。
1位を阻んだのは、Adeleというアーティスト。
1984年のマイケル・ジャクソンと同じように、
実に19週もチャート1位に居座り続けたこのアルバム、
いつもの週と同じであれば、
Van Halenは簡単にAdeleを1位から蹴落とすことができた。
しかし、グラミー賞の週にあたるこの週、
グラミーで何冠だったか、とにかくいくつもグラミーを穫って、
メディアを通じて、一大アデルフィーバーが巻き起こり、
Adeleのアルバムの売り上げは前週比で95パーセントもアップした。
結果、Van Halenは、2位に甘んじた。

あるいは、ファーストシングルを、
“Tattoo”ではなく、
別の曲にしていたら。
“Blood and Fire”にしていたら、
“She’s The Woman”にしていたら。
この結果は変わっていたのだろうか。

わからない。
しかし、音楽的、メッセージ的に考えれば、
“Tattoo”がファーストシングルになったのは、
決して間違いではなかった。

そして、なによりもこれはロックンロールというものの本質を示している。
史上最高のハードロックアルバムであり、
もっともぶっとんだロックンロールアルバム、
ロックンロールの本質を最高に凝縮した、
いちばん正しく、いちばん凄いロックンロールのアルバム、
そのアルバムが、チャートの1位を穫れなかった。
あるいは、穫らなかった。

それが、ロックンロールなのかもしれない。
本当のロックンロールに、チャートの1位は必要ないのかもしれない。

そして、そこには、きっと、いろいろと、意味があるはずだ。
僕も、このことを、神さんからのメッセージとして、いろいろと受け取っている。

さて、それはともかくとして。

ずっと言い続けているように、
このVan Halenの新譜、
“A Different Kind of Truth”は、とんでもなく凄まじい傑作だ。

しかし、よく考えてみると、
今こうして見てきたように、
そこには、足りないものがひとつだけある。

つまりは、「ファーストシングル」に成りうる曲が無い、
あるいは、少ない、ということだ。

熱狂的なファンが、うおお、と燃える熱い楽曲は、
いっぱい収録されているが、
ロックにまったく興味のない人たちを、
その溝を越えて、振り向かせる曲は、あまり無いかもしれない。

つまりは、コミュニケーションの深い溝を、
あえて越えて、
ナンパするような方向性は、
このアルバムには希薄かもしれないということだ。

それはもちろん、悪いことではない。
彼らは本物のロックンロールであり、
また、キャリアの長い有名なバンドなのだから。

そして、本物のロックンロールは、
安っぽく媚びを売る必要はない。

しかし、このことは、
このアルバムに、唯一足りないものとして、
いくつかのことを、僕たちに示唆する。

つまりは、求愛ということだと思う。
無名のバンドであれば、
ハングリーなバンドであれば、
それは常に、求愛を続ける。
無理をしてでも、背伸びをしてでも、
求愛を続ける。

それがすなわち、
世界と人々に対する
愛であるし、

そして、何度でも求愛を続ける、
それこそが、愛の深さだと思うのだ。

Van Halenが、
あえて、この点を補わずに
若いミュージシャンたちのために
残しておいてくれたことに、
感謝をしたい。

もし、この新作が、
強烈なファーストシングルが並んでいるような
アルバムだったとしたら、
僕は今頃あっさり首を吊っていることだろう。

リアルに101回目のプロポーズをするのが、
本物の芸術家ってもんだと思うし、
そうしようと思っている。

そのへんは、滑稽であって構わないし、
それこそが本望だ。

知名度の低さと、
不器用さにもがきながら、
コミュニケーションの溝を埋めようと、
何度でも僕らは「1曲目」を書く。

たくさんの誤解と、
たくさんの出会いを生みながら。

No(848)

■…2012年 2月25日 (Sat)…….明日はImari Tones、今日はJesus Mode
というわけで、
そういえば、
忘れていたわけじゃないですが、

本日は、9PMくらいから、
小田急相模原のライヴバー、ロクデナシ(Rockdenashi)
にて、熱きリョウとのコラボユニット、
「熱きリョウとJesus Mode」にて演奏します。
前回の大晦日の演奏が、やたら好評だったので、
まあ細かいことはともかく、楽しんでこようと思います。

ロクデナシさんのホームページ、
どこにあるのかよくわからないー

そして、明日、日曜日の夜は、
ひさしぶりのImari Tonesのライヴでございます。
年末はビデオ作ったり、れこーでんぐを完了させたり、
地道に忙しくしてたんですが、
年が開けてからも、
自分らの教会でワーシップとかやってたんですが、
次は地道に横浜のバーに繰り出します。

音小屋(関内、伊勢佐木長者町)
こちら
出番は19:30くらいから。
ちゃーじ1500えん

うちらは横浜のバンドなんですが、一応、
なにげに、野外とかじゃなくて、
横浜で一般的な音楽ベニューで演奏するのって、
Imari Tonesとしては初めてじゃないかと。
(あ、自分とこの教会は別だけど)

そういう、新しいことにチャレンジな気分です。

感謝、はれるや。
Rock on for Jesus!

No(849)

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