2012年4月の日記

■…2012年 4月 3日 (Tue)…….熊谷幸子さん復帰コンサート
3月26日にmixiとfacebookに書いて、こっちにアップしていなかったもの。
ーーーーーーーーーーーーーー

本当にこんな日が、本当に来るとは、
夢には思っていたけれど、
本当に来るとは思っていなかった、
わけじゃないけれど、
夢みたいなわけです。

ああそうだね、
あのバンドも、このアーティストも、
嫁さんと二人で、
一緒に見たね、って言っていて、

でも、熊谷幸子さんだけは、
一緒に見たことがないね、
二人にとってとても大事なアーティストなのにね、
って言っていて。
(当時、学生だったし、二人とも。僕は、何度か見れたけれど、
嫁さんは、当時、見ることができなかった)

あの1990年代の後半、
そうね半ばから後半にかけてといっていいのか、
僕らが熊谷幸子を知ってから、

Bahia、You&I、そしてS.K.、
そうこうするうちに、最後のシングル、

あれらの時代は、

たとえばさ、
これも、ここ最近、復活コンサートを何度かやっている
Suedeなんかにもいえることだけれど、
(ネットで映像見てるだけで十分泣けたり)

これらの熊谷幸子さんの音楽を聴くということは、
二人の人生を、ふつうに、振り返るということなのね、
それも、どちらかというと、苦しかった時期を。

それは、なんというか、二人がどうして一緒に生きることにしたか、とか、
そういう、人生の原点の、自分たちのいちばん大事なものをあらためて確認する作業であって。

そう思うと、音楽ってすごいな、と思うんだけれどね。

数年前に、バート・バカラックの来日のコンサートのとき、
会場は、年齢層は、もちろん、高めだったんだけれど、
皆さん、そうね、いろいろな、人生の思い出があるのだろうね、
会場は、どこもかしこも、すすりなく声でいっぱいでね。
それと同じでさ。

そういうことだろうと思うんだな、音楽って。人生って。

最後のコンサート、最後のシングル
(テレビ版スペシャルの「タッチ」の主題歌と挿入歌であった曲)
から、13年、なのかな。
アルバムでいうと14年ぶり。

こうして、ついに二人で見ることができたんだよね。
熊谷さんのコンサートを。

幸福なファンの一人として。
会場の目黒Blues Alley Tokyoは、
立ち見も出る満員だったけれど、
今回の復帰コンサートに、行きたくても行けないファンの方も、
全国にたくさん居られたと思う。

そう思うと、僕らは、かなり幸せな方ではないかと、素直にそう思い感謝する。

繰り返しになるけどね、
僕は、あれね、熊谷幸子さんのファンサイトってやつを、
インターネットでやっていてね、以前。
そのホームページの管理人として、
いろんなこともあったわけだ。

そこでも、書いていたんだけれど、個人的な話を。

1995年ね。
僕らは、高校生だった。

僕は、ロック少年だったけれど、
ユーミン、荒井由実の大ファンでね。
Led Zeppelin以上に、荒井由実に衝撃を受けていた。

そこに、うちの嫁さんが、
「熊谷幸子いいよ」
って来たわけだ。

で、聴いてみたら、荒井由実と、とても世界観が似ていて、
これがすごく良かった。

もちろん、そのときは、
ユーミンと熊谷幸子さんが、
いわゆる「師弟関係」みたいな立ち位置にあることや、
プロデュースも松任谷正隆氏だしね、
そういうことは、知らずに、
後からわかっていったわけね。

自分のようなファンからしてみれば、
熊谷幸子さんは、
ユーミン、特に初期の荒井由実の感性をアップデートして引き継ぐ、
正統な後継者のように思われたし、
もっと言うと、ポップになりすぎない、音楽性の濃さを持った、
ユーミンのコアなバージョン、くらいに思っていた。

そして、なにより、
その音楽性の高度さに魅せられて、
聞き込んでいくうちに、
熊谷幸子さんの音楽は、
僕たちの未来を、指し示しているかのように、
僕と嫁さんが、生きるべき人生の目標を、
奏でているように、
そんなふうに思えた。

僕にとっては、熊谷幸子さんの音楽は、
うちの嫁さんが、運んできてくれたものなわけだしね。
出会いを象徴しているんだよね。

それが、真実だったにせよ、錯覚だったにせよ、
事実としては、
それから16年以上が経過した今でも、
僕は、今では嫁さんである、その子と、
いまだに一緒にいるわけだ。

で、それでいろいろと人生の計画が狂って、
僕はもちっとまともな大人になるはずが、
音楽しか手元に残らず、
結果いまだにバンドやってたり、曲作ってたりする、
それは、オマケだけれど。

でも、音楽をやってたからこそ、
クリスチャンになれたしね。

そんなだから、
熊谷幸子さんのコンサートを、
こうして二人で見ることは、
二人の愛情や、幸せを、
二人の旅路とか人生とか、
確かめることに他ならず。

結局、僕が、現代日本に生まれて、
90年代に青春やって、
その中で、出会い、触れた、
最高の音楽であるわけね、
熊谷幸子というアーティストは。

日本酒が飲めることと、
熊谷幸子が聴けたこと、
これだな、日本に生まれてよかった事は。

個人的にはね。
もう、見れるとは思っていなかった熊谷幸子さんのコンサート。
個人的には、
嫁さんが待望していた、
昨年の、Stryperの22年ぶりの来日から、
そして、今年に入り、
これも奇しくも1998年のアルバム以来、
1999年の活動停止以来、13年ぶりとなる、
Van Halenの復活アルバム、そしてツアー、
など、奇跡かと思うような事が続く中で、
さらに熊谷幸子さんの復活という、

なんという奇跡の連続のシンクロニシティかと、

だから、この一連の流れは、
とても偶然とは思えず、

ここまで歩いてきた僕らの道のりとともに、
信じていたものは、
必ず続いていくのだという、
なんかある種、一種のそういう確信のような、
ひとつの歩いてきた人生の答えのような。
それもひとつの信仰かもしれないけれど。

で、今日のコンサート。

13年前も、十分に貫禄を放っていた熊谷さん、
予想以上に、堂々たるお母ちゃんの貫禄を伴って。

でも、それは、やっぱり、熊谷幸子を知るファンにとっては、
こうでなくっちゃ、と、なんだか頼もしく、

ていうかもうぶっちゃけいうと冷静に感想なんて書いてられないわけだけれど、

前半のピアノ弾き語り、
ピアノ一台によるシンプルな弾き語りにもかかわらず、
CDのアレンジをすべて違和感なく再現できてしまう
そのオーケストレーションというのかなんというのか、

そして、親しみやすいメロディの後ろ側で、
絶え間なく宙返りを繰り返しているような
複雑なコードチェンジの連続、

鍵盤の上で音を紡ぐ作曲家としての、
熊谷幸子さんの凄さが、
よく表れていたと思います。

歌声は、特に前半は固かったし、
年齢も感じたけれど、
でも、やっぱり熊谷さんは熊谷さんだった。

そして、作曲家として、
「鍵盤が難しく、弾き語りができないような曲」
そして、
「自分のヴォーカル力を越えた楽曲をついつい作ってしまう」
これは、ほんとに、他人事と思えず。
「でも、今日のライヴで、その難しい2曲を演奏することを自らに課した」
という、
なんか、自分のことのような(笑)

そして、CODAMA through、
そう、この2012年になって、
熊谷幸子さんの、新曲が、聴けるなんて。
このCODAMA through名義の、新曲が、2曲、披露され、
音源も販売された、

まだちゃんと聞き込んでないけれど、
後期熊谷幸子の、ちょっとルーツっぽい民族っぽい民謡っぽいところから、
きれいにその延長線上のサウンドとして、
非常に興味深く、とってもinspiringだ。

セットリストは、こんな感じだったか

1. Rhapsody In Love
2. 恋の色
3. サーカス サーカス
4. love….
5. みんな雨の中
6. 風と雲と私
ここまでピアノ弾き語り
7. You (Yama-chanさんのシーケンサー、fuuさんのガットギター)
前半終了
休憩

fuuさんゲスト演奏
1.やきいも
2.雨の街を(荒井由実カバー)
3.囚人と小鳥
4.雲の上の街

後半スタート
8. いちばん新しい友達 (fuuさんとデュエット)
デモ曲(ドレミ)の録音
沖田氏登場
9. Sem Voce
10. はつ恋 (CODAMA through)
11. m.a.k.o.t.o. (CODAMA through)
12. 君と約束した場所
13. Song For You
アンコール
14. 月夜

いきなりのRhapsody In Loveも強烈だったんだけれど、
2曲目でいきなり「恋の色」を演奏されたときには、
もうぐぐっときてしまった。
サーカスサーカスも貴重といえるレア演奏だったし、
love….は、思い入れのある曲だからとても嬉しかったし、
みんな雨の中もかなり貴重、
風と雲と私、は、ヒット曲だけれど、やっぱり勇気づけられる、
だって、みんなこの長い年月、ファンの皆さんは、僕もだけど、
この曲を聴いて、歌って、勇気づけられて歩いてきたんだから。
Youも貴重だったよね。
いちばん新しい友達も、非常にレア選曲だったし、泣けるしね、
Sem Voceも、’98年に聴いたのと大差ないアレンジで、嬉しくなったし、
ヴォーカルのレンジが広く難曲だという「君と約束した場所」、
そう、これもファンの間では人気の高い曲なんだよね、見事に歌えていましたし、
最後にSong For Youをやってくれたのも非常に嬉しかった。
あれだ、テレビ版タッチの挿入歌だったやつ。
で、アンコールに、これまた、僕らには非常に思い出深い特別な曲である、「月夜」をやってくれたのも、嬉しいサプライズだった。

とにかく、このくらいになると、
もう、これらの曲を、再びこうして、熊谷幸子さんの演奏で聴けるというだけで、
本当にどれだけ価値があるかわからない。
そして、新曲が、そこにあり、
アーティスト熊谷幸子がそこに現在進行形でいるという、
そのことが、なによりも素晴らしい。

あれだ、
もう、何を感じたとか、書けないんだけれど、
うまく伝わらないから、書かないんだけれど、

ひとつ感じたのは、
音がやってくる、その源泉。

アーティストにとって、ミュージシャンにとって、
音が、どこからやってくるのか。
そのことを、強く感じて、意識させられた。

ミュージシャンであれば、それぞれ、
その音楽が、やってくる、源泉が、
たとえば、その人や、その人たちの、
バックグラウンドであったり、
文化であったり、
人間関係であったり、
信条であったり、
世代もあれば、
影響を受けたものも、

でもそれは、やはり、人間ということであり、
その人の人生ということであって。

今の熊谷幸子でいえば、
それは、お子さんや、ご主人や、家族や、
そういったものなのかも、しれないし、

(そうそう、ファンなら当然知っていることだけど、
熊谷さんのご主人は、EMIの当時の担当ディレクターさんで、
熊谷さんが引退された後、担当したのが宇多田ヒカルで、
つまりは宇多田ヒカルを育て上げたプロデューサーというわけで
結構、それって、すごいというか、不思議というか、素敵なサクセスだよね)

その源泉、音が、やってくるその源みたいなものを、
強く感じ意識させられたコンサートであった。

音楽家のはしくれということでいえば、
僕自身にももちろん、そういった「源泉」を持っているのであって。

つまり、答えというのもは、そこにあらかじめあるのかもしれないし、
そこからどれだけ汲み取り、掘り下げることができるか、
その中から、どんな答えを見つけ出すことができるか、

音楽家とか芸術家とか言われる人々がやっているのは、
そういう作業かもしんない。

というわけで、
ギターにサインもらってきました!(笑)

やったぁ、
熊谷さん、ありがとう!!

No(856)

■…2012年 4月 3日 (Tue)…….戦士の詩と出師の表
死に行く無名の兵士の気持ちが理解できたと思うんですね。

いや、理解なんてできないんだけれども、

でもね限界まで走れるところまで走ったら、
もう限界だというところまで最後まで戦うことができたら、

無名の戦士の気持ちが少しだけ理解できるかもしれない。

歴史を作っていった無名の英雄たち、とか。

もう何年も前から、自分の行動基準として、
自分の余命があと半年だとしたら、3ヶ月だとしたら、
何がいちばん、やりたいか、死んでもやりたいか、
そう思って、きて、

実際、あれまだ生きてるなあ、とか思って
ここまで来たわけですが、

昨年ね、突っ走ってみて、
もうここまでかなと思ったけれど、

まだ走れる。

で、今年の冒険があるわけだ。

うまくいくかわからないけれど。

で、今、死んでもひとつだけ願うことは、

最後まで走り抜きたい。
最後まで戦い抜きたい。

もう限界だというところまで。

結局のところ、男の子は冒険がしたい、
そして喧嘩がしたい。
いつまでも戦っていたい。

最後まで走り抜くことができたら、
それはとても幸せなことだろう。

僕が続けてきたこのバンドや
音楽の旅は、
たぶん生涯、終わることはないけれど
どんな形であれ終わることはないけれど、

でも、どんなふうに形が変わるかはわからないしね。

出師の表に書きたかったことは、

自分たちのような小さな無名のバンドであっても、
大きなものを動かすことができていること。

そして、自分たちのような小さな存在であっても、
大きなものを動かすことができるのだと信じていること。

今年の創作のstatus,

昨年一年かけて、年末までかけて制作したし、
今年はもう曲は作らない
→ツアーに出るのであればひとつくらい新曲があってもいいな
→1曲も2曲も変わらないからもうひとつ作るか
→他人のために提供する曲なら4、5曲書くか
→なんかうち1曲が妙に評判いいから自分とこでも演奏しちゃうか
→ならもう1曲作って一人録音しちゃえば4曲入りのEPにできるな
→それなら日本語でワーシップソングでもつくってみるか、それなら一人録音できるし
→ついでに他人に依頼されたワーシップソングを2曲ばかり作ってみるか
今ここ。
結局、既に7、8曲書いてる気がする。

でも、こうしてEPの形にすれば、
バンドの寿命は、すくなくとも書類上は、
また一年以上延びるわけだ。

『最後の作品』(と勝手に呼ぶところの)
「コンセプトアルバム」までの橋渡し。

次のテーマは、
笑うなよ、
愛国心。

わざとらしいやつじゃない。
他の国を非難するようなものじゃない。
自分を正統化するためや、群れるためのものじゃない。

僕にとっての愛国心ってのが、
どういうものなのか。

でも、見つけたと思うのよ。

それは、無名の戦士の詩。

どこの国とかじゃなくて、
たぶんもうちょっと、ユニバーサルなもの。

ああ、やっぱうまく書けないな、もう。
言語能力、退行してんのよ。

旅人に戻る、その日まで。

男ってのは、
戦うものであって、

最後には、負けるんだよ。
誰だって。

だって、どんなに強いやつだって、
歴史や、時代や、神そのものには、
かないっこないのだから。

でも、自分よりも大きな相手に戦いを挑んでいくのが男だと思う。

勝てなくてもいい。
誰だって、小さな存在なんだ。
誰だって弱いんだ。

でも、その小さな命が、
大きな未来を変えることを信じて、
殉じていくんだと、
そう思いたいな。

最後まで戦って
最後まで走って、
それで散れたら、
それ以上の幸せなんかないだろう。

出師の表、抜粋

昨年の遠征が終わった後、
果たしてこれからバンドを維持できるか、
バンドを続けていくことがどこまでできるか不安な面もありましたが、
遠征で得た自信や確信、使命感というのか、自分たちにしかできないこと、
それからメンバーの間の目に見えない絆みたいなものでしょうか、
不思議とあれ以降、バンドメンバーの間には、不思議な確信と共感があり、
それとも自分たちにはこれしかないという悟りのようなものでしょうか、
状況はともかくもバンド内部の雰囲気はとても良くなっています。

僕たちの目標は、自分たちが有名になるとか、成功することもあるかもしれませんが、
それよりも、日本と、世界に対して、何かを変えていくというのか、
自分たちがユニークな存在であり続け、それによって
make a differenceをすることです。
その意味で、昨年の遠征を終えて以来、
そうした手応えや、神様の計画というのか、神様が動かれている、God is moving、そういったことを
感じることが幾度もありました。

僕らのような無名の小規模なバンドであっても、
よりメジャーなバンドたちや、音楽業界全体、ひいては世界に対して、
影響を与えることができることを、僕たちは証明したいし、
少しずつそれを証明できているのではないかと思っています。

ミュージシャンとして死ぬ覚悟は、
とうに出来ていますが、
日本と世界の状況を思うに、
悩みは尽きません。
最近嫁さんともよく話します。

しかし目に見える形でも、見えない形でも、
確実に日本は変わってきていると感じます。

特に昨年の震災、津波、原発の事故以降、
ご存知のとおり日本の社会はあらゆる意味でその質が変わってきており、
悪いことや大変なことがたくさんのしかかっていますが、
国全体が神の手によって打たれたことにより、
本当の意味でこの国の精神の根本の部分が、
変化に向かって動き出しているような気がしています。

確かにこのバンドで活動する中、
自分は日本の国が、精神的に、文化的に、そして信仰の意味で、
変わっていくように祈りました。
それが、このような大変な災害を伴う形で引き起こされるとは、もちろん考えていませんでしたが、
しかしその中で、自分たちの役割を最後まで果たすことができればと僕は願っています。

小さな無名のバンドではありますが、
しかし、他にはあまりないユニークな立ち位置に旗を立てることができているバンドであるという自負もあります。
僕らの小さな活動が、ゆくゆくは大きな影響になっていくということを信じています。
どこまでできるかわかりませんが、
その役割を、最後まで果たすことができるよう、お力添えをいただければ幸いです。

No(857)

■…2012年 4月 6日 (Fri)…….7年目の好機
苦しくなくてはバンド活動ではない、つって。

もちろん、楽しいからバンド活動なんだけれども。

でも、やれるところまでやるっていうのは、
苦しい道のりであってしかるべきだとは思う。
少なくともその方がカッコいい

僕が、よし、音楽やめよう、って決意したのが、
2005年のこと。
これは、何度も書いているし、公式のひすとりーぺーじにも
記述していることだけれど

それから、どういうわけか7年もの歳月が、気付けば流れてしまった
やめそこねたんだよね
やめることに失敗した
転がりだしてしまって
そのまま何年も止まらなかった

昨年も、限界を目指してやったけれど
まだもう少し走れって
苦しいね

さて、今度こそ走れるところまで走って
やめてやろうかと
7年ぶりに訪れたチャンスかなと

もちろん、この音楽プロジェクトを
死ぬまで辞めるつもりはないけれど

でも、新しいステージに行くことや
新しい形に移行することや
一度死んでまた生まれることや
種が落ちて芽が出て再生するように

それはいつだって、少なくともその7年前からは
企んでいた計画だった

ちょっと予定より[延びた]が、
つまりはこの7年の間
予定よりも、この場でできることについて
うまくやることができた
それは、ほんと、ありがとうと言うより他ない

7年も前の思考だが
はっきり覚えている

僕は世界の「遺伝子」に触れたいと願ったが
それは、時代のおかげで、
居ながらにして、この日本の地より
ちょっとだけなら
それに触れることができた

まだ走るか
今ここで出来ることに対して
まだまだ最後まで走るのか

苦しいからこそ
悩みもするし、惑いもする

けど、これでいいのかな
なぜなら
やっぱ苦しいものだからさ
バンド活動みたいなもんは
芸術やるってのは

ぜんぶがうまくいっていたら
それは嘘だ

少なくとも
その方が気分は出る
泥にまみれていたほうが

最適解はきっとある
最適解のイメージを、少しずつ思い浮かべている
それはきっとある

自分自身がずっと求めてきた
「新しい世界」とともに

始めたらいい
理想の教会を

最後まで走って
ぶっこわせるものはすべてぶっこわしていけ

少しずつしか
何年もかけて着実に
そうやってしか
人生は進まない
経験上
だからこそ信用できる
人生ってやつは

名声やお金は
きっと、手に入るときには
すぐに手に入る
だからあまり重要ではない

んだと思うんだ(笑)

No(858)

■…2012年 4月 6日 (Fri)…….ポップなワーシップソング2曲
facebookで、メッセージをもらうことはいろんな形であるとは思うんですが
やはり海外のクリスチャンで音楽を聴いてくれた人とかから
メッセージもらったり
その中に、たまにフレンドリー(なれなれしい?)子たちもいて、
いろんな会話が発展したりしますね

で、「歌詞を書いたから曲を作ってくれ」つって。
おいおい、めんどいよ、と思ったけど

うっかり、やるって言ってしまった事があって。

で、もらってから2ヶ月以上たったかな
やっと、時間を作って、デモの形にしてみた

ワーシップソングですよ。

でも、これは僕も、新しい録音システムとLogic Proの使い方を勉強しようと思って、引き受けたんだけれど

送ってきた歌詞は、逆にネイティヴの歌詞だけに、英語の文法とかあってるかどうかわからんけど
1番の歌詞しかなかったから
2番の歌詞を、日本語で作ってみた
ほとんど内容は1番の英語を直訳して。
でも、比較的自然な感じの日本語になったと思う。

ワーシップソングを日本語でやるのって難しいんだよね
「神よ」とか「主よ」とか
英語だとどうってことないけど
日本語でやると、ちょっと、あれな感じになっちゃうでしょ
特に、英語の曲を翻訳するとさ、
目も当てられない状態になってること、あるもの
クリスチャンの信者の方はいいんだろうけれど
普通の人が聴いたら、ちょっと、どうかなって感じの

僕は今年は、日本語でオリジナルのワーシップ曲を
書きたいと思ってるから
その練習にもなったかなと思ってるけれど

とにかく作ってみた。2曲。
これ。

Tears For Messiah
こちら

Heaven’s Banquet
こちら

他人の歌詞に曲つける経験はあまりないし、
ジャンル的にも、自分のバンドでやってるのとは
ぜんぜん違った、ポップというのか一般的なワーシップというか
わからんけど

全部MacBookで一日でさくっとやったデモだし
歌にいたっては
狭いアパートの部屋で、近所を気にしながら
とてもじゃないけど本気で歌えないので
特にヴォーカルトラックは、雑だけれど
デモってことで。

もう自分ではコンデンサーマイク持ってないから
ダイナミックマイクに、ポップスクリーンの代わりに、靴下をかぶせてね(笑)

そうはいっても、僕がシンガーとして
ポップバンドで歌ったらどうなるか、
というのが、ちょっとだけ想像できて
おもしろいと自分では、思ってる

やっぱなんというか、
中性的なシンガーかもしれないね、私は。

歌詞もリンク先のSoundCloudに掲載していますので、
僕のいかした日本語訳を、聴いてみてくだ差異

あとはやっぱあれだ
他人の書いた難しい(?)英語を歌うよりは
やっぱ日本語で歌った方が、それ風になるもんだね、
やっぱ母国語で歌うに越したことはないというか、
こんなざくっとしたデモであっても。

No(859)

■…2012年 4月 6日 (Fri)…….日曜は横浜でライヴしてきま巣
そんなわけで今週の日曜、
4月8日、イースターサンデイの夜ですが、
Imari Tones、横浜でライヴします。

なんかあれだ、
自分いつも、夜中に書き込みするので、
tweetとかしても誰も見てないとか
ごめんねーて感じ

先月の、反町のときは、
ヤオさんのレゲエ演奏も手伝ったこともあって
なんか、運営側に回ってしまい
いい人を演じてしまい、
自分らの演奏に、気合いが入らなかったので
今度はそうはいかないぞ(笑)

以下、カレンダーのページよりコピペ。

イースターサンデーではありますが、
Imari Tones、地元横浜にての、ローカルでアットホームなバーライヴです。
関内あるいは伊勢佐木長者町の近くにある音小屋(ねこや)というライヴバーにて。

Rocking Praise Yokohama vol.2
4月8日 (日)
横浜 寿町 音小屋
こちら
Open 18:45 Start 19:00
チケット: 1500円(1ドリンク付き)

出演バンド (出演順)
Rumbling Coyote
伊万里音色 (Imari Tones)
儀太郎
B.D.Badge

No(860)

■…2012年 4月 6日 (Fri)…….CODAMA through 感想
昔にファンサイトをやっていたので、
そういう形で書くべき文章だなあと思いつつも

音楽活動を再開された
熊谷幸子さんの新しい名義のユニット
“CODAMA through”
(なんちゅう名前じゃ)
の2曲入りの音源について
書いてみたいんです

1996年のことだったか
熊谷幸子さんは、

その前年までに、

最大のヒット曲である
「風と雲と私」が収録された3rdアルバム、

そして、これまたテレビとのタイアップ曲がたくさん入った
華やかな4thアルバム「Good Morning, Funny Girl」を発表した後、

1996年だったと思いますが、
“Bahia”、そして”You&I”という2枚のマキシシングルをリリースしたんですね。

それぞれ、4曲が収録された、マキシシングル、という言い方は当時の呼び方かもしれないけれど、
ミニアルバムというべきか、

それらの楽曲は、
それまでの、ポップな女性シンガーであった熊谷幸子さんの音楽性から、
一歩も二歩も先に進んだもので、

ワールドミュージックのような音楽性や
(ブラジル生まれのルーツを辿るものであったそうです)

より、スピリチュアルな深みを持った楽曲、

そして、より個人的な、女性としての愛の形を求めていくような、

そして、新しい境地へ向かおうとする旅立ちのような、

とにかく、それまでのポップな音楽性とは、違ったものだったわけです。

特に、2作目のマキシシングルであった”You&I”の音楽性の密度の高さは、
恐ろしいほどで、
僕はものすごく大きな衝撃を受けたのを、今でも覚えています。

そして、当時、「マキシシングルは、3部作である」といったような発言があったと思うんですね。

ですから僕は、その、衝撃的に高度な音楽性を持っていたその2枚の続編を、
心待ちにしていたし、
3枚目のマキシシングルはどのようなものになるのだろうと、と思っていました。

しかし、その後、「3枚目」のニュースを聞くことは、ついに無く、
2年近くの後に、5枚目のフルアルバムである「S.K.」のリリースとなったのでした。

そして、それが熊谷幸子さんとしての最後のアルバムになりました。

あの2枚のマキシシングルは、
商業的な音楽を制作するポップアーティストからの脱皮であり、
より深い音楽を追求しようとする熊谷幸子さんのアーティストとしての
自我の発露であったと思われますし、

そして、
今にして思えば、
(その後、結婚されたのを皆さんご存知ですから)
その自我の発露は、
ある種、許されない恋(?)を経ての結婚という
人生の重大事に向かう中での、葛藤や、逡巡や、
その中での更なる自己の追求の中で
生み出されたものだったであろうことは
想像できるわけです。

そこで追求した音楽性は、
必ずしも、商業的なものではなかったかもしれず、
その意味では、あの路線での「3枚目」がついにリリースされなかったのは、
仕方がなかったかもしれません。

いい加減、文章が長いので、結論に飛びますが、

この”CODAMA through”は、
その、長い間待っていた「3枚目」のような気がしています。

ちょうど、”Bahia”、”You&I”の続きと考えると、
ぴったりくる音楽性を持っています。

ポップでありながら、
日本人の魂とDNAのルーツに迫るような旋律、

女性の生命の根源のような、
不思議な、深みのあるサウンド、
そして、重ねられた声の力強さ。

なにより、
このCODAMA throughは、
沖田氏との夫婦ユニットですから、

あの、パーソナルな愛と、生命のルーツを追求したような
後期の熊谷幸子サウンドの続編としては、
これ以上ない、正しい続編と感じられるわけです。

そういえば、今回のCODAMA throughのCDのアートワークを担当されているのも、
あの2枚のマキシシングルのジャケットを担当された、
“Chizu Fukatsu”さんですね。

音楽を言葉では、説明できないので、
感動を文章にはできませんが、

あれから、10何年もの歳月を経て、
こうして、熊谷幸子さんが追求されていた音楽の、
続きが聞けることに、
本当に喜びと感激を覚えます。

今回は、3月の復活コンサートにおいて販売された
「手作り」の貴重なCD-Rの形ですが、
さらに楽曲を制作される予定であるとおっしゃっていましたし、

またふさわしいタイミングで、これらの楽曲について、
iTunes等での配信や、CD等の販売があることを期待します。

No(861)

■…2012年 4月11日 (Wed)…….横浜イースターライヴ御礼
今回はわりと勝てた気がする。

イースターサンデイの夜に横浜のローカルバー、音小屋さんにて
Rumbling Coyoteさん、儀太郎さん、B.D.Badgeさんたちと
ライヴしましたが、

あれだ、
先月の反町のときに、
ヤオさんのサポートとか、
イベント全体の主催とかに
気を回したおかげで、
パフォーマンスが比較的「いい人」になってしまい、

さらにヴォーカルのすらんぷ、
曲目もわりと変化球だったのもあって、
ちょっと打ち負けた内容になっていたので、

今度はそうはいかないぞと思っていたけれど、

わりと勝てたんじゃないかと。
少なくとも自分自身には勝てたんじゃないかと。
出し切ってスッキリ。

B.D.Badgeさん、儀太郎さん、Rumbling Coyoteさん、
皆さん、ハイレベルでばちばちなパフォーマンスをしていただき、
それぞれに最高の演奏をぶつけあう素晴らしい状態で。

おかげさまで楽しいイースターの夜になりました。

以前書いたように、
少し発声の方法に、軽いブレイクスルーがあったことで、
ヴォーカルも、上手いわけではにないにしても
比較的調子よく声が出るようになったし、
実地検証としては十分、

ハードロックやメタルが十分鳴らせるようなアンプが無い
ローカルバーの環境に対応すべく、
足元にはとっておきのヴィンテージエフェクターを惜しげもなく投入。
良質のハイゲインアンプとはいかないまでも
十分にロックしたサウンドを得ることに成功、

バンドの状態もよく、
共演者の人たちやお客さんにも恵まれ、
まだいくつかの必殺曲を温存しつつも、
きちんと持ち味を発揮するステージができました。

バンドとしては、
大きな目標や、
小さな目標があるわけですが、
それらに向かっていくにしても、

こういう一本一本のライヴが、
そのための活力となり力となり
重要な経験となっていくので、
本当に感謝なのです。

横浜ローカルにて
自分たちらしい環境とセッティングで
演奏ができたという意味もあるので、

この演奏の映像は、
ためしに全編そのままYouTubeに上げてみようかと
ちらっと考えています。

酒と煙草の匂いがする、
酔っ払って演奏するようなパフォーマンスで、
海外の「真面目な」クリスチャンの方々が
どのように反応するかわからないが、

しかし、そうした
酒と煙草の匂いの染み付いた、
ローカルな場所で
飾りの必要のない本物のエンターテインメントを
行うということが
今私たちのやりたいことであるので、
それでよいのです。

ひとつそれが自分たちの思う形で
実現できつつあることに、
感謝アンドサンキュージーザス!

それをシェアしていただいた皆さん、
その場にいらした方も、
そうでない方も、
サンキューファイヤー!
サンキュージーザス!
(あ、誰かの口癖がうつった)

No(862)

■…2012年 4月11日 (Wed)…….復活と陳腐な物語と請願書
いつもの黙想です。

さて、イースターだったわけで、
イースターサンデイだったわけで、
先日の演奏の際にも、
アクシデントにより
ユーミンの「ベルベットイースター」
を歌ってショウの幕を開けてしまうという
ことがあったわけですが、

イースターといえば
呼び方はどうあれ、
クリスチャンにとっては
キリストの復活祭ってことで、
クリスマス以上に大事な出来事であるわけですが、

だって、
イエス・不死身・キリスト
であるところの
俺たちの番長キリストさんは、

俺は不死身だぜ死んでも死なないぜむしろ地獄に行ってきたけどそこにいる連中全員シメてきたぜ平気で戻ってきて復活したぜ安心しろ地獄もエンマも死神も全員俺がシメてきたから

ってなもんで、
どんだけ強いんだイエス・不死身・キリストまさに神の子番長。

ってことで、
「安心しな地獄に行っても俺の名前を出せば奴らも手出しはできないぜ」
くらいのノリだと思うんですが、

とにかく復活祭。

この復活劇にしろ、
黙示録にある記述にしろ、

そうですねヘヴィメタルにしろこうしたテーマは頻繁に使われているわけですが、

思うんですよここ近年(全然遅々として読み進まないけど)
チェスタトンとか少しずつ読んでいたりするせいか

このテーマは、
何度も語りつくされ、何度も聞かされたモチーフではあるけれど、
何度でも語られる必要のある大事なことなんじゃないかって。

たとえば先日も、とある有名なヘヴィメタルバンドのライヴを見たわけです。
そのバンドは、いわゆるスラッシュメタルのカテゴリーの中では、
僕自身、そのスタイルや音楽性は、かなり気に入っている方のバンドなのですが、

彼らの、その、ダークになりがちなスラッシュメタルのカテゴリにあって、
明るく、楽しく、柔軟で、華やかなその音楽性とメッセージ性、
それはもちろん、かなり好みのはずなのですが、

そして、彼らも、これ以上に非の打ち所がないようなパフォーマンスを見せてくれたのですが、

それでもなお、メッセージ性が明確ではないという一点において、
僕は不満を感じてしまったわけです。

これは、僕が(あるいはクリスチャンとして)頑固になってきているだけかもしれませんが、

やはり愛を歌うのであれば
その愛とは宇宙にひとつであり神の愛であって

自由を歌うのであれば
それは突き詰めれば神の愛に従う自由に行き着くのであって

そして希望を歌うのであれば
その希望は神の救済と復活、そして再臨、
そこにすべての希望は行き着く

そんで栄光ってものがあるんなら、
それは神の内にある栄光しかありえない、

と思うんですね。

だから、愛や希望を歌うのであれば
最終的にどうしてもそこに神への愛や希望があってほしい

そして、それが不明確になったとき、
人はいとも簡単に
偶像崇拝や悪魔崇拝に堕してしまうような気がしているんだよね。

たとえば、「無神論」というのは、
場合にもよると思うけれど
何も信じない、というのはありえないのだから、

神を信じない、イコール、
自分を信じてます、っていうのはたぶん嘘で。

神を信じない、イコール、
偶像崇拝や、悪魔崇拝に、いともかんたんにつながるものだと、
感じている、今、僕は。

だから、いわゆる現代日本の感覚で、
僕は無神論です、っていっても、
本当はその人は心の内で神様を信じているかもしれないし。

まあ、どちらにせよ、日本人の語る、宗教観ってのは、
額面どおりに受け取れないところがあるよね、

話戻って、

たとえば、ヘヴィメタルの世界でいえば、
Metal GodことJudas Priestなんかは、

そういった、宗教的なモチーフを、頻繁に使ってきた。

典型的なのは、
荒廃した世の中で、人々は苦しんでいるけれど、
そこに正義の救世主が現れ、
悪人たちをなぎ倒し、人々を救う、
というような。

世界観的には、黙示録みたいな感じなんだけれど、
そんで、おなじみの、いろんなところで見たような
陳腐なストーリーだけれど、

でも、こうして何度も語られるほど、
その物語は大事なことだと思うんだ。

なぜなら、「希望」はそこにしかないからだと思う。

僕たちのすること、すべてにおいて、
結局、最後のその救済と裁きを信じているからこそ、
人は本当に正義を行うことができるし、

また死の向こうにある復活を信じているからこそ、
希望を持って生きて、そして死ぬことができる、

そんな感じ?

だからJudas Priestにせよ、
宗教的な典型的なモチーフを使ってはいるけれど、
別に明確にクリスチャンとかそういうのではないけれど、
でも、その表現とテーマの普遍性っていうのは、
古今東西、どこにでもあるほど、重要なことだという
ことだと思うのだね。

そして、それを明確にしないとき、
いとも簡単に、人は偶像崇拝に堕してしまうからこそ、
この物語は、いつでも何度でも、語られなければいけないのだ、
という話。

短く言えば、
だからナルニアのお話は世界中で愛されているんだろう、
ってことかな。

さてイニシアチブということについて書きたいと思うのね

ついでにってわけじゃないんだけれど

たとえば中国の古典でいえば
「孫子の兵法」とか見てみるとさ、

いかにしてイニシアチブを取るか、
という点を非常に重視しているわけだ。

さらに老子とか見てみても、
そのイニシアチブってのを巡って
考え方をひっくりかえしてみたり
表が裏になってそれがまた表になって裏になって
とかよくわかんないことになってるわけで

矛先をちょっと変えてみるんであれば、
たとえば、いつのまにか知らない間に
クリスチャン漫画になっていた?らしい
ジョジョの奇妙な冒険にあっては、

その第7部のアメリカ横断バツゲームにおいて、
皆さんが血眼になって探していた「遺体」ってのは
どうやら聞くところによればイエス・キリストの遺体だったようで、
それがあれば世界のイニシアチブが取れる、
そんな代物だそうな。

そんなにしてまで
この世界の「イニシアチブ」が取りたいのだ、
とすれば、
そんなにしてまで世界の「イニシアチブ」が取りたいと仮定して、

僕みたいな半分宗教音楽がかったインディペンデントミュージシャンに聞くのであれば、

そうね、たとえばほら、
世界を変えたい、
たとえば、こんなふうに変えたいですぅ、と思ったら、
その設計書とか、デザインとか、説明した書類を、
渡すのね、
で、誰に渡すかって言ったら当然、それは神様に渡すわけよ。

神様に、設計書を渡すわけ。
こんなふうに変えたいです、つって。

そんで、イニシアチブなんてものがあるとすれば、
それは、やっぱし神さんの内にしかないと思うのね。

でね、僕は、自分のインスピレーションにおいて、
既に神さんに見せてもらってるわけ、
音楽が、世界を構成するパーツだってことを。
というよりも、世界そのものが音楽でできているってことを。

なんかこう、きっと、概念とバイブレーションだからだよ。
あと色かな。色。
音を視覚的に見れたらね。
で、あっちでは見れると思うんだ。そういう場所があるんだな。

だから、僕みたいなインディペンデントミュージシャンに聞くのであれば、
音楽を作る、作って鳴らすってことは、
とりもなおさず、
その「設計書」を書いて神様に提出する、ってことを意味する。
「こんなふうに次世代の世界を作りたいですぅ」って言って。

だからたとえば20世紀の終わりごろに子供時代や少年時代をやった僕らが、
この平和な国において、平和な時代をすごせたのは、
あるいは100年くらい前にドビュッシーさんが、神様にそうした「設計書」を提出してくれたおかげかもしれないし。
彼自身は大戦のまっただなかだったやもしれんけど。

だから、イニシアチブなんてものが意味するとすれば
僕みたいな人間にとっては、
それは、
神の内にあって音楽を鳴らすこと、
それをまさに意味するのね。

世界の王様がいるとするじゃない。
大統領でもなんでもいいんだけどさ。

王様やるのも楽じゃないとは思うんだけれど、
もし王様だったら、玉座に座って、
そこから命令一下、世界が動くわけだ。

それはそれで、想像すると、わくわくとするけれど、

でも僕はそれと同じくらいの感覚で音楽を作って鳴らしている。
ここから天下に号令するんだって。
神さんのお力添えでもって、こいつが実際に世界を動かしていくんだって。

つまりは、神様とのチャンネルが開かれていて、
神さんの祝福と、ご贔屓があること、
神の内にあって、信じるロックを鳴らすことができること、

それが、僕にとってのイニシアチブ、
世界を動かすくらいのイニシアチブだってこと。

それができるうちは、
確かに僕は、この世界の「玉座」に座っている(笑)

気分は、悪くはないよ。
どんな栄光よりも、神さんのご贔屓をもらってるうちは。

どこまでできるかはわからんけどね。

でも、自分にとって大事なことの本質はそこであり、
そこははっきりと自覚しておきたい。

作家に聞けば、
「僕は言葉で世界を作っている」
と言うだろうし、
どんな職業の人に聞いても同じ答えが返ってくるかもしれないが、

僕はそれくらい音楽を信じている。
ということだろうと思ふ。

No(863)

■…2012年 4月21日 (Sat)…….A revenge of a douche
Last night I joined ADW heavy metal session as a singer, not a guitarist.
And I was in my “douche mode”.
(Well, douche is a word I just learned recently on internet.)
Or in other word, “princess mode”.
And I think I could sing good, not bad. At least better than the last time.

Last time I joined this session as a singer, I was in a good guy mode. And for some reasons, I sung really bad. So this time, I decided to be a douche and it worked. If not best, but much better than the last time. The revenge is done.

To me singing is something different, something special.
And in my opinion, you have to be a “douche” in order to sing good.
I mean, you can sing 8/10 (8 on a ten scale) in a good guy mode,
but if you want to sing 10/10 or even 12/10, you have to be in a douche mode.
(I guess that’s why so many great singers are said to be “D-bags” or …well, I don’t know other words, a selfish person?)

Being in a douche mode means you are just thinking about singing and nothing else. You can just focus on singing when you are a douche.
One of the good things about being a Christian musician is, when you are praying really hard before the show, you can enter into this “douche mode” while you stay being a relatively good guy. Because praying really hard means you are just looking at God and nothing else. That way you can concentrate on singing. It’s kind of similar effect on your performance.

When I play in my band, I can be in this “man of God” mode, because my band plays Christian Rock. However when you play these kind of regular heavy metal music with my friends, I can’t do that. So my only choice here is to enter into a douche mode and it worked.

So being a douche and being a man of God are the same?
I don’t know but I guess it’s all about focusing and concentration, and devoting yourself into it. If you really want to do something very well, you have to sacrifice some other things. Being a good artist and good guy at the same time, well, it’s almost an impossible order, asking too much. You have to be crazy to be a good artist.

I didn’t record any of our performance last night but I know Yan was recording some of it. Hopefully he will upload some of the better songs we did.

I did good on Racer X and Priest, bad on Anthrax, and avarage on Bon Jovi.

No(864)

■…2012年 4月23日 (Mon)…….ロマンと言う名の盛大な弱音
何年か前から気付いてはいたんですが、
自分の、ひいては自分たちのバンド、自分の音楽について、
どういうつもりでやってきたか、
その活動原理は、ダンディズムとか男のロマンみたいなものだったんじゃないかという
のがあるわけです。

まあ敗者の美学ですよ。しょせんは負け犬ですので。

これは、非常に幼稚というか、少年ぽいんですが、
でもまあいわゆる厨二病というのか、中二病が治った瞬間に人は老け込むっていうしね、
こと青臭いことに関しては非常に自信があるので。

どこかで読んだ(あまり面白くなかった)バンド漫画に書いてあったけれど、
僕らの世代というのは、ロックバンドについて言うのであれば
遅れてきた探検家なわけです。
宝探しが大方終わってしまってから、宝島にやってきた世代。
(もっとも、大きなお宝があった世代も、それはそれで、容赦ない競争があり、余計に大変だったでしょうけれど)

大方の、大きなお宝が、もう全部なくなってしまってから
やってきた僕らは、
世界の中に残された、残り物のカスを、探して食べるしかないわけですね。
なんかこう、シロアリみたいにして。
有機物を分解する微生物が、クジラの死体の、ほとんど骨だけになったやつを食べるみたいなイメージで。

しかしこういっちゃなんですが、
最初にやってきて、大きなお宝をどどーんと見つけるよりも、
最後の方にやってきて、隙間にはさまった残り物を見つける方が、
技術的には難しいと思うわけですよ。

つまりは、音楽的には、難しいと思うわけです。(どどん)

その中で、少しでも自分たちの居場所や、オリジナルなものや、新しいものを少しでも主張するのは、難しいと思うわけです。
たとえば(大袈裟だけど)1969年にWhole Lotta Loveのリフを鳴らすよりは。
2005年に、シューゲイザーとエレクトロニカに影響を受けたUSインディのバンドの方が、音楽的に複雑になるのは、仕方のないことだと思うわけです。

そして、僕は、少なくとも、その、複雑で高度な(笑)「残り物」をうまいこと鳴らす才覚はあると思っているし、
その、最初にでかいお宝を持っていくよりも難しい、残り物処理班の能力に、誇りも持っているわけです。

そして、いわば、僕の、そして僕らのバンドの旅路は、
この世界に残されたロックのかけらを、世界中から見つけて集める旅路だったわけで。

そこにはもう、ほんのちょっとしかかけらしか無いことは、
最初からわかっていて

だめだこりゃ見つからないや、という結論であれば、よかったんですが、
幸か不幸か僕にはそれでも見つける能力があった。
だから、こうして世界中から、ほんのそのひとかけらを、探して旅を続けているわけです。

たとえば、後でハリウッドの例を書くけれど、
僕らの世代が、こうして、じゃあ、バンドマンの慣例に倣って、
上京してロックしましょう、っていったときに、
じゃあ上京してきたらそこにロックな環境、ロックな世界があったかというと、
それは全然なかったわけですね。
むしろ、まったくロックではない、非ロック的な世界が広がっていた。
その、なんにもない砂漠からスタートしたわけで、物語は。

歴代の、そして今のうちのバンドのメンバーたちは、
その、「ここには本物のロックは全然ないよね」
っていう、認識を共有した人間たちであると思うわけです。
なによりもまず最初に。
その前提からスタートしているのであって。

しかし、外国に行けば、僕らは物珍しい外人で、少しは面白いのでしょうが、
だからといって、アメリカやヨーロッパに、ロックが残っているかというと、
それもやっぱり、残っていないわけで、カケラしか残っていないわけで、
それも既に最初からわかっているわけです。

世界は既に退屈していて、
退屈だからこそ、たとえば過去にはなかったように
欧米で日本や韓国のアイドルやヴィジュアル系が消費されたり、
その逆もまた然りなわけです。

結局のところ、この退屈した世界の中で、
アメリカに行こうとヨーロッパに行こうと、
退屈なのは同じであって、
(中国あたりにいけば面白いかもしれませんが)

結局のところ、本当に面白いことがあるとすれば、
それは、自分自身の手と、ギターの弦が交差する
その一点にしか無いんだと思うのです。
それが結論で。
なぜって、そこには確実に奇跡が存在するのだから。(どどん)

しかしそれをこそ頼りに、
それを基点として、
僕らはこの世界に残されたロックを
拾い集めてきたんですが、

そして同時にそれは、
この時代にこの世界で、
果たして自由な生き方、
純情な生き方、
そしてオリジナルな生き方なんてものが、
果たして残されているのか、
という問いでもあるわけです。

どちらかというと、
僕はそっちの方を、追求してきたわけで。

そして、ここまで、
ある程度、少なくとも、
オリジナルな生き方を選んでくることが
できている自負はあるわけです。

で、問題は、ここから。

たとえばね、
僻みと劣等感の話でしか無いのだけれど、

まあぼくらもまったく小規模な無名のバンドでしかもこの中途半端な音楽性とどっちつかずな立ち位置とまったくもって気難しく非社交的な性格でかんぜんいんでぃぺんでんとでやってるわりにはがんばってるほうだと思うんだけれど

それでも、他のもっとうまくやっている人たちや、
あれね、僕らみたいなバンドで、海外志向にせよfacebookにしろインターネットにせよこれだけやってるのはかなり頑張ってる方ではあるし、これからもっと伸びるとは思うんだけれど

でもほら、メジャーな人たちとか、もっと軽くfacebookでもyoutubeでも大きな数字を出すわけじゃない。それでも金にはならないのかもしれないけれど今時は。

いちいち、僕も人間だから、劣等感は抱くわけだけど、
抱かないときも多いけどねどうでもいいから

思うのよ、最初に、生まれる前に、じゃあ僕はここ行きます(生きます)ってやった神様との契約の段階でさ、

この残り物の時代に生まれることも、
まったくロマンティシズムを優先して、成功とか名声はあんまし得ないこととか、
そういう立ち位置とか内容も、全部了承してサインして生まれてきてるんだと思うんだよね。

だから思うわけだ、
あ、自分は無名なぶん、好き勝手に自由に芸術も音楽も人生もやれてるな、って。
名が売れちゃったら取り返しがつかないもんな、って。

それでも、ごく少数の人たちにであっても、それなりにちゃんと愛を持って受け止めてもらえて幸せかもー、つって。

別に好きで無名でいるわけじゃなくて、
できることならそりゃ名も売りたいし成功もしたいんだけれど
(昨年あたり見たブッチャーズのドキュメンタリーで、言ってたもんな、あのブッチャーズですら、実は、売れたいと思ってる、って)
そのための努力だって逐一したけれど少なくともできる範囲でできる機会には

なんかこうなっちゃうから仕方ないんだよね、って。
神さんとの契約内容を確認してくれよ、手相でも見てくれっていうんだ。

でね、ヘヴィメタルの誇りということも思うわけです。
つまりはマイノリティの誇りだよね、強がり。
もちろん今ではヘヴィメタルも世界中で市民権を得て、
大衆文化のひとつではあるけれど、
やっぱりヘヴィメタルは、少数派の、特殊な人たちの音楽なわけだ。
より、普通のものでは満足できない人たちの。

その、ヘヴィメタルと一言で言う中に、
ポップなものもあれば、大衆的なものもあれば、
よりコアで激しいものもあれば、いろんなものが含まれるわけだけれども、
でもやっぱりそれらは特殊な、普通以上のものを求める少数派のものなんだ、
とね。

で、僕らも、やっぱり、その中に属しているんだよ、
なんだかんだいって。
中途半端な音楽性、とはいっても。
特に精神性や、概念からいったら、
確実に、見た目以上に、そうなってる筈なわけ。

だからね、
陽が当たらなくても、
(まあ、十分、神さんの栄光の光は、これでも、もらってると思うんだけど)

そのヘヴィメタルの誇りをだね、
しっかり胸に持っていなきゃだよな、
とか、思うわけです。
なんたってDefenders of the Faithなわけだから。
信仰を守る者、真実を守る者ですよ。

世の中に合わせた形で戦っていける者は、そうするべきだけれど、
ヘヴィメタルは、妥協や迎合をしてはいけない。
そのへんの、線引きが、最初からあるわけだけれど、本物のヘヴィメタルには、
しかし、時代とともにその線引きもとっくに曖昧になり、
曖昧に成り果てて久しいのだけど

でもさ、僕らには本当に信仰があるわけだから(笑)

そこはさ、明確にいかなきゃいけないんだ。
この線からそっちには、俺はいかないぜ、
なぜってそれが真実だからだよ、
つって。

それも本当は強がりで、
なにも好きでやってるのではないのであって

売れる魂が、あるんなら、僕だって売りたいけど、
運悪く、魂は在庫切れでさ、
売ろうにも、そのチャンスがなくて。
結果、今に至ります。

ほら、魂売るったって、
いまどき、買い手もなかなか無いぜ?
あまりいい値もつかないし。

で、何の話だっけ。
男のロマンの話?

遅れてきた僕たちは残り物処理班であって、
世界は既に退屈していて、
僕たちはその中で、ロックの残り物のカケラを探してきた、
指とギターが交差する一点の奇跡だけを頼りに。

ってとこまで。

でも言わせてほしいのは
その残り物の中にこそ、
ロックの一番、凝縮された、いちばん最後の真実があるんだってこと。
フライパンの中の最後のひとかけらにこそ、いちばんの真実が込められている。
最終ミッションを担ってるんだよ、僕らは。

それでもやるんだ、僕らは。
それをやれるやつらは、多くは無いんだ。
だからこそ。

場所の話。
たとえば、その昔、アメリカだったら、
田舎、
つっても、アメリカは大都市以外みんな田舎だと思うけど、
田舎に生まれた者は、
ロックをやろうと思ったら、
ハリウッドに、行ったわけだ。
あとは、なに、ニューヨークとか?
しらん。

イギリス人だったら、ロンドンに出たのか?
日本人だったら、東京だと思うけど。
もっと違う国だったら、わからない、もっとチャンスは無かったのかも。

それは、ハリウッドに行けば、
ロックを鳴らす環境と、チャンスがあったからだと思う。
つまり、ロックスターってものになるチャンスが。

つまりは、田舎に居たら、
ロックスターになるチャンスや、音楽活動をする環境は、無いわけだから。

でも、今の時代は違うわけだよね。
今は、そもそも、ロックスターというものが、ほとんど存在しないわけだ。
少なくとも、昔とくらべれば、もうまったく存在しないと言っていいほどに。

だから、ミュージシャンがやるべきことは、ハリウッドに行くことじゃない。
ハリウッドに行ってロックスターになるのではなくて、
ローカルミュージシャンとして、インディペンデントミュージシャンとして、
音楽活動を続けていくことができる場所、
そうした環境や、土壌がある場所、
そこへ行くんだよね。

そんな場所すら、世界の中で、果たしてどれだけ本当に残されているのか。

でも、自分もそうした行動原理に従って生きていかなきゃいけない。

今までそうしてきたように、
これからも、オリジナルな生き方を見つけていくことができるのか。

僕らのちっぽけなバンドはどうなるのか。音楽はどこへいくのか。

答えは知らない。
でも、ただひとつ、なにがどうあれ、すべての答えは、自分の手と、ギターの弦が交差する、その一点にしか無い。

それはわかってる。

その一点にすべてを賭けるのがロマンでしょうか。
ロマン、貧乏、やせがまん。

ごめん、神さん、
俺、きっとあなたのexpectationに応えられてないと思うけど……

これも罪の一環ってことで。

No(865)

■…2012年 4月30日 (Mon)…….empty and white
昨日は横浜のSt.MaurインターナショナルスクールのFood Fairのお祭りにて、
ヤオさんのレゲエバンドの一員としてギターを弾いてきました。

前回やったのは一昨年で、二度目の参加だったけど、
やっぱりここは日本じゃないなあ。
詳細は省略。
貴重な機会に感謝。

さて、自分のバンドのライヴの告知もしなければいけないし、
(卑屈にならずにがんばって)
やらなければいけないことはいくつかありますが、

またそれほど意味のないひとりごとを綴ろうと思います。

寝ていて、夜に夢を見たりするし、
何度も同じようなテーマで見る夢もあるし、
本当にこれでよいのか、
やりのこしたことはないか

そんなふうに思う年齢になったし

たぶん完璧ではないだろうし、
神様の期待に沿えられてない部分も
あるだろうけれど

なんだろうね
自分に対してなぐさめの言葉があるとしたら
わりと、少なくとも音楽的には
たましい的には、
理想を求めて
give, give, giveすることを
やってきて、
今、ああ、どんどん、
人間的にも、人格的にも
からっぽになってきてるなあ

って。
いろんなものが
でもね
それでいいのかもと思うようにして

からっぽになったら
本当にからっぽになったら
その中に神さんがいろいろ入れてくれるだろうから

と思いました。
本当に、ぜんぶからっぽになるまで。
やりましょう。

No(866)

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