2013年11月の日記

■…2013年11月 7日 (Fri)…….まとめ日記
ギターの件の俺なりの答え合わせとともに、
Facebookの殴り書きまとめ、
あと雑記。

レスポール調べた時に、某T社のギターのことを「こんなの楽器じゃない」と思ったが、よく考えるとそもそも世の中のエレクトリックギターの99.999%は楽器と呼べるレベルにないことが判明。そんな欠陥楽器を使って作られてきたロックの歴史。今まで俺が聴いてきた音楽は何だったんだ。そして今までの自分のギタープレイは何だったんだ。省みることしばし。

Too beautiful, made in Japan Les Paul. (not mine) しかし残念ながらこのBacchusのClassic Seriesは既に生産中止になっているラインとのこと。値段の高いモデルや、Momoseブランドはもちろんありますが、この値段で本物といえる楽器を手に入れる機会は、多くはないでしょう。

なんにせよ本物は「本物ですよ」なんてわかりやすく看板出して売ってるわけないです。しれっと普通に売ってるんです。先日書いたように、これでまんまヴィンテージの音が出るってわけじゃない。でも、それでいい。これは間違いなく本物の楽器なんですから。俺は、ギターやロックについての価値観を完全にくつがえされました。尊敬に値する楽器メーカーですね。
こちら年モデル順次完成/

エクストリーム日本ツアー中にScott LackとThe Lacksが「自由!」(アメリカでやるときはFreedom!)と叫んでいたけど、「自由」の反対の言葉は何だろう。辞書ではなく今の日本語の文脈の中で。僕はそれは「安心」だろうと常々思っている。そして日本人はこの「安心」というやつが大好きだ。「自由」と「安心」を並べたら、9割の人は「安心」を選ぶんじゃないだろうか。語り尽くされた陳腐な話題かもしれないが、そう思う。

すごい情けない話だが、ツアー後、2週間ぶりにスケートボードをやって、「うわ、すっげえ調子いい」とガンガンやっていたら、腰を痛めた(笑) それほどひどくはないが、日常動作はちょい辛い。これを機会にちょっと学んだ方が良さそうだ。決して、まったく、any moreぜんぜん若くはないのだから(涙) 60までスケートできる体作りに今から挑戦だ

そもそも10月もツアーでスケートボードはほとんどやっていなかったので、
もっと言うと9月の後半からやってなかったし、
その意味ではおそらく筋肉はかなりなまっていたと思われる。
原因は、筋力のなまり(特に背筋)、そこへもってきていきなり調子よくがんがんやってしまったこと、一年前や半年前と比較して、上手くなっているぶん、激しい技をやることができるようになっていたことも原因、食生活の偏り、特にビタミンCの不足、気候の変動というか寒かったから(そのせいで汗をかかず、一時間以上ずっと滑りっぱなしだったことも原因かと)、などと思われる。

しかし、よく思い出すとスケートボード以前にもここ数年来、というかもっと若い頃から、自分や背筋や腰が弱かったのではないだろうか。腰にもたぶん問題を抱えていた。
それに気付かなかっただけというか、スケートボード始めてそれが顕在化しただけと見るべきだろう。

むしろ自分はこの問題に気付くためにスケートボードを始めたのかもしれない。
もし自分がこの先、歳をとるまで演奏活動を続けるのだとしたら(疑問だが)、たぶんそのうちこの問題や、健康の問題、体の問題にぶつかっていたことだろう。
ましてやシンガーとしての体のメンテナンスや健康の管理を考えると、それは必須だ。
それをまだそれなりに若いうちに対策を始めることができた、ということだ。

後になってから、なんにもやらずに問題に気付くより、楽しく思い切り滑って問題に向き合う方がたぶん後悔がない。

まだまだこれからだ。
先は長い(と思いたい)。

自分の音楽人生も、スケート人生も。

たぶんそんなふうに神さんに言われた。

日本全国のスケートパーク、アメリカ全州スケート、制覇してやる。

No(2689)

■…2013年11月 8日 (Sat)…….基礎
という訳で(腰を痛めた記念に)、嫁さんにバレエの基本の動作をちょこっとだけ教わった。凄い気付きがいっぱいである。というか、空手でも相撲でもダンスでも、こうした歴史のある体術(?)には、体を使うことに対して、きちんとした理にかなった基礎があるのだろう。そうした基礎なしに激しい動きに挑戦していく世界の大多数の野良スケートボーダーは無謀きわまりない、ということになるのだろう。子供の頃にこうしたものを習っておくことはやはり小さなことではない。うちの嫁なんか、ベースは未だに初心者レベルだが、ベースを抱えた立ち姿だけは一流だ。こういうのは一朝一夕で身に付かない。

No(2690)

■…2013年11月28日 (Fri)…….主体性
近況のまとめというか日記。
個人の日記。

主体性というものについて考える。

たとえば孫子の兵法とか見てみると、
いかに主体性というか主導権を握るかということが重要なテーマになっている。

老子なんか見ても、同じことで、
孫子が、敵とか競争相手に大して主体性を握ることだとしたら、
老子とかは、この世界そのものに大して主体性や主導権を握ることについて書かれているんだと思う。

とりあえず、今年のいちばんの仕事である、The Extreme Tour Japanを終えて、ひと月たって、ようやく少しずつ気持ちを整理することができるようになってきた。

結構たいしたことをやったという実感は持っている。

ひとまず、うちのバンドについていえば、
ここ何年か、ジェイクが加入してからは、毎年のようにアメリカに演奏しに行ってたわけだ。つまりその、アメリカツアーを。

それはもちろんバンドとしては最高だったし、日本のバンドマンとしては、もちろん素晴らしい体験だったわけなんだけれど、
まあロックバンドとしては必須というか。

で、今年はもう、気持ち的にも予算的にもアメリカ行く余力ないなあ、と思っていたら、アメリカの方からこっちに来てくれた。

主体性ってこういうことじゃないかと思う。

つまりは、あたりまえのことなんだけれど、
僕らの世代には、もうアメリカだの日本だのアジアだのというこだわりはないし、
向こうで演奏するときにも、「てめえら米国の田舎モンが、これが日本の進化したロックだ聴きやがれ」という感じだし(アメリカは巨大な田舎だということは常識)

別にアメリカがAwesomeなわけではなく、
自分たちがAwesomeであることが大事なわけだ。
(環境がいいから”略奪”しに行ってるだけで)
(図式としては、ブリティッシュバンドが伝統的にアメリカから”略奪”するのと同じだ)

だから自分たちがAwesomeであれば、日本でも良いツアー、画期的なツアーや演奏をすることができる。

日本のバンドにとって、アメリカでツアーして良い結果を残すということは、ひとつ素晴らしいことではあるけれど、
今回は、そこからもう一歩踏み出して、
アメリカのロックな環境を、アメリカそのものを、日本に連れてくることができた、
これは、もう一歩進んだ成果だったんじゃないかと思う。

見ればわかると思うが、
僕らImari Tonesと、このThe Extreme Tourっていうものは、非常に相性が良い。
だから、2011年のナッシュビルのThe Objectiveの時の非常に幸福でドラマティックな出会いから、
翌年の西海岸のツアーときて、
今年の日本とあいなった。

The Extreme Tourは間違いなくカッティングエッジだし、
ミュージシャンとしても時代の先端のスタイルで、時代の先端の生き方をしているミュージシャンたちの集まりだ。
クリスチャンロック、クリスチャンアーティストとしての在り方も、それはもう、非常に濃い。つまり理屈ではないし、見せかけでもない。
実際に信仰を生きるということだ。語るのではなくて。

簡単に言うと、アメリカや世界のクリスチャンミュージシャンの中でも、いちばんクレイジーな連中だ。

そんな連中、アメリカでも最先端にクレイジーでカッティングエッジな連中のツアーを、日本に持ってくることができた、
それは、もう、とても素晴らしいことをやったと思っている。

それはひとつ、僕らの立ち位置だから出来たことだろうという自負は持っている。

主体性ってことに話を戻すと、
自分たちがわざわざ動くことなく、
自分たちがアメリカに行かなくても、
アメリカの方からこっちにやって来た。

これは、一種、理想的な状況で、
自分が動くのではなく、相手を動かす、というか、
戦わずして勝つ、みたいな状態だ。

昨年、彼らに、日本でやりたい、と言われたときに、
「無理無理」って言ったし、
日本に帰ってから相談した人全員が、
「無理」って言ったし、
俺も無理って思ったけど、
まあしょうがないからやってみるか、
ってやってみた結果として、
この主体性という立ち位置を獲得した。

First Ever、
つまり初めて行われた、新しい試みの
このThe Extreme Tour Japan、
思いのほか好評で、
来年以降にも広がっていきそうな感じになっていること、

何かを始めること、
何か新しいことを始めるということは、
簡単なことではないのだから、
これがうまくいったということは、
続けるべきだろうか、
続けるべきだということなんだろうか、
と、思案している。

もとより、
来年、来年以降のプランについては悩んでいる。

僕らのバンドとしての目標は、
なんといっても世界征服であるわけだから、
その目標に向けての必須項目であるアメリカ遠征を
また行うべきか、

あるいはもとより、今の時代にあっては
世界征服なんていっても、
インターネットを攻める方がよほど重要かもしれないから、
そちらをやる方が優先度は高いのかもしれないし。
そちらでも、やりたいと思っていること、やらなければいけないことはある。
戦術って思っても、座して勝つ、っていうのが、本当に勝つってことなのだろうから。

とはいえ、訪れなければいけない場所、
会いにいかなければいけない人もいるのも事実だ。

また、音楽的な素養の部分で、
うちのバンドが活躍すべき、”略奪”すべきフィールドは、
やはり日本よりはアメリカとか世界であるというのも事実で。
理想ではアジアとか南米とか行きたいけどね、いわゆる欧米でない場所に。

だが僕たちは、バンドマンとしての生き方としては、
早熟な天才として社会的に成功を収めることよりも、
ローカルなただのバンドマンとして、
時間をかけて追求していくことを選んだ人間なのだ。
(その理由は、プレイヤーとしての優劣は、肉体に向き合うことだが、ソングライターとしての優劣は、世界と人生に向き合うことだからだ)

本当の成功に向けて、事をあせる必要はないし、
目先のことに目を奪われて主体性を失うのがいちばんよくない。
それもわかってはいるつもりだ。

とにもかくにも、
日本でこのThe Extreme Tourというカッティングエッジなミッショナリーツアーを行うことができたこと、
これは、ドラマとしても何年も前から、それこそ僕らがクリスチャンバンドとなり、初めてアメリカの地を踏んだ瞬間から、続いてきているドラマであるし。
常に日本の状況を変えたいと、日本のために祈ってきた僕らの、そのひとつの形となった表れでもある。

自分たちの信じるロックというのもの、
自分たちの信じるクリスチャンロックというもの、
自分たちの信じる信仰というもの、
自分たちの信じるミュージシャンとしての生き方というもの、
それを、日本でこうして鳴らし、人々に見せることができることができたのだから。

自分の中の魂の宿題として、
これがどれだけ大きな意味を、僕たちにとってあるか、
それはとても言葉にできないくらいのものだ。

自分の魂に与えられた宿題を、
ひとつやり遂げたな、という思いはある。

さて、で、これを一回きりでなくて、
続けていけるものにしなくてはいけない。
そのためには、他人というか、
いろんな人にこれをパスすることが必要だし、
そのために僕はツアー期間中、
いろんな人に彼らを合わせ、巻き込むように努めた。

それは想像以上にうまくいったし、
たぶんパスできるはずだ。
受け取ってください、ぜひ。

そういうことだと思う。

で、主体性。
ミュージシャンとしての。
ツアーが終わってから一ヶ月、
すでに僕は、この一ヶ月で、
ギタープレイヤーとしても、
ずいぶんと進化し、変化し、
ステップを上ったつもりだ。
シンガーとしてもまたひとつ壁を突き破っているし、
また、スケーターとしてもこれからもうちょっとましになっていくはずだ。

昨日の自分はもう終わったものであり、今の自分はその先へ行っている。

大事なのは、どこへ行くか、何をするか、ではなく、
いちばん大事なのは、Awesomeであり続けること。

ひとまずは、録音制作、またやりますので、
それを、やり終えると、すでに春になっているかな。
3月、いや、4月までかかるだろうか。
その頃には、もうプランを決定しなければいけない。

いや、生活、きついからね、
本当に、来年はバンドとして、どういうふうに動くべきか。

とりあえず、
録音制作もだけど、
個人的にやらなくてはいけない制作、
作らなくてはいけない音楽が目の前にひとつある。
それは、自分たちのための音楽ではなくて、
ある人に歌ってもらいたいと思っている音楽。
採用されるかどうかわからない。
けれど、そこは大した問題じゃない。

やります。
やっと時間、取れるんで。

バンドとして、ミュージシャンとして、
一介のバンドマンとして、
主体性を失わないこと。

考えます。

なぜなら、世界に対して、
今、主導権は、間違いなく僕らの手の中にあるのだから。

主体性、主導権を握るというのは、
いちばん大事なことを見失わない、
いちばん大事なことをやり続ける、
というそのことだ。

じゃあ、僕らの主体性の根本にある、
いちばん大事なことは
なんだったのか、というと、
それは神さんに仕える、
神さんのために音楽を演奏する、
Serving God
Following Jesus
そして神さんのためにロックする、
そのことでしょ。
神さんのために、自分らのロックな生き様を、
生贄のようにして捧げるんでしょ。
限りなく、不純物を含まないようにして。

そこさえ見失わなければ。

最後にはどうせ負け犬のようにして十字架なり何なりにかかって死ぬんだろうから。

僕らが目指しているのは、
いわゆる資本主義的、民主主義的な枠組みでいう
成功ではない。

じゃあどんな成功なのかといえば、
それは未来のことなので、わからん。

あとは辛抱ですよ。
英語でいうとPersistence、
ってところか。
日本語で言うと、のんびりまったり、あせらず続けること。
勝利に向かってあせるんではなく、
もう勝利は手の内にある、
もう勝利した、という気持ちでのんびりやること。

いつも思うけど僕は、
よし、ギターを練習するぞ、って思うことはなくて、
それは、いつも、
しまった、またうっかりギターを練習してしまった、
というふうになるからだ。
気が付くと、既にギターを弾いてしまっている。
その部分は大事にしたい。何事においても。

つまりは、できないことはやらない。
できることは、やろうと思う前にそうなっているはずだから。
それは、エディ・ヴァン・ヘイレンから教わった哲学でもある。

個人的なノートだけど、
日本ツアーが終わってから、
ひとつ、またメモを書いて、壁に貼付けた。
いわく、

“The Rule of This Game”
1、才能の無いやつは、才能のある奴に絶対勝てない。
2、一番面白いことをやっている奴が、ゲームの勝者だ。
3、勝利とは、最上のものをつかむことである。
“そして君の望む革命とは、いったいどんなものなのか”

こんな感じ。
意味分からないかもしれないし、
ええ、って思うかもしれないけれど、
これが、たぶん自分がたどりついた中では、
いちばん残酷で、いちばん本質的なこと。

でもね僕らは、現代の資本主義とか、
現代の民主主義から、
一歩踏み出したその先へ、行けると思うんです。

最上のものをつかむには、
いくらお金があっても最上のものをつかむことはできないのだからね。
この前レスポールを研究してみたときもそうだった。

そこは、才能です。
残酷なほどに、そう思う。

そして、資本主義社会や、民主主義社会の枠組みの中で、
いわゆる成功をつかむということと、
本当に最上のものをつかむ、ということは、
違う。
残酷なほどに、違う。

で、それは、江戸時代の昔から、
そのまた以前の昔から、
そうだったと思うんだ。

世界に対して主導権を握る準備はいいか。

ここが世界の中心だ。
ここがいちばんカッティングエッジで熱い場所だ。
僕らはAwesomeであり続けるんだ。

有り体に言えば、
苦心してアメリカなりヨーロッパに行こうとするよりは、
行きたいときにどこへでも行けるようにしたい。
どこにでも行ける状況を作り出したい。
そうすればアジアツアーでもできるじゃない?

神よ日本を守りたまえ。
この国の上にどうか慈悲を。
本当に。

No(2781)

■…2013年11月28日 (Fri)…….良し悪し
ギターが音楽を作る道具であるように、音楽は人生を作る道具だ。音楽を聴いて感動して、そこからどんな人生を作るかは君次第。

楽器用の木材に良いも悪いもない。なぜならそこからどんな楽器を作り出すかは職人次第だから。ギターに良いも悪いもない。なぜならそこからどんな音楽を作り出すかはミュージシャン次第だから。音楽に良いも悪いもない。なぜならそこからどんな人生を作り出すかは聴いた人次第だから。人生に良いも悪いもない。なぜなら人生とは、明日の世界を作り出すことだから。そして明日のことなど、誰にもわからないから。

No(2782)

■…2013年11月28日 (Fri)…….パラレルな旅
夢の中で、どこかの公園で3対1でサッカーをしていた。「ボールを取るまで返さない」と言われ、ダーティーなラフプレイをされたので「ふざけんなボケナス」と言いながらショルダータックルしたら、次の瞬間、横で寝ている嫁さんに肩でタックルしてた。自分がおかしくて笑いをこらえるのに必死だった。

夢の中ではいろいろやってたが、親しい親類にCDを届けに行っていた気がする。その帰りに、なぜか夜の公園でサッカーを。サッカーは知らないが、ゲームにはちゃんと勝ったようだ。帰れたのだから。

もし帰れなかったらどうだったのかとも思うが、感覚として、じゃあ今戻って目が覚めたここはどこなのか、と。感覚としては、不自由な仮住まいの空間(次元)にタックルのショックでふと戻ってしまったような。決して感覚として自由な感じはしない。

じゃあなぜそんな魂として不自由な場所に戻る、居るのか、といったらそれは、大事な人、大事な人たちがそこに居るからだ。大事なことがあって、約束がそこにあるからだ。それは、子供のままごとの中のような約束かもしれない。でも、それがままごとでも、約束には変わりがない。

そう思うと、この世でのいろんなことにこだわっているのが、馬鹿みたいに思うのだ。この世界(この惑星、次元)でやっていることはままごとに過ぎない。ままごとの中で権力や覇権を争ってどうするのだ。僕らは、ただ友人との約束を果たすためにここに居るだけなのだ。

最近、夢があれなのよ。昨年のあることをきっかけに鮮明な夢を見ることになったのかもしれないけれど。この前はなぜかエリザベス女王に会ったし。イギリスの歴史とかダイアナさんのこととか話してくれたし。オーストラリアをネタにしたジョークも言ってくれた。

ああここ(この物質の次元)は魂の巡回ルートの中で、いちばん不自由で制約の多い(それほど重要でない)ひとつの場所に過ぎないんだな、と。決してここがすべてではない。

そこまで思ったときに、聴いたばかりのブッチャーズの「パラレルなユニゾン」が鳴ったのね、頭の中で。そして、枕元でぬいぐるみが、ぱたっと転んだのだ。ああ、そういうことか、これはメッセージだ、と。パラレルなユニゾンは、すぐ隣の音階にいて、一緒に鳴っているのだと。

この世界から卒業してしまった人たちからのメッセージとして、これほどはっきりしたものはないと。つまり、僕らは一緒にいるのだと。すぐ隣の音程で。たとえ見ること、聴くことができなくとも。すぐそばで平行なユニゾンを奏でているのだと。

しかし「レクイエム」で始まって「パラレルなユニゾン」(とアンニュイ)で終わるこのアルバムははっきりと死とその向こうからのメッセージを含んでいる。それが偶然だったとして、吉村氏はとんでもない芸術家だったと言わざるを得ない。いったいどういう気持ちで彼は最後の日々を生きていたのだろう。

永遠にたどり着いてしまった、向こう側に手を伸ばしつかんでしまった彼の、そしてそれを音に最後の作品に刻み込んだ彼の、音楽家としての最後の日々は。考えるだけで震えてくる。悲しみではなく、興奮と武者震いに。どちらにせよきっと何も言わなかったんだろうな。少し笑えてくる。

とても考えられないレベルの作品だ。現実とは思えない。ありえない。やばすぎる吉村秀樹。いや、この世界が、この宇宙がやばいのか。この世界を包み込む魂こそがやばいのか。それは時も、場所も、次元も超えて無限に巨大なのだから。

感想として支離滅裂だwww

俺は生まれて初めて「かなわない」と思ったぞ。うわあ、こりゃかなわんわ、と。それは結構うれしいことだ。

No(2783)

■…2013年11月28日 (Fri)…….限界
民主主義の終焉ですか。

こちら
(秘密保護法案成立したというニュース)

No(2784)

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