2013年12月の日記

■…2013年12月14日 (Sun)…….撃ち殺される自由
Nike SBのスケートビデオがなんだか良い。
昨年の10月からスケートボードを始めて、それからスケートビデオは結構見るようにしている。
今年いっぱいに出たやつはメジャーなやつとかなるべく見るようにしてるのね。

それは、つまり、始めたばかりの今だから体験できる、吸収できるものがあるだろうから。
たとえばギターを始めたばかりの頃とか、
ロックを聞き始めたばかりのティーンエイジャーの頃、
その頃に聴いた音楽やバンドというのは、自分にとってすごく大きな影響というか当然基礎になっている。

それと同じで、始めたばかりの頃に見たものというのは、その後の自分のバックグラウンドというか基礎になっていくだろうから。

そして貴重なのは、
僕と同世代のプロスケーターの人たちは、すでにその世界ではとうの昔に伝説を作り上げたレジェンドで、
彼らが90年代とかに見ていたもの、当時見ていた時代背景とかバックグラウンド、
もちろん僕も同じ時代にティーンエイジャーをやっていたわけだけれど、

僕はその頃のスケートボードをまったく知らず、
2012年とか2013年になって、そこから知識の吸収を始めたということ。
当時と今の状況はまったく違う。
世の中の状況もだけれど、スケートボードをめぐる状況は、まったく違う。
当然、スケートボードをやることの意味合いも違っている。

つまり、自分はもういい歳でありながら、
現在、アメリカとかでスケートボードをやっている子供とかティーンエイジャーと、同じものを見ることができる。
まったく同じではないにせよ、似たような目線で、それらのものを体験できるというのは、かなりかけがえのない機会だと思うのだ。
自分の中に、20年くらいも年下の世代とかぶる部分を持つことができるのだから。

つまり、ティーンエイジャーの子たちと話しても、Sean Maltoの話とかで盛り上がれるわけでしょ。彼らにとってSean Maltoがアイドルなのと同じように、僕にとっても彼はアイドルなわけだから(笑)

で、スケートビデオを見てる。
Thrasherのウェブサイトでもいろいろ見れるし、
YouTubeにもあるし、
DVD買うと高いけど、今はiTunesで安く買えるでしょ。

当然GirlのPretty Sweetも見たし、
ClicheもDeathwishも、BlindもAlmostもZeroも見た。
Heroinの日本勢は熱かったし、BonesとかBaker、Creatureとかは無料ダウンロードで見れたし。
Darkstarのも良かったね。
あと無名のところから出てるビデオもいっぱいThrasher経由で見れたよね。

それらの映像は、当然ながら、使われている音楽という面でも刺激があるんだけれど、

で、なんの話だったかというと、
Nike SBの今月出たビデオが、なんだかちょっと良い。

良いっていうわけじゃないんだけれど、なんだか良いんだよね。
さすがにNikeみたいな大企業にスポンサーされているスケーターたちは、
他のブランドのスケーターたちと比べても、やっぱり技術的にちょっと頭ひとつ抜けているという感じがするし、
これが今の世界のいちばん技術的にトップというかカッティングエッジなスケーターたちなのかな、という。純粋にトップオブザトップ。

決して凝ったビデオではなく、普通にシンプルなスケートビデオなんだけれど、プロダクションの質は良いし、そしてなんだか映像が明るい。機材の関係なのか何なんだか。

それは、なんだかスケートボーディングの世界の、明るい未来を示しているようで、
いや未来の世代たちの新しい自由を示しているようで、
なんだか明るい気持ちに、させてくれるのだ。
たぶん考え過ぎだけど。

なにが言いたいかというと、
実際のところ、スケートボーディングの世界では、
少なくとも90年代までは、スケートボーディングなんていうものは、
マイナーでアンダーグラウンドな、カウンターカルチャーっていうか、
カウンターなものだったんだよね。

でも、それがだんだん、メジャーな、メインストリームなものになっていって、
(アメリカとかの話だよね。日本ではぜんぜんだよね。)
そこに、Nikeとか、Addidasとか、最近ではNew Balanceとか、
そういう大企業が参入してくるようになった。

そう、靴の話か。
スケーターって、スケートボーディングって、
すごく激しく、頻繁に靴をはきつぶすから、
シューズメーカーというか靴の会社からしてみたら、
たぶんすごい美味しいマーケットだと思うんだ。
だから、靴を作る企業からしてみたら、参入しようとして当然だという気はする。

Nikeみたいな大企業が、DIY精神を大切にするアンダーグラウンドな
スケートボーディングみたいな世界に参入するにあたって、
controversialな批判とかいろいろあった、とネットには書いてある。
実際にNikeは過去に一度スケートボーディングに参入しようとして失敗した過去があるとのこと。

しかし今ではNike SBはスケートボードシューズの中でもやはりいちばんメジャーなブランドのひとつになったわけだ。
それは、やっぱり、大企業だし。
あるいは、その事実こそが、スケートボーディングが、アンダーグラウンドなものではなくて、メインストリームなものになったということの証かもしれないけれど。

Thrasherのページに書き込まれたコメントを見ると、
やっぱり今でも、Nikeみたいなメジャーな企業が、スケートボーディングの世界で商売やってるってことに対しては、批判とか拒否反応があるみたい。

それはそれでとても健全な反応だと思う。

実際に僕も、NIKEの製品、いいんだろうけど、Nike SBの靴を自分で履こうとは一切思わないし。
だったらまだLakai履くよ、って思うでしょスケーターの人たちって。

ちなみに僕はFallenしか履かないって決めてるけどね、初心者なりに。

実際に、今回のNike SBのビデオ”Chronicles 2″だっけ、も、
やっぱり、ハードコアなブランドのビデオとくらべると、
ちょっと弱いっていうか、watered downされたところがあるし、
センスが必ずしも良いわけじゃない部分もある。

でも、やっぱり、その、トップ中のトップの最先端なスケーターで構成されたビデオを見ると、
やっぱり凄いな、と、思う。
それは、企業パワーというか、たとえばちょっと前に見たEric KostonモデルのCM映像を見ても思ったし。
タイガーウッズとかのオールスター総出演だったし。

で、俺はこれは健全な状態じゃないかと思うわけだ。

つまり、たとえば90年代とか、まだスケートボーディングがアンダーグラウンドだったとき、
Nikeは参入できなかった。

それは、まだ早すぎたからだよね。
誰にとって早すぎたかというと、スケートボーディングにとって早すぎた。

でも、2000年代になり、スケートボーディングが、アンダーグラウンドで成熟し、メインストリームになる準備が出来てきたとき、
そのとき、Nikeは参入した。

世の中の商業主義とかメインストリームのもろもろを、受け入れても大丈夫なくらいに、スケートボーディングは既に成熟していた、ということだよね。

結局、そうね、ロックでもそうだけど、商業主義とか、世の中のあれこれを受け入れるというのは、
タイミングの問題なのかもしれない。

十分に成熟し、コアな人たちの手を離れても大丈夫なくらいになったのであれば、
それは商業主義や世の中のあれこれを受け入れるのは、健全なことだ。
そして現在のスケートボーディングの世界に、商業主義があるのも健全なことだ。
(たぶん)

(わかんないけどね。Nike SBは、小売店に対して、すごく不利な取引を強要しているらしいから、ちょうどAppleみたいに、個人経営のローカルなスケートショップがそのせいで廃業していく、みたいな面があるみたいだし。)

けれども、そのスケートボーディングの世界の中に、いまでも、skater ownedというのか、for the skaters by the skatersみたいな価値観があるのも、とても健全なことだ。

アメリカ行ってスケートパークとかいくつか見たりすると、
これって完璧に「宗教」だよね、と思ったりしたけれど、

それは、ロックやヘヴィメタルが宗教であるのと同じ意味合いでね。

そう思うと、スケートボーディングは、
ロックやヘヴィメタルから見てもうらやましいほどに、
「コア」で「健全」な宗教くささをキープしているように思う。

それは、時代が進んでも、
音楽やギターと違って、
「身体」というか「肉体性」の部分が多いからだろうか。
脳みそによる間違った解釈の余地が少ない。

日本ではまだ「定着」していないから、
スケートボードと言っても
ファッションやカルチャーみたいな
「脳みそ」で解釈する部分が大きい、
もし日本のスケートシーンに限界があるとすればそこだけれど、
たぶんそれも変わっていく、のか?

で、何が言いたいのかというと、
政治とか民主主義についてのことなんだ。

俺は、自分の音楽やバンドとともに、
日本という国についてなんだか祈ってきた。
それは、日本でクリスチャンなんかやってるとどうしてもそうなる。

で、そしたら震災とか原発事故とかあって、
それ以降、この国が変わったか、変わらないか、といったら、
それはやっぱり変わった。

予測はしてたしわかってたけど、
最近の政治とかなんとかいう法律とか、
どうにも右寄りな方向の状況に、
息苦しさを感じたりもするのだけれど、

そこには、現在の日本という状況、
(これは、ロックや音楽をめぐる状況を含む、というか、むしろ本質的にロックや音楽をめぐる状況のこと)
現在の民主主義の枠組みの限界、
そういったものに対する落胆や絶望があるわけだ。

まあ、今に始まったわけではなくて、
最初のスタート地点の時点ですでに、
そういったものに絶望しきっていたからこそ、
僕たちは音楽をやっているわけなんだけれど、

じゃあね、現在の民主主義の枠組みというかシステムが、
うまく機能していないとして、
じゃあそれを超えた、未来の民主主義、
より優れた民主主義は、どんなものですか、って言ったら、

それはもう見えてきてるんじゃないかって。
震災以降、原発に対する反対運動なんかでデモが頻繁に起きるようになった。
今回の秘密法案でもデモがあった。
僕も原発のデモには何度か参加してみたけれど、

こういうことって、それ以前にはなかったことだった。
平和で何もない時代に生まれた僕たちの世代にとっては、
こんなことって、ありえないはずのことだった。

それが起きてる。

インターネット、facebookやtwitterで、議論がかまびすしい。
インターネットで署名を集める市民運動も広がっている。

未来の、より新しい民主主義があるとしたら、
たぶんそれはこの延長にある。
それは、もう始まってるんじゃん、って。

形じゃないんよね。
中身なんよ。

これは健全なことだと思うんだ。
そういった流れに対して、批判をするのも健全。

僕は、今度の法律にしても、
今の政治家の人たちや、政府の人たちがやっていることが、
正しいのか、間違っているのかはわからない。

基本的に、権力の座についた当事者にしか、わからないことがあるし、
国を治めるってことは、どうしてもきれいごとではないだろうから。

ただ、最近ちょっと右寄りな流れになっているといっても、
アメリカあたりの右寄りからくらべたら、まだぜんぜん左側にいるし、
それにもかかわらず、
それでもなお世間が黙っていない、
それぞれの立場から黙っていない。
これはかなり凄いことかもしれない。

わからない、
楽観はしていないし、
世界情勢を楽観もしていない。
どちらかというとかなり悲観してる。

でも、最悪を思うとき、
日本は、本当の意味で市民革命みたいなものは経験してこなかった。

戦後の平和が「嘘っぱち」のかりそめのものであったのは、
それが与えられたお仕着せのものだったからだろう。

だから、あるいはそういった出来事が、これからこの国に起こるのかもしれない。
なるべく血を流さずに起きてくれたらいいんだけど。
僕らは21世紀に生きているのだから。

21世紀って、もっと進歩した世界だったはず。

つまり、Nike SBの話からいきなりそれたのは、
日本の民主主義が、こういったことに耐えられるほど、
成熟してきたのだということを、
思ったから。

だから、これが始まりなんじゃないか。

だんだん、これが、「当たり前」になっていく。

こういったことを無視できない世界になっていく。

それが当たり前の世代が、これから生きていくのだから。

わかんない。
僕が、いつも思っていたのは、
可能性っていうことについてだった。

人間が持つ、素晴らしい未来への可能性。
21世紀の最初の10年は、僕にとって、Let Downでもあったし、
期待以上の部分もあった。

ただ音楽について見ても、社会を見ても、
ここ10年くらい、日本は僕をLet Downさせ続けている。

なんだかここ数年、日本の社会全体が、Uターンして昔に戻っていっているみたいなのも、
未来に向かっていく、その途中で、壁を超えられなかったからのように僕の目には映っている。

その壁は、霊的な壁だ。霊的っていうと、ちょっとクリスチャン的でわかりづらいけど、精神的なところというか、マインドでありスピリットの部分だ。

結局のところ、人は、社会は、民族は、国は、その霊的にふさわしいところまでしか発展できないし、そのふさわしいところへ落ち着いていく。それはそこが居心地がよいから。

霊的に発展できなければ、それ以上の科学技術や、テクノロジーや、社会制度や、文化水準を、獲得することはできない。

日本の社会は、21世紀初頭のある時点で、その壁に突き当たり、それを超えられず、引き返したように僕の目には映る。
それは、霊的な限界だ。
社会全体の。

でも、引き返さなかった人たちもいる。
多数派ではないけれど、いる。
その証拠を、いくつか僕も持っている。

願わくば、彼ら同世代の同時代人たちが、
新しい日本を切り開いていってくれることを。

わかんない、自由っていうのは、勇気のいることだ。

これは僕が思うことで、
どうしても言っておきたいけれど、

たぶんアメリカ人がFreedomっていうとき、
それは、銃で人を殺す権利のことを指していると思う。

けれども、
日本人が自由という言葉を発するとき、
それは、銃で撃ち殺される自由を意味している。

だから、日本人にとっての自由はハードルが高い。
アメリカ人がフリーダムっていうよりもたぶん。

それでも、ひるむことのない
勇気と高潔さを持った人たちだと、
僕は信じている。
僕が思う日本人という人たちは。

だいたいね。

犠牲になってやりゃいいじゃん。
世界のために。

どちらにしても、
僕は僕らは、
始めたときに既に思っていた。

お先に新しい世界へ行きますよって。

ぶっちぎりです。

これからですよ。

Tak / Imari Tones

No(2785)

■…2013年12月14日 (Sun)…….Stryper “No More Hell To Pay”の愛に満ちた感想
Stryperの新譜が、11月、日本は先行で10月の終わりに出てまして、
評判いいですね。

うちのバンドのジェイクも先日の練習のときに、聴いてみたけど良かったと言っていた。

Stryperの、オリジナルスタジオアルバムとしては4年ぶりなのかな、
“No More Hell To Pay”っていう作品ですね。

ビルボードでもアルバムチャート35位に入ったということで、
売り上げ枚数自体は80年代とは違うけれど、
これは88年の作品”In God We Trust”よりも上の順位ということで、
まさに最盛期の勢いを取り戻したというくらいの結果。

うちのバンドImari Tonesとしても、
クリスチャンヘヴィメタルなんてものを名乗って、
比較的ストレートなヘヴィメタルを演奏してるからには、
Stryperは、とても縁のあるバンドだし、関係のあるバンドです。

サイドプロジェクトの”Atsuki Ryo with Jesus Mode”ではStryperのカバーもやってるしね。

なによりうちの嫁さんは、Stryper Street Team Japanなんてものの管理人をやっている、日本でもストライパーのいちばんのファンのうちの一人だろうから、

そのStryperがこうして、出来の良い新作を発表して、世間一般でも評価されているというのは、
とても嬉しいことだし、
なにをさしおいてもとてもめでたいことであるのです。

それを踏まえて。
感想書きます。
そして酷評します。

僕は、Stryperは、もちろん好きです。
好きか嫌いかで言えば、もちろん好きなバンドです。

しかし、僕は、Stryperを、純粋に音楽的な意味で評価したことは無いのです。

Stryperの、再結成以降の、近年の活動の様子、活動の状況、
そういった流れを見守りつつ、
“世間的な意味での”傑作になることは予感しつつも、
果たしてどうなるかな、と思っていたStryperの新作。

結論から言えば、
Stryperは結局、自分にとってはどうでもいいバンドだったんだ、
という答えが出てしまった作品になりました。

非常に、問題のある言い方になりますが、
Stryperは、僕の中では、決して一流のバンドではありません。
僕の中では、Stryperは、一流ではない、B級のバンドです。

1980年代に、活躍をした、たくさんのヘヴィメタルバンド。
その中で、本当に一流のバンドは、いるけれども、
Stryperは、僕の中では、決してそうした一流のバンドではないのです。

Stryperの全盛期である1980年代から、
彼らの音楽は、一流か、二流か、そのぎりぎりのところで、常に揺れ動いていたと思います。

Stryperは、偉大なバンドです。
それは、クリスチャンロック、クリスチャンヘヴィメタルの先駆者であり、
その先駆者の名にふさわしい先進性とユニークさを持っていたからです。

けれども、純粋に音楽的に見れば、Stryperは、どう考えても、一流ではないのです。

なぜ一流でないのか、
それは、説明の難しいところです。
その判断は音楽を聴く人それぞれに任されているし、

ソングライティングの面、
演奏の面、
創造性の面、
ショウマンシップの面、
いろいろありますが、
そのどれを見てみても、
Stryperは、いわゆる「一流」のバンドたちと比較すると、
明らかに劣っているというか、明確な壁をもって、二流になってしまうんです。
Stryperが、いわゆる「しましまの格好をした色物」と見られてしまう所以です。

そしてどうしてもひとつだけ言葉にして説明するのであれば、
それはヘヴィメタルバンドとして、
「ヘヴィメタルという概念についての突き詰めが甘い」
という、この一点に凝縮されると俺は思っています。

これは、仮にも正統派ヘヴィメタルを演奏しているバンドとしての、
宿命的というか致命的な欠点だったと俺は思います。

別にB級のバンドがいけないというわけではありません。
俺だってB級のバンドは大好きだし、
B級どころかC級、D級のバンドだって大好きだし、
自分自身やってるのもそのへんのバンドだし(汗)
それはいいんです。
その音楽が、本物であるのなら。

でも、Stryperは音楽的に、どうしても本物にはなれない。
そして、結局、やはり最後まで本物にはなれなかった。
それがはっきりしたのが今回の新譜でした。
でも、それは彼らの自ら背負った宿命かもしれない。

“クリスチャンヘヴィメタル”なんていう、
矛盾したややこしいことを始めてしまったのだから。

Stryperは、客観的に見て、ロックの歴史上、間違いなくB級、二流のバンドです。
しかし、たとえそうだとしても、Stryperは、ちょっと特別なバンドです。

彼らは、B級だったとしても、
そこには、B級だけで終わらない、”プラスアルファ”があるのです。

なんでしょうね、そこは、うまく説明できない。

それは、往年のLAメタルのバンドたちが、
年齢とともに、演奏も容姿も活動も衰えていくのに対して、
Stryperは、演奏も、マイケル・スウィートの歌声も、
衰えるどころか、むしろ歳とともに向上し円熟していることであるとか、

この21世紀にあって、
再結成後のStryperは、他のヘアメタルバンド再結成組と比較しても、
他に類を見ないほどに精力的に活動していることであるとか、

当時は議論や批判を呼んだ、「クリスチャンヘヴィメタル」ということも、
今となっては、その後、世間の教会の体質が変わっていき、
クリスチャンミュージックが普及するにつれ、
またクリスチャンヘヴィメタルを体現する若い世代のバンドたちが、
たくさん現れてメインストリームになるにつれ、
逆に強固で根強いファン層を世界中に築くことになったとか、

彼らが80年代に勇気を持って切り開いたことが、
その後、実を結び、成果になっている。

それは、先駆者として、彼らがいかに大きなことをしたかということの証明でもあります。

その部分、
つまり、それは、やっぱりそれは他でもなく「信仰」というもの。

その「信仰」という要素が、
音楽的にはB級、二流であっても、
そんな彼らに、それ以上のプラスアルファを与えている。

僕はそう思うわけです。
そして、それはクリスチャンの人たちが言う”Grace”(祝福)っていう意味合いとぴったり一致するわけです。

だから、Stryperは、果てしなく”Bプラス”のバンドであるのです。
B級ではあっても、その”プラス”の部分が、果てしなく大きい、
そういうバンドだと、僕は思っています。

もちろん、客観的に見た場合にも、
Stryperには、他のバンドより優れた部分、図抜けた部分というものが、
いくつかあって、

それは、まず言うまでもなくいちばんに
Michael Sweetのヴォーカルです。
彼のヴォーカルが、ヘヴィメタル界広しといえども、
超一級のヴォーカリストであることは、疑いはない。
つまりはマイケル・スウィートのヴォーカルなしには、
Stryperは存在しない、それくらいあたりまえのことですね。

次にコーラスワーク、
Michael Sweetが、それくらい凄いヴォーカリストなのに、
実は、その隣にいるOz Foxも、それに負けないくらい歌えるという反則技。
そのきらびやかなコーラスこそが、Stryperのサウンドだったわけです。

最後に、そのきらびやかなヴィジュアルです。
もちろん、これは、80年代という時代だったからこそ可能だったことですが、
全盛期のStryperの映像なんかを見ると、
そのはなやかさ、きらびやかさに、本当に圧倒されます。

これは、こういう言い方をしてしまうと、身も蓋もないんですが、
Stryperは、アイドルだったということだと思います。
女性ファンの人たちにとっての、見目麗しいアイドルだったということ。

これは、70年代とか、80年代とかのロック、ハードロックには、
わりと当然のことだったと思うんです。
そういう時代だったしね。
で、俺は、それは素晴らしいことだったんじゃないかと思うわけです。

全盛期のStryperの、何をいちばん評価するべきかって、
それはやっぱり、ヴィジュアルだと思うんです。

個人的には、
いまいちわかってない感じのマイケルよりも、
黙っていてもいちばんシャープな顔つきのティムよりも、
そしてきちんとわかっていてメタル色を出しているオズよりも、

いちばんヴィジュアルということをわかっていたのは、
ロバートお兄ちゃんだったと俺は思っています。
つまり俺にとってはStryperイコールRobert Sweetということです。

彼は1980年の半ばに、既にジャケット写真で、
「ジョジョ立ち」をしてるんですね。
つまり、荒木飛呂彦は、Robert Sweetをかなり参考にしたんじゃないかと思うくらいで、俺としては。絶対に参考にしていないわけがない。
それくらいロバートお兄ちゃんの美意識ってことについては、俺は評価している。

評判の悪い彼のドラムがばたつくのは、
純粋なリズム感や技量の部分もあるとは思うんですが、
ステージ上で、ヴィジュアルの部分、見せる部分を重視して、必要以上に振りかぶることによるフォーム、パフォーマンスの部分が大きく影響していると俺は思います。

そしてその無駄な振りかぶりによるリズムのばたつきと、スネアサウンドの暴れは、
なんとなく和太鼓のリズムと響きを彷彿とさせるんですね。
俺だけかもしれんけれど。
それに彼のドラムセットのステージは祭りの矢倉みたいでしょ。
それも聖書なのかもしれんけど。
よく言われるように旧約聖書って神道の世界なわけだし。

正確なリズム、グルーヴ、あるいはドラマーとしての評価よりも、
彼はその大きな振りかぶりによる独特のリズムと、ヴィジュアル、そして儀式としての祭りの部分を選んだということだと思っています。

あらためて結論をまとめると、
Stryperは、アイドルとしては間違いなく一流であったが、
ヘヴィメタルバンドとしては残念ながら二流であったということです。
そして、俺はそれで良かったと思っています。

そして結論から言うと、
今回の新作、”No More Hell To Pay”は、
そんな元アイドルの彼らが、
今度こそ本当に、一流のヘヴィメタルバンドになるべく、作った作品のように俺には思えます。

もう勘弁してやってもいいんじゃないかと、俺は思います。
好きなことをやらせてあげてもいいんじゃないかと、俺は思うんです。
彼らも本当は、「男」になりたいのだから。

結果、彼らは、やっぱり本物の「男」にはなれなかった。
でも、それでいい。
ここまで、彼らは頑張ったんだから。
80年代のことだけではなく、
2000年代の再結成後も含めて、
彼らは、本当にがんばってきた。

結果、彼らはついに本物にはなれなかった。
でも、いいじゃないか。
もう、好きなように走らせてあげればいいじゃないか。

彼らは、ロックの歴史上、立派に大きな役目を果たしたのだから。

今回の新譜が世間で好評なのは、
こういうことだと、俺は解釈しています。

つまりは再評価のタイミングだったということですね。

メタ情報を言葉にすれば今回の新譜のタイトルの”No More Hell To Pay”は「再評価しろよ」という意味だったのだと俺は思います。
俺たちのやってきたことを、そろそろ正統に評価しろよ、という。

そして、世間はその準備ができていた。
だから、バンド側のその「再評価しろ」という声に、ファンが応えることができた。

俺は、再結成後のStryper、結構、高く評価しているんです。

Rebornとか、Murder By Prideのことですね。
それは、彼らが、マイケルとかね、
ミュージシャンとして、たゆまず進化と研鑽を続けてきたことによる、
成熟というのか、
きちんと時代に向き合っている作品だったし、

そして、その経験からか、
クリスチャンで、ヘヴィメタルな、アイドルグループというところから
脱皮した後の成長ですね、

全盛期はあんなに不自然で作為的だった彼らの楽曲が、
結構、自然なものになってきていたんですね。
僕が、再結成後のStryperの楽曲を、結構高く評価しているのはそこです。

きちんと、自然に伝わってくるものになっていたこと。
そして、同時代性を失っていなかったこと。

自然になったぶん、派手さは無いので、話題にはならないんですが、
中身はしっかり進化していた。

そして、そうした経緯があったからこそ、
今回の”No More Hell To Pay”も可能になったわけです。

同時代性を失わずに研鑽してきたからこそ、
世間がまた正統派クラシックヘヴィメタルを受け入れる準備が出来たタイミングで、
きちんと自らのルーツにのっとった「正統派ヘヴィメタル」の作品を作ることができた。

今、「自らのルーツにのっとった」と書いたのは、半分はウソです。
なぜなら、今回の新譜、往年のStryperのルーツとは、必ずしも関係のない音楽だから。
表面上、ストレートなヘヴィメタルだから、そういうふうに言えるだけで。

再結成後も、きちんと地道に時代に向き合って活動を積み重ねてきた上で、
得たものを、このタイミングで、一気に放ったからこそ、
今回のこの”No More Hell To Pay”の成功があります。
それは、もちろん、僕は祝福したいです。

で、ここからが、新譜の批評になるわけなんですが、

このStryperの新作”No More Hell To Pay”は、
そのタイトルも、印象的なジャケットのアートワークも、
すべてが「メタ情報」なわけです。

「これはヘヴィな傑作だぜ。Stryperは偉大なヘヴィメタルバンドだぜ。そろそろ再評価しろよお前ら。」
という。

しかし、この新譜、残念ながら、メタ情報だけなんです。

タイトルから始まり、アートワークも、
リフも、メロディも、歌詞も、構成も、
すべてがメタ情報。

そして、肝心の中身が無い。

つまりは、看板だけ立派なお店だけど、ドアを開けて中に入ってみたら何もなかったというか、
表面のハリボテだけだったというか。
それくらいコミカルな状態。

もちろん、その「これは傑作だぜ」というメタ情報を、
アートワークのみならず、
音符を使ってきちんど描くことのできたバンドの力量に関してはしっかり評価すべきです。
しかし、言ってしまえば、それは誰でもできること。
技術と知識があれば、三流のミュージシャンでもできることです。

だから、たぶん、
人によって好みはあるけれど、
この”No More Hell To Pay”、評判良いけれど、
長く聴き続けることができる作品では、あんまり無いんじゃないかな。
わりと、一回聴いて、もういいよ、ってなってしまうような。

個人的には。
前述のように、好きなんだけどそれほど良くない、
それほど良くないのに好き、
そして間違いなく尊敬も評価もしている、
自分にとってそんな複雑な思いの対象だったStryper、
2011年のLoudparkで見たときには、
本当に素晴らしくて、僕は泣いてしまったし、
もちろんそれは信仰という要素があったからなんだけれど、
(涙もろいですけどね、私)

近年の作品、Murder By Prideから、
The Covering、
そしてセルフカバーのSecond Comingと、
一定以上に評価できる作品が続いていたので、
果たして、Stryperは、ここから先、さらに進化するのだろうか

もっと言うと、俺を本気で興奮させてくれるような音楽を
作ってくれるのだろうか
という淡い期待を、少なからず持っていた。

でも、結論として、ああ、しょせんこのあたりが限界だったか、
と、
「純粋にソングライターとしての視点で」
俺は思ったわけです。

Stryperは、結局、俺にとっては永遠にB級のバンドで、
これから先も、俺が本当に夢中になれるような音楽を作ってくれることは
永遠に無いのだな、
ということが、はっきりしてしまった、ということです。

Bプラスが、Aになることは、この場合にはなかった、ということです。

新譜についてひとつ指摘するならば、
メタ情報として使われている「ヘヴィメタルの傑作」としての様式、あるいは型(かた)ですね。

それは、どうしてもやっぱりJudas Priestになってしまうということです。

誰が見てもメタルファンならわかるけれど、
今回の新譜のジャケットは、Judas Priestです。

1986年の”To Hell With The Devil”を意識して作った、というのも事実には違いないのだろうけれど、
普通に見たら、このジャケットは、
Judas Priestの、”Sad Wings of Destiny”とか、”Painkiller”へのオマージュ、
人によってはRam It Downに似てるっていう人もいるし、僕もそう思う。

そして、楽曲や、アルバムの構成としても、
メタ情報としての「型」は、Judas Priestにどうしてもなってしまうということです。
それを、ひとつひとつ指摘するのは、無粋だからしませんが。

このアルバムの内容について、2点だけ指摘したいと思います。

まあ、単刀直入な感想を言ってしまえば「つまらん」の一言なんですが。
メタ情報ばかり、というのは、どういうことかというと、

たとえばレストランに入ったら、
シェフとコックとウェイトレスが、
「俺の店は美味いぜ」
「この店の料理は素晴らしいぜ」
「すごくおいしいのよ」
と踊りながら大合唱していて、
メニューにも美味しそうな料理の写真が載っているけど、
でもいつまでたってもミックスナッツと沢庵しか出てこない、
みたいな状況なんですが、

ひとつめはギターサウンドですね。

もともと、Stryperのギターサウンドは特徴的で、
1khzあたりが妙に張り出した、中域を強調したサウンドが、
Stryperのサウンドのひとつの特徴でした。

僕は、最初にStryperを聴いたとき、
この独特のギターサウンドを、
Stryperの特徴であるコーラスワークを引き立たせるために
エンジニアとかプロデューサーがわざとやったんだろうと
思ったんですね。

でも、後になって、Michael Sweet自身が、
YouTubeの動画で、EQ使って1khzあたりをぐぐっとブーストして、
極端にレンジ感の狭くなったサウンドを、
「どうだ、パワフルになったろ!これがStryperサウンドだ!」
と誇らしげに自慢しているのを見て、卒倒しそうになったんですが、

俺は、この中域を強調したStryperならびにMichael Sweetのギターサウンドを、あまり評価していないわけです。
なんというか、勝負する前に自ら土俵を降りている気がして。

それでも、1980年代は、アナログ録音の時代ですから、よかったと思うんです。
独特の中域を強調したサウンドも、アナログ録音によって音がなじむことで、ちょうどよく飽和し、Stryperの最大の売りであるコーラスワークを、引き立たせる結果になったし、どうせ当時の録音って、そもそもギターサウンドは中域ばかりになってしまうし。

でも、デジタル時代の今は、
どうなのかな、Murder By Prideの時は、うまくサウンドが馴染んでいたのだけれど、

Second Comingではかなり気になるレベルになっていて、ちょっと心配していて、

で、この新譜のギターサウンドは、ちょっといくらなんでもやりすぎというか、酷過ぎるんじゃないかと、思います。

それがMichael Sweetの考える理想のギターサウンドということであれば、もう男として何も言わないというか、黙って席を立つだけなんですが。

マイケルとオズのギタープレイヤーとしての力量やギターソロにも触れようかと思っていたが、やっぱりやめておく。もともと、技量はなくとも、メロディアスでわかりやすく、効果的なソロを作る人たちだけれど、最初に言ったように「概念としてのヘヴィメタルの突き詰めが甘い」という言葉で包含できるように思うし。

サウンドっていうissueですでに判断できるところだし、
結局、音符の上でメタ情報をいくら詰め込むことができても、
サウンドまではごまかせない、ということだと思う。
サウンドは自らの肉体なのだから。

結局のところ、Michael SweetならびにOz Foxは、僕にとって、「ギターを弾ける人」ではあっても、「ギターを鳴らせる人」ではないということです。それでピリオド。

2点目は、メロディラインです。
というよりも、マイケル・スウィートのヴォーカルかな。

再結成後、歳を取ってから、マイケル・スウィートは、シンガーとして、劣化するどころか、むしろ向上して上手くなっていると思います。
いちばん上の音域は、昔より出ないかもしれないけれど、声の深みが増して、表現力も増して、昔よりもはっきりいってかっこよくなっている。

けれども、特にこの新譜の目指している音楽性を思うとき、
彼のこのヴォーカリストとしての実力が、逆に邪魔をしてしまっているように思います。

つまり、マイケルは上手すぎて、上手過ぎるがゆえに、平凡なメロディであっても、それなりに聞こえてしまうんですね。
結果、メロディラインの処理が、すごくつまらないというか、退屈になってしまっている。
これが、もっと「面白い」シンガーであれば、もっとエキセントリックな、スリリングなパフォーマンスが出来たんじゃないかと思うんです。

要するにマイケル・スウィートは、エキセントリックなヘヴィメタルをやるには、上手すぎて退屈だ、ということです。

概して質は高いかもしれないが、こちらの予想を上回るものは絶対に出てこないという感じでしょうか。

残酷なくらいもう一度結論みたくまとめますが、
このStryperの新譜、”No More Hell To Pay”は、
昔、アイドル的な人気を誇った、クリスチャンヘヴィメタルの先駆者Stryperが、
再結成後、着実な活動を続け、自らのやってきたことの正しさを確認し、
その上で、今度こそ本物のヘヴィメタルを作ろうとして、
Stryper史上、初めて本格的なヘヴィメタルに挑戦し、
そして見事に失敗した作品。
と言えると思います。
メタ情報を詰め込むことには成功したが、
生身のメッセージを封入することには見事に失敗しています。

でも、いいじゃない。
それが彼らのやりたかったことだったのだから。
メタ情報はしっかり伝わったし。
結果、評判いいし。

「正統派、男のヘヴィメタルバンド」としてのStryperの評価も、これで少しは、上がったでしょう。
でも、見抜ける人はちゃんと見抜いてるはず。
これがただのハリボテだってことを。

それでいいんだけどね。
バンドとしては、もう十分にロック史の中で大きな仕事をしてきてる人たちなんだから。

あと、もう一点指摘するとすれば、
Murder By Prideの時もそうだったけれど、
アルバムの中の楽曲的なハイライトが、
カバーソングになってしまう、というのは、
ちょっと痛い事実であると思います。

というわけで、俺としてはかなり酷評な感じのStryperの”No More Hell To Pay”なんですが、
その中でも、やっぱり良い曲はいくつかあります。

いちばんしっくりくるのは、
“Legacy”。
これ、今のStryperにとってのいちばん無理のないヘヴィメタルとして、
自然にすっと耳に入ってくる。

同じ感じで”Sympathy”もそうだね。
これはまさに再結成後のStryperの楽曲っていう感じで、
Murder By Prideに入っていてもおかしくない曲。
これはデイヴ・ムステインも気に入っていたらしいし、
今の彼ららしい佳曲だと思う。

あとはRenewedも個人的には好き。
この曲もメタ情報満載なので、やっぱりJudas Priestに聴こえてしまうんだけれど、それも含めて今のStryperらしいと思う。

無理してメタルぶってつっぱってる感じが良い。

なんだかんだやっぱり俺はStryperは好きですよ。

というオチでした。

No(2786)

■…2013年12月15日 (Mon)…….The only “J-Pop” band I love
週末は文章書いて終わります。

アースシェイカーという日本のハードロックバンドがありますね。

先月、11月、このアースシェイカーのライヴを見てきました。

なので感想を書きます。

僕は、いつも、
日本のバンド、ミュージシャンで、
好きなのは、
誰って聞かれると、
いろいろあるんですが、

1970年代だったら荒井由実(ユーミン)、
1980年代だったらEarthshaker、
1990年代だったら熊谷幸子、
2000年代だったらbloodthirsty butchers、
って答えてます。

1960年代だったら、
あまりわからないけど、
ゴールデンカップスかな、やっぱり。

でも、アースシェイカーと言い出したのは
わりと最近で。

実は、アースシェイカー、
ちゃんと聴いたの、やっと昨年、
2012年のことなんですよ、僕。
恥ずかしながら。

人と話しながら、
「そういえば、僕の1980年代のフェイバリットバンドは何かなあ。
80年代って、いいバンドいっぱいいるけど、これが一番好きっていうのは、なかなか言えないなあ。」
なんて言ってたんですが。

じゃあ、たぶんアースシェイカーとか聴いたらはまるかもしれないから、
自分の嗜好の傾向として。
で、聴いてみたら、予想をはるかに超えてよくて、
どっぷりはまった、と。

もともと、Van Halenとか好きだし、
ティーンエイジャーの頃から、いろんな人に、
「Van Halenとか好きだったら、アースシェイカーも好きそうだね。」
とか言われてたんだけれど、実際、ここまでちゃんと聴いてなかった、
というだけなんですけれど。

まあ日本のバンドにしたって、僕が聴いたことのあるバンドなんて
少ししか聴いてないんで、まだ知らないバンド、いっぱいあるんですが。

でも、アースシェイカーの、最初の4枚のアルバム、
EARTHSHAKER、Fugitive、Midnight Flight、Passion、
ですね、

これ、本当に、言葉にできないくらい良いんですよ。

言葉にできないっていうくらいだからできないんですけど、
日本人にとってのロック、っていう命題、
そして、日本人にとってのアメリカ、っていう命題、
これに、見事なまでに等身大かつ最短の答えを出してるように
思うんです。

それはもう、感動なんてもんじゃないわけですね。
このサウンドは、世界を制覇できる、と。

で、うおお、と、熱くなり、興奮した、と。

ここまでが昨年、2012年に聴いたところなんですが、

じゃあ、アルバムを4枚出して、
日本のハードロック、ヘヴィメタルバンドとして初めて武道館単独公演を果たし、
絶頂を極めた後、
アースシェイカーはどうなっていったのか、
と。

それが気になっていて。
それを聴くのは、また今度にしよう、と2012を暮れたわけですが、
今年、2013年に、その後のアースシェイカーを、僕は聴いてみました。

つまり、YouTubeなんかで聴いてみると、
最初の4枚、全盛期のアースシェイカー、
もう、言葉にできないくらいかっこいいんです。
武道館の映像とか、もう鼻血が出るくらいかっこいいんですね。

で、YouTubeで、そのまま、
その後の映像、80年代の後半に、Treacheryとか歌ってたり、
2000年代になってからの、再結成された後の楽曲の、どことなくチープなPVを
見たりすると、
もうびっくりするぐらいにかっこわるいわけです。

これのどこが同じバンドなんだろうか、と。
いったい何がどうなってこんなに変わってしまうものだろうか、と。

で、僕の2013年の個人的なテーマのひとつに、
「アースシェイカーは果たしていつから格好わるくなったのか、どうして格好わるくなったのか、その謎を解き明かす」
という命題が加わったわけです(笑)

で、今年、全部ってわけじゃないですが、
Earthshakerの「その後のアルバム」も結構聴いてみまして。

で、結論から言っちゃうんですが、
僕の出した結論は、いつから、とかいうまでもなく、
「アースシェイカーは最初から格好わるかった」
という結論にたどり着いたんですが(笑)

全部のアルバムをくまなく聴いたわけではないんで、
最終的な結論を語るにはまだ若干早いかもしれないんですが、

まず、アースシェイカーは、
時を経るごとに、
邦楽というのか、J-Popというのか、J-Rockというのか、
とにかくJ-Popっぽくなっていく。

そして、再結成後の楽曲、特に最近の数作のアルバムでは、
だんだんと、J-Popすら通り越して、演歌っぽくなっていく。

そして、ヴォーカリストのマーシーは、
80年代の全盛期には、「演歌っぽいメタルヴォーカリスト」
だったけれど、
今ではもはや「メタルっぽい演歌歌手」になっている!!

しかし、昨年ファンになったばかりの新米ファン、後追いファンとはいえ、
いちファンとして、この事実に、どう向き合えばいいか、
それはもう、現実をそのまま、受け入れるしかないわけです。

YesかNoかといえば、
それはもう、Yesというしかない。

だって、「これが本当の演歌メタル」バンドになっていたとしても、
良いか、悪いか、でいったら、
すごく良い、としか言えないんだもの。

先月、赤坂Blitzで、アースシェイカー見まして、
もちろん、アースシェイカー見るの、初めてだったんですが、
バンドのデビュー30周年のツアー、
そのファイナルである東京公演、
このタイミングで見ることができて、本当によかった。

で、僕は、もう、最初っから最後まで、号泣しまくりだったわけです。
昔の曲も、最近の曲も、全部ひっくるめて号泣。

よかったのはね、つまり、
僕は、もちろん、1986年の伝説の武道館公演とか、
リアルタイムで見れる術もないわけですが、

それでも、彼らのこの30周年公演は見ることができた。
それは、ある意味、1986年の伝説を目撃すると同等の
価値があったように思うのです。

時間をさかのぼって、彼らの作ってきた作品と、歴史を、見てみると、
全国のライヴハウスを制覇し、
あの伊藤政則氏のバックアップで1983年にデビューしたアースシェイカー。

ちなみにアースシェイカーの初代のヴォーカリストはラウドネスの二井原さんなわけで、
アースシェイカーは、ラウドネスとも深い因縁があるわけなのですが、
時間軸としては、元メンバーである二井原氏が加入したLoudnessよりも、いくぶん遅れて、日本のヘヴィメタルのオーバーグラウンドにデビューしたわけですね。
なんといっても、Loudnessは、その母体が、大人気アイドルグループであるLazyであったわけだし。

そして、最初の4枚のアルバムで、なんかよくわからんけれど絶大な支持を得て、
1986年1月17日、日本のハードロックバンドとして初めての武道館単独公演。

ここまでが、文句なくアースシェイカーの全盛期。

そして、その後、ライヴのサポートメンバーであったキーボードのToshi氏が加入。
それと前後して、5枚目のアルバム”Overrun”をリリース。

音楽的な自由奔放さと、バンドの勢いからすれば、
このOverrunまでは、「誰がなんと言おうとかっこいい」と言える時期です。

Overrunというアルバムは、キーボードを多用したり、サウンドがソフトになったり、してますが、そうね、ちょうどVan Halenの”5150″あたりの流れに影響されたような。

それでも、音楽性の幅とキレは、まさに全盛期アースシェイカーと言える。

で、その次のアルバム”Aftershock”から、キングレコードを離れて東芝EMIに移籍。

で、このへんからなんかおかしくなってくるわけです。

なんというか、J-Popぽくなってくる。
ひらたく言うと、有り体に言うと、
音楽性がソフトというか、ポップというか、売れ線というか、若干手加減してるみたいな音楽性になってくる。

しかし、そうはいっても、
“Aftershock”(’87)、”Smash(’88)”、
どちらも、僕は結構好きです。
確かに、ちょっと売れ線なんだけれど、

それでも、その中で、彼らはいっしょうけんめいまっすぐにロックしている。
日本人にとってのロック、というものにきちんと向き合って。

で、次のアルバム”Treachery”(’89)、
これは、どういったらいいんだろう。
デジタルビート、シーケンスサウンドを盛り込んだ先進性は、
しっかり評価されていい、
突き抜けた楽曲もいくつかある。
でも、良いアルバムかと言われたら、
僕はノーと言いたい気がする。
なんだろう、内容が”バブリー”過ぎるからなのかな(笑)

「それでも、その中で、彼らはいっしょうけんめいまっすぐにロックしている。
日本人にとってのロック、というものにきちんと向き合って。」

で、その次のアルバム”Pretty Good” (’90)、
これに至っては。
サウンドこそハードロック然として、時代的にSoldanoっぽいギターサウンドも良いけれど、
楽曲とか、考えられる限り最低な感じで、”Pretty Bad”、

「それでも、その中で、彼らはいっしょうけんめいまっすぐにロックしている。
日本人にとってのロック、というものにきちんと向き合って。」

内容はアースシェイカーとしては最低だと僕は思いますが、
それでも、やっぱり、良いんですね。
なんか、サウンドが、アンサンブルが、正直なので。

で、次のアルバム”EARTHSHAKER”(’92)
これ、ファーストとタイトルが同じなんで、iTunesに入れるときに困るんですよ。一緒になっちゃって。
このアルバムは、サウンドはぐっと一新され、ヘヴィになって、
90年代のハードロックバンドぽくなってるんですが、
それはあの全盛期の、自然体で日本人独自のロックをやってのけたあのアースシェイカーのサウンドではなくて、
なんか無理してつっぱって外人の真似しようとしてる日本のロックバンド、
になっちゃってるんですよね。
かといって、それでも日本最高峰のハードロックバンドには違いないんですが。

「それでも、その中で、彼らはいっしょうけんめいまっすぐにロックしている。
日本人にとってのロック、というものにきちんと向き合って。」

で、その次のアルバム”Real” (’93)
これも、前作と同じような、ヘヴィな90年代ハードロックの感じなんですが、
やっぱりなんか、日本人が無理してつっぱってロックやってる作風なのは否めず、
無理して「リアル&ハード」を演出してる感じは否めず、
きわめつけに90年代的演歌J-Popっぽい”Say Goodbye”なんてヒット曲まで出しちゃうわけです。
正直な言葉をいえば、これはもう「オヤジバンド」です。

「それでも、その中で、彼らはいっしょうけんめいまっすぐにロックしている。
日本人にとってのロック、というものにきちんと向き合って。」

そして、その後、彼らはベスト盤的なセルフカバーアルバム”Yesterday&Tomorrow”をリリースし、解散してしまうわけです。

ここまでの作品を分類するならば、

「これが世界で最高の日本の俺たちのロックだぜ、と情熱のままにやっていた全盛期」
“Earthshaker” ’83
“Fugitive” ’84
“Midnight Flight” ’84
“Passion” ’85

「商業的売れ線に接近していった発展期」
“Overrun” ’86
“Aftershock” ’87
“Smash” ’88

「たぶん商業的な思惑に振り回された迷走期」
“Treachery” ’89
“Pretty Good” ’90

「開き直ってハードでリアルなオヤジバンド化した終焉期」
“Earthshaker” ’92
“Real” ’93

という感じだと思います。

しかし、この解散までの道のりをたどってみただけでも、
彼らが日本の音楽業界、日本のロックに残した功績は、
ものすごーく大きいわけです。

つまり、これらのアルバムを聴くと、すぐに気付くわけです。

「歌謡ロック」も、
「歌えるハードロック」も、
「J-Rock」も、
「ロックとデジタルビートの融合」も、
「ハードでリアルな日本の本格ロック」も、
ぜんぶ、アースシェイカーが切り開いたものじゃないか、と。

つまり、90年代以降。
B’zも。
Glayも。
TM Revolutionも。
The Yellow Monkeyも。

彼らが活躍する下地を作り、切り開いたのは、
アースシェイカーじゃないか、と。

アースシェイカーが、必死になって、苦労しながら切り開いていったものが、
結果的に、後に続くバンドたちに、活躍する地平を残していった、と。

その功績は、誰が何と言おうとも、
めっちゃくちゃ大きいと思うんですよね。

日本のロック関係者は、全員、彼らに足を向けて眠れないくらいの勢いで。

で、問題は、再結成後、
現在の彼らです。

僕は、再結成後のアルバムのうち、
最初の3枚、
“birthday”、”そこにある詩”、”faith”
はまだ聴いてません。

聴きたいんだけど、それはまた来年以降で。

で、”Aim”(2007)以降は全部聴いてみてるんですね。

それは、最初に”Aim”を聴いたら、ものすごく良かったので、
その前にいくよりも、その後を聴きたくなったから。

で、その”Aim”以降の印象なんですが、
これは、現在のアースシェイカー、
80年代後半や、90年代よりも、
さらに輪をかけて、邦楽っていうのか、
J-Pop、J-Rockっぽくなってると思います。
あくまで僕自身の印象だけれども。

それはつまり、どういうことかというと、
90年代、2000年代以降の、
日本のロックバンド、
ヴィジュアル系とか、そういうのも含めて、
そういったバンドの音から、吸収しているという
ことだと、僕は思います。

もちろん、海外の新しいバンドの音も、きっちり吸収していってるのもわかるんだけれども、
アースシェイカーは、やっぱり今でも、「日本人にとってのロック」という命題に、しっかり向き合っていると思う。
それは、彼らのキャリアを、その時々で浮き沈みはあっても、一貫して彼らのキャリアの根底に流れているものです。

そして、現在のアースシェイカーが、90年代以降のJ-Rockバンドから、学び、吸収し、変な話、「パクって」いったとしても、
それは全然悪いことではないと思うんです。

なぜなら、そもそもがその”J-Rock”、”J-Pop”というものを発明し、地平を切り開いたのは、彼ら自身なのだから。

その彼らが、その自身の切り開いた、「歌謡ロック」「J-Rock」という表現を、さらに進化させていくのは、ごく真っ当なことだと思うのです。

そして、彼らは実際にそれをやっている。

彼らの思う「日本語ハードロック」「日本語によるJ-Rock」のサウンドを、さらに高め、進化させ続けている。

そして、その表現は、もはや演歌の域に達していると思います。

“Course of Life”以降かな、特に。
ここ何作の作品で、彼らのその円熟した「ネオJ-Rock」のサウンドも、
極めきったというか、いくらかマンネリの域に達しつつある印象があります。

しかし、その「マンネリ」の域に達したというのが、
今の彼らの凄みだと思うのです。

マンネリとは、つまり、「型」が完全に出来上がった、ということ。
表現に、深みと、いぶし銀の凄みが出てくるのは、そこからなんじゃないかと。

ライヴ見ると、そしてYouTubeなんかでも、ライヴの動画を見ると、
わかるんです。
今のマーシーは、メタルシンガー、ロックシンガーというよりは、
メタルっぽい、ロックっぽい演歌歌手のようだ、と書いたけれど、

不思議なことに、ステージ上の彼には、まるで大御所のベテラン演歌歌手のような凄みが感じられる。

たとえ昔のように声が出なくても、いや、声が出ないからこそ、衰えが見えるからこそ、可能になる表現がある。
いぶし銀の凄みっていうのは、そういうことなのかもしれない、と。

つまり、声が出なくなってからが、本当のシンガーの表現なのだと。
矛盾してるけど。

見ているだけで泣けるんだよ。

まあ、まだまだ全然出てるけどね、マーシーの声。

結論をここで書くけれどね。
そういう、紆余曲折、浮き沈みを、時代を経て、
あるいは挫折し、挫かれ、潰され、
それでも先頭を走り、走り続け、
そして、常に日本人にとってのロックという命題に挑戦し続け、
そして、そうした紆余曲折を経ても、
決して良いことばかりではないそれらの道のりを経ても、
今でも熱くロックし、時代に向き合い、新しい音を鳴らそうと
挑戦し続ける。

なんていうのかな。
言葉で言えないんだけれど、
そのロックへの愛情、情熱、
そんなものを感じて、どうしても泣けてしまうんだよ。
今のアースシェイカーは。
まさに演歌なんだけれどね。

アースシェイカーを聴いてぐっとくるのは、
僕の愛国心ゲージが、満タン近くになってる時なのかもしれないけれど、
どちらにせよ、
アースシェイカーは、僕が唯一好きな、”J-Pop”、”J-Rock”のバンドなのだと思う。

それは、やっぱり、オリジネイターだからだよね。

ほら、21世紀になってからこっち、
Anthemもなんだか再評価されてるし、
Loudnessも再評価の流れというか、
クラシックメタル再評価の時代の流れにつれて、
彼らはいまだに、大きなホールでコンサートやってるじゃない。

でも、アースシェイカーは、
今では、毎年のように。
全国の小さなライヴハウスを、回っている。
たぶん、地方では、動員がそれほどない日もあるに違いない。

日本の、いわゆるジャパメタのバンドの中で、
いちばん最初に武道館を制覇した、
ジャパメタを代表するナンバーワンのバンドであるにもかかわらず。
彼らは全国の小さなライヴハウスを、「どさ回り」しているわけだ。

でもね、それって、
すごく幸福なことだと、俺は思う。
だって、それこそがロックバンドの原点であり、本質じゃない!

だから、アースシェイカーは、やっぱり、ロックをいちばん愛し、
ロックにいちばん愛されているバンドなんだよ、今でも。

だからね、アースシェイカーは、やっぱり最初から、かっこわるいバンドだったんだ。
ダサいもの、初期の作品だって、冷静に聴くと、やっぱり。

ただ、彼らの全盛期にあったのは、
「俺たちが天下無敵のアースシェイカー、俺たちのロックは世界で最高だぜ!」
という、世界を呑み込むような自信と情熱だったのだと思う。
それが、初期の彼らのあのとんでもないスケールの大きなサウンドを可能にした。
それは、日本だのアメリカだの、そんなくだらない話がどうでもいいくらいに、ここにしかない最高のロックだった。

でも世間はそんな彼らに決して甘くはなく、
彼らは日本の音楽業界の都合の中で、その純粋なサウンドを失っていった。
それでも彼らはロックし続けた。

その初期の純粋さを、たとえ失ってしまったとしても、
それでもアースシェイカーの、シャラの、マーシーの、カイの、クドーの、
あの4人の、ロックへの愛情と、情熱を、消すことは、
誰にもできなかったということだと思う。

それだけでも僕には十分だ。

さて、シャラが、僕にとって、好きなギタリストかと聞かれると、
答えるのが難しいところだ。
すごく好きなギタリストだと思うけれど、
好きになれるところと、好きになれないところと両方がある。

で、これは余談に過ぎないけれど、
シャラさん、今、フジゲンのいちばん高いやつ使ってるじゃない。
レスポールぽい形の、タイムレスティンバーのやつ。

この前、僕がレスポールをいろいろ弾いて調べたときに、
国産T社の特許付きレスポールを、僕は、
「こんなの楽器じゃない。こんなギターで作られた音楽は聴きたくない。」
と思ったけれど、

ライヴで聴いたシャラさんのフジゲン、
まさにそんな感じの音してた。

うるさいよ!(笑)

でも、シャラさんにとってはきっと必要な楽器だったんだろうな。

それが彼のたどり着いた答えなのであれば。

あと最後にもうひとつ。
マーシーの英語、本当に笑っちゃうほどひどいです(笑)

でもこれは、仕方ないね。

素晴らしい日本のバンドを知ることができて良かったと思います。

あと、その11月の赤坂のライヴ、まさに終演してSEが鳴り終えたその瞬間に、地震が起こってびっくりしたよね。
まさにアースシェイカー、つって!

No(2787)

■…2013年12月16日 (Tue)…….永遠のブッチャーズ
bloodthirsty butchersの新譜 “YOUTH” が本当に素晴らしい。
素晴らしい、なんていう月並みな言葉では済まないくらいの作品なのだけれど、
素晴らしいというしかないのでしょうがない。

でも全国のファンの皆さんはこの作品をどう受け取っているんだろう。

これ、リーダーの吉村氏が、作品の完成後、今年の5月に急逝してしまって、結果的に彼の遺作、事実上ブッチャーズとして最後のアルバムになってしまった作品なのだけれど、
もちろん僕もブッチャーズのかなりファンであるとは思うのだけれど、
2010年にリリースされた前作「無題」はものすごい傑作だったのだけれど、
今回のこの作品は、なんかもう、どう感想を書いていいのか、
言葉にすらできないというか、言葉にするのもはばかられるというのか、
僕も、それなりに自分の人生の中で、縁のあったものの範囲の中では、
いろいろと素晴らしく、すさまじくすごい音楽に、触れてきているはずだと思うけれども、
これほどのもの、っていうよりも、こういった意味合いでここまでのものが
今まであっただろうか
なんというか、信じられん、これが現実とは信じられないくらいの内容なのだ

ブッチャーズってね、
ずっと好きだったし、

僕がブッチャーズをちゃんと聴いて好きになったのは、
2003年の暮れか2004年の初頭あたりのことだったか。

当時、うちのバンドImari Tonesが、結成の段階というか、
それまで一人でいろいろあたためていたものが、
バンドの形になるところで、
メンバーの皆で一緒に一軒の家に住んでいたのだけれど、
その際に、ドラマーのはらっちが、ブッチャーズもそうだけど、
ナンバーガールとか好きで、
それで彼の持っているCDをいろいろ聴かせてもらって、
僕はその中で、もういちばんにブッチャーズが大好きになってしまったのだ。

で、初めてライヴを見たのはその半年後くらいだったか、
ちょうど、ブッチャーズに田淵ひさ子さんが加入して、
3人編成のスリーピース「サンカク△」から「シカク□」になったところだった。

それから、ブッチャーズのライヴ、何度見ただろう。
7、8回くらいかな。もっと見てるかな。

で、なんだかんだと、+/–{plus/minus}もブッチャーズ経由で知って好きになったわけだし、
正直プラスマイナスを知ってからは、あんまりプラスマイナスが凄過ぎるので、
僕の中でブッチャーズが若干かすんでたんだけれど、

2010年の「無題 NO ALBUM」が突然変異のように凄まじい作品だったので、

「NO ALBUM」を聴いて、僕は、
ああ、日本のロックバンドでもうこれ以上のものを聴くことは無いのだな、
と悟ってしまったくらいで

その後、今年になり吉村氏急逝、
そりゃあれだけ酒の問題を抱えていれば、とも思えるけれど

それは僕にとって他でもなく何よりも
日本のロックというものの
ひとつの終わりを告げる出来事だったのだけれど

2013年、
僕は個人的に、音楽的に、
自分にとって節目となるようなこのような出来事を
いくつも経験している

けれどもブッチャーズは吉村氏は、
少なくともこの遺作となる最後の作品を
きちんと完成させてから
去っていってくれた

だからこの作品を聴くことは
僕にとって
その個人的な音楽的な人生の節目となる
きわめつけの体験なのだ

で、そのアルバムの内容は
もうそれは想像を超えていた

つまり
何なのだろうね
予感なのか
天才なのか
必然なのか

この音楽の中には
吉村氏が、急逝してしまうことが
予測されていたように
必然として織り込み済みであったかのように

生と死を超えたところからの
メッセージが詰まっている

最初に書いちゃうけれど
この作品のタイトル”YOUTH”
これは翻訳するのであれば
「永遠」
と読むことができるし
読むべきだと、僕は思う

冷静に作品を見てみれば
作風としては、
前作「無題」のとんでもない緊張感は
ここには必ずしもなくて

むしろその前の作品「ギタリストを殺さないで」までに見られた
自然体で前向きなブッチャーズとしての力まない表現がそこにある

だから作風としては
「無題」と「ギタリスト」の中間くらいのサウンドになっている
と言えると思う。

「ギタリスト」の前向きで自然体なロックを、「無題」の切れ味で調理したような音というか。

でも、一度「無題」を経験して通り過ぎているから
むしろここにある「普通のブッチャーズ」は、
なんだかすがすがしく気持ちよい開放感を感じさせるものだ

なんだかふっきれたような普通のブッチャーズ。

その意味では「無題」にあったような驚異的なマジックはここにはない。

じゃあ、これは「無題」にくらべて劣る作品なのかというと
全然そんなことはなくて

ここには「無題」を超えた、その先のメッセージが込められているということ。

で、この作品を受け取った感想としては
ああ、吉村氏が逝ってしまったのは
それは悲しむべきことではなくて
きちんと音楽的に予定されていた必然であったのだなと

それがわかった
そんなふうに

だからもう悲しまなくてよいのだなと

吉村氏が天才であるというのは
その証明としてこの作品が機能するのであれば

それは、自らの死を前にして
意識的、あるいは無意識のうちに
その向こうにあるメッセージを
音に織り込むことに成功している事実

そのメッセージが何であるかなんて言えない

でも、聴いてみてよ
「パラレルなユニゾン」を

これって
「そばにいるよ」
ってことじゃないか

離れていても
見えなくても
すぐそばにいるよ

ってことじゃないか

そして、
永遠がそこにあるよ
ということじゃないか

歌詞や表面上のことを言ってるんじゃないよ

ひとつひとつの言葉が
ひとつひとつの音符が
サウンドが

織りなすメッセージのことを言っているんだよ

すべてはひとつだよ
それは愛なんだよ
おおきな愛の中に
ぼくらはいるんだよ

僕はクリスチャンミュージックを演奏しているし
賛美やワーシップも含め
クリスチャンミュージック、
クリスチャンアーティストの作品を
聴くこともそれなりに多い

それらの音楽は神や天国や永遠について歌うけれど

神や天国や永遠を
実体験として
本当にそのまま音符で表現できる人は少ない
ていうか見たことない

その意味では
天才ブッチャーズ吉村氏

この音楽こそ、
本当の天国のロックじゃないのか

「ハレルヤ」なんて曲が含まれているのも
偶然ではないはずだ
それは彼の天才のなせる業だろう

ハレルヤなびけよたからかに

すごいじゃないか

そのへんのクリスチャンミュージックなんて
足下にも及ばないじゃないか

僕の中でこれでブッチャーズは空前絶後になってしまった

ここまでの境地にたどりつけるものだろうか

思いを馳せる

本気でそう思ったんだ

世界中のミュージシャンが歯ぎしりしていることだろう

誰もできないことを達成してしまったこの日本のロッカーに

吉村秀樹氏、やってくれた

“YOUTH”

僕は

“永遠”

と解釈しました

震えました!!!

デストロイヤー!!!!

そして
アンニュイ

男の去り際はこうでなくてはいけないのだ

勉強させていただきました!!

吉村先輩!!

こちら

こちら

こちら

No(2788)

■…2013年12月16日 (Tue)…….べりある
バリアルキックフリップ(ベリアル?)できたー!年内にできるとは思わなかったー!スケート始めて一年ちょい。フラットに特化して練習してるとはいえ、ここまで来れたのは感激だ!

I’m getting my Heelflip back, which I’ve kind of lost since August. My “pop” and Ollie getting strong stable higher, thanks to the advice Aaron John William Lyall gave me during the Japan tour. I kind of made my first ever b/s bigspin, and YES, today I made my first ever Varial Kick Flip!! And 2nd, 3rd…I did it 10 times!! Super Happy!!

No(2789)

■…2013年12月22日 (Mon)…….ヒスコレ
Gibsonレスポール2013年版ヒスコレ59年の状態の良いやつ試してみた。すごい鳴る!なんだGibsonやる気あるんじゃん。でもこういうやかましい音はやっぱ外人さんに任せておけばいいよ!後ろ向きな楽器で未来は鳴らせない。商品としてよりも、楽器としてどうなのか。未来に開かれたあくまでまっとうな楽器という意味で、俺はやっぱDeviserさん(Momose、Bacchus等)推しで。本気のレスポール、たまにしか作ってくれないけれど。こちら

というわけで、
エレクトリックギターの正しい形、というか、究極の形は結局のところ(残念ながら)レスポールである、ということは既に僕もわかっているんです。
非常に退屈な結論ですが。

というわけで、2013年版のヒスコレ、状態の良いと思われるものを鳴らしてみたら、
凄かったんですが、
もしこれが”バースト”だというのなら、
(もし本物の”バースト”ってやつがこういう音がする楽器であるならば)
じゃあ俺はバースト要らないな、って。
いう。

ヒスコレ、すごいんだろうけど、
たぶん商品として閉ざした方向に特化しちゃってるんだろうなって。

レスポールは、形はどれも同じに見えても
中身はそれぞれまったく違う。
そこに何を見出すのか
それがギタリストとして
人生の回答と
いうことです。

あくまで未来を鳴らすことのできる
それでいて本物の楽器を
手にしたい

自分はいつも安い楽器を使ってきました。
たぶんこれからも。

心中できる楽器に、既に出会った。
男ならそれでオーケー。
ギターに限らず
嫁も同じ。

しかしギターも嫁も、
金では買えないんです。
本物を選び取るには。

やっぱ愛ですわ。

No(2795)

■…2013年12月31日 (Wed)…….猫ポール
こんな年の瀬に書くことじゃないんですが、
今年2013年もいろいろと、本当にいろいろとありましたが、

自分の中の、
ギタリストというかギタープレイヤーとしてのトピックでいうと
今年2013年は、自分の理想のギターについに出会ったという
重大な事件があったわけです。

今まで、結構、ギターを、所有して、
といっても、たくさん持っている人からすれば全然少ないし、
ほとんどが安いもの、売っても二束三文にしかならないような
ものばかりなんですが

それでも、バンドでライヴとかやるときには
わりととっかえひっかえ、いろんなギターを使ってきたわけです。

バンドで作品を作ったりするのに
メインとして使ってきたものでいっても
振り返ると

少年時代から使って、一人自宅録音制作にも使っていた
Jackson Soloistから、

その後、Imari Tonesがバンドの形になった時には
Musicman Axis EXを持っていて、
それはその後も、今でも結構、
録音の時には頻繁に使っていたりして

けれどもクリスチャンロックやるようになってからは
安い、Epiphoneの安っすーいコリーナ(コリーナ風)Flying Vを使うことが多くなって
なにしろそこにDuncan 59をのせたら、とても素直で反応の良いギターになったので
録音でもかなりがっつり使い

これまた安いHamer(Fender買収後)の安いインドネシア製ラインのアルダーでできたFlyingV (Vector)、
これにちょっと企業秘密なPUを載せたら、まさに自分のサウンドにばっちりなギターになり
ライヴとかアメリカ遠征では本当に愛用し
近年の録音でも何度か使って

メインっていう感じでいうとそんな流れ

ライヴの際にはCharvelとかB.C.Richを持つことも
よくあるのだけれど

そうやってかなりとっかえひっかえやってたのは
それはまだ自分が理想のギターに出会っていなかったからなのだと

今はそれが理由だったのだとわかる

かといってこれからも、まあ持ってるものはとっかえひっかえ使うだろうけれど
みんなちゃんと使ってあげたいその一心で

今年は高いギター、というわけではないけれど
ヴィンテージギターというもののサウンドの傾向というものを
少しだけ理解した

そこには間違いなく、エレクトリックギターの正しい音というものが存在し

その命題から僕は自分の未来の音をつかみとったつもり

今まで自分は自分の理想のギターに出会っていなかった
それは当然で、
その理想のギターは、2011年の秋に作られ(完成し)たものだった

だから、それ以前には出会うことができなかったわけだ
あたりまえだ
それ以前にはまだ存在していなかったから

自分の理想のギターが「レスポール」の形をしていたことに
自分がいちばん驚いている

今まで、ほとんど縁のないギターだと思っていたのだから

ルックス的にはたとえばフライングVとかスーパーストラト的なもののほうが
良いと思うのだけれど
しょうがない

それが正しいエレクトリックギターの音だったのだから

だけれど、それを通じて、
たとえばヴィンテージの50年代のレスポールや本物のコリーナ製58フライングV。
もちろん本物に触ったこととか、いわれると無いんじゃないかなとしか言えないけど

それらの音を、多少、近いところを経験して理解しはじめると
不思議なことにギブソン系だけでなく、フェンダー系のたとえばストラトとかも
わかるようになってきた

そうしてギターが前より少しだけわかるようになって
あらためて自分の手元にあるギターをさわってみると
今まで気付かなかった楽器の価値や、凄さがわかるようになる

なんだ、ええ、この2万円でヤフオクで手に入れただけのギター、
実はすごいじゃん、
みたいなことがある。

ギターの本数を減らそうと思って、
実際に減らしていっているけれど
理想のギターに出会って、他のギターがいらなくなって
全部捨てられるかと思いきや
その理想のギターを通じて
余計にギターのことが、ギターの魅力がわかるようになってしまい
他のギターの魅力を再発見し
逆に手放せなくなるという悪循環が

どちらにせよ
ギターというものの理解が深まるにつれ
ギターの良さを理解できるようになり
その良さを引き出すことがよりできるようになった
たとえ安いギターであっても

これは貴重な副作用というか
以外な効用だ

とにかくも僕は今年2013年、
理想のギターというものに
出会った

これから、どれだけその楽器を鳴らせるかわからない
自分に残された時間とか

あとどれだけ録音作品作れるのかとか
あと何回ライヴ演奏できるのかとか

どれだけの人に聴いてもらえるかとか

わからないけれど

出会えてよかったと思う

じゃあ今まで、理想の楽器に出会うまでの
回り道はなんだったのかと
言われると

必ずしも自分の人生の究極ではない
それらの楽器で鳴らし、制作した
それらの音楽や、楽曲や、録音は
なんだったのかというと

それはつまり
創作とは回り道そのものだと
いうことだと思う

たとえば何百万とか何千万のヴィンテージレスポールとか
60万円のギブソンヒスコレとか
100万円のハイエンドなギターとか

そういう「正しい音」のギターを持っていたら
決して作れなかった、書けなかった楽曲たちがある

だから「正解の音」「理想の音」にたどり着いてしまった今、
これからはもう僕には新しい楽曲は書けないのか

そんなことはない
だって僕はこれからも
2万円で中古で買ったEpiphoneを使い続ける
からだ

自分は、いつもよく言っているように
人生のパートナーというのか、
嫁さんにはめぐまれた
理想的な人に、最初に出会うことができて
ずっと一緒にいる

だけれどバンドのメンバーとか
決してそうはいかなかったし
今のメンバーになるまでに
それなりに変遷がある
それでも今のラインナップになって
5年たったからありがたいことだけれど

同じようにギターも
その時点で可能な限り、自分にふさわしい楽器を
手にしてきたと思うけれど
自分の理想、これだという究極にたどりつくまでに
その答えを見つけるまでに
やはりここまでかかったわけだ

でも見つけた
自分の嫁さんとおんなじように
自分の男をかけて、「俺はこれだ」と貫き通せる答え、
そういうギター。

だからこれからの演奏はきっと意味が違ってくるはずだ
だからこれからの演奏に期待してほしい
自分自身で期待しているよ

とりあえず
今夜は御園バプテストで恒例の大晦日カウントダウン。

演奏するバンドは、サイドプロジェクトの、「熱きリョウとジーザスモード」だから
必ずしも、それが俺の、理想の音、とは言わないぜ
ストレートなヘヴィメタルだしね

でも、きっと意味のある音が鳴らせるはず

猫模様のレスポール
いや、猫ポール、キャットポール、を持って

お待ちしてます

こちら

No(2796)

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