誕生日のメッセージありがとうございます。
なんだかとても元気が出てきました。
さて、とはいえまたいつものように
ひとりごとのような文章を
書いてしまいますが。
思えば、昔はこういった文章はmixiに書いたりして
Facebookは英語の短いポストしかしなかったのです。
しかしFacebookが普及するにつれいつのまにかFBにも
日本語で無駄に長い文章を書くようになってしまいました。
FBやtwitterは短いポストだけにして、
バンドのホームページの日記ページだけに記録として書いておけばいいのですが。
どうしても思考を書き留めておきたい習性があります。
本日はソルフェイの練習で町田にベースを弾きにいっておりました。
ベース弾きとしてももっと経験を積み精進したいのですが、地道に少しずつがんばろうという感じです。
さて自分は退屈しています。
音楽の話をすれば、自分のプロフィールやバンドのウェブサイトにもいつも書いています。
自分の人生におけるファイバリットアーティスト、バンドのベスト3は、Van Halen、熊谷幸子、そして+/-{plus/minus}でした。
Van Halenは言わずとしれた、70年代~80年代のアメリカを代表するハードロックバンド。
熊谷幸子さんは、90年代に活躍した日本のシンガーソングライター、
そして+/-{plus/minus}は、2000年代から活躍している、アメリカやニューヨークを拠点とするインディーバンドです。
もちろん人生の中で、限られた見識の中でも、たくさんの素晴らしい音楽に出会ってきました。
けれども、自分の人生で、リスナーとして、音楽に触れるという意味では、本当に幸せだった時が3度ありました。
それは、ひとつめは、10代の頃にVan Halenを聴いていたとき。
これは多感な少年時代なので特別なのは当然ですが、やはりいろいろな意味で、これ以上のロックバンドはいないと思っています。特にDavid Lee Roth時代の最初の6枚は人間業とは思えません。これからもVan Halenを超えるようなロックバンドにはおそらく出会えないでしょう。もし出会えるのであれば本当に教えてほしいと思っています。
ふたつめは、90年代の後半に、熊谷幸子さんの音楽に触れていたとき。
90年代の後半は、自分の人生にとっても、少しばかり苦難の時期でありましたが、音楽的には多くの大切なものに出会いました。自分にとっては、うちの嫁さんといわゆる「恋愛」をしていた時期とも重なりますので、その意味でも大切な記憶です。なにより熊谷幸子さんの音楽を僕に教えてくれたのはまだ高校生だった頃のうちの嫁さんですが、僕はユーミンは大好きですが、まさかそのユーミンの直系のアーティストで、そのユーミンを超えるほどの鋭い感性と音楽性を見せてくれる熊谷幸子さんの音楽は本当に、なんというか、貴重なほどに出会えたことが幸福でした。
みっつめは、2007年から数年かけて、このニューヨークの無名のインディーバンドである+/-{plus/minus}の音楽に出会えたこと。
プラスマイナスを聴いたのは、もちろんブッチャーズ経由で知ったのですが、
初めて彼らの音楽に触れたのが、実は2007年のテキサス、オースティンのSXSWだったというのもドラマティックな出会いでした。彼らは日本でも結構人気があるので、何度か来日しており、日本でも当時見れたのですが、なぜだか僕はアメリカで初めて彼らを見たのです。
そして彼らの本当にぶっとんだ音楽性の高さに触れたとき、それは僕のミュージシャンとしての歩き方も変え、新しい時代に向かって歩き出そうと決意させてくれたのでした。
さて僕は退屈しています。
自分の音楽をせいいっぱい作り、向き合っていますが、
そしてここ数年、アメリカを遠征したり、その延長の企画を日本に持って来たり、
自分たちなりに、なすべきことを少しずつやっているつもりではありますが、
音楽的には常に退屈と戦っているのが事実であり現状です。
たとえば+/-{plus/minus}が5枚目のアルバムを出し、そして来日してとんでもなくすさまじいコンサートを行った2008年の秋以来、僕はそれ以上のものに果たして出会っただろうか。
まったくなかったわけではありません。
たとえば、2012年に出たVan Halenの復活アルバム。
そして、ブッチャーズの2010年の「無題」そして昨年出た遺作である「YOUTH」、これらは文句なく、「空前絶後」と言えるものです。
けれども、長い沈黙を続けて、今年やっと発表されたプラスマイナスの新作は、よくもわるくも、かなり丸くなってしまっていたこと。
ここのところ、アメリカの新しいバンドや、インディーバンドを聴いても、それほどぐっとこない。
Demon Hunterの新作も、悪くはないのだけれど、やはりストレートかつポップになってしまっていて、僕をわくわくさせてくれるようなものではない。
Switchfootは相変わらず素敵ですが、あのバンドに僕をぶっとばしてくれるような音楽性を僕は期待していません。
世界的な音楽業界の縮小や、いよいよロックンロールというものが、新しいものを生み出すものではなく、古いものを繰り返し再生産するクラシックな芸能になってしまったことを感じることが多く。
プラスマイナスのような本当に先鋭的で意欲的で才能に満ちた、インディーバンドに出会うことも容易ではなく。
はたして、今の時代にそれをやることが、どれだけの覚悟と犠牲と決意をともなうものか。考えてみれば。
いまどきのインディーズは本当にレベルが高いので、
そういう意味では刺激にはなるのですが、
たとえばスケートボードの世界、スケートビデオの映像作品を見てみても、
メジャーな作品よりも、インディーバンドの音楽を使っているインディーブランドのビデオの方が、音楽的にはかっこいいものが使われていたりする、そういう時代状況ではあります。
けれども、プラスマイナスくらいの本物の才能に出会えるかと問われればそれはまた別の話です。
僕は年齢的にも、人生のステージ的にも、もう新しい音楽を、積極的に探したり、ディグったりするのはもういいかな、と思っていたりします。
人生の中で聴ける、触れることができる音楽にも限りがあります。
これからは、もっと古典と言われるものに触れていったり、大事なものを繰り返し聴くことに時間を使った方が良いのかなと思ったりもします。
そういう意味では、昔から好きだったモーツァルトだけでなく、
ベートーベン先生の交響曲がやっとぐっとくるお年頃になってきたとも思います。
さて、大好きなフェイバリットミュージシャンという意味でいえば、
音楽というものは、人生を指し示すものであり、また人生を作っていくツールでもあります。
ミュージシャンは楽器という道具を使って音楽を作りますが、
それを聴く人、リスナー、芸術を受け取る人間は、
音楽という道具を使って人生を作り出すのだと思っています。
その意味で、僕は、好きな音楽から受け取ってきたものを、
自分の人生の中で、生かすことができたでしょうか。
10代の頃、Van Halenを本当に好きで、
Eddie Van Halenをかなりのところまで理解していると自負する数少ない人間の一人として、
自分はそれなりのことができているか。
これについては、それなりに、かなりやれているかもしれません。
自分なりの音楽を追求し、究めていくということに関しては、
ここまで、それほど手を抜くことなく、人生の中で取り組んでくることができています。
僕は本当は、ミュージシャンになりたいとは思っていませんでしたので、僕は本当は、Van Halenのスピリットを、音楽ではなく、音楽以外の仕事を通じて、社会の中で表現したいと思っていたのです。
けれども、その夢はかないませんでした。
また、その当時思っていたそのVan Halenの音楽の「スピリット」も、必ずしも当時思っていたような形では継承、表現できていないと思います。
けれども、僕は自分なりに、その先にあるものを見つけましたから・・・。
(たとえば、「信仰」であるとか)
僕はまた、他の多くのVan Halenのファンの方にはあまり好評でないところとして、
1998年の”Van Halen 3″からも、多くの影響、また薫陶を受け、自分の指針としています。
その意味ではあのレコードは自分の人生を決定づけるものであり、特別な一枚であり、自分の音楽家としての人生を指し示すものでありました。
またVan Halenということでいえば、長い沈黙の後、2012年についにリリースされた復活作(A Different Kind of Truth)も、もちろん外すわけにはいきません。
あれはとんでもないレコードであり、とんでもない傑作でしたが、
あのアルバムを聴いて、僕は、自分のやってきたこと、やっていることが、間違いではないのだと思ったのです。
そして、その指し示した道を歩くのであれば、
僕はまだまだ、自分の思うロックンロールを追求し、鳴らしていかなくてはなりません。
その意味では、自分の歩いているこの道は、必ずしも間違ってはいないでしょう。
では熊谷幸子さんの音楽についてはどうでしょうか。
僕が1990年代の後半に、熊谷幸子さんの音楽を聴き、感動して、感じたことを、僕は自分の人生の中で生かせているでしょうか。
熊谷幸子さんの音楽の中に示されたものを、人生の中で自分は歩けているでしょうか。
熊谷幸子さんの音楽について語る時、個人的には僕はうちの嫁さんとの出会いを抜きにして語ることはできません。
熊谷幸子さんが、もしラヴソングを歌っていたとすれば、それは僕らにとっては、他でもない自分たち自身のことだったからです。
その意味では、半分くらい、かなりの程度、8割くらいは、僕は歩けているかもしれません。
なぜなら、僕は今でも、うちの嫁さんと、今ではこうしてちゃんと夫婦として、仲良く一緒に暮らし、人生を歩んでいるからです。
けれども、その当時、僕が夢見た人生。
それは、必ずしも、こんなではなかった。
それは、先述したように、僕は別にミュージシャンになりたいわけではなかった。
わかっていて、成功する見込みのほとんどないインディーバンドで、苦しいのを承知で自分の音楽を追求するような、そういう人生を、別にやりたいわけではなかった。
僕が夢見た、嫁さんと一緒の人生。
そして、熊谷幸子さんの90年代ジェネリックなフォーマットの中で歌われる音楽の向こうに夢見た人生は、
もっと普通の一般的な人生を、僕は夢見ていた。
そこに関しては、まったくやれていない。
けれども、夫婦の関係という意味では、かなりのところ、やれているでしょう。
僕が熊谷幸子さんの音楽の向こうに見ていた、もうひとつのもの。
それは、新しい時代の、新しい価値観による、新しい世界。
僕は、そこに向かって歩くことができているだろうか。
それは、今も歩いている途中だと思うのです。
そして、それは、僕一人で歩くものでも、戦うものでもない。
この世界、この時代に生きる、一人一人、また、人々みんなで、
戦って、懸命に歩いて、そこに向かっていくものだと思うのです。
音楽になにか意味があるとしたら、それしかないだろうと僕は思います。
2012年以降、熊谷幸子さんは、ついにアーティストとしての活動を再開されました。
その活動はスローペースではあっても、
新しい楽曲を発表し、ライヴも行ってくれる熊谷幸子さんの存在は、
なにげに、今の時点で、僕の「退屈」を解決してくれる、もっとも有力なアーティストかもしれません。
そして、熊谷さんの現在の活動を思うにつけ、
自分の歩いてきた道も、あるいはまったくの無駄ではなかった、まったく間違いではなかったのかな、自分の今歩いているこの道も、あるいはこれでいいのかもしれない、と思ったりします。
熊谷幸子さんは、十分にメジャーなキャリアを積んできたアーティストですが、
その知名度や売り上げ枚数に関係なく、
間違いなく世界でも超一級のアーティストでありソングライターです。
その熊谷幸子さんの活動を間近で体験できるというだけでも、今の時代にあって、十分に幸運、幸福なことかもしれません。
5月にも東京でのコンサートを体験し、それは本当に感動的なコンサートでしたが、
7月に鎌倉で行われるコンサートも、嫁さんと一緒に見に行こうかと思っています。
では、+/-{plus/minus}の音楽についてはどうでしょう。
僕は、彼らの音楽を聴いて感じたことを、自分の人生の中で生かすことができているでしょうか。
僕は、自分のバンドで、何度か、アメリカ遠征をして、かの地でのツアーとか、ライヴとか、ちょっと貴重な演奏体験とか、してきました。
でも、そもそも、このように、アメリカでインディーズのライヴをやろう、と思ったのは、このプラスマイナスの存在があったからなのです。
彼らの音楽に、彼らのライヴに、その存在に、触発されたからこそ、僕は、僕もこの地で演奏活動をしてみたい、と思ったのです。
たとえば80年代や90年代の音楽を聴いて、想像し憧れていたアメリカは、大きくて、強くて、そして白人社会のアメリカでした。大規模なスタジアムコンサート、マッチョなロックンバンド、あるいはBon Joviのような華やかなバンド。
けれども、プラスマイナスの音楽に触れ、またその他の幾多のインディーバンドの存在に触れ、そして僕らが自分らの目で見聞きした2000年代、2010年代のアメリカは、
雑多な人種、アジアやヒスパニックや、入り交じり、そして小規模で多種多様で。
そしてインディーズのアートが盛んに行われ、人々がそれぞれに楽しむ、そんなアメリカでした。
それを信じることができたからこそ僕はかの地に足を運んだのです。
かの地において、一度でいい、そんな中で自分たちも演奏してみたい。
その思いは、実現しました。たぶん、十分すぎるほどに。
その意味では、僕は彼らの音楽に感じたものを、ある程度歩けているでしょう。
けれども、僕が彼らの音楽、+/-{plus/minus}の音楽の中に、本当に惹かれていたもの。
それは、やはりまた違った人生なのです。
インディーバンド、インディーアーティストというものは、概してリベラルなものです。
僕がこうしたリベラルで先鋭的なアートに惹かれるのも、半分はそうした彼らのリベラルな気風に惹かれているのです。
わざわざ認めるまでもないのですが、僕はどちらかといえばリベラルな気質の方が肌に合う人間です。
これは皮肉ですが、アメリカでキリスト教徒、クリスチャンといえば、保守的というかコンサバなイメージ、保守的な人たちが多いでしょう。
けれども、日本人にとっては、必ずしも当てはまらないことがあり、それは日本で保守的でコンサバな人であれば、それは神道とか仏教徒であるはず。
日本人の中だと、また海外の文化に明るく、先取的な人の中に、クリスチャンになる人が多くいるということはあると思います。
このプラスマイナスの音に感じるやすらぎ、
僕は、本当はそこへいきたいのです。
そうした人生こそが、自分にとって、本当に安らげる、満足のいく生き方であろうと思うのです。
しかし、そこへいくにも、やはり、今やっている音楽を止める、という条件がつきます。
僕はいつも言うように、本当はやめられるものであればいつでも音楽をやめたい。
けれども、中途半端で投げ出すわけにはいかない、というそれだけで、続けています。
ここまでやって区切りをつけたら、ここまでやって結果を出したら、ここまでやってやり遂げたら、やめよう、
そう思う機会が何度かありました。
けれども、その度ごとに、神さんは次の道を指し示してくれちゃいました。
だから、「どうやったらきちんと成し遂げて終われるか」その最短の道を常に考えて、選んできました。
その結果、逆説的にバンドがここまで続いてきた、ということが言えると思います。
次にこれをやったらハッピーに終われるだろう、と思うことを常にやってきた結果、先につながってきたということです。
ハッピーにやり遂げて、そして後は自分の望む人生を、自分の望む形で送ることができたら。
それは些細なことなのです。
けれども、リベラルな生活、自由な人生というものも、簡単ではないことはわかっています。
リベラルな都会の生活も、
(先進的な田舎の生活も)
それに見合う先鋭的な刺激をずっと得続けることができなければ、成り立ちません。
けれども、先述したように、現代の音楽シーンは、現代のアメリカのインディーズシーンであっても、もはや僕を満足させてはくれそうにない。
そうあっては、果たして、僕の思い描く「理想の余生」は、続くでしょうか。
また、音楽に背を向けて、本当に僕は生きていくことができるでしょうか。
人は最後には保守的というか、伝統的なものを求め、そういったものに回帰します。
それとは別にしても、プラスマイナスの、今年の初頭に出た5年半ぶりの新しいアルバム。
その内容は、かつてのように先鋭的なものではなく。
僕と同じように、彼らも、この世界と音楽世界の状況に、退屈し、絶望し、生活苦の中でもがき、苦しんでいたのだと、
そう納得させるに十分なものでした。
退屈していたのは僕だけではない。
あのUSインディーの先端を長年にわたって走ってきた
先鋭的な才能の持ち主である彼らをして
この時代に苦しみ、退屈し、絶望していたのです。
であれば、それは、
東京にいようが、ニューヨークにいようが、
ナッシュビルにいようが、
ベルリンにいようが、ジャカルタにいようが、
上海にいようが、
変わりがないのだと思います。
果たしてロックンロールは、
もう進化の限界に達してしまったのか。
僕が彼ら+/-{plus/minus}の音楽の中に見たもうひとつのもの。
それはロックの未来。
メインストリームや、メジャーな音楽が、
進化をやめてしまい、ロックンロールの真実に、未来に、
向かっていくことをあきらめてしまった現代にあって。
そんなことは関係なく、
自由に、身軽に、インディーのままで、
最先端のロックの真実を鳴らすこと。
より音だけを信じるその純粋な信念。
間違いなく世界でもっとも最先端の進化した本物のロックを鳴らしていたプラスマイナスというこの雑多な人種の音楽集団。
彼らの音楽に感じること。
それは、世界でいちばん先の音を鳴らすこと。
無名のインディーであっても、なんであっても。
誰よりもいちばん先へ、誰よりもいちばん遠くへ。
いちばん遠くまでいける音を鳴らすこと。
そしてそれだけのものを彼らは感じさせてくれた。
だからこそ僕も心に火をつけて、燃えることができた。
今、僕は退屈している。
けれども、僕の心についた炎が、決して消えたわけではない。
ただ、自分なりに、誰よりも先へ行きたい、
誰よりも遠くまでいける音を鳴らしたい、
そう思ってきた自分が、
いかに今、絶望し、苦悩し、なんともいえない寂しさを感じているのか。
けれども、その先が、決して示されなかったわけではないのです。
昨年の秋に発表された、
我らがbloodthirsty butchersの、吉村氏の遺作である最後のアルバム。
これは、今、僕がこの文章の中で挙げた、3つのフェイバリットアーティスト、
それらを超えて、あるいは挙げなくてはいけないものかもしれない。
ブッチャーズ吉村氏は、
そのブッチャーズとしての人生、
そしてこの最後の作品を通じて、
ほとんど「勝ち逃げ」のように
「俺がナンバーワンだ」
と、世界中のミュージシャンたちに、ロッカーたちに、
宣言して、去っていったのです。
どうやったら、これを超えられるものか。
残りの人生。
僕は、それだけを考えて、生きていったらいいのかも、しれません。
そういうことかもしれない。
自分の人生は、なかなか自分では決められない。
それは、自分の本能が、その望むものを、勝手に選び、決めてしまうから。
あるいは神の御心か。
でも、それを、自分にわかる範囲でいいので、
理解し、知るように努めようと思っています。
自分の場合、やはりそれは、
音楽家のはしくれとしての、勝つか負けるかの勝負。
それが中心にあるようです。
もっとも先へ行けるロックンロール。
僕は思うのです。
たとえば、人が生きる限り、
音楽がなくなることはないでしょう。
また、ロックンロールがこの先、なくなってしまうこともないでしょう。
けれども、
こんなふうに音楽を鳴らし、
こんなふうに音楽を作ることができるのは、
ひょっとしたら今だけかもしれないと。
今から100年後、10年後、あるいは1年後、
もうこんなことはできないかもしれないと。
ロックンロールの真実を、もっとも先を
とらえることができるのは
ほんの一瞬かもしれないと
僕はこの時を何年、何百年、何千年、何億年、
待ったのだろうか。
なぜこのタイミング、この時に、この場所にいることが出来たのだろうか。
僕はそれを当たり前とは思いません。
偶然だとも思いません。
今だからできることをやろうと思うのです。
願わくば、はるか遠くの人々にも、伝えることができるようなものを。