昨年のライヴ動画というか演奏の記録、
YouTubeにアップしておきたいのでやっと整理をしている。
大体整理終わったが、見返してみると
そのうちの何本か、東北行脚も含む、では3万円のEpiphone(コリーナ風Vモデル)で実にいい音を出している。
実際このEpiphoneはほぼメイン級で使っていたくらいの「当たり」の個体だし、ピックアップは素直で反応のよいおなじみSeymour Duncan 59だから、決して悪いギターではないのだけれど、
楽器というのは決して値段ではないなあと改めて思う。
エレクトリックギターの音を作るのには、いろいろな要素があるしね。
(Imari Tonesの作品では、”Victory In Christ”は9割これだし、”Japan Metal Jesus”も半分はこれです。ダンカン59をのっけたEpiphoneのコリーナV。)
かといって昨年以来、自分は楽器、ギターということに関してかなり追求し、自分のギタリスト人生の最終回答を出してしまった以上、3万円のEpiphoneに戻れるかというと、戻れませんが。(笑)
でもその「最終回答」のギターにしても、笑っちゃうほどの安い値段だしね。
(そう、僕の人生で究極のギターは、10万円もしなかった)
Epiphoneは僕は楽器としては素直で好きなのだが、3本持っていたものを、昨年秋のThe Extreme Tour Japanの後に、すべて引退させ、手放したり、あげたり、してしまった。けれども上記のダンカン59がついたものは、なにかあったときのために実家に保管しておこうかとも思っている。封印というか。
そしてギターというか楽器というのはやはり、愛情ではないかとも思う。
楽器を手に入れることは、あるいは犬や猫を飼うことに少し似ているかもしれないし、あるいは養子をadoptすることかもしれないし、あるいは恋人に出会うことにも似ているかもしれない。それは人それぞれ違うと思う。
その「最終回答」であるBacchus「猫ポール」。果たして「良い楽器」というのはどういうものなのか。楽器は音楽を作る上では道具に過ぎないので、作る音楽そのものが変わるわけでは、決してないと思うし、パフォーマンスに影響はすれど、パフォーマンスそのものを変えるようなものではないと思う。ていうか思ってた。けれども、先日、初めて自分のバンドで「猫ポール」を使って人前でライヴ演奏してみた結果として、演奏だけでなく、楽器が、自分の新しい側面、より本来の面を導き出してくれるという経験をした。つまり、楽器に導かれて、自分のより本来の姿を発見することができた。これは霊的(スピリット)な意味で楽器が自分を導いてくれるということであって、それによって自分はさらに生まれ変わった新しい自分としてミュージシャン人生を踏み出していけるわけで、良い楽器、というよりは、弾き手と共鳴する「運命の楽器」は、ここまでのことが起こることもあるのだなということを実感している。
結論から言えば良いギターというのは、霊的に生きている楽器のことだろう。霊的に命を持っている楽器。自分にとってはそういう結論だ。けれどもそれを生み出すのは、いろいろな要素であって、一概に言えないし、また作り手だけでも、弾き手だけでもないだろうと思う。
と、またギターについてのひとりごとというか考察ぽいのを書いてみる。
ここに、HAMERという楽器メーカーの歴史をまとめた本がある。
今年か昨年あたりに出版されたやつだ。
内容はもちろん英語だが、写真も多いし、子供が動物図鑑を見るような気分で読んでいられる。
HAMERという小さな楽器メーカーといっても、とてもたくさんの出来事や歴史や、関わった人物やミュージシャンたちがいるので、この本にすべてが収められているわけではもちろんないけれど、現代とは違い、インターネットも無かった時代に比較的マニアックな存在であったHAMER guitarsの情報は、インターネット上にもあまりたくさんあるとは言えない。
その歴史を、一応にオフィシャルに紹介してくれる資料の存在はとても貴重だ。
自分は日本製の楽器が好きだ。
自分がティーンエイジャーのときに買った(もちろん両親に買ってもらった)初めてのエレクトリックギターは、JacksonのSoloistだった。
それは日本製のJacksonで、時代は90年代の前半であったので、1990年に日本製Jacksonが作られるようになってから間もない時期のものであった。
自分は母親はピアノ教師であり、父は合唱団を長年続けている人だったので、音楽的な環境はあり、自分がエレクトリックギターを始めたいと言ったときにも、あえて安いものよりも、楽器はある程度良いもの、しっかりしたものを買った方が良いとすすめられて、まあそれでも安価なスタンダードモデルではあるものの、スルーネック構造のJackson Soloistを最初の楽器として始めることになった。
これは実に良いギターで、今でも良いギターだと思っているし、10代の頃のバンド活動だけでなく、自分がこの”Imari Tones”と名付けた自分の音楽プロジェクトを個人単位で初めてから、最初のうちしばらくの時期、一人宅録していた時期も、しっかりと支えてくれた。ネックのトラブルは一切なかったし、塗装を削ってはがしたら余計にオープンな音になったり(笑)、とても当たりの楽器だったと思う。
実際のところ、この時期の日本製Jacksonは評判が良く、いわゆる「デカロゴ」とか「共和商会時代」のものとして、熱心なファンがいたりもする。
僕が日本製の楽器が好きなのは、(そして、実際、韓国製や、フィリピン製、インドネシア製の楽器も嫌いではない)、やっぱりプレイヤーというかミュージシャンのはしくれとして、自分のバックグラウンドというか、アイデンティティというか(とかカタカナ外来語を使っている時点でアイデンティティもバックグラウンドもないがw)、そういったものにこだわりたいという思いもあるし、単純にsentimental valueももちろんあるし、あとは単純にいちばんしっくりくるからというのがある。大味で豪快なアメリカ製のギターよりも、もうちょいと繊細な音のする日本製の楽器の方が、自分の表現が出来る気がするという感じだ。
そういうこともあり、あとはヘヴィメタルな流れもあり、この「日本製Jackson」(共和商会時代)は、なんとなく僕にとって好きな楽器ブランドだった。
それは、当時の日本製Jacksonには、共通してなんかこう、ヘヴィメタルギターとしての独特のテーマというか、美意識というか、独特の匂いがあったということで、そして時代が変わるにつれて、その「独特さ」は、現在のCaparison Guitarsに引き継がれていることは皆さんご承知の通りだと思います。
(かといって自分がCaparison Guitarsが好きかというと、それはまた別の話なのですが。でも実はCaparisonのピックアップを、とあるギターに秘密兵器として付けていたりします。かなり良いです。)
そして僕がこんなふうに、ひとつのメーカー、ひとつのブランドに惹かれたというか、ファンになった、というのは、あまり多くはないのですが、たぶん今までに3度ありまして、ひとつはこの日本製Jackson/Charvel、ふたつめは昨年から大ファンになってしまったDeviser (Bacchus/Momose/Headway)、そして数え方は前後しますが、もうひとつが、たぶんこのHAMERというブランドなのですね。
ギターやベースという楽器を考えてもそうですが、ロックミュージックやその歴史、音楽そのものを考えてみても、こうして、ひとつブランドの視点から、製品群を眺め、時代の流れを見てみるのも、非常に勉強になる経験です。なにかのファンになったり、贔屓になるというのは、そういう視点を得られるということが、メリットであり、素敵な財産なのだと思います。
さてこのHamerのギターですが、
実のところ、僕はギターを始めた頃、というよりは、ギターを始めるよりも前、ロックを聴き始めた頃からすでに、「目にしていた」ブランドだったと言えます。
つまり、90年代前半にヘヴィメタルを聴いていたティーンエイジャーの自分が憧れて聴いていたのは、80年代後半のヘヴィメタルバンドであったり、90年代初頭のヘヴィメタルバンドであったりしたわけです。
そして実はその時期は、Hamerがブランドとしてもっとも華やかだった頃、当時の勢いのあるヘヴィメタルバンドの人たちが、こぞってHamerのカスタムギターを使っていた時期と重なるのです。
なんといっても僕が最初に好きになったヘヴィメタルバンド(そして今でもいちばん好きなヘヴィメタルバンド)はJudas Priestですが、彼らは1980年代の半ば頃から、Hamerのギターを使っています。そして、それからずっと、今に至るまでHamerを使っていますね。ある意味もっともloyalなHamerのエンドーサーというかユーザーの一組かもしれません。
僕が10代前半の頃、夢中になって聴いていたSkid RowもHamerを使っています。(たぶん2ndの頃なのかな)
そしてこれは聴いたのは大人になってからですが、僕が当時のハードロック系バンドでもっとも好きなバンドのひとつであるLiving ColourもHamerをメイン使用。
そして90年代初頭のヘアメタルでもっともお気に入りのひとつとして僕がとても高く評価しているTrixterも、大傑作である2ndアルバムでHamerを使っています。
そうやっていろいろ考えていくと、僕が当時、これはすごい、このサウンドは好きだ、と思って聴いていた当時のヘヴィメタルは、そして、今でも好きだなと思うバンドたちは、かなりの確率でHamerギターによって鳴らされていたサウンドなのですね。(さもなくばCharvel、くらいの)
そしてやはり僕はJudas Priestになにより憧れてギターを始めましたので、彼らが写真の中で持っているHamerというブランドに憧れたわけです。けれども、地元の楽器屋さんに行っても、ギター雑誌の広告を見ても、Hamerなんていうギターはどこにも売ってないわけです。そして、結果、当時、日本での生産が始まった、同じようにヘヴィメタルの匂いがするJacksonを結局、手にしたわけですが。
で、このHamerという謎のブランドが、いったいどういう人たちによって始められた、どういうブランドだったのか、ということが、歳を経るにつれて、ようやく、そしてようやく最近になって、僕にもわかってきたわけです。
その情報というか資料のひとつとして、今、手元にこの”The Ultimate: An Illustrated History of Hamer Guitars”という本があるわけですが。
ざっくりと書くと、
Hamer Guitarsは、1970年代にイリノイ州のシカゴのあたりで、ヴィンテージギター(1950年代のGibsonやFenderなど)の売買やリペアを行っていたPaul HamerとJol Dantzigという二人の人物、そしてその二人を取り巻く少数の人たちが、「成り行き」で作ったオリジナルギターが、当時のプロミュージシャンたちの間で評判となり、「成り行き」で立ち上げたブランド。ブランド名が”Hamer”なのも、二人の名前のうち”Dantzig”よりも”Hamer”の方がかっこいいから、という単純な理由。本を見る限り、この創業者二人のうち、Paul Hamer氏は、どちらかというと営業の方に進んでいき、Hamer Guitarsの製作や開発の中心にいたのはJol Dantzig氏だったようです。
Hamer Guitarsは、1970年代において、トッププロたちの要望によって様々なカスタムギターを作るようになり、ある意味、アメリカで(世界で)初めてのカスタムショップのような存在だったようです。
しかし「成り行き」でブランドを立ち上げたものの、商売を初めてしまった以上、拡大路線を取って利益を挙げねばならず、1980年代に入ると、いろいろなプロダクションモデルの製作を始め、「トッププロのためのカスタムギター」から少しずつ、「一般のプレイヤー向けのモデル」へとシフトチェンジしていきます。
しかし、1980年代前半のヘヴィメタル流行黎明期にあって、HamerはMotley Crueであるとか、Steve Stevens、The Police、Def Lepardなどの一流バンド、プレイヤーたちに使用され、小規模ながらもその地位を築いていきます。
1980年代も後半に入ると、HamerはOvationで有名なKamanという会社に友好的に買収され、Kamanの豊富な資金力をバックに、より力強く営業、生産を始めます。広告もたくさん出すようになり、ヘヴィメタルの全盛期とも重なり、この時期がHamerにとってのもっとも華やかな時期だったのではないでしょうか。
1990年代に入ると、ヘヴィメタルの流行も収束し、Hamerは、ある意味、そのルーツに回帰するように「ヴィンテージモダン」の方向性を取ります。ヴィンテージを継承するような質の高い、クラシックなモデルを、けれどもかなり低価格で市場に提供し、ミュージシャンたちにとって、非常にコストパフォーマンスの高い製品をこの時期、送り出していたようです。しかし、ある意味、その良心的な低価格路線が、ブランドイメージを構築する上で裏目に出てしまった側面もあるようです。またこの時期に、Hamer Slammer Seriesというアジア製の低価格ラインが生産され市場に出回っていたのも、ある意味ブランドイメージの低下をもたらしたようです。
しかしこの時期(コネチカット移転前後)に製作された一連の限定コリーナモデル(Standard、Vector、Futura、Artist)は、このHamerのヴィンテージ路線の最高峰として語り継がれています。
1997年に、Hamerはイリノイ州から、コネチカット州へと拠点を移します。これは親会社Kamanの都合によるところが大きかったようですが、これ以降、Hamerはそれまでの拡大路線よりも、量よりも質を追求した高級ギター、ホロウボディやカーブトトップのギター(ジャズギターのような)に路線を変更して、その路線で高い評価を受けます。
そして2000年代に入ると、高級路線を維持しつつも、おそらくは生産量も減っていき、Hamer USAとしては次第にカスタムオーダーに応じるだけのブランドになっていったものと思われます。またこの時期には、Hamer XT seriesという名前で、アジア製の廉価版のギターが製作され、日本の楽器屋さんにもかなり出回っていたことを記憶しています。(これは、質は、良いのもあれば悪いのもあったような)
2007年に、親会社であるKamanがFenderに買収され、結果的にHamerもFender傘下に入ります。Hamerは、Fenderグループの中で、GUILDやFender Acousticsの製作などを受け持っていたようですが、ブランドとしては縮小していき、2012年12月、FenderはついにHamerとしての楽器の製作を打ち切ることを決定しました。
と、ざっくりと以上のような流れがHamerの歴史であるらしいのですが、
全体を通じて、まずHamerは、ヴィンテージギターを基本としている(特にヴィンテージギブソンを手本としている)ゆえに、その歴史を通じて、ヴィンテージクオリティの、ハンドメイドを基本とした質の高い楽器を作り続けていた、ということ。
その事実は、ロックの歴史の中で、1970年代、80年代と、商業的な規模の拡大につれて本家FenderやGibsonの楽器の質が低下していく中で、拡大路線ではなく、小規模にヴィンテージの質を追求していくカウンターの流れとして存在していたという意義。
そしてまた1990年代のHamerのモダンヴィンテージの流れは、果たして現代のメーカーやクラフトマンたちが、ヴィンテージに迫る質を持った楽器を製作できるのか、というテーマ、に、早くから取り組んでいた意味があると思います。
そしてまた、全体として見るに、その歴史の中で、Hamerは常に「小規模」なメーカーであり続けたということ。それは常に「主流」ではなく「カウンター」であり続けたということですね。
一流のプレイヤーたちに愛用されてはいましたので、規模のわりにはブランドイメージは高いと思うんですが、やはり知名度はとても低いし、結局のところ、FenderやGibsonのような大手はもちろんのこと、同時代に人気だったJackson、B.C.Rich、Dean、PRSなどと比較してもぜんぜん小さかった、ということです。
Hamer USAとして製作された楽器は、その歴史を通算しても、たぶん数万本。(1999年に通算5万本目を製作したという記述があり、その後の生産は少数になっていったことから考えると)
この本に書かれている記述を見ても、結構、貧乏くさいというか、貧乏くさい内部事情みたいなことが書かれています。
たとえば、1980年代の初期のモデルが、なぜみんな同じような似たりよったりのダブルカッタウェイのデザインなのか、ということについて、実は、それはケースがそれしかなかったからだ、と。新しい形のギターケースを発注したり置いておく予算がなかったため、既存のケースに入るようなギターをデザインしなくてはならず、結果的に似たような形のモデルが多くなった、とか。
また、新しい形のヘッドストックを生産する余裕がなく、そのため、1980年代初期には、フライングVなのにレスポールに付けるような形のヘッドストックを付けることになってしまった、とか。
そういう、なんか貧乏くさいエピソードは、この本の中に枚挙にいとまがないくらい書かれています。
規模が小さいがゆえに、エンドーサーというのか、プロのミュージシャンたちにも、他メーカーのように無料でギターを提供するようなことは出来なかった、とか。
ブランドを立ち上げてかなりの間、一般のホームセンターで売ってるような小さな器材でもってギターの塗装をしていた、とか。
Kamanに買収された後、ようやく立派な製造のための最新機器とか設備を購入することができた、とか。
なんかほんとに、手作りで、かつ自転車操業で、やってきたメーカーなんだな、という感じがします。
でも案外、そういうのが、本当なのかもしれない。
そういうものなのかもしれないな、世の中って。
そして、Hamerは、時代の流れに翻弄されたブランドでもあると思います。
本来、1950年代のヴィンテージ楽器を愛する人たちによって立ち上げられた、ヴィンテージギブソンを基本とするメーカーであるにも関わらず、ブランドが軌道に乗った1980年代には、ヘヴィメタルが大流行し、結果、Hamerも、そういったギターを作らざるを得ず、一般にはJacksonやCharvelと同様なヘヴィメタルのギターとしてのイメージが定着してしまったところがあると思います。
Hamerを使っていたトッププロとして思い浮かぶのも、やはりその時期のアーティストが多いのも事実です。
けれども、そうした状況の中でHamerのやってきたことは、時代の流れや、音楽の多様化の中で、本当に良い楽器とは何なのか、ヴィンテージとは何なのか、エレクトリックギターの本質は何なのか、というテーマを投げかけます。
2010年代になった現在、
世界には、相変わらず大手のブランドはたくさんあるものの、
それ以上に、小規模なブランドや、個人工房、カスタムショップなども世界中にたくさん存在し、多種多様なギターが作られています。
その意味では、「世界最初のカスタムショップ」であり「ヴィンテージモダンの先駆者」であったHamerのブランドとしての役割は、確かに終わっているわけです。
けれども、世の中の商業的な流れの中で、どうやって良心的な楽器作りを行っていくのか、という点においては、Hamerは非常に大きな手本というか、見本を、時代の中で示したわけであると思います。
さてそういったように、1980年代のヘヴィメタルのアーティストが思い浮かぶHamerギターなのですが、その本来の意味で、Hamer本来の音を出していたアーティストといえば、やはり、もっとも初期からのエンドーサーというか使用アーティストである、Cheap Trickのリック・ニールセンが挙げられると思います。
熱心なギターコレクター、ヴィンテージギターマニアとしても知られるリック・ニールセン。彼は、Hamerの創業者たちと同郷の友人でもあり、まだHamerが創業する前、そしてCheap Trickがデビューする前から、ヴィンテージギターの売買を通じて知り合い、交流があったとのことです。
Hamerの創業者たちと同じようにヴィンテージギターにルーツを持ち、また同じようなバックグランドから同時代に出て来たリック・ニールセンのサウンドこそ、Hamerの創業者が思い描いていた本来のギターサウンドに、いちばん近いのではないでしょうか。
あるいはことヘヴィメタルのフィールドにおいては、Judas Priestが、”Diffenders of the Faith”(いや、このアルバムのレコーディングはまだHamerじゃないかな)を、あるいは”Ram It Down”を、そして”Painkiller”を作り上げるにあたって、Hamerのサウンドが、どれだけ強みになっていたか、そしてGlen Tiptonが、いまだにHamerのモデルを使い続けていることからも、わかる気がします。
さて僕は今現在、昨年から、日本のメーカーとしてDeviserさん(Bacchus, Momose, Headway)の大ファンなのですが、
このDeviserさんのやっていることを見ても、なんだかHamerのやってきたことと、いろいろとかぶるところがあります。
もちろん、日本のメーカーとアメリカのメーカーでは、環境も立場も違い、
またDeviser/Headwayさんは、またHamerとは少し違ったルーツを持っています。
(Hamerのルーツは、ヴィンテージギブソン、Deviser/Headwayのルーツは、Martinのアコースティックギター)
けれども、モダンヴィンテージを追求しつつ、良心的な楽器づくりを続けている、という点においては、なんだか共通するところをいろいろと感じます。
しかしDeviserさんは、今ではエレクトリックギター、ベース、のみならず、アコースティックギター、ホロウボディギター、ウクレレ、など、多方面での楽器作りで、決して規模は大きくはないものの、日本の楽器産業の中で地位を築いています。
もちろん、会社としての商売の上では、他社ブランドのOEM生産などが大きく占めているとは思うのですが、それでもこうして、良質な楽器を着実に作り続けていることは、やっぱすごいことであるなあと、Hamerをふまえた上でも、そう思うわけです。
というわけで、日本の楽器が好きな僕ですが、現在一本だけ所有しているUSA製のギターが、このHamerであります。それは、かのヴィンテージ路線の頂点でもあるコリーナVectorですね。中古で格安で手に入れたものですが、この本に掲載されている当時の日本の代理店の広告を見て、そのもともとの値段に仰天しました。どんだけふんだくってたんだよ代理店、ってw
最初にJudas Priestを好きになって以来、ようやく、その長らく謎であったHamerというギターを、手にすることができたわけですが。
(XT seriesのインドネシア製Vectorは2009年から使っておりまして、そのギターにも非常にお世話になっております。)
これから、このギターを鳴らし、活躍させてあげられる時間と、ステージが、僕にどれだけ残されているかわかりませんが。
やれるだけやってみようと思っております。