2015年7月の日記

■…2015年 7月 2日 (Fri)…….せめて、人間らしく
Probably the best thing I’ve read this week. Even though I would… I want take “one step further” spiritually if you ask me. 今まで読んだ中では冷静な方の記事。これを書いたねーちゃんは人間が出来てる(笑)俺だったら霊的にもう一歩踏み込むけど、まあせめてクリスチャン名乗るんならこうあるべきだろう。
こちら

No(4545)

■…2015年 7月 2日 (Fri)…….俺絞られるレモン
つい先日、ソングライティングについて「俺はもう出涸らしだ」と書いた直後の数日間で、すでに3、4曲の楽曲を書き上げた(笑) 嘘はついていない。出来たものは、「鍋島ライティング」の最後の部分だったり余録の続きであったり、さもなくばまったく関係ないものだったからだ。
つまり「これを越えるものはもう出来やしない」ということであって、そこそこのものでいいんであればまだいくらでも書ける。
でもたぶんそれすらももう無理かもしれない。
現にこれらの楽曲をいじっていても自分には限界しか感じない。
それはそれで喜ばしいことだ。

「鍋島」に取り掛かるにあたって、参考にする音源、古今東西の名作はいろいろあるのだけれど、そのリストの中にあったものとして、本当にひさしぶりにナンバーガールを聴いてみている。ほとんど10年ぶりに聴くといっていい。でも聴いてみたらやっぱり全部覚えてたな。

Zazen Boysだってまったく聴かなかったわけじゃないが、特に最後の方でNumber Girlがやろうとしていた、やっていたことは、狂った現代の民謡を鳴らすことだろう。それは音を聴いて2.5秒で理解できた。音の出てくる根源は同じようなところであっても、僕の今やりたいことは、時をさかのぼり、魂をさかのぼってそこにある純然たる民謡を鳴らすことだ。(エレクトリックに鳴らすことだ、もちろん。)

同じような例でいえばLoudnessだって僕も全部聴いたわけじゃないし90年代のものは聴いていないけれど、全盛期に全米進出していた頃のLoudnessにしたって、タッカンは意味のわからない和風のリフをいろいろと弾いている。ただそれはあくまで断片的な抽象に過ぎず、意味をもったものとしてまとめるところまでは至っていない。(その後は知らん)

同様の意味で言えばやはりこの時期のナンバーガールもそのテーマ、命題に取り組みながらも正面から打破するところまではたどり着いていないように感じる。むしろ限界に達し、跳ね返されて逃げている感じだ。(あえて言えば次元を切り裂いているのはやはり田淵さんのギターだろうか)

であれば俺がそれに挑戦して失敗したとしても恥ではない(笑)

パソコンの中の「鍋島」のフォルダには現時点で数えて27の楽曲が入っている。
もちろんこれからまだ増えるかもしれない。
もちろんその中には「とりあえず入れてみよう」も入っているので、全部がそのクオリティに達しているわけではない。
けれども、そうだねたとえばその中の7つくらいは純然にクオリティ不足として省いても、20曲。ダブルアルバムが作れてしまう。
それはとても、苦しいな。

でも結局はその中から厳選して15曲くらいのデモにまとめることになるだろう。
そこからさらに実際にバンドで鳴らしてしっくりこないものを省けば、ちょうどよい感じになるんじゃないかな。

本当に最後になってもいいようにね、
と考えると本当にダブルアルバムにしてしまいたいくらいだけれど。

そんな時間が僕たちに残されているかどうかは疑問だ(汗)

さてWikipediaで「鍋島焼」の項目を見てみると、こう書かれている。
こちら

「同書によれば、鍋島焼は素性不明の浪人・高原五郎七(五郎八とも)が有田の岩谷川内(いわやがわち)で青磁を焼造し、佐賀藩の御用を務めたのが起源であるという。この五郎七は、秀吉の家来とも朝鮮から渡来の工人ともいわれる半ば伝説上の人物で、藩のキリシタン取締りを避けて出奔してしまったと伝える。」

つまり鍋島を作り上げた創始者はクリスチャンだったということだろうか。

なんかすべての「辻褄」が合ってきた(笑)

よろしく神さん。

No(4546)

■…2015年 7月 2日 (Fri)…….あやふやな知識で人を裁くことはできない
Not sure but just for my memo and study. Correction welcome (maybe). I look up my bible. I’m not in love with bacon, by the way. My personal opinion, just in case, is pretty much everything we do is a sin. One thing certain is we all need to repent and we all need Jesus. We all need to beg and pray for His forgiveness. To me, that’s all I need to know.
こちら

No(4547)

■…2015年 7月 4日 (Sun)…….To my friend
あのね世の中はいろんな霊的なレイヤーから構成されていて、平和や幸福を作る、つまり国を強くするのはそのすべてのレイヤーの共同作業なのさ。特定の考えを正しいとしてしまう教育では国は強くはならないよ。もてない理由や、相手を理解できない理由は、自分の中に探すしかない。人を糾弾するための理論武装なんて誰でもできるからね。政治を語るってことは、その人の中にある世界観の中での話。神の視点でもないかぎり、誰も現実なんか見れやしない。だからこそ難しくても、右と左、前と後ろが喧々やりながらやっていくしかないのさ。君の内面の世界のためにこの歌を贈る。

–わかんないんだろうな、みんな
わかるようならはなっから

No(4548)

■…2015年 7月 5日 (Mon)…….アメリカの女性は勇敢だが、日本の女性はもっと強い。
女子サッカーのワールドカップ今回も盛り上がってますね。
これから日本対アメリカで決勝戦ということで、うーん、すごいね。
僕はスポーツは疎く、野球もサッカーもいわんやバスケもメリケン式フットボールも詳しくはないんですが、それでもこのサッカーというスポーツは、単なるスポーツ以上に、国と国とのアイデンティティをかけての戦いだなぁ、ということをいつも感じます。だからこそ世界中の人たちが夢中になって応援するんでしょうけれど。
サッカーはフィールド上で陣形を組んで行うチームスポーツということだからなのか、何かしらないけれど国民性というものがよく表れるスポーツなんじゃないかと思います。
まあ要するに古代の戦争と同じですよね。

さて4年前に女子サッカー日本がワールドカップでなんと優勝してしまい、うわあ、男子の世界ではトップなんて遠いのに女子サッカーはすごいな。日本の女は強いのだな、と感銘を受けたのも記憶に新しいのですが、今回もまた決勝進出。

そんなに日本の女は強いのか。男は結果を残せず情けないのに、えらい違いだな、と日本人男子の一人としては脅威と劣等感を覚えてしまうところですが(笑)
男と女の性質の違いということを考えるに、自分の中でこういう理由かなー、という仮説を考えてみました。

ようするに、日本というのは和をもって尊しとなす、ということで、グループでの和を重視する気質の民族です。
これが、男性の場合は、個人はともかく集団として戦うときには、決定力の無さとか、重要な場面での連携のミスなどにつながってしまう。

けれども、女性というのは本来、集団での横のつながりが強い生き物です。(そうらしいですね)
つまり、女性は皆でおしゃべりし、集団で行動する性質が強い、らしい、です。
つまりは、これが女の連帯感なのか、ということです(笑)
先生困ってしまいます。

この女性という集団にあっては、
日本人の持つ和を重視する気質は、
男性の場合と違って、マイナスではなくプラスに働くのではないか、という仮説です。

そしてまた、女子チームの指導、監督をする人は、男性である場合が多い。しかもちょっと年輩の男性。
今、女子代表の監督をされてる方も、なんだかきっと名伯楽と言われる人なんでしょうけれど、プレイヤーの集団としてはフィールド上で日本人気質が必ずしもプラスに働かない日本人男性ではあるけれど、こうして指導監督する立場になった場合、日本人男性の本来のintegrityというのか人格的に優れた部分というのが、ベストに作用する、ということなのだと思います。
思えばサッカーに限らず、女子チーム、女子選手と男性の監督という組み合わせで活躍した選手は、スポーツの世界ではいろいろと記憶に残る選手がいますね。

日本人が国民性としてぴったりくるのはこういうパターンの組み合わせなのかなとなんとなく思います。

そして何より、女性が強い、女性がスポーツで活躍する、というのは、その国、その社会の中で、やはりある程度近代的で、先進性と柔軟性のある先進国である、ということを言うことができると思います。

その意味では、僕ら日本は、もちろん社会の中でまだまだ欧米諸国とくらべても問題は山積みなのですが、それでも日本の女性は元気がいいのだ、強いのだ、と言えることは、誇っていいことだと俺は思っています。

自分は男だし、嫁さんもいますが、甲斐性のないバンドマンであることもあり、この歳になれば「女を守ってやる」なんていうことが、いかに現実からかけ離れているかは、身にしみてわかっています。
嫌ってくらいに、女性に支えられて、嫁さんに支えられて、女性の皆さんの世話になって僕たちは生きています。

男に出来ることっていうのは、ほら、あれだ。
正しいことを正しいと信じる、とか、
ちっぽけな自分なりに。
せめてそういうことですよ。

明日の決勝戦が楽しみですね。

No(4549)

■…2015年 7月 5日 (Mon)…….クインシー・ジョーンズ「音楽産業はもうない」
短いインタビューだが、さすがレジェンド、示唆に満ちている。音楽産業についてのくだりだけではなく、いちばん響いたのは「今のアメリカ人は自分たちの音楽の源泉を知らない」というくだり。じゃあ俺はどうだ。自分たちの文化の源泉を知っているか。俺だって同じくらい”frustrated”だ。日本にもアメリカにも。
こちら

No(4550)

■…2015年 7月 5日 (Mon)…….定義
一応、はしっこではあるけれどヘヴィメタルと呼ばれるカテゴリに含まれる僕らは音楽を演奏したり作ったりし続けている。
それで思ったこととしては、ヘヴィメタルというのは、物事の尺度が1から10まであったとしたら、15まで、あるいは20までやってみないと気が済まない人のことを言うのだろうという結論に達している。
まあ確かに「Up to eleven」という言葉がある通りなのだけれど。

We have been playing and making music that falls into somewhere in a genre called “Heavy Metal” for a while now.
My conclusion at this point is, Heavy Metal is something about a person that can’t help but explore to 15 or even 20, when you have 1-10 scale.
(No wonder Spinal Tap said “Up to Eleven”.)
こちら

No(4551)

■…2015年 7月 6日 (Tue)…….国づくり
ダメだったのかなでしこ……時期が悪かったか。やつらは独立記念日の直後は3割増しでパワーアップするからな。これが愛国心の差ってやつかね。待ってろ、皆が心から誇りに思えるような国を俺が、作ってやる(音楽で)! まあ勝負は時の運ですね。とりあえず日本の皆様お疲れ様、そんでアメリカさんおめでとう!

No(4552)

■…2015年 7月 8日 (Thu)…….めもめも
そうね昨年録音して今年もうすぐ発表する、
“Revive The World”は、Imari Tones本来の多様性を持ったハードロックとして最強のものであろう。

そして次に制作にとりかかるコンセプトアルバム「Jesus Wind」はImari Tonesとしてのヘヴィメタルアルバムとしては最強になるであろう。

そんでもってその次に制作するはずの「鍋島」は、日本人としてのロックとして最強に掘り下げたものになるであろー

ふはははは(悪役のように笑う)

ところで悪役みたいに笑う人、アニメや映画とかでは見たことあっても、
実際に現実で見たことないんですが、
そういう人、見たことありますか?

もし居たらぜひお友達に・・・なりたくないかも。

No(4553)

■…2015年 7月11日 (Sun)…….中略
(中略)・・・だからこそ俺だって別にキリストのような奇跡とかワイン作るとかやれないけれど、こと音楽とアートと形而上の世界においては、俺は神から力を与えてもらったし、その中では俺はじゅうぶんに奇跡のひとつやふたつはやってきたつもりだぜ? 皆が同意してくれるかどうかは知らないけど。

もちろん俺は奇跡は起こせないし、キリストのように水をワインに変えることなんてできないけれど、けれどもキリストがどうやって水をワインに変えたのか、そのやり方くらいは俺も知っている。

つまり、君は小説の作者だったとしよう。作者というか、筆者、物語を書く人だ。主人公はイエスでもいいし、キヨシローでもいい。
奇跡を起こすのは簡単だ。君はたんにペンを取って、「キヨシローの目の前で、その水はワインに変わった。そしてそれは最高級のワインであった。」と書けばいい。そしてその次の行にこう書き込む。「リュウイチはキヨシローに手渡されたグラスからそのワインを飲むと、驚いてこう言った。『すごい。確かにこれはワインだ。しかも最高級のワインだ。いった君はどうやってこれをやったんだ!』」とね。それは彼の周囲にいる登場人物たちには不可解な奇跡だけれど、君にはそれができる。そしてこの世界でそれができるのは創造主である神だけだ、ということだろう。

そしてそれがわかれば、君にだって神に与えられた奇跡を起こす力がなんかあることはきっとわかるはずだ。そしてそれを通じて、神に出会い、神を知ることも出来るはずだ。俺だって、その音楽の力、アートの力、アートの存在する形而上の中において、キリストに出会ったんだ。いや、もちろん、別のところでも何度か会ってはいるけどね。キリストさんは、いろんなところにひょいっと現れるから。もちろんライオンの姿をして出てくることもあるだろうさ。 (抜粋:リチャード・ナカミネ「信仰と幻想」より)

No(4554)

■…2015年 7月12日 (Mon)…….今そこにありすぎていつのまにかおなじみの危機
Thanks for the share. This kind of article is valuable. Whether it’s true or not. What can I say. I have many friends living there in Fukushima. In current Japan, you should believe or pretend everything is just okay. If you say “danger” or “Fukushima is doomed” or something like that, you are dead. People making difficult decisions. Not all people have choices. Some people just have to “go on” no matter what the reality is. As a person who CARES about our homeland and also about the WORLD, I DON’T think it’s okay. I think things are MUCH MORE serious than people think. But sometimes we have to choose to face the difficult reality and look for what we can do until the “last day”, that is, TO LOVE people, till the last moment. (To me, it is TO MAKE MUSIC, I guess.) I don’t think TEPCO and the Government are facing the “difficult reality”. One thing I can say about this article, this is an honest truth but at the same time very ironic and sounds like a joke, but “Tokyo area people evacuation”, I don’t think it will ever happen. Not because there is no danger, but because, Japanese people will go to work and doing business just like normal, no matter what happens, UNTIL THE LAST DAY. I’m pretty sure about that. That’s how “crazy diligent” Japanese people are. But thanks. I think you know we, as a band, issued some statements about this Fukushima crisis, including our “Atomic Live” album. Thanks and thanks again. こちら

No(4555)

■…2015年 7月14日 (Wed)…….勝算ジャパン
こちら
たぶん後でちゃんと書く。
監督の気持ちはわからないでもない。

たとえば今度の法案が通ったからといって、
それで現実的に世界の安全が保てるかというと、
全然そんなことはないと思う。
むしろ逆っぽい。

かといって、では今度の法案が廃案になれば
それで世界は平和になるのかと聞かれれば、
やはりそんなわけでは全然ない。
気休めに過ぎないっぽい。

政府とか軍事や法制度がどうするのかというのは
俺にはわりとどっちでもいい。

水が高きから低きに流れるのを止められないように、
俺は歴史の流れや自然の摂理を止められるとは思わない。

俺たちは今、何時くらいを生きているのか。
どうやって僕らは未来を生きていけばいいのか

たとえば資本主義も民主主義も経済も軍事も安全保障も国家も自由も
すべての既存の概念が行き詰まり通用しなくなっている今の時代だからこそ
すべてのものを新しく定義しなおせばいい

そうすれば国と国が争うという概念すら成り立たなくなる

歴史の歯車を逆に回すことはできない
これまであったすべてのものは新しくされる

であれば、俺は、
こんな時こそ日本ということを定義しなければならない。
日本人であるということをしっかりと定義しなければならない。

日本人とは何なのか
そして日本というのはどういうことなのか

えせ保守を気取っている人たちにはそれは出来ない
えせ進取を気取る人たちにはもっと出来ないだろう
それができるのは自らの魂に深く潜ることができる者だけだ
どんな分野であれ、仕事をするというのはそういうことだ

国を守るというのは
別に国境の線を守ることじゃない

国境の線で定義されるような「国」というものに
俺は興味はない

霊をもって建てた国を
侵略することも滅ぼすことも
人の手には叶わない

作ること
壊すこと
霊をもって
それができるのは神だけだ

この戦いに勝算あり。

初めてそう感じる。

後で時間あったらちゃんと書く。

まあ俺は、ただのインディーミュージシャンなんで。

No(4556)

■…2015年 7月19日 (Mon)…….ど真ん中
昨日のポストの続きってわけじゃないが、なんか最近、Guns’n Rosesとかまた聴いてるんだよね。
それは勢いに満ちた名盤のデビューアルバムではなくて、もっと内省的でバラエティに富んでいて、バンド内部もどうしようもなくなっていた頃のUse Your Illusionのあたりを。
あるいは90年代初め頃の、まあ一番売れていた時期だけれど、すっかりあきらめて悟ってしまった頃のR.E.M.とかも聴きたい気分。
つまりは世界の歴史を紐解けば、100年前から、500年前から、いや少なくとも1000年以上前から、すでに「どうしようもなかった」わけで。信仰はゆがめられ、神は冒涜され、血は流され、それでも前に進んできた。
同じようにロックや音楽をめぐる状況もすでに彼らが出てきた1980年代にはもう「どうしようもない状況」だった。そして今の日本がそうであったように、当時のアメリカもすでに嫌ってくらい「どうしようもなかった」んだろう。
じゃあ今は、っていうと、それは言わないでおこう。
僕はもちろん政治にも社会にも興味なんてないし、だからこそ世捨て人な人生を選んで音楽をやっているが、政治的立場があるとすれば自分はリベラルだと思っている。
でも本当は自分が求めているのは本当の意味での保守であり、本当の意味で誇れる国であり、本当の意味での自分たちのアイデンティティだ。
右も左も上も下もどうしようもない状況で、何も信じられない中、鳴らすそのロックンロールが、「ど真ん中」を貫く瞬間。たとえば当時のGuns’nRosesはそれができる存在だったのかもしれない、と、今さらながらに思っている。
本当に僕らに残されたのは、真実をつかむため神が最後に与えたロックンロールだけかもしれない。あとは、こうして声を上げること。国を作る、つまり政治、というのは、政治家が議会でやることだけではない。それは、政治、国づくり、という巨大な作業の、ほんの一面に過ぎない。音楽や芸術には、もっと根本的なレイヤーまでさかのぼってやることがある、というより、そこまで遡らないとだめだこりゃ、と思ったから僕はこの「世捨て人」な人生を選んだ。その結果、「信仰」というレイヤーまでたどりついた。
4年続けてアメリカにちょいっと演奏に行った後、今度は向こうのバンドを日本に呼ぶことをしながら、ここ数年、僕はずっと日本人の鳴らすロック、日本人のアイデンティティということを突き詰めていた。それは自分の魂を遡る作業に他ならなかったし、じゃあ自分だったらブルーズや、そこから派生するエレクトリック民族音楽、つまりはZeppelinをどのように鳴らすか、という命題だけれど。そして最初っからそうだけれど、信仰という意味でも本当の意味で日本人が出会うことのできるキリストに出会おうとしていた。
今取り組んでいる「Jesus Wind」というコンセプトアルバム、そしてその次に、まあいつ完成するか想像もつかないけれど、自分の音楽の到達点である「鍋島」。それらの作品をもって、自分なりに見つけた「本当のど真ん中」「日本人のアイデンティティ」を提示できると思っている。もちろん、自分らにできる本当の意味での魂の賛美も。それを鳴らせるかどうか自らに問うと、ちょっと怖い。勇気が必要だ。
道具を使いこなしていくのは、そしてそれらの音を鳴らせるようになるための修練は、まだまだこれから始まるところだが、ひとまず「鍋島」用の専用兵器は配備完了した。前に、「果たしてこんな楽器、こんなベースは存在するだろうか」と日記に書いた。いつものことだけれど、そう日記に書く、ということは、すでにそれを見つけて手に入れた後だということだ。嘘みたいな巡り合わせで手元に来た。あとはうちのBoysの腕前に期待するしかない。頼むぜ、おい。

No(4557)

■…2015年 7月21日 (Wed)…….潮目
この半年くらいずっと、ネットを見ると、政治や社会のトピックに議論があって大変だ。
わかりきったことだけど今は時代の変わり目だと思うんだよね。
たとえば音楽業界はこの10年ですっかり崩壊した。
それで、旧来の大きな音楽業界に乗っかるのではなく、新しい形を求めるインディーズミュージシャンが世界中に現れた。
でも、旧来のような音楽業界の方がいい、っていう人は、ミュージシャン、業界人、リスナーの立場にかかわらず今でもいる。
小規模なインディーズアーティストが小さなハコで、変拍子と不協和音とエレクトロニクスを駆使した音楽を聴くよりも、
テレビに出ているアイドルが、大きな会場で、80年代のようなヒット曲を歌うのを見ていたい、という人は今でもいる。
また、理由はどうあれ「物事はこうでなくてはいけない」と考える人ほど、新しい形を受け入れることは難しい。(宗教的な理由とか)
安心が欲しい人も同様だ。(宗教は安心を売るビジネスだ)

世界中で起きてることを見ると、俺は政治や社会制度も同じなんじゃないかと思う。
日々、今までは考えられなかったような、いろいろなことが起きて当然だ。

では、旧来のものに代わる新しい形はどのようなものなのか。
それは、音楽業界と同じだ。
誰も知らない。誰にもわからない。
それが時代の変わり目ってものだから。

それでも、皆がいろんなトピックに、賛成するにせよ、反対するにせよ、
その議論も既に、インターネット上や、Facebookなどのソーシャルネットワーク上で為されている。

知らない間に、みんなプラットフォームに乗ってしまっているんだよね。
新しい時代の土俵に。
その意味では、賛成や反対を表明するまでもなく、誰も後戻りなどできない、そういう時代だ。

No(4558)

■…2015年 7月22日 (Thu)…….ジーザスモード代打
7/20に行ったジーザスモードの記録ポスト。
FBより。
結局、ヴォーカルも僕が代打、ドラムもジェイクが代打、と、とても変則的な編成のライヴになりました。
やりとげただけでもびっくり。

今日は新橋ZZにて「Atsuki Ryo with Jesus Mode」のライヴでした。しかしアクシデント発生しヴォーカリスト熱きリョウがウイルスに倒れまさかの出場不可!「熱きリョウとジーザスモード」なのに熱きリョウがいないというまさかの状況。電車の中で歌詞を暗唱し急遽ギターヴォーカルで歌いました。リハではいけるかと思ったんですが本番やはり力んでしまい中々声出ず。しかしなんとかごまかしました。そしたらお客様や対ばんの皆様にはまさかの好評。うそーん。ある意味貴重なライヴだったと思いますが、やっぱりアクシデントはゴメンだぜ!次は熱きリョウと一緒に最高にカッコいい熱いライヴを見せたいと思います!

昨日のAtsuki Ryo with Jesus Modeのライヴに於いて、シンガー熱きリョウ急遽病欠という他に、原因不明のノイズに曲間ずっと悩まされるというアクシデントがありました。数年来愛用しているAlbit社の真空管ブースターですが、検証すべくダメ元で筐体を開けてみるとネジが一本緩んでいました。これがどうもアースの役割を持っているようで、確かにノイズは素足でペダルに触れると消えるなど、色々と辻褄は合います。ネジを締めるとノイズは解消したので恐らく原因はこれだった様子。こんな事あるんですね。お聴き苦しいノイズすみませんでした。けれどアクシデント続きの中、演奏やりきった自分たちはちょっと褒めてあげたい気分です(笑)

No(4559)

■…2015年 7月26日 (Mon)…….Falling
“Falling”のビデオ出来た〜。基本的にはスケートボードでこけた映像を集めただけ(笑) Born To Rideの失敗テイクをリサイクルです。あとは卵を落としてスローモーションにした〜。
こちら

No(4560)

■…2015年 7月26日 (Mon)…….Twenty Four Sakura Top Bass
またギアトーク。
一応、海外向けに(結果的に、だけど)バンドやってる身としては、日本人のアイデンティティということは意識していることもあり、昔から日本製の楽器や日本製のギアということに関してはこだわりは持っています。
たとえば80/90年代の「共和商会時代」の日本製Jackson/Charvelであったり、
下町が誇るハンドメイドAlbit/Cranetortoiseのペダルがいつも足下にあることであったり、
Van Halenモデルのギターの中でも、日本製のAxis-EXを選んで使っていることとか。

で、2年ほど前にBacchusの愛称「猫ポール」と出会って以来、その「これこそが日本製の最高のものだ」と言いたくなるような楽器としてのクオリティにほとんど衝撃を受けて、それ以来Bacchus/Headway/Deviser社の大ファンになってしまい、自分でDeviser社の楽器を手に入れて演奏することはもとより、周囲の人にもすすめるようになってしまったんですが、

うち(Imari Tones)のはっしー先生もついにBacchus製のベースを手にすることになりました。
とはいえ、もともとLakland USAの最高のベースを所持しているはっしーのことなので、これはサウンド的な特定の目的があって入手したものであります。

つまりは、これから近い将来にImari Tonesがバンドとして取り掛かる、「今度こそ本当に最後になる可能性が高いぜ」的なアルバムというか作品、コードネーム「鍋島」ですね。

その「鍋島」のサウンドを完成させるためにバンドの戦略上の武器の調達であります。

つまりは「鍋島」は言ってしまえば和風ハードロックなので、その和風テイストを表現するために真の意味で日本製の楽器といえる特性を持った楽器が必要だと感じたからです。
そのためにここ数ヶ月、リサーチを重ね、そしてはっしーと一緒に楽器屋をめぐって、エレクトリックベースというものに向き合ってきました。

そしてその中で、エレクトリックベースというものの奥深さ、難しさというものを垣間みると同時に、そこにどんな可能性が詰まっているのか、少しは学んできたつもりです。

さて、ともかくも「鍋島」ですが、
そもそもが現在Imari Tonesは、9月にリリース、発表予定の”Revive The World”の次の作品となるコンセプトアルバム「Jesus Wind」(仮)の楽曲に必死になって取り組んでおります。これも決して簡単な作品ではなく、また今までのImari Tonesの作品の中ではもっともヘヴィメタル色が強いものになる見込みですが、
「鍋島」はその次に作る予定の作品ということになります。
「Jesus Wind」のレコーディング、録音制作もいつになるのかわからないくらいなので、この「鍋島」に取り組んで、形にすることができるのは、いつになるのか、想像もつきません。

なので、このはっしー先生の新しい武器であるBacchusベースも、「対鍋島専用兵器」であることを考えると、人前でお披露目するのは、まだまだずっと先のことになるだろうと思います。

で、これは、BacchusのTwenty-Fourというモデル、それの、レギュラーモデルではなく、限定モデルの、サクラトップという仕様のものです。
つまりは、桜の木をトップ材に使っているものですが、僕が「鍋島」に求める和風のサウンド、たかだか桜の木をトップ材に使ったぐらいで、そういったニュアンスが出るものなのか。そう疑問視していたんですが、結果として、出ちゃったので、まぁ、出るんならそれでいっか、という感じです。

以前にも日記に書いたようにこのTwenty Fourというベース、Bacchusブランドのベースの中ではフラッグシップ的な位置づけのモデルではありましたが、どうやら昨年2014年をもって生産中止になっている様子。
これはバッカスの楽器の中ではギターのDukeにも言えることですが、もともとHandmadeシリーズの楽器は生産数が少ないのか、このTwenty Fourというモデルも、楽器屋さんでもネット探してもなかなか見つからないモデルなので、それの限定モデルということで、かなり貴重なものと言うことができます。

で、先日のImari Tonesのスタジオ練習で、このベースの音を初めて出してバンドで合わせてみて、わかったことがいろいろとありました。
そして、この「エレクトリックベース」というものについて、これまでいろいろリサーチしてきましたが、自分たちのバンドで合わせてみることによって、「ああ、そういうことだったのか」ということが体感できましたので、後学のために書き記しておく次第です。

まずはやはりとても難しい楽器でした。
セッティングも難しいし、曲ごとに音を合わせるのも難しい。
そして演奏の面でもおそらくは難しい。

あれですね、ここは面倒なので結論から書いていきますが、
この楽器は、たとえば車で言うならば、一般の乗用車に対するスポーツカーのようなものだ、ということが言えると思います。

つまり、乗用車というものは、多くの人が乗り、そしてまた安全性が重要なので、その操作、運転は難易度が低く設定されている。つまり、ハンドル、ステアリングの反応であるとか、ブレーキやアクセルの反応とか、遊び、あとはギアとか。
俺はクルマは本当に全然くわしくないんで、うまく書けないんですが、つまり乗用車というのは、それらのものが安全に平易に運転できるよう作られている。
対して、スポーツカーというものは、ステアリングの反応も鋭く、ブレーキやアクセルも反応に遊びというものはなく、鋭く反応する、そしてギアだとかエンジンとのやりとりとか、なんかいろいろたぶんあるんですよね、きっと。それはつまり、普通の人では、なかなか乗りこなせない難易度の乗り物なわけです。

で、ひるがえって、エレクトリックベースという楽器。
まあ、ギターも同様なんだと思いますが、
一般に、市販されているエレクトリックベースというものは、楽器の時点で、それなりに良い感じに問題のない、扱いやすい音にチューンナップされていると思うんですね。
それはつまり、世の中でそれらの楽器を使う人々は、必ずしも自分で音を判断し、作れる人ばかりではないからです。
そして、その「チューンナップ」の内容は、必ずしも楽器を鳴らす方向だけでなく、鳴らないように作る、ということも含まれていると思います。

自分もIbanezの安いベースなど使ったことがありますので、たとえばその安いIbanezとか、安いわりにはぜんぜん使える音なんですが、そういう楽器もおそらくは、本質的に鳴らすという方向性だけでなく、鳴らないようにするという方向性でもって、安くても良い感じの使える音を出すようにデザインされているのだと想像します。

そして、またも自分はクルマに詳しくないので、たとえが適切ではないかもしれませんが、はっしーの愛用してきたLakland USAなどは、たぶん自動車で言うならBMWとか、そういう位置づけだと思われ、それはそれで、高級さと実用性を兼ね備えたポジションに、良い感じにチューンナップされているのだと思います。

それらに対して、このBacchusのHandmade SeriesのTwenty Fourなんですが、なんというかそういう意図的なチューンナップがあまりされていない、めっちゃストレートな鳴りをします。これをもって、一般の自動車ではなく、スポーツカーのようだ、という印象を覚えたのですが、上から下まで、すべての帯域が、鋭い反応でズバっと鳴る。

特に、特徴的なのは上ですね。ハイの部分。
まあ、もちろん、ハイミッドあたりに「桜トップ」ならではの特徴的な倍音?がもりもり乗っているのもポイントなのですが、
これは僕が個人で使っている同じくBacchusのTF-Ashにも言えることではありますが、「ベースって、こんなにハイって出るんだ」みたいな感慨があります。

これは逆で、むしろ本来はベースという楽器は、きちんと作れば、これだけ鋭いハイを発音するものなのだ、ということでしょう。
一般的なエレクトリックベースは、そのハイやハイミッドの部分を抑制して、使いやすい音に仕上げてあるのではないかと想像するわけです。

壁のようなローやタイトなローミッドだけでなく、このハイやハイミッドの部分までも、プレイヤーの側で制御し、デザインし、コントロールしなければならない、と。そのあたりまでプレイヤー側の責任、そして自由度として、任せられていると。
そのかわり、楽器としてはすべての帯域でシャープな反応と最高の鳴りは確保してあるから、あとはそっちでうまく生かして使ってね、と。

これは、めっちゃハードルが高い楽器なんですね。
音作りでも、アンサンブルでも、演奏技術の面でも。
どうハードルが高いのかは、その領域を体験したプレイヤーだけが知っていると思うので、うまく書けないし、書きませんが。

でも、ひとつ例えるならば、一般的な楽器が、たとえば設定によって10種類くらいのサウンドが出せるとすれば、この楽器はたぶん、100種類くらいの音を出すことができるでしょう。それくらい、反応や設定が細かい、というか。

Bacchusのベースの中でもいちばんの売れ線モデルであるWoodlineは、一般的なジャズベタイプの形をしているし、あるいはもう少し平易に作ってあるかもしれませんが、基本的に、Bacchusのベースのデザインの根底にある考え方は、そういう感じなのかもしれない。
つまりは、安心できる乗用車ではなく、反応の鋭いスポーツカーに近いタイプ。

今まで、楽器屋さんで、このTwenty Fourのアッシュ製のレギュラーモデルを試したときに、「反応はソリッドだけど、なんか素のままっていうか、素っ気ない音だな。どういう場面でどういう用途で使えばいいのかいまいちわかんない。」っていう印象を持っていたのだけれど、こうしてバンドで鳴らしてみると、その本質というものがよくわかった。つまりは、鳴りまくるエンジンと、鋭い反応速度の周波数特性のステアリングを持った、「走り重視」のスポーツカーだった、ということだと思う。

もちろん、じゃあ、ベンツとかBMWとかと比べて、スポーツカーがより優れているのかと言われれば、それは違う。特に音楽は速度ではないし、「乗り味」という面で、素っ気ないスポーツカーよりも、高級車の方が優れていることは当然ある。それに、はっしーも言っていたが、「公道でスポーツカー乗ってもギアを2速までしか上げられない」的なパターンになるので、こういう反応速度の鋭い楽器が必要とされるシチュエーションというのは限られている。
だが、前述のように、これから僕らが取り組む「鍋島」はそのスポーツカーの速度と反応が求められる世界なのだ。

とにもかくにも難しい楽器なので、これからのリハーサルで試行錯誤しながら使い方を研究していくことになるだろうし、また、その破壊力もすさまじいので、下手な使い方はできないぶん、すぐにImari Tonesのライヴで使えるかというと、そういうわけにはいかない。

だけれども、「鍋島」へのチャレンジに向けて、うちのベースドライバーに、このモンスターマシンを乗りこなす訓練をしてもらうことになるだろう。桜の色のついたモンスターマシンを。

とにもかくにも、エレクトリックベースというものは、本来、きちんと手加減なしに、ストレートに作れば、これほどに鋭く、タイトで、帯域の広い、またかくもいろいろな種類の音を出すものなのだと、正直驚かされた。
開いた口がふさがらなかった、と言っていい。

でも、アンサンブルの中でこの音を調和させるのは、並大抵じゃないぜ。
だから、HandmadeシリーズのTwenty Four、既に生産中止になっているモデルではあるけれど、誰にでも勧める、というわけには、いかないな。
すごく、難しい楽器だ。

それにこれも前に書いたけど、セパレートブリッジの旧モデルは、もうちょっと音が鈍かったので、そっちのことは、よくわからんぜ。でもやっぱり、そっちもきっとスポーツカータイプなんだと、思う。

No(4561)

■…2015年 7月26日 (Mon)…….ギタリストやベーシストのために世界が回っているわけじゃない
つまり、あれだ、
ギターやベースのために木が生えてきたんじゃなくて、
ギターにせよベースにせよ、自然界にある木を使って、用途に合うように作っただけだ、というのはそういうことか。
ギターとかベースは、数限りなくある木材の使い方の、ほんのひとつに過ぎない。
で、人間側(プレイヤー側)の都合じゃなしに、木の特性をわりと生かす方向でそのまんま作るのが、バッカスさんのやり方なのだろうね。

No(4562)

■…2015年 7月28日 (Wed)…….困ってしまう歌
君は、世の中が平和になったら何か困るのか?
俺は世界が平和になったって別に困らない。
でも世界が平和になったら困るっていう人はたくさんいる。
それは別にテロリストの組織や、軍事産業のオーナーに限った話じゃない。
そういう人々は身近にいくらでもいる。
世の中に悪役が居てくれないと都合が悪いのは、何も正義の味方に限った話じゃないのだから。

君は、世の中の人々が病気知らずで健康になったら何か困るのか?
俺は世界中から病気がなくなったって別に困らない。
でも人々が健康になったら困るっていう人はたくさんいる。
それは別に医者や、製薬会社の社長さんに限った話じゃない。
そういう人々は身近にもたくさんいるだろう。
人生を駆け抜けるために何も言い訳など必要ないことを、認めてしまったら都合が悪いのは、何もアルプスの少女に限った話じゃないのだから。

君は、世の中が思いやりにあふれた良い人ばかりになったら何か困るのか。
俺は・・・どうかな、困るかもしれないな(笑)
世の中に悪人やろくでなしがいてくれないと困るという人はたくさんいる。
でも俺は、自分が良い人間であることとか、自分が誰かより優れているということを、証明する必要はないんだ。
だから、世の中がすべて思いやりにあふれて、俺一人だけがろくでなしになっても、別に構いやしない。

君は、世の中が思慮と知識に満ちた賢人ばかりになったら何か困るのか?
俺は・・・まあ困るけど(笑)、別に構わない。
でも、世の中が依頼心や猜疑心に満ちた弱い人間で溢れていないと困るという人はたくさんいる。
それは別に、大企業やマスコミや、政治家や独裁者に限った話じゃない。
誰だって、取り残されるのは怖いものだから。
そして世の中が勇気に溢れた人々ばかりになったら何か困るのか。
俺は別に、世の中が深い思慮を持った賢人ばかりになり、また勇気を持った人間ばかりになり、自分だけが浅はかな単細胞であっても、また自分が世界でいちばんの意気地なしになっても、一向に構わない。

俺は、世界中の人々が幸せになったって別に構わないぜ。
でも世の中には、人々が幸せになったら困る、っていう人たちもたくさんいるんだ。
この世界が幸せにあふれ、世界中の人々が幸せになってしまったら、そんなふうになってもらっては困る、っていう人はいる。

俺は別に、世界中が幸せな人々であふれても、一向に構わない。
そんなふうになったらいいなと、日々考えている。

No(4563)

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